1986(昭和61)年

August 25, 2013

1986(昭和61)年8月27日 梅田事件で逮捕34年にして再審無罪確定。冤罪事件の捜査に当たった警察・検察・裁判官名の公表を

 [[梅田事件]]で、[[釧路地裁]]が[[無罪判決]]を下し、逮捕34年にして[[冤罪]]が確定する。


8月27日誕生花ふよう*梅田事件〔梅田義光さん〕
 梅田事件再審開始抗告決定(判例時報一〇六五号)1982(昭和57)年12月10日(釧路地裁渡部保夫裁判長)
 梅田事件再審無罪判決 1986年8月27日(釧路地裁)



悼:梅田事件で再審無罪、梅田義光さん=2007年6月20日死去・82歳(毎日新聞 2007年7月25日 東京朝刊より)
 ◇胸に納めて、他人罵らず−−梅田義光(うめだ・よしみつ)さん
 「この日を一日千秋の思いで待っておりました。この間の苦しみをなんと表現したらよいのか。一時は死を覚悟したほどです」
 黄ばんだスクラップブックの中に直筆の手記があった。四半世紀前の記憶が鮮明によみがえった。82年12月20日。強盗殺人罪などに問われて無期懲役の刑に服した梅田さんの2回目の再審請求に釧路地裁網走支部が再審開始を決定した時、毎日新聞に寄せた一文だ。
 梅田さんとの出会いは、さらに3年さかのぼる。再審開始の要件を緩和した最高裁の白鳥事件決定(75年5月)が出され、再審のうねりが高まる中で、梅田事件を知った。79年2月、札幌で開かれた集会。「私は断じてやっていません」。浅黒い顔をした男性が壇上で切々と訴えていた。年齢より老いて見えた。私は北見市に飛んだ。梅田さんは市営住宅で82歳になる老母と共に迎えてくれた。
 農業を営んでいた梅田さんは1950年10月、営林局員が殺され、公金が奪われた事件の共犯として、2年後に逮捕された。「警察官の拷問」で容疑をいったんは認めたが、起訴直前に否認。その後、一貫して無実を訴えたが、57年11月に無期懲役の判決が確定。71年5月に仮出所した。
 「逮捕後、一家は離散。情けなかった。せめて殺人犯の汚名だけはすすぎたい」。朴訥(ぼくとつ)な語り口で、時折涙を浮かべた。気付くと夜も更け、そのまま泊まった。朝食に用意してくれたサンマの缶詰は今でも思い出す。
 再審の釧路地裁が無罪を言い渡したのは86年8月。逮捕から34年たっていた。「畑から掘り起こしたような男。あんな正直なヤツはいない」。梅田さんを支援し続けた小林政男さん(83)は振り返る。
 梅田さんは無罪確定後、リサイクル業の一方、各地で自分の体験を語り、冤罪(えんざい)の恐ろしさを訴えた。晩年は老人ホームに入居し、静かな生活を送った。
 梅田さんから他人を罵(ののし)る言葉を聞いたことはない。すべてを胸の内に納め、逝ってしまった。再審の扉が再び重たくなりつつあるという。梅田さんの無念の思いはきちんと届いているのだろうか。【江畑洋一】

*渡部保夫裁判長でのツイートより

07年4月15日
元札幌高裁判事の渡部保夫さん死去...http://blog.goo.ne.jp/j-j-n/e/dcd9706878b9e1ae6816a6ba0a8c808c


*梅田事件でのツイートより


09年6月20日
確かに梅田事件はちょっと不幸な状況で終焉しつつある……。RT @tsuda: そしてファシリティートとは違う次元で梅田さんも口を閉ざしつつあるし。いろいろ不幸ですよこの状況は。

10年6月19日
梅田事件 - Wikipedia: 梅田事件(うめだじけん)は、1950年(昭和25年)および1951年(昭和26年)に発生した2件の強盗殺人事件と、それに付随して生じた冤罪事件である。なお事件名は2人の実行犯(実際にはもうひとり未検挙の共犯がいる可能性が指摘されている)によって無実の罪を着せられた男性の名に由来する。

11年7月30日
冤罪事件ってのは、真犯人を逃したという意味では未解決事件だ。例外は八海事件、弘前事件、あと異論はあるけど三鷹事件。梅田事件と牟礼事件も真犯人は分かっていると言えるかな。

11年12月11日
捜査機関以外の私人の行為が原因となって冤罪が発生する場合もある。例えば、真犯人が自分に対する量刑を軽くするために、他人に罪をなすりつけた事例(梅田事件、八海事件、牟礼事件、山中事件、富山・長野連続女性誘拐殺人事件、警察官ネコババ事件など)が存在する。http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/051enzaiumeda.htm

12年6月8日
冤罪が二重の不正義と呼ばれるゆえんですね。「真犯人よ聞いてくれ」という梅田事件の本を思い出します RT @Kotaro_DATE: @j_koya それにしても真犯人は放置なんですよね。冤罪作って真犯人放置して警察・検察・裁判所は何やってんだか。

足利事件(29年)免田事件(34年)財田川事件(34年)梅田事件(36年)布川事件(44年)…これらは、戦後起きた主な冤罪事件と、事件発生から再審無罪確定までかかった時間よ。気の遠くなるような時間ね。冤罪防止の為には、刑事司法に対して絶え間無く批判の目を向けましょう。島田事件(35年)も RT


名張毒ブドウ酒事件は一審の無罪が、二審で死刑に逆転し、最高裁で確定した唯一の事件です
免田、財田川、松山、島田に続いて5件目の再審開始決定がされましたが、名古屋高検が異議を申し立てました
(免田、財田川、松山、島田の4事件はいずれも再審を経て無罪確定)

*名古屋高裁;名張毒ブドウ酒事件再審開始決定取り消す(06年12月26日)より

*2005(平成17)年4月5日、名張毒ぶどう酒事件で、名古屋高裁刑事1部(小出前貂枷縦后は、奥西さんの死刑執行を停止し、再審開始の決定。奥西勝さんは約33年ぶりに死刑執行の恐怖から解放される。

*2006(平成18)年12月26日、名張毒ぶどう酒事件で、名古屋高裁刑事2部(門野博裁判長)
第7次再審請求審(同高裁刑事1部)が認めた奥西勝死刑囚(80)の再審開始決定に対する検察側の異議申し立てを認め、再審開始を取り消す
決定は、奥西死刑囚の死刑執行の停止を取り消し、第7次再審請求も棄却
奥西優さんは、再び死刑執行の恐怖にさらされることになった

*2010年4月6日 名張毒ぶどう酒事件で、最高裁第3小法廷堀籠幸男裁判長)は、名古屋高裁の再審開始決定を取り消した同高裁の決定をさらに取り消し、審理を同高裁に差し戻した。

*2012年(平成24年)5月25日、名古屋高等裁判所刑事第2部(下山保男裁判長)は、名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求の差戻し異議審につき、再審開始決定を取り消し再審請求を棄却
◇検察側 野々上尚・名古屋高検次席検事
「奥西死刑囚の自白通り、ニッカリンTが犯行に使われたかどうかという核心部分について、科学的知見に基づき適正な判断がされた。」  

*名張毒ぶどう酒事件は現在、最高裁第3小法廷に係属(最高裁に特別抗告申し立て)しています
http://www.enzaiboushi.com/cat14/post-3.html
 新たな鑑定結果提出と、早期再審開始決定の要請先は 最高検察庁 小津博司検事総長
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/okunishi_2013.html
 

* 人事異動(2012年6月26日)大阪高検次席検事(←名古屋高検次席検事)野々上尚

*異動の多い検事で、wikiがある小津博司検事総長を除くと、過去の経歴を追跡するのは結構大変な作業になります
 検索で(法務省の異動ニュースのpage以外で)易々とヒットする検事も、著名な方を覗けば、ほとんどおられないようです

*下山保男裁判長でのツイートより

“5月25日
平成24年5月25日朝、テレビの前で吉報をじっと待ってた。
「名張毒ぶどう酒事件」の再審請求。名古屋高裁は棄却の判断。あれからもう1年・・。
裁判長の名前を再度ここに記そうと思う。下山 保男 裁判長”

*野々上尚・名古屋高検次席検事の名もぜひ追記させてください!



*最高検察庁 小津博司検事総長は
最高裁第3小法廷の勧告に従い、証拠を開示してください。証拠リストを開示してください。全証拠の保全・弁護団への開示を行ってください


*最高裁第3小法廷 寺田逸郎裁判長は
最高検の証拠隠しを許さず、全証拠の開示勧告を行ってください。新証拠の事実調べを行い、早期再審開始を決定してください



*福井女子中学生殺人事件で2011年11月30日、名古屋高裁金沢支部(伊藤新一郎裁判長)、再審開始決定より
http://www.kyuenkai.org/index.php?11%C7%AF12%B7%EE15%C6%FC%B9%E6
布川事件 桜井昌司さん
 前川さん、おめでとうございます。
検察は、前川さんの無実の証拠を隠し、裁判では屁理屈を言うことばかりにしか使っていない。ぜひ支援者の皆さんも、マスコミもこの検察を厳しく批判していただきたい。警察や検察の責任だけではなく、有罪とした裁判所の責任が問われます。力を合わせて追及していきたいと思います。ぜひ今後ともご支援をお願いします。


*桜井昌司さん 検察 でのツイートより

09年12月19日
自白したことを非だと言わざるを得ない現実の刑事司法。裁判員裁判よりも前にやるべきことがあるはず。RT @shigex_yokohama: 【布川事件】桜井昌司さん「我々自身にも自白した非があるが、布川事件における検察、警察があまりにも酷いという事を裁判の中でも訴えていきたい。」


11年2月12日
この数年のような「特捜検察の暴走」を抑制するための方策が必要です。しかし、検察も多くの人間が働いている組織です。その活力を奪うことは国民のためにならないと思います(続く RT  検察を性悪説によって常に監視する「検察監視監督機構」の創設を提起して下さい
11年2月13日
 「特捜」の暴走? 袴田巌さんを起訴した「特捜」でない検察は、暴走でなく普通に歩んでるってか? 菅家利和さんの担当検事は? 桜井昌司さんと杉山卓男さんの担当は? 冤罪「活力」。


*連続追及 第9弾 PCなりすまし事件 やっぱりひどい!自白強要なんて朝飯前 取調官は「冤罪検事」と呼ばれる男 週刊現代 2013 年 5 月 02 日

冤罪で有名な「布川事件」で無期懲役を求刑した検事。元高検検事長を「ウソの自白」へと「完落ち」させた検事。この2名が中心となって進められてきた検察の捜査で、再び冤罪が作られるのか。・・・
片山さんの取り調べにあたった上本哲司検事には、一般市民を強盗殺人犯に仕立てようとした過去がある。冤罪事件として名高い「布川事件」で、上本検事は「無期懲役」を求刑したのである
もう一人、上本検事とともに今回の取り調べにあたってきた東京地検特捜部出身の水庫一浩検事にもとんでもない"前科"がある。 この水庫検事は「朝鮮総連ビル詐欺事件」で、事件に関与したとされる元公安調査庁長官で、元高検検事長の緒方重威氏の取り調べを担当した。

*冤罪検事 でのツイートより
5月1日
連続追及 第9弾 PCなりすまし事件 やっぱりひどい!自白強要なんて朝飯前 取調官は「冤罪検事」と呼ばれる男 http://bit.ly/11AwxeN
このような記事がもっと増えればと思います。冤罪で人生を狂わされている人はもっと多くいるはずです。






*参考)一九九九年七月八日第二次再審請求を棄却(東京高等裁判所第四刑事部)に対する異議申立書 請求人 石川一雄 より抜粋

請求人石川一雄に対する強盗強姦・強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等再審請求事件につき、東京高等裁判所第四刑事部は一九九九年七月八日本件(第二次)再審請求を棄却する旨の決定をなした
これらについては、全面的に不服であるので、刑事訴訟法四五〇条、同四二八条により、原決定の取消と再審開始の決定を求めて本異議の申立をする。
申立の理由は左記のとおりである。
一九九九年七月一二日  右主任弁護人山上益朗

第一、原決定が最高裁判所判例である白鳥決定(昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決定。判例時報七七六号)と財田川決定(昭和五一年一〇月一日第一小法廷決定。判例時報八二八号)ならびに これまで積み重ねられてきた再審各判例に違反していることについて

一、白鳥決定は、明白性の程度と判断の方法について、「『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的疑いをいだかせ、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたして確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解するべきである」とした。

原決定は、右判例にいう「総合評価」ならびに「被告疑わしきは人の利益に」の原則の適用を放棄しているところの、きわめて違法・不当の決定と断ぜざるをえないのである。

とくに、「総合評価」の放棄は必然的に、自白をふくむ旧証拠の再評価を放棄することに帰し、ひいては確定判決の証拠構造と切り離した上で各新証拠をそれが対応する旧有罪証拠と個別的に対比検討して明白性を否定しているのである。これを換言するに、個々の新証拠のみで有罪認定を覆すことを要求する孤立評価説に堕落していること明白である。その違法性、不当性にてらして、それが再審の門の閉塞をねらつてあえて打ち出されたものとしかとらえようがないほどで、きわめて遺憾の極みといわざるをえないのである。

二、また原決定がこれまでの再審判例のなかで確立してきた各法理に敵対していることは、確定判決における証拠構造の分析を全くやつていないことに徴してあきらかである。
再審受理裁判所がまず、確定判決の証拠構造の分析から再審理由の検討に入ることはすでに定着、確定した審理の方法といえる。

たとえば、

昭和五四年一二月六日仙台地方裁判所における松山事件再審開始決定書をみると、「第二、確定判決の証拠構造」という項を起こし(判例時報九四九号)、有罪認定の有機的関連を検討している。このような審理方法は昭和五五年一二月一二日徳島地方裁判所、徳島ラジオ商殺し事件第六次再審開始決定(判例時報九九〇号二〇頁)において、昭和五七年一二月二〇日釧路地方裁判所網走支部の梅田事件再審開始決定(判例時報一〇六五号三四頁以下)において、昭和六一年五月二九日静岡地方裁判所の島田事件再審開始決定(判例時報一一九三号)において、平成四年三月二二日福島地方裁判所いわき支部の日産サニー事件再審開始決定(判例時報一四二三号)において、あるいは棄却決定の場合においてさえ、たとえば平成六年八月九日静岡地方裁判所袴田事件の決定(判例タイムズ八五六号)においても、右各再審先例は、再審請求の理由の審理にあたつては、まず確定判決の証拠構造を分析し、そこでの有罪認定の強度と質を再評価し、そののちに新証拠による総合評価をなしている。

原決定は、確定判決の証拠構造の分析を全くなさず、したがつて総合評価をオミットする。すなわち、各論点の判示の結びに、おまじない的に、「総合評価するに」とか、あるいは「関係証拠と併せ考えても」とか、「第二三結び」においては、「新規明白な証拠として採用する証拠資料を、その対比する事項毎に確定判決の関係証拠と総合して考察し、」などという文言を、一行挿入することで能事終われりとしている。

いうまでもなく上記各先例が再審理由の審理にあたつて、まず確定判決の証拠構造を分析した理由は、有罪認定の質を再評価するためであるが、加えて、再審請求審の弾劾の対象(審判の対象)を確定するためである






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*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』予告編 
近々完成



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August 21, 2013

1986(昭和61)年8月21日狭山事件第二次再審請求審(東京高裁第四刑事部)と 証拠開示に応じなかった東京高検検事

 

1986(昭和61)年8月21日 [[狭山事件]]で、[[東京高裁]][[第四刑事部]]へ、[[第二次]][[再審請求]]を行なう(Oの新[[供述]]、[[筆跡鑑定]]など提出)。


*狭山事件 第二次再審請求 でのツイートより

「逆転有罪とした高木俊夫裁判長は、リクルート事件労働省ルートでも元次官を逆転有罪とし、他に足利事件の2審で菅家さんを有罪とし、狭山事件の第二次再審請求を棄却した裁判長(1999年7月8日)。07年春の叙勲で瑞宝重光章。」


*8月21日誕生花とけいそう狭山事件の再審請求で証拠開示が勧告されたのは初めて
*2009(平成21)年12月16日 東京高裁の門野博裁判長が 検察側に対し、警察の捜査メモや犯行時間帯の目撃証拠などの開示を勧告した。・・・東京・霞が関の司法記者クラブで会見した弁護団は「高裁が石川さんの自白の信用性に疑問を抱いているということ。再審開始に近付いている」と述べた。東京高検の大野重国公判部長は「十分に検討し、適切に対応する」としている。


*マスコミはこれまで 狭山事件の再審請求で棄却した裁判長名だけを報じていますが、今は厚生労働省の村木さん冤罪事件で、国民の目も厳しくなっており、「東京高裁の勧告に応じず 証拠開示を行わない東京高検検事の実名」も報道してほしい


*2013年7月26日に行われた狭山事件の第14回三者協議や、それ以前の協議で、「不見当」だとして証拠開示に応じなかった東京高検狭山事件担当検察官2名の名前も、マスコミはきちんと取材、報道してほしい
(三者協議でのそれらに関する情報は、今のところ、解放新聞の記事や集会での弁護団報告などでしか知ることができない)


*第14回三者協議で、東京高裁の証拠開示勧告に応じない東京高検狭山事件担当の検事名が公表されない理由は?マスコミはこの事実の取材と報道を。
「これまでの再審裁判で冤罪が晴れた事件はみな一様に検察の証拠開示に因るものであります」(石川さん50年目の決意)http://www.ne.jp/asahi/sayama/mujitu/ap.htm



東京高検狭山事件担当検事への要請文
東京高検狭山事件担当検事への要請文


*狭山年表 

*【狭山事件、闘争の年表】

*『狭山事件と再審』 再審の経過と運動の経緯



*再審請求狭山事件と証拠開示問題 より 
証拠開示を行わなかった東京高検検事名
1986年8月21日 (東京高裁宛第二次再審請求)
1986年11月12日 東京高裁に証拠提出命令の申立てをおこなった。
1986年12月 5 日 東京高裁宛、 ルミノール反応検査丶 証拠りス トなどー4項目
の証拠開示請求をおこなった。
1988年1月 1 日 (刑事確定訴訟記録法が施行された)
1988年9月 2 日 東京高検が 「芋穴のルミノ…ル反応検査報告書」 ー点を開示した。
1993年11月 4 日 国連の規約人権委員会が日本政府に弁護側への証拠開示を
保障するよう勧告した。
1995年3月17日 弁護団は東京高検にリス トなど6点にしばって証拠開示を
請求した。
1996年8月21日 「反差別國際運動団体」 (ー脚R) が国連の人権小委員会
で狭山事件での証拠開示を訴えた。
1997年7月11日 弁護団は証拠リ ス トの開示勧告についての上申書を東京高
裁に提出 した。
1997年9月30日 東京高検の担当検事と折衝し、 証拠リストの開示を強く
迫った。
1997年12月 5 日 法務省の原田刑事局長 く当時) にも要請した。
1997年2月17日 証拠本票目を記載した書面 (証拠りス ト) 開示請求書を提出
した。
1998年5月13日 衆議院法務委員会で北村哲男議員が証拠開示について質問
した。
1998年9月 8 日 弁護団が東京高検の担当検事と折衝した。 その際丶 未開示
証拠が多数あること、 証拠り ス トもあることを会田検事が認めた。
1998年10月28~29日 国際人権 (自由権) 規約委員会 (規約人権委員会と も
いう) で、 日本政府の第4 回報告書の審査がおこなわれ、 委員から証拠開示に
ついて質問が出された。 石川事件 (狭山事件) にも触れて、 問題がある との指
摘がなされた。
1998年11月 5 日 國際人権 (自由権) 規約委員会がその最終見解で、 日本政
府に証拠開示の保障を再び勧告した。
1998年11月17日 弁護団が東京高検の会田検事と折衝、 国連の勧告を紹介し
て証拠開示を求めた。
1999年3月23日 東京高検の会田検事と証拠開示について折衝した。 その際
同検事は 「未開示証拠は積み上げると 2~3 メートルになる」 と回答した。
1999年4 月 東京高検の担当検事が会田検事から亀井検事へと代わった。
1999年6月10日 東京高検の亀井検事と証拠開示について折衝した。
1999年6月23日 東京高裁の高木裁判長に面会し、 証拠開示に対しても状況
説明し、 理解を求めた。

1999年7月 8 日 (東京高裁第四刑事部が第二次再審請求を棄却した。)
1999年7月ー2日 (東京高裁に異議申立てをおこなった。)
1999年9月 東京高検の担当検事が亀井検事から安達検事へと代わった。
1999年11月 東京高検の担当検事が安達検事から麻生検事へと代わった。
1999年11月24日 東京高検の麻生検事と証拠開示について折衝した。
2000年3 月 3 日 東京高検の麻生検事と証拠開示について再び折衝した。
2000年4月 東京高検の担当検事が麻生検事から松本検事へと代わった。
2000年6 月 東京高検の担当検事が松本検事から江幡検事へと交代した。
2000年6月28日 東京高検の江幡検事と証拠開示について折衝した。
2002年1月23日 (東京高裁が異議申立てを棄却した)
2002年 1 月29日 (東京裁に特別抗告申立て)
2002年10月 3 日 最高検に証拠開示に関する申入書を提出した。
2002年ー2月 2 日 最高検に証拠開示勧告申立害を提出した。
2003年11月26日 最高検の有田検事、 東京高検の磯辺検事に折衝したとこ
ろ、 証拠りストは開示しないが、 個別証拠については特定して請求すれば検討
する
とのことであった。
2004年9月13日 最高検にー5項目の個別証拠と証拠りス ト を開示するよ う請求
した。 東京高検の加藤検事と交渉したところ、 証拠りス トは開示できない。
個別証拠については検討して回答する
との答えであった。
2004年10月29日 最高裁に証拠開示命令等申立書を提出した。
2005年1月28日 東京高検の加藤検事から、 請求されたー5項目の証拠のほと
んどが手元に存在しない
、 との回答があった。
2005年3月16日 (最高裁第ー小法廷が特別抗告棄却決定を出 した。)

2005年5月23日 (東京高裁に第3次再審請求を出した。 第4刑事部に配点と判明した。)
2006年9 月 9 日 第4刑事部の裁判長が仙波裁判長から大野市太郎裁判長に
代わった。
2006年11月13日 東京高検に22項目の証拠開示請求書を提出 した。
2006年12月15日 東京高検の矢野検事と証拠開示について交渉したところ丶
開示請求の趣旨にっぃて求釈明があった。
2007年1月31日 証拠開示に関する釈明書を提出した。
2007年3月 6 日 東京高検の高崎検事と交渉した。
2007年5月23日 第4刑事部大野裁判長から門野博裁判長へと交代した。
2007年6 月20日 東京高検の佐々木正輝検事と交渉した。
2008年5 月23日 東京高裁に証拠開示命令申立書を提出 した。
2008年9月11日 門野裁判長と面会し、 すみやかな事実調べと と もに証拠開
示命令発令を要請した。




*「解放新聞」2/14 2005/第2206号から全文転載
◇リスト開示拒む  高検が狭山弁護団に
狭山事件再審弁護団は2005年1月28日午後、東京高検で加藤友朗・検事と折衝した。    
これは、昨年9月13日に提出した15項目にわたる個別証拠と「証拠リスト」
開示請求にたいする検察側の回答をもとにしたもの。中山主任弁護人、横田、
近藤の両弁護士が参加した。
加藤検事は、「証拠リスト」については従来通り開示できないとし、存在根
拠を示し個別に開示を求めた証拠書類については、「調査したがなかった」
とした。検察庁に存在する一部の証拠の謄写を認めた。





*袴田事件:静岡地裁(村山浩昭裁判長ら)、静岡地検(西谷隆次席検事ら)や袴田巌死刑囚の弁護団(西嶋勝彦弁護団長、小川秀世弁護士ら)による3者協議(非公開)

*2013.4.1法務省人事 より

西谷隆 静岡地検次席検事(公安調査庁総務部総務課長)
笹川修一 静岡地検検事(東京地検検事) 松居徹 静岡地検検事(東京地検検事) 竹敬一 静岡地検検事(大阪地検検事) 大西杏理 静岡地検検事(大阪地検検事) 的場健 静岡地検検事(和歌山地検検事) 根立智美 静岡地検検事(盛岡地検検事) 永山亮太 静岡地検沼津支部検事(横浜地検検事) 皺重行 静岡地検沼津支部検事(福岡地検検事) 丸林絵梨 静岡地検浜松支部検事(東京地検検事) 堀貴博 静岡地検浜松支部検事(鳥取地検検事)

*袴田事件第2次再審〜静岡地裁(村山浩昭裁判長)、証拠開示を地検(西谷隆次席検事)に勧告 地裁は勧告理由を「袴田死刑囚が当時の自分の行動として説明していた供述の信用性に関わる可能性がある」と。地検は「勧告理由を精査し適切に対応したい」

 袴田事件第2次再審 〜静岡地裁の証拠開示勧告を地検が「関係者のプライバシー保護」を理由に拒否、条件付き開示に応じる
静岡地検の西谷隆次席検事は「確定判決の証拠構造と関連がなく開示の理由はないが審理の終盤を迎えていることに鑑みて任意開示する」


*袴田事件第2次再審:静岡地検・西谷隆次席検事は 静岡地裁・村山浩昭裁判長の開示勧告に従い すみやかに証拠開示を行ってください 証拠リストを開示してください 全証拠の保全・弁護団への開示を行ってください

*袴田事件第2次再審:静岡地裁・村山浩昭裁判長は、静岡地検の証拠隠しを許さず、全証拠の開示命令を行ってください。新証拠の事実調べを行い、再審開始を決定してください







*狭山事件:東京高裁(河合健司裁判長ら)、 東京高検、弁護団(中山主任弁護人、中北・事務局長、横田、青木、近藤、小島、山本、河村、指宿、野口、福島弁護人)による3者協議(非公開)

*【人事】法務省より

(2008年4月7日)東京高等検察庁検事兼最高検察庁検事(東京地方検察庁公判部長) 大野重国
(20 年 月 日) 東京高等検察庁公判部長(東京高等検察庁検事兼最高検察庁検事)大野重国
(2010年6月17日) 金沢地方検察庁検事正(東京高等検察庁公判部長)大野 重國
(2011年4月15日) 静岡地検検事正(金沢地方検察庁検事正) 大野重国 
(2011年05月19日)東京高等検察庁検事(広島高等検察庁公安部長)検事 廣瀬公治
(2012年8月7日) 仙台高検公安部長 (東京高検検事)廣瀬公治
千葉地検検事正(静岡地検検事正)大野重国
東京高検刑事部長(大阪地検特別捜査部長) 曽木徹也
東京高検検事(名古屋地検特別捜査部長)浦田啓一
(2013年2月1日) 東京高検検事(内閣参事官)中川深雪
(2013年3月1日) 東京高検検事 新堀敏彦
(2013年4月10日)東京高検公安部長(大阪地検公判部長)佐藤方生
東京高検検事(前橋地検次席検事)加島康宏
東京高検検事兼東京地検検事(広島地検次席検事)阪井博
東京高検検事兼東京地検検事(公安調査庁調査第二部第一課長)宮川博行
(2013年4月24日)鳥取地検検事正(東京高検公判部長)杉山治樹
東京高検公判部長(東京地検公判部長)園部典生
(2013年7月5日)辞職(千葉地検検事正)大野重国
東京高検検事(横浜地検川崎支部長)山下純司
(2013年8月5日) 東京高検総務部長(官房付)松並孝二




*狭山事件第三次再審:今度の東京高検公判部長は、桜井昌司さんと杉山卓男さんの「布川事件の勝利の功労者」となった園部典生検事(水戸地検検事→→→東京地検公判部長→現職)。存在する「毛髪鑑定書」を不見当と回答し裁判官の心証を害す。警察が隠していた「録音テープ」を弁護団に提出する等。
http://blog.goo.ne.jp/syouji0124/e/04069006167697a19e3c641cd7201cdf




*狭山事件第三次再審:東京高検公判部長・園部典生検事は、東京高裁・河合健司裁判長の勧告に従いすみやかに証拠開示を行ってください。証拠リストを開示してください。全証拠の保全・弁護団(中山主任弁護人、中北、横田、青木、近藤、小島、山本、河村、指宿、野口、福島)への開示を行ってください


*狭山事件第三次再審:東京高裁・河合健司裁判長は、高検の証拠隠しを許さず、全証拠の開示命令を行ってください。新証拠の事実調べを行い、再審開始を決定してください




*東京高裁、東京高検に対する再審請求の取り組みとして、以下のような要請ハガキ運動があります。
 〒100-0013 東京都千代田区霞が関1−1−1 東京高等検察庁 検察官 ○○ ○○様
要請内容:「東京高裁の勧告に従い、証拠を開示してください。証拠リストを開示してください。全証拠の保全・弁護団への開示を行ってください。」

 〒100-0013 東京都千代田区霞が関1−1−4 東京高等裁判所第○刑事部 裁判長  ○○○○様
 要請内容:「高検の証拠隠しを許さず、全証拠の開示勧告を行ってください。新証拠の事実調べを行い、再審開始を決定してください。」




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*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』予告編 
近々完成



「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」へのリツイートをよろしければお願いします

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higurashi at 06:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 12, 2012

1986(昭和61)年11月12日

 [[狭山事件]]で、[[家宅捜索]]に関わった[[元刑事]]七人が、新たな[[証言]]を行う。

higurashi at 06:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 27, 2012

1986(昭和61)年8月27日

1986(昭和61)年8月27日
8月27日 梅田事件 釧路地裁 無罪判決 冤罪

 [[梅田事件]]で、[[釧路地裁]]が[[無罪判決]]を下し、逮捕34年にして[[冤罪]]が確定する。



8月27日誕生花ふよう


悼:梅田事件で再審無罪、梅田義光さん=2007年6月20日死去・82歳
(毎日新聞 2007年7月25日 東京朝刊より)

 ◇胸に納めて、他人罵らず−−梅田義光(うめだ・よしみつ)さん

 「この日を一日千秋の思いで待っておりました。この間の苦しみをなんと表現したらよいのか。一時は死を覚悟したほどです」

 黄ばんだスクラップブックの中に直筆の手記があった。四半世紀前の記憶が鮮明によみがえった。82年12月20日。強盗殺人罪などに問われて無期懲役の刑に服した梅田さんの2回目の再審請求に釧路地裁網走支部が再審開始を決定した時、毎日新聞に寄せた一文だ。

 梅田さんとの出会いは、さらに3年さかのぼる。再審開始の要件を緩和した最高裁の白鳥事件決定(75年5月)が出され、再審のうねりが高まる中で、梅田事件を知った。79年2月、札幌で開かれた集会。「私は断じてやっていません」。浅黒い顔をした男性が壇上で切々と訴えていた。年齢より老いて見えた。私は北見市に飛んだ。梅田さんは市営住宅で82歳になる老母と共に迎えてくれた。

 農業を営んでいた梅田さんは50年10月、営林局員が殺され、公金が奪われた事件の共犯として、2年後に逮捕された。「警察官の拷問」で容疑をいったんは認めたが、起訴直前に否認。その後、一貫して無実を訴えたが、57年11月に無期懲役の判決が確定。71年5月に仮出所した。

 「逮捕後、一家は離散。情けなかった。せめて殺人犯の汚名だけはすすぎたい」。朴訥(ぼくとつ)な語り口で、時折涙を浮かべた。気付くと夜も更け、そのまま泊まった。朝食に用意してくれたサンマの缶詰は今でも思い出す。

 再審の釧路地裁が無罪を言い渡したのは86年8月。逮捕から34年たっていた。「畑から掘り起こしたような男。あんな正直なヤツはいない」。梅田さんを支援し続けた小林政男さん(83)は振り返る。

 梅田さんは無罪確定後、リサイクル業の一方、各地で自分の体験を語り、冤罪(えんざい)の恐ろしさを訴えた。晩年は老人ホームに入居し、静かな生活を送った。

 梅田さんから他人を罵(ののし)る言葉を聞いたことはない。すべてを胸の内に納め、逝ってしまった。再審の扉が再び重たくなりつつあるという。梅田さんの無念の思いはきちんと届いているのだろうか。【江畑洋一】



免田事件〔免田栄さん〕
 免田事件再審無罪判決(判例時報一〇九〇号)1983(昭和58年)7月15日、熊本地裁    

財田川決定〔谷口繁義さん〕
 財田川事件再審無罪判決(判例時報一一〇七号)1984(昭和59)年3月12日 、高松地裁  

松山事件〔斉藤幸夫さん〕
 松山事件再審無罪判決(判例時報一一二七号)1984(昭和59)年7月11日、仙台地裁   

徳島ラジオ商殺し事件〔冨士茂子さん〕
 徳島ラジオ商殺し事件再審無罪判決(判例時報一一五七号)1985(昭和60)年7月9日徳島地裁(山田真也裁判長)

島田事件〔赤堀政夫さん〕
 島田事件再審無罪判決(判例時報一三一六号)1989(平成元)年1月31日、静岡地裁    

梅田事件〔梅田義光さん〕
 梅田事件再審無罪判決 1986年8月27日、釧路地裁


参考)
異議申立書
請求人 石川一雄
より抜粋

請求人石川一雄に対する強盗強姦・強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等再審請求事件につき、東京高等裁判所第四刑事部は一九九九年七月八日本件(第二次)再審請求を棄却する旨の決定をなした。
これらについては、全面的に不服であるので、刑事訴訟法四五〇条、同四二八条により、原決定の取消と再審開始の決定を求めて本異議の申立をする。

申立の理由は左記のとおりである。
一九九九年七月一二日
右主任弁護人山上益朗・・・

第一、原決定が最高裁判所判例である白鳥決定(昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決定。判例時報七七六号)と財田川決定(昭和五一年一〇月一日第一小法廷決定。判例時報八二八号)ならびにこれまで積み重ねられてきた再審各判例に違反していることについて。

一、白鳥決定は、明白性の程度と判断の方法について、「『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的疑いをいだかせ、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたして確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解するべきである」とした。

原決定は、右判例にいう「総合評価」ならびに「疑わしきは被告人の利益に」の原則の適用を放棄しているところの、きわめて違法・不当の決定と断ぜざるをえないのである。

とくに、「総合評価」の放棄は必然的に、自白をふくむ旧証拠の再評価を放棄することに帰し、ひいては確定判決の証拠構造と切り離した上で各新証拠をそれが対応する旧有罪証拠と個別的に対比検討して明白性を否定しているのである。これを換言するに、個々の新証拠のみで有罪認定を覆すことを要求する孤立評価説に堕落していること明白である。その違法性、不当性にてらして、それが再審の門の閉塞をねらつてあえて打ち出されたものとしかとらえようがないほどで、きわめて遺憾の極みといわざるをえないのである。

二、また原決定がこれまでの再審判例のなかで確立してきた各法理に敵対していることは、確定判決における証拠構造の分析を全くやつていないことに徴してあきらかである。
再審受理裁判所がまず、確定判決の証拠構造の分析から再審理由の検討に入ることはすでに定着、確定した審理の方法といえる。

たとえば、

昭和五四年一二月六日仙台地方裁判所における松山事件再審開始決定書をみると、「第二、確定判決の証拠構造」という項を起こし(判例時報九四九号)、有罪認定の有機的関連を検討している。このような審理方法は昭和五五年一二月一二日徳島地方裁判所、徳島ラジオ商殺し事件第六次再審開始決定(判例時報九九〇号二〇頁)において、昭和五七年一二月二〇日釧路地方裁判所網走支部の梅田事件再審開始決定(判例時報一〇六五号三四頁以下)において、昭和六一年五月二九日静岡地方裁判所の島田事件再審開始決定(判例時報一一九三号)において、平成四年三月二二日福島地方裁判所いわき支部の日産サニー事件再審開始決定(判例時報一四二三号)において、あるいは棄却決定の場合においてさえ、たとえば平成六年八月九日静岡地方裁判所袴田事件の決定(判例タイムズ八五六号)においても、右各再審先例は、再審請求の理由の審理にあたつては、まず確定判決の証拠構造を分析し、そこでの有罪認定の強度と質を再評価し、そののちに新証拠による総合評価をなしている。

原決定は、確定判決の証拠構造の分析を全くなさず、したがつて総合評価をオミットする。すなわち、各論点の判示の結びに、おまじない的に、「総合評価するに」とか、あるいは「関係証拠と併せ考えても」とか、「第二三結び」においては、「新規明白な証拠として採用する証拠資料を、その対比する事項毎に確定判決の関係証拠と総合して考察し、」などという文言を、一行挿入することで能事終われりとしている。

いうまでもなく上記各先例が再審理由の審理にあたつて、まず確定判決の証拠構造を分析した理由は、有罪認定の質を再評価するためであるが、加えて、再審請求審の弾劾の対象(審判の対象)を確定するためである。


higurashi at 06:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)