2004(平成16)年

July 25, 2013

2004(平成16)年7月6日  『辛 淑 玉のいわせていただきます』より/石川一雄さん:、『見えない手錠』から解き放たれたら、両親の墓参りしたい(ラジオ番組のすおこし)

ラジオ番組『辛 淑 玉のいわせていただきます』
2004年7月6日(火)ゲスト:石川一雄さん(再喝)

 コンバンハ、辛 淑 玉(シン スゴ)です。
 今から四一年まえに起きた狭山事件は、部落差別による冤罪事
件として今でも日本全国に再審要求の声が上がっています。
 昨年九月、新たな証拠を提示し、特別抗告の申立をしたにも係
わらず、いまだ司法の扉は開かれていません。
 今日は仮出獄の状態が続いている石川一雄さんに、当時の状況
を伺いたいと思います。

辛さん:石川さん、コンバンハ。今日はお忙しい中、どうもあり
 がとうございます。

石川さん:お世話になります。

辛さん:あの、狭山事件といいますと、若い人にはなかなかね、
 耳慣れないと思いますが、石川さんは当時、埼玉県の狭山市
 にお住まいで、その狭山市で下校中の女子高生が誘拐されて
 二〇万円を要求する脅迫状が届いて、その犯人を警察が取り
 逃がしてしまいましたね。そのあと被害者の遺体が発見され、
 しばらくして石川さんが別件で逮捕されたと・・・。
 で、最初はもう頑強に否定していたにも関わらず、六月一七
 日になって釈放直後に違法にも逮捕され、そして自白を強要
 された・・・。あの当時はどんな状況だったんですか?

石川さん:最初の逮捕された当初は、被害者の善枝殺しを他の
 人たちが自供しているから、お前も自供しろと責められてお
 りました。ところが、数日たって私の家から押収した地下足
 袋が、これは犯人が身代金を取りに行って逃げられ、そして
 その残った足跡に石膏(せっこう)をながしたものと一致す
 ると。お前、履いてみろということで私は履きました。とこ
 ろが兄貴の足袋だったために、私は十寸半、兄は九寸でどう
 しても踵が出てしまう。ですから、私はその時これはたぶん
 警察官が犯人を逃がした後にとった足跡が本当に、この石膏
 とうちの足袋がそうだとなれば、アン(兄)ちゃんが犯人か
 もしれない・・・というふうな思いにさせられていきました。
 
辛さん:実際に、むこうが証拠として出してきた足袋は石川さ
 んの足には全く合わなかったわけですね。

石川さん:ええ、踵が出てしまうんですね。小さくて・・・

辛さん:で、その時にこれはアンちゃんのものだというふうに
 思いこんでしまった・・・

石川さん:ええ。

辛さん:あの、そしてその自白をベースにして、一審では死刑
 が求刑されましたよね。

石川さん:はい。

辛さん:その当時のね、新聞とか、いろんな情報を見てみます
 と、判決を受けても微動だにしないというような・・・。で、
 言われていたのは、判決を受けたとしても大丈夫だという、
 ま、今で言えば裏取引というような、まあそういった言いく
 るめ方をしていたわけですね?

石川さん:そうですね。自分も警察官の長谷部梅吉警視が、そ
 の前から警察官で一番偉いと思っていましたので、たとえ死
 刑だと言われても、そんなことはないだろうということを、
 『男同士の約束』ということで、それを信じたわけですよね。

辛さん:ところがそれは全くの嘘でしたよね。日本は「自白」
 というものが、とても大きな証拠として、一度自白させたら
 一転してそれで叩いてくるという状況ですよね。

石川さん:この狭山事件には五人の自殺者がおりますよね。そ
 して、その自殺した方はほとんどが被害者の人と何らかの関
 係を持っていますね。だから、この不思議なのが、自殺者が
 多くいるということと、そしてまた同時に、兄貴が犯人じゃ
 なかったとしたら、たぶん生きている人がいたら、私が犯人
 にされているわけですから、辛い思いをしているんじゃない
 かと思っておりました。

辛さん:要するに、身代わりになった石川さんに対して本当の
 加害者が辛い思いをしているというふうに石川さんは考える
 んですね。

石川さん:はい。五人の自殺者の中にいなかったとしたら、た
 ぶん今は自分の心の中では辛い思いをしているんじゃないか
 と思います。

辛さん:しかし本当に、様々な証拠でおかしなことがいっぱい
 ありますよね。さっきおっしゃた足袋もそうですよね。発見
 されたものは明らかに石川さんが履くこともできないほど小
 さい物にも関わらずそれが証拠として出てきたりとか・・・。
 その一つひとつがおかしなものがだんだん見えてきた時、石
 川さんはどんな思いだったんですか?

石川さん:そうですね。私が刑務所の中で一番嬉しかったのは
 接見禁止が解けて兄貴が面会に来たんですね。兄貴とは喧嘩
 もしましたけれど、私は兄貴を犯人だと思っていましたので、
 直接聞いたら、私はそんなことをしていないと。実は確かに
 夜遅く帰って来たけれど、集金で深夜帰って来たんだと、い
 うことを言ったので、じゃあ「無実」を訴えようというきっ
 かけになったのです。ですから、兄貴が面会に来なかったと
 したら、高裁でも認めてしまったかもしれません。そういう
 意味では私が一番嬉しかったのは、アンちゃんが接見禁止が
 解けて、面会に来て、直接確かめることができたっていうこ
 とですね。

辛さん:でも、お兄さんがやっていたらオレが・・・というの
 は・・・。

石川さん:でも警察では、兄貴の足袋がそうだって言いました
 から、自分もアンちゃんの足袋がそうだったら、兄貴以外に、
 私は履けないから、これがそうだと言われるとやはり、アン
 ちゃん以外にないかと思ってしまったんですね。

辛さん:獄中にいる時に、お母様がお亡くなりになりましたよ
 ね。

石川さん:そうですね。私、あの、親父も大切な人だったです
 けど、親父が死んだ時は、ああ死んでしまったかと。でも一
 言だけ言っておこうと。自分が小さいころ、被差別部落だっ
 たがゆえに、学校へ行くたんびにいじめられて、そういうこ
 とに対して、親父は何も答えてくれなかったですから、死ん
 だ時は、その被差別部落に生まれたということを教えてくれ
 なかったことに対して、少し苦言を呈しようということで、
 その晩、心の錯綜する中で支援者の人たちに二通手紙を書き
 ました。おふくろが死んだ時は、母ちゃんはあの、たとえ植
 物人間でもいいから生きててほしいなと思っていたことから
 倒れてしまい、一番恋しい母ちゃんには別れの言葉すらかけ
 ずに天国へ旅立たれてしまったことが今でも心に残って、母
 ちゃんにはすまないと思っていますね・・・

辛さん:あの、お父様も、お母様も、ずっと一貫して「無実」
 を主張し、そして闘ってきましたよね。

石川さん:ええ、これはね、うちの親父やおふくろも、私がも
 う七時ころには家に帰っていたということを、もう兄貴以外
 は兄弟も全員知っていたので、私がやったんじゃないと確信
 していたんじゃないでしょうかねえ


辛さん:一九七七年に最高裁で上告が棄却され、刑が確定し、
 そして、九四年には仮出獄。三一年七ヶ月・・・長い時間
 でしたよね。

石川さん:はい。

辛さん:出獄から一〇年たちました。今、あの、一番語りた
 いことは何ですか?

石川さん:うーん、やっぱり母ちゃんに対して、墓参りもし
 てないですから、語りかけたいですね。母ちゃんに冤罪を
 晴らしたということに対して、今は仮出獄でありますから、
 自分のきれいな心の中で、母ちゃん、父ちゃんに報告した
 いという気持ちは、今一番強く持っております。

辛さん:あの、たしかお墓参りはまだ行かれていない・・・

石川さん:はい。いろいろご批判を受けますけれど、やはり
 いま自分は仮出獄、いろいろな遵守事項があるという事で
 ある意味では刑務所にいるのと同じであるし、殺人犯。父
 ちゃん、母ちゃんはそれを知っていたとしてもやっぱり、
 自分が本当に裁判所のもとで「無罪」だと言われるまでは
 父ちゃん、母ちゃんには手を合わせまいと・・・。これは、
 仮出獄の重みというものを私自身が一番痛切に感じており
 ますので、父ちゃん、母ちゃんはたとえ殺人犯ではないと
 知っていたとしても、自分自身が冤罪が晴れるまでは、父
 ちゃん、母ちゃんには勘弁してもらいたい。冤罪が晴れた
 時は改めてお墓参りでも、仏壇に手を合わせるというふう
 な形で、今は自分の信念を曲げずに闘っております


辛さん:私は、石川さんの書かれた漢字が読めない時がとて
 もあるんですねえ(笑)。あのね、難しい漢字をとてもた
 くさんお書きになるので。石川さんは社会と隔離された獄
 中で文字を獲得していきましたよね。ですから、日常の中
 であまり使うことのない漢字を驚くほどたくさんお使いに
 なるんですよね。私はそれを見るたんびにね、獄中の生活
 の長さと、学ぶことで闘い続けてきた爪あとがね、そこに
 あるような気がするんです。あの、文字も書けなかった青
 年が事件の中で脅迫状を書いたとする検察側の主張には、
 差別による無知と、無知ゆえにさらに差別を加速していっ
 たとするこの姿を、私は見ることができます。
 狭山事件は鎌田慧さんが書かれた『狭山事件 石川一雄、
 41年目の真実』に詳しく紹介されています。ぜひ、ご一
 読をしてください。
 

 今週の一曲 
石川さん:昔の歌でしたら結構あるんですけど、刑務所の中
 で覚えた歌というのでは ザカスケーズの「かなしき雨音」
 が今、好きですね。

辛さん:ああ、古い歌ですね。もう二〇数年ぐらい前ですね。
 これは、あの、歌ったんですか?

石川さん:ええ、のど自慢で。刑務所ではだいたい年に二回
 のど自慢があり、その時にこのザカスケーズの「かなしき
 雨音」を、若干英語の部分があったんですけど、「合格」
 はしてくださいました。聞いているみなさんもわからない
 です(笑)






100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ
(ポスターの画像はコチラから頂きました)




*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』のご紹介
 公式HP 予告編
 YouTube 予告編
D.T.ôNISHIさんのサイトの予告編

 公式ツイッター


金聖雄 ‏監督のツイートより 2012年3月23日
「市民の司法」という一見難しそうなサイトで、映画「みえない手錠をはずすまで」について考えることをインタビューしていただきました。難しいこと聞かれたらどうしようと思いながらの時間でした。よかったらご覧下さい。
http://www.saiban-kenpo.org/hatugen/backnumber/120319.html

(インタビュー記事より)
 その時、石川さんは私のインタビューに対して「我が人生に悔いはなし!」と言ったのです。半世紀近く無実の訴えを認められないできた人生に悔いがないはずない、と私は思い、なぜそのような言葉が出てくるのか不思議でした。

 ・・・私は人権問題の映像作品もつくってきましたから、在日朝鮮人やハンセン病患者の裁判などのことも取材を通して少し知っていて、日本の裁判所は人権への配慮が乏しいと不信感を抱いていました。狭山事件の映画製作を始めてからは、刑事裁判もひどいということも痛感させられることになりました。・・・




人権と報道関西の会 2013年6月22日 
「今、なぜ狭山事件・石川一雄さんの映画を撮るのか」 より

 埼玉県狭山市で1963年に女子高生が殺害された「狭山事件」で無期懲役が確定し、再審を求めている石川一雄さん(仮釈放中)が、無実を訴え続けている姿を追ったドキュメンタリー映画「みえない手錠をはずすまで」を制作している監督・金聖雄(きむそんうん)さんの話を聞いた。

・・・金監督は、発生から50年の節目を迎えた石川さんに向き合い、その素顔を伝える作品への思いを語った。

・・・ 金監督は韓国籍の在日2世である自身について、若いころは、在日朝鮮・韓国人を取り巻く社会的な動きに積極的に関わるより、音楽やサーフィンに興じる「ノンポリだった」と振り返った。さらに、映画監督として手がけた在日1世の女性の日常の姿を追うドキュメンタリー「花はんめ」の制作過程を舞台裏のエピソードを交えながら、素顔の「在日1世のおばちゃん」たちに共感しながら、「心に響いたものを撮ってきた」という自身の映像作品への取り組み姿勢を語った。

・・・石川さんの私生活に密着しながら、「冤罪」「差別」などを声高に主張するのではなく、丁寧に石川さんの人となりを紹介する姿勢に徹している現場の雰囲気を紹介した。

 金監督は、第3次再審請求で、これまでは行われなかった裁判所、検察、弁護側による「3者協議」が行われたことに触れ「再審への期待が少し高まった」とした上で、「現場でスタッフが小さなネジを落として見失った時、本当に心配して一生懸命探してくれた石川さんの人柄に触れ、私は『この人に犯人であるがずがない』という確信しました」と締めくくった。・・・



みえない手錠をはずすまで 様からの ツイート ‏ 2013(平成25)年 7月23日

フォローありがとうございます。
狭山事件の冤罪被害者、石川一雄さんのドキュメンタリー映画を作っております。 東京での上映会のあと、全国各地を回って上映していく予定です。 詳細は追ってツイートします。 ご支援よろしくお願い致します。






*愚ブログの紹介
『〜見えない手錠をはずして!〜狭山事件42年ぶりの真実〜』の番組のおこし(2005年)


higurashi at 06:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 23, 2013

2004(平成16)年3月23日

 [[狭山事件]]の[[第二次再審請求審]]で、故[[山上益朗]]氏の遺志を受けつぎ、[[最高裁]]に[[特別抗告申立補充書]]を提出する。

higurashi at 06:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)