1970(昭和45)年

September 30, 2013

1970(昭和45)年12月3日狭山事件第二審第三九回公判、石川一雄さんの自白維持で<真犯人取り逃がし>の責任を問われなかった中勲 埼玉県警察本部刑事部長 警視正

 


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<10.31寺尾裁判長無期懲役判決から39年きゅうだん!>








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一審・第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判
1963(昭和38)年9月30日
中田健治、中田登美恵、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判
1963(昭和38)年10月23日
関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平農道の赤土と黒土
被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判
1963(昭和38)年11月4日
野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一技官、吉田一雄星野鑑定書の作為”
被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判
1963(昭和38)年11月13日
小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉伊藤操、清水利一、関源三万年筆、鞄、教科書について
被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判 中田健治、中田登美恵裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判
1963(昭和38)年12月12日
石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判
1964(昭和39)年1月23日
石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。
(浦和地方裁判所 第一審公判第一審公判 全十一回)
 



*一審では(警察の誤認捜査によって逮捕された)石川一雄さんが自白維持していたため
<犯人とり逃し>の責任についての中勲(埼玉県警本部刑事部長・捜査一課課長)に対する石田弁護人による<弁護人尋問>は
1970年12月3日の第二審第三九回公判まで待たねばなりませんでした
(「完本 狭山裁判 上」. 野間宏/著. 藤原書店1997 より引用)


 (弁護人) 一度犯人を取り逃がしておりますね。
 (中勲埼玉県警本部刑事部長)はい。
 (弁護人)本部の刑事部長として責任を追及もしくは、
警視庁本部内で何か問題が出ましたか。
 (証人)内部では問題出ませんけれども責任を感じて
進退伺いを出しました。
 (弁護人)柏村警察庁長官が時の篠田公安委員長に
辞表を出したのもご存知ですか。
 (証人)知りません。
 (弁護人)この問題についてそういうことがあったのを
ご存じないですか。
 (証人)長官が辞められたのは知っておりますけれども
それとの関連については私ども内部におきましても
全然知りません。


 (弁護人)辞表をあなた方が出す時にはどこに出すんですか
 (証人)警務部長を通じまして国家公安委員会に出しました。
 (弁護人)結局結果的にはどうでしたか。
 (証人)私は警察本部長に一応進退伺いを出しました。
まあ、逃げられたということについては、
やむを得ないということで一応引き続いて
職務をはげめということでございます。
 (弁護人)はげめという言葉を使ったんですか。
 (証人)引き続いて職務を、まあやれという
ことであります。
 


  (弁護人)五月二日、三日の時点では、あなたの
責任は問題にならなかったんですか。
 (証人)逃げられた段階では、一応私が指揮をして
おりませんので、所轄警察署長が責任者であろうと
いう本部長の見解で。
(弁護人)あなたご自身について、上司からどういう状況のもとで
取り逃がしたのかという調査とか監察は行われましたか。
 (証人)これは警察本部長がすぐ現地へとんでいきましたから
さような必要もなかったです
 

*『完本 狭山裁判・ 中』( 野間宏著)の「犯人との応答ー中田登美恵証人(一〇五〇頁)」から一一〇五頁に、犯人を取り逃がした警察に対する福地弁護人の尋問の公判記録が載っています。


(宇津弁護人)あなたが五月三日朝佐野屋付近に
行かれたのは、犯人らしい者が逃走した後、
何か足跡が残っていないか確認するために
行かれたのですか。
長谷部梅吉警視)犯人逮捕の為です。
確認ではなく、逃走した犯人逮捕の指揮を
するために行ったんです。
足跡を見つける為じゃないです。


 (弁護人)現場の総指揮者として当然
夜が明けてからもかなり重要な捜査に
タッチされていたと思うんだけれども
 (大八木豊次郎捜査課長補佐)いや、
総指揮者ということはですね、
結局名目上の問題で、まあ、
責任を誰にするかということになるから、
そういうことになったと思うんですが、
総指揮者は今度は私がやったというんでなく、
犯人逮捕の現場におけるところの総指揮者で、
その後の捜査についての総指揮者は
私ではないんですから。
 (弁護人)誰ですか。
 (大八木証人)それは埼玉県警特捜本部長
中勲警視正になっていたと思うんですが。


狭山事件の一刻も早い再審開始と無罪獲得により、事件担当の警察には、<犯人取り逃がし>さえしなければ、石川一雄さんが(見込み捜査により誤認)逮捕されることもなかったし、(無実の罪で極刑判決を受けるような)裁判沙汰にもならなかったことを認め、
謝罪していただきたいですね



sayama19
裁判所は事実調べを行い再審開始を!
検察は すみやかに全証拠開示を!
証拠開示の法制化を!


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May 28, 2013

1970(昭和45)年5月28日

 『石川一雄獄中歌集』(たいまつ社)一九七〇(昭和四五)年五月二二日より



 わが前に 立ち塞がりし司法権力を 薙ぐ筆に見ゆ 真の光





『石川一雄獄中歌集』(たいまつ社)一九七〇(昭和四五)年五月二八日より


 寄せられし署名にあふるる真心を思いて獄のわれを支えり

 冤罪のわれ哀しみで綴りたる友の会等の交に涙落ち来も





 一九七一(昭和四六)年五月二九日
 「狭山差別裁判に対する公正裁判要求、石川一雄氏の即時釈放」を求める百万人署名が始まる。
 
 一九七一(昭和四六)年十一月九日
 井波裁判長が「二月結審、十一月までに判決」と発言する。

 


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April 21, 2013

1970(昭和45)年4月21日

 [[狭山事件]]で、[[第二審公判]]が再開される([[井波七郎]]裁判長)。
 
 [[1968(昭和45)年11月14日]]の[[第二審第三〇回公判]]で、[[自白]]図面の[[筆圧痕]]が問題化し、[[事実調べ]]継続となっていた。
 [[公判]]再開までに、[[久永正勝]]裁判長、[[津田正良]]裁判長、そして[[井波七郎]]裁判長と、三人の[[裁判長]]の交代があった。

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March 04, 2013

1970(昭和45)年3月4日


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・三・四)より





『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・三・四)

 悔いの無きペンに託さむ我が前に光溢れる支援の数々





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February 09, 2013

1970(昭和45)年2月9日


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・二・九)より


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・二・九)


暗雲に苦悶の我が身に光り満つ正義の支援者其処此処にあり

真実の一路驀進 我れ決意 司法権力破壊する迄



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February 08, 2013

1970(昭和45)年2月8日


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・二・八)より


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・二・八)


陥穽に覚めし我れは筆を射る 容易に落とせし司法権力

踏まれても春に芽を吹く野の草の根強き力我れも学ばん



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January 15, 2013

1970(昭和45)年1月15日


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・一・一五)より


 数多なる年賀状に寄せる信頼を胸に抱いてその年に励む

  新玉の七年迎える囚我れに 夢は告げきる輝く勝利

 寒気にもめげず励む我が鉄窓に雀も囀る勝利のうたを


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January 14, 2013

1970(昭和45)年1月14日


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・一・一四)より






 七回目の迎えし獄の誕生日溢れし 今宵の無念の涙




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January 03, 2013

1970(昭和45)年1月3日


『石川一雄獄中歌集』(一九七〇・一・三)より






 歳晩(さいばん)で 落せし涙 清めむと 迎えし春に また涙落つ




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