1963(昭和38)年

August 17, 2013

1963(昭和38)年9月12日松川事件、無罪確定から50年。事件発生から64年。前代未聞ではない「検察による証拠隠し」

1949(昭和24)年8月17日、「松川事件」起こる
1950(昭和25)年12月6日、福島地裁による一審判決で、被告人20人全員が有罪(うち死刑5人)
1953(昭和28)年12月22日、仙台高裁による二審判決で、17人が有罪(うち死刑4人)、3人が無罪
1959(昭和34)年8月10日、最高裁が二審判決を破棄。検察側の証拠隠し(「諏訪メモ」の存在)が明るみに。
1961(昭和36)年8月8日、松川事件差し戻し審で仙台高裁が全員無罪の判決。
1963(昭和38)年9月12日、全員の無罪が確定。



* 「松川事件」によるツイートより



松川事件語り継ぐ 福大で17日から特別展 (読売新聞)

「検察による証拠品改ざんなどで、冤罪事件は繰り返されている。松川事件を語り継いでいく必要がある」
1審死刑、2審無期懲役判決を受けた元被告の阿部市次さん(89)は強調する。



松川事件と「諏訪メモ」 10年10月7日http://blog.goo.ne.jp/kazupiro2011/e/52dc2ff6cb9a1504b325ef6b696105f5
証拠変造は論外として、検察による証拠隠しは松川事件の頃からですもの。列車転覆で1・2審とも死刑判決を受けた方々、「諏訪メモ」の存在が暴露されなかったら・・・


大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件って「前代未聞」とか評価されることが多いけど、過去の裁判を眺めてみると、検察は昔から似たようなことしている気がする。例えば、松川事件の「諏訪メモ」隠し。「改ざん」と「隠匿」の間にそれほど差はあるのだろうか。


報道は「前代未聞の証拠改ざん」を「常套手段の証拠改ざん」に変えてほしい件。



2010年10月16日朝日「私の視点−松川事件から続く『隠蔽』」(今井敬彌弁護士)より

「刑事訴訟法を改正して検察官に手持ちの証拠すべての開示を義務づけ、それに違反して、証拠を隠した場合、厳罰を科する必要がある」



内田雅敏弁護士≪特捜検事の暴走を許してきたのは誰か≫よりhttp://www.news-pj.net/npj/uchida-masatoshi/20101203.html
「根本的には法曹一元、すなわち裁判官、検察官に任官する前に弁護士としての経験を積ませ、 そこから判・検事を選任するという基本ルールを・・・検事総長も選挙で」



松川事件は、1949年、戦後すぐの事件である。では、それから60年経って同種の事件、警察検察による証拠隠蔽がもたらす冤罪事件、「こんな事件はもう起こらない」と言える制度ができているか。まったくできていない。刑事法学者の指宿信氏はそう断罪する



鳥越俊太郎氏公式HP 松川事件のカギ「諏訪メモ」を見た!! より
…でもショックだったのは倉嶋さんのスクープ記事は社会面ではなく、福島県版だったということだ。当時のデスクたちが・・・一面はおろか社会面にも載せないなんて



版画館通信HP“検察の犯罪”より …「われわれ一般の人民がその無法に気がつかず(あるいは無法を知ってもあきらめてしまって)追求しなかったことにも原因があったのではないだろうか。これこそ日本の特徴だった。だがこれでは・・」



繰り返してはいけない愚行が繰り返されている。戦後の闇と言われた数々の謀略事件。帝銀事件、白鳥事件、下山事件、木星号事件、三鷹事件、松川事件…今、狭山差別事件、袴田事件、名張毒ぶどう酒事件、飯塚事件…。繰り返しを許す国民の責任も重い。



* 「私の視点−松川事件から続く『隠蔽』」(今井敬彌弁護士)について書かれたブログより


 松川事件における証拠隠蔽
10月5日「クオリティー埼玉」に「検察の腐敗」というテーマで検察の腐敗は戦前からあったと書いた。


 郵便不正 大阪地検前特捜部長ら逮捕 2010年10月22日追記
 我が国のマスコミの異常さ、愚劣さに腹を立てていたところ、10月16日の朝日に “検察不祥事  松川事件から続く 「隠蔽」” と題する寄稿が載った。



*著書『被告最高裁―司法体制を問う十五の記録』(庭山英雄編、共著、技術と人間1995)より
(庭山英雄氏は「狭山事件の再審を求める市民の会」の代表)

「被告 最高裁判所」 神坂 直樹さん
 裁判所社会は差別の温床
・・・村上教官も、講義中、黒板に凶器の形状を書いたところ、修習生にその下手さを指摘されて、誇らしげに「僕は家で包丁なんか握ったことがないから。すべて女房に任せているから」と放言し、ブーイングを浴びる始末。いかなる家事分担をしていようが自由だが、その誇らしげなところに、裁判所の中にいて日ごろ批判を受けていないとは、こういうことか、とあらためて驚いた。・・・

 裁判を受ける権利を踏みにじる裁判所。しかし、これも現実の姿。それを告発していくことが状況をかえる道であることだけは確かだ。・・・
 いっそのこと、まわりの市民の側からも、裁判官たちを市民社会の風の中へと誘い、日常的な交流を図っていけばよいのだ。

官舎に行って、産直物資を売る。宗教の布教をする。町内会の掃除に動員する。公民館でのバザーや演奏会に来てもらう。子供同士の遊びを通じて親同士仲良くなる。ビラを各戸配付する。御用聞きにいく。旅行中、犬を預ける。塩や醤油を借りる。「赤旗」や「聖教新聞」を「一ヵ月だけでも読んで」と頼む。井戸端会議に誘う。

そういうことに、回りの人間も躊躇すべきでなく、じゃんじゃんやって、分け隔てなく交流を盛んにすればよい。
そういうことに熱心なのは、まだ、組織的な食い込みの強い、生協や、ヤマギシ会、エホバの証人の人たちぐらいなのである。
 そして、何よりも忘れてはならないのは、市民による徹底した裁判批判である。実はこれこそが現状における最大の司法参加だという視点が大切だ。・・・
 私は、これからも、取消訴訟のほか、国家賠償請求訴訟を起こすなど、二の矢、三の矢を放ち、あらゆる方法で任官拒否の不当性を訴えつづけ、裁判官への道を切り開いていくつもりである。








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*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』予告編 
近々完成



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「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」へのリツイートをよろしければお願いします

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higurashi at 06:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)