1965(昭和40)年

July 03, 2013

1965(昭和40)年7月3日

吉展ちゃん誘拐殺人事件で、小原保・元死刑囚が犯行を自供する

吉展地蔵/円通寺










坂本 慎二(帰って来た屁の丸)‏ さんのツイートより 2013(平成25)年5月5日
狭山事件の石川一雄さんが不当逮捕されて、間も無く、まる50年。
この事件の約一ヶ月前に「吉展ちゃん事件」があり、身代金を取りにきた犯人を取り逃がした警察への批判は凄まじかった
冤罪は、犯人を捕まえなければ社会が納得できない状況によって作り出される。


クララ・キイン(日曜東P54a)さんのツイートより 2013(平成25)年2月10日
前RT 警察が面子をかけて必死になって捜査したという時ほど、「容疑者=真犯人」と即断するのは気をつけたい。吉展ちゃん誘拐事件で警視庁が初動捜査で犯人取り逃がしたことが、直後の狭山事件における埼玉県警の強引な捜査の遠因になり、50年もの法廷闘争に繋がっていることを忘れないよう


yuka さんのツイートより 2013(平成25)年5月1日
S38年の今日・狭山事件が発生した日です。謎多き事件で今もなお語り継がれています。どうして身代金が20万なのか?3月に発生した吉展ちゃん事件は50万だったのに・・・。受け渡し現場には大勢の警官がいたのにどうして逃げられたのか・・・。不可解なことはたくさんある。





一審 一九六四(昭和三十九)年三月十一日 浦和地裁(現、さいたま地裁)


 判決公判は、事件発生の日からまだ十ヵ月しかたっていなかった。・・・おなじころ、世間を騒がせていた吉展ちゃん事件は、依然として未解決だった。・・・内田武文裁判長は、「主文」の朗読をあとまわしにして、「理由」から読みはじめた。無罪判決なら、さきに主文を読むのが通例である。・・・



 内田裁判長は、判決文に書いたように、自分を死刑に突進させる自白を、頑固に維持しつづけている背景に「特段の事情」 が介在していなかったかどうか、疑ってかかる必要があった。
 しかし、彼は、被告席に座っている男に注意深い目をむけることなく、たった十回の審理で公判を打ち切り、五ヶ月目の一九六四年二月には検事に論告をさせた。死刑の求刑だった。



裁判所に一雄を連行していた戒護者(刑務官)にとって、死刑判決を受けた被告は、ふたり目だった。ひとりの被告は、死刑の宣告を受けたあと、恐怖に駆られてひとが変わったようになったのだが、一雄はまるで微罪の判決を受けたかのように、ニコニコとしていて驚かされた。・・・




「狭山事件再審オンライン署名」へ






かえしておくれ今すぐに

 作詩:藤田敏雄 作曲:いずみ・たく 編曲:宮川泰 歌:ザ・ピーナッツ

1963年(昭和38年)3月31日(日)、東京台東区で男の子の誘拐殺人という悲惨な事件が発生した。その子の名は「吉展ちゃん」といった。犯人も未逮捕で吉展ちゃんの生死もわからい状況下でこの歌は作られた。ザ・ピーナッツの他にも、フランク永井、ボニー・ジャックスなどが歌った。



これは当時、世間を騒がせていた吉展ちゃん誘拐事件の犯人に呼びかける歌だっ たからである。そして吉展ちゃん誘拐事件は悲劇的な結末に終わったため、再び公の場 でこの歌が歌われる事はなくなったのだった。 昭和38年3月31日午後5時40分、「ママ 、 ...



 平塚八兵衛刑事が別件逮捕を主張したが、ナンバー2だった平瀬俊夫参事官が待ったをかけた。・・・7月3日、平瀬さんが脅迫電話と声紋を比べるため八兵衛さんに「雑談して声を録音せよ」と指示し、リラックスした小原保・元死刑囚が「東京・日暮里の大火事をみた」と口にしたひと言から、アリバイが崩れた。

昭和史再訪/吉展ちゃん誘拐事件(朝日新聞2009/06/27夕刊) *雑談のひと言から解決へ(中郡英男・元東京新聞記者/79歳)より


.... 火事とは西日暮里のゴム工場の大火のことだった。小原は4月3日に東京に戻ったと言っていたが、大火は4月2日だった。 .....
『誘拐捜査 吉展ちゃん事件』(創美社/中郡英男/2008)より




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March 09, 2013

1965(昭和40)年3月9日

 [[松本治一郎]]が[[提訴]]した、[[福岡]][[板付基地土地明渡し訴訟]]で、[[福岡高裁]]が[[上告棄却]]を行う。

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November 09, 2012

1965(昭和40)年11月9日

1965(昭和40)年11月9〜10日
 第二回[[拡大中央委員会]]において、[[「同対審」答申完全実施を要求する国民運動展開に関する方針大綱]]を決定する。

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October 29, 2012

1965(昭和40)年10月29日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二九)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二九)

苔青く拡がる庭に遊ぶ鳩 吾は獄舎に羨み眺む

過ぎし日の儚い恋の想い出に時折りふれし 心うずくも

夕焼が迫る獄舎は肌寒く 塒へ急ぐからす二羽見ゆ







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1965(昭和40)年10月29日

 「[[荊冠友の会]]」が発足する([[奈良]])
荊冠旗

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October 27, 2012

1965(昭和40)年10月27日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二七)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二七)

色褪せし 青き蒲団にくるまりて 眠れば夢に 母が浮び来

刑庭に 射し来る秋の日を浴びて 遊ぶ雀を モズが襲う





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1965(昭和40)年10月27日

1965(昭和40)年10月27〜28日
 指定都市([[大阪]]・[[京都]]・[[神戸]]・[[名古屋]]・[[横浜]]・[[北九州]])[[教育委員長]]ならびに[[教育長会]]が、[[「同和」対策審議会答申]] [[完全実施陳述書]]を決議する
 (同一一月九日、[[]政府][[文部省]]に提出する)。

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October 20, 2012

1965(昭和40)年10月20日

『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・十)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・十)

頼まれし数日渡って冤罪を悉く書き涙湧き来る






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October 13, 2012

1965(昭和40)年10月13日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・十三)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・十三)

哀れとも腑甲斐無しとも言う物の厳しい掟が吾をさいなむ






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October 07, 2012

1965(昭和40)年10月7日

10月7日の誕生花 金木犀『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・七)より













昂ぶりを
そっと隠して
独房に
ペンを執り上げて
歌など詠まむ


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・七)




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October 05, 2012

1965(昭和40)年10月5日

『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・五)より






路頭の灯見えて悲しさ添える獄就寝告げるオルゴール淋しく

泣けるだけ泣いても癒える事でなし怒りの渦は日夜逆巻く

冤罪の怒り籠れる吾の歌 何時の日か人が読みて呉れなむ

囚吾の独り淋しく坐す房に秋の西日を受け居る憐れ

身は獄に為す事も無き日日なりぬ気長に待たむ救い有る日を






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October 04, 2012

1965(昭和40)年10月4日

1965(昭和40)年10月4〜5日

 部落解放同盟第二十回大会が東京で開かれる。

 「答申」具体化と、国民運動の方針を決定、一部の偏向を整理。
 部落解放要求貫徹全国闘争・同対審答申具体化・自衛隊差別糾弾・憲法改悪小選挙区制の阻止・アメリカのベトナム侵略戦争反対・鉱業被害の完全復旧・部落関連産業労働者の組織促進など決議する。


 松本治一郎が、部落解放同盟第二十回大会で、特に団結を訴える。





 「戦争前夜であるアジアの危機、それに手をかしている日本の反動勢力が、憲法の改悪をたくらみ、天皇崇拝を再び押しつけようとして、これの対極である部落の差別を助長している。









 差別のあるところに、平和は確立されない。完全解放のために、いまこそ全部落が一つになって団結してたたかうこと、それが平和への道である」






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1965(昭和40)年10月4日


title="◆「石川一雄獄中歌集 (たいまつ社) 」">『石川一雄獄中歌集』
(一九六五・十・四)より




『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・四)

故里に父母は嘆きて存すなり 無実を叫ぶ吾を信じて

無実をば叫び続来て三年余の この怒りをたれに知らさんか 




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October 03, 2012

1965(昭和40)年10月3日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・三)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・三)

鉄格子覗けば揺れる庭の木々 囚吾れの身に染むる秋風






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October 02, 2012

1965(昭和40)年10月2日

『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二)より


鉄窓に ヒマラヤ杉が 黒々と 揺れる梢に 星ひとつ 見ゆ

明けの空 ヒマラヤ杉に 鴉来て 悲しき声で 鳴くが 聞こえる





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September 30, 2012

1965(昭和40)年9月30日

『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・三〇)より



『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・三〇)

無実をば叫び続けて監房に 吾の真実何処に知らさむ

救いの掌待つ身は悲しき 自由なく無実を叫べど死刑でおわす

何事も掌に付かぬまま冤罪に 暗胆として嘆きの日々を


お彼岸花

お彼岸花

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September 29, 2012

1965(昭和40)年9月29日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二九)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二九)

この花のように 潔く死に行けば 涙ながさん意地悪き人も




お彼岸花


お彼岸花



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September 27, 2012

1965(昭和40)年9月27日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二七)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二七)

差し入れしみかんを食めば歯に沁みて 獄に三年へし衰へを知る




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September 25, 2012

1965(昭和40)年9月25日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二五)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二五)

我が前に 立ちふさがるは鉄格子 ふとくつめたき たそがれの窓




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September 21, 2012

1965(昭和40)年9月21日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二一)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二一)

日も暮れて点検済みし独房に蒲団のぶれば心ほぐるる





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September 17, 2012

1965(昭和40)年9月17日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一七)より





『石川一雄獄中歌集』

(一九六五・九・一七)食ひ足りて獄舎にひとりまどろむはけものに似たる安らかさなり







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September 16, 2012

1965(昭和40)年9月16日

[[1965(昭和40)年9月16〜17日]] 
 [[部落解放同盟]][[中央委員会]]が、[[運動方針]]を協議する。


 ([[松本治一郎]]氏の演説より)




 「今回の答申で[[部落解放行政]]施策の実現が前進することを期待する。政府はすみやかに答申の重要課題である特別措置法の制定・・・行政組織の整備・・・予算措置を講ずるべきである。」
 「戦争前夜であるアジアの危機、それに手を貸している日本の反動勢力が[[憲法]]の改悪をたくらみ、[[天皇崇拝]]をふたたび押しつけようとして、これの対極である[[部落]]の[[差別]]を助長している。
 [[差別]]のあるところに[[平和]]は確立されない。[[完全解放]]のためにいまこそ全部落が一つになって団結してたたかうこと、それが[[平和]]への道である。」



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September 14, 2012

1965(昭和40)年9月14日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一四)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一四)

水色の小鳥が一羽獄庭に紛れおりしがすいととび立つ




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September 09, 2012

1965(昭和40)年9月9日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・九)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・九)

時に強く戸を打つ雨に起きいでてふいに恋しくなり日し母を




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September 08, 2012

1965(昭和40)年9月8日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・八)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・八)

若き日の儚き恋の思い出に時折ふれて心うずくも




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September 06, 2012

1965(昭和40)年9月6日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・六)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・六)

ひぐらしの声を淋しく独房に聴く身は死囚我れ悲しむ





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September 02, 2012

1965(昭和40)年9月2日

 


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二)

明星をひとつ残して東西の空に鳴く蝉声の悲しさ




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1965(昭和40)年9月2日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二)

明星をひとつ残して東西の空に鳴く蝉声の悲しさ




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September 01, 2012

1965(昭和40)年9月1日


『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一)より





『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一)

鉄格子顔すりよせて聴く蝉の声生れし街が思い出さるる




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August 26, 2012

1965(昭和40)年8月26日

 [[外務省]]の、[[訪中代表団]]への[[旅券発行拒否]]・[[日中青年交流妨害]]に抗議する[[青年大集会]]が開かれる([[東京]])。






8月26日誕生花ヘチマ

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July 23, 2012

1965(昭和38)年7月23日




 [[1965(昭和38)年7月23〜24日]]

 [[部落解放]]第九回[[全国]][[青年集会]]([[鳥取]])
 開会前より混乱し、中執・実行委が全体集会を打ち切り、県内交流会に入ると決定した。


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