1979(昭和54)年

October 09, 2013

1979(昭和54)年10月9日<狭山事件10.31寺尾裁判長無期懲役判決>の法的安定性を求める意見書を提出していた東京高検今野健検事

 


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<10.31寺尾裁判長無期懲役判決から39年きゅうだん!>


意見書の存在は、『完本 狭山裁判』(雑誌『世界』に1975年2月号〜1991年4月号,計191回連載)にて 初めて知りました。

その意見書の諸言から、東京高検検察官今野健検事は 再審をいかに見ていたのかが 明らかになりました。

野間宏 『狭山裁判・上』 頁六二三〜 “再審制度の意味”より
「再審は確定判決における法的安定性の要求と実体的真実主義に基づく具体的妥当性の要請を調和させるための制度である」(今野健検事)などと考えていて、それでよしと出来るだろうか。
再審の請求は、確定判決にもし誤りがあることが明らかになれば、それを取り上げ、確定判決の法的安定性などは否定しても、新証拠とすべきものの提出によってそれを採用し、再審の審理に入り、無罪判決に至るべきものであろう。・・・
ここには再審を特別に狭く、極めて限度厳しく考えようとする狭溢な精神があらわに現れ出ている。
法的安定性とは何をいうのであろうか。
裁判の国家的厳重性、その慎重な運び、裁判官の優れた審理を重ねることによって得られた判決の決して誤ることのないことを言うのであろうか。・・・
しかし裁判に誤りがないなどとということは出来ないことである。
ごく最近のことを見てもすでによく知られているように、弘前大学教授夫人殺し事件、加藤老事件などによって・・・
ひとりの人間を裁判の誤りによって、大きく左右し、長年の刑に服させ、また一生を日陰の場所にあって過ごさせるというところに導いたのである。しかも・・・
誤った判決を行った裁判官、また誤った検察を行った検事、誤った取調べをした警察官がこれによって大きな責任を問われることもなければ、また責任が何処にあったかを問いつめ明らかにするという制度もそこにはつくられてはいないのである。
日本の裁判制度には大きな欠陥があるのである。



二審寺尾裁判長は、脅迫文の日付けの読み取りについて、昭和三十八年六月一日附け関根政一、吉田一雄(埼玉警察本部鑑識課警察技師)鑑定にほとんど疑いを抱くことなく、そのまま採用しており、事実調べは行っていませんでした。

野間宏 『狭山裁判・上』 頁六56 〜 “四月二十八日、二十九日問題”より
もっとも一度鑑定人によって提出された鑑定に対して、あらゆる地点から検討を加えることは非常に困難なことであって、裁判の判決はそこまで深く立ち入り審理をしさらに事実審理の後、再鑑定に踏み切りその上で判決に到達するということは、ほとんどなされることがない。
弘前事件における東京大学法医学の古畑種基教授鑑定に対する裁判長の対応とまったくかわることがないのである。・・・
かつてはその鑑定ただ一つによって被告人はいかに犯行を否定しようと、それはかなうことがなかったのである・・・


えん罪事件と誤った科学者の鑑定


弁護人側が、再審請求補充書(脅迫状訂正日時に関する新証拠)に添付した鑑定人 大阪市立大学工学部 串部宏之、北田忠雄両氏の作成した1979(昭和54)年5月15日付意見書を、東京高検検察官今野健検事は、以下のような「仮定法」の常用と憶測によって退けたけれども、証拠をもって論証することはできていません。

「仮に、脅迫状に当初に記載されていた日付が四月二九日であったとしても請求人が犯人であるとの確実判決の認定を覆すことは出来ないので、所論引用の前記証拠は新規性のある明白な証拠とは到底いえない」



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脅迫状の日付訂正

野間宏 『狭山裁判・中』 頁六九九〜 “串部・北田鑑定人の意見書 再逮捕後の自白強要”より
脅迫状の中の金を持ってくるよう指示した日付は脅迫状の中で如何に重要であるかは、少し考えるだけですぐ明らかになることである。もしこの日時に少しでも誤りがあればその脅迫は全然役には立たないのである。相手が金を持って来る日が違えば、金を脅し取ることは出来なくなる。
金を持って来るように指示する日時と場所と金額、この三点が脅迫状では最も需要な要素なのである。・・・
それが記憶から消え去るなどということはありえない。




<1979(昭和54)年10月9日 東京高等検察庁検察官 今野健検事 意見書提出>
野間宏 『狭山裁判・中』 頁六八七〜 “脅迫状 訂正日付の問題を回避”より

「仮に・・・」という仮定法でもって、この四月二九日という消すことならぬ物質的な痕跡によって明確とされている日付を扱おうとするのである。
ここのところに、真実追求をすすめる裁判に深くかかわる検察官に最も必要な、証拠を何よりも大切にし、一歩一歩真実に向って出発する要件の失われていることが明示されているのである。・・・
検察官今野健検事は明らかな証拠によって、しかと支えられている四月二九日という日を正面に取り出して裁判の場の上に置こうとせず、確かな証拠物によって支えられることの全くない供述調書の「自白」の方をば如何にして取り上げようとして苦心を重ねているのである。・・・
このような検察官今野健検事は・・・即刻検察官を辞任すべきなのである。・・・
同時にこのような検察官の資格のないことを自ら証明した今野健意見書を、東京高等裁判所がそこに何の疑いも差し挟むこともなく受け取ったことに大きな疑問を抱かない訳にはいかない。
東京高等裁判所第四刑事部は、今野健意見書を、検察官の資格のないものの書いた意見書として東京高等検察庁に返却すべきなのである。・・・

このことは、狭山事件を見守ってきた多くの人々の許すことのできないことであり、再審の門が広く開かれ、この狭山事件の再審が真に再審の名に価するものとして真実追求の歩みを進めることを求めている多くの人々の容れることのできないことである。
四月二九日という日付が新しく見出されたことは、石川一雄氏の無実無罪であることを完全に証明している





関連決定
<1977(昭和52)年8月10日 最高裁判所第二小法廷 吉田豊裁判長 上告棄却決定>

野間宏 『狭山裁判・上』 頁435

石川一雄被告の有罪の追認ということである。・・・
しかもその「決定」にあっては、この事件にはいまだ「解明されない部分」が残されていることが認められている。・・・
この最高裁判所の「決定」は、まさに今日の日本の裁判所を根本から疑わせるものであるが、それは、これが日本における民主主義の否定につながるが故であり、日本に生きる一人ひとりの人間の生得の権利、その基本的人権を侵して素通りする道をひらくものと言ってよい。
このような「決定」を、私もまた日本の多くの人々と同じように認めることはできない。
このような「決定」はこの日本の不幸であり、また日本についての正しい国際的な評価を失わせるものである。
裁判は殊にもっとも重要と考えられ、また法律上定められている最高裁判所の裁判は、このようにあわただしく突然その「決定」を公にするなどということがあってはならないのである。・・・
もし信ずるところがあるならば、最高裁判所はこれらの問題を避けることなく正面から受け止め、その決定の発表にさいしては、前もって広く予告し、その真実とするところを公にするのが当然と考えられる。またそれが最高裁判所のまさにすべきところである。
しかし最高裁第二小法廷はそうしなかった。その決定の突然の公表は違法ではないということであろう。・・・
しかしそれでは違法ではないということが残るのであって、あるべき最高裁判所はないに等しいのである。・・・



<1980(昭和55)年2月7日 東京高等裁判所第四刑事部 四ツ谷巌裁判長 再審請求棄却>
野間宏 『狭山裁判・中』 頁七二九〜






<1981(昭和56)年3月25日 東京高等裁判所第五刑事部 新関雅夫裁判長 異議申立棄却決定>
野間宏 『狭山裁判・中』 頁八六二〜






<1981(昭和56)年5月29日 東京高等検察庁 十五点の証拠開示>
野間宏 『狭山裁判・中』 頁九〇〇〜より
東京高等検察庁は十五の証拠開示をしたのだが、それがこれまでの裁判の判決、決定その他を揺るがし覆すようなことのないものばかりを選んでその上で開示したというようなことがあるならば、もちろんそれは却って東京高等検察庁に対する信頼を失わせることになるのであって、それによって日本の裁判官、裁判そのものに対する最近の国民の不信を深めるという結果を生むことになるほかないと考えられる。
それは私の望むところではないしまた求めるところでもない。











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1964(昭和39)年9月10日
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1966(昭和41)年5月21日
1967(昭和42)年1月11日
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1968(昭和43)年9月24日
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1968(昭和43)年11月14日 筆圧痕の問題
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1970(昭和45)年4月21日
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1970(昭和45)年12月3日 犯人取り逃がし
1970(昭和45)年12月5日茶碗投げつけた理由
1970(昭和45)年12月8日警察が部落の少年補導
1971(昭和46)年2月12日
1971(昭和46)年3月1日
1971(昭和46)年3月4日
1971(昭和46)年3月9日  時計の品触れ
1971(昭和46)年3月11日
1971(昭和46)年5月11日
1971(昭和46)年5月15日
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1971(昭和46)年7月15日
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1972(昭和47)年2月8日
1972(昭和47)年2月10日
1972(昭和47)年2月15日
1972(昭和47)年4月15日
1972(昭和47)年4月18日
1972(昭和47)年6月15日検事が弁護士接見妨害
1972(昭和47)年6月17日
1972(昭和47)年7月22日 
1972(昭和47)年7月27日 変死者の問題
1972(昭和47)年8月26日
1972(昭和47)年8月29日
1972(昭和47)年9月16日
1972(昭和47)年9月19日
1972(昭和47)年11月27日
1972(昭和47)年12月6日
1972(昭和47)年12月8日
1974(昭和49)年2月7日
1974(昭和49)年2月14日
1974(昭和49)年3月22日
1974(昭和49)年5月23日
1974(昭和49)年9月3日
1974(昭和49)年9月5日 星野鑑定の欠陥
1974(昭和49)年9月10日
1974(昭和49)年9月20日
1974(昭和49)年9月24日
1974(昭和49)年9月26日
第二審東京高等裁判所
無期懲役判決を言い渡す
1974(昭和49)年10月31日

注)星野鑑定:星野正彦警察技師(埼玉県警察本部刑事部鑑識課)によるスコップに付着した土壌鑑定書






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(久永正勝裁判長)
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石川富蔵
内田幸吉
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山田昌志(仮名/野間宏「狭山裁判・上」)
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中勲
河本仁之(浦和地検検事)
竹内武雄(狭山警察署長)、斉藤留五郎
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中勲(特捜本部長)
清水利一(警部)、大野喜平次(警部補)
大谷木(警部)、梅沢茂(県警捜査三課)
岸田(県警技師)、鈴木(巡査部長)
清水(警部)、斉藤(刑事)
梅沢(警部補)、石原(警部補)
岸田政司
将田(特捜本部付警視)、飯野源治(狭山署捜査課巡査)
長谷部梅吉(警視)
青木(県警警部)、関源三(巡査部長)
関源三(巡査部長)、五十嵐(県警本部警察医)
五十嵐(県警本部警察医)、関源三(巡査)
石田一義、小島朝政
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中田直人(弁護人)中田健二
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鈴木将(堀兼診療所医師)
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最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
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第二審東京高等裁判所
無期懲役判決を言い渡す
(寺尾正二裁判長)



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September 27, 2013

1979(昭和54)年9月27日免田事件で再審開始、死刑執行停止、日本の刑事手続きを諸外国と比べ冤罪を少なくする構造へと訴えた森井其擬

1979(昭和54)年9月27日
 [[免田事件]]第6次再審請求審で、[[福岡高裁]]が[再審開始]]決定、[[死刑執行停止]]決定が下される。(1952年1月5日に最高裁で死刑が確定してから27年目)
 [[十月二日]]、[[検察側]]が、[[最高裁第一小法廷]]に対し、[[特別抗告]]を申し入れる。 
1948年12月29日 免田事件(強盗殺人事件)発生
1949年1月13日 免田栄さん逮捕
1950年3月23日、熊本地裁・八代支部 免田さんに対して死刑を言い渡した
1951年12月25日、最高裁も上告を棄却
1952年1月5日に死刑が確定
1952年6月10日の第1次再審請求を熊本地裁に提出
(第3次の請求で再審開始決定を勝ち取る。しかし、検察側の即時抗告により、福岡高裁であえなく取り消される)
1979年9月27日福岡高裁は第6次の請求で再審開始の決定
1980年12月11日、死刑囚としては初めて再審開始
1983年7月15日、熊本地裁・八代支部 免田さんに対して完全無罪の判決を言い渡し、即日釈放(34年ぶりに解放された)


*免田事件 倉田弁護士 でのツイートと本多 敬さんの 言葉と表現と射影のブログ より
・免田事件とは有名な冤罪事件で、免田氏は無罪判決まで、死刑執行を待つ35年間の監獄生活を送った。無罪を勝ち取った倉田弁護士の決め手は?免田氏を説き伏せ、あえて有罪を認めさせた。その代わり、使用したナイフの所有権返還を請求した。検察はナイフを提出できなかった。始めから存在しないから

・日本の裁判所の致命的欠陥とは何か?検察官の"論告求刑"を証拠とみなしてしまう、裁判官の無責任な権威主義的態度である。司法研修生時代から、検察官の調書だけ読めば合格点をもらえる教育を受けている、との指摘もアリ。裁判官不在の、検察主導の裁判員制度は屠殺場、エスカレートしていないか?


*免田事件 自白 でのツイート

*日本の司法は中世レベル でのツイート


*免田事件と狭山事件の共通点と いまの日本の刑事司法システムの問題点について
『自白崩壊―狭山裁判20年 (1984年)』 : 狭山事件再審弁護団より
 
(中山武敏弁護士)
免田事件の免田栄さんの場合も、一回から三回の公判までは自白維持されてるんです。免田さんは警察で「裁判所に行ってもそのまま警察で言ったことを守れ」と言われた。すぐ出られると言われていた、とおっしゃっていましたね。ところがあとで騙されたと気づいた。石川さんはそれがずっと続いていたということなんです。・・・

森井関西大学名誉教授・刑事訴訟法)
諸外国では証人中心主義・口頭主義が非常に徹底していますから、公判で本人が口頭でもって事実を述べない限りは原則として証拠にならないんです。密室でとられた記録、自白調書自体が証拠になるということはほとんどないんですよ。・・・

職権主義の国だといわれるドイツでも、或いは当事者主義の本拠である英米でも、どちらも自白調書というもの、少なくとも捜査書類を裁判の資料にしないという点では一致しているのですよ。自白調書がハバをきかしてるのは、近代的な法律を持ってる国では、おそらく日本が一番だと思います。

それと、自白中心の捜査、自白中心の証拠認定ということが手続き上出来る態勢なんです。・・・警察に自白中心の捜査をやらせるように、制度があるということですね。
だからまず第一番目として、被疑者段階における身柄拘束期間をもっと大幅に短縮することが必要です。それと・・・弁護人が立ち会うということが基本でしょうけれども、それが不可能でも、取調の状況を逐一ビデオにとるぐらいの措置はできると思うんです。・・・

冤罪と言うのはある意味では人間が人間を裁く以上完全にゼロにするということは不可能だと思います。ですからできるだけ冤罪を少なくするような構造に裁判制度といいますか、刑事手続きをもっていくことが大事だと思います。いまの日本の刑事手続き全体を見て冤罪に結びつく可能性というものが諸外国に比べてみてどこにあるのだろうかということを検討しなければならないと思います。


1980年代に死刑四事件に無罪判決が下りましたけれども
いまも 日本の司法は中世レベルと言われてますし 国際人権規約にも違反しています
日本の刑事司法は 自白中心主義をやめ 
弁護士がつかない限り 取調は許さず
容疑者を捕まえて留置所に入れたら 翌日には裁判官の面前に連れて行き 
裁判官が判断して 勾留の場合は 拘置所へ連れて行ってください!

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July 28, 2013

1979(昭和54)年7月28日 狭山事件の新証拠〈日付訂正〉で野間宏ら文化人が〈徹夜ティーチイン〉

 1977(昭和52)年8月30日、弁護団は東京高裁に対して再審請求を行なう
とくに、脅迫状の日付訂正個所が自白と食い違うことが明らかになり、新証拠として提出される

 1979(昭和54)年7月28日〜7月29日
[[狭山事件]]で、[[野間宏]]、[[安岡章太郎]]、[[日高六郎]]らを中心に、[[脅迫状]]の[[日付問題]]を討議する徹夜のティーチ・インが開かれる


 東京高裁第4刑事部・四ツ谷巌裁判長は、証人尋問や現場検証などの事実調べをまったく行なうことなく、1980(昭和55)年2月5日付で再審請求を棄却する




婦人民主新聞/1980 年 2月 15日号より)
狭山裁判 再審請求棄却決定に怒り
野間宏さん
 
 東京高等裁判所の再審請求棄却の決定の全文を読みましたが、事実調べをすべきと言っていた脅迫状の四月二十八日、二十九日の日付の問題です。十六年間、二十八日と読まれてきていた。警察官、検察官、裁判官、弁護人もそのようにいってきた。
 問題の脅迫状が、電子顕微鏡により、二十八日ではなく二十九日だと判明した。脅迫状というものは、それを書いた脅迫者にとって、日付、場所、金額はもっとも重要なものです。・・・ 私は、検察意見書の中で仮定法ばかり使っていることを指摘した。“仮に二十九日であろうとも”と仮定法ばかりをいっている。これは弁護人の提出した補充書に写真があり、二十九日と明確にわかるのである。・・・真実を追究する意志を持たない。こういう検察官は辞職すべきである、と私は書いた。





婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1980 年 6月 6日号より)

闘いはこれから
---5.23狭山中央集会---
 
・・・弁護団の中山 武敏弁護士は、日付訂正問題にふれ、
「この発見事実を石川さんに伝えたとき、石川さんは『大丈夫か、弁護士の見間違いではないのか』とビックリしていた。これは、石川さんが(脅迫状作成に)関係していないからこそ出た言葉である」
 と“本人の記憶違い”としてゴマカしている四ッ谷決定を批判し、「検察庁の隠し持つ全証拠開示の運動を大きくもりあげてもらいたい」と訴えた。・・・石川さんは今年もメッセージで集会参加。一日も早く、壇上でアピールする石川さんの姿を見たいもの。・・・十七年の獄中生活に、ひるむことなく闘いつづける石川さんのメッセージである。・・・今集会では、「韓国」で立ち上がった闘う学生・民衆との連帯が強くアピールされ、・・・



婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1980 年 5月 23日号より)
四度目の現地調査
雨をついて

・・・有罪の判決を出した裁判官は全員、ドシャブリの雨の日、現場に来て、二時から夜の十時まで、石川さんのウソの自白のとおりに、ぜひ、歩いてみるべきだと思った。













じろぽんX さんのツイートより 2013(平成25)年7月28日

本日は神戸周辺で「狭山事件の再審を実求める市民の会神戸」主催で冤罪の石川さんの再審を求めるキャラバンをやっています。私は遠くて行けないのですがお近くの方はぜひ。ルートと時刻表はチラシを観て下さい。 pic.twitter.com/p3Ej5k7wuc


【狭山事件の再審を訴えるキャラバン】14時 <西宮市>JR西宮駅南口ロータリー付近にて情宣15時半<神戸市灘区>JR六甲道駅南・六甲道南公園北出入り口付近にて情宣17時半 <神戸市長田区>高速長田駅前にて情宣☆各所、30分程度です。お近くの方はぜひお立ち寄りください☆


【狭山事件の再審を訴えるキャラバン】の記事(2013.07.29神戸新聞)




100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ

ドキュメンタリー映画
『みえない手錠をはずすまで』予告編
(ポスターの画像はコチラから頂きました

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June 06, 2013

1979(昭和54)年6月6日

 [[財田川事件]]で、[[再審開始]]、[[死刑執行停止]]決定が下される([[高松地裁]])
 →[[検察側]]が[[即時抗告]]を行う/[[1979(昭和54)年6月11日]]

財田川事件

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May 16, 2013

1979(昭和54)年5月16日

[[狭山事件]][[再審]]弁護団が、[[石川一雄さん]]の「[[自白]]」と違う[[脅迫状]]の日付訂正の問題につき、記者会見を行う。
 当日・翌日の[[NHK]]テレビ、全国の新聞や「[[アサヒグラフ]]」で報道される。


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December 17, 2012

1979(昭和54)年12月17日

 [[梅田事件]]で、[[第二次再審請求]]を行う([[釧路地裁]][[網走支部]])。

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December 06, 2012

1979(昭和54)年12月6日

 [[松山事件]]で、[[再審開始]]、[[死刑執行停止]]決定が下る([[仙台高裁]])。
 →[[検察]]側が[[即時抗告]]を行う([[12月10日]])。

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November 21, 2012

1979(昭和54)年11月21日

 「[[いわき狂言強盗事件]]」で、[[再審]][[無罪]][[判決]]が下る([[いわき]][[簡易裁判所]])。

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November 15, 2012

1979(昭和54)年11月15日

[[富士茂子さん]]([[徳島ラジオ商殺し事件]]で第五次[[再審請求]]中)、亡くなる。


死後、再審無罪決定が下りました。ご冥福をお祈りします。

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November 08, 2012

1979(昭和54)年11月8日

 [[徳島ラジオ商事件]]で、[[富士茂子さん]]の姉妹弟が、[[徳島地裁]]へ、第五次[[再審請求]]を行う。

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October 23, 2012

1972(昭和47)年10月23日

 [[徳本事件]]で、[[最高裁]]が、[[特別抗告]]を[[棄却]]する。




徳本事件
参考人(元日本弁護士連合会会長)和島 岩吉
より


私が関与した幾つかの納得のできない再審事件について申し上げます。
 昭和三十二年、神戸の有馬街道上で起こった徳本事件は、神戸弁護士会、日本弁護士連合会で再審事件として取り上げ、私は、終始日弁連の人権委員の立場から弁護人としてこの事件に関与いたしました。
 この事件は、徳本吹喜雄という青年が、ほか二人とともに自動車運転手を襲い、強盗殺人事件として起訴され、終始否認のまま、ほか二人というのも判明しないまま裁判に付され、各審で有罪とされ、上告審で確定しました。



徳本は、この事件で未決勾留中に、同じころ同じ有馬街道上で同じ年ごろの三人組が、同じ手口で自動車強盗事件数件で起訴され、有罪判決を受けたが、なおほかに隠している同種事件のあることを同房の者に漏らしていたのを聞きました。
 しかも、その一人が徳本と年齢、容貌、体格が酷似していることを聞き、この三人が真犯人と信ずるに至り、保釈中、刑の執行間近になった三十六年十月に右の真犯人と目された三人を次々神戸に招致し、私立探偵の大塚義一氏の協力のもとに詰問しましたところ、徳本の前記事件は三人の犯行と自白し、大塚氏の手で自白調書がつくられ、その状況が録音されました。三人は、徳本にわびるとともに、自首するということになったのでありますが、このことが新聞に大々的に報道されました直後に、三人は態度を変えて、右の自白は、徳本とその協力者の監禁強要による虚偽の自白であるものと言い、警察は徳本及び協力者八名を逮捕し、起訴されるに至りました。



この公判で、はしなくも徳本の前記事件は神戸地裁で徳本が真犯人なりやの審理となりました。前後百三十回の公判が開かれまして、実に注目すべき判決となったのであります。前記三名から自白調書をとった大塚氏は無罪、徳本を初め他の協力者は、一年半から二年の求刑をされていましたが、一応有罪とはされましたが、各四十五日の懲役という名目だけの裁判になり、一年の執行猶予、徳本本人は四十五日のうち三十九日通算、六日という刑になりました。
 こういう名目の裁判で、何よりもこの判決で注目されましたのは、詳細な証拠を検討の上、裁判は、徳本の冤罪の主張はこれを首肯するに足る、おまえは無実だというのはもっともだという事実認定の判断が示されたのであります。



 これに対し検察官は、再審でもないのに徳本に対する前記認定は重大な事実誤認と控訴しましたが、控訴審も一審の前記認定を支持しまして、検事の控訴は棄却されました。この判決は結局確定したのであります。
 われわれは、この証拠を理由に神戸地裁に再審の請求をしましたが、意外にも他の部で棄却となり、大阪高裁に即時抗告をしました。高裁では、前記監禁強要事件の控訴と再審の抗告を同じ部で審理することとなりましたが、昭和四十三年十二月二十一日、前記の控訴も再審の抗告も、いずれも棄却となったのであります。
 これは奇妙なことであります。徳本の無実を肯定した一審の判断を支持した同じ裁判官が、再審を認めずに棄却しているのであります。こうしたことが国民の正義感情を納得させるでありましょうか。こうしたことがまかり通っているのが再審の現状であります。


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September 05, 2012

1979(昭和54)年9月5日

 [[いわき狂言強盗事件]]で、[[再審開始]]決定が下される([[いわき簡易裁判所]])。

9月5日誕生花おみなえし

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July 28, 2012

1979(昭和54)年7月28日

天の川









 [[狭山事件]]で、[[野間宏]]、[[安岡章太郎]]、[[日高六郎]]らを中心に、[[脅迫状]]の[[日付問題]]を討議する徹夜のティーチ・インが開かれる(〜7月29日)






本田美奈子 - 見上げてごらん夜の星を

本田美奈子- Amazing Grace



20080728rainbowosaka




 本日の大阪の天気:雷雨のち虹
http://atmospheric-optics.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_d172.htmlよりお借りしました。

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February 19, 2012

1979(昭和54)年2月19日

 [[牟礼事件]]で、[[第六次]][[再審請求]]が[[棄却]]される([[東京地裁]])。

参考ブログ)http://d.hatena.ne.jp/ystt/20090926/p1

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March 03, 1979

1979(昭和54)年3月3日

 
牟礼事件で、[[第七次]][[再審請求]]を行う([[東京地裁]])

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