1974(昭和49)年

May 22, 2019

1974(昭和49)年10月31日〜2006(平成18)年10月31日石川一雄さんメッセージ

 <この頃までに、全国で[[狭山事件]]の公正な裁判を求める三六〇万人の[[署名]]と、二六八の[[議会決議]]が採択される>
 [[第二審]][[東京高等裁判所]]の[[寺尾正二裁判長]]が、[[無期懲役]]の判決を言い渡す。
 集会参加者の約一万三千人が、都内を抗議デモ行進する。[[石川一雄]]さんは、[[最高裁]]へ即日[[上告]]する。
 
 ……………………………………………………………………………………


狭山裁判 上 野間宏 頁四四七〜四四八より


部落問題を理解することなくして、この裁判を
進めてきた、第一審、原審の裁判官は、この
裁判を行う資格を欠いていたというべきだろう。
これらの裁判官は憲法第一四条も十分に読み
とってはいなかった。部落問題を理解すること
なくして、憲法第一四条がそのもっとも深い
内容を担って実現するその「差別されない」と
いう言葉の包みこんでいる意味を理解する
ことは出来ない。・・・
最高裁判所第二小法廷の裁判官もまた、この点に
おいて、第一審、原審の裁判官とまったく変わる
ことがない。


このように言ってもこの私の言うところについて、
これらの裁判官がただちに受け入れるなどという
ことは、考えられない。
私は、部落問題の何たるかをここで、まだ解明する
ことをしていないし、さらにまた、この文章の中で
それをするなどということは出来ないからである。
とはいえ、これらの裁判官たちも、やがて、私の
言うところに、真があるということに思いあたる
時が、必ず訪れるということを私は考えている。
そのとき、これらの裁判官は、もちろん、各自の
根底からの自身のあやまりに気づいて、自分自身に
ふるえおののくだろう。
そして差別的審理と判決の責任の重大なことを
考えつくす、その入り口のところに立つほか
ないのである。・・・

狭山裁判 上 頁四五三より



寺尾裁判長は、青木英五郎弁護人に島崎藤村の
『破壊』を読んでいることを語っているが、この
藤村のすぐれた作品、部落民である瀬川丑松を
主人公にした作品も、まことの被差別部落に生を
うけたものの心と肉体を欠いているのであって、
『破壊』を読んで、被差別部落に生まれ、部落
差別を受けてきたもののすべてを、とらえている
との判断に立っているとすれば、それは、
まことに誤りというべきものである。

 ……………………………………………………………………………………

◇ 石川一雄さんの10.31メッセージ


2004

 特別抗告審も最大な山場を迎えたこんにち、10・31寺尾不当判決30カ年
糾弾集会に決起された全ての皆様に心から感謝の一文をお届け致します。返り
見ると寺尾判決から30年が経過してしまった訳でありますが、彼の時、私を
含め、弁護団も其れ迄の寺尾裁判官は民主的な判決を出していたこともあって
「寺尾裁判官ならば、狭山事件の冤罪性を理解し、無罪判決を出すであろう」
と楽観的な見方に足元を掬われました。
以後、沢山の無実の証拠が次々に明ら
かになりながら、「無実」を勝ち得ない儘、今日に至っていることに対し、無
念の思いは禁じ得ないながらも、彼の時から30年経った今も永遠と狭山再審
実現を目指して、支援活動を続けて下さって居られる皆様方のお心に私はどれ
程救われたか筆舌に尽くしえない程の感謝を抱きつつ、差別の「根源」を狭山
裁判を通して、世の人々に知らしめようと、自らを奮い立たせて確定判決以降
も精一杯闘い続けて参りました。
 言及するまでもなく、最高裁による切迫情勢の中にあって、皆様方、夫々が
創意工夫され、狭山再審闘争が、「差別糾弾闘争」の位置づけが大衆的に承認
されるべく、新100万人署名貫徹と共に精力的に展開されています。
 正に「狭山勝利」こそが、「差別をなくす」ための「試金石」として私自身
も大勢の人に働きかけ、必死に支援運動の協力を呼びかけているところです。
 此の天王山ともいうべき「特別抗告審」に於いて、種々な鑑定書等から見て、
最高裁は最早、先の高木、高橋決定の不当性を速やかに認め「事実調べ」を行
うべく東京高等裁判所に「差し戻し」して「事実審理」を行う以外にないと思
いますが、そういう意味でも、今日までの狭山支援運動の歴史的闘い、実践を
集約する今日の「糾弾」集会と、その後に結論が出されるであろう司法当局の
「判断」に対し、少なからず影響を与えるものと確信いたします。
 元より、如何にガードが硬い司法権力といえども、私が再武装して闘うなら
ば、どんなに厚い壁であろうとも突き崩せない筈はありません。だからこそ私
は正論で進む一方、権力と一切妥協しない強固な意志を全面に出して不屈に闘
っているのであります。何れにせよ、無実の罪で32年間も拘禁生活を余儀な
くされたこともさることながら、現在に至っても「殺人犯」の汚名は着せられ
た儘であり、然も、齋藤一連鑑定の結果、高木、高橋決定なるものが、如何に
好い加減な「論理」で再審・異議審を棄却したかなどを思うと、あらたに怒り
がこみ上げてきますが、皆様方も私同様に憤慨すると同時に「石川が差し戻し
を勝ち取るまでは最高裁を包囲し続ける」とテコでも動かない姿勢を貫いてお
られるので、私自身も更に支援者皆様に喚起すると共に、「本審で絶対『事
実調べ』を実現させるんだ」の意気込みで闘っております。
 何卒皆様も、厳しい姿勢で司法当局の不誠実な対応を許さないよう監視する
と共に、一日も早く「事実調べ」が行われますよう最高裁に要請活動して頂き
たく、此処に再度お願い申し上げて石川一雄の御挨拶といたします。今日は本
当にありがとうございました。

                              石川 一雄

寺尾不当判決30カ年糾弾
再審実現決起集会参加ご一同様


  http://www.f2.dion.ne.jp/~sayama1/ki/ki173/ki173.htm




  ……………………………………………………………………………………

  今年こそ勝利の年に

 メルマガ編集者のご努力、及び読者の皆様に対し、何時も事に触れ感謝して
います。狭山事件の成り立ちは部落差別と無知が原因で私を窮地に追い込んで
いるのは紛れもない事実ながらも、警察の深い罠の周到な謀略を見抜けなかっ
た自分を今は歯がゆく思われてなりません。現在の法律に於いては、被疑者の
「自白」のみでは犯人と出来ず、そのためには犯人でなければ知り得ない事項
に就いての証拠が必要なのです。それらを集めるのが、捜査官の仕事であって
みれば、私を犯人に仕立て上げるには造作もないでしょう。でも今は科学の進
歩に依って権力の鼻っ柱を圧し折る日はそう遠くないと確信しています。現在
メルマガ「狭山の風」で『狭山事件の公正な裁判ー事実調を求めるオンライン
署名』の活動が展開されています。鑑定等で真実を明らかにし、多くの署名を
裁判所に突きつけていきながら、大きな世論を巻き起こし狭山の風を吹かせて
頂きたいと希っています。どうか皆様もより以上のご協力を下さいますよう、
心よりお願いいたします。

                       2005年1月  石川 一雄








 ……………………………………………………………………………………

2005年3月17日 第二次再審請求棄却 記者会見 要旨
◇石川一雄さん

 きょうはみなさんお忙しいなかを来ていただきありがとうございます。
私も、今回だけは、こんなかたちで、みなさんの前に、ご報告するとは考えて
もいませんでした。若干不安はありましたけども、世論の風が吹いているし、
しかも、多くの新証拠が発見されているということから、今度こそ、最高裁は
誠実に私たちの訴えを聞き、差し戻しをしてくれるんじゃないかとつれあいと
も話しておりました。
ところが、今日午後1時ころ、証拠調べをする前に最高裁から封筒がきたので、
「棄却だ」と直感しました。中を開いて、それこそ一気に読みました。ひじょ
うに怒りをもって読みました。これほど怒りをもったことはありません。
弁護団が出した新証拠を裁判所がきちっと見ていない。まさに一方的です。恐
ろしいことだと思いました。これだけの証拠がありながら事実調べをやってい
ないということは、正義は司法に勝てないのか。正義は力に負けてしまうのか
と。

中山先生が「石川さんが勝利するまで闘う」と言ってくださいました。もちろ
ん私たちも、弁護士の先生方にお願いして、えん罪が晴れるまでは、とことん
闘います。
私たちの支援をしていただきたく、きょうも訴えさせてもらいに来ました。
ぜひとも、みなさんにも、公平、かつ公正に、市民のみなさんに狭山事件のこ
とを今までとおり伝えていただければ、これからも広がっていくと思います。
よろしくお願いいたします。本当にきょうはありがとうございました。




  ……………………………………………………………………………………
3月22日 緊急抗議集会資料 最高裁に「証拠保全」を申し入れ
最高裁第一小法廷による抜き打ち的な特別抗告棄却決定

3月17日午後1時頃に石川さんのところへ特別送達で棄却決定が届き、3月16日
付で特別抗告棄却決定が出されたことがわかった。中山主任弁護人が最高裁に
確認したところ、16日付で決定を石川さんと中山弁護士あてに送ったとのこと
であった。しかし、決定文はいっこうに中山弁護士のもとへは届かず、こちら
から最高裁に決定を取りに行き、中山弁護士が決定文を手にしたのは午後3時30
分ころであった。
http://www.bll.gr.jp/sayama/seimei20050317.html">中山主任弁護士のところへ最高裁からの棄却決定文が届いたのは、18日で、
普通郵便であった。)

2005年3月18日「弁護団声明
3月24日に、新証拠、補充書を提出し、主任調査官に面会するこ
とを申し入れたところ、最高裁は面会するとの返答をしていたのである。
ところが、この約束を破って、最高裁は3月16日付で抜き打ち的に棄却決
定を出し、驚くべきことに普通郵便で主任弁護人あてに決定文を送付してい
るのである。弁護団に棄却決定が届いたのは18日であった。あまりに不当
な、弁護側の主張を聞こうともしない一方的なやりかたに慄然とするばかり
である。最高裁は真実を恐れ、真実から逃げているだけであるといわざるを
えない


*『検証・最高裁判所―法服の向こうで』 毎日新聞社会部http://archive.mag2.com/0000131666/20050603000000000.html
3.16の棄却決定が出される前・・・愚かにも最高裁を信じていた・・・何が原因なのか。たぶん本当の敵は・・・元判事の一人はその一因として「最高裁事務総局の肥大化」を挙げた(狭山茶さん)


◇ 「決意あらたに!」(『冤罪狭山事件』HP〔近況〕から)

 この度の最高裁判所による棄却決定に対し、満腔の怒りを持って糾弾し、
同時に第三次再審請求審で再度不屈に闘いぬくことを決意しておりますが、
正直言って今度こそ諸鑑定、新証拠等から「事実調べ」を行うべく、東京
高裁に差し戻されるであろうことを多いに期待し、信じていただけに、ま
さかの棄却に愕然とし、先が真っ暗になったのも事実です。多分裁判官た
ちは「棄却ありき」で、どのようにしたら権威を維持できるかに心血を注
いでいたに違いなく、彼のような暴挙的な結論に至ったものと思われます
が、私の無実、えん罪を百も承知しつつ、私の人間としての尊厳を踏みに
じった第一小法廷を担当した島田仁朗裁判長をはじめ、各裁判官は断じて
許せません。今までの裁判官たちは、全て等しく自分の意思で権力犯罪に
手を染めてきた共犯者であることを声を大に知っておいてもらいたいと思
います。


 ご承知のようにこの42年間、弁護団は元より狭山事件そのものに関わっ
た元捜査官、法律家、学者などによって多くの証拠が提出され私の無実は
完全に証明されていたにもかかわらずこれらはすべて検証もなく却下され
ました。

 検察庁が隠し持っている証拠の全てが明らかになってはまさに狭山事件
が「権力犯罪」として問われ、司法の危機に陥ってしまうことから弁護団
の再三の開示勧告要請にも応じず、騙まし討ち的な棄却決定に断固抗議する。

 私自身はどんな仕打ちをされようとも立ち上がって闘いぬくのが真骨頂
であることを皆さんに知ってもらいたいと思う次第であります。

 当然の事ながら第三次に於いては無辜の救済、事実調べ、全証拠開示要
求を強く求めて参る訳でありますが、最高裁は裁判所の最後の砦であり、
その「使命」は他の裁判所の比でなく、絶対的な権威のあるところとだれ
もが認めており、それだけに諸証拠の検証なくして棄却したことに何を持
って糾弾すべきか怒りがおさまりません。

 しかし、私は前述のように打たれ強いので絶対に後に退くことなく今後
も果敢に闘って参る決意でおりますので、支援者の皆さんも第三次再審裁
判闘争に一層のご支援下さいますよう心からお願い申し上げます。私自身
不撓不屈の精神で闘うことをお伝えして失礼致します。

          2005年3月23日
                            石川 一雄

 http://www.sayama-jiken.com/ki/ki193/ki193.htm
                       
◇2005.5.24 石川一雄さんの短歌

   枯れ木に花は咲かねども 狭山には種も実もあり民の声あり

   権力の庇護の下での司法の暴挙 断固糾弾三次に臨む


 ……………………………………………………………………………………

◇ 石川一雄さんの10.31メッセージ


2005
<短歌> 寒暖や風雨司法に阻まれど苦難試練を越えて勝利へ

冤罪を晴らせないまま、確定判決31ヵ年を迎えてしまいました。此の間、刑務
所、社会に出て10年余に、国家、司法権力打倒に燃え、常に最前線に起って闘
っていた私に対し、最高裁は憎悪を剥き出し、「棄却」という大鉈を打ち下ろ
したのです。然も、弁護団の提出した新証拠や、補充書もまともに検討せず、
狭山再審闘争の幕引きを加速すべく、弁護団、市民の、新証拠、或いは署名用
紙の提出の約束をないがしろにしてまで急いだ背景に何が存在したか、それら
の問題点を総括せずに第三次に臨んでも結果は同じ轍を踏んでしまうのは当然
と解します。
 
 元より、狭山差別裁判の元凶が寺尾の不当極まる判決にあることは、今日此
処に結集された皆さんもご承知の通りでありますが、狭山闘争の歴史的勝利の
目処が立たないまま、本集会を迎えなければならなくなった事は、誠に断腸の
思いであり、ご支援下さる皆さんのご期待に応えられない事に対し、心から申
し訳なく思いつつ、痛みを共有し、第三次闘争に望みを賭け、多忙の中を決起
くださった皆さんに衷心より感謝の一文をお届けしたく重いペンを走らせた次
第であります。
 
 支援者たちを前に言及する程ではない事ながら、私は司法権力に一切の幻想
を捨てる一方、第三次こそ文字通り最終決戦と位置づけ、旗幟(きし)をより
鮮明に打ち出し、不撓不屈の精神で闘って参る所存でありますが、思えば寺尾
正二裁判長の其れまでの裁判が「公正・公平」であるとの見方に加え、一審は
兎も角、私が冤罪を訴え出た以降、多くの無実性の証拠が出て来たこともあっ
て、油断の姿勢も否定しえない事実であってみれば、其れが基となって現在も
闘いが続いている訳ですから、当時の事を思うと至極残念でなりません

 
 何れにせよ、真実は一つであり、無罪を勝ち取るまで、支援者の皆さん方の
ご協力は不可欠であることから、私自身も信念を持って、邁進してまいります
ので、どうか皆さん方も石川一雄を見捨てず、厳しい目をもって、私を見守っ
て下さるよう心からお願い申し上げます。
 
 本集会に決起くださった皆さんに感謝すると共に、私の不退転の決意の程を
お伝えしてご挨拶に代えて失礼いたします。

          2005年10月31日

                             石川  一雄

http://www.sayama-jiken.com/ki/ki213/ki213.htmlから全文転載)


  ……………………………………………………………………………………


第3次再審請求 5.23 石川一雄さんメッセージ

不当逮捕43ヵ年糾弾、第3次再審実現の決起集会にご参集各位に心から感謝の
意を表す一筆をお届けいたします。
 先年の司法の府が下した不当極まる棄却に対し、良識ある民の怒りと共に、
狭山の風が怒涛の如く巻き起こっている中で、第3次再審請求が申し立てられ、
いよいよ生死を賭した闘いの火蓋が切られました。

皆さんもご承知の様に「狭山事件」は政治的要素が強いだけに、今後の闘い
に於いても「狭山」が国家方針の中で、どの様に位置付けられているか、常
に身構えつつ、大胆、且つ緻密に司法の良心に訴え、裁判官の自己決定を促
す方向性を模索して参る所存です。確かに皆さんのお骨折りに依って社会に
出して頂いて10余年間に、多くの人との出会いや、美しい物を見て感動した
り、様々な知識を得ることもできました。夢や希望を持ち続けられて現在に
至っているのも事実ながら、43年間、闘い継いで来た狭山闘争を振り返った
時、果たして「正鵠(【せいこく】物事の急所・要点)を射るものを蓄積し
てきただろうか!」と自問自答すると甚だ疑問符する面を否定できません。
故に今度こそ此の3次再審に勝利する為には今迄以上に性根を据えて、更に
世論の喚起が不可欠と自分に言い聞かせつつ、原点に立って懸命に訴え活動
を展開しているのであります。

何れにせよ、支援者皆さん共々の願いである「今迄の判決・判断などに予断
を抱く事なく、十分に司法的抑制の理念に立って、弁護団提出事実を虚心に、
そして真摯に精査され、大極的見地に立って検討されるように」を無視し、
「精査・探求」どころか、特別抗告審もまた、机上論の荒唐無稽な暴論を持
って大鉈を打ち振るった此の現実と、正義が断罪される今の司法の姿を思う
と再審裁判の実現に容易ならぬ危機感が横たわっている訳ですが、でも私は
幾多の困難を乗り越えてきたので、これからも何処までも真実を追究し、完
全無罪が勝ち取れるまで不屈に闘い抜きます。

こうした狭山差別裁判を闘う中で、先般検察当局が「・・・裁判員制度に参
加する裁判員に自白の任意性を解ってもらう為に、録画・録音をする」との
発表でした。元より日弁連でもこれまで取り調べの「録画・録音」を強力に
提唱しておりますし、またこの様な取り調べの可視化は今や世界的な潮流と
なっていますが、「録画」などは検察官の裁量に委ねられるとあってみれば、
一歩前進とはいうものの、憲法が形骸化されていっている状況の中に「狭山
事件」があるだけに、「警察・検察」の全過程で可視化の義務化と証拠開示
実現、代用監獄の廃止なくして、えん罪は根絶しないことから、こうした訴
えも、私は狭山裁判闘争を通して全国民にご理解を求めて参るつもりです。

頭書にも申し述べましたように第3次再審申し立てに依って、皆さんにも一
層のご協力を賜らねばなりませんが、特に、新100万人署名もお願いする
ものと思いますので、何卒一人でも多くの獲得に力をお貸し下さいますよう
切願いたす次第であります。

それでは日頃の尽力に対し、衷心より感謝し、同時に第3次にも更なるご支
援をお願い申し上げて私のご挨拶といたします。今日は本当に有難うござい
ました。

     2006年5月23日

                            石川 一雄

不当逮捕43ヵ年糾弾、第3次再審実現総決起集会参加ご一同様

http://www.sayama-jiken.com/ki/ki242/ki242.html 全文転載(5月11日更新)

  ……………………………………………………………………………………


◇『朝日新聞』(2006年10/4より)最高裁長官に島田氏を決定
島田仁郎(しまだ・にろう)
東大卒、62年司法修習生。東京高裁部総括判事、司法研修所長、大阪
高裁長官などを経て02年11月から最高裁判事。第一小法廷に所属。
坂本堤弁護士一家殺害事件でオウム真理教元幹部の死刑を確定させる判
決や、2005年3月16日の狭山事件で再審を求めた石川一雄さんの特別抗告を棄却する決定
などで裁判長を務めた。
67歳。

2005年3月16日の狭山事件第二次再審請求審で石川一雄さんの特別抗告を棄却した島田仁郎裁判長は、2006(平成18)年10月16日付けで最高裁判所長官に任命された
  ……………………………………………………………………………………


石川一雄さん10.31メッセージ

2006

 正義が断罪される社会の中にあって、なお且つ法を信じ、43年以上も不屈に
闘っている石川一雄にエールを送り続けて下さっている全ての支援者各位に心
から深く感謝の一文をお届けいたします。
私は途轍もない長い年月、獄中での勉強を通して一えん罪者として法律の中で
「自由心証主義」なる条文の危険性に何度自問自答したかわかりません。言及
するまでもなく、狭山事件は、多くの疑問が存在しており、従って現今まで
の「判決・判断」などに予断を抱くことなく、第三次再審請求申し立てを虚心
に、そして真摯に精査、探究するならば、最早、寺尾確定判決の「主軸」とい
われている「脅迫状」など総て崩壊している以上、机上論的なまやかしは、断
じて許される筈がないし、今度こそ、全支援者たちが納得出来る「事実調べを
する」という声が裁判長から聞かれるものと確信しつつ、連日訴え活動に精を
出している訳であります。私自身は今までの各裁判官たちが、主観的な心証を
客観的な証拠の上におくという態度こそ「予断」がその根本にあると思えてな
らないので「自由心証主義」の欠陥を指摘したわけです。特に本審を「最後」
と位置づけて踏み出したからには、本当に、この第三次再審で「終結」にした
いものでありますし、とりわけ、心強い味方は科学の進歩であります。確かに
狭山闘争は、何度も敗退を余儀なくされている現実を見れば先行きの不透明は
否めないまでも、前述のように、その様な厳しい闘いの中で、弁護団の血の滲
むような努力と科学の力に依って私の無実性が証明されたのも事実です。それ
が、元栃木県警の齋藤氏、元大阪府警の奥田鑑定人ら三名の元鑑識課員による
鑑定であるわけです。然しながら、最高裁はそれらの科学の本質も機能も理解
しようとせず、暴論の棄却攻撃に打って出てきたからこそ、一層心を引き締め
なければならないと自分を戒めているんですが、戦前なら兎も角、現行法では、
不利益再審の廃止と共に「再審の理念、無辜の救済」の観点からも本審も第三
次再審請求審では、絶対に法廷闘争に持ち込む必要があるんです
。元より全国
の兄弟姉妹たちは、「石川命はわが命」として常に先頭に立って闘って下さっ
ておりますし、他方、労働者、宗教者、住民の会、学生、及び一般大衆の方々
も「公正な裁判」を求めて闘う中で、先般下した司法に対して不信感と糾弾闘
争にご協力下さっていることもよく存じており、何時も感謝の念で一杯ですが、
狭山闘争の「差別裁判糾弾」の闘いが発展しつつあることに恐怖したが故に、
司法の府として、あるまじき不当極まる棄却に出たのでありました。しかし、
権力がどのような装飾をもって「確定判決」を「擁護・維持」しようとも真実
を闇に葬ることはできません。いえ、むしろ火に油を注いだ如く、怒りの追撃
はますます強くなり、国家・司法権力が力で正義を切ろうとして打ち下した力
をそのまま権力に返さなければならないと、私もとことん闘い抜く所存であり
ます。部落民の私を犯人にデッチあげた張本人を断罪の血祭りをもって私への
謝罪と考えております。どうかこの三次こそ私の身に光が当たりますよう更な
るお力添えを賜りたく再度心からお願い申し上げて、私の感謝の言葉と決意の
ご挨拶に代えます。ありがとうございました。

                  2006年10月31日          
                             石川 一雄

  ……………………………………………………………………………………

「東京高裁・高検に要請ハガキを」
 http://www.sayama-case.com/online/shomei.html

  ……………………………………………………………………………………

石川一雄さん2007年新年メッセージ(『冤罪 狭山事件』HPから)

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
昨年も狭山支援に多大なご尽力を賜り、誠にありがとうございます。私も今年
こそ第三次再審を実現し、完全無罪を勝ち取り狭山闘争の終焉とすべく、全力
で闘うことを心に秘めて元気で2007年の第一歩を踏み出しました。

 今、全国の仲間の協力を得て新100万人署名活動も展開されています。一日も
早く目標を達成し、大きな世論で司法権力を包囲し、裁判所を動かせていただ
けますよう心からお願いいたします。これまで、ひたすらに一筋の光を求めて
闘い続けてまいりましたが、司法の闇は未だ晴れていません。しかし、闘いの
中で道は拓ける、真実は明らかになると確信しています。

 昨年12月には「第18回多田瑤子反権力人権賞」を戴きました。「確定判決は
証拠に基づかない予断に満ちたものであり、筆跡、筆記能力、万年筆の発見状
況などは非科学的で二次にわたる再審請求の中で明らか。石川さんに対する捜
査、裁判は被差別部落出身者を狙い撃ちにした差別に基づくもの
」とされ「
川さんの43年間の闘いに心から敬意を表し、第三次再審請求で事実調べ、再審
開始決定を実現し、えん罪を勝ち取る闘いに連帯の意を込めたい
」ということ
でした。この賞はこれまで闘い続けてくださった弁護団、支援者の皆さんに戴
いた「賞」であり、「第三次再審闘争勝利まで頑張って闘おう」というエール
を送って下さったのだと思います。

 第三次再審こそ勝利の血路を切り拓くべく闘いを展開して参る覚悟でおりま
すので、どうか皆さんも今年も狭山再審闘争に力をお貸しくださいますよう心
からお願い申し上げます。
http://www.sayama-jiken.com/ki/ki262/ki262.html から転載





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May 22, 2018

1974(昭和49)年9月20日狭山事件 第二審 第七九回 最終弁論(全八一回)、「自白の変遷」を再審請求の事由として申し立てた西川雅偉弁護人

1974(昭和49)年9月20日
 [[狭山事件]]、[[第二審]]第七九回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]が開かれる。

 [[弁護人]]は、[[中山武敏]](石川君の五月一日、二日の行動について)、
西川雅偉(「[[自白]]」の変遷とその意味)、稲村五郎([[脅迫状]]の外形をめぐる疑問点)、松本健男([[筆跡]]からみた[[被告人]]の[[無実]]性)、石田亨(出合地点と奥富[[調書]]をめぐる問題点)。  

*「自白の変遷」を再審請求の事由として追及した西川雅偉弁護人に対し、東京高等裁判所第四刑事部が出した第二次再審請求棄却決定文の内容(一九九九年七月八日)
*狭山事件第2次再審請求・特別抗告棄却決定より
弁護人西川雅偉作成の平成10年8月4日付け再審請求補充書の「付録21」として提出されたAの昭和38年6月8日付け検察官に対する供述調書(写し)の中には,「αは,私の家に居るとき,読んでいたものは歌の本とか週刊明星が主でしたが,私が野球が好きで報知新聞をとっていると,この新聞の競輪予想欄を見ては,しるしをつけていたし,私の家でとっている読売新聞も読んでおりました。また,去年の12月ごろ,αが自動車の免許証を取りたいと言っていたとき,私が免許証をとるとき使った交通法規の本と自動車構造の本をαに貸してやったら,それを少し読んでいるのは見ました。」との供述部分がある。
 上記供述調書は,検察官が第1審の第1回公判で立証趣旨を「被告人の性格,血液型等」として証拠調べ請求したが,弁護人が不同意の意見を述べたため,撤回された証拠である。弁護人は再審請求審でその主張する他の論点の裏付けとなる資料として上記供述調書を援用したものであるが,再審請求手続に上程した以上は,これを再審事由の存否等の判断資料として考慮することは許されると解すべきである。
 そして,その内容は,昭和37年から同38年にかけてAの経営する養豚場に住み込みで働いていた当時の申立人の知的関心と文章体験をうかがわせるものといえる。また,申立人は,起訴からほどない時期において,関あて手紙を始めとして自らの意思,感情を的確に表現する文書を作成し得ているのである。したがって,所論がいうように,本件当時の申立人の国語能力が小学校低学年程度の低位の水準にあったなどとは到底認められない。


*棄却決定に対する弁護団の「異議申立書」の中の反論
原決定は、それ自体が極めてあいまいな「文書作成の経緯、環境、書き手の置かれた心理的立場、状況の違い」の影響を持ち出して、請求人自筆の文書と脅迫状との間に見られる相異点をごまかし、また、脅迫状の書写による請求人の筆跡の変化を否定しようとしているが、このような論旨は不当である。原決定が、文書作成の経緯、環境、書き手の置かれた心理的立場、状況の違いの影響を言うならば、確定判決の依拠した三鑑定をこそ再検討しなければならないはずであり、筆跡の相異点をごまかし、弁護側鑑定を否定するためにだけ、このような論理を持ち出すことは許されない。また、原決定は、弁護人提出の筆跡新証拠に対しても、個々に切り離して評価し、しかもその主張・指摘するところの一部を取り出して否定するというやり方を取っており、新旧証拠の総合評価をおこなつたとは言えない。・・・

あるいは信用性吟味に触れた場合も、たとえば殺害方法に関する自白の不自然な変遷について、「捜査官の取調べに対して強姦と殺害の犯行の一部始終をありのまま供述したとは考え難く、供述時に、多少とも記憶が混乱、あるいは一部亡失し、またあるいは意識的に供述を端折るなどしたにちがいない」とし、よって、「いずれかが客観的事実に合致し、他は誤りであるという二者択一の関係にあると考えることは必ずしも当を得ない」旨、結論として、「自分の経験していない虚構の事実を自白したとはいえない。」と判示している。
右判示の誤りは、証拠構造の分析をせず、すなわち審判の対象を確定しなかつたことに起因しているものであるところ(振殺が確定判決の認定である。)、総合評価に名をかり、再審請求人にかえつて不利な認定をひき出した場合であつて、その違法性、不当性は厳しく弾劾されねばならない

お彼岸

*「異議申立書」に記録された 自白の変遷(一部抜粋) 
  一九九九年七月一二日  請求人 石川一雄

財田川決定が「申立人の自白の内容には数々の疑点があり、ことに犯行現場に残された血痕足跡が自白の内容と合致しないこと、その他の疑点を併せて、(中略)考えるときは、審理を尽くすならば、再審請求の事由の存在を認めることになり、確定判決の事実認定を動揺させる蓋然性もありえた……」との右判示を導き出した契機は・・・

新たな証拠資料を自白の信用性吟味に際して総合評価から外すなどとは、一の暴挙とさえいえる。原決定は「自分は『りぼん』をみながら自宅で脅迫状を作成した。」旨の自白の信用性を、指紋鑑定、日付訂正の問題、さらには、殺害方法における新証拠とこれに関連の「タオルで絞殺した」などの自白の変遷の問題などと統一的に把握し、自白の信用性を吟味しようとする姿勢を頭から放棄している。

松山事件再審開始決定は自白の信用性の吟味について、「請求理由の実質が請求人の自白の真実性を弾劾するものである」ときには、「自白の内容をなす個々の供述は特段の事情がない限り相互に有機的に関連を存するものとして統一的に把握されるべきものであることに鑑み、自白の内容をなす個々の供述部分の逐一について新証拠がなければその供述部分の真否ないし合理、不合理の検討をなしえないものではないと解する。」(前掲二四頁)と判示している

弁護人・請求人が自白の信用性を全面的に弾劾していることは、弁護人らの各補充書において、とくに平成二年一二月二〇日付、平成一〇年六月一九日付の、あるいは指紋についての二通の補充書において明白である。すなわち指紋の未発見の事実、殺害方法についての自白の不合理的な変遷、日付訂正と日付の原記載の問題における自白誘導の疑いの発見、脅迫状訂正筆記用具と自白との食い違い、万年筆奪取時期の自白の矛盾と不合理性、雑誌『りぼん』の未発見の問題、本件当時『りぼん』が請求人方に存在しなかつた事実、脅迫状用紙綴目数についての食い違い、あるいは自供された事実が、のちに発見の客観的証拠によりくつがえされている事実(木綿細引紐の間題)などを指摘し、自白の内容が不自然、不合理であり、本件自白は体験にもとづかない虚偽のものと主張してきたのである。

本件においては、自供で重い比重をしめる、「手袋を使用していない」という自供にもかかわらず、脅迫状の作成者という請求人の指紋が一つとして発見されていない事実、手本にしたという『りぼん』の請求人自宅からの未発見の事実、鑑定であきらかとなつた脅迫状訂正筆記用具と自白との食い違い、殺害方法にみられる自白の変遷とこれに関する自白と客観的事実との食い違いは、本件の場合、逐一新証拠による裏付けを得ている

自白が真実であれば当然に血痕が発見されなければならないのに、ルミノール反応検査がなされたのに反応はなかつたものであるし、請求人の「引き当たり捜査」さえもなされていないのである。請求人の「犯行現場」に関する自白はそれ自体不合理であり、出会い地点、連れ込んだ動機、犯行順序についての供述も変転定まらず、事実と多くの点で齟齬している。これらに加え、O証言の新証拠により、「犯行現場」に関する確定判決の認定には合理的疑いがあることが益々明らかになつたにかかわらず、原決定はこれらの新証拠を真剣に検討することなく、その明白性を否定したものであり、とうてい容認することはできない

当審におかれては、再審における無事の救済の理念のもと、厳格に、白鳥決定、財田川決定を履践し、すみやかに事実取調べを実施され、本件につき再審を開始するよう要請し、本異議申立書を提出するものである。



(約40年前は)「自白の変遷」を再審請求の事由として申し立てても
裁判所は、「供述時に、多少とも記憶が混乱、あるいは一部亡失し、またあるいは意識的に供述を端折るなどしたにちがいない」などと被告人に責任があるかのようなごまかしを行い、警察、検察による誘導や強要があったことの事実確認は一切行わないということがまかり通ったようですけれども、もういいかげんにしてもらいたいものですね・・・




裁判所は事実調べを行い再審開始を!

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 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
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1974(昭和49)年9月26日 第二審最終弁論で寺尾裁判長の過去の判決「手錠取調による自白は無効」を元に狭山再審無罪を迫った中田直人弁護人

 [[狭山事件]]、[[第二審]]第八一回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]が開かれる。
[[弁護人]]は、[[山上益郎]](三〇日間にわたる[[否認]]の意義)、[[中田直人]]([[筆圧痕]]と[[自白]]の始期をめぐって)、[[中田直人]]([[弁論]]を終わるにあたって)。
[[大槻一雄]]([[東京高検]][[検察庁]] [[検察官]][[事務取扱検事]])が[[検察側弁論]]を行う。

*1974年10月31 日、狭山事件の第二審で無期懲役判決を下した寺尾正二裁判長は、狭山事件とは別の恐喝事件での判決で「両手錠、腰縄つきの取調で作成した検察官調書3通は任意性に疑いがある」として証拠から排除しています
参考)Instructions for use Title 自白排除法則の研究(六) (Adobe PDF


*石川さんは手錠をかけたまま取調べを受け、その様子を隠し撮りした写真がー枚残されています。 川越分室での取調べの模様を、隣の家の垣根越しにあるカメ ラマンが写したもので、 石川さんは手錠だけでなく、腰縄をつけられていました(取調官と石川さんとの間に2本の縄らしきものも見えていました)。

  
*東京地判昭四〇(一九六五)・五・二九下刑集七巻五号一一三四頁<自白排除法則の研究(6)北法62より>寺尾正二裁判長が下した無効判決
 「取調べが終始おだやかな雰囲気のうちに行われたことをもつて検察官が右証明の必要を充たしたものといえるで
あろうか、疑いなきをえない。なぜなら、手錠をかけたままの取調べは、供述者に対する心理的圧迫の疑いがあるた
め任意性に問題があるのに、その疑いが取調べの雰囲気がおだやかであつたというようなことで解消するであろうか。
手錠をかけられたまま取調べられたため心理的圧迫がありながら、外面的には終始おだやかな取調べが行われること
も当然ありうることであり、むしろこのような状況の下で取調官に抗して兇暴な行動をとることの方がまれではなか
ろうか。当裁判所としては、いやしくも手錠を施したまま取調べた供述調書はすべて任意性に疑いがあるというので
はない。例えば、逃走、暴行、自殺、証拠湮滅のおそれの濃厚な強盗殺人等の兇悪犯や麻薬犯の場合には具体的状況
により例外を認めることはやむをえないと考える。検察官の前掲法務省の通牒で詳細な手続規定が示されているにも
かかわらず、右例外の場合だけでなく、本件のような通常の事件においてさえ、手錠を施したまま取調べているとす
れば、おそらく手続の煩雑をきらうためと戒護要員の手薄のためとであろう。しかしながら、いやしくも犯罪の捜査
ならびに公訴提起の権限をもち、やがて当事者となるべき相手方たる被疑者を自らの取調室において取調べる検察官
が被疑者を両手錠、繩つきのまま取調べること、換言すれば人的もしくは施設面の改善によつて解決すべき問題を両
手錠、繩つきという直接的有形力によつて代置させてよいものであろうか。それはあまりにも非人間的であり、むし
ろそれ自体強制というに近いものではあるまいか。このような取調べ方法は被疑者に卑屈感と自己嫌悪の情を懐かせ、
自白を誘導するおそれが多分にある。検察官にそのような意図がなければ幸いである。」


*寺尾正二裁判長に対しては、その他の経歴からも、無罪判決を予想する弁護人も多くいました。

『自白崩壊―狭山裁判20年 (1984年)』: 狭山事件再審弁護団より
 (日高六郎氏)寺尾裁判長の水俣の川本輝夫さんの事件の公訴棄却判決ですね。・・・その時には寺尾さんをみんな誉めましたよ。で、私は「・・・もちろん寺尾判事のこの公訴棄却は指示するけど、狭山の問題は狭山の問題として考えて欲しい・・・」と言ったんですけど。

(山上益朗氏)たしかに八海事件に対する最高裁決定を寺尾さんが批判したとか、日韓条約反対デモに対する寺尾判決とかいうことが、判決前に話題になりましたね。井波七郎さんのあとに寺尾さんがついたということで、明るくなったというか、そういう雰囲気はたしかにあったと思います。・・・

(土方鉄氏)リベラルな人だから偏見を持っていないとか差別しないということにはならないし、誤判をしないということにもならないでしょう。・・・

(山上益朗氏)・・・二審最終段階で、井波裁判長に全弁護人が迫って、彼の退官直前に、死体に関する上田政雄鑑定を証人採用決定させたのです。これには強い思い出があります。ところが、・・・寺尾裁判長に説得される形で、証人調べの取消し決定を受け入れるという経緯があって、・・・結局、寺尾裁判長のもとでは証人調べは一回もなく終結したわけです。私としては、教訓としてというか、痛みとして心に残っています。




*この日、[[石川一雄]]さんが行った[[被告人最終意見陳述]]より(抜粋)




 然しこれは私に限らず、あの真昼の暗黒で有名な
八海事件にせよ、二転三転と死から生、生から死へと
振り回され、結局無罪が決定したものの、その過程で
死を科した判事たちは、仮にあのまま被告人の精神が
弱くくじけてしまって刑が確定してしまっていたら、
法律による完全な殺人事件が成立してしまうことになり、
いくら法律の名のもとに決定したと申せ、その宣告した
判事は、殺人者には違いないのであります。
 今日まで歯を食いしばって頑張って来たのは、
いわれなき罪を暴くと同時に、本件が差別裁判であること、
三百万部落の方々の抑圧、差別を一身に背負っている
ことを自覚したことによって、私たちの悲願達成に
不可欠は、なんといっても先ず社会の普遍的差別意識を
なくすことが先決であるとし、自らの努力を惜しまずに、
自身にムチ打って今日まで闘ってきたのであった。








 裁判所が本来の機構、使命感をまっとうするならば、
必ずや国民全体の期待を裏切らないと
確信して居ります。・・・
 言う迄もなく自由主義国家のわが日本の恥部が
差別であり、そして国家権力こそが部落差別の
元凶である以上、裁判長殿が狭山事件に纏わる
全捜査過程を厳しく批判し、そして不完全な
無罪判決ではなく、私たち部落兄弟の、
明日の夜明の導火線として、
完全無罪判決を切にお願い申し上げて、
私の意見陳述を終わります。






両手錠、腰縄つきの取調で作成した自白調書は任意性に疑いがあり、証拠から排除を!

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 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
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September 24, 2013

1974(昭和49)年9月24日狭山事件 第二審 最終弁論、差別捜査に弾みをつけた検察側「スコップ鑑定」に自著で反論した元大阪科捜研多田敏行氏

 
1974(昭和49)年9月24日 
[[狭山事件]]、[[第二審]]第八〇回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]が開かれる。
 [[弁護人]]は、[[青木英五郎]]([[自白]]維持と[[部落問題]])、福地明人(財布・手帳・指紋など)、藤田一良(スコップ[[鑑定]]批判)。


*多田敏行
『真実は細部に 狭山事件、「自白」調書の分析』 (解放出版社/1986年)より
このスコップは、はたしてI養豚場のものであったか、または死体を埋めるために使用されたものであったかという点については、付着土壌などの科学的な鑑定によって疑問の投げかけられていることは今更述べるまでもない。
ここではスコップを盗んだ状態についての石川さんの「自白」をたどってみよう。

「自白」によれば、盗んだスコップは、I養豚場の飼料小屋の餌箱のところにあったものだという。養豚場の飼い犬に吠えられないように遠回りをして、一メートル余りの高さの板囲いを乗り越えて豚小屋に入ったことになっている。ところが、わざわざ小屋の中にまで入らなくても、当時、スコップは道端にも置かれていたということを「自白」でも認めているから不思議である。・・・

なぜ、手近のスコップを盗まずに、わざわざ暗い豚小屋の中まで入ったのかちう、行動の不可解さについての説明は、この場合なされていない。おそらく、あらかじめ被害届を出させていた養豚場の経営者の供述の内容に合わせる為に、取調官が「自白」を強引に誘導した結果だろう。・・・

以上に述べてきたことから、いわゆる「現地調査」の意義は明らかであろう。当時の状況をそのままに留めている場所は次第に少なくなってきたとはいえ、狭山の現地に立てば、・・・かねてから知らされていた疑問点が、百聞に勝る強さで自分の心によみがえってくるのである。・・・

私たちの各自が、石川無実を確信し、差別と暴力にたいする憤りを行動にあらわすようになるためには、このような体験の一つが必要であるように思う。たとえ、その結果が他人の指摘と同じであっても、自分自身で発見した事実の価値は、この上なく重いのである。



*『自白崩壊―狭山裁判20年』狭山事件再審弁護団(著)(解放出版社/1984年)より
(野間宏氏)
狭山を「世界」に連載するようになったのは、寺尾裁判長の、二審の確定判決、それ以後なんですけどね、・・・スコップのところもね、あれが盗れるのはあそこに雇われていた人だけだとうけど、そうとはかぎらないでしょ。犬がいるけれども、どこからでも入れるわけです。そういう疑問がいっぱい出てきて、これは大変だと思いましたね。これはやらないといけないと決意しましたね。それから始まったんです。・・・

(土方鉄氏)
私は中山武敏さんたちの、あの当時出していた資料を全部読んで、一番感じたのは、スコップはなんとも変なスコップだなと思ったことですね。しかもスコップが出てきて、捜査方針が部落に公然と移っていくでしょ、養豚場を通じて。部落に生まれた人間として、部落の人間が冤罪事件の犯人として死刑判決を受けているのだからね、これはほっとけないと思ったのが、かかわりのはじめですけど、そう思うのが遅すぎたですよ、私自身も運動も。・・・
日高さんは狭山事件を、いつごろ知りましたか。

(日高六郎氏)
・・・大内兵衛先生、末川博先生が、一九七二年に文化関係の人間にアピールされたんですね。・・・その時はすでに、部落解放運動の中では、日本共産党の側と部落解放同盟との対立が非常に深刻になっている時点なんですよ。ところが末川さんは、何のためらいもなく、「いや、これはもう、やらなくてはいけないことだ」と言って、引き受けられたんですね。だから末川さんというのは、ほんとうに度量の大きい方だと感服したんすけどね。さらに、・・・野間宏さんが・・・自分は戦前からの関心もあったし、引き受けたが、体が少し弱いから少し手伝ってほしいということでね。・・・
こういうことがまかり通っているということは、日本の司法、裁判に対する国民の不信感を増大させることになる、真実を追求しないといけないと思うから来ているのだ、この問題を解決するという事は、日本の司法の威信を高めることになるのだといつも言っておられた。



*『自白崩壊―狭山裁判20年』狭山事件再審弁護団(著)(解放出版社/1984年)より
狭山事件再審理由と新証拠
*******************************************************
一、筆跡が異筆である。
二、請求人は当時本件脅迫状を作成するだけの読み書き能力をもっていなかった。
三、脅迫状作成のための用具、補助手段に関する請求人の自白は虚偽架空である。
四、脅迫状に記載されていた訂正前の犯行予定日は四月二九日であり、自白の四月二八日とはくいちがっている。
五、脅迫状差入れの途中出合ったとされる車(吉沢栄運転および大沢徳太郎駐車)に関する請求人の自白は、検察官の誘導によるものである。
六、請求人は脅迫状差入れの途中 内田幸吉方を訪れ被害者方を聞いていない。
七、現場足跡は押収地下足袋によって印象されたものではない。
八、佐野屋脇犯行現場、往復経路に関する請求人の自白は虚偽架空である。
九、強姦・殺害犯行現場に関する請求人の自白は虚偽架空である。
一〇、請求人は本件手拭を入手できる立場にはなかった。
一一、絞殺ではなく扼殺である。
一二、本件姦淫は強姦ではない。
 一三、自白の方法によって強姦は不可能である。
一四、死体の処置に関する自白と客観的事実との間にくいちがいがある。
一五、本件スコップは死体埋没に使用されたものではない
一六、本件万年筆は被害者善枝の所持する万年筆ではない。
一七、本件腕時計は被害者所持品ではなく、請求人の自白によって発見されたものではない。
一八、本件鞄は請求人自白の埋没地点とは全く異なる場所から発見されており、自白は虚偽架空である。
一九、自白図面に取調官があらかじめ下書きした筆圧痕が存在する。
狭山事件再審弁護団
主任弁護人 山上益郎
事務局長  中山武敏





東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
東京高検公判部長・園部典生検事に対し
証拠隠しを許さず 開示するよう勧告を行ってください。
証拠リストを開示するよう勧告してください。
全証拠を保全し 弁護団へ開示するよう勧告してください
証拠開示の法制化を!

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「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督



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September 10, 2013

1974(昭和49)年9月10日狭山事件第二審第78回公判最終弁論(全81回)と「人を裁くことは裁判官自らも裁かれること」

 [[狭山事件]]、[[第二審]]第七八回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]が開かれる。
 [[弁護人]]は、[[和島岩吉]](本件の特異な構想について)、三上孝孔(別件逮捕及び再逮捕の違法性)、木村靖(逆吊と強姦に関する自白の問題点)、宮沢洋夫(教科書・鞄・万年筆の発見経過とその問題点)、宇津泰親(証拠「時計」について)。

*[[青木英五郎]]氏は、1974(昭和49)年9月24日 [[狭山事件]]、[[第二審]]第八〇回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]の[[弁護人]]として、[[自白]]維持と[[部落問題]]について答弁されましたが、その答弁の中で寺尾正二裁判長から以下のような回答を引き出しています。
(野間宏著 『完本狭山裁判上巻』 藤原書店、1997年、 175頁以下より)
私個人と しては部落差別に関しては、 少年時代に島崎藤村の小説 『破戒』 を
読んで、こんなこともあるのかと感じた程度の知識しか持ち合わせていなかっ
たが、先般、ひょんなことから同和事業特別措置法の衆参両院内閣委員会議事
録を見る必要に迫られ、 そこに出てくる松本英ーー議員の言葉から、後藤秀穂著
『皇陵史稿』に目を通す機会にめぐまれた。 狭山事件を担当することになって
から、必要に迫られて次の本を参照した。
藤谷俊雄 「部落問題の歴史的研究」
同 「現代と部落問題・増補改訂版」
松本治一郎 「部落解放30年」
北原泰作 「屈辱と解放の歴史」
同 ・井上靖 「部落の歴史」

以上は部落問題]般についてであるが、 とく に本件に関連するものと して
野本武一 「部落差別と狭山裁判」 (『世界』 1972年2月号)
中田直人 「狭山裁判一 『自白』 はこう して作られた」
狭山差別裁判糾弾要項シリ一ズ、 4号、 7号
亀井トム 「狭山事件」
土方鉄 「差別裁判」、「狭山差別裁判第三版」
狭山差別裁判第五集

さらに青木弁護人から送ってもらった文献と しては、
平井清隆 「狭山事件と部落問題」 (『部落』 昭和49年1 月号)
木村京太郎 「狭山事件の背景」 (同)

*青木英五郎弁護士は著書『誤判にいたる病』において、“証拠による”事実認定から“想像による”事実認定へと転落していく誤判生成のメカニズムを描かれ、
人を裁くことは裁判官自らも裁かれること」(三宅正太郎著『裁判の書』)の引用をされていました
*シリーズ部落差別7 より 青木英五郎弁護士と寺尾正二裁判長

故青木英五郎弁護士はえん罪事件が避けられない日本の裁判制度と職業的裁判官を「裁判官のアイヒマン(ナチス、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ首謀者)性」と言った。「他の人の立場に立って物事を見たり、考えたりする能力の欠如、意思の疎通の不可能性、想像力の完全な欠如」が職業的裁判官の特徴だというのである。決して被告の立場には立たず、想像もせず、「強要された自白」などない、不自然な「自白」の変遷も犯罪者の自己防衛によるものと信じ、「自白は証拠の王」という立場を変えようとしない。寺尾裁判長などはその典型である。石川一雄という部落青年=部落差別によって苦しめられてきた人間の姿を全く見ることもせず理解することなく、「無期懲役になってよかったですね」と石川さんに語って、それが無実の石川さんにとってどんなことなのか考えもしないのだ。石川さんに「聞きたくない!」と一喝されて驚いたというところにその正体は露呈されている。

*青木英五郎 - Wikipedia より抜粋

八海事件について、最高裁が1962年広島高裁の無罪判決を破棄したことに「義憤を感じ」[1]、裁判官を退官して、弁護士として同事件の弁護団に加わった(なお、同事件は差戻控訴審で有罪判決が出されたが、第三次上告審で無罪となった。)。また、仁保事件、狭山事件などにも関わり、主に誤判・冤罪問題についての著書を多数著した。晩年は、弁護士活動の経験、直接には狭山事件に対する控訴審判決、上告棄却決定における職業裁判官への失望から、陪審制推進論者となった。


*故青木英五郎 弁護士 でのツイートより
2012年2月24日
[memo] 今の 大阪地裁 刑事部は 全員 クズだと 書いたけど、かつて 刑事部には 狭山裁判で 主任弁護人を つとめた 青木英五郎が 在籍していた。 不肖の 後輩どもが !

*再審事由として主張された事実関係及び新証拠のみでは再審開始事由がないとしたものの裁判所が請求人が犯人でない可能性があると判断して自ら事実調べを行いその結果得られた証拠を新証拠として再審開始決定をした事案(東広島簡決昭和58年5月18日判http://d.hatena.ne.jp/mu4neta/20121204/1354721764


東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、狭山事件の再審請求人である石川一雄さんが犯人でない可能性があると判断して、自ら事実調べを行い、その結果得られた証拠を新証拠として、すみやかに再審開始決定を行ってください。







狭山事件・第二審・控訴審・公判
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第八十回公判
第八一回公判
1964(昭和39)年9月10日
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1970(昭和45)年4月21日
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1970(昭和45)年12月3日
1970(昭和45)年12月5日
1970(昭和45)年12月8日
1971(昭和46)年2月12日
1971(昭和46)年3月1日
1971(昭和46)年3月4日
1971(昭和46)年3月9日
1971(昭和46)年3月11日
1971(昭和46)年5月11日
1971(昭和46)年5月15日
1971(昭和46)年5月20日
1971(昭和46)年7月15日
1971(昭和46)年7月22日
1971(昭和46)年8月7日
1971(昭和46)年8月16日
1971(昭和46)年11月9日
1971(昭和46)年11月11日
1972(昭和47)年2月8日
1972(昭和47)年2月10日
1972(昭和47)年2月15日
1972(昭和47)年4月15日
1972(昭和47)年4月18日
1972(昭和47)年6月15日
1972(昭和47)年6月17日
1972(昭和47)年7月22日
1972(昭和47)年7月27日
1972(昭和47)年8月26日
1972(昭和47)年8月29日
1972(昭和47)年9月16日
1972(昭和47)年9月19日
1972(昭和47)年11月27日
1972(昭和47)年12月6日
1972(昭和47)年12月8日
1974(昭和49)年2月7日
1974(昭和49)年2月14日
1974(昭和49)年3月22日
1974(昭和49)年5月23日
1974(昭和49)年9月3日
1974(昭和49)年9月5日
1974(昭和49)年9月10日
1974(昭和49)年9月20日
1974(昭和49)年9月24日
1974(昭和49)年9月26日
第二審東京高等裁判所
無期懲役判決を言い渡す
1974(昭和49)年10月31日









狭山事件・第二審・控訴審・公判
公判証人
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第七十回公判
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第七二回公判
第七三回公判
第七四回公判
第七五回公判
第七六回公判
第七七回公判
第七八回公判
第七九回公判
第八十回公判
第八一回公判
(久永正勝裁判長)
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中勲(特捜本部長)
清水利一(警部)、大野喜平次(警部補)
大谷木(警部)、梅沢(県警捜査三課)
岸田(県警技師)、鈴木(巡査部長)
清水(警部)、斉藤(刑事)
梅沢(警部補)、石原(警部補)
岸田政司
将田(特捜本部付警視)、飯野源治(狭山署捜査課巡査)
長谷部梅吉(警視)
青木(県警警部)、関源三(巡査部長)
関源三(巡査部長)、五十嵐(県警本部警察医)
五十嵐(県警本部警察医)、関源三(巡査)
石田一義、小島朝政
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最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
第二審東京高等裁判所
無期懲役判決を言い渡す
(寺尾正二裁判長)
 



*第15回東京高裁前連続アピール行動開始されました
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
 東京、兵庫、大阪での上映会のお知らせ / 予告編
「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督


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September 05, 2013

1974(昭和49)年9月5日 狭山事件 第二審(最終弁論)と公判で寺尾正二東京高裁裁判長を裁いた青木英五郎弁護人

1974(昭和49)年9月5日
 [[狭山事件]]、[[第二審]]第七七回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)で、二回目の[[弁護団]][[最終弁論]]が開始される。


* [[1974年]][[狭山事件]]、[[第二審]]最終[[弁論]]は
9月3日,5日,10日,20日,24日,26日(第七六〜第八一回[[公判]])の計6回

*[[弁護人]]は、佐々木静子(狭山事件弁論要旨)、[[中山武敏]](部落に対する集中見込捜査について)、松本健男(本件殺害事件の特徴と被告人の無実性)、城口順二(佐野屋往復路自白の架空性)。


* 『狭山事件と部落差別』(専修大学法学研究所紀要/2008)より
著者 庭山英雄氏(弁護士、狭山事件の再審を求める市民 の会代表)

野間さんによれば、 二審の法廷において寺尾正二裁判長は、
青木英五郎弁護人の質問に答えておおむね次のように答えている。
(野間宏著 『完本狭山裁判上巻』 藤原書店、1997年、 175頁以下)
私個人と しては部落差別に関しては、 少年時代に島崎藤村の小説 『破戒』 を
読んで、こんなこともあるのかと感じた程度の知識しか持ち合わせていなかっ
たが、先般、ひょんなことから同和事業特別措置法の衆参両院内閣委員会議事
録を見る必要に迫られ、 そこに出てくる松本英ーー議員の言葉から、後藤秀穂著
『皇陵史稿』に目を通す機会にめぐまれた。 狭山事件を担当することになって
から、必要に迫られて次の本を参照した。
藤谷俊雄 「部落問題の歴史的研究」
同 「現代と部落問題・増補改訂版」
松本治一郎 「部落解放30年」
北原泰作 「屈辱と解放の歴史」
同 ・井上靖 「部落の歴史」

以上は部落問題]般についてであるが、 とく に本件に関連するものと して
野本武一 「部落差別と狭山裁判」 (『世界』 1972年2月号)
中田直人 「狭山裁判一 『自白』 はこう して作られた」
狭山差別裁判糾弾要項シリ一ズ、 4号、 7号
亀井トム 「狭山事件」
土方鉄 「差別裁判」、「狭山差別裁判第三版」
狭山差別裁判第五集

さらに青木弁護人から送ってもらった文献と しては、
平井清隆 「狭山事件と部落問題」 (『部落』 昭和49年1 月号)
木村京太郎 「狭山事件の背景」 (同)


以上が寺尾裁判長が読んだと法廷で述べた文献 (階席裁判官も読んだと推測
される) であるが、 その勉強成果は二審判決になんら反映されなかった。 1974
年10月31日に判決が下されたが、 結果は無惨にも無期懲役であった。 寺尾裁判
長はなぜ部落問題に理解があるような発言をしたのであろうか。 裁判官と して
の先輩の青木弁護士に一応敬意を表したのであろうか。
もしも部落問題に理解があるなら、 私がさきに示した、 予断偏見にもとづく
差別的捜査を理解したはずである。 そこから必然的に発生する別件逮捕や接見
制限、 自白追及にも理解が進んだはずである。そうだとすれば、 無罪と考える
ほかなかったと思われる。 10年に及ぶ二審の大裁判は一対何だったのであろう
か。 私は今でも不思議でならない。  
私はかな り長い間、「無実は無罪に」という立場から狭山事件の再審を支援
してきているが、 正直に言って、 部落差別にはあま り関心がなかった。 部落差
別の意思がまったくない以上、 関心の持ちようがなかったといった方が正確か
も しれない。 しかし前掲の野間宏著を読んで改心した。・・・


*故青木英五郎 弁護士 でのツイートより
2012年2月24日
[memo] 今の 大阪地裁 刑事部は 全員 クズだと 書いたけど、かつて 刑事部には 狭山裁判で 主任弁護人を つとめた 青木英五郎が 在籍していた。 不肖の 後輩どもが !


*シリーズ部落差別7 より 青木英五郎弁護士と寺尾正二裁判長

故青木英五郎弁護士はえん罪事件が避けられない日本の裁判制度と職業的裁判官を「裁判官のアイヒマン(ナチス、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ首謀者)性」と言った。「他の人の立場に立って物事を見たり、考えたりする能力の欠如、意思の疎通の不可能性、想像力の完全な欠如」が職業的裁判官の特徴だというのである。決して被告の立場には立たず、想像もせず、「強要された自白」などない、不自然な「自白」の変遷も犯罪者の自己防衛によるものと信じ、「自白は証拠の王」という立場を変えようとしない。寺尾裁判長などはその典型である。石川一雄という部落青年=部落差別によって苦しめられてきた人間の姿を全く見ることもせず理解することなく、「無期懲役になってよかったですね」と石川さんに語って、それが無実の石川さんにとってどんなことなのか考えもしないのだ。石川さんに「聞きたくない!」と一喝されて驚いたというところにその正体は露呈されている。

*青木英五郎弁護人と狭山事件控訴審

1974(昭和49)年9月24日 [[狭山事件]]、[[第二審]]第八〇回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]の[[弁護人]]として、
[[青木英五郎]]氏は[[自白]]維持と[[部落問題]]について答弁される

*青木英五郎 - Wikipedia より抜粋

八海事件について、最高裁が1962年広島高裁の無罪判決を破棄したことに「義憤を感じ」[1]、裁判官を退官して、弁護士として同事件の弁護団に加わった(なお、同事件は差戻控訴審で有罪判決が出されたが、第三次上告審で無罪となった。)。また、仁保事件、狭山事件などにも関わり、主に誤判・冤罪問題についての著書を多数著した。晩年は、弁護士活動の経験、直接には狭山事件に対する控訴審判決、上告棄却決定における職業裁判官への失望から、陪審制推進論者となった。


*青木英五郎弁護士の『誤判にいたる病』には、“証拠による”事実認定から“想像による”事実認定へと転落していく誤判生成のメカニズムが描かれているという
人を裁くことは裁判官自らも裁かれること」(三宅正太郎著『裁判の書』)の引用がある








東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
東京高検公判部長・園部典生検事に対し
証拠隠しを許さず 開示するよう勧告を行ってください。
証拠リストを開示するよう勧告してください。
全証拠を保全し 弁護団へ開示するよう勧告してください




*東京高裁前連続アピール行動
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
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「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
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  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督


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September 03, 2013

1974(昭和49)年9月3日狭山事件二審公判最終弁論開始(全81回)と、「無期懲役判決」から今年は39年目

1974(昭和49)年9月3日

 [[狭山事件]]、[[第二審]]第七六回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)で、[[弁護団]][[最終弁論]]が開始される。

 [[弁護人]]は、[[中田直人]](弁論を始めるにあたって)、[[佐々木哲蔵]](刑事裁判としての狭山事件)、阿形旨通(捜査に関する総括的批判)、山上益郎(死体をめぐる二、三の問題)、橋本紀徳(隠された地下足袋と偽りの足跡)。

* 1974年10月31日 寺尾差別判決(二審判決)が出された当時の時代背景と運動の盛り上がり

婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1976年10月8日号より)
 差別語うんだ生活実態
 森田 益子さんの話
最近、差別事件の糾弾会が暴力であるかのような日本共産党の差別キャンペーンの前に、本気で糾弾をやることが少なくなったのではないだろうかと心配する。最近のいくつかの差別事件の中で、ある観光旅館に働くおばちゃんがスイカを食べてお腹をこわした人の話を聞いて「私は何を食べても当たらんからうれしい。コジキ腹だから当たらん」と言ったのに対し、「それはコジキ腹ではなく、エタ腹と言うのだ」といった事件があった。私はその糾弾会の席上で行政の人にこう言った。「エタ腹」という差別用語と行政の責任とのかかわりあいをどう感じているかと。
多くの人たちは腹の上に「エタ」がついたから差別だと考えるだろう。そうではない。「エタ腹」といわれるほどの生活実態、社会背景、私たちはやわらかい生菓子を食べたことはなかった。古くなって一つ五銭のが三つ五銭ぐらいになったのを買って食べた、魚でも新しい生きのいい魚はよう買えなかった。そんなものを食べざるをえなかった生きざまがある。地区外の人はおそらく「まあ部落の人はあんな出戻りの菓子や腐りかけた魚を食べても、よう当たらんものよ、あれがエタ腹よ」とその生活実態から「エタ腹」という言葉が出てきたのだ。職安行政に働いている人は、こういう差別用語を生み出すのは自分の行政への取り組み方に責任があるということを反省すべきで、「エタ腹」の用語を糾弾しているのではない、本質に迫るたたかいをやっているのだと説明して初めて、理解された。
皇太子ご夫婦が高知へ来たとき、みな口々に美智子さんが綺麗だといった。専門の美容師をつけ最高の美顔術をし最高の衣類を着けたら誰でも綺麗になる。明日買う米がない。学校へ持たしてやる学用品代がないという時 母親は誰も紅も付けないお化粧もしない。今の日本の社会の中で見るなら化粧している人の方が美しかろう。しかし中国のように美に対する感覚が違うところでは違う。化かす化粧というものが、必ず軽蔑される時代が来る。部落解放の思想はそこまで徹しなければいけないのだ。


五月二十二日の同盟休校は、全国千五百校、十万人を上回る子供達が参加した。二十二日の十日前、孫の一人が「おばあちゃん、ボクが休んで本当に石川君が無罪になるという責任をもてるのか。ほかの人が休まんのになぜボクだけ休まにゃいかんのか、友だちがなくなるから嫌」と泣き出した。全県下を飛び回り、人様の大事な子を休ませないかんと言って来て、自分の孫から抗議を受けた。そこで毛利元就の教訓ではないが、割り箸とトイレットペーパーで、一つ一つの力はいかに弱くとも団結すれば強くなる話をし、なぜ部落の人たちは字が読めないのか、きちんとした職場につけないのか、部落差別の本質の話をし、「土曜日の半日の勉強よりもっと大切な、弱いもの同士が力を出し合って助け合うという教訓を身に付けてほしい。最終的判断はお前にある」と言って、一緒にその日の集会に出た。
二十二日は98%の参加をみることができた。わかるように話してやれば三歳は三歳、六歳は六歳の判断力はある。大人たちが長い間乗り越えられなかったカベを、子供達は自らの力で乗り越えた。このことは私たちに勇気と自信を残した。



婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1977年 9月 2日号より)
部落婦人解放の要求は 母のしかばねをこえて
 森田 益子さん
「あんたたちは今誰と交渉しているのかわかっているのか。そういう回答の仕方が差別だ。部落の婦人は差別ゆえ、私の母も祖母も、産後幼児を残して死んだ。日本中の産婦人科を国立病院並に開放しなさい。出産手当二十万円を現金支給しなさい。この請求は部落の女たちがその母の屍を乗り越えての要求ですぞ」
部落解放同盟が厚生大臣宛に出した「厚生省要求白書」に十ヶ月以上たっても応答がないのに対し、八月十、十一日、森田さんは局長、課長を呼びつけ、三日でできる回答を十ヶ月も検討中と騙し続けたのは差別意識と詰め寄った。
8.23最高裁の狭山事件上告棄却に抗議する東京・代々木公園の「中央十万人集会」では、森田さんは若者たちに囲まれて
「嫁も 小学五年.六年の孫も今日この集会に来ています。孫は危ないから外からこの雰囲気だけを感じさせたいと思って連れてきています。明日は狭山の現地調査に参加させます。石川さんの無実を目で見て、体でわからせて、同盟休校が大人の押し付けにならないようにしたいと思いますので。子ども自身が無実を確信するところから強い闘いが生まれるのだと思います」



*同じく当時の運動の盛り上がりの状況
兵庫集会アピール詳報(2013年第14回三者会議報告)
 石川一雄さん「気を緩めることなく第3次で終りに」より
(2013年)10月には、裁判官が事実調べをやるかどうかの結論を出すんじゃなかろうかと思っています。もちろん、気を緩めることはできません。
(二審)寺尾判決の時は誰でも「無罪だろう」と。看守の人たちも「石川さんはもう戻ってこなくていいから、腕時計もはめて行きなさい、無罪になったら日比谷公園へ行っていいよ」と。私もてっきり無罪になると思って、腕時計をはめ、革靴ももって東京拘置所を出たんですけど、有罪判決で拘置所に戻ることになってしまいました

今度こそ、気を緩めることなく、この3次で終わりにしなければなりません。しかし、私たち夫婦がいかに活動しても、みなさんが力を貸してくれなければ、司法を動かすことはできません。公正な裁判を求める署名は、ハガキなんかも含めトータルすると200万以上になってると伺いました。それほど多くの人たちが全国各地で署名をしてくれている。
そのおかげで司法も動きだし、肝心要の証拠を出さずに有罪判決を出してきた今までの裁判官の判断はおかしいんじゃないかということから、門野裁判官が8項目あれば狭山事件の白黒をつけられるという判断のもとで勧告をしたわけです。ところが、検察官はなかなか証拠開示しない。することによって私の無実がわかってしまうからです。


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               1970(昭和45)年
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 4月21日
* [[1970年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第三六回[[公判]]が開かれる
 [[裁判長]]は[[井波七郎]]([[久永]][[裁判長]][[退官]])。
 12月3日
* [[1970年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第三九回[[公判]]が開かれる
 12月5日
* [[1970年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四〇回[[公判]]が開かれる
 12月8日
* [[1970年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四一回[[公判]]が開かれる


                    『石川一雄獄中歌集』より




 暗雲に苦悶の我が身に光り満つ正義の支援者其処此処にあり(二・九)

 寄せられし署名にあふるる真心を思いて獄のわれを支えり(五・二八)

 冤罪のわれ哀しみて綴りたる友の会等(ともら)の交に涙落ち来も(五・二八)

 独房に生けられし菊枯らすまじ朝な夕なに水替えをして(十一・二〇)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
               1971(昭和46)年
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2月12日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四二回[[公判]]が開かれる。
3月2日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四三回[[公判]]が開かれる。
3月4日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四四回[[公判]]が開かれる。
3月9日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四五回[[公判]]が開かれる。
3月11日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四六回[[公判]]が開かれる。
5月11日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四七回[[公判]]が開かれる。
5月15日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四八回[[公判]]が開かれる。
5月20日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第四九回[[公判]]が開かれる。
7月15日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五〇回[[公判]]が開かれる。
7月22日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五一回[[公判]]が開かれる。
 [[証人]]は[[長谷部梅吉]](警視)。
9月7日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五二回[[公判]]が開かれる。
 [[証人]]は[[青木一夫]](警部)、[[関源三]](巡査部長)。
9月16日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五三回[[公判]]が開かれる。
 [[証人]]は[[関源三]](巡査部長)、[[五十嵐勝爾]](警察医)。
11月9日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五四回[[公判]]が開かれる。
 [[証人]]は[[五十嵐勝爾]](警察医)、[[関源三]](巡査部長)。
11月11日
* [[1971年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五五回[[公判]]が開かれる。

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               1972(昭和47)年
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2月8日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五六回[[公判]]が開かれる。
2月10日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五七回[[公判]]が開かれる。
2月15日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五八回[[公判]]が開かれる。
4月15日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第五九回[[公判]]が開かれる。
4月18日
 * [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六〇回[[公判]]が開かれる。
  [[宮内]]、[[上野]][[鑑定書]]([[筆圧痕]])採用される。
6月15日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六一回[[公判]]が開かれる。
6月17日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六二回[[公判]]が開かれる。
7月22日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六三回[[公判]]が開かれる。
7月27日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六四回[[公判]]が開かれる。
8月26日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六五回[[公判]]が開かれる。
8月29日 
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六六回[[公判]]が開かれる。
 [[弁護]]側提出の[[上田鑑定書]](死体)、[[綾村鑑定書]](筆跡)、[[大野鑑定書]](筆記能力)、[[磨野鑑定書]](同)、[[上田・和歌森鑑定書]](墓制について)、[[八幡鑑定書]](玉石・残土)が採用される。
9月16日
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六七回[[公判]]が開かれる。
9月19日 
* [[1972年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六八回[[公判]]が開かれる。
[[秋谷鑑定書]](脅迫状訂正部分インキ)、[[三木・大沢鑑定書]](脅迫状封筒の糊、唾液)が採用される。

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               1973(昭和48)年
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11月27日
* [[1973年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第六九回[[公判]]が開かれる。
[[寺尾正二]][[裁判長]]になり、[[公判]]手続きの更新がなされる(〜七二回)。
11月の[[退官]]までに[[判決]]を下したいと述べていた[[井波]][[裁判長]]の[[審理]]方針は崩れる。
12月6日
* [[1973年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七〇回[[公判]]が開かれる。
12月8日
* [[1973年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七一回[[公判]]が開かれる。


                   『石川一雄獄中歌集』より




 青竹になびく我らの荊冠旗歴史を噛締め熱あれ闘魂(三・ )

 同胞(はらから)よ熱血沸き立て解放へ祖先先輩われら学ばん(三・ )
 
 同胞(きょうだい)の怒りと悲願の荊冠旗今日も頭上に輝きなびく(十一・三)

 わが躯幹(からだ)暗夜の獄に埋もれども心は常に荊冠旗の下

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               1974(昭和49)年
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2月7日
* [[1974年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七二回[[公判]]が開かれる。
2月14日
* [[1974年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七三回[[公判]]が開かれる。
3月22日
* [[1974年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七四回[[公判]]が開かれる。
5月23日
* [[1974年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七五回[[公判]]が開かれる。
9月3,5,10,20,24,26日 
* [[1974年]] - [[狭山事件]]で、[[第二審]]第七六〜第八一回[[公判]]にかけて、最終[[弁論]]が行われる。


                    『石川一雄獄中歌集』より




 除夜の鐘一つ二つと胸に沁む族(うから)を思いて獄になみだあり(一・一)

 獄(ひとや)にも新春告げる折詰め手に咬みくだきつつ真の春待つわれ(一・一)

 権力を打倒に燃えてわが獄に夢は告げくる勝利の明日を(一・一)




*兵庫集会アピール詳報(2013年第14回三者会議報告) 石川一雄さん「気を緩めることなく第3次で終りに」より 続き
私は単なる冤罪ではありません。私が同和地区で生まれなかったとしたら、犯人にされなかったかもしれません。私が無知、社会的無学、そういったことから犯人にされてしまいました。今は、刑務所の中で一生懸命勉強した結果、読み書きができるようになりました。今日も歌をつくってきました。

 再審も終盤迎え吾命 正義の連呼に生命線 

こういう歌をつくるようになったのも、看守さんが「石川さんもいずれはこの世から消えてしまう。何らかの形で証しを残していったらいいんじゃないか。短歌は非常に易しい。俳句は五七五じゃないとだめだ。短歌なら字余りでも足らずでもいい。ただし、出だしと最後はきちっとしなくちゃならない。中間はどうでもいい」と教わり、それで歌を作るようになりました。

振り返ると、解放同盟が40年前に支援団体に入ってきました。当時はまだ日本共産党だけの支援でありました。1975年だったと思いますけど、「全国行進をするけど、メッセージは少し長いので、できたら歌を詠んでくれないか?」ということがあり、その時にこういう歌をつくりました。

 我躯幹暗夜の獄に埋もれども 心は常に荊冠旗の下 

刑務所にいるときに何千首も作りましたけど、やっぱりこの歌が一番よかったんじゃないかと。なぜなら、まだ死刑囚でありましたけど、自分は暗闇のなかに身体はがんじがらめになってる。しかし、解放同盟が糾弾し、林立する旗の下に心は飛んでいるよという歌でした。

今も作っていますが、刑務所にいた時よりも下手になってしまったし、文章も雑なものになってしまいました。刑務所にいると集中して書き物ができたんです。出てくると、目があっちこっちいってしまい、心も飛んでしまい、いい文章が作れなくなってしまって申し訳なく思います。
・・・元気な間に無罪を勝ち取って、皆さん方に恩返しをしたい。



*2013年5月23日 石川一雄さんアピールより
 みなさんの支えによって50年間も元気で闘ってこられた。・・・楽観は許されない。寺尾判決のようなこともある。今年こそ第3次で決着をつかるためにさらなるみなさんのご支援をお願いしたい


*2012.10.31 石川一雄さん メッセージより
寺尾判決の日は誰しも「無罪」を確信していた筈なのに、ど
んでん返し的な「有罪」判決に私や弁護団の憤りは今も言葉
に表すことができません。また支援者たちが激しく抗議行動
を展開された旨拘置所で伺いましたが、これは「寺尾なら大
丈夫」の楽観が招いたものであると自分を戒め、以後38年間、
不撓不屈の精神で闘って参りました・・・
いよいよ再審闘争も最終段階に突入したものと
捉え、支援者皆さん方に警鐘を乱打せずにはおられません、
何よりも寺尾判決の二の舞を踏んではならないと私は自分自
身に言い聞かせ、現在の担当裁判官が「再審開始決定」を出
すまでは、「寺尾判決」を肝に銘じて、えん罪が晴れるまで
とことん闘い抜く決意でおります。・・・

 

*狭山50年目のたたかいの運動方針について
兵庫集会アピール詳報(2013年第14回三者会議報告) 石川早智子さん「狭山を動かすために」より
検察はどうしても証拠を隠したいと思っていますから、それを打ち破っていく、出さしていくことが大事ですが、それはやはり裁判所です。裁判所が検察に対して「出しなさい」と勧告をする。それでも出さないのであれば、事実調べをしていくことです。たとえばOさんという方がおられますが、「いつでも証言します」と言ってる。その人を証人に呼んでもらいたい。それが私たちの願いです。ですから、証人調べをする、事実調べをする、証拠を開示する、そういうことをさせるためにこれからもハガキ行動や署名行動をお願いしたい。
10月にはたぶん方向は明らかになると思います。石川は100歳を超えて生きると言いますが、時間は限られています。Oさんも85歳です。そういう意味で、10月に前進を勝ち取りたいと思います。50年闘い続けている狭山ですが、今度こそ再審が開始されるように、隠されている証拠、証拠リストが出されるように、みなさん方のお力添えをいただきたいと思います






東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
東京高検公判部長・園部典生検事に対し
証拠隠しを許さず 開示するよう勧告を行ってください
証拠リストを開示するよう勧告してください。
全証拠を保全し 弁護団へ開示するよう勧告してください




*東京高裁前連続アピール行動
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成
 東京、兵庫、大阪での上映会のお知らせ
 予告編




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November 28, 2011

1974(昭和49)年11月28日

 [[佐世保の実子傷害致死事件]]で、[[福岡高裁]]が[[有罪]][[判決]]を言い渡す。


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July 04, 2008

1974(昭和49)年7月4日


 [[小樽市]]の[[掃除婦殺し]]事件で、[[札幌高裁]]が、[[無罪]]の訴えを却下する。

 [[疑]]の[[札幌地裁]]([[昭和48年11月29日]])で[[有罪判決]]が下っていた。

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January 01, 2008

1974(昭和49)年1月1日


『石川一雄獄中歌集』(一九七四・一・一)より






除夜の鐘一つ一つと胸に沁む族を思いて獄になみだあり
獄にも新春告げる折詰め手に咬みくだきつつ真の春待つわれ
権力を打倒に燃えてわが獄に夢は告げくる勝利の明日を





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October 31, 1974

1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「インクであるのになぜボールペンで訂正したとの自白が信用されたか」に関する寺尾正二裁判長の論理について





 殊に最も重要と思われる脅迫状・封筒についてさえ、被告人に原物を示したことがあるのかどうか疑わしく、むしろその写真を常用していたことがうかがわれるのであり、そのため、当審に至って













鑑定の結果明らかになった脅迫状等の訂正箇所の筆記用具はペン又は万年筆であって、被告人の自供するボールペンではなかったことにつき捜査官が気付いた形跡がないこと、そのため被告人のボールペンを使って訂正したという供述をうのみにした。
 
  
   











 文字を書く生活から程遠い被告人が、なぜ五月一日にボールペンを持って家を出たか。











 被告人を事件の関係現場に連れて行って直接指示させる捜査の常道に代え、取調室において写真を被告に示して供述を求める
(という捜査当局のやり方を批判し、結果においては「有罪」判決を下す)。












 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「インクであるのになぜボールペンで訂正したとの自白を信用したか」に関する寺尾正二裁判長の論理について

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  狭山事件/第二審(東京高裁/無期懲役判決/「インクであるのになぜボールペンで訂正したとの自白を信用したか」に関する寺尾裁判長の論理について/1974(昭和49)年10月31日



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1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「腕時計」に関する寺尾正二裁判長の論理について





 (六月二九日、三〇日の二日間にわたって道路の両側二〇メートル位を念入りに捜査したにもかかわらず発見されなかった「腕時計」が、七月二日七八歳の目の不自由な老人によって「自白」のいう地点よりわずか約七.八メートル離れた茶株の根元から発見されたことについて)













 (捜査の不徹底さの)避難は免れない。
 茶株の周辺には茶の枯葉などが沢山あってよほど注意深く捜さないと見落としてしまうような場所である。
 
  
   









 捜査当局の作為が介在したことを推測される状況は見出すことは出来ない。









 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「腕時計」に関する寺尾正二裁判長の論理について

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  狭山事件/第二審(東京高裁/無期懲役判決/「腕時計」に関する寺尾裁判長の論理について/1974(昭和49)年10月31日



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1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「玉石、棒切れ、ビニール片」に関する寺尾正二裁判長の論理について





 (石川君の「自白」に触れられていない玉石であるが、自然の成長過程の中で混入することはありえないという八幡鑑定に対し)土中にあったか、茶株の根元にあったか、作業に夢中のあまり、石塊の存在に気付かなかったか、気付いても記憶に残らないということもありうる。














 (玉石は狭山地方で埋葬に使う拝み石であるとする、更に当地域の被差別部落にはこのような習俗が残っていないとする和歌森・上田鑑定に対し)埋没した場所は人が踏みつけて通る農道であるだけに到底賛同することができない。
  
  



 









 (石川君の「自白」に触れられていない棒切れは「ハジキ」の代用である、更に当地域の被差別部落にはこのような習俗が残っていないとするとする和歌森・上田鑑定に対し)山狩りの隊員らが杖代わりに山の木を折って持ち歩いたものか、本件と何の関係もない何人かが投げこんだ。外観からみても、棍棒といえるような太さや長さではない。














 (石川君の「自白」に触れられていないビニール片が、顔面を保護するように置かれ、真犯人と被害者の関係を示すものであるとの弁護団の指摘に対し)風に吹き飛ばされてたまたま農道近くの茶垣の根元辺りに吹き寄せられていたか、又は偶然その辺にあったものが、掘り出した土と一緒に穴の中に埋められたのではないかと考えられる。













 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「玉石、棒切れ、ビニール片」に関する寺尾正二裁判長の論理について

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  狭山事件/第二審(東京高裁/無期懲役判決/「玉石、棒切れ、ビニール片」に関する寺尾裁判長の論理について/1974(昭和49)年10月31日


金木犀




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1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「三つ折財布・手帳・筆入れ」に関する寺尾正二裁判長の論理について





 被害者からチャック付財布を奪取しながら情状面において不利になることを恐れて・・・、この事実を否定しているのではないかとも考えられる。












 被告人は身分証明書が入っていた手帳のことを三つ折財布といっているものと思われる。

  
   









 (筆入れ)奪取の時期と場所に関して意識的に虚偽を述べた。原判決(第一審/死刑判決)は、筆入れを奪取した時期と場所については事実を誤認したとしなければならない。














 しかし、被告人は既に被害者の腕時計や身分証明書そう入の手帳を奪取して強盗の身分を取得していたのであるから、右認定の誤りは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認に当らない。












 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「三つ折財布・手帳・筆入れ」に関する寺尾正二裁判長の論理について

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  狭山事件/第二審(東京高裁/無期懲役判決/「三つ折財布・手帳・筆入れ」に関する寺尾裁判長の論理について/1974(昭和49)年10月31日





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1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「筆跡」に関する寺尾正二裁判長の論理について





 被告人は、りぼんから当時知らない漢字を振り仮名を頼りに拾い出して練習したうえ脅迫状を作成したものと認められ・・・漢字の正確な意味を知らないため、その使い方を誤り、仮名で書くべきところを漢字を充てるなどして、特異な文字を作ったものと考えられるのである。











(石川君の脅迫状作成能力について)りぼんその他の補助手段を借りれば、本件の脅迫文自体、ごくありふれた構文のものであるだけに、作成が困難であるとは認められない。

  
   









(時間的経過の考察にかかる、二箇所の脅迫状の訂正---「4月28」を「五月2日」、「前」を「さのや」---について)思うに、被告人は文章を書くことに慣れていないのであるから、脅迫状の訂正作業にも相当の時間がかかったことが推認され、所論が推定しているように五分や一〇分で脅迫状を訂正することができたことは到底考えられない。












(大野・磨野・綾村三鑑定について)不確実な要素を前提として自己の感想ないし意見を記述した点が多くみられ、到底専門的所見とは認めがたい。









 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「筆跡」に関する寺尾正二裁判長の論理について

 をアップしました。コチラでご覧下さいね^^:↓
  「筆跡」に関する寺尾裁判長の論理




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1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「寺尾判決」中の、寺尾正二裁判長の基本的な考え方について





     別件逮捕はもともと法律上の概念ではなく、これを一義的に定義することは困難であって事実の具体的状況を捨象して一般抽象的に、その適法・違法を論じてみたところでほとんど意味がないと考えられる。









     本事件のように後者(善枝さん殺し事件)と前者(脅迫状の作成など)とが社会的事実として一連の密接な関連があり、後者の発展ないし、成り行きとして前者が往々にして生起すると考えられるような場合には、前者について逮捕・拘留の理由と必要とが存在する限り、後者について取り調べたからといって別段違法である(令状主義に反する)とは解されない。     









     原(第一審)裁判所はそれまでの証拠取調べによって既に有罪の心証を形成してしまっていて、もはや弁護人から請求のあったこれらの証拠を取り調べるまでの必要性はないと考えたものと判断される。










     実務の経験が教えるところによると、捜査の段階にせよ、公判の段階にせよ被疑者若しくは被告人は常に必ずしも完全な自白をするとは限らないということで、このことはむしろ永遠の真理といっても過言ではない。










     当時の被告人は必ずしも表現能力に富むものとは認められない。その供述を録取する取調官においても要点以外に子細を漏らさずに調書に記載したものとも考えられない。
 









     自白を中心にすえて、これを補強する証拠が多数存在するという理論構成をとっているのであるが、当裁判所としては、むしろ視点を変えてまず自白を離れて客観的に存在する物的証拠の方面からこれを被告人との結びつきの有無を検討した。










     それゆえ、脅迫状及び封筒は自白を離れて被告人と犯人を結びつける客観的証拠の一つであるということができる。










     一般的にいって、犯人と犯行を結びつける最も有力な証拠の第一は、何といっても指紋である。当審における事実の取調べの結果によると、捜査官は、本事件において、指紋の検出に努めたのであるが、ついに成功するに至らなかった事が認められる。











     しかし指紋は常に検出が可能であるとはいえないから、指紋が検出されないからといって被告人は犯人ではないと一概にはいえないのである。














 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「寺尾判決」中の、寺尾正二裁判長の基本的な考え方について

 をアップしました。コチラでご覧下さいね^^:↓
  http://blog.livedoor.jp/higurashi/archives/1974-10.html



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1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「万年筆」に関する寺尾正二裁判長の論理について





(石川君は、兄六造こそ犯人であると考えたことをあげて)「奇怪な供述」であり、(石川君の言うところに対し)「到底そのまま信用することはできない。










(捜査当局の作為を見出すことはできない理由として)鴨居の高さは床から役一七五・九 で万年筆のあったのは鴨居の奥行八・五 の位置であるから、背の低い人には見えにくく、人目につき易いところであるとは認められない。

  
   









(家族の証言が信用できない理由の一つとして)その穴(ねずみ穴---引用者注)の奥は空洞となっていて、ねずみが伝って通るような所でもなく、ねずみ穴であるかどうかは極めて疑わしい。











(被告人の第一審における供述は)万年筆を奪取した時期や場所についてはといわざるを得ないが、万年筆を鴨居に隠匿していたという点は信用することができる。














 狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日

*「万年筆」に関する寺尾正二裁判長の論理について

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  「万年筆」に関する寺尾裁判長の論理




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March 22, 1974

狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第七十四回公判/1974(昭和49)年3月22日

  狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第七十四回公判/1974(昭和49)年3月22日

*公判審理の中での寺尾正二裁判長の発言
<弁護人尋問>





一、部落問題について。
   藤谷俊雄『部落問題の歴史的研究』同『現代と部落問題(増補改訂』、松本治一郎『部落解放の三〇年』、北原秦作『屈辱と解放の歴史』、北原秦作・井上清『部落の歴史』、











塚原美村『未開放部落』、野本武一『部落差別と狭山裁判』(「世界」七二年二月号)、中田直人『狭山裁判---「自白」はこうして作られた』(同)、北川鉄夫『狭山事件の真実』、











亀井トム『狭山事件』、土方鉄『差別裁判』、同盟中央本部『狭山差別裁判』三、五集、平井清隆『狭山事件と部落問題』(「部落」一月号)、木村京太郎『狭山事件の背景』(同)











   そういったものを読んでおります。両陪席裁判官においても、程度の差こそあれ、かなりの分量のものを読んでおられます。









二、雑誌「部落」論文について。
   立証趣旨にも適合していて、大変参考になるかと存じます。







 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第七十四回公判/1974(昭和49)年3月22日

*公判審理の中での寺尾裁判長の発言
<弁護人尋問>

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