1980(昭和55)年

February 07, 2018

1980(昭和55)年2月7日


2.7狭山事件第一次再審請求棄却38ヶ年きゅうだん




[[1980(昭和55)年2月5日]]
[[東京高裁]][[第四刑事部]]([[四ツ谷裁判長]])が、[[事実調べ]]をいっさいおこなわず、[[狭山事件]]の[[再審請求棄却]]決定を行う。 



*裁判経過
19770816 最高裁(上告審判決)異議申立てを却下(15日付)、無期懲役が確定。
19770830 石川弁護団、東京高等裁判所第1次再審請求を申し立て。>棄却。
19770908 石川が千葉刑務所へ入所。
19790411-0427 両親の石川 富造(81)、リイ(73)、息子の無実を訴え全国行脚。
19800207 東京高等裁判所、第1次再審請求を棄却

(与太郎文庫さんの“◆ 狭山事件年譜”より)

*「2.7狭山事件第一次再審請求棄却」糺弾関連の新聞記事集

*高判昭55.2.5刑集33-1-1K(1980年〈昭55〉2月7日東京高等裁判所、第1次再審請求棄却に関する“裁判所”のHP)



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December 13, 2012

1980(昭和55)年12月13日

 [[徳島事件]]で、[[再審開始]]決定が下る([[徳島地裁]])。
 →[[検察]]側が[[即時抗告]]を行う([[12月16日]])。

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December 11, 2012

1980(昭和55)年12月11日

 [[免田事件]]で、[[検察官]]の[[特別抗告棄却]]決定が下る([[最高裁]][[第一小法廷]])。
 →[[再審開始]]が決定する。


。・゚(゚`Д)゙ “人が人を裁く行為、信用できぬ
 元死刑囚 免田栄さん、裁判を語る

(2008年12月6日/朝日新聞夕刊)より抜粋


 ――無罪判決を得た時はどんな思いでしたか。

 自由な世界に行ける。それだけで「ありがとう」の言葉が出ました。ただ、無罪になっても「うまいことやったな」と言われ続けています。いまだに郷里(熊本県)では暮らせません。



 ――逮捕された時が二三歳。釈放されてから二五年。それぞれの年月を比べていかがですか。

 次々と新しい継母が来て、誰一人として私をかわいがってくれない家庭でしたから、昔の二三年はいつも暗い気持ちでした。釈放後の25年は、社会とは解け合わなかったけれど、家内がよくしてくれて、何とか世のため人のために生きられます。彼女は労組の事務員で、友達がたくさんいました。その人たちが私の釈放を喜んでくれた。私に、人とつながるきっかけをくれたのです。言葉に尽くせないほど感謝しています。



 ――再審開始の道を開いた裁判官の西辻孝吉さんとは、釈放後に会ったそうですね。

 亡くなる直前です。「お世話になりました」と言うと、両手で壊れるほど強く私の手を握り、涙を浮かべてうなずいてくれました。あの温かい握手……。今の私の生きる励みです。「私は無罪だ」と法廷でも獄中でも言い続けたのに、西辻さんが現れてくるまで、裁判所は一度も耳を貸そうとしてくれなかったのですから



 ――多くの死刑囚の人々を見送られたのでしょうね。

  アリバイを主張したのに「自白」をしたとされ、「意味がわからない」と思いました。闇の中にいるようで。希望を持とうと試みては自分が絶望の中にいることを確認する、その繰り返しでした。ある朝、数人の足音が近づいてきて、だれかの房の前で止まる。看守たちに刑場へ連れて行かれる途中、仲間たちは私の房の食器口から手を入れ、別れの握手を求めてきました。中には私と同様、無実だと訴えている人もいました。「残念だ。あんただけは頑張ってくれ」と言ってくれた人もいました。彼らの言葉と握手は、再審を求めて闘う私の、強い支えになりました。




 人が人を裁くという行為を、いまだに信用できません。
「死刑」という裁きはもちろんですが、「無罪」という裁きに対しても、現実には犯人扱いがなくならない
裁判って何のためにあるのか・・・ ・・・





 ――今の生きがいは何ですか。

 自分の健康を大事にすること、同時に人が健康に生きることも大事に思うこと、でしょうか。「元気ですね」「はい、元気です」。人とそう言い交わせることがうれしい。その気持ちがあるから、明日へ進めます。過去の痛みは……忘れなければ仕方ないのですが……。良いことだけを思い出して、精いっぱい生きていきたいと思います。



 いま、時々講演に行くほかは畑仕事をしています。汗をかくとよく眠れますから。それに近所の人の畑を手入れしてあげたり、玄関前のそうじをしてあげたり、採ってきたタケノコをあげたりすると、喜んでもらえます。それがうれしいんです。同じ「おはよう」でも、すれ違うだけの間柄で言う「おはよう」とは違う。世話をしあっている関係の中で言う「おはよう」は、うれしいんです。(塩倉裕)



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めんだ・さかえ 一九二五年生まれ。四八年の一家四人殺傷事件で逮捕され、五一年に死刑確定。殺害方法が「自白」と違うとする新証拠などが採用され再審が始まり、八三年無罪に。八四年に結婚した妻と福岡県で暮らす=森下東樹撮影
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(同新聞過去記事より追記)

 免田栄さん(八三)は、二五年前の七月、再審で無罪判決を得て“死刑台から生還”した。故郷にも戻れない五七歳からの後半生で、日々の暮らしや人とのつながりを、どう築いてきたのか 

  ――生命の危機は逮捕される前にもあったのですね。四五年の敗戦の時、一九歳でした。
 徴用されて長崎県の軍需工場にいました。米軍機の機銃掃射に体を貫かれ、仲間が次々に死んでいきました。自分も死ぬつもりでした。でも敗戦直後、日本軍の滑走路として攻撃され火花が散っていた場所で子どもたちが遊ぶのを見たとき、拝みたいような気持ちになりました。
 ただ、将来の夢などは全くありませんでした。食べていけるかどうかの状態でしたから。

 ――戦後間もない四九年に突然逮捕され、五一年には死刑が確定しました。
 ――状況が変わったのは?
 拘置所で、房の食器口からチラシが放り込まれたのです。「たとえ我、死の影の谷を歩むとも、災いを恐れじ」とありました。なぜ私の房に入ったのかわかりませんが、聖書の一節でした。半年以内には死刑執行されるだろうと聞かされていた私には、「死の影の谷」という言葉が自分の状況を理解してくれているように思えたのです。
 キリスト教を学び、たとえこの世で敗れてもせめて死後は真実の世界に行きたい、と考えるようになりました。

 ――では今、免田さんにとって、ふるさとは?
 この地球が仮の宿だ、と考えています。いずれ寿命が来たら神の国へ行ける、と。


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November 19, 2012

1980(昭和55)年11月19日

 [[袴田事件]]で、[[上告棄却]]決定[[判決]]が下る([[最高裁第二小法廷]])。

http://www.free-hakamada.com/?OVRAW=%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6&OVKEY=%E8%A2%B4%E7%94%B0%20%E4%BA%8B%E4%BB%B6&OVMTC=standard&OVADID=9015534041&OVKWID=77765046541&OVCAMPGID=405220541&OVADGRPID=6803021429

袴田事件:証拠の有無、回答 地検が初めて 取り調べ録音が存在 /静岡
毎日新聞 2011(平成23)年11月17日(木)

 1966年に旧清水市(静岡市清水区)で一家4人が殺された袴田事件で、袴田巌死刑囚(75)の第2次再審請求弁護団は16日、会見を開き、静岡地検が静岡地裁に証拠開示に関する意見書を提出したことを明らかにした。検察側は初めて証拠の有無について明確に回答。袴田死刑囚の取り調べを録音したテープの存在も判明した。
 弁護団によると、テープの分量や録音された取り調べの時期などは不明。
 検察側は、弁護団が開示を求めた証拠20項目のうち11項目について、存在しないか、既に開示と回答。取り調べの録音テープを含む7項目は、「第2次再審請求の争点とは関係ない」として開示しないという。
 残る2項目は全部または一部を開示。袴田死刑囚が住んでいた従業員寮の写真や、有罪の証拠とされた「5点の衣類」を調べた県警捜査員の供述調書など計33点で、今月21日の3者協議で開示される予定。【平塚雄太】

[[袴田事件]]フレッシュアイぺディア
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6?from=wkp_clip

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October 16, 2012

1980(昭和55)年10月16日

59 7.31 滝事件、起こる。
     趙昌国(鈴木久雄)は石川県滝港から密入国し、連絡員と接触場所に向かう列車の中で、職務質問を受けて逮捕される(昭和34年)

76 1.14 滝事件・再審請求棄却(東京地裁)

80 10.16 滝事件・一部再審開始(東京高裁)

81 3.27 滝事件・一部再審無罪(東京高裁)



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October 05, 2012

1980(昭和55)年10月5日

 [[部落解放中央共闘]]と、[[社会党]]三五〇名が合同[[]]狭山現地調査を行う。
 [[槙枝総評議長]]、[[丸山自治労委員長]]、[[太田全遁委員長]]、[[八鍬勤労委員長]]をはじめ、各単産三役クラス、そして、[[社会党]][[多賀谷書記長]]らが参加する。

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July 01, 2012

1980(昭和55)年7月1日

鹿児島ホステス殺し事件(最高裁昭和55年7月1日判決判例時報971号124頁、福岡高裁昭和57年6月29日判例タイムズ476号209頁)続きを読む

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