1999(平成11)年

July 08, 2008

1999(平成11)年7月8日

1999(平成11)年[[7月8日]]
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[[狭山事件]]で、[[東京高裁]][[第四刑事部]]・[[高木俊夫]][[裁判長]]、[[再審請求]][[棄却]]決定を下す。

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 [[2007年5月23日]]付で、[[狭山事件]]の[[第三次再審開始]]を求める要請行動先である、[[東京高裁第四刑事部]]は、[[大野市太郎]]裁判長が[[司法研修所長]]に異動し、[[名張毒ぶどう酒事件]]の[[再審]]決定を取り消した[[門野博]](前[[名古屋高裁]]裁判長)裁判長へと変わる。


 次こそ、新判事のこころを糺せるかが焦点となるφ(.. )




別表乙 有罪事例
事件名審級判断の異同A自白の経過B自白内容の変動・合理性C体験供述D秘密の暴露E客観的証拠との符号性F物的証拠の不存在G被告人の言動H弁解I情況証拠備考
狭山事件(最52.8.9)      刑集31-5
※名張毒ぶどう酒事件(名高44.9.10)   判事567
 



『狭山事件 石川一雄四十一年目の真実』鎌田慧/著より

腕時計


 ところが、一審の内田武文裁判長は、警察側の「品触れがまちがっていた」とする弁明に依拠して
「・・・(発見された時計の)側番号が、品触れのものと異なっていたとしても、それはむしろ品触れ自体が誤っていたとみるべきであるし、まして品触れの側番号と異なる点を捉えて直ちに右腕時計の発見経過を疑わしいものとするのは、些か的はずれの感がある」
 ときめつけている。







 ところが、捨てたという五月十一日から五十日以上もたってから、時計はその付近から奇跡的に発見された。・・・判決文で裁判長は、腕時計をひろった何者かが、事件に関係するものと気づいて、ひろった地点ちかくにもどしておいた「と考えられる余地もある」と推理している。
 「しかし、だからといって、腕時計を捨てた地点に関する被告人の自供内容に真実性がないということではもちろんないし、右腕時計発見の経過に捜査機関の作為が介在したということでもない」
 と、これまた弁明につとめている。







 問題のについての自白がめまぐるしく変遷するのは、容疑者本人が犯行内容に無知なことを示唆している、と考えられたはずだ。しかし、裁判官は
 「精神的に興奮しており、しかも薄暗いなかで急いでなされたことであるから、その間の記憶自体が多少不正確となり、或は事実の一部を見落とすことも考えられ、これを理由に被告人自身が、右教科書類、類を溝内に埋没したことまでも否定することおはできない」
 と、妙にものわかりにいいところをみせている。




 “「万年筆発見」の疑念に答えない判決” 



 第一審、死刑判決の内田武文裁判長は、つぎのように述べている。
 「右隠匿場所は、勝手場出入口上方の鴨居で、人目に触れるところであり、その長さ、上方の空間及び奥行きいずれも僅かしかなく、もし手を伸ばして捜せば簡単に発見し得るところではあるけれども、そのため却って捜査の盲点となり看過されたのではないかと考えられる節もあり、現に家人ですら気付いていなかった模様である」 









 二審寺尾判決は、今度は逆に、
 「背の低い人には見えにくく、人目につき易いところであるとは認められない」
 と見解を変えた。
 最高裁は、
 「必ずしも当然に、捜査官の目に止まる場所ともいえず、捜査官がこの場所を見落とすことはありうるような状況の隠匿場所であるともみられる」
 という。・・・
 机の上でああだこうだといわず、実地検証すれば、一発で解決することなのだ。



higurashi at 05:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)