1936(昭和11)年

May 26, 2012

1936(昭和11)年5月26日

 「[[華族制度]]改正に関する質問」に対し、[[広田内閣]]総理大臣、[[内務大臣]]が不誠意な答弁を出す。
 [[松本治一郎]]がさらに、[[衆議院本会議]]で追求する。



 衆議院議員松本治一郎君提出「[[華族制度]]改正に関する質問」に対する答弁

一、華族に対しては宮内省の管掌する所なるを以て、政府は答弁を差し控えたし


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February 20, 2012

1936(昭和11)年2月20日

 [[衆議院議員]]([[福岡]]県選出)に、[[松本治一郎]]が当選する。
 以後、[[松本次一郎]]を、[[松本治一郎]]と改めた。
 [[赤坂]]表町十八に事務所を開設する。




 部落民のなかからも、それまでに国会議員になったり、高官になったりしたものが数少なくなったが、それらの人々は、俗にいう〈頬かむり〉式であって、世間に部落民だということを知られずにいたのである。






 部落民であることを公然と名乗って国会議員の選挙戦にうって出たのは私が初めてであった。
 しかし当選しても、世の中にはやはり、差別的な色々の声を聞き、国会ですら、そういうことが作用した。




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1936(昭和11)年2月20日

 [[一九三六(昭和十一)年]]、[[水平社]]の活動家たちが、[[松本治一郎]]に選挙出馬を迫り、「五尺八寸、二十七貫(およそ百七十五臓九十四繊法△海[[松本治一郎]]、最後の血の一滴まで、闘い抜くことを誓います」の演説の締めくくり文句で、激戦区の[[福岡]]一区を駆け抜け、初当選する。

 以降、それまで次一郎と名乗っていたのを、治一郎に改名する。
 これまで[[部落出身の政治家]]はいたが、[[政治]]の世界で[[部落問題を訴える政治家]]はいなかった。

 世の中の流れは、当選の五日後、三十年ぶりの大雪の降る東京で、青年陸軍将校たちによるクーデター([[二・二六事件]])が起こり、[[松本治一郎]]の[[理想]]とは逆の方向に向う。

 その年の五月十六日、当選した[[松本治一郎]]は、[[衆議院]]の[[予算委員会]]で、[[地方改善費]]について[[質問演説]]を行う。






 人間の住む世の中に、人間として生きていくことのできない社会があるとするならば、その社会はあやまった社会であると言わざるをえません。人間と生れた以上は、人間として生きていきたい、その生活ができない社会があるために、[[水平運動]]があるのであります。










 政府は一方において、地方改善費を支出して[[融和]]施策を行いながら、他方においては[[差別]]を黙認・・・甚だしい場合は助長するが如き、矛盾した態度を執れることすら見られるのでありますが、










政府が年々支出しておられる地方改善費なるものは、[[部落]]大衆に対する[[差別]]を取り除いて、[[国民融和]]を図る為なりや、それとも[[部落]]大衆を誤魔化す為なりや、この点をはっきりと答えて頂きたいのであります。





 「[[政治]]の世界で、[[部落問題]]を訴えたいとは思っていたが・・・」
 [[松本治一郎]]は、[[部落差別]]の実態から出発して、差別を見抜く目の無い政府側の人たちに、[[国会]]の場で、説明を行い、施策が不十分であることを認めさせ、改めさせていく。


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