1954(昭和29)年

December 22, 2012

1954(昭和47)年12月22日

 [[福山結婚差別事件]]の[[第二回公判]]で、[[デッチあげ]]が暴露され、[[和田被告]]らの釈放が決定する([[広島]][[福山]][[地裁]])。
 
 [[岡山県連新見市支部]]を中心として、[[新見警察署]]の[[拷問]]と[[差別]]による[[人権侵害]]に抗議する。


higurashi at 06:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 06, 2012

1954(昭和29)年12月6日

 [[松本治一郎]]が、[[衆議院内閣委員会]]で、[[自衛隊法]]の一部改正法律案について質問する。





韓国からやって来られると、応待のできない、交戦のできない、戦争はすることのできない憲法がある。
交戦しなさいとは言いません。








役に立たないものを何千億という金をかけるよりも、先ず、国民生活安定のために振り分けられることが先決問題ではないかと、こう思うのです。




higurashi at 06:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 18, 2012

1954(昭和29)年11月18日

 [[松本治一郎]]が、[[ソ連]]の[[作家]]らとともに、[[ストックホルム世界平和評議会]]に出席し、「[[世界の共存共栄]]」を演説する。

higurashi at 06:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 05, 2012

1954(昭和29)年11月5日

 [[松本治一郎]]が、[[ソ連]]第三七回[[革命記念日]]に参加するため、[[訪ソ]]する。

higurashi at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 12, 2012

1954(昭和29)年10月12日

 [[松本治一郎]]が、新『[[解放歌]]』募集の審査委員長になる。

higurashi at 06:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 02, 2012

1954(昭和29)年10月1日

 
[[松本治一郎]]が、[[中国国慶節]]・[[世界平和評議会]]に出席の為、[[羽田]]を出発する。





 「ご承知のように吉田茂は、国民の反対を押し切って、莫大な国費を使ってアメリカへ逃げた。しかもその出発にあたって、一千名近い警官に護衛されねばならなかった。それにひきかえ私は、だれに警戒してもらう必要も無く、日中友好と平和を願うあらゆる階層の人々に送られて出発できる。」 








 「新しい中国ができて、その中で差別問題がどうなったか、少数民族がどうなっているのであろうか、それが第一の疑問であり、関心事であったと思います。なお合わせて、中国に対する日本軍国主義の侵略のお詫びも言いたい。そのほか、日本で残っている人々の帰国を促進するというのも、参議院副議長をしておられた政治家松本治一郎の一つの願いだったろうと思われます。」






higurashi at 06:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 04, 2011

1954(昭和47)年12月4日

 [[松本治一郎]]が、[[ハンブルグ]]から帰国する。






「日本と同じ状態におかれている西ドイツでも、再軍備反対が圧倒的な支持を受けている。
 ハンブルグで、吉田政府が国民の力によって亡びようとしていることを知り、









 長年の宿敵吉田の葬式には、ぜひ弔辞を読まなければと、急いで帰ってきた。」





higurashi at 06:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 26, 2011

1954(昭和29)年11月26日

 [[三重県]][[上野市]]の「[[破防法]]」[[公判]]([[部落出身者]]・[[在日朝鮮人]]五名に対するもの)において、[[最終弁論]]が行われる。

 [[松田喜一]]他が、[[特別弁護人]]として[[弁論]]に立つ。

higurashi at 06:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 25, 2011

1954(昭和29)年11月25日

 [[福山]][[結婚差別]][[裁判]]の[[第一回公判]]が開かれる。

higurashi at 06:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)