1964(昭和39)年

May 22, 2018

1964(昭和38)年9月10日狭山事件 第二審第一回公判で石川一雄さんが無実宣言、「自白」は強要によるもの

1964(昭和38)年9月10日のできごとは 狭山事件関連本四誌では、以下のように取り上げられていました
*[[狭山事件]]で、[[第二審]][[第一回]][[公判]]([[東京高裁]]・[[久永正勝裁判長]])が開かれる。[[石川一雄]]、善枝さん殺害を否認、[[無実]]を訴える。
(狭山事件『四十一年目の真実』鎌田慧著より)

*東京高裁にて第二審始まる。
 この日、石川さんは突然立ち上がり、「お手数をかえて申し訳ないが、私は善枝さんを殺していない。このことは弁護士にも話していない」と訴える。
 この石川さん自身による無実の宣言によって初めて、一審死刑判決の根拠となった自白がいかに作られたか、次々と法廷で恐ろしい、驚くべき事実が明らかにされていった。)
 (『狭山事件と再審』和島岩吉編より)

*狭山事件控訴審第一回公判で石川一雄が犯行を否認。
 (『不可侵 不可被侵』松本治一郎対談集より)

*東京高裁で公判開始。この日までに石川は警察官にだまされていたことを同囚から教わる。善枝殺しを全面否認。警察の拷問と自白デッチ上げを暴露する。法廷騒然となる。
(『石川一雄獄中歌集』より)


石川一雄さんは、三鷹事件の死刑囚竹内景助さん(無罪を訴えていたが獄中死、現在遺族によって死後再審請求中)には、東京拘置所で話しかけられ、色々教えられ、本当のことを言うよう諭された。(1964年9月10日、東京高裁における控訴審第1回公判において)真実(無実)を訴えるきっかけになった

竹内景助さんは、1949年 8月1日 逮捕で武蔵野署、1949年 8月 4 日 八王子少年刑務所へ移監、1949年 8月 20日 府中刑務所に移監、1949(昭和24)年 11月 4日 一審公判開始頃 東京拘置所へ移監、1967(昭和42)年 1月18日 東京拘置所で獄中死された(享年45)。








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一審・第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判
1963(昭和38)年9月30日
中田健治、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一、吉田一雄被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判 小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉、伊藤操、清水利一、関源三被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判 中田健治、中田登美恵裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。






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*狭山事件 第15回三者協議にむけて 東京高裁前連続アピール行動が
本日より開始されました
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00



*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
 東京、兵庫、大阪での上映会のお知らせ / 予告編
「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督




*獄中からや、仮釈放中・満期出所後に、冤罪を訴えている事件や、獄中で闘病中の方に代わってご親族が、再審請求中に死去された方に代わってご遺族が申し立てたあらゆる事件の早期の再審開始を求めます

*2011年11月11日 三鷹事件、44年ぶりに再審請求 元死刑囚長男が東京高裁に申し立て
  弁護団は、竹内元死刑囚が自白した方法では電車を動かすことができないとする鑑定書や、元同僚によるアリバイ証言などを「新証拠」として提出した。

*三鷹事件、43年ぶり再審請求へ 2回目、元死刑囚の遺族
  再審請求は、56年の第1次請求が元死刑囚の死去に伴って打ち切られており、約43年ぶりとなる。長男は弁護団に「父の無実の罪を晴らしたいと長いこと考えていた」と話しているという
*60年前の証拠、大量に保管 三鷹事件再審で三者協議




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higurashi at 17:25|PermalinkComments(0)

April 23, 2013

1964(昭和39)年4月23日

 [[松本治一郎]]が、[[参議院内閣委員会]]において「[[皇室経済法施行法の一部を改正する法律案]]」について追求する。




人間のとうといということは、大きい土地に住まい、大層高楼に美衣美食をして生活するのがとうといというのではなくて、自分自身の生活を、自分自身の力で、働き立てていくところに人間のとうとさがあると思うが、だれの子だから、だれの孫だからといってぜいたくをしていいということは許されないと思う。私の洋服は五年目です。春夏秋冬背抜きの服なんですよ。何か醜いですか。どこへ行ってもそう軽蔑されませんがね。皇室の者だからといって洋服が幾らかかる、飾りが幾らかかるというようなことでは 質素とはいわれませんね。私の服は冬でもこれですよ。背抜きだから夏でもこれですむ。五ヵ年着ているのです。おかげでそのためにからだが健康である。健康でない皇族の人たちのからだはあまりに贅沢しすぎるからじゃないですか。私はそう思う」一九六四(七七歳)




higurashi at 06:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 11, 2013

1964(昭和39)年3月11日

[[狭山事件]]の[[第一審]][[浦和地裁]]で、[[内田武文裁判長]]が求刑通り、[[死刑判決]]を言い渡す。

 


 内田武文裁判長は、証人・証拠調べ請求を全て却下し、六ヶ月のスピード審理で「死刑判決」を下す。
 判決文も、犯行の原因を、生い立ち、生活環境などとする部落差別者に対する偏見、差別に基づく内容であった。
 石川一雄さんは、第一審の公判中、「一〇年で出してやる」という長谷部梅吉警視の言葉を信じ続けた。 





higurashi at 06:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

February 10, 2013

1964(昭和39)年2月10日

 [[狭山事件]]の[[第一審]][[第一一回公判]]([[浦和地裁]])で、[[原正検事]]が[[石川一雄]]さんに[[死刑]]を求刑する。

higurashi at 07:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 22, 2012

1964(昭和38)年11月22日

[[1964(昭和38)年]]11月22〜23日

 [[第一回]][[全国高校部落問題研究集会]]が、[[京都]]で開催される。

higurashi at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 18, 2012

1964(昭和39)年10月18日

 [[大阪府]][[富田林市]]で、[[部落]][[青年]]に、[[警官隊]]が[[差別]][[暴行]]する。

higurashi at 06:29|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

October 08, 2012

1964(昭和38)年10月8日

 [[松本治一郎]]が、[[日中友好協会]]の[[国慶節]]祝賀訪中代表団長として、[[周恩来]]総理と会見する。


higurashi at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 23, 2012

1964(昭和38)年8月23日

 [[部落解放]][[第一回]][[全国子ども集会]]が、[[京都]]で開かれる。




8月23日誕生花げっかびじん





2008年8月23日パペガ会



崖の上のポニョ【歌詞付】


higurashi at 06:01|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

December 03, 2011

1964(昭和40)年12月3日






  松本治一郎が、政府の第二回生存者勲章にあたり、勲一等を拒否する。




higurashi at 06:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)