1977(昭和52)年

September 08, 2013

1977(昭和52)年9月8日狭山事件(1963)の石川一雄さんが東京拘置所から千葉刑務所へ移監(1994年12月21日、再審請求中で仮出獄)とそこで知り合った冤罪事件の被告・被疑者

 
 [[狭山事件]]で、同年[[8月9日]]の[[最高裁第二小法廷]]([[吉田豊裁判長]])による[[上告棄却]]、8月16日「[[無期懲役]]」確定により、
 [[石川一雄]]さんが、東京拘置所から千葉刑務所に移監される
 (1994年12月21日、再審請求中で仮出獄)

*石川一雄さん、移送の経過

1963年 5月 1日 事件発生
       5月23日 別件逮捕 24才
       6月17日 狭山署から川越署分室
       6月23日 「自白」
       7月 9日 起訴・浦和拘置所
       9月 4日 浦和地裁 第1回公判 起訴事実認める
1964年 3月11日 浦和地裁 第12回公判 「死刑」判決 内田武文裁判長
       3月12日 控訴
       4月30日 東京拘置所へ移送
9月10日 東京高裁 第1回公判 久永正勝裁判長 「否認」
〜「俺は殺していない」
1968年11月14日 第30回公判 「自白」図面の筆圧痕から事実調べ継続。
1969年 1月 7日 津田正良裁判長に
1970年 4月21日 公判再開。井波七郎裁判長
1972年11月28日 井波退官
1973年11月27日 公判再開(寺尾正二裁判長)
1974年 3月22日 寺尾、証人、証拠調べの大部分を却下
       5月23日 第75回公判 事実調べ終了。石川さん、生い立ちを陳述
       9月26日 第81回公判 弁護団、最終弁論
      10月31日 第82回公判 「無期」判決 寺尾裁判長
1976年 1月28日 最高裁へ上告
1977年 8月 9日 上告棄却(第2小法廷 吉田豊裁判長)
       8月30日 再審請求(東京高裁へ)
       9月 8日 千葉刑務所へ移監
1980年 2月 5日 再審請求棄却(第4刑事部 四ッ谷巌裁判長)
       2月12日 異議申し立て
1981年 3月23日 異議申し立て棄却(第5刑事部 新関雅夫裁判長)
       3月30日 特別抗告(最高裁へ)
1985年 5月27日 特別抗告棄却(第2小法廷 大橋進裁判長)
1986年 8月21日 第2次再審請求(東京高裁第4刑事部へ)
1994年12月21日 「仮出獄」 55才 31年7ヶ月ぶりに狭山に戻る


*冤罪事件の被告・被疑者との交流について
(東日本部落解放研究所第26回研究者集会・石川さんの報告とインタビュー)より
千葉刑務所以来交友のある布川事件の桜井さんやその後知り合った足利事件の菅谷さんとは近しくしていただき、集会等で参加していただくなど励ましや支援をいただいている。

 三鷹事件の死刑囚竹内景助さん(無罪を訴えていたが獄中死、現在遺族によって死後再審請求中)には、東京拘置所で話しかけられ、色々教えられ、本当のことを言うよう諭された。(1964年9月10日、東京高裁における控訴審第1回公判において)真実(無実)を訴えるきっかけになった


*布川事件の桜井昌司さんと杉山卓男さんは、1978年に千葉刑務所に服役し、1996年11月に仮釈放されました

*足利事件の菅家利和さんは、2000年10月30日に千葉刑務所に収監され、2009年6月4日、東京高検が刑の執行停止を決定し、千葉刑務所から釈放されました

*三鷹事件の竹内景助さんは、1949年 8月1日 逮捕で武蔵野署、1949年 8月 4 日 八王子少年刑務所へ移監、1949年 8月 20日 府中刑務所に移監、1949(昭和24)年 11月 4日 一審公判開始頃 東京拘置所へ移監、1967(昭和42)年 1月18日 東京拘置所で獄中死(享年45)されました

*袴田事件の袴田巌さんは、1968年9月11日から、2010年1月1日の42年間で「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定され、現在も東京拘置所に収監されています

*田園調布資産家事件の折山敏夫さんは、狭山事件の石川一雄さん(1977移監)が1994年仮出所した後の、1995年に千葉刑務所に服役し、2007年11月に満期出所されています




*千葉刑務所でのツイートより

塀の中からスムーズに社会復帰するために〜元受刑者に学ぶ どんわんたろうマガジン9 http://www.magazine9.jp/don/111102/
「語ってくれたのは殺人罪などに問われ冤罪を主張し続けたものの懲役20年の刑が確定した折山敏夫さん。千葉刑務所で満期まで服役し07年に出所した経歴を持つ」


2001年1月6日宮城県で、守大助君が、警察の捏造により、殺人・殺人未遂で逮捕され、現在無期懲役で千葉刑務所に収監されております。今日で4629日目。今日も獄中で6時40分起床。これは冤罪です。http://mori-daisuke.seesaa.net



*東京拘置所でのツイートより

今日8月18日は袴田巌さんが逮捕された日。この日から47年も袴田巌さんは拘束され続け無実の死刑囚として今この瞬間も東京拘置所にいます。一刻も早い再審を!

練馬一家五人殺害事件   
朝倉 幸治郎(あさくらこうじろう)▼1935年秋田出身▼1983.6.27 白井一家5人を殺害▼1985.12.20 東京地裁で死刑判決▼1990.1.23 東京高裁で控訴棄却▼1996.11.14 最高裁で上告棄却。死刑確定▼2001.12.27 東京拘置所で死刑執行。66歳。


2013年9月4日(水)東京地裁10:00〜。公務執行妨害、暴力等に関する処罰事件。東京拘置所ないで不正を訴えたら職員に暴力を振るわれ、逆に公務執行妨害で訴えられ被告人とされ、被告人が裁判所に上申書を提出。是非、傍聴下さい



*三浦和義対談集『敗れざる者たち』(ぶんか社 2008年)
Part7 田園調布資産家殺人事件 折山敏夫(元受刑者) より抜粋
三浦)ボクが「ロス疑惑」で最初に逮捕されたのは、一九八五年の九月一一日でした。同じ時期、警視庁の取調室には、ボクと同じように毎日大声で怒鳴られて、取り調べを受けている人間がいたんです。後になって、それが「田園調布資産家殺人事件」の犯人とされた折山敏夫さんだと知ったんです。・・・

折山)逮捕の二か月ぐらい前に、新聞をはじめとしたマスコミが私の友人、知人に取材しているんです。周りから「折さんのことを嗅ぎ回っているけど、何かあったの?」という声は聞こえてました。

三浦)それは、警察がリークしてメディアを動かしたんだ。ボクの場合とまったく同じですよ。それでどういうかたちで逮捕されたんですか?・・・

折山)私は深夜に逮捕されたので、そのまま一睡もせずに、翌日の夜まで怒鳴られ続けて、いきなり精神的に追いつめられてしまいました。・・・
三浦さんが入ってきた九月一一日も、私は厳しい取り調べを受けていたのですけれど、何か急に刑事たちの雰囲気が変わったんです。三浦さんに対する罵詈雑言が聞こえてくると、ヤツらも聞き耳を立てている。数日後、私の取り調べに支障をきたすということで、部屋を移ったくらいですからね。・・・

河村)上申書を読むと、折山さんは本当に警察に協力しているんですよ。協力することで自分の無実を警察に晴らしてもらおうとしている。多分、そうなったら、大多数の人がそうするかもしれません。警察は味方だと思っているから。・・・

折山)黙秘しなくても、事実を話さずに、警察から言われるままの自白調書を書いておけば、それが逆の証拠になって、無罪になったんだろうと思います。そのことは、後から別の弁護士さんに言われました。矛盾が出てきますからね。ところが私は全部しゃべったから、全部、こちらの証拠を潰されてしまった。・・・

三浦)そういえば、折山さんが満期が近づいてきたとき、ボクが「クルマで迎えに行きます」とハガキを出したのに、どうして遠慮したんですか?

折山)いざ出所となると、逆に、外の人間と交流するのが、怖かったんです。三浦さんとは、拘置所のときから手紙のやり取りをさせてもらっていたけれど、あの時点では話したことがなかった。ただ、二十三年間も世間から隔離されていると、得意だったはずの人付き合いが苦手になるのかと、ショックでした。」

三浦)いまでもボクが怖いですか?

折山)いえ、三浦さんは、もう大丈夫です(笑)。ただ、初対面の人は、ちょっと怖い。それに、いまだに街中や駅で、人の流れに乗れないところはあります。

河村)ボクがすごく不思議に思うのは、あの当時、二つの事件をマスコミが騒ぐだけ騒いでムードを作り、それから逮捕という状況が生まれました。さらには、ともに四〜五年間も確証は得られなかった事件なのに、そのまま同時期に逮捕になった。そこに何かがあるんじゃないかとも感じるんです。

三浦)捜査一課長も、東京地検の検事正も、警視総監も一緒だというね。

折山)私の場合、捜査四課が担当だったんです。四課が殺人事件を管轄するのは非常に特殊なケースで、警視総監直轄というかたちになるんです。つまり私の事件は、警視総監の命令があった可能性もある。私が逮捕される一〜二か月前に警視総監が替わっているし、同時期に捜査四課も替わっています。

三浦)警視総監は、鎌倉節(さだめ)でしたよね。ボクが逮捕されたのも、鎌倉節が参議院選挙に出馬するために、人気取りでやったという噂があった(笑)。・・・

折山)当時は考えも及ばなかったけど、いまは思うんですよ。政治的なポイントを稼ぐために、前任の警視総監が手を出せなかった、世間的に注目度の高い事件をターゲットにしたんじゃないかとね。私の事件では、白骨死体が発見された福岡に捜査本部があったので、本来はそっちに渡すべきだった。それをわざわざ警視庁に持ってきたのも、おかしいんですよ。

三浦)まあ、いまさら警察の事情を探っても、仕方ありませんけれどね。それで折山さん自身は、冤罪を晴らすために、今後、どのような活動をしていこうとお思いなんですか?

折山)現在なら、佐藤さんとされた遺体のDNA鑑定をすれば、一発で判明するはずなんです。それには遺族の協力が不可欠ですから、説得できるだけ状況証拠や直接証拠を、自分で集めるつもりでいます。また、開設したブログで情報を発信して、ネットで協力を得ていく方法も重要だと思っています。

※ブログには過酷な取り調べを受けた日々を綴った「警視庁代用監獄136日間の記録」も掲載されている。この内容は小冊子になっていて、折山さんご本人が配布されている(入手方法はブログに記載)


対談では司会進行役の河村シゲルさんが「そのまま世の中に溶け込んで生活した方が楽だと思うんですが、出所後も折山さんは冤罪を主張し続けている。何かを感じずにいられません」と語っておられましたけども、まったくだと思いましたよ・・・


*獄中からや仮釈放中、満期出所後に、冤罪を訴えているすべての事件の早期の再審開始を求めます


*「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」へのリツイートをよろしければお願いします



*東京高裁前連続アピール行動
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
 東京、兵庫、大阪での上映会のお知らせ / 予告編
「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督



*三浦(和義)さんの一周忌 (「田園調布資産家殺人事件」HP/2009年10月15日)より

 三浦さんと結構長い交流があったせいで、僕は彼が自殺などするわけが無いと確信しているので、彼の死の真相が知りたいのです。追悼はそれからです。・・・
ヴェールに覆われた塀の中での出来事だから、内部告発でもない限りは何が起ころうと、真相の解明が出来ないのは、開かれたアメリカでも同じだということでしょうか。


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August 30, 2013

1977(昭和52)年8月30日狭山事件で第一次再審請求(〜1985年5月27日)と「スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌」の鑑定論争/裁判所は鑑定尋問による事実調べを!

部落解放・人権研究所編『部落問題人権事典』より
*二審終了まで
1974年10月31日、東京高裁の寺尾正二裁判長は、無期懲役判決を行なった。
石川さんはただちに上告し、さらに筆跡・足跡等の鑑定書を提出。
しかし最高裁は事実審理を行なうことなく、
1977年8月9日、上告を棄却した。これによって2審の無期懲役判決が確定

それに対し、1977(昭和52)年8月30日  [[狭山事件]]で、[[無期懲役]]が確定となった[[石川一雄]]さんが、弁護団と[[東京高裁]]に第一次[[再審請求]]を行なう。

*第一次再審請求終了まで
1977年8月30日、弁護団は東京高裁に対して再審請求を行なった。
1977年9月8日、石川さんは千葉刑務所に移された。
脅迫状の日付訂正個所が自白と食い違うことが明らかになり、新証拠として提出されたが、
1980年2月5日付で東京高裁第4刑事部・四ツ谷巌裁判長は、証人尋問や現場検証などの事実調べをまったく行なうことなく、再審請求を棄却。
弁護団はただちに異議申立をしたが、
1981年3月25日付で東京高裁第5刑事部・新関雅夫裁判長は、やはり事実調べを行なうことなく異議申立を棄却した。
続いて弁護団は最高裁に特別抗告を申し立てた。証拠開示によって小名木証言が明らかになり、新たな法医学者の鑑定など、自白の信用性を揺るがす新証拠が次々に明らかになったが、
1985年5月27日付で最高裁第2小法廷(大橋進裁判長)は、事実調べを行なうことなく抗告を棄却した。



8月30日誕生花かやつりぐさ
スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌の鑑定論争についての関連リンク

*東京高裁に再び生越鑑定を提出し星野鑑定の誤りを指摘

*星野・阿部鑑定書(スコップ附着物)を証拠として提出する捜査本部の部落差別性

*三者協議(2012年8、9月)でスコップ土壌について検察官意見書に再反論する大橋第2意見書提出

*狭山事件特別抗告申立書補充書より スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌
第一次再審における「スコップ」
(1)再審棄却決定の判断の不当性
 再審棄却決定は、星野鑑定は、スコップ付着土壌と死体埋没場所土壌の「類似性の有無に関する資料を求めるため」行われたものであり、「期待されていた証明力に限度があった」と述べている。しかし星野鑑定に期待されていたのはスコップに付着していた赤茶色の粘土様土壌(一)Pと、死体埋没場所で採取したという赤茶色の土E、Fが高度の類似性を持つことを明らかにすることによって、スコップが死体埋没に使われたものであることを証明することであった。再審棄却決定の右のような判示は、生越鑑定によってその欺瞞性が暴露されたことを誤魔化すためのものであることは明らかと言わなければならない。
 同決定はまた、生越鑑定を「総合認定の一資料である星野正彦の鑑定書について、一部その不備を指摘する意味は持ちうるとしても」と述べて、その意義を過少に歪曲しているが、肝心の「総合認定」の内容について何一つ述べていない。上告審棄却決定と同じように、それが「犬は顔見知りの人には吠えない」という迷説を指すのだと想像されるが、もう沢山というほかない。

(2)異議申立棄却決定判断の不当性
 異議申立棄却決定は、再審棄却決定に対する弁護人らの主張を「所論のようなかしはない」として斥けたうえ、弁護人らの主張に反論して独自の論を展開してみせる。要約すると、
 「問題の(一)Pの土壌は、本来そのままでスコップに付着していたものではなく、a、b、dの三種の土壌を混合したものであるから、混合された土壌の砂分、粘土分の重量構成比が変わるものであることは計算上明らかなことである。例えば現場土壌の(三)のA(黒ボク土)と(三)F(赤茶色粘土様土壌)を2対1の割合で混ぜれば、計算上(一)Pと同じような重量構成比を有する土壌がつくり出せる。従って混合土壌の(一)Pの重量構成比の数値を以て、(一)Pを、いかなる現場土壌とも異質であるとする弁護人らの所論は理由がない。」
 と述べるのである。
 しかし、a、b、dを混合して(一)Pとしたのは、星野鑑定人が他の黒ボク土と区別され、同じ赤茶色の粘土様土壌であると判断したからであり、同種の土を混合しても性質が変わることがないのは自明の理であり、このような決定の論理が誤りであることは明らかである。

(3)特別抗告棄却決定判断の不当性
 特別抗告棄却決定もまた、星野鑑定が(一)a、b、dを混合して(一)Pとして類似性判断の資料としたことを、「必ずしも当を得ない」としている。これに対しては、前述の異議申立棄却決定に対する反論がそのまま妥当するので、ここでは繰り返さない。
 同決定は続いて、(一)Pと死体埋没穴付近から採取された土壌とが「異なるからといって(一)Pを構成する(一)a、(一)b、(一)dの各土壌のいずれもが、死体埋没穴付近には存在しない土壌であるとまではいえない。」と述べている。
 この記述の限りでは、それが、(一)Pの組成要素であるa、b、dがそれぞれ異質であることを前提として、(一)Pと死体埋没穴付近土壌とを較べても意味がないと言おうとしているのか、また死体埋没穴付近には採取資料以外の性質の土壌が存在していたかも知れないから、と言おうとしているのか必ずしも明らかではないが、前者とすれば、これに対する反論はすでに述べたとおりである。また後者とすれば、それは全くの仮定的想像に過ぎず、このような根拠のない推測に対しては反論の必要さえないと言わなければならない。
 決定はさらに、スコップ付着の(一)C1や(一)C2の土壌と死体埋没穴付近の土壌との砂分・シルト・粘土分の重量構成比以外の検査結果を指摘して両者の類似性について述べている。
 しかし、これは生越鑑定書が明らかに述べている土壌分類の第一の基準を無視した議論であり、土壌分類としての類似性とは無関係の、ただそれぞれの数値が近いというだけの無意味な議論にすぎないのである。

(4)以上要するに、再審申立手続き中に裁判所がした決定は、生越鑑定書の述べる、「本件スコップには死体埋没穴付近の土壌とは異質の土壌が付着していた」という事実を否定する何ら納得的な説明をしていないだけでなく、各決定もそれぞれ、「本件スコップには、死体埋没穴付近の土壌と類似性が高い土壌が付着していた」という星野鑑定の証明力を否定ないしは極めて低いものであると認めるに至っているのである。



東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
鑑定人尋問や現場検証などの事実調べをおこない、
すみやかに狭山事件の再審を開始してください

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*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』予告編 
近々完成


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August 16, 2013

1977(昭和52)年8月16日 狭山事件 異議申し立て却下で無期懲役確定→「自白有罪例」の教材に

[[1977(昭和52)年8月16日]] [[狭山事件]]で、[[最高裁判所]][[第二小法廷]]([[吉田豊]][[裁判長]])が異議申し立てを却下し(15日付)、原判決の「[[無期懲役]]」が確定します。

 そして 判決文の二例は 「自白の信用性−被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として」という司法修習生向けの教材に使用されています

 そういうことがあるとわかっているならなおさら、裁判所は公正に、口頭弁論を開き、事実調べを行った元で、判決文を書くべきではなかったでしょうか?

[[1971(昭和46)年8月16日]] [[狭山事件]]で、[[第五三回]][[公判]]が開かれる。
 ([[証人]]・[[青木]][[県警警部]]、[[関源三]][[巡査部長]])


8月16日誕生花ブーゲンビリア
*足利事件、志布志事件(平19.2.23)、布川事件、氷見事件(平19・10・10)、福岡爪ケア事件、東電OL事件の再審無罪判決が、裁判所で言い渡されたことは、記憶にもまだ新しいことと思います


*布川事件:教材で「自白有罪例」司法修習生ら向け91年出版、最高裁は改訂明言せず(毎日新聞2011年12月10日)
『自白の信用性−被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として−』財団法人「法曹会」
「人権侵害の恐れ」「旧来の判断基準を示し続けることは法曹養成のうえでも不適切」

 教材本では布川事件について、捜査段階の「自白」に不合理な点があるものの、「凶行直後あるいは凶行時の興奮、狼狽(ろうばい)の心理状態」「少しでも罪責を軽減しようと、ある事実を秘匿したり、ことさら虚偽を混じえて供述」などの理由から生じ、「一応の説明がつく」と記述している。そのうえで「自白全体の信用性に影響しない」と述べ、元被告を犯人扱いしている。



* [Web] "最高裁「当時、その判断をしたことは事実なので、過去にさかのぼって修正などをすることはない」" - 裁判所HPではまだ「犯人」 足利事件判決文、重要判例で掲載 |下野新聞 2010年5月24日

菅家さんは「完全無罪になったはずなのに…」と困惑した表情を浮かべる。主任弁護人を務めた 佐藤博史弁護士も「誰でも閲覧可能なので、無罪が確定したことも補足してほしい。 裁判所が(誤判を冒したという)自分の恥をさらし続けている状態だ」とあきれる。
一方、最高裁は「当時、その判断をしたことは事実なので、過去にさかのぼって
修正などをすることはない」と説明。今後も公開を続ける。



court:再審無罪となったら、過去の判決文はどう扱うべきか
まさに、裁判所が誤判を冒したという恥をさらし続けることに意味があるのである。
その上で・・・再審により取り消されたことを付記する措置は一般的にいって付けることが望ましい。


* 北九州爪切り事件の福岡高裁判決文 - リハ医の独白
いくらケアだと言っても刑事は理解してくれず・・・供述調書の署名も、これをしなければ自分はどうなるか分からず・・・サインをした


*布川事件:無罪判決 誤審原因究明に対しては「無言」2011年 http://aspara88.wordpress.com/2011/06/09/ 「客観的な証拠を示すのは検察の責任・・・それをチェックするのが裁判所・・・被告が否認し物的証拠もないような事件の場合にはなおのこと・・・司法は死んでいると思われても仕方ない」




*2013年8月13日は吉田岩窟王事件発生100年。
50年後の無罪判決に「被告人と云うに忍びず過誤を只管陳謝する」とありますhttp://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/E3CE99B8A37F38A149256CFA0006761E.pdf … … …


*事件発生から50年、現在、第三次再審請求中の狭山事件の判例も、裁判所HPに三例掲載されています(2013年現在)。

「判例は司法判断の積み重ねで、後の裁判の予測可能性を示す資料なので、冤罪であったとしても掲載は続けるべきだ」という立場で、長い裁判の末に、再審無罪判決が勝ち取られた足利事件、布川事件の元被告を、永久に「有罪」扱いすることは、50年前に吉田石松翁が勝ち取った「わが裁判史上曽つてない誤判をくりかえし、被告人を二十有余年の永きにわたり、獄窓のうちに呻吟せしめるにいたつたのであつて、まことに痛恨おく能わざるものがあるといわねばならない」という、国民の立場にたった有名な判例をないがしろにしていると思うのです・・・


*裁判所HPでいまだ「犯人」扱いが続く足利事件や、法曹会の教材では「自白有罪例」になっている布川事件に対し、最高裁に直ちに改訂を求めます

*布川事件「有罪」改訂をのツイート

*狭山事件の裁判の経過
 狭山事件〔石川一雄さん(当時24歳)〕
◆1964年(昭39)
◇3月11日 第1審浦和地裁、石川さんに死刑判決を言い渡す。
◆1974年(昭49)
◇10月31日 第2審東京高等裁判所、無期懲役の判決を言い渡す(寺尾判決)。(高判昭49・10・31刑集27-5-474K)全文
◆1977年(昭52)
◇8月9日 最高裁判所(第2小法廷)、口頭弁論もおこなわずに上告棄却の決定。(最判昭52・8・9刑集31-5-821)
全文
◇8月16日 最高裁判所、異議申し立てを却下(15日付)。原判決の無期懲役が確定。
◆1980年(昭55)
◇2月7日 東京高等裁判所、第1次再審請求を棄却。
◆1981年(昭56)
◇3月25日 東京高等裁判所、事実調べを一切おこなわず、異議申し立てを棄却。
◆1985年(昭60)
◇5月28日 最高裁判所第2小法廷、第1次再審請求の特別抗告を棄却
◆1999年(平11)
◇7月7日(付) 東京高裁第4刑事部(高木俊夫裁判長)、狭山事件の第2次再審請求を棄却。
◆2002年(平14)
◇1月23日(付) 東京高裁第5刑事部(高橋省吾裁判長)、狭山事件の異議申し立てを棄却。
◆2005年(平17)
◇3月16日(付) 最高裁第一小法廷、第2次再審請求を棄却。(最判平17・3・16)
全文(裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴)





*また、狭山事件の他にも、現在再審請求中の事件の、事実に反する判決文も、将来裁判官になる人たちの判決文を書く練習台にされる例があると知れました。
悪判決文もまた判決文なり。
冤罪が晴れるまでは抗議する権利もありません。
>冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文が「判例タイムズ」に掲載


オリセンさんのツイートより 10年4月5日
冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。http://ennzai.yokochou.com/simpleVC_20100405183807.html 読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。

 
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100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を


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August 11, 2013

1977(昭和52)年8月11日狭山事件特別抗告棄却に対する異議申立書提出と、「不見当」では済まされない「O車駐車」に関する証拠開示

[[狭山事件]]で、[[石川一雄]]さんと[[弁護団]]が、[[最高裁判所]]([[第二小法廷]])へ[[異議申立]]書を提出する。


*7月26日開催の「狭山事件第14回三者協議」がなぜかマスコミ報道されず。

狭山茶さんのメルマガ「狭山の風」に「解放新聞」の記事を全文掲載。
勝どき・狭山事件の会HPにも転載。

・・・7月26日におこなわれた第14回3者協議について・・・
「O車駐車」にかんする捜査資料の開示については開示を求めた証拠すべてについて「不見当」としている。弁護団は回答は納得できないとして反論を提出することを裁判所に伝えた。・・・

今年1月に開示された「O車駐車」にかんする捜査書類に、これまで秘密の暴露だ
として有罪の根拠にされてきたものが、じつはそうではないことを示すものがふ
くまれていた。
被害者宅に脅迫状が届けられたのは1963年5月1日午後7時半頃とされている。
石川さんは6月21日、「(被害者宅の)東隣の家の前の道に小型貨物自動車が東向き
に停まっていました」と自白している。車の所有者が一審で、「7時すぎ頃から40分
くらいの間」東向きに駐車していたと証言したことから、「捜査当局としては、被
告人が自白するまでO車駐車の事実を知らなかった」として、秘密の暴露だとして
きた。
しかし、開示された証拠からは、O車が駐車した時間帯は5時半頃から2,30分くら
い、と当人や近隣の住民が答えていることが明らかになった。また、ほかの捜査報
告書では、7時半頃の道路上の自動車駐車などで、この地域の17戸のいずれからも
「同時刻ころの駐停車について何らの情報を得られなかった」としているのだ。
弁護団は、秘密の暴露にあたるのかどうかをはっきりさせるために、6月21日まで
に実施された捜査関係書類の開示、O車の所有者関係の捜査関係書類などの開示を
求めている





*口頭弁論を開かず、一度の事実調べも行なわず、「はじめに上告棄却ありき」とマスコミに批判された判決文 狭山事件 最二決昭52・8・9刑集31-5-821(上告棄却)
より「秘密の暴露」を転載(最高裁判所第二小法廷 吉田豊裁判長)


D 秘密の暴露


一、鞄が最初の捜索では発見されなかったこと、
鞄の発見された場所一帯がいわゆる山狩による
捜索の対象となっていたこと、鞄の発見以前に
すでに善枝の所持品である自転車の荷掛用紐及び
教科書類が右の雑木林で発見されていること、
被告人の鞄を捨てたときの状況に関する供述が
細部ではくいちがいがあること、
鞄の下から発見された牛乳びん、ハンカチ及び
白三角布について被告人が記憶がないと言っていること、
などを考慮に入れて、記録を詳細に検討したが、
本件鞄の発見過程につて捜査官になんらかの
作為があったと疑わせる証跡は見いだせない。
それ故、本件鞄は、善枝の所持品であって、
被告人が本件犯行現場から持ち去りその所産を
秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて
発見されたものであるとの原判決の認定は、
正当である



二、捜査官がこの場所を見落すことはありうるような
状況の隠匿場所であるともみられる。従って、
二度の捜索によって発見されなかった事実が
あるからといって、本件万年筆に関し
捜査官の作為が加っていたとするのは、
相当でない




三、捜査官は、同年六月二九日に至って同日及び
翌三〇日の二日間にわたり、その附近を捜索し、
また、近所の聞き込みを行ったが、
腕時計を発見するに至らなかったところ、
右捜索のあったことを知った近所に住む小川松五郎が、
同年七月二日に、右三差路附近の茶株の根元にあった
腕時計を発見したと警察に届出たことから、
本件腕時計(同押号の六一)を領置するに
至ったものである。してみると、本件腕時計の
発見について右のような経緯はあるにせよ、
本件腕時計は、被告人の供述に基づいて、
被告人が捨てたという場所の近くから
発見された関係にあるものということができる




四、第一審証人吉沢栄は、その時刻に自動三輪車で
同街道を通った事実があると述べている。
所論は、右事実は被告人の自供後に判明したものではない、
というが、警察官石原安儀の原審証言によると、
この事実は、被告人の自供の裏付捜査として
同日同時刻ころ自動三輪車を運転して鎌倉街道を
通った者の有無を捜査した結果判明したというのであり、
これによれば、右事実は被告人の自供によって
初めて判明するに至った事実であると認められるから、
被告人の供述は他の証拠によって裏付けられた
十分信用に値いするものであると評価した
原判決の判断は、正当である









愚ブログより

*(参考)『自白の信用性―被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として―』という教材の『事例カード』

 一、二審と裁判と弁護団が最高裁に提出した上告趣意書の中では、この自白について大きく二つの点が争われています。
 一つは、この自白が警察官・検察官による強制とか誘導とか約束によらず任意にされたかどうか、被告人から自発的になされたかどうか、です。
 もう一つは、この自白が果して真実のものかどうか、それとも虚偽・架空のものであるかどうか、が争われています。
 これらの点(自白の任意性、信憑性)は相互に関連しているのですが,どのようにすれば私達は真実を見出すことができるのでしょうか
 多くの冤罪事件等の裁判の経験は次のいくつかの方法---判断基準を示しています。例えば、
 一、自白が他の物証・客観的事実と合っているかどうか、
 二、自白が真犯人しか知りえず第三者の知りえない事情を述べているかどうか、
 三、自白に重要な事実について述べていない欠落している部分があるかどうか、
 四、自白に著しい変遷があるかそれとも首尾一貫していたか、
 五、自白の中に相互に矛盾し食い違うような点があるかどうか、
 六、自白に明らかに社会的常識に反した不合理・不自然なところがあるかどうか
、などです。
 自白をみていく場合、このようなものさし---判断基準に基づく検討が必ず必要です。

(最判昭52・8・9刑集31-5-821)
最判昭52.8.9




* 石川一雄さんに対する有罪(無期懲役)判決文中の、「自白の経過」が「判例百選」に選出されている件について


刑事訴訟法判例百選][1977]最決昭和52年8月9日 狭山事件 社会的事実として一連の密接な関連があり、別件の捜査として事件当時の被告人の行動状況について同人を取り調べることが他面において本件の捜査ともなるときは、右逮捕・勾留中に本件について取り調べたとしても、別件逮捕とはいえない


憲法判例百選][33条][1977]最決昭和52年8月9日 狭山事件(百選第2版96) 別件と本件とが社会的事実として一連の密接な関連がある場合、本件についての第二次逮捕・勾留も、第一次のそれと実質的に同一の被疑事実について逮捕・勾留の期間の制限を免れるためにしたのでなければ適法である




このことにより 口頭弁論も事実調べも行わずに書かれた(現在再審請求中の)判決文も 法学部生が判決文を書く練習台に採用されることがあると知れたが

石川一雄さんが今の仮釈放中の身では、仮に、事実に反する判決文が、本人の承諾なく、将来裁判官になる人たちを育成する現場で 教材として使われていたことへの謝罪を求めたとしても 権利主張は受け入れられない・・・


*(参考)冤罪・田園調布資産家殺人事件の元被告折山敏夫さんのツイートとリンク先サイトより (20‏ 10年4月5日)
「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。 
読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」

「それまで裁判所というのは正義と公正さの象徴のように思っていたのですが、裁判官が悪意を持つと、ここまで徹底的に人を侮辱するのだと、認識を改めました。」




*狭山事件 最二決昭52・8・9刑集31-5-821(上告棄却)
より「自白の経過」(最高裁判所第二小法廷 吉田豊裁判長)を転載。

一、被告人は、捜査段階で自白して以来、
捜査段階、第一審の審理を通じて自白を維持し、
検察官から死刑の論告求刑を受けた後の
被告人の意見陳述の機会においても争わなかった
事実等に照らせば、被告人の原審における
右供述は真実性のないものであり、その他、
所論のいう約束
(「善枝ちゃん殺しを自白すれば十年で出してやる」)
があったことを窺わせる証跡はみあたらない。



二、第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず、
「本件」についても被告人を取調べているとしても、
それは、専ら「本件」のためにする取調というべきではなく、
「別件」について当然しなければならない
取調をしたものにほかならない

それ故、第一次逮捕・勾留は、専ら、
いまだ証拠の揃っていない「本件」について
被告人を取調べる目的で、証拠の揃っている
「別件」の逮捕・勾留に名を借り、
その身柄の拘束を利用して、
「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと
同様な効果を得ることをねらいとしたものである、
とすることはできない。
・・・


 しかも、第一次逮捕・勾留当時「本件」について
逮捕・勾留するだけの証拠が揃っておらず、その後に発見、
収集した証拠を併せて事実を解明することによって、
初めて「本件」について逮捕・勾留の理由と必要性を
明らかにして、第二次逮捕・勾留を請求することが
できるに至ったものと認められるのであるから、
「別件」と「本件」とについて同時に逮捕・勾留して
捜査することができるのに、専ら、
逮捕・勾留の期間の制限を免れるため罪名を小出しにして
逮捕・勾留を繰り返す意図のもとに、
各別に請求したものとすることはできない
。・・・


三、「別件」についての第一次逮捕・勾留と
これに続く窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件の
起訴勾留及び「本件」についての第二次逮捕・勾留は、
いずれも適法であり、右一連の身柄の拘束中の
被告人に対する「本件」及び「別件」の取調について
違法の点はないとした原判決の判断は、
正当として是認することができる




なお、この(最高裁の研修機関である司法研修所が、法曹関係者に向け1991年から出版している教材本)「自白の信用性-被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として-」の中に、自白を信用できる証拠として有罪に持ち込めた刑事裁判の例として、布川事件も引用されていることが明らかになった
弁護団は、自白は検察官の誘導で作り上げられた可能性が再審で明らかにされており、また、当事件を引用し続けることが人権侵害に当たるなどとして、最高裁に対し訂正を申し入れたが、最高裁は「検討中」であるとしたものの、改訂などについては言及を避けている。



100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を

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(ポスターの画像はコチラから頂きました)

*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』予告編 
近々完成




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August 09, 2013

1977(昭和52)年8月9日 【狭山事件の新証拠】36年前の8.9上告棄却判決文「秘密の暴露」は誘導によるもの

 * [[1977年]] - [[狭山事件]]で、[[最高裁判所]][[第二小法廷]]([[吉田豊]][[裁判長]])、1度の口頭弁論もなく、事実調べも行なわず、[[上告棄却]]決定をする。

なお、この上告棄却判決文の「秘密の暴露」(脅迫状を届けに行ったときにNさん宅の東側に車が停まっていたとの「自白」)は、(第14回目の三者協議2013.7.26で)開示された証拠により、警察の誘導によるものと判明した。
[秘密の暴露は誘導によるもの] より



*口頭弁論開かず 棄却 についてのツイート

*事実調べ 行わず 棄却 についてのツイート

*「誤判原因と再審」についてのツイートより

勝手にとちぎニュース  10年3月25日
誤判原因を示し、謝罪を」 判決控え菅家さん: 「地裁は誤判原因をはっきり示し、謝罪してほしい」−。宇都宮地裁で26日開かれる足利事件の再審判決… http://goo.gl/fb/Sj7j

八田隆  6月14日
布川事件は再審無罪の事件。しかし再審は誤判の解明はしない。冤罪の再発防止には、誤判の原因解明が不可欠。桜井昌司氏は国賠訴訟を通じてそれをしようとしている。司法の暗部に光を。@Shoji_to_Takao 冤罪・布川事件国家賠償請求訴訟第2回裁判〜6月26日(水)14:00より


斎藤司 ‏ 11年5月23日
布川事件は刑事司法の課題をいくつも示した。誤判原因としての取調べ、代用監獄、証拠開示の不備。さらには再審について明白判断のあり方、再審公判の位置づけなど。誤判原因の究明機関がない以上、再審公判が誤判原因を積極的に指摘することも許されてよいはず。期待してます。


Yamashita_y  11年5月25日
最近の再審事件では、裁判所が誤判原因の究明に踏み込まないことが続いている。誤判原因究明に必要な証拠調べ(担当捜査官の尋問等)を実施しようとしないこともある(弁護人が求めても認めない)。したがって、海外のように、誤判原因を… (cont) http://deck.ly/~nA7RB


Yamashita_y  ‏11年5月25日
私もそう思いますね。日弁連は、えん罪原因究明調査委員会を提唱しています。RT @h_nakaji: 再審公判に誤判原因の解明を求めるのは、筋道として過大な要求ではないか。むしろ、当該事件における誤判原因を究明するための調… (cont) http://deck.ly/~Xzkt5

 
斎藤司    ‏11年11月25日
仰る通りです。私もやれることを尽くしたいです。RT @ackkicki: 布川の闘いは、まだ終わらない。再審で無実を明らかにできたが、誤判原因の解明と冤罪の責任追及がまだ残っている。櫻井・杉山両氏がいまだに犯人であるかのように言っている警察・検察に正義の鉄槌を!裁判所も猛省を!


鉄馬 さん   ‏5月15日
RT @ackkicki
最新の再審。DNA型鑑定とかの新技術に関心が向きがちだが、古典的な誤判原因(見込み捜査、自白偏重、代用監獄、密室取調、調書裁判、警察盲信、誤鑑定、証拠隠し…)が消えるわけでない。これを直視しなれば刑事司法の改善はない。


*@ackkickiは 故秋元理匡(あきもと まさただ)弁護士のツイート


*(参考)『自白の信用性―被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として―』という教材の『事例カード』は狭山事件 最高裁上告棄却決定 昭和四九年(あ)第二四七〇号を例に作成されています。
狭山事件(強盗ごうかん、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等)
 ? 浦和地判39.3.11 最刑集31-5-980(死刑)
 ? 東京高判49.10.31 高刑集27-5-474(破棄自判、無期懲役)
 ? 狭山事件 最二決昭52・8・9刑集31-5-821(上告棄却)

 一、二審と裁判と弁護団が最高裁に提出した上告趣意書の中では、この自白について大きく二つの点が争われています。
 一つは、この自白が警察官・検察官による強制とか誘導とか約束によらず任意にされたかどうか、被告人から自発的になされたかどうか、です。
 もう一つは、この自白が果して真実のものかどうか、それとも虚偽・架空のものであるかどうか、が争われています。
 これらの点(自白の任意性、信憑性)は相互に関連しているのですが,どのようにすれば私達は真実を見出すことができるのでしょうか
 多くの冤罪事件等の裁判の経験は次のいくつかの方法---判断基準を示しています。例えば、
 一、自白が他の物証・客観的事実と合っているかどうか、
 二、自白が真犯人しか知りえず第三者の知りえない事情を述べているかどうか、
 三、自白に重要な事実について述べていない欠落している部分があるかどうか、
 四、自白に著しい変遷があるかそれとも首尾一貫していたか、
 五、自白の中に相互に矛盾し食い違うような点があるかどうか、
 六、自白に明らかに社会的常識に反した不合理・不自然なところがあるかどうか
、などです。
 自白をみていく場合、このようなものさし---判断基準に基づく検討が必ず必要です。


*口頭弁論を開かず、一度の事実調べも行なわず、「はじめに上告棄却ありき」とマスコミに批判された判決文を部分転載(最高裁判所第二小法廷 吉田豊裁判長)


A 自白の経過


一、被告人は、捜査段階で自白して以来、
捜査段階、第一審の審理を通じて自白を維持し、
検察官から死刑の論告求刑を受けた後の
被告人の意見陳述の機会においても争わなかった
事実等に照らせば、被告人の原審における
右供述は真実性のないものであり、その他、
所論のいう約束
(「善枝ちゃん殺しを自白すれば十年で出してやる」)
があったことを窺わせる証跡はみあたらない。



二、第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず、
「本件」についても被告人を取調べているとしても、
それは、専ら「本件」のためにする取調というべきではなく、
「別件」について当然しなければならない
取調をしたものにほかならない。
それ故、第一次逮捕・勾留は、専ら、
いまだ証拠の揃っていない「本件」について
被告人を取調べる目的で、証拠の揃っている
「別件」の逮捕・勾留に名を借り、
その身柄の拘束を利用して、
「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと
同様な効果を得ることをねらいとしたものである、
とすることはできない。
・・・



 しかも、第一次逮捕・勾留当時「本件」について
逮捕・勾留するだけの証拠が揃っておらず、その後に発見、
収集した証拠を併せて事実を解明することによって、
初めて「本件」について逮捕・勾留の理由と必要性を
明らかにして、第二次逮捕・勾留を請求することが
できるに至ったものと認められるのであるから、
「別件」と「本件」とについて同時に逮捕・勾留して
捜査することができるのに、専ら、
逮捕・勾留の期間の制限を免れるため罪名を小出しにして
逮捕・勾留を繰り返す意図のもとに、
各別に請求したものとすることはできない
。・・・



三、「別件」についての第一次逮捕・勾留と
これに続く窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件の
起訴勾留及び「本件」についての第二次逮捕・勾留は、
いずれも適法であり、右一連の身柄の拘束中の
被告人に対する「本件」及び「別件」の取調について
違法の点はないとした原判決の判断は、
正当として是認することができる



B 自白内容の変動・合理性



一、行動は活発で、関係地点も多岐にわたるほか、
犯行に伴う精神的興奮、緊張状態が存在したと
考えられるところから、自白の細部に食い違い
(不明確な点、触れられていない点)があった
としても不自然ではない






二、自白後は捜査段階、一審において終始犯行を
認めている(控訴審で否認)。
荒縄や木綿細引紐の使用方法についての捜査段階の
供述には微細な点で多くの食い違いがあるが、
被告人の知覚、表象、表現能力が低い上、
取調官が正確に記述する能力に乏しく
大雑把な録取方法を取る場合や、
被告人が意識的、無意識的に虚実を取り混ぜて
供述する傾向が顕著な場合には、
往々あり得ることである

 


C 体験供述

D 秘密の暴露


一、鞄が最初の捜索では発見されなかったこと、
鞄の発見された場所一帯がいわゆる山狩による
捜索の対象となっていたこと、鞄の発見以前に
すでに善枝の所持品である自転車の荷掛用紐及び
教科書類が右の雑木林で発見されていること、
被告人の鞄を捨てたときの状況に関する供述が
細部ではくいちがいがあること、
鞄の下から発見された牛乳びん、ハンカチ及び
白三角布について被告人が記憶がないと言っていること、
などを考慮に入れて、記録を詳細に検討したが、
本件鞄の発見過程につて捜査官になんらかの
作為があったと疑わせる証跡は見いだせない。
それ故、本件鞄は、善枝の所持品であって、
被告人が本件犯行現場から持ち去りその所産を
秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて
発見されたものであるとの原判決の認定は、
正当である



二、捜査官がこの場所を見落すことはありうるような
状況の隠匿場所であるともみられる。従って、
二度の捜索によって発見されなかった事実が
あるからといって、本件万年筆に関し
捜査官の作為が加っていたとするのは、
相当でない




三、捜査官は、同年六月二九日に至って同日及び
翌三〇日の二日間にわたり、その附近を捜索し、
また、近所の聞き込みを行ったが、
腕時計を発見するに至らなかったところ、
右捜索のあったことを知った近所に住む小川松五郎が、
同年七月二日に、右三差路附近の茶株の根元にあった
腕時計を発見したと警察に届出たことから、
本件腕時計(同押号の六一)を領置するに
至ったものである。してみると、本件腕時計の
発見について右のような経緯はあるにせよ、
本件腕時計は、被告人の供述に基づいて、
被告人が捨てたという場所の近くから
発見された関係にあるものということができる




四、第一審証人吉沢栄は、その時刻に自動三輪車で
同街道を通った事実があると述べている。
所論は、右事実は被告人の自供後に判明したものではない、
というが、警察官石原安儀の原審証言によると、
この事実は、被告人の自供の裏付捜査として
同日同時刻ころ自動三輪車を運転して鎌倉街道を
通った者の有無を捜査した結果判明したというのであり、
これによれば、右事実は被告人の自供によって
初めて判明するに至った事実であると認められるから、
被告人の供述は他の証拠によって裏付けられた
十分信用に値いするものであると評価した
原判決の判断は、正当である


E 自白と客観的証拠との符合性


一、(イ)脅迫状及び封筒とその筆跡並びに被告人の筆跡、
(ロ)犯行現場附近で採取された石膏足跡(石膏成型足跡)
及び被告人方から押収された地下足袋、
(ハ)被害者善枝の体内に残留していた精液の血液型及び被告人の血液型、
(ニ)死体とともに発見された手拭及びタオル、
(ホ)死体埋没現場近くで発見されたスコップ、
(ヘ)中田栄作方に脅迫状が投入された直前ころ
同家の所在を尋ねた人物に関する内田宰吉証言、
(ト)身の代金を受け取りに現われた犯人の
音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄の各証言



二、善枝の足にも木綿細引紐が巻かれたまま
死体が発見されていることから、・・・
首に巻かれた右木綿紳引紐を示されて、
「覚えがありません。然しその麻縄は梯子の
附近から盗って来た麻縄の様です。」と述べている
以上に具体的に触れていない。・・・
いずれにしても、被告人が右木綿細引紐の
具体的な用法について供述していないからといって、
被告人の自白全体の真実性に疑問を
差しはさむことは、相当ではない




三.被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、
本件兇行が行われた「四本杉」の所で
思案していた間のことで・・・被告人の
本件脅迫状及びその封筒の訂正に用いた
筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び
場所に関する自供は、客観的証拠によって
認められる事実とくいちがいがあることは
明らかである。しかし、このくいちがいは、
被告人が犯人であることについて
合理的な疑いをさしはさむほどのものではない




四、脅迫状等訂正の筆記具並びに本件万年筆の
奪取の時期及び場所について、本事件の犯行に
関する物的証拠の示す事実と被告人の自白内容との
間にはくいちがいがあり、また、被害者善枝の首に
巻かれていた木綿細引紐の用途について被告人は
供述しておらず、あるいは、右木綿紳引紐及び書抜の
足首に巻かれていた木綿紳引紐の出所について
明確な裏付けを欠く部分があるが、これらは、
いずれも自白の真実性に合理的な疑いを
抱かせるほどのものではなく
、また、
殺害の方法及び時刻、ごうかんの態様、
死体の損傷並びに死体の処置等についても、
自白内容と物的証拠との間に重要な齟齬はない


F 裏付けとなるべき物的証拠の不存在

G 犯行前後の捜査官以外の者に対する言動


被告人は、捜査段階では、
(イ)川越警察署分室の留置場の壁板に、
「じようぶでいたら一週かに一どツせんこをあげさせてください。
六・二十日石川一夫入間川」と詫び文句を爪書していること、
(ロ)同留置場で紙を裂いて、「中田よしエさんゆるして下さい」
と書いていること、
(ハ)昭和三八年六月二七日付で善枝の父中田栄作あてに、
「このかみをぜひよんでくださいませ中田江さくさん
私くしわ中田よしエさんごろしの石川一夫です」
との書き出しで、自己の家族をうらまないで下さいと
訴えた手紙を書いていること、更に、第一審において
死刑の判決を受けた後、付同三九年四月二〇日付で
原審裁判長にあてた移監の上申書の書き出しに、
「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し
三月一一日浦和の裁判所で死刑を言い渡された
石川一雄でございます。」と書いていることなど、
深い反省と悔悟の情を表わしている事実がみられる。
これらは、真実に裏付けられなければ
表現できないものであって、被告人の自白の
真実性を知る重要な手がかりとなる事実である



H 被告人の弁解



 二、捜査官の偽計による虚偽の供述との二審弁解は、
それ自体極めて不自然

 三、約束による自白との弁解は、二審で初めて
述べられたもので真実性がない。


I 情況証拠との関係


一、中田栄作方の近所の内田幸吉は、脅迫状が
中田家へ届けられたころ内田幸吉方を訪れて
中田栄作方はどこかと尋ねた人物は被告人に
相違ないと証言していること、
同日三日午前零時過ぎころ佐野屋附近で
犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄は、
いずれも犯人の声が被告人の声とよく似ていると
証言していること、以上の事実を被告人の自白を
離れても認めることができるとし、これらの事実は、
相互に関連しその信憑力を補強し合うことにより、
脅迫状の筆跡が被告人の筆跡であることを主軸として、
被告人が犯人であることを推認させるに十分であり、
この推認を防げる状況は全く見いだすことができない



二、中田栄作方に届けられた脅迫状の筆跡は、
被告人のものであること、昭和三八年五月三日
佐野屋附近の畑地で発見された足跡三個は、
被告人方から押収された地下足袋によって
印象されたものと認められること、
被告人の血液型は、B型(分泌型)であって、
被害者善枝の膣内に残留していた精液の血瀕型と
一致すること、善技を目隠しするのに使われた
タオル及び善枝の両手を後ろに縛り付けるのに
使われた手拭は、被告人が入手可能の状況に
あったこと
、死体を埋めるために使われた
スコップは、石田一義方豚舎から同月一日の
夜間に盗まれたものであるが被告人がかつて
同人方に雇われて働いていたことがあって、
右豚舎にスコップがあることを知っており、
容易にこれを盗むことができたであろうこと




*【狭山事件】は、1963年5月1日に事件が起き、同月23日に石川一雄さんが別件で不当逮捕された。1964年3月11日一審死刑判決、1974年10月31日二審無期懲役、1977年8月9日上告棄却。その後二度にわたる再審請求も棄却。現在、東京高裁で第3次再審が審理中です


*ドキュメンタリー映画
『みえない手錠をはずすまで』予告編 近々完成


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全面証拠開示と取り調べの全面可視化を


*2013(平成25)年7月26日に行われた狭山事件・第14回三者協議の結果報告


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August 01, 2013

狭山事件と 全面証拠開示と取り調べの全面可視化についての マスコミ報道

 [[読売新聞]]が「[[狭山事件]][[第二次再審]][[棄却]]――[[審理]]は尽くされたか おこなわれなかった[[事実調べ]]」と題する解説記事を掲載する。
1977.8.10読売新聞「社説」



1977(昭和52)年8月10日〜2002(平成14)年2月20日 間で
狭山事件を取り扱った読売新聞記事の論調は
全面証拠開示から 取り調べの全面可視化へ



《読売新聞、2002.2/20朝刊、13面「論点」》
読売新聞「論点」2002-2-20


指宿信(いぷすき・まこと)鹿児島大学教授(法学博士、刑事訴訟法専攻)
 先月二十三日、東京高裁は、いわゆる「狭山事件」について、被告人であった石川一雄氏からの再審請求を棄却した。ここでは、再審請求審理の中で求められていた「証拠の開示」問題を、現在進行中の司法改革において取り組まれるべき課題として考えてみたい。
 弁護団が強く求めていたのは、検察庁の手元にある、積み上げると二メートルにも及ぶといわれる未開示の証拠群へのアクセスであった。ところが、この要求は受け入れられることなく今般の棄却決定となっている。
 わが国では死刑囚による再審請求事件四件を合めて、数多くの再審事件で、元の裁判では被告側が触れることのできなかった証拠が重要な役割を果たしてきている。枚挙にいとまがないが、たとえば松山事件では、任意に検察側が開示した書状の通し番号の欠落から偶然にも重要証人の虚偽証言が明らかになった。梅田事件では、検察側から出された被害者の頭蓋写真が決定的な反証材料となった。再審事件のみならず、冤罪を訴えて無罪となった数多くの著名事件でも無罪方向の手がかりが得られたのは同様である。松川事件で被告人らのアリバイを証明する第三者のメモ帳が検察側によって秘匿されていた、いわゆる「諏訪メモ」はあまりに強烈な事例であろう。
 開示の経緯は、偶然や、検察側に理解があった場合、国民的な注目を集めた結果として開示されたものなど様々である。いま目を向けるべき点は、そうした証拠を被告・請求人側が知ることができなければどうなっていたか、ということである。わが国の刑事裁判では、証拠の収集と立証の責任を検察側に負わせ、被告側にも独自の訴訟活動を期待する「当事者主義」と呼ばれる構造を採用しており、相対する側に手持ちの資料や情報を開示することは、それと矛盾するという考え方がこれまで一般的であった。最高裁は一九六九年に、検察が法廷で利用しない証拠についても裁判所が個別に開示命令を出せることを承認したが、これも手続きの段階に制限を加えた非常に限定的なものにとどまった。
 他方、諸外国では九〇年代に証拠開示問題について劇的な変化を見せていることは注目に値しよう。たとえば、カナダ最高裁は誤判事件を契機に公判に入る前の段階で検察側に全面的な証拠開示義務があるとしたし、イギリスでもいくつもの誤判事件を教訓に、利用するしないにかかわらず検察側は手持ち証拠の一覧を弁護側に示すルールが定められた。近年、映画を通じて知られるようになった米国の「カーター事件」は再審無罪を勝ち取った事件だが、このケースは被告人に有利な証拠がルールどおりに開示されていなかりたことが重要なポイントてあった。これも、米国では通常審の開示ルールが整備されていたこと、そうした手続き違反を再審理由に認めていたからこそ実現したものである。
 わが国では通常審、再審請求審いずれにおいても、検察側には手持ち証拠の一覧すら開示義務がなく、被告・請求人は証拠の存在を知り得ない危険がある。これではたとえ裁判所に開示命令権があっても意味がない。とりわけ再審請求審では、未開示証拠へのアクセスは真実発見にとって替え難い。たとえ司法改革で通常審の証拠開示手続きが整備されたとしても、この問題は未解決のままになる。
 誤判の続いたイギリスでは、九六年に再審請求審査のため独立した機関を設置し、強力な証拠開示命令権を認めて証拠収集に支障がないよう配慮した。
 わが国でも、通常審、再審請求手続き共に開示に関するルール整備が喫緊の課題であることはもちろん、現在進行中のすべての再審請求審において全面的な証拠のすみやかな開示が、真実の発見と正義実現のため不可欠だろう。」




*大崎事件にかかる福岡高裁宮崎支部による証拠標目の開示勧告についてのコメント
2013(平成25)年7月18日 成城大学教授 指宿信(在アムステルダム)

・・・けれども今回の英断そのものは決して異例というものではない。既に多くの再審請求審において請求人側の求める証拠開示の勧告がなされてきた。当職が直接関与したものとして狭山事件や冨山事件があるし、それ以外として、布川事件、東電OL殺害事件、福井女子中学生事件、袴田事件、東住吉放火事件と枚挙に暇がない。
・・・こうした事件の存在は、証拠というのは決して有罪を求めるために検察側だけが独占するものであってはならず、真実発見のために用いられる「公共の財産」であることを明らかにしていると言えよう。



ツイートから得た情報


階猛‏ さんのツイートより 2010(平成22)年11月11日
法務部門でも昨日、成城大学の指宿信(いぶすきまこと)教授を招き、取調べ可視化について御意見を伺いました。賛成の立場ながら、「録画視聴は裁判官の予断を招きやすいことが実験で判明。取調官の暴行、脅迫などが疑われる場合を除き、音声か書き起こし書面で事実認定すべき」と興味深いお話でした。



岩上安身 さんのツイートより 10年11月11日
本日の可視化議連会合、うかがえず、残念でした。なぜ、特捜案件だけ先行して可視化なのか、ぜひ御見解を、おうかがいしたいと存じます。RT @shinatakeshi 法務部門でも昨日、成城大学の指宿信(いぶすきまこと)教授を招き、取調べ可視化について御意見を伺いました。


岩上安身‏ さんのツイートより 11年2月15日
日弁連主催のコンピュータ監視法を考える、という院内集会。始まったが、一悶着。なぜ、撮影取材をさせないのだと、先ほど、法務省で一緒になつた西中さんというフリーと、NHKとともに、抗議。結局、主たるはつげんしゃである指宿信・成城大学教授がこばんでいるから。直接、同氏にかけあう


岩上安身 ‏さんのツイートより 11年2月15日
ご本人に、直接掛け合いましたが、拒まれました。自分の可視化を拒んで、全面可視化を求めても説得力ないだろうに。残念。RT @Yu_TERASAWA いぶすきさんって著名な学者ですけど、そんなノリなんですか!? RT @iwakamiyasumi 指宿信・成城大学教授がこばんでいる




*取り調べの可視化でのツイート




指宿 信(いぶすき・まこと)鹿児島大学、立命館大学等を経て、現在、成城大学法学部教授。 法と心理学会副理事長、情報ネットワーク法学会副理事





3.11の東北大震災以来、新聞は読みませんという人が増えている
取り調べの可視化問題で、専門家、研究者が、ひとりでも多く
SNSの場に出てこられて、実現化に向けての具体策の論議に
専門家の立場から助言されたい・・・





2010(平成22)年〜2013(平成25)年 証拠開示 記事検索でツイートされたもの

*読売新聞 証拠開示 記事検索

*東京新聞 証拠開示 記事検索

*朝日新聞 証拠開示 記事検索

*毎日新聞 証拠開示 記事検索

*産経新聞 証拠開示 記事検索

*47news 証拠開示 記事検索



*関連ブログ記事

2013年8月4日  『法制審は、なぜこの声を聞かないのか〜可視化を巡って冤罪被害者たちは語る』(江川 紹子) - Y!ニュース

2013年8月4日 『私が知っているのは、基本的に私たちは何も知らないということー気になる狭山裁判』 (早川忠孝の一念発起・日々新たなり通称「早川学校」)








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*2013(平成25)年7月26日に行われた狭山事件・第14回三者協議結果報告


*狭山事件[第14回三者協議「速報」を読む]




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May 28, 2013

1977(昭和52)年5月28日

 [[名張毒ぶどう酒事件]]で、[[第五次再審請求]]を行う。

 名張毒ぶどう酒事件

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March 25, 2013

1977(昭和52)年3月25日

[[名張毒ぶどう酒事件]]の[[第四次再審請求]]が[[棄却]]される([[名古屋高裁]])

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March 11, 2013

1977(昭和52)年3月11日

[[島田事件]]で、[[静岡地裁]]が[[棄却]]決定を下す。
 →[[1977(昭和52)年3月14日]]、[[即時抗告]]する。

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February 15, 2013

1977(昭和52)年2月15日

 [[弘前大学教授夫人殺し]]事件で、[[再審]][[無罪]]が下る([[仙台高裁]])→確定 

 ([[仙台高判52.2.15]] [[判例時報849]])



[[2008年1月24日]]

訃報:弘前大殺害事件で冤罪の那須隆さん死去=84歳
毎日新聞 - 17時間前
青森県弘前市で1949年に起きた弘前大医学部教授の妻殺害事件で有罪判決を受けて服役し、再審で無罪となった那須隆(なす・たかし)さんが2008年1月24日、同県つがる市の病院で死亡していたことが5日、明らかになった。84歳だった。 事件は49年8月6日に発生。 ...

弘大事件那須さん死去
読売新聞 - 10時間前
弘前大学の教授夫人が1949年に殺害された事件で、28年間にわたって冤罪(えんざい)と立ち向かった那須隆さんが2008年1月、84年の生涯に静かに幕を閉じた。一貫して無罪を訴え続け、「再審の門」を開けた那須さん。しかし晩年は家族とともにひっそりと暮らし、その死 ...

那須隆さん死去=弘前大教授夫人事件で冤罪
時事通信 - 16時間前
青森県弘前市で1949年8月、弘前大学教授夫人が殺害された事件で逮捕され、服役後に冤罪(えんざい)と判明した那須隆(なす・たかし)さんが1月24日、同県つがる市の病院で死去していたことが5日、分かった。84歳だった。 事件で那須さんは、一審で無罪とされ ...

那須隆氏が死去 殺人冤罪事件の元服役囚
47NEWS - 19時間前
1949年に青森県弘前市で発生した弘前大教授夫人殺し事件で犯人とされ、その後、再審無罪となった那須隆氏が1月24日午前0時12分に青森県の病院で死去していたことが5日、分かった。84歳だった。青森県出身。自宅は青森県つがる市稲垣町千年亀菊5ノ4。 ...

弘前大教授夫人殺害事件 再審無罪の那須隆さんが死去
朝日新聞 - 19時間前
青森県弘前市で1949年に起きた弘前大学教授夫人殺害事件の犯人とされ、再審で無罪となった那須隆さんが1月24日、同県つがる市の病院で死去していたことが5日わかった。84歳だった。葬儀は近親者だけで営まれた。 那須さんは一貫して無罪を主張していたが、53 ...

弘大教授夫人殺人事件で冤罪と判明した那須隆さん死去
陸奥新報 - 5時間前
1949年に弘前市で起きた弘前大学教授夫人殺害事件で逮捕され、服役後に冤(えん)罪(ざい)と判明した那須隆さんが今年1月24日、つがる市の病院で亡くなっていたことが5日、分かった。84歳だった。 那須さんは49年8月、同市在府町の自宅で就寝中だった弘大 ...



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December 21, 2012

1977(昭和52)年12月21日

追悼・片桐軍三さん

       フリーライター
        片桐軍三の死から一年

        小林 峻一(片桐軍三さんの死を考える会)より転載



■側頭部に加えられた暴力による死因

 この十二月二十一日で、片桐軍三が死んでから早くも一年。ほとんど何事もなし得ていないのではないかと不安になる。
 片桐が池袋の街頭で意識不明のまま倒れていたのは昨十二月二十日午前一時前後のことだった。口や鼻の周りを血だらけにし、上着、右手甲、カバンに点々と血痕が残り、ズボンも臀部が血尿(?)でぐっしょり濡れていた。眼鏡の左のガラスは割れ、腕時計もはずれていた。



 救急車で近くの池袋大久保病院に運ばれたが、ほんの申しわけ程度の診察、治療ののち、意識は未回復のまま、追い出された。二番目の病院で脳切開手術を受けるも、容態は好転せず、二十一日朝、無念のうちに死んだ。
 解剖担当医の死体検案書では、右側頭部に加えられた暴力によって生じた脳腫瘍がその死因とされたが、警察はほどなく自過失死と断定しはじめた。



■友人・知人たちで「考える会」を結成

 「片桐さんの死を考える会」(以下、「考える会」と略)は、年末のあわただしさのなかで結成された。中心となったのは、マスコミ関係の友人、知人たち。次の四つの課題が会の目標として設定された。
1.池袋警察署の捜査を監視し必要な批判をおこなう。
2.池袋大久保病院の医療過誤を告発する。
3.印刷物を逐次刊行し死の真相を大衆に周知していく。
4.「片桐軍三がめざしたもの」を主題に研究会を開催する。



 これに基づき、「考える会」は一年間、活動してきたわけだが、その主たるものは、裁判と広報活動であったといえよう。
 裁判は、片桐遺族(夫人と三児)を原告とし、池袋大久保病院および同病院の当直医・Nを相手どり、損害賠償と慰謝料を請求する民事訴訟。



 「頭部に重症を負わされ、昏睡状態に陥った片桐軍三が最初に担ぎこまれたのは、事件現場近くの池袋大久保病院でした。放置すれば死に直結する頭部の重症を負いながら、しかし、片桐軍三は大久保病院で、適切な治療を受けることができませんでした。昨年春に医師免許をとったばかりの、未熟なアルバイト当直医・Nは、頭部外傷による昏睡と泥酔による昏睡との区別すらできず、駆けつけた片桐夫人と二人の仕事仲間に、彼を引きとって帰ることを強要したのです。



 片桐軍三が酒に酔ったらどんな状態になるのか---知り尽くしている夫人と仕事仲間の懇願にもかかわらず、とった処置といえば、リンゲル液を一本、点滴しただけでした。
 『急性アルコール中毒です三~四時間もすれば醒めますよ』・・・これがN医師の診断だったのです。この誤診が頭部外傷の発見と治療の遅れを招き、片桐軍三を死に追いやってしまいました。」(「考える会」機関紙〝いなほ〟号外・五月二十三日付)



■医療過誤の告発と死の真相追求

 提訴は四月十七日。今年中の公判は四回。何度かの書面交換が行われ、争点がしぼられてきているが、同時に、病院側の論理矛盾も露呈してきている。が、優劣は予断を許さずさらに一~二年の争いが続くことになるだろう。



 「考える会」にとって、医療過誤を告発し、カネを取ることばかりが、この訴訟の目的なのではない。あわせて、片桐の死の真相に少しでもアプローチすることができるのではないか、という期待がある。その意味においても入手したかったのは、司法解剖結果を記した死体鑑定書なのだが、検察庁はこれを拒否した。理由は、捜査継続中だからというのであった。



■捜査当局の意図的なあいまい性

 ついでに言えば、当局はこれまで、捜査が続いているのか打ち切ったのか、あいまいにしている。ある時は打ち切ったといい、また別の時は継続中という。たとえば、事件数日後、新聞(三大紙等)には打ち切りと発表、二月の国会では鋭意捜査中と答弁、六月〝東京タイムズ〟紙に打ち切りと発表、そして今度、前述の如く、捜査継続中を理由にしているといった調子。多分、相手によって両者を意図的に使いわけているとみなしていいだろう。



 さらに言えば、捜査の現状は、打ち切り同然のペンディング状態といったところだろうと推測される。捜査員は一人も動いていないだろう。捜査続行中なら不可欠なはずの、片桐の遺品もとっくに返ってきているではないか。一件書類も警察署の書類棚の最上段に放置されたまま、ほこりにまみれていたらまだましなほうで、あるいは、すでに倉庫にしまいこまれているかもしれない。万が一、有力な何かが出てこない限り、捜査が再開されることはないだろう。だから、法廷で鑑定書提出を拒否するのに捜査継続中を理由にしたことは、ほとんど虚偽である。



■機関紙「いなほ」の刊行と今後の課題

 「考える会」が力を注いできたもう一つの活動は情宣広報活動。新聞・雑誌には機会あるごとに寄稿、各種会合にも出席してアピールそしてビラまき--- ---なかでも「考える会」の機関紙としての「いなほ」はほぼ月一回のわりで刊行され、会員への通信・会の結束手段の役割を果たしてきた。十一月に第八号、十二月に第九号を発行予定、発送は二〇〇人に及ぼうとしている。



 そのほか、この夏には、片桐の郷里である長野県下伊那郡根羽村を訪ねて墓参、両親、兄弟から幼少年期のことを聞き、また、彼の母校である立命館大学では、先輩、同僚たちから学生時代の様子を知ることができた。
 このように一年間をふり返ってみると、案外といろいろなことをやってはいるのだが、しかし、なんとなく不満を感ずるのは、真相解明への歩みが遅々として進まないこと、片桐のやり残した仕事を継承・発展させる仕事がほとんど着手されていないことによると思われる。



 後者は、時間をかけ態勢を整え、じっくりと取り組むべき対象であるが、前者はあんまりのんびりしてもいられない事柄である。医学側からの解明、管轄署からの情報収集、キャバレー(片桐が最後に立ち寄ったとされている)従業員のわり出しと接触等々、ただちにとりかかるべき方途がいくつか残されたままになっている。二年目を迎える「考える会」の今後当面の課題というべきだろう。




■「考える会」への結集を呼びかける

 「片桐軍三さんの死を考える会」は、あくまでも個人参加の会です。政治組織、党派に所属する人でも、個人の資格で入会できます。幅広く多数の方々が参加、結集してくださることを期待しています。申し込み先は左記の通りです。

 東京都新宿区百人町一-二三
   たいまつ社気付 後藤護Tel 371-1590
    (七八・十一月記)
(補注:第四回公判では、なぜか死体鑑定書は提出されたが--- ---。)







片桐軍三氏の略歴
(「追悼・片桐軍三」などより要約・抜粋---編集部)

1941年 8月 長野県下伊那郡根羽に生まる。
1960年 3月 飯田高校卒業
1965年 3月 立命館大・文学部哲学科卒業。
卒業後は競馬新聞や実用書出版にたずさわる。
1968年 10月 新人物往来社に入社
1976年 2月 フリー編集者として、たいまつ社嘱託。
ルポライターとして文殊社に参加。
1977年12月21日 死去。

文殊社の仕事の一つには1976年5~9月までは、文芸春秋(ドキュメント狭山事件・佐木隆三)の取材があった。
それ以降は、文殊社の独自取材として、狭山事件にとりくむ。
この間、元所沢署長細田行義氏の証言を引き出す最初のきっかけをつくった。
細田証言の重要性は、亀井トム氏と栗崎ゆたか氏(文殊社)の共著「狭山事件・無罪の新事実」(三一書房)にくわしい。


婦人民主新聞1978年3月17日(金曜日)掲載文より


“狭山事件”で相次ぐ強迫
 夫軍三さんを黒い手に奪われて
     片桐旬子さん


“狭山事件”を調べていたフリーライターの片桐軍三さんが、昨年十二月二十日、東京・池袋で大けがをして倒れており、近くの大久保病院に運ばれて亡くなった。東大医学部で解剖の結果、頭部の骨にヒビが入り、脳内出血が死因で、ろっ骨も一本折れていて、鈍器で殴られたものらしいという。



 国電赤羽駅に近く、奥さんの旬子さんはスナックを経営している。夕方五時、店は準備中、白い上着の少年が水をザブザブ流して掃除していた。

 「以前は下十条に店をもっていましたが、彼(片桐軍三さん)はすぐ近くに下宿していて、よく来ました。当時、二人の子どもを連れて前夫と別れていたので、彼は子ども好きで、よくめんどうを見てくれているうちに、ぜひ一しょになりたいと言い出しました。



私は父母はなく、おばあさん子でしたが、むこうの親はやっと承諾し形だけの手づくりの結婚式をしました。九年前のことです。彼は雑誌社の嘱託をしたり、失業したりそれからも苦労の多いことでした。いま店の支度しているのが次男坊の中学二年、上の子は都立高校一本ヤリで、今日発表だったので、いまワインを飲んでひっくり返っていますよ」



 おめでとうというと、あふれるような笑顔。苦労と悲しみの中のよろこび。
 「八月二十三日が彼の誕生日でした。今になって大きなお荷物を残された責任を、ようやく実感的に感じています。
 狭山事件の方、解放同盟の方、文珠社(片桐さんの同僚)の方々、あの方たちがなければ、ほんとうに私はどうなったか、赤羽商店街、料飲組合でも親切にして下さいました」



 小さい坊やがあらわれて、甘えておねだり。
 「三男の剛(つよし)です。彼が目にいれても痛くなかった子。もうすぐ二年生になります。
 あの前の日は、ちょうど日曜日で、私は留守でした。彼は一日中三人の子とくっついてお遊びをしテレビをみたり、ゲームしたり、これはめずらしいことでした。
 彼はお店へはあまり来ないようにしていました。



酔っぱらって自分の主張をお客にうえつけようとしたりゴタゴタして、私がいやがるので。---ところが、一ヵ月前から、チョロチョロきげんよく来たり、どっかへ行こうかなんていったり、そんなことはついぞなかったことでした。
 現代史から中国史へ発展したいと、大きなものを考えていたようでした。



私は子どもと生活をひきうけ、四十すぎて、どうにもならなくなるまでやるから、思う存分仕事をしてといっていたのにこんな中途半ぱで死んでしまうなんて---。
 苦労苦労の連続、若いときの苦労は借金だらけ、やっと切りぬけて、これからノンビリと思った矢先にこうなってしまって---」



 笑顔を絶やさずに、辛い話をする。七時から明け方三時までお店閉めるのが三時半から四時。
 五時半にはブルーバードを運転して築地河岸へ買い出しに。帰るのが八時。そのころはお兄ちゃんがみんなにご飯食べさせて学校へいっている。料理はみんな自分でするので、手伝いの女性は二人。二十二からお店をもって、十四年になる。



 「仕事は好き、子どもも好き。
狭山事件では、圧迫がはげしく車のガラスや店の看板をこわされたり、これ以上つっこむと、皆殺しだゾ、なんて強迫電話がかかったり、殺される夢も見ましたが、それが現実になったのは残念」



 片桐さんの死を招いた池袋駅北口の大久保病院の医療ミスにつき民事訴訟を準備中。

 写真は三男の剛君と

 連絡=“片桐さんの死を考える会”東京・新宿区百人町一-二三たいまつ社気付 後藤護〇三 三七一 一五九〇



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October 25, 2012

1977(昭和52)年10月25日

牟礼事件(第五次再審請求)で、東京高裁は即時抗告を棄却する。→特別抗告をする。

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September 21, 2012

1977(昭和52)年9月21日狭山事件 四ツ谷巌裁判長に交代

 [[狭山事件]]第一次再審請求審で [[弁護団]]が、[[東京高裁]]山本裁判長と面会し、[[証拠物保全]]のため押収を申し入れる。
 この後、東京高裁第4刑事部・四ツ谷巌裁判長に交替する。

ビンの旅ビンの旅

 1977(昭和52)年8月9日
 狭山事件で、[[最高裁]]が、[[上告]]を[[棄却]]する。

 1977(昭和52)年8月16日
 最高裁が、[[石川一雄]]と弁護団による[[異議申し立て]]を却下し、[[無期懲役]]が確定する。
 
 1977(昭和52)年8月30日
 石川一雄ならびに弁護団が、[[東京高裁]]に[[再審請求]]を行なう。


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August 11, 2012

1977(昭和52)年8月11日

[[狭山事件]]で、[[石川一雄]]さんと[[弁護団]]が、[[最高裁判所]]([[第二小法廷]])へ[[異議申立]]書を提出する。


(最判昭52・8・9刑集31-5-821)
最判昭52.8.9






8月11日誕生花るこうそう

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August 09, 2012

1977(昭和52)年8月9日

8月9日 狭山事件 上告棄却 最高裁判所第二小法廷 吉田豊裁判長

 * [[1977年]] - [[狭山事件]]で、[[最高裁判所]][[第二小法廷]]([[吉田豊]][[裁判長]])、[[口頭弁論]]も行わず[[上告棄却]]決定をする。

8月9日誕生花たばこ








参考)石川一雄獄中日記 より



 一、二審と裁判と弁護団が最高裁に提出した上告趣意書の中では、この自白について大きく二つの点が争われています。
 一つは、この自白が警察官・検察官による強制とか誘導とか約束によらず任意にされたかどうか、被告人から自発的になされたかどうか、です。
 もう一つは、この自白が果して真実のものかどうか、それとも虚偽・架空のものであるかどうか、が争われています。
 これらの点(自白の任意性、信憑性)は相互に関連しているのですが、どのようにすれば私達は真実を見出すことができるのでしょうか



 多くの冤罪事件等の裁判の経験は次のいくつかの方法---判断基準を示しています。例えば、
 一、自白が他の物証・客観的事実と合っているかどうか、
 二、自白が真犯人しか知りえず第三者の知りえない事情を述べているかどうか、
 三、自白に重要な事実について述べていない欠落している部分があるかどうか、
 四、自白に著しい変遷があるかそれとも首尾一貫していたか、
 五、自白の中に相互に矛盾し食い違うような点があるかどうか、
 六、自白に明らかに社会的常識に反した不合理・不自然なところがあるかどうか、などです。
 自白をみていく場合、このようなものさし---判断基準に基づく検討が必ず必要です













狭山事件(強盗ごうかん、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等)
 機 ̄栽唾枠39.3.11 最刑集31-5-980(死刑)
 供‥豕高判49.10.31 高刑集27-5-474(破棄自判、無期懲役)
 掘狭山事件 最二決昭52・8・9刑集31-5-821(上告棄却)



A 自白の経過


一、被告人は、捜査段階で自白して以来、捜査段階、第一審の審理を通じて自白を維持し、検察官から死刑の論告求刑を受けた後の被告人の意見陳述の機会においても争わなかった事実等に照らせば、被告人の原審における右供述は真実性のないものであり、その他、所論のいう約束(「善枝ちゃん殺しを自白すれば十年で出してやる」)があったことを窺わせる証跡はみあたらない。



二、第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず、「本件」についても被告人を取調べているとしても、それは、専ら「本件」のためにする取調というべきではなく、「別件」について当然しなければならない取調をしたものにほかならない。それ故、第一次逮捕・勾留は、専ら、いまだ証拠の揃っていない「本件」について被告人を取調べる目的で、証拠の揃っている「別件」の逮捕・勾留に名を借り、その身柄の拘束を利用して、「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと同様な効果を得ることをねらいとしたものである、とすることはできない。・・・



 しかも、第一次逮捕・勾留当時「本件」について逮捕・勾留するだけの証拠が揃っておらず、その後に発見、収集した証拠を併せて事実を解明することによって、初めて「本件」について逮捕・勾留の理由と必要性を明らかにして、第二次逮捕・勾留を請求することができるに至ったものと認められるのであるから、「別件」と「本件」とについて同時に逮捕・勾留して捜査することができるのに、専ら、逮捕・勾留の期間の制限を免れるため罪名を小出しにして逮捕・勾留を繰り返す意図のもとに、各別に請求したものとすることはできない。・・・



三、「別件」についての第一次逮捕・勾留とこれに続く窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件の起訴勾留及び「本件」についての第二次逮捕・勾留は、いずれも適法であり、右一連の身柄の拘束中の被告人に対する「本件」及び「別件」の取調について違法の点はないとした原判決の判断は、正当として是認することができる。


B 自白内容の変動・合理性



一、行動は活発で、関係地点も多岐にわたるほか、犯行に伴う精神的興奮、緊張状態が存在したと考えられるところから、自白の細部に食い違い(不明確な点、触れられていない点)があったとしても不自然ではない。






二、自白後は捜査段階、一審において終始犯行を認めている(控訴審で否認)。荒縄や木綿細引紐の使用方法についての捜査段階の供述には微細な点で多くの食い違いがあるが、被告人の知覚、表象、表現能力が低い上、取調官が正確に記述する能力に乏しく大雑把な録取方法を取る場合や、被告人が意識的、無意識的に虚実を取り混ぜて供述する傾向が顕著な場合には、往々あり得ることである。
 


C 体験供述



D 秘密の暴露


一、鞄が最初の捜索では発見されなかったこと、鞄の発見された場所一帯がいわゆる山狩による捜索の対象となっていたこと、鞄の発見以前にすでに善枝の所持品である自転車の荷掛用紐及び教科書類が右の雑木林で発見されていること、被告人の鞄を捨てたときの状況に関する供述が細部ではくいちがいがあること、鞄の下から発見された牛乳びん、ハンカチ及び白三角布について被告人が記憶がないと言っていること、などを考慮に入れて、記録を詳細に検討したが、本件鞄の発見過程につて捜査官になんらかの作為があったと疑わせる証跡は見いだせない。
それ故、本件鞄は、善枝の所持品であって、被告人が本件犯行現場から持ち去りその所産を秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて発見されたものであるとの原判決の認定は、正当である。



二、捜査官がこの場所を見落すことはありうるような状況の隠匿場所であるともみられる。従って、二度の捜索によって発見されなかった事実があるからといって、本件万年筆に関し捜査官の作為が加っていたとするのは、相当でない。
 万年筆自体からその所持者を特定する特徴や付着指紋等を発見することはできなかった。



三、捜査官は、同年六月二九日に至って同日及び翌三〇日の二日間にわたり、その附近を捜索し、また、近所の聞き込みを行ったが、腕時計を発見するに至らなかったところ、右捜索のあったことを知った近所に住む小川松五郎が、同年七月二日に、右三差路附近の茶株の根元にあった腕時計を発見したと警察に届出たことから、本件腕時計(同押号の六一)を領置するに至ったものである。してみると、本件腕時計の発見について右のような経緯はあるにせよ、本件腕時計は、被告人の供述に基づいて、被告人が捨てたという場所の近くから発見された関係にあるものということができる。



四、第一審証人吉沢栄は、その時刻に自動三輪車で同街道を通った事実があると述べている。所論は、右事実は被告人の自供後に判明したものではない、というが、警察官石原安儀の原審証言によると、この事実は、被告人の自供の裏付捜査として同日同時刻ころ自動三輪車を運転して鎌倉街道を通った者の有無を捜査した結果判明したというのであり、これによれば、右事実は被告人の自供によって初めて判明するに至った事実であると認められるから、被告人の供述は他の証拠によって裏付けられた十分信用に値いするものであると評価した原判決の判断は、正当である。



E 自白と客観的証拠との符合性


一、(イ)脅迫状及び封筒とその筆跡並びに被告人の筆跡、(ロ)犯行現場附近で採取された石膏足跡(石膏成型足跡)及び被告人方から押収された地下足袋、(ハ)被害者善枝の体内に残留していた精液の血液型及び被告人の血液型、(ニ)死体とともに発見された手拭及びタオル、(ホ)死体埋没現場近くで発見されたスコップ、(ヘ)中田栄作方に脅迫状が投入された直前ころ同家の所在を尋ねた人物に関する内田宰吉証言、(ト)身の代金を受け取りに現われた犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄の各証言



二、善枝の足にも木綿細引紐が巻かれたまま死体が発見されていることから、・・・首に巻かれた右木綿紳引紐を示されて、「覚えがありません。然しその麻縄は梯子の附近から盗って来た麻縄の様です。」と述べている以上に具体的に触れていない。・・・いずれにしても、被告人が右木綿細引紐の具体的な用法について供述していないからといって、被告人の自白全体の真実性に疑問を差しはさむことは、相当ではない。



三.被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、本件兇行が行われた「四本杉」の所で思案していた間のことで・・・被告人の本件脅迫状及びその封筒の訂正に用いた筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び場所に関する自供は、客観的証拠によって認められる事実とくいちがいがあることは明らかである。しかし、このくいちがいは、被告人が犯人であることについて合理的な疑をさしはさむほどのものではない。



四、脅迫状等訂正の筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び場所について、本事件の犯行に関する物的証拠の示す事実と被告人の自白内容との間にはくいちがいがあり、また、被害者善枝の首に巻かれていた木綿細引紐の用途について被告人は供述しておらず、あるいは、右木綿紳引紐及び書抜の足首に巻かれていた木綿紳引紐の出所について明確な裏付けを欠く部分があるが、これらは、いずれも自白の真実性に合理的な疑を抱かせるほどのものではなく、また、殺害の方法及び時刻、ごうかんの態様、死体の損傷並びに死体の処置等についても、自白内容と物的証拠との間に重要な齟齬はない。


F 裏付けとなるべき物的証拠の不存在



G 犯行前後の捜査官以外の者に対する言動


被告人は、捜査段階では、(イ)川越警察署分室の留置場の壁板に、「じようぶでいたら一週かに一どツせんこをあげさせてください。六・二十日石川一夫入間川」と詫び文句を爪書していること、(ロ)同留置場でを裂いて、「中田よしエさんゆるして下さい」と書いていること、(ハ)昭和三八年六月二七日付で善枝の父中田栄作あてに、「このかみをぜひよんでくださいませ中田江さくさん私くしわ中田よしエさんごろしの石川一夫です」との書き出しで、自己の家族をうらまないで下さいと訴えた手紙を書いていること、更に、第一審において死刑の判決を受けた後、付同三九年四月二〇日付で原審裁判長にあてた移監の上申書の書き出しに、「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し三月一一日浦和の裁判所で死刑を言い渡された石川一雄でございます。」と書いていることなど、深い反省と悔悟の情を表わしている事実がみられる。これらは、真実に裏付けられなければ表現できないものであって、被告人の自白の真実性を知る重要な手がかりとなる事実である。


H 被告人の弁解





 二、捜査官の偽計による虚偽の供述との二審弁解は、それ自体極めて不自然

 三、約束による自白との弁解は、二審で初めて述べられたもので真実性がない。


I 情況証拠との関係


一、中田栄作方の近所の内田幸吉は、脅迫状が中田家へ届けられたころ内田幸吉方を訪れて中田栄作方はどこかと尋ねた人物は被告人に相違ないと証言していること、同日三日午前零時過ぎころ佐野屋附近で犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄は、いずれも犯人の声が被告人の声とよく似ていると証言していること、以上の事実を被告人の自白を離れても認めることができるとし、これらの事実は、相互に関連しその信憑力を補強し合うことにより、脅迫状の筆跡が被告人の筆跡であることを主軸として、被告人が犯人であることを推認させるに十分であり、この推認を防げる状況は全く見いだすことができない。



二、中田栄作方に届けられた脅迫状の筆跡は、被告人のものであること、昭和三八年五目三日佐野屋附近の畑地で発見された足跡三個は、被告人方から押収された地下足袋によって印象されたものと認められること、被告人の血液型は、B型(分泌型)であって、被害者善枝の膣内に残留していた精液の血瀕型と一致すること、善技を目隠しするのに使われたタオル及び善枝の両手を後ろに縛り付けるのに使われた手拭は、被告人が入手可能の状況にあったこと、死体を埋めるために使われたスコップは、石田一義方豚舎から同月一日の夜間に盗まれたものであるが被告人がかつて同人方に雇われて働いていたことがあって、右豚舎にスコップがあることを知っており、容易にこれを盗むことができたであろうこと。



2008年8月23日パペガ会

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July 07, 2012

1977(昭和52)年7月7日

加藤事件 で再審無罪判決が下される(広島高裁)→確定



神田香織 さんのツイートより 2012(平成24)年6月12日
「袴田冤罪事件」語った福田織福さん、堂々として迫力あり!
見逃した方は7月7日、七夕に! pic.twitter.com/ZDGnOR84

講談「袴田冤罪事件ー百万遍」 福田織福


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September 21, 2008

1977(昭和52)年9月21日


岡山の[[強盗殺人放火事件]]で、[[岡山地裁]]が[[再審無罪判決]]を下す
([[判例時報]]883号)。

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October 25, 1977

1977(昭和52)年10月25日


牟礼事件の[[第五次]][[再審請求]][[棄却]]に対する[[即時抗告]]が[[棄却]]される([[東京高裁]])
 →[[特別抗告]]

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