1958(昭和33)年2月19日1936(昭和11)年2月20日

February 20, 2012

1936(昭和11)年2月20日

 [[一九三六(昭和十一)年]]、[[水平社]]の活動家たちが、[[松本治一郎]]に選挙出馬を迫り、「五尺八寸、二十七貫(およそ百七十五臓九十四繊法△海[[松本治一郎]]、最後の血の一滴まで、闘い抜くことを誓います」の演説の締めくくり文句で、激戦区の[[福岡]]一区を駆け抜け、初当選する。

 以降、それまで次一郎と名乗っていたのを、治一郎に改名する。
 これまで[[部落出身の政治家]]はいたが、[[政治]]の世界で[[部落問題を訴える政治家]]はいなかった。

 世の中の流れは、当選の五日後、三十年ぶりの大雪の降る東京で、青年陸軍将校たちによるクーデター([[二・二六事件]])が起こり、[[松本治一郎]]の[[理想]]とは逆の方向に向う。

 その年の五月十六日、当選した[[松本治一郎]]は、[[衆議院]]の[[予算委員会]]で、[[地方改善費]]について[[質問演説]]を行う。






 人間の住む世の中に、人間として生きていくことのできない社会があるとするならば、その社会はあやまった社会であると言わざるをえません。人間と生れた以上は、人間として生きていきたい、その生活ができない社会があるために、[[水平運動]]があるのであります。










 政府は一方において、地方改善費を支出して[[融和]]施策を行いながら、他方においては[[差別]]を黙認・・・甚だしい場合は助長するが如き、矛盾した態度を執れることすら見られるのでありますが、










政府が年々支出しておられる地方改善費なるものは、[[部落]]大衆に対する[[差別]]を取り除いて、[[国民融和]]を図る為なりや、それとも[[部落]]大衆を誤魔化す為なりや、この点をはっきりと答えて頂きたいのであります。





 「[[政治]]の世界で、[[部落問題]]を訴えたいとは思っていたが・・・」
 [[松本治一郎]]は、[[部落差別]]の実態から出発して、差別を見抜く目の無い政府側の人たちに、[[国会]]の場で、説明を行い、施策が不十分であることを認めさせ、改めさせていく。


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