1984(昭和59)年

July 14, 2013

1984(昭和59)年7月14日 石川一雄さんの父富造さん 最高裁へ無実の訴え

[[狭山事件]]で、[[石川一雄]]さんの父、故[[石川富造]]さんが、[[最高裁]]へ行き、一雄の[[無実]]を訴える。





石川一雄さんの父富造さん
30年ほど前小学校5年生だった少女が今2児のお母さんに
(富蔵さんに千羽鶴を) より


岩上安身 さんのツイートより 2011(平成23)年5月18日
【IWJ・UST】院内集会「冤罪を許さない!」。石川一雄さん(狭山事件元被告)。「やがて私の無実は明らかになる。真実究明のために裁判が開かれることになった。事件当日、家族と夕飯を食べていた。アリバイがあるんです」Ch2→  http://ustre.am/pPQY

yuka さんのツイートより 2012(平成24)年6月18日
狭山事件の謎・・・女子高生が誘拐されて自転車をどうやって・誰が自宅まで
運んだのだろう。家族が誰も気が付かせず運ぶって難しいし・また気が付かないのも不自然さを感じる。



ざきさんのツイートより 2011(平成23)年6月19日
その鴨居の上は、すでに2回の家宅捜索で、脚立も用いて捜索されており、そのときは確かに何もなかった。脚立を使わなくても、対面してみて、見えるほどの位置である。しかし、3回目の捜索で、容疑者の家族が、警察が主張するその場所(鴨居の上)を見たら、なぜか万年筆が置いてあった。>狭山事件





2013(平成25)年7月6日
東京高裁の河合健司裁判長に要請ハガキを送るキャンペーンが開催されました
三者協議に間に合うよう、7月23日必着です。ご協力お願いします


100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を

詳細は FB 狭山事件の再審を実現しよう にて

送付先
〒100-8933
東京都千代田区霞ヶ関1−1−4
東京高等裁判所 第4刑事部
河合健司裁判長





狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!

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July 10, 2013

1984(昭和59)年7月11日 松山事件 再審無罪 【再審無罪事例】

 1984(昭和59)年7月11日
 松山事件で再審無罪判決が下る(仙台地判59.7.11)
 <判例時報 1127>

 裁判経過:
 1983(昭和58)年1月31日
 松山事件、検察官の即時抗告棄却決定(仙台高裁)→再審開始決定
 1983(昭和58)年7月12〜13日
 松山事件、第二次再審公判第一・二回(仙台地裁)
 1984(昭和59)年3月7日
 松山事件、検察官論告、死刑を求刑

 
若林秀樹 さんのツイートより 2013(平成25)年7月9日 
奥西さんの緊急アクション。もう一刻の猶予もありません。最高裁は即時、再審開始決定を!お願いします!「名張毒ぶどう酒事件 : ただちに再審開始を!病の床で闘う奥西勝さん : アムネスティ日本」http://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/okunishi_2013.html

鉄馬‏さんのツイートより2011((平成23)年5月26日
"免田事件、松山事件、財田川事件。1980年代相次いだ死刑囚の無罪。松山事件の斉藤幸夫さんは殺人放火の罪で27年8ヶ月を獄中で過ごす。免田さんと斉藤さんは冤罪再発防止を訴え全国共に回った。斉藤さんは4年前に亡くなった。"【ETV裁判員へ〜元死刑囚・免田栄の旅〜

同  2011((平成23)年10月21日
(続)ちょっと気が早いけど、戦後の事件で死刑か無期懲役が確定した人の再審無罪は▽財田川事件、▽免田事件、▽松山事件、□梅田事件、▽島田事件、□足利事件、□布川事件の7件。▽は死刑、□は無期懲役。#裁判所 #検察 #警察

“別表丙 再審無罪事例”をざっと見る限りでは、再審無罪判決は、7月に多く下っているようです。本年文月は・・・




別表丙 再審無罪事例
事件名審級判断の異同A自白の経過B自白内容の変動・合理性C体験供述D秘密の暴露E客観的証拠との符号性F物的証拠の不存在G被告人の言動H弁解I情況証拠備考
梅田事件(釧路地判61.8.27)     判事1212
徳島ラジオ商殺し事件(徳島地判60.7.9    判事1157
松山事件(仙台地判59.7.11 判事1127
財田川事件(高松地判59.3.12)    判事1107
免田事件(熊本地八代支判58.7.15 判事1090
青森老女殺し事件(青森地判53.7.31    判事905
弘前大学教授夫人殺し事件(仙台高判52.2.15)      判事849
日本岩窟王事件(名古屋高判38.2.28)判事327
 注2:別表裁判例の「審級判断の異同」欄の中で、 ○印は、自白の信用性につき審級判断に異同があることを示す。/注3:別表裁判例の「A〜I」欄の中で、◎は、自白の信用性の判断内容に関し、審級判断の差異を来たしたと思われる事項ないし結論に大きな影響を与えたと思われることを示し、○印は、関係判断があることを示す


 狭山事件の第三次再審開始を求める要請行動は、2013(平成25)年3月5日付で、東京高裁第4刑事部の小川正持裁判長が異動し、河合健司(前静岡地裁所長)裁判長宛へと変わりました。
今後、東京高裁宛に「事実調べ開始」「証拠開示命令」の要請署名やハガキをだす際の宛名は河合健司裁判長になりました)。



2013(平成25)年7月6日
東京高裁の河合健司裁判長に要請ハガキを送るキャンペーンが開催されました
三者協議に間に合うよう、7月23日必着です。ご協力お願いします

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!
送付先
〒100-8933
東京都千代田区霞ヶ関1−1−4
東京高等裁判所 第4刑事部
河合健司裁判長
詳細は FB 狭山事件の再審を実現しよう にて





 裁判長異動の詳細について
 http://www.shinjikai.com/sayama.htmlより
今回の異動は、突然の事ではなく、ある程度予想された事だった。・・・三鷹事件再審弁護団は1月17日の三者協議を、「役所は、裁判所も検察庁もそうだが、年度末に人事の異動がある。検察官は、異動があることを想定して、新たに異動してきた人が事件記録を読んで概要を把握した頃を次回期日としてほしいと考えたと思う。つまり5月とか6月とかそういう時期だ。しかし弁護人が、「異動が懸念されるのであれば異動の前に1回入れて下さい」と言ったところ、裁判所も「そうしましょう」となり、年度末前の3月15日に期日が指定されたのだ。」と報告した。
結果、「3月15日に進行協議(三者協議)を予定していましたが、東京高裁の小川裁判長が転任したため、進行協議が延期されました。」とはなったが、狭山も同じ条件だったのは当然だ。
 いずれにせよ、狭山再審は、次の裁判長を再審請求審最後の裁判長と見定め、必ずや「事実調べ(証人・鑑定人尋問)」実施から「再審開始決定」をさせるため、改めて様々な取り組みが必要とされている。





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March 12, 2013

1984(昭和59)年3月12日

[[財田川事件]]で、[[高松地裁]]が[[無罪判決]]を下す。
 →[[谷口繁義氏]]が[[即日釈放]]される。




2005年7月26日 元死刑囚の谷口繁義氏死去 財田川事件で再審無罪

 死刑囚として、初めて再審開始決定を受け、2人目の無罪となった「財田川事件」の谷口繁義さんが昨年7月、心不全のため香川県琴平町の病院で死去していたことが5日、分かった。74歳だった。香川県三豊市(旧・財田町)出身。  関係者によると、死去したのは2005年7月26日。脳梗塞(こうそく)などのため昨年3月に入院していた。葬儀は近親者のみで執り行った。  事件は1950年2月、財田村(当時)で発生。ヤミ米ブローカーの男性が自宅で殺害され、現金約1万3000円が盗まれた。  別件の傷害事件で逮捕された当時19歳の谷口さんは、強盗殺人の犯行を「自白」。逮捕、起訴された。公判で「自白は強要された」と無罪を主張したが、52年に高松地裁丸亀支部で死刑判決を受け、57年に確定した。  その後も谷口さんは再審を求めて訴え続け、79年6月に高松地裁は、死刑囚で初の再審開始を決定。81年に確定した。同地裁は84年3月、無罪判決を言い渡した。 2006/01/05




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January 25, 2013

1984(昭和59)年1月25日

(#`皿´) ムキーーーー!
 [[冤罪]]:[[波崎事件]](えんざい:はさきじけん)で、[[第一次再審請求棄却]]決定を出す([[東京高裁]])。


1963年 毒殺容疑で逮捕
1966年 水戸地裁土浦支部死刑判決
1973年 東京高裁死刑判決
1976年 最高裁上告棄却死刑確定
1980年 再審請求
1984年 再審請求棄却
1987年 第二次再審請求
2000年 第二次再審請求棄却
2003年 東京拘置所にて逝去


■事件発生から逮捕まで 
1963-08-26 午前零時20分頃IYさん死亡
1963-10-23 私文書偽造、同行使容疑で冨山さんを逮捕
1963-11-09 釈放
1963-11-09 毒殺容疑で逮捕

■原審 (作成中)
1963-11-30 殺人、私文書偽造、同行使の容疑で起訴
1964-03 殺人未遂の容疑で追起訴(ハワイ屋事件(注))
1966-12-24 水戸地裁土浦支部死刑判決
1973-07-06 東京高裁死刑判決、ハワイ屋事件無罪
1976-04-01 最高裁上告棄却死刑確定

■第一次再審請求 (作成中)
1980-04-09 再審請求
1984-01-25 棄却
1985-02-25 異議申立棄却

■第二次再審請求 (作成中)
1987-11-04 第二次再審請求
1997-07-29 再審請求補充書提出
2000-03-13 棄却
2000-03-17 異議申立

http://www.asahi-net.or.jp/~VT7N-YND/frame_00.html
 茨城県波崎町で死亡した男性に青酸化合物を飲ませたとして、直接的な証拠なしに水戸地裁・東京高裁で死刑判決を受け、最高裁上告棄却で死刑確定した。
 第一次・第二次再審請求は棄却。
 第三次再審請求準備中の2003年9月3日、冨山さんは東京拘置所内で亡くなられた。
 冨山常喜さんは2003年9月、無実を訴え続けながら獄死されたが、死後再審請求を追及している。

お彼岸



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November 21, 2012

1984(昭和59)年11月21日

 [[中野の寮放火事件]]で、[[東京高裁]]が、[[無罪]][[判決]]を下す。
 [[1983(昭和58)年4月27日]]の[[一審]]、[[東京地裁]]では[[有罪判決]]。

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July 11, 2012

1984(昭和59)年7月11日

 [[松山事件]]で、[[仙台]][[地判]]が[[再審無罪]][[判決]]を下す.

 [[判例時報]]1127号





                    松山事件(仙台地判59.7.11) 

A.自白の経過
 30.12.2 別件傷害で逮捕、6日自供、9日録音テープ、15日否認の手記、同日再自供、20日再否認、以後同

B自白内容の変動・合理性
 [再?2]犯行の動機に疑問

C体験供述
 [再?2、?2]体験的供述とみられる多数の供述部分の検討(消極)

E自白と客観的証拠との符号性
 (→?)

F裏付けとなるべき物的証拠の不存在
 被告人着用のジャンパー、ズボンに血痕が付着していないこと(洗い落したとの自白)→?

G犯行前後の捜査官以外の者に対する言動
 「母様おゆるし下さい」「兄さんが悪かったのです」との房内の落書について [再?2、?2]

H被告人の弁解
[再?2、?2]

I 情況証拠との関係
(1)被告人使用の掛布団に付着していたとされる多数の血痕様斑点は被害者の血液か(三木、古畑各鑑定)、(同一の機会、機序によるものか、 [再?2]消極、[再?2]
積極→(2)との関係
(2)被告人のズボン、ジャンパーの血痕不存在の原因(宮内鑑定)







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September 19, 2008

1984(昭和59)年9月19日



和歌山市のパチンコ店放火事件で、[[有罪]]が確定する([[大阪高裁]]59.9.19)

[[1980(昭和55)年11月18日]]、一審[[大阪地裁]]で[[有罪判決]]が下る。

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