1933(昭和8)年

November 20, 2012

1933(昭和8)年11月20日

 [[差別糾弾闘争委員会]]が、「[[要求貫徹闘争方針]]([[第二段階の闘争戦術]])」を決定する。

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October 26, 2012

1933(昭和8)年10月26日

 [[松本治一郎]]が、[[埼玉県花園村]]の[[高松地裁差別事件]]真相発表会に出席し、花園村村長[[差別事件]]を[[糾弾]]する。

 [[松本治一郎]]が、[[浅草出合堀会館]]において、[[高松差別裁判取消要求]]の[[全国部落代表者請願隊]]主催の在京の[[労働者農民無産者]]の代表を向え、[[答礼会]]を行う。


金木犀

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October 19, 2012

1933(昭和8)年10月19日

 [[高松結婚差別裁判]]取消要求の[[全国部落代表者請願隊]](10.1[[福岡]]発)が[[東京]]に到着し、連日、[[司法省]][[大審院]]等に抗議する。


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October 01, 2012

1933(昭和8)年10月1日

 [[高松差別裁判]]取消要求の[[全国部落代表者請願隊]]が、[[福岡]]を出発する。
 東京までの歩行行進の代表となった[[松本治一郎]]が、全国各地で[[差別裁判]]反対を訴える。


 *[[1933(昭和8)年6月3日]]
 [[高松地裁]]が、[[結婚誘拐容疑]]で、[[部落]]の青年、[[久本]]1ヵ年・[[山本]]一〇ヵ月の[[有罪判決]]を下す。





 『列車から首を出すな』『万歳をいうな』『代表の腕章を外せ』『途中下車はいけない』『一度中止をうけた者は東京着まで演説はさせぬ』『在郷軍人の肩章ははげ』








 等々の命令にも屈せず、途中枢部落のある各駅に下車して演説会を開き、あるいは各駅に送迎する部落大衆の歓呼に応え、憲兵、警察官のものものしい警戒の中に、検束、送還等の活劇を演じながら、十月三日関門海峡の第一警戒を突破し、下関で山陽、山陰の二隊に分れ、








四国の代表と大阪で合流し、近畿各府県を遊説し、中部の代表を加え、十月十九日関東代表および都下無産者諸団体代表の感激的歓迎裡に東京駅着、わが国空前の壮挙ともいわれた高松地方裁判所『差別裁判取消』全国請願行進を完遂したのであった。






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May 25, 2012

1933(昭和8)年5月25日

高松差別裁判取消請願隊


 [[1933(昭和8)年5月25日]]、[[香川県]]の[[高松市]]、[[高松地方裁判所]]で、[[部落民]]であることを[[結婚]]相手の「女性」に告げなかったことが、[[結婚詐欺]]・[[誘拐]]にあたり、[[有罪]]であるとする[[判決]]が下る、重大な[[差別事件]]が起こる。

 同年6月27日、[[松本治一郎]]は、[[高松地裁差別裁判糺弾闘争委員会]]を組織し、9月15日、[[九州地方部落代表者会議]]で、東京までの歩行行進代表となり、[[判決]]をくつがえすために、全国の部落によびかける。
 
 翌年4月21日、[[高松地裁]]の差別当事者、[[白水検事糺弾]]大会が[[福知山]]で開かれ、[[松本治一郎]]は検事に自決を要求する。
 
 これらの、かつてない大きな闘いの中で、少し何かを言えば刑務所に放り込まれる[[言論統制]]の時代に、事件の被害者の[[仮釈放]]を実現させる。

 [[松本治一郎]]の名が、全国的に知れわたるようになったのは、(この[[高松事件]]とよばれる)[[差別事件]]からである。


高松結婚差別事件

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December 12, 2011

1933(昭和8)年12月12日

 [[全国部落代表者請願隊]]が、[[ファッショ]]反対の抗議書をもって、[[ドイツ大使館]]に抗議行動を行う。

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