1950(昭和25)年

November 27, 2012

1950(昭和25)年11月27日

 [[米「ライフ」誌]] が、[[松本治一郎追放問題]]を掲載する。





この追放をめぐって、政界に巻き起こした挿話があった。一九五〇(昭和二五)年十一月の「ライフ」誌米国版に、「マイ・ディア・ジェネラル」(元元師様へ)という題で、ジョン・オスボーンが、








吉田首相からマ元師など、総司令部にあてた書簡をスクープして掲載した。
私と、吉田の写真を大きく対比させた数頁にわたる記事である。








これは、狼狽した吉田政府の手廻しによって、日本版には載らなかったが、政界周知の話題となったものである。




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October 20, 2012

1950(昭和25)年10月20日

[[徳島県]][[富岡]][[簡易裁判所]]で[[差別事件]]が起こる。

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October 13, 2012

1950(昭和25)年10月13日

 [[吉田内閣]]により、「[[大和報国運動会役員]]」という名目で、唯一、一万九十一名の解除者から[[公職追放]](一九四九.一.二四)を除外された[[松本治一郎]]を、追放解除から除外せよとの[[抗議]]の[[声明書]]を、[[部落解放全国委員会]]が発表する。







 追放された二十四年一月二十四日、外相官邸で、吉田、幣原、松平の三人が非日委員会の具体化、反共国民運動の展開、特高警察の復活などの問題で会合した時、










松平議長が、吉田首相に、「松本を追放してくれてありがとう」と礼を述べているのを見ても、それがはっきりわかるではないか。










 請願審査委員会が決定した解除者は、私を含めて一万九十一名であったが、吉田首相の手を経て、総司令部に名簿が出されたときは、私一人だけが除かれて、一万九十名になっていた。










 よく調べてみると、委員会の方には、私の解除を当然のこととして、勿論名簿にも氏名を入れているし、政府からの再諮問に対しても、断固はねつけていることが分かった。







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August 06, 2012

1950(昭和25)年8月6日


8月6日誕生花ジニア1950(昭和25)年8月6日
 [[吉田内閣]]により「[[大和報国運動]]会役員」という名目で[[公職追放]]された[[松本治一郎]]が、[[政界]]に復帰する。






川 ̄_ゝ ̄)ノ 

ラストメッセージ(全6集)第2集
「核なき世界を 物理学者・湯川秀樹」より





まがつびよ(わざわい)  ふたたび ここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここに

軒ちかき 竹の葉ずれの さやさやと 余の平安を 語るひねもす  

人の世を 短くといわず 永劫の まことに生きて 明日に死すとも








 「真理を探究するということは、結局は人類のためのものであると、そう単純素朴に考えてきておってそれで間違いないと思っていたら、がらりとかわっちゃった。私の人生観も非常に変わりましたね。別の言葉で言えば、わたしたちのような世間離れした学問をしている者でも、社会に対して責任があると。責任から逃れることはできない」









「核兵器は人類と共存できない。科学者が世界の現状を容認しているようでは、パグウォッシュ会議はその存在意義をうしなってしまうだろう」「ここに集まった学者の多くはモラルの問題には無関心で、多くは才気ある合理的な思考にしか興味がないようである。そうなると、いきおい、核抑止論の技術的考察だけが議論になる。考え込んでいたら頭痛がひどくなってきた。はじめは我慢していたが、だんだん気分が悪くなる一方で、最後の2日間はホテルの部屋に引きこもって寝ていた」








「一日生きることは一歩進むことであれ」

「ラッセル・アインシュタイン宣言から20年も経つのに我々はなにをしてきたのか。核廃絶への道を妨げてきた最も重要な因子の一つは核抑止という考え方なのではないでしょうか」



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February 02, 2012

1950(昭和25)年2月2日

 [[滋賀県]]で、[[列車内暴行事件]]が起こる。
 [[犯人検挙]]に、[[武装警官]]を動員し、[[部落]]のみを対象として一四名が[[検挙]]される。
 [[部落解放全国委員会]]本部より、調査団を派遣され、[[闘争本部]]を設置される。

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November 25, 2011

1950(昭和25)年11月25日

 [[全国部落代表者会議]]([[東京]])において、[[松本治一郎公職追放]]解除除外につき、抗議方針を決定する。
 一、[[吉田内閣]]への抗議の[[国会]]質問
 二、各[[政党]]・[[民主団体]]への働きかけ
 三、[[吉田首相]]への面接抗議

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