1974(昭和49)年9月24日狭山事件 第二審 最終弁論、差別捜査に弾みをつけた検察側「スコップ鑑定」に自著で反論した元大阪科捜研多田敏行氏1963(昭和38)年5月4日

November 15, 2019

1963(昭和38)年5月1日

 [[埼玉県]]で[[狭山事件]]が起こり、[[部落]]への[[見込み捜査]]が続く(『[[不可侵不可被侵]]』)
 
 中田善枝さん(高校一年生)が行方不明になり、中田家に脅迫状が届けられ、誘拐事件となる(『[[石川一雄獄中歌集]]』)

 中田善枝さん誘拐事件が発生する(『[[狭山事件と再審]]』)

 中田善枝さん(一六歳)、行方不明となる。何者かによって自転車と脅迫状が自宅に届けられる。深夜、脅迫状に指定された身代金受渡し場所の「佐野屋」周辺に警察官が張り込む。犯人あらわれず(『[[狭山事件---石川一雄 四十一年目の真実]]』)


(『狭山事件無罪の新事実』(三一新書,1977) )


更新・狭山事件誌

一九六三・五・一 メーデー。統一地方選挙の翌日。狭山市赤坂(堀兼支所管内)、田畑三・七ヘクタール所有農家中田栄作方へ午後四時すぎ「子供(四女善枝のこと。当時川越高校入間川分校一年生)をつかまえた。一日の夜十二時、『前の門』に女の人が金二十万円をもって立っていろ、仲間がとりに行く、もし警察に知らせたら子供は殺す、その時は西武園の池に行ってみろ」という文章によらない脅迫があり(中田家は堀兼農協の有線電話に加入)、家族は狭山署に届ける。





狭山署は営利誘拐とみて県警本部に報告、分校より善枝の足どり、友人を聞き極秘の捜査開始。上田明県警本部長は吉展ちゃん事件の失態の直後だけに即時五時近くに行動を起こし、六時半前後に細田行義所沢署長と会い、管内の西武園の池の警戒を命じる。署長は暗くなったころに署員を集め、事件の内容は知らせず張込みの用意をさせる。





但し署長の判断により西武園の池はアベックが多く死体投込みはありえないとみて隣接狭山湖(山口貯水池)を張込ます。他方公表記録によれば、中田家の長男健治(二六)は午後六時五〇分、妹善枝の帰りが遅いのを心配して自家用トラックで豪雨をついて分校に行き、善枝の下校を確かめ、七時三〇分帰宅。夕食後、七時四〇分家族は玄関に脅迫状を、物置きに善枝の自転車を発見、七時五〇分駐在所に届ける。(これが事件の発見とされているが





父と兄が狭山署で供述調書をとられている筈の頃、真実は県警と狭山署の活動はすでに始まっていた)県警捜査第一課課長次席等は十数名をつれて狭山署に行き、八〜九時に捜査会議をもち、狭山署と合同の張込みのため一〇時迄に「前の門」に配置。姉登美恵ニセ札をもって犯人を待つ。公称記録に反し、この時犯人が現れたがとり逃がす。県警首脳、犯人とり逃がしと共に善枝の死の責任を問われることになり、恐慌状態に陥る。



 






































































































降雨についての証言
(『狭山事件を推理する〜Vの悲劇』(甲斐仁志著)より
午後 時 航空自衛隊
入間基地記録
浅野とよ子
5/2、5/29
利根敏子
5/29
大島いく
5/7
小野木武
5/30〜6/27
福富孝
(堀兼中野球部員)5/5
吉沢健一
(堀兼中教師)二審で供述
山川一雄
判決
1時 曇り   1:50頃雨が降り出した 1:30前 畑に着く 霧雨が降り始めた 1:30頃自宅を出る
1:50頃畑に着く
     
2時 2:02〜55弱雨     2:30頃だんだん雨が強くなってきたので仕事をやめる
2:50頃荒神様着
2:30〜3:00妻が傘を取りに来る
雨が強くなり5分程車の中で雨やどりをする
2:20〜30頃「坂口自転車店」付近で被害者を目撃    
3時 3:26〜39弱雨 3:30頃被害者下校目撃 雨の中を帰っていった 3:23被害者「入間川分校」下校を目撃 雨は止んでいた
3:40下校 駅まで濡れなかった
3:54電車に乗る
3:20頃「第一ガード」下で被害者を目撃
服や髪などは大して濡れていなかった
3:30〜4:00叫ぶような声を聞く
除草剤を半分まき終わってまもなく 雨が少し降っていた
  3時頃被害者を「第二ガード」で目撃 3:50頃被害者と出会う
4時 4:20〜本降り 4:00頃下校 途中雨に遭わなかった
4:30頃帰宅 雲が出て暗くなる
4:40頃 強い雨が降る
4:05本川越着 途中雨が降ってきた
4:20自宅
  4:30頃仕事を終える けっこう雨が降っていた
4:45頃妻の実家を出る 強く振り出した
4:10頃「西中学校」に着く   4:20頃被害者を殺害
5時 本降り       5:30頃自宅へ帰る      
6時 6:27日没後も本降り              
7時 本降り             7:35脅迫状) 
8時 本降り              
9時 本降り
翌2日午前2:50いったん止む
午後4:55〜7:45降る
3日、4日は降らず
            9:00死体埋没
翌2日午前2:50犬がほえるのを聞く(田辺ナミ証言) 




higurashi at 18:51│Comments(0) 1963(昭和38)年 

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1. 五月一日、今日は何の日?  [ スーパー新一年生 ]   May 01, 2009 17:12
  風薫る五月となりました。 今日は何の日? 朝~あした~こそ、“狭山の風” が吹くでしょうか。 1963年05月1日、○○善枝ちゃんが亡くなりました。心から哀悼の意を表します。 ところで、東村山音頭の、東京都東村山市が淵の森(「トトロの森」)の「里親」になり...

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1974(昭和49)年9月24日狭山事件 第二審 最終弁論、差別捜査に弾みをつけた検察側「スコップ鑑定」に自著で反論した元大阪科捜研多田敏行氏1963(昭和38)年5月4日