1960年代

October 13, 1970

狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第十六回公判

狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第十六回公判
        (昭和  )年 月 日

* 石川宅第二回家宅捜索差押の状況
(第二次捜査の日までは、被害品とされる万年筆は勝手口の上にある鴨居に存在しなかった件について)
<証人>石川六造(石川一雄さんの兄)
<弁護人尋問>





一、第二回目のときは、どこをどういうふうに調べたんですか。
   炊事場の方に行ったんです。で、天井裏なんかに、ねずみの穴があって、ボロきれなんかでふさいであった穴がいくつかあったんです。そのふさいであるものを取って、穴を見せろと言うんです。だから、自分で取ってみたらいいでしょうと、言ったら、何という刑事さんかわからないけれども、箱を台にして取って見ていました。










二、今、炊事場のところにねずみの穴があると言いましたね。
   はい。
三、その場所をもう少し説明してくれませんか。
   お勝手の入口の上と、それからあと、風呂場のずとお勝手に続いた野地板というんですが、屋根の下へ張るその板があって、うちは天井張っていないから、じかだったんです。結局その野地板をねずみが齧って出たり入ったりしてたんです。そこをボロきれでふさいでいたんです。









四、のちに、お勝手の入口から、万年筆が出てきましたね。
   はい。
五、その場所は、知っていますね。
   知ってます。
六、その場所は、今あなたが言うたボロきれを詰めておいたという・・・ ・・・。
   お勝手の入口の上です。
七、同じ場所ですか。
   ええ。









八、すると、第二回目の時に、そのボロきれを詰めた所を警察官が捜していたことがあったんですね。
   ええ、陸足袋のボロきれが、片一方あったんです。それから、ハンカチのボロきれがはさまってました。
九、何か、そのボロきれを取り出せと、誰かが言ったのですか。
   ええ。
十、その警部は誰ですか。
   さあ、小島警部と、もう少し背の低い人がいたと思います。









十一、あなたは、その時の捜査の模様を、お勝手の所で見ていたわけですね。
   はい。
十二、で、ボロきれを出せとあなたに言って、あなたはどうしたんですか。
   自分で取ったらいいだろうと言ったんです。それで警察官が全部みんな自分で取って、また詰めました。









十三、ボロきれを取ったあと、警察官は、その場所を手でさぐったりしていましたか。
   はい。
十四、何か言ってませんでしたか。
   いや、別にただ泥が付くとか、言ってました。
十五、その時は、そこから何も押収されたものはなかったんですね。
   はい。









十六、その時、警察官はボロをまたあとに詰めましたか。
    いや、全部詰めてくれないですよ。だから、私があとから、全部詰め直したんです。

  








 
 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第十六回公判
        (昭和  )年 月 日
* 石川宅第二回家宅捜索差押の状況
(第二次捜査の日までは、被害品とされる万年筆は勝手口の上にある鴨居に存在しなかった件について)

<証人>石川六造(石川一雄さんの兄)
<弁護人尋問>

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October 07, 1970

狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第十七回公判

狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第十七回公判
        (昭和  )年 月 日

*「少時様」(脅迫状の名宛人、本来の犯行計画の対象の家の子ども)についての矛盾
<証人>原正(検事)
<弁護人尋問>





一、脅迫状の封筒の表に書かれた『少時』というのをどういう風にみたか。
   私の方では江田昭司として書いたものと思ったのですが、石川一雄は取り調べの段階では単に自分の知っている名前を書いたに過ぎないという風なことを言っておりました。









二、江田昭司のことについてかなり詳細に述べている供述調書があるのではないか。
   そうです。
三、石川一雄の認識では、そこには子供はいないという認識ではないか。
   そういうことを言っているかも知れません。









四、証人自身江田昭司というのを頭において書いたという証拠は何か。
   そこの家には幼稚園に通っている子供があって、その子供を誘拐するつもりで書いたのではなかろうかと思ったのです・・・









五、既に殺害を認め脅迫文を作成したこと、それを届けたことを認め、五月二日佐野屋の脇へ金を取りに行ったことまで認めた石川一雄が、どうしてその辺を隠したのか、現在、その辺について考えるところがあるか。
   それは更に情状が悪くなるからその点を隠しているのではないかという気がするのです・・・









六、少なくとも証人は論告のとき、そういうことは言わなかったのではないか。
   そうです。
七、承認自身そういう風に考えてないのではないか。
   そうかも知れません。









八、実際は「少時」さんというのはどうにも不可解でわからんという結論しかないのではないか。
   只今、証言したとおりです。
九、証人が今述べていたように理解されているなら、その点について石川一雄に確かめられたのではないか。
   ・・・ ・・・









十、(少時様などについて)何故言わないかについて、証人は自分の情状を重くしたくないという考慮からだろうと言われたが、今でも真実にそう考えているのか、それとも、石川一雄が
  







「少時」というものを実際に書いた記憶がないから、それについて供述が曖昧になっているのではないかといろいろ疑いをもったことはないか。 
  
   石川一雄が書いた脅迫状に間違いないのです。







 
 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第十七回公判

*「少時様」(脅迫状の名宛人、本来の犯行計画の対象の家の子ども)についての矛盾
<証人>原正(検事)
<弁護人尋問>

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10月7日誕生花キウイ


higurashi at 10:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)