石川一雄さん

June 28, 2019

1963(昭和38)年7月9日 石川一雄さん Nさん殺害容疑で起訴される

1963(昭和38)年7月9日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
* [[1963年]] - [[狭山事件]]の[[石川一雄さん]]が、Nさん殺害[[容疑]]で[[浦和]][[地方検察庁]]に[[起訴]]され、[[浦和]][[拘置所]]へ移送。

 池田満枝([[首相夫人]])、中田善枝の家族を慰問。



1963(昭和38)年7月10日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 捜査本部解散。

(以上、9・4一審裁判にいたる迄)
*******************************************************



 参考)亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」“更新・狭山事件誌”



2013(平成25)年7月9日  
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第5回狭山事件東京高裁前アピール行う

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朝の部  8時30分〜10時

昼の部 11時50分〜13時

場所 地下鉄 霞ヶ関駅 A1出口出てすぐ

足利事件の菅家さんも駆けつけられました。

FB 狭山事件の再審を実現しようより

当日の模様: 沙羅双樹の花‏さんのツイートより 2013(平成25)年7月9日
狭山事件の再審を求めて(冤罪被害者・石川一雄氏) 2013.07.09@youtube




「狭山事件再審オンライン署名」へ


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1963(昭和38)年7月1日

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、殺害現場と称するところを検証
([[石川一雄]]さんを同行せず)。



100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!


鉄馬‏ さんの【ドキュメンタリ宣言 冤罪訴え47年。狭山事件】 #dsengen
についてのツイートより 2010(平成22)年5月18日

"殺害現場とされる現場近くにいたOさん。

"裁判所が開示勧告した証拠は、犯行現場に関する証拠資料や、石川さんの取調べメモなどの8項目。中でも弁護団が重視したのが、当時は雑木林だった殺害現場に関するもの。(上空写真の映像) これは事件当時の写真。

"確定判決は、×で示した雑木林の中が殺害現場だとしている。しかしこの場所で、善枝さんが殺害されたとする物的証拠は何一つない。





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June 03, 2019

1963(昭和38)年6月3日



1963(昭和38)年6月3日 狭山事件で、石川一雄氏を十日間の勾留延長。共犯として目を付けていたIとTを別件逮捕。


野間宏著『狭山裁判・下』裁判年譜より

6・3 石川一雄氏を十日間の勾留延長。共犯として目を付けていたIとTを別件逮捕。
6・5 内田幸吉供述調書(被告者宅を聞きに来た若い男目撃) 












亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より

一九六三・六・三
 石田一義・義男、東島明逮捕。石川への押しつけ、或いは石川・東島二人犯に切りかえるための布石とみられる(無実の東島は石川が単独犯で起訴された後、警察がアリバイを「発見」したため五七日目で釈放され、四一年証人出廷以後行方をくらます)。 






 * [[一九六三年六月三日]] - [[狭山事件]]の[[捜査本部]]が、[[拘留]]延長手続(一〇日間)を取る。



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May 23, 2019

1963(昭和38)年6月27日

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ

  
第一次目標5万個達成を
「狭山再審リボンキャンペーン」へ



1963(昭和38)年6月27日
* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[警察友の会]](阿部真之助会長)、捜査本部に感謝状。
 証拠:星野・阿部鑑定書(スコップ附着物)



http://www.senshu-u.ac.jp/‾off1013/bunken/pdf_kiyou/33_0057-0070.pdf より
 狭山事件に見る差別的捜査

・・・記録によると、 1963年5月 6日にH養豚場でスコップが盗まれたことが判明し、 5月11日にスコップが死体発見現場から125メー トル離れた場所 (畑)から発見されたので、 容疑者をH養豚場関係者にしぼり、 捜査を集中したという。
しかし、 スコップが発見されたからといって、 それが死体を埋めるのに使われたものであることも、 H養豚場のものであることも、 それらを裏付ける証拠はまったく ない。
警察が発見されたスコップをHに確認したのは5月21日であり、 スコップ付着物の鑑定結果が半り明したのは6月26日であった。
警察が裏づけのないまま、 被差別部落に関係する H養豚場 (経営者も従業員も部落出身者) に捜査を集中したことは明らかである。
これらの予断と偏見とにもとづいた捜査に引き続き、 別件逮捕やきびしい接見制限、 過酷な自白追及がおこなわれたのであるが、 これらは察の常套手段であるので、 それらについてはここには記さない
(かといって、 それらの根底に部落差別の意識があることはあらためて言う までもない)。・・・





 六月二七日、善枝さんの腕時計は何処へ捨てたと聞くので、質屋へ入れたと言っても信用されず田中へ捨てたと話したら地図を書けと言うので書きましたら、あろうことか翌日の夕方だと思いますが知らない刑事さんが、
 「課長(長谷部)さん 時計が見つかりました」
 と持って来たので、長谷部さんから借りて腕にはめて見たら私の腕にピッタリ合ったので



 「善枝さんも案外太かったのだな」
 とこの様に言いましたら、遠藤さんが「石川君が殺したのではないのか、殺した人がそのような事を言えば、わらわれるど」
 と言ったので皆で大笑いしました。
 以上が川越での出来事でしたが、言葉づかいが多少違います。・・・

 荻原様 私に代って地裁内田武文を綿密に御調べの上裁判をして私同様死刑にして下さい。・・・



  又私は川越署で口ではあらわせられない程のひどいめにあいました。荻原様はご存知と思いますが、国民の皆様にこの文面を見せてください。そして武文を絞首台に上げて下さい。又長谷部の両人も死刑にして貰います。この二人は私が出てやりますから・・・

 勝手な事ばかりで申し訳けございません。では右の事を是非御願い致します。


石川一雄獄中日記 より

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1963(昭和38)年6月25日

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2013(平成25)年6月25日 東京高裁前第三回アピールが行われる



つぶやきから実現へ  様のリツイートより 2013(平成25)年6月24日
人権侵害の危険性❌狭山事件の冤罪性。犯人脅迫状の文字と、石川元被告が警察で書かされた上申書の筆跡の違いで説明。「石川元被告が逮捕当日に書いた上申書は、事件発生から47年経過し開示。このような重要な証拠を、47年間隠蔽」検察の証拠隠蔽体質。



1963(昭和38)年6月25日

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部二〇人に減員。
中捜査本部長、[[石川一雄さん]]の“自白”を公表。
部落解放同盟機関紙[[「解放新聞」]]、「人権侵害に抗議を、[[狭山事件]]に差別捜査の警察、部落民を犯罪人扱い」の記事。


 六月二四日月曜日、長谷部さんが
 「鞄の事を教えてくれよ」
 と言うので、狭山署に居る時、嘘発見器に掛かった際先生に本が出た所の地図を見せられたので、その山を書いてさんに渡したのです。そしてさんが探しに行ったら、長谷部さんが
 「今君に渡した地図の所で間違いないのかい、吾は本が出た所の様な川に有る様な気がするが恐らく見つからないと君がおこってるど、



もし無いと戻って来たらこの川の所を書いてみないか」
 と言うので書きました。そして暫く経ったら本当に見つからないとブツクサ言いながらさんが戻ってきましたので、二枚目の地図を渡したら午後六時頃だと思いますが、今度見つかったと何かで連絡がありました。で長谷部さんが
 「吾の勘は皆当たるのだから嘘をついても駄目だ」
 と言うので、私はあやまったのです。



 六月二五日火曜日、朝頃だと思いますが、長谷部さんが次の様に言いました。
 「石川君の家から万年筆が見つかったそうではないか、なぜ今まで教えなかったのだ」
 「本当に知らなかったのです」
 「---嘘をつけ、知らない物が見つかる訳がないだろう。・・・善枝さんを殺してから風呂場の方の入口から入ったと言ったがその時鴨居の上に置いたのではないか、何でもその当りから見つかったと言ってたよ・・・」






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1963(昭和38)年6月24日

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Tokuda Jiro‏ さんのツイートより 2010(平成22)年10年9月21日
証拠捏造の話題がツイッターで盛り上がっていますが、こんなもの昔から普通に行なわれていてその典型的なのが植草の痴漢事件と狭山事件の万年筆、共に捜査当局が証拠を捏造しています。単に警察か又は検察と区別するのではなく共に一般的に証拠を捏造して裁判するから99.9%の有罪が有る


Ohsawa_h‏さんのツイートより 2010(平成22)年9月22日
狭山事件では数度に亘る家宅捜索でも出てこなかった証拠の万年筆がそれほど見つけ難い場所ではない鴨居の上から出てきたというのがありますね。 RT @iwakamiyasumi 物証をいじられたら、可視化だけでは対応できない、という点の御指摘には、全面的に同意します。

2010(平成22)年10月4日
狭山事件の被疑者宅から、数度の家宅捜索の後に、被害者が使っていたとされる万年筆が発見された。しかし、その万年筆には被害者が普段使っていたものとは異なる色のインクが入っていたこれなども証拠捏造が疑われる一例だろう。似たような例は他にも沢山あるに違いない



上野タケシ さんのツイートより 2013(平成25)年 5月23日
冤罪事件は後から証拠出てくる? 「白鳥事件は2年後になって、銃弾が」「袴田事件は血染めの着衣が1年2か月後に」「狭山事件は、万年筆が3回目の捜索で勝手口の鴨居から」発見
→【PC遠隔操作事件】第1回公判前整理手続きで、弁護人の怒り炸裂http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130522-00025135/ … …



1963(昭和38)年6月24日



供述調書(六月二四日付)


     石川一夫 指印
右の通り録取し読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した
前同日
  狭山警察署助勤 埼玉警察本部防犯課
    司法警察員 警部 青木 一夫 ㊞
  立会人 狭山警察署助勤 警察本部捜査第一課 司法警察員警部補 遠藤 三 ㊞



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1963(昭和38)年6月24日

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
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1963(昭和38)年6月24日
二度目のいい加減な地図で溝の中からかばんを発見。父栄作の述べる「一見
皮製にみえる」合成皮革のかばんが牛皮のかばんに化けている。

この日、、石川宅を訪ね、家人のすきをみて台所の鴨居に新品のピンク色のニセ万年筆を仕掛ける(後に新品とわかり、中のインクもライトブルーでなくブルーブラックとわかり、父栄作の供述、品触れにみられる「オレンジ」色でもなく、三重にニセものと判明)。
参考文献:
 亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」“更新・狭山事件誌”






鉄馬 さんの ツイートとtogetter「冤罪訴え47年。狭山事件」【テレビ朝日 ドキュメンタリー宣言】http://togetter.com/li/21917 より  2010年5月18日

"この万年筆について、事件から28年たった1992年。一回目の家宅捜索に立会った元警察官が、重大な証言をした。"

元警察官:後になって、鴨居のところから万年筆が発見されたと言われ、まったくびっくりしました。発見された所は、私が間違いなく探して、何も無かった所です

"万年筆の謎はまだある。石川さん宅の鴨居から見つかった万年筆には「黒いインク」が入っていた。ところが、被害者の善枝さんは、事件当日のペン習字の授業まで、一貫して「青いインク」を使っていた事が明らかになった。"


"そこで弁護側は、裁判所の言うとおり、万年筆にインクを補充した場合どうなるのか、筆記実験を行った。使用したのは、石川さん宅から押収された万年筆とまったく同型の物。(万年筆の映像)"

"つまり、裁判所の言う様に、万年筆にインクが補充されたとしても、文字に、擦れや途切れが生じるはずがないのだ。"

"さらに弁護団は万年筆の専門家、川窪克美氏にも鑑定を依頼。脅迫状の訂正文字が、石川さん宅で押収された万年筆で掛かれた物ではない、とした。"







供述調書(六月二四日付)


     石川一夫 指印
右の通り録取し読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した
前同日
  狭山警察署助勤 埼玉警察本部防犯課
    司法警察員 警部 青木 一夫 ㊞
  立会人 狭山警察署助勤 警察本部捜査第一課 司法警察員警部補 遠藤 三 ㊞



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1963(昭和38)年6月23日★

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
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薔薇庭人 さんのツイートより 2013(平成25)年4月28日
東京新聞 狭山事件石川さん:警察官から「お前じゃないなら犯人はお兄さんだ。お前が被ればお兄さんは逮捕しない。10年で出してやる」と言われ自白した。兄にアリバイがあったことは知らなかったのです。警察官から弁護士は嘘つきだと聞かされ、接見に来ても追い返しました。無知が自分を追いつめた



本田凡 さんのツイートより 2013(平成25)年6月5日
狭山事件で無実の殺人罪を被せられて逮捕された石川さんは、取調べでさんざん脅されたが否認。最後に野球を通じて知り合っていた巡査が出てきて一緒に泣くなどやさしい態度で接し、遂に嘘の自白へ導かれたという。渋谷でサッカー好きだとアナウンスをした警察をみて、そのことを思い出し、嫌だった。



殿岡 駿星‏ さんのツイートより 2012(平成24)年10月19日
♣PCの遠隔操作で犯罪予告、神奈川県警は少年(19)に自白させていた。無実なのに、自白させる警察の取り調べをしっかり検証するべきだ。わたしのテーマである、狭山事件でも石川さんは逮捕から1か月後に自白した。そして50年、冤罪に苦しんでいる
http://bit.ly/RFQmMP





1963(昭和38)年6月23日

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、取調室前の警戒を厳しくする。
[[石川一雄さん]]、この日までに三人犯行の“[[自白]] ”をする。
 証拠:「[[単独犯]][[自白]]開始」


『自白崩壊 狭山裁判二〇年』(狭山事件弁護団編)より


* 石川は知人関巡査部長の泣きおとしと狭山署以来のテロルと脅しに負け、三人説を自供。
 関は石川にかばんを捨てた場所をゴム紐の発見された近くに書かせる。
 ハンストをないものにするため自白の日を三日だけくりあげ二〇日にする。
 『狭山事件 無罪の新事実』(亀井トム)より


* 厳しい取調べ(甘言と拷問)により、ついに犯行を自白
 (別件逮捕より一ヵ月ほど、石川さんはほとんど外部との接触のない状態におかれていた)。
 『狭山事件と再審』(輪島岩吉編)より



 荻原佑介氏宛書簡(一九六五年十一月二二日)より


 六月二三日(一九六三年)、調べ室に遠藤、青木、斉藤さん達が居る所で長谷部さんが、
 「石川君 何時まで強情張って居るのだい、殺したと言わないか、そうすれば一〇年で出してやるよ、石川君が言わなくても九件も悪い事をしてあるのだしどっちみち一〇年は出られないのだよ・・・
 とこの様に言われました。・・・知らない刑事さんが
 「課長(長谷部)さん 狭山の関部長が此方に来るそうです」・・・



 「そうか、それでは石川君 君に言ってくれ、男同士の約束だ
 と私の手を握りました。
 そして暫くしたらさんが、
 「石川君 元気かい、今署長さんに『この前一八日の裁判が終ったら三人での事を教えると約束して有るのだから聞いて来い』と言われて来たのだが吾に話してくれ」
 といきなり私の手を握って泣きつきましたが、私は三人でのこと(三人共犯)を話しませんでした。そしたらさんが



  「石川君 教えないなら帰るど」
 と立ち上がったら 長谷部さんが、
 「石川君 殺したと言って呉れ 吾は必ず一〇年で出してやるからな君 今話すそうだから待ってくれ、我々が居ては言いづらいだろうから外に出ましょうか 遠藤さん」
 と言って皆出てしまいました。そしたらまた泣きながら、石川君 殺したと言ってくれと手を握ったので、私もつられて泣いてしまい「入曾、入間川、と私と三人で殺した」と言ったのです。



『自白の信用性―被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として―』(司法研修所編/平成3年7月刊行)


狭山事件(強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等)
 機 ̄栽唾枠39.3.11 最刑集31-5-980(死刑)
 供‥豕高判49.10.31 高刑集27-5-474(破棄自判、無期懲役)
 掘狭山事件 最二決昭52・8・9刑集31-5-821(上告棄却)


 最高裁上告棄却決定 昭和四九年(あ)第二四七〇号より抜粋


被告人は、捜査段階では、(イ)川越警察署分室の留置場の壁板に、「じようぶでいたら一週かに一どツせんこをあげさせてください。六・二十日石川一夫入間川」と詫び文句を爪書していること、(ロ)同留置場でを裂いて、「中田よしエさんゆるして下さい」と書いていること、(ハ)昭和三八年六月二七日付で善枝の父中田栄作あてに、「このかみをぜひよんでくださいませ中田江さくさん私くしわ中田よしエさんごろしの石川一夫です」との書き出しで、自己の家族をうらまないで下さいと訴えた手紙を書いていること、更に、第一審において死刑の判決を受けた後、付同三九年四月二〇日付で原審裁判長にあてた移監の上申書の書き出しに、「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し三月一一日浦和の裁判所で死刑を言い渡された石川一雄でございます。」と書いていることなど、深い反省と悔悟の情を表わしている事実がみられる。これらは、真実に裏付けられなければ表現できないものであって、被告人の自白の真実性を知る重要な手がかりとなる事実である。





石川一雄獄中日記 より


中田善枝ちゃん宛詫び状
石川君の証言---第二審二七回公判より


中田弁護人 壁に何かで書いて、それから切紙したことは憶えていますか。
石川さん   はい、憶えています。
中田弁護人 どうして、そういうことを書いたのか、その事情をちょっと説明してほしいんですが。
石川さん   最初、三人から、一人と言ったのかな、とにかく殺したと言ってから、「それじゃ善枝ちゃんに詫び状のしるしがあるか」と言われたんです
中田弁護人 だれからそういうことを言われたのですか。
石川さん   長谷部さんから言われました。それから、「ある」とうっかり言ってしまいました。



裁判長    長谷部にどう聞かれたのか。
石川さん   「善枝ちゃんに詫び状が書いてあるか」と、で、「ある」と言ったんです。「どこだ」と言ったので、「狭山警察の留置場の便所の上へ書いてきた」と嘘をついてしまいました。そしたら、関さんがそばにいたので多分見に行ったんでしょう、それで夕方になって、私が帰された川越の留置場に入れられてしまったから、嘘をついてしまったから、あわてて、今度は、川越の自分のいたところへ書いたんです。



中田弁護人 長谷部さんから、善枝ちゃんに詫びる、いわばしるしのようなものを何か書いたかと聞かれたわけだね。
石川さん   はい。
中田弁護人 それまで、そんなもの書いてなかったんでしょう。
石川さん   はい、そうです。
中田弁護人 どうして書いたと言ったんですか。



石川さん   書いてあるかと言われて、うっかり書いてあると言ったらどこだと言われたから、狭山警察と言ったんです。そしたら関さんが見に行ったらしいです。で、なかったのを聞かれるといけないから、夕方になって帰されたから、川越の留置場の中へ書いたです。
中田弁護人 川越へ書いたのは、狭山へ書いたとうそを言って、本当に書いてなければ叱られるから書いたということになるんですか。



石川さん   そうです。で、紙を切ったのは、長谷部さんが、紙で書いたというか、切ったというかあれは長谷部さんに教わったんです
中田弁護人 教わったというのは
石川さん 中田という切り方です。紙を二枚合わせて、一所を切ると、中田と切れるんです。それは長谷部さんが教えたんです。それは、浦和の区長さんにも、こういうふうに切り方を教わったと書いたのを預けてあります。



中田弁護人 その切り紙というのかな いくつかに折って一所を切ると、中田というふうになる、その切り方を教わったんだね。
石川さん   はい、そうです。




中田栄作氏宛手紙
石川君の証言---第二審一五回公判より



石川さん   河本検事がその何日か前に来て俺に言うには、河本検事が俺の家に行ったら俺のおとっつあんが家の者が換って 中田の家へ謝罪に行くから 俺から前もって中田の家へ手紙を出しておけと言ったということでした。それで俺はそのことを原検事に言ったら同検事が幾日か待ってくれと言うので幾日か経ってから書いたわけです。



(注、石川君の父親が中田家へ謝りに行くと言った事実はない)


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1963(昭和38)年6月22日

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1963(昭和38)年6月22日
* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、橋本紀徳弁護人の面会を認めず、二六日、二八日に限定。
[[石川一雄さん]]、川越署[[嘱託医]] 加登豊の診療を受ける。













2013(平成25)年6月21日
くまがやれいば〜‏さんのツイートより

50年の長きに渡り冤罪と闘い続ける「石川一雄」さん。若い頃に「石川青年取り戻そうと」と歌った石川青年は70歳を超えた。第3次再審請求の闘いは、今進みつつあるファシズムとの闘いでもあるような気がする。狭山差別事件・・50年の闘いに今年こそ勝利の終止符を。


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1963(昭和38)年6月21日

1963(昭和38)年6月21日


* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、カバン“発見”(発見者、関[[巡査部長]]、立会人宮岡貞男)。
 証拠:鞄(二回目の[[自白]]図面による)


Akira Kurihara‏ さんのツイートより 2013(平成25)年5月1日

狭山事件・確実なこと。自転車返却。脅迫状(脅迫文)、封筒、身分証明書の存在。被害者の遺体と副葬埋設物。芋穴のビニール風呂敷と棍棒。5月2日深夜(5月3日未明)犯人らしい男が佐○屋近くに現れ会話をしたこと。証拠品の多くは偽装の疑い捨てきれず(鞄、時計、万年筆、教科書等々)

みなみあめん坊‏ さんのツイートより 2012(平成24)年10月5日
3日に行われた狭山事件第三次再審請求審の第11回三者協議は、事件直後の捜査報告書1通とスコップ関係の3点の合計4点の証拠開示。一方で、検察官は、目撃証言や3物証(万年筆、鞄、腕 時計)の弁護団が求めた証拠開 示は必要性はないと表 明。裁判所は柔和に対応するよう検察官に促した



2013(平成25)年6月21日
100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
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明けて本日午後18:30から、墨田区社会福祉会館で開催です。
最寄り駅は東武亀戸線の小村井駅と京成押上線八広駅。ぜひお集まりください!
「狭山事件50年! 見えない手錠をはずすぞ! 墨田集会(東京・墨田)」 http://www.labornetjp.org/EventItem/1371740091318staff01 … @lnjnowさんから
(ぷにすけ【0勝4敗】さんのツイートより転載させていただきました)







『狭山事件 石川一雄四十一年目の真実』 鎌田慧/著より、引用


 発見されたにも不自然さが
 ダレスとは米国のCIA長官だったアレン・ダレスのことで、いつも彼が小脇に抱えていたことから、この名がついた。・・・被害者のダレスについて、・・・



被害者の父親である中田栄作が、刑事にたいして、「は薄茶色の一見皮製に見えるチャック付きと申しましたが、これは学生用のものでなく、家にあった旅行鞄」と証言していることである。・・・ところが発見されたは皮製だった。



『狭山事件 無罪の新事実』亀井トム・栗崎ゆたか/共著より、引用


 “役に立たない情報”を満載した「特別重要品触」が五万枚も、配付されているのである。たとえばカバン。・・・「特別重要品触」によれば、「ダレス、牛皮製、暗い黄茶色」である。




父親は皮製に見えるがそうではないと言い、さらに薄い茶色と言っている。それなのに品触れにはまったく逆のことが書かれてある。・・・
 このミスは、実は仕組まれたミスであるように思えて仕方がないのである




 なぜならば、品触れのミスはこれだけにとどまらない。・・・品触れに載せられている狭山署の電話番号は二本、「狭山二〇九七」と「武蔵四〇四〇」である。しかし、狭山局の電話番号は正しくは「二〇七九」、そして武蔵局のほうは、「六-四〇四〇」が正確な表現である。・・・



 カバンにはじまって時計、電話番号、それに新聞その他で奉じられた万年筆。どれをとってもみんな間違っている。




 もし、これが正真正銘のミスで、何の作為もなかったとすれば、それだけで警察は、石川一雄が真犯人だと主張するのをやめるべきだ。こんな捜査で犯人にされてしまったのでは、たまったものではない




 だが、警察は、捜査がミスだらけであったことを認めながら、一方では石川一雄が真犯人だと主張する。だから私たちとしては、品触れについても、実は役に立たなくてもよい事情があったのではないかと考えざるをえないのである。








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1963(昭和38)年6月20日

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
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ポスターの画像はコチラhttp://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw//chiiki/sumida/sumida_Sayama1306.htmlから頂きました

「狭山事件50年! 見えない手錠をはずすぞ! 墨田集会」のお知らせ
6月21日(金)18:30〜 墨田区社会福祉会館3F(墨田区東墨田2-7-1)
ゲスト:石川一雄さん・早智子さん 講演:金 聖雄(キムソンウン)さん
主催:部落解放同盟墨田支部 解放共闘

狭山事件発生・石川一雄さん不当逮捕から50年・・・
半世紀にわたる闘いを、今年こそ勝利へ!!
石川一雄さん・早智子さんの闘いと素顔をカメラで追ったドキュメンタリー映画「見えない手錠をはずすまで」(近日完成)監督の金聖雄さんを、墨田にお招きします! ふるってご参加下さい。

ぷにすけ【0勝4敗】さんのツイッターより転載させていただきました



1963(昭和38)年6月20日

 この頃から、石川一雄さんが(関巡査部長らの誘導により三人共犯の)「自白」を始めている。

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[石川一雄さん]]、拘留質問(平山三喜夫[[判事]])に殺人を否認。
 証拠:「三人共犯自白開始」


供述調書(六月二〇日付)

     石川一夫 指印
右の通り録取し読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した
前同日
  狭山警察署 司法警察員巡査部長 関 源三 ㊞
  立会人 狭山警察署助勤 熊谷警察署勤務 司法警察員巡査部長 清水 輝雄 ㊞


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1963(昭和38)年6月19日

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
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ポスターの画像はコチラhttp://www.shinjikai.com/sayama.htmlから頂きました


1963(昭和38)年6月19日

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[石川一雄さん]]、[[ハンスト]]にはいる。


亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より
一九六三・六・一九〜二三
 石川、刑事に挑発されてハンスト開始。  


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1963(昭和38)年6月17日

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ

筆跡の写真は RocketNews24 2013年6月15日号 の以下の記事よりお借りしました
The Sayama Incident: Kazuo Ishikawa's half-century struggle against a wrongful murder conviction and Japan's backward legal system


1963(昭和38)年6月17日
狭山事件で、石川一雄氏がいったん保釈されるが、すぐに「善枝さん殺し」容疑で再逮捕される。石川一雄氏は犯行を否認する。




* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[石川一雄]]、[[保釈]]直後、再[[逮捕]]されて川越署警察分室へ移送。
捜査本部、弁護人の面会禁止。弁護団、接見禁止解除の[[準抗告]]。
 証拠:関根・岸田[[鑑定]]書([[足跡]])


 石川保釈、直ちに「強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄」で再逮捕。川越署分室に移す。無実の石川孤立無援のうちに頑張る。(『狭山事件 無実の新事実』より)
 
 石川保釈、直ちに再逮捕。特設取調室へ送られる。弁護人への不信高まる。(『石川一雄獄中歌集』より) 


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1963(昭和38)年6月14日

第一次目標5万個達成を
「狭山再審リボンキャンペーン」へ


100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ



 [[石田 享]]弁護士、弁護人に選任。
石田弁護人、橋本弁護人とともに[[拘留取消]]、[[保釈]]、[[勾留理由開示公判]]の請求。
[[西村康長]]判事、一八日に[[拘留理由開示公判]]を開くことを決定。
[[衆院内閣委]]で[[中垣法相]]、[[石川一雄さん]]を犯人扱いにしている警察の態度を[[陳謝]]

 [[浦和地検]]が、[[石川一雄さん]]を[[別件]](九件)のみで[[起訴]]する。

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1963(昭和38)年5月23日

 [[石川青年]]逮捕される。
 [[解放同盟]][[埼玉県連]]が、[[埼玉県警]]本部・[[埼玉新聞]]に抗議を申し入れる。



亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」
より


一九六三・五・二三
 早朝石川を自宅で別件逮捕。第一回家宅捜査。県警本部長は「九分九厘まで石川が犯人」の談話。中田健治は「犯人たるおまええ」と題するソネット(但し十三行)の詩を発表(サンケイ)。脅迫状も横書きの十四行詩(ソネット)。




甲斐仁志著『狭山事件を推理する〜Vの悲劇』より



一九六三・五・二三
 この二月末まで石田養豚場で働いていた石川一雄(二十四歳)が、暴行(交通事故の相手を殴ったというもの。ただし酒を持って謝りにいっている)、窃盗(友人のダンプに寝ていてそこにあった作業衣を着て帰ったもの)、恐喝未遂(狭山事件の脅迫状を書いたという筆跡鑑定の中間報告書による)の三つの容疑で逮捕された。





 
甲斐仁志著『狭山事件を推理する〜Vの悲劇』より

 「その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに…… 」という表現は、・・・むしろ真犯人にたいし石川一雄の誤認逮捕を責めていると見る方が自然である。・・・



五月二十三日 サンケイ新聞夕刊)



 善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき
「善枝!本当にこの人なのか?」 と聞いても
 遺影は何もいわず、表情すら 変えられないのです・・・
 犯人たるおまえに
 なぜ善人に戻って呉れなかったのか、






悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえは  もって居た筈であり、
その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに……
 苦しかった事だろう 善枝よ!
 安らかに ねむりたまえ!
        中田健治





  善枝の死体が発見されたとき、中田健治は現場にカメラを持っていき、見物者の中に犯人がいるのではないかと考えて写真をとっていたという。自制心が強く、冷静で、しかも大変鋭い人物である。
 彼は、犯人が誰か、予想することができ、それを新聞を通して・・・伝えたかったのではなかろうか。







☆今年も狭山ウォーク
2019年5月23日、狭山事件の再審求める市民集会の前段に「第19回狭山ウォーク」があります。埼玉県の「県南・石川一雄さんを支援する会」(秦哲美会長)主催で今年で19回目を迎えました。
5月23日9時30分JR水道橋駅東口(日大側)改札を出た所に集合、情宣活動
10時30分ウォークスタート(日比谷公園まで約1時間歩きます。
12時、市民集会に合流します。参加大歓迎だそうです。



5.23メッセージ

再審の扉を開けぬまま、不当逮捕56年を迎えてしまったことは至極残念で
悔しい思いでありますが、第3次再審においては、私の無実を示す証拠は
沢山提出されているので、必ずや再審開始を勝ち取るべく、今年も県下
各地より決起集会にご参集頂けたものと思われ、例年の事ながら、支援
者各位に心より感謝の意を表しておきたいと思います。

私は当然の事乍ら、今時の第3次再審請求に命を懸けて活動を展開して
いる訳ですが、恐らく現在の状況から察して、今年の後半は裁判所が
鑑定人尋問などの事実調べをおこなうかどうかのヤマ場を迎えると思われ、
それだけに、皆さん方の最大限のご支援は不可欠であり、皆さんのご理解
とご協力を伏して願わずにおれません。

一方、弁護団も確定判決で有罪の根拠と指摘した全ての証拠と検察官の
反証・反論に対して、科学や医学の力をもって潰した上で、裁判所に鑑
定人尋問と再審開始を求めて意見書を提出する由であり、だからこそ、
今が如何に重要であるかを皆さんの胸に刻んで頂きたいのです。裁判所
を動かすのは,一にも二にも世論の喚起でないかと思うのです。

楽観できませんが、前述のように、私を殺人犯にデッチあげるため、警察、
検察の自白の強要、証拠のねつ造、証拠隠しがおこなわれ、長い闘いの
年月を要しましたが、これだけ冤罪の真相が新証拠によって暴かれた今、
最早、真相究明のために、法廷の場で明らかにしないわけにはいかないと
思います。

そのためにも、あせることなく今の第3次再審の闘いで必ず勝利するとの
決意で、私も全力で闘って参りますので、何卒皆さん方も私の冤罪を晴ら
すべく可能な限りご支援を賜りますよう衷心よりお願い申し上げて、不当
逮捕56カ年糾弾再審実現集会のご挨拶に代えさせて頂きます。

2019年5月23日 

                         石川 一雄

「冤罪 狭山事件」より全文転載 http://www.sayama-jiken.com/




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May 22, 2019

2009(平成21)年5月23日 2012(平成24)年5月23日

◇2012.5.23 石川一雄さんのメッセージ  


不当逮捕49年に至って全国の支援者の皆さんにメッセージをお送りいたし
ます。年頭の挨拶では今年中に「再審」実現の「勝利の年に」と記し、又
その積もりで全精力を傾注し闘って参りましたが、先の10回目の三者協議
に於いて、検察は19点の証拠は開示したものの、求めていた肝心な証拠は
開示せず、然も有るべき筈の「血痕反応検査」の報告書や、犯行現場とさ
れる8ミリフイルムなども「不見当」との回答をくりかえしています。私が
無実を訴えたのは、「死刑」判決後、半年位であり、本来なら、その様な
重要な証拠は保全してしかるべきなのに、私が東京高裁で「無実」を訴え
たことに因って、保管しておくことに危機感を覚え、その時点で「廃棄」
処分にして終ったのではないかと思わざるをえません。しかし、2009年の
門野裁判長の勧告は、「存在しないならその理由の説明をしなさい」と踏
み込んで迫ったはずであり、検察側はそれに対していまだ明確な回答をし
ていません。弁護団は、検察側が提出してきた意見書に反論する専門家の
意見書を提出するとのことであり、10月に予定されている11回目の三者協
議を待たなければなりませんが、それによって今後の展開は来春に持ち越
されることも考えられます。

これまで8項目の開示勧告の内5項目、50数点について証拠開示がされまし
たが、肝心の3項目については、何度迫っても「ない」の一点張りなので、
今後も「ない」理由の説明や、弁護団の求める他の証拠開示も求めていき
ます。

考えてみれば「殺害現場」が特定されないまま「有罪」が認定されている
ことになり、それらを究明するのが裁判所の職務の筈であります。また、
あれ程沢山の無実を示す証拠が提出されているにも関わらず、「事実調べ」
しないなど、「狭山事件」は、稀なだけでなく不公平な裁判経過といえるの
ではないでしょうか。「殺害現場」を裏付ける客観的証拠が「ない」とい
うこと自体が私の無実を明らかにしていることを証明していると思われま
す。法廷を開き、事件当日、「犯行現場」の至近距離にいた農作業者をは
じめ、「証人」尋問をすれば「白、黒」の決着をつけられるのにと裁判所
の姿勢に問題を投げかけずにはおれません。私、石川一雄の心は閉ざされ
たまま50年、半世紀を迎えるのが濃厚な現実に直面し、心に重く感じるの
は否定しませんが、これからも「無罪」の二文字を勝ち取るまでは不退転
に闘って参る所存です。支援者皆さんには、何時も私を支えて頂いており、
感謝しつつも、この第三次再審で決着をつけるためにも更なるご協力が不
可欠ですので、なにとぞ何時にも増して後押しをしてくださいますよう、
心からお願い申し上げて、不当逮捕49年に当たり、私の決意と皆さん方の
ご理解の上、一刻も早く潔白の「よき日」を迎えられますようお力添えを
再度お願いして失礼いたします。

 2012年5月23日
                           石川 一雄









  



石川一雄さん「五・二三メッセージ」
「冤罪 狭山事件」ホームページより全文転載

           http://www.sayama-jiken.com/


不当逮捕46ヵ年糾弾・再審実現勝利闘争に決起くださった全ての支援者に心からお礼の意を深く込めてご挨拶申し上げます。

社会に出て15年目を迎え、拘禁生活の32年間は兎も角、現在に至っても、えん罪を晴らせる目処もたてられず、然も科学の進歩に因って私の無実性は明らかになっているにも拘らず、司法が「再審開始」の姿勢を見せないことに、満腔の怒りを禁じえません。

狭山事件は「部落差別」が根底にあることで、司法では「事実調べ」を行うことに相当な勇気が必要かと思いますが、実務の経験者、或は法を司る裁判官として如何なる事情があるにせよ、公平・公正な裁きをするのが、裁判官に果された仕事である筈です。

元より日本の司法制度は自由心証主義からして、決定権はすべて裁判官に委ねられ、いわば生殺与奪(せいさつよだつ)権は裁判官が握っているので、裁判官の胸三寸で決まって終(しま)うので、これ程恐ろしいものはございません。




例えば前述のように「証人調べ」等を行えば、私の無実が明らかになるだけでなく、被差別部落民の私を「犯人」に仕立て上げた警察・検察の手口は明らかにされるし、特に、自白のデッチ上げが一つひとつ鮮明になり、「自白」を唯一根拠とした寺尾「確定」判決が崩壊することを意味していますし、それは警察・検察・裁判所が一体となった部落差別犯罪の全てが暴露されることを恐れた結果、今迄の裁判の「確定」判決を追認踏襲した内在をひた隠しする必要性が生じてくるからです。
新証拠や、確定判決が指摘した一つひとつを精査、探求した上で科学の力を借りてはじめて私の無実性に光が当たった訳で、決して無理な要求でないと断言できます。
今般の第三次再審請求審に於いては、皆さんも知っての通り、弁護団は数十点にのぼる私の無実を証明する証言、証拠、鑑定書など提出しました。従って門野裁判長は最早、「事実調べ、証人尋問」などを避けて通ることはできないものと確信して居ります。
私は人生の三分の二近くも殺人犯という汚名を着せられ、自由を剥奪され、生活を滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にされたことにし、




其の責任の一端は自分にもあるので、怨みませんが、裁判官には弁護団から提出されたものは正面から直視され、真剣に受け止め、個別的でなく、総合的な判断で評価していただきたいと願っています。言及するまでもなく、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審に於いても適用されるとした白鳥決定が出され、免田、財田川、松山事件などで、開示された証拠が決定的な無実の根拠になって、再審開始で無罪になった例を顧みれば、公的機関である筈の検察官は積極的に証拠開示の義務を負わされている筈なのに、未開示証拠を出そうとしない以上、裁判官の開示勧告のもとで、フェアーに、裁判という土俵の上で白・黒をつけ、それが延(ひ)いては公正・公平な裁判に繋がるので、裁判官が真実を追究し、公正な裁判を行なうというなら、証拠を隠す検察官を弾劾し、その上で、全証拠の開示命令をすべきであります。
私は裁判所がえん罪作りに加担しているとは思っていませんが、証拠を検察官が私物化していることに問題があり、それを是正させるのも裁判官の仕事であると解します。




何(いず)れにせよ、「真実と正義は必ず勝つ」の確信と信念は不変ながら、今現在、狭山再審闘争は最大の山場を迎え、勝敗の分岐点でもあるということを自身に言い聞かせると共に、なんとしても門野裁判長の下で再審開始決定を実現させねばなりません。門野裁判長は来年2月に退官されるそうですが、私は、門野裁判長に「再審開始決定」を出して貰うために精力的に活動を続けて参る所存です
支援者皆様方も再審実現のため全力で活動を展開して下さるよう心からお願い申し上げて、右、私の決意と常日頃のご尽力を、併せて今日の集会にお越し頂いたことに衷心より感謝してご挨拶とさせていただきます。

  2009年5月23日
                       石川 一雄




 狭山事件の第三次再審開始を求める要請行動は、2007年5月23日付で、東京高裁第4刑事部の大野市太郎裁判長が司法研修所長に異動し、名張毒ぶどう酒事件の再審決定を取り消した門野博(前名古屋高裁裁判長)裁判長宛へと変わりました。

 故西宮弘元社会党衆院議員の第087回国会発言より。
http://37560366.at.webry.info/200805/article_5.html
「最後に判決を下した裁判長の更迭の経過を見ると、短い人は三カ月にも足りないというので転任をしてしまっている。・・・非常に頻繁にかわっていくということで、私は、その間の審理もどうしてもずさんにならざるを得ないというふうに考えるわけです。あるいは、最後に判決を下した寺尾裁判長、この人などは、新しい証人とか証拠の申請は大部分を却下してしまって、この裁判長になってからは、たった一人の証人調べもやっていないわけですよ。全然やっていない。だから、いずれも前の人の記録を見て判断をしたのでしょう。」


鎌田 慧 『狭山事件 石川一雄、四一年目の真実』 より

http://37560366.at.webry.info/200805/article_16.html

 それでも、石川一雄の名誉を回復させるのは、裁判しかない。彼は「かならず、正しい裁判官はいる」といまなお信じている。
 「中田善枝さんには、申し訳ないことをした。自分があともうすこしがんばっていれば、犯人はつかまったはずだ」
 最近になって、石川一雄は、未解決になったのは、自分の責任だ、社会に迷惑をかけた、とよくいうようになった



 たしかにそうかもしれない。
 しかし、彼を陥れたものは、警察であり、検察であり、誤りを正そうとしない裁判所であり、ひとりの人間の運命に無関心なわれわれだ、といってまちがいはない。



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1976(昭和51)年5月23日

 [[石川一雄さん]]の[[不当逮捕]][[一三年]]に抗議して、各地で[[同盟休校]]をはじめとした闘いが行われる。

[[狭山事件]]で、全国一九都道府県千五百校、十万人の児童生徒が「狭山[[同盟休校]]」を行う。



『石川一雄獄中歌集』より



 荊冠旗なびく厳暑の空高く行進隊の勇ましき兄弟(きみ)

 園児らの「禿増し」手紙の絵に寂しわが世の獄に涙落ち来も

 差別沈む(のむ)怯濡(きょうだ)の親族へ鉄鎖の我は奮起促し檄を飛ばさん

 或る時は崩れがちなるわが心思い直してペンを走らすも



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1963(昭和38)年5月22日


一九六三・五・二二
 昨夜、[[石川一雄さん]]が自宅で刑事に書かされた[[アリバイ上申書]]と[[脅迫状]]を[[県警]]と[[警察庁]]におくり、同一という即製[[鑑定]]を得て、捜査本部が[[逮捕状]]をとる。


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May 18, 2019

1963(昭和38)年5月18日


1963(昭和38)年5月18日



一九六三・五・一八
狭山事件で、捜査本部、デッチあげの目鼻ついたためか、八八人に半減。



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May 15, 2019

1963(昭和38)年5月15日



一九六三・五・一五
 捜査本部、石田三兄弟らしき三人を近日逮捕と発表する。





一九六三・五・一九
 石田兄弟にアリバイありと発表。




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May 13, 2019

1963(昭和38)年5月13日

1963(昭和38)年5月13日 狭山事件で、石川一雄氏に目をつけ別件捜査開始。

亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より




一九六三・五・一三
 石川一雄に目をつけ別件捜査開始。





婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/一九七三年九月一四日号より)

講座「部落差別とは何か」柴田道子(児童文学者)
狭山差別裁判と私たち〜無実で勾留十一年



 昭和三八年五月一日、埼玉県狭山市でNさん(高校一年)が誘拐された。二日に家族に対して身代金が脅迫され、四日には死体となって発見された。




 この事件は吉展ちゃん事件から二ヵ月しか経ておらず、吉展ちゃん事件についで、身代金をとりにきた犯人を目の前にして取り逃がすという警察のあいつぐ失態となった。



警察権力の大失態はマスコミによって大いにさわがれた。
 そして五月二十三日に被差別部落出身の石川一雄青年(当時24歳)が、事件と無関係の別件で逮捕された。この別件はそれ自体で起訴することの不可能なものであった。



・・・今日この部落差別を最も具体的にかつ最も象徴的に、私たちにつきつけているのが、無実の石川さんに死刑を宣告した、狭山差別裁判である。



 狭山事件は・・・権力犯罪による差別裁判である。捜査段階から 石川さんの別件逮捕、自白の強要、物証のでっち上げ、一審の内田裁判とその判決、二審の井波裁判の訴訟指揮にいたる、



今日までのすべてが、部落差別でつらぬかれている。
石川さんは部落差別のため小学校五年で中退して、農家の子守奉公に出された。在校中は家の手伝いで長欠児童であった。・・・



 逮捕された当時、石川さんは裁判とは何か、弁護士は誰のためにつけられるのか、さらには警察とはどのようなところかさえ自覚しなかった。・・・警察権力がさしむけたインチキ弁護士やニセ狭山市長があらわれ・・・警察は本当の弁護士の接見を妨害し




・・・石川さんの真実に対する信念の固さを知った警察は、狭山から川越分室の特設調べ室に石川さんの身柄を移す。ここでも石川さんは一週間のハンストをもって犯行を否認しつづけたが、傍聴席にでっち上げの張本人である長谷部らが見守る中で、



石川さんは一審の内田差別裁判中・・・イエスを繰り返していた。死刑をよぶこのような犯行をどうして容認できたのか。石川さんは(長谷部刑事課長の)「十年で出してやる」の甘言を信じきっていた。一審中、彼は警察だけが味方であると思っていたという。




・・・当時の石川さんの社会認識の無自覚こそ、部落差別によるものである。二審の法廷の冒頭、「オレはYちゃんを殺していない」と、検察官、弁護士にはじめて石川さんは顔をしゃんとあげ、裁判長に宣告した。・・・



「人間の血は枯れずにあった」
 石川さんの偉大な飛躍は、部落三百万兄弟の運命を一身に担っているという自覚と認識であった。権力の差別犯罪であることがつぎつぎと露呈されている。石川さんにはアリバイがある。



イ)殺害時刻(五月一日PM四時〜四時半)には荷小屋にいた。ロ)犯人がN家に脅迫文と自転車を届けた時刻(PM七時半〜七時四十分)には自宅にいた(増茂三郎さんの証言)。ハ)家についた時の石川さんはあまり濡れていない(犯行時間、雨が降り続いている)。




二)一日に帰宅して(PM六時半〜七時、妹の証言)から翌日二日の一時まで自宅におり、その後友人と映画を観に行き六時に帰宅している(犯行の事後処理の時間がない)。ホ)三日のAM零時十分に犯人が佐野屋の前に現れた時には自宅で寝ている。




 「物証」はすべて権力のでっちあげであった。それはイ)三大物証の時計・カバン・万年筆はYさんのものでなく、どの物証からも指紋ひとつ出ていない。時計は警察発表の品ぶれと違うものであり、二ヵ月もたった七月二日に七十八歳のO老人に発見された。



発見現場は六月二九〜三十日に捜索した場所である。発見される前に時計は警察の手元にあり、石川さんは二八日に問題の時計を見せられ腕にはめてみた事実がある。警察がO老人を工作したことは、老人の義姉の証言で明らかにされた。




・・・また万年筆も二度にわたって(十二人の捜査官が二時間かけた)古井戸さらいから屋根の瓦まではぎとって捜査したが、何も出てこなかったが、二度目の捜査(三人の捜査官十五分)で、勝手口のかもいから出てきた。




このかもいは目で見える高さであり、前回の捜査でかもいの奥のねずみの穴につめたぼろ布まで引き出していたのである。・・・三度目の捜査の前々日、関巡査が工作しにきたことが判明している。




ロ)脅迫状は石川さんが書いたものではない(筆跡の一致性、文章力に大きなへだたりがある)。ハ)足跡の不一致(石川さんは十文半、足跡九文七分)二)教科書発見と「自白」のくい違いホ)五月十一日のスコップ発見の不自然さ。




 さらに犯行方法に関してロ)死体の足首を細引きでしばり、いも穴に逆さ吊りにして近くの桑の木に結びつけた(死斑に逆さ吊りの症状は出ていない。犯行の残酷さを印象づけるためのもの)。




ハ)死体の埋め方は、この地方の埋葬習俗を知っている者の犯行(石川家は火葬で、石川さんは玉石、こん棒の両墓制の習俗を知らない)。二)死体を埋めた後の多量の残土が無くなっている。お茶葉を一緒に埋めてある




(一人では不可能、また犯人は農業を営む者の知識を持っていた)。ホ)Yさんの死体は全然濡れていない(自白は野外の犯行。天候PM三時〜四十分、四時二十分、雨が降り続いていた。事実は屋内犯行)。
 狭山事件が部落差別に貫かれていることは




イ)I養豚屋の『スコップ紛失届』を強制し、これをもって被差別部落に対して集中的に見込み捜査をしたこと。・・・ハ)一審の内田判決文は、石川さんの生い立ち環境、貧困、未就学、転職など




部落差別によって強制された生活環境を強調し、犯行の必然性を述べたてている。
 警察・検察・裁判所の一貫した部落差別にさらに輪をかけて、控訴趣意書が差別性に満ちていることである。




イ)石川犯人説にたち、部落が生んだ犯罪であると展開している。ロ)部落を名ざしで差別する。ハ)石川氏は「精神異常」であり、強姦に夢中のあまりに殺害したとし「法令適用の誤り」(量刑不当)を主張している。




・・・ こうした何重もの差別の壁を突き破って石川さんは今十一月の再開公判にむけて不屈の闘いを日夜獄窓でつづけている。・・・ 石川さんの生命がかけられているこの狭山差別裁判闘争は、一人石川さんにとどまらず




三百万の部落兄弟の運命が問われている。
 同時に、部落差別を許してきた一般民の責任が問われている。石川さんをこのように追いやったのは国家権力であるが、




そうした権力の理不尽を許してきたのは私たち一人ひとりなのである。
 最後に、部落差別を許さないたたかいは、私たち個々の人間の問題として問われていることを記し、八回にわたる連続講座を終わる。




狭山事件 検察側が証拠開示…取り調べテープなど36点
5月13日21時36分配信 毎日新聞

埼玉県狭山市で1963年、女子高校生が殺害された「狭山事件」で無期
懲役が確定した石川一雄さん(71)=仮釈放中=の第3次再審請求を巡
り、東京高検は13日、石川さんが「自白」した捜査段階の取り調べ録音
テープなど36点の証拠を弁護団に開示した。検察側が証拠を開示したの
は第2次再審請求中の88年以来、22年ぶり。

 東京高裁が昨年12月、捜査段階の自白で「殺害現場」とされた雑木林
で被害者の血痕の有無を調べた捜査報告書など8点の証拠開示を高検に勧
告。高検は13日の3者協議で勧告対象外のテープも含めて開示した。

 弁護団によると、開示されたのは、石川さんが自白した63年6月ごろ
の取り調べ録音テープ9本▽雑木林近くにいたものの、弁護団には「争う
声は聞いていない」と証言した男性の供述調書▽石川さんの筆跡が分かる
書類4通−−などの証拠。高検は血痕の捜査報告書を「見当たらない」と
説明した。

 弁護団は開示された証拠を検討し、9月に開かれる次回協議までに新証
拠として高裁に提出したり、追加の開示請求を行う方針。

 会見した石川さんは「まだ隠している証拠があるはず。一日も早く(証
人尋問などの)事実調べをして再審開始決定を出してほしい」と話した。
石川さんは控訴審段階の64年から一貫して無罪を主張している。
【伊藤直孝】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100513-00000019-maip-soci全文転載

**********

検察側、取り調べ録音テープなど開示 「狭山事件」で
5月13日22時36分配信 産経新聞

昭和38年に埼玉県狭山市で女子高生が殺害された「狭山事件」で、強盗
殺人などの罪で無期懲役が確定し無実を訴える石川一雄さん(71)の第
3次再審請求の3者協議が13日、東京高裁(岡田雄一裁判長)であった。
検察側は、逮捕当時の取り調べの一部を録音したテープなど36点の新証
拠を弁護側に開示した。

 事件をめぐり新たな証拠が検察側から開示されたのは第2次再審請求中
の昭和62年9月以来約22年ぶり。開示は昨年12月に東京高裁が出し
た証拠開示勧告に基づくもの。

 弁護団によると、今回開示されたのは、石川さん逮捕約1カ月後の昭和
38年6月の取り調べの一部を録音したテープ9点。石川さんが犯行を認
めている場面が録音されているとみられる。当時、録音することは石川さ
んに伝えられていないという。石川さんは逮捕当初は犯行を否認していた
が後に認め、公判段階で再び否認に転じている。

 ほかに開示されたのは、有罪の有力な証拠とされた被害者宅に届いた脅
迫文の筆跡鑑定の資料に使われた石川さん直筆の領収書など。また、犯行
時間帯に現場の近くにいた男性の調書なども開示された。

 一方、弁護側が求めていた殺害現場の血液反応の検査報告書や現場の様子
を録画した8ミリフィルムについては検察側が「不見当」と回答。取り調べ
の際の捜査員らによるメモ類も開示されなかった。

 東京・霞が関の司法記者クラブで会見した弁護団は、「以前、2点の録音
テープが開示されたことがあり存在は知っていたが、ほかにもあることは把
握していなかった」としており、「今回の開示は大きな前進だが、弁護団が
まだ把握していない証拠を検察側が隠している可能性がある」と指摘。今後
も更なる証拠開示を求めていくとしている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100513-00000622-san-soci全文転載

higurashi at 05:13|PermalinkComments(0)

May 09, 2019

1963(昭和38)年5月9日

1963・5・9
亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」
より







 奥富栄「五月一日にみた二人は石川一雄と東島明 に似ていた」と刑事に話す。



higurashi at 05:09|PermalinkComments(0)

May 22, 2018

1964(昭和38)年9月10日狭山事件 第二審第一回公判で石川一雄さんが無実宣言、「自白」は強要によるもの

1964(昭和38)年9月10日のできごとは 狭山事件関連本四誌では、以下のように取り上げられていました
*[[狭山事件]]で、[[第二審]][[第一回]][[公判]]([[東京高裁]]・[[久永正勝裁判長]])が開かれる。[[石川一雄]]、善枝さん殺害を否認、[[無実]]を訴える。
(狭山事件『四十一年目の真実』鎌田慧著より)

*東京高裁にて第二審始まる。
 この日、石川さんは突然立ち上がり、「お手数をかえて申し訳ないが、私は善枝さんを殺していない。このことは弁護士にも話していない」と訴える。
 この石川さん自身による無実の宣言によって初めて、一審死刑判決の根拠となった自白がいかに作られたか、次々と法廷で恐ろしい、驚くべき事実が明らかにされていった。)
 (『狭山事件と再審』和島岩吉編より)

*狭山事件控訴審第一回公判で石川一雄が犯行を否認。
 (『不可侵 不可被侵』松本治一郎対談集より)

*東京高裁で公判開始。この日までに石川は警察官にだまされていたことを同囚から教わる。善枝殺しを全面否認。警察の拷問と自白デッチ上げを暴露する。法廷騒然となる。
(『石川一雄獄中歌集』より)


石川一雄さんは、三鷹事件の死刑囚竹内景助さん(無罪を訴えていたが獄中死、現在遺族によって死後再審請求中)には、東京拘置所で話しかけられ、色々教えられ、本当のことを言うよう諭された。(1964年9月10日、東京高裁における控訴審第1回公判において)真実(無実)を訴えるきっかけになった

竹内景助さんは、1949年 8月1日 逮捕で武蔵野署、1949年 8月 4 日 八王子少年刑務所へ移監、1949年 8月 20日 府中刑務所に移監、1949(昭和24)年 11月 4日 一審公判開始頃 東京拘置所へ移監、1967(昭和42)年 1月18日 東京拘置所で獄中死された(享年45)。








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一審・第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判
1963(昭和38)年9月30日
中田健治、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一、吉田一雄被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判 小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉、伊藤操、清水利一、関源三被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判 中田健治、中田登美恵裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。






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本日より開始されました
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00



*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
 東京、兵庫、大阪での上映会のお知らせ / 予告編
「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督




*獄中からや、仮釈放中・満期出所後に、冤罪を訴えている事件や、獄中で闘病中の方に代わってご親族が、再審請求中に死去された方に代わってご遺族が申し立てたあらゆる事件の早期の再審開始を求めます

*2011年11月11日 三鷹事件、44年ぶりに再審請求 元死刑囚長男が東京高裁に申し立て
  弁護団は、竹内元死刑囚が自白した方法では電車を動かすことができないとする鑑定書や、元同僚によるアリバイ証言などを「新証拠」として提出した。

*三鷹事件、43年ぶり再審請求へ 2回目、元死刑囚の遺族
  再審請求は、56年の第1次請求が元死刑囚の死去に伴って打ち切られており、約43年ぶりとなる。長男は弁護団に「父の無実の罪を晴らしたいと長いこと考えていた」と話しているという
*60年前の証拠、大量に保管 三鷹事件再審で三者協議




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1963(昭和38)年9月22日狭山事件 第一審 石川一雄さん「 細引紐と荒縄について」供述。無実の人が「犯人を演じ」て語った任意の「自白」からも無実を証明されてきた心理学者浜田寿美男氏

 浜田寿美男さんは、狭山事件の自白鑑定書を提出した六年後に、袴田事件においても自白鑑定書を提出されています。

 その袴田事件の鑑定で得た結論をタイトルに冠した著書『自白が無実を証明する』(北大路書房、二〇〇六年)や、『自白の心理学』等でも、取調官の強要が無く、無実の人が「犯人を演じ」て語った「自白」とも「十二分に向き合って」無実を証明していっておられます。


*浜田寿美男『〔新版〕狭山事件 虚偽自白』、北大路書房より
一例をあげれば、農道に埋められていた被害者の遺体には、両足首に細引紐が巻きつけられ、その先に長い荒縄がつなげられていた。・・・
この点について、石川さんは自白の中で、被害者を殺した後、脅迫状を持っていく間、遺体を近くにあった畑の芋穴に隠していたのだと供述している。
芋穴と言うのは、収穫した芋を保存するために畑の隅に掘り抜いた深い穴である。
石川さんは遺体をこの穴に吊るし、足首につないだ荒縄を近くの桑の木に結び付けて、後で引き出せるようにしたのだという。・・・

この供述について石川さんは法廷で、取調官に言わされたのではなく、自分で考えて言ったのだと認めていて、確定判決はこの点を捉えて、自分から言い出した特異な供述で、だからこそ自白として信頼できると認定した。

ところがもし石川さんが言うように、遺体を芋穴に吊るしたのだとすれば、細引紐でくくった足首に五四キロもの遺体の重みがかかって、足首にそうとうの痕を残すことになるはずである。
ところが足首にはそのような痕は残っていない。
つまり遺体が芋穴に吊るされていたなどと現実にはありえない。・・・
自分が「犯人になって」考えて語った供述が、事件への無知を露呈させてしまったのである。自白の中のこの無知の暴露は、まさにその人の無実を証明している。

無実の人が「犯人を演じる」などということが、はたしてあるのかと思われるかもしれない。
しかし虚偽自白とはまさにそのようなものなのである。
狭山事件の石川さんの自白、袴田事件の袴田さんの自白に徹底して付き合い、そこから得たこの結論は、わが国の刑事冤罪事件における虚偽自白のもっとも基底的な事実である。・・・

無実の人の自白には、それ自体の中に無実の証拠が残っている。その無実の証拠を暴く仕事が、これからもなお求められている。・・・
そして、おそらくいまの石川さんには、この自白はくやしくてたまらない記録かもしれないのだが、しかしこれはまさに、石川さんの無実をはっきり示す貴重な証拠なのである。

このことをいかにして再審請求に置いて、裁判所に理解させていくのか、今一度、挑戦を試みなければならないと思っている。本書の再刊がそのきっかけになることを、まずは願いたい。

二〇〇九年七月 




*Yさんの遺体発見の様子は
昭和38年5月4日付大野喜平作成の実況見分調書には
「頸部は木綿の細引紐がひこつくし様に後で締められていた」
また「死体の上にあった、太い4本合せの荒縄」と記載されている

*その、犯行に使われた木綿の細引紐と荒縄の出所、使途について
<第一審第七回公判、質問、検察官尋問>で 以下のような答弁がされている
 麻細引紐か、木綿細引紐かについて 被告人石川一雄

(細びきと荒なわを示す)
 一)これは知っていますか。
    はい、知っています。
 二)これは何に使ったんですか。
    善枝ちゃんの足を縛る時使ったんです。
 三)足を縛るのはどれで縛ったですか。
    麻なわの方です。
 四)このなわはどこから手に入れたんですか。
    新しく建築している家の前にあった。
まわりに垣根にしてあったやつをはずしたです。






五)善枝ちゃんを埋めたところから・・・
    北です。
 六)北側になるところ。
    はい。
 七)どのくらい離れているところですか。
    百五十メートルぐらいです。
 八)麻なわも同じところ。
    ええ、そうです。
 九)本当は麻じゃないんですけど、木綿の細引です



*それに対し、裁判所は 細引紐と荒縄についての供述は、自分から言い出したものだから自白として信頼できると認定し、事実確認を行わずに、有罪判決を下している
「本件の木綿細引紐で被害者の首を絞めて死を確実にしたことが露見するのを情状面からおそれて出所を秘している。子供の誘拐を狙っていたという筋からして、犯行前から木綿細引紐を持ち歩いていた。」(要約)


*木綿細引紐及び荒縄の出所、使途に関する弁護団側の反論
しかし自供はそうなっていない。
自供では、死を確認してのちに死体処理のための用具を探しに民家の方へ行って麻縄を盗ってきたというのであるから、殺害犯行時に木綿細引紐はいまだ手にしていないことになっている。いかにも乱暴な認定というほかはないのである。本件の確定判決には、「鑑定結果」にあわせて自供を有罪方向へつくりかえるという、恐怖の悪癖がある。その一つが「木綿細引紐を持ち歩いていた」ということ、その二つ目が、秋谷鑑定結果と万年筆の奪取時期などに関して決行された自白の捏造である。


*木綿細引紐及び荒縄の出所、使途に関する 石川一雄さんの自供と弁護団による要約
   峪笋呂修海ら縄を探しに行ったが、Yさんを縄でしばって穴の中へ下げておくため、人の住んでいる家の方がよいと思って家のある方へ行った」(6月25日付員面調書青木・遠藤)
 ◆ 屬修譴らそこから50米位はなれた北側の新築中の家のまわりに張ってあった縄と梯子のそばに置いてあった麻縄のような縄を取ってきた」(6月29日付員面調書青木・遠藤)
  麻縄も一緒に盗みましたが、その麻縄は倒してある梯子の附近にありました」(6月27日付検面調書原)

 これらを要約するに、「本件犯行に使用の縄と麻縄(木綿細引紐)は民家から同時にとってきたもの」と一貫して自供したとされている。
 いまそこで女学生を強姦・殺害した犯人がその直後に、警戒心もなく「人のいる家の方へ行った」という事態が、そもそも経験則上理解しにくい。真相を述べたものであろうか。たしかに、「人のいる家の方へいった」旨の自供は捜査官による誘導の産物であった。
・・・
 すなわち「同一の場所から同時に盗ってきた」という2つの物について一方の「荒縄」については、誘導の産物というほかはなく、もうひとつの方の木綿細引紐については、盗ってきたという場所にはそもそも存在していなかったというのであり、常識からすれば、これら自供が非体験の架空の供述であることは直ちに気付くことができるのである

そうなると本件犯行の死体処理に使用されたことの確実な荒縄と木綿細引紐と被告人とは結びつくことはできず、ひいては請求人と本件犯行の核心である殺害行為との結びつきに強い合理的疑いを生ぜしめることになる。

 批判にかえて、肯綮に中る最高裁判所の判決例をかかげる。
 「思うに、本件事案の核心である実行行為そのものに関する自白に、裁判所としては、想像をまじえる以外では解決しようのない矛盾点があってもなお、捜査中の自白を信用しなければならないものだろうか。それは全く、被告人らが真犯人であると先ず決めてかからねばできないことであって自白の真実性を慎重に吟味する合理的な態度ではない。」(松川事件第2次上告審判決齋藤朔郎裁判官の補充意見。判例時報346号19頁3段目)
 本件の確定判決は想像をまじえ、あえて自白をつくりかえるところまでつきすすむのである。
 請求人が本件犯行の犯人でないことは、請求人と木綿細引紐及び荒縄との結びつきが完全に否定されていることからも明白である



* 浜田寿美男 さんでの ツイート





裁判所は事実調べを行い再審開始を!

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sayama19



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September 30, 2013

1970(昭和45)年12月3日狭山事件第二審第三九回公判、石川一雄さんの自白維持で<真犯人取り逃がし>の責任を問われなかった中勲 埼玉県警察本部刑事部長 警視正

 


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<10.31寺尾裁判長無期懲役判決から39年きゅうだん!>








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一審・第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判
1963(昭和38)年9月30日
中田健治、中田登美恵、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判
1963(昭和38)年10月23日
関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平農道の赤土と黒土
被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判
1963(昭和38)年11月4日
野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一技官、吉田一雄星野鑑定書の作為”
被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判
1963(昭和38)年11月13日
小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉伊藤操、清水利一、関源三万年筆、鞄、教科書について
被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判 中田健治、中田登美恵裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判
1963(昭和38)年12月12日
石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判
1964(昭和39)年1月23日
石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。
(浦和地方裁判所 第一審公判第一審公判 全十一回)
 



*一審では(警察の誤認捜査によって逮捕された)石川一雄さんが自白維持していたため
<犯人とり逃し>の責任についての中勲(埼玉県警本部刑事部長・捜査一課課長)に対する石田弁護人による<弁護人尋問>は
1970年12月3日の第二審第三九回公判まで待たねばなりませんでした
(「完本 狭山裁判 上」. 野間宏/著. 藤原書店1997 より引用)


 (弁護人) 一度犯人を取り逃がしておりますね。
 (中勲埼玉県警本部刑事部長)はい。
 (弁護人)本部の刑事部長として責任を追及もしくは、
警視庁本部内で何か問題が出ましたか。
 (証人)内部では問題出ませんけれども責任を感じて
進退伺いを出しました。
 (弁護人)柏村警察庁長官が時の篠田公安委員長に
辞表を出したのもご存知ですか。
 (証人)知りません。
 (弁護人)この問題についてそういうことがあったのを
ご存じないですか。
 (証人)長官が辞められたのは知っておりますけれども
それとの関連については私ども内部におきましても
全然知りません。


 (弁護人)辞表をあなた方が出す時にはどこに出すんですか
 (証人)警務部長を通じまして国家公安委員会に出しました。
 (弁護人)結局結果的にはどうでしたか。
 (証人)私は警察本部長に一応進退伺いを出しました。
まあ、逃げられたということについては、
やむを得ないということで一応引き続いて
職務をはげめということでございます。
 (弁護人)はげめという言葉を使ったんですか。
 (証人)引き続いて職務を、まあやれという
ことであります。
 


  (弁護人)五月二日、三日の時点では、あなたの
責任は問題にならなかったんですか。
 (証人)逃げられた段階では、一応私が指揮をして
おりませんので、所轄警察署長が責任者であろうと
いう本部長の見解で。
(弁護人)あなたご自身について、上司からどういう状況のもとで
取り逃がしたのかという調査とか監察は行われましたか。
 (証人)これは警察本部長がすぐ現地へとんでいきましたから
さような必要もなかったです
 

*『完本 狭山裁判・ 中』( 野間宏著)の「犯人との応答ー中田登美恵証人(一〇五〇頁)」から一一〇五頁に、犯人を取り逃がした警察に対する福地弁護人の尋問の公判記録が載っています。


(宇津弁護人)あなたが五月三日朝佐野屋付近に
行かれたのは、犯人らしい者が逃走した後、
何か足跡が残っていないか確認するために
行かれたのですか。
長谷部梅吉警視)犯人逮捕の為です。
確認ではなく、逃走した犯人逮捕の指揮を
するために行ったんです。
足跡を見つける為じゃないです。


 (弁護人)現場の総指揮者として当然
夜が明けてからもかなり重要な捜査に
タッチされていたと思うんだけれども
 (大八木豊次郎捜査課長補佐)いや、
総指揮者ということはですね、
結局名目上の問題で、まあ、
責任を誰にするかということになるから、
そういうことになったと思うんですが、
総指揮者は今度は私がやったというんでなく、
犯人逮捕の現場におけるところの総指揮者で、
その後の捜査についての総指揮者は
私ではないんですから。
 (弁護人)誰ですか。
 (大八木証人)それは埼玉県警特捜本部長
中勲警視正になっていたと思うんですが。


狭山事件の一刻も早い再審開始と無罪獲得により、事件担当の警察には、<犯人取り逃がし>さえしなければ、石川一雄さんが(見込み捜査により誤認)逮捕されることもなかったし、(無実の罪で極刑判決を受けるような)裁判沙汰にもならなかったことを認め、
謝罪していただきたいですね



sayama19
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September 08, 2013

1977(昭和52)年9月8日狭山事件(1963)の石川一雄さんが東京拘置所から千葉刑務所へ移監(1994年12月21日、再審請求中で仮出獄)とそこで知り合った冤罪事件の被告・被疑者

 
 [[狭山事件]]で、同年[[8月9日]]の[[最高裁第二小法廷]]([[吉田豊裁判長]])による[[上告棄却]]、8月16日「[[無期懲役]]」確定により、
 [[石川一雄]]さんが、東京拘置所から千葉刑務所に移監される
 (1994年12月21日、再審請求中で仮出獄)

*石川一雄さん、移送の経過

1963年 5月 1日 事件発生
       5月23日 別件逮捕 24才
       6月17日 狭山署から川越署分室
       6月23日 「自白」
       7月 9日 起訴・浦和拘置所
       9月 4日 浦和地裁 第1回公判 起訴事実認める
1964年 3月11日 浦和地裁 第12回公判 「死刑」判決 内田武文裁判長
       3月12日 控訴
       4月30日 東京拘置所へ移送
9月10日 東京高裁 第1回公判 久永正勝裁判長 「否認」
〜「俺は殺していない」
1968年11月14日 第30回公判 「自白」図面の筆圧痕から事実調べ継続。
1969年 1月 7日 津田正良裁判長に
1970年 4月21日 公判再開。井波七郎裁判長
1972年11月28日 井波退官
1973年11月27日 公判再開(寺尾正二裁判長)
1974年 3月22日 寺尾、証人、証拠調べの大部分を却下
       5月23日 第75回公判 事実調べ終了。石川さん、生い立ちを陳述
       9月26日 第81回公判 弁護団、最終弁論
      10月31日 第82回公判 「無期」判決 寺尾裁判長
1976年 1月28日 最高裁へ上告
1977年 8月 9日 上告棄却(第2小法廷 吉田豊裁判長)
       8月30日 再審請求(東京高裁へ)
       9月 8日 千葉刑務所へ移監
1980年 2月 5日 再審請求棄却(第4刑事部 四ッ谷巌裁判長)
       2月12日 異議申し立て
1981年 3月23日 異議申し立て棄却(第5刑事部 新関雅夫裁判長)
       3月30日 特別抗告(最高裁へ)
1985年 5月27日 特別抗告棄却(第2小法廷 大橋進裁判長)
1986年 8月21日 第2次再審請求(東京高裁第4刑事部へ)
1994年12月21日 「仮出獄」 55才 31年7ヶ月ぶりに狭山に戻る


*冤罪事件の被告・被疑者との交流について
(東日本部落解放研究所第26回研究者集会・石川さんの報告とインタビュー)より
千葉刑務所以来交友のある布川事件の桜井さんやその後知り合った足利事件の菅谷さんとは近しくしていただき、集会等で参加していただくなど励ましや支援をいただいている。

 三鷹事件の死刑囚竹内景助さん(無罪を訴えていたが獄中死、現在遺族によって死後再審請求中)には、東京拘置所で話しかけられ、色々教えられ、本当のことを言うよう諭された。(1964年9月10日、東京高裁における控訴審第1回公判において)真実(無実)を訴えるきっかけになった


*布川事件の桜井昌司さんと杉山卓男さんは、1978年に千葉刑務所に服役し、1996年11月に仮釈放されました

*足利事件の菅家利和さんは、2000年10月30日に千葉刑務所に収監され、2009年6月4日、東京高検が刑の執行停止を決定し、千葉刑務所から釈放されました

*三鷹事件の竹内景助さんは、1949年 8月1日 逮捕で武蔵野署、1949年 8月 4 日 八王子少年刑務所へ移監、1949年 8月 20日 府中刑務所に移監、1949(昭和24)年 11月 4日 一審公判開始頃 東京拘置所へ移監、1967(昭和42)年 1月18日 東京拘置所で獄中死(享年45)されました

*袴田事件の袴田巌さんは、1968年9月11日から、2010年1月1日の42年間で「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定され、現在も東京拘置所に収監されています

*田園調布資産家事件の折山敏夫さんは、狭山事件の石川一雄さん(1977移監)が1994年仮出所した後の、1995年に千葉刑務所に服役し、2007年11月に満期出所されています




*千葉刑務所でのツイートより

塀の中からスムーズに社会復帰するために〜元受刑者に学ぶ どんわんたろうマガジン9 http://www.magazine9.jp/don/111102/
「語ってくれたのは殺人罪などに問われ冤罪を主張し続けたものの懲役20年の刑が確定した折山敏夫さん。千葉刑務所で満期まで服役し07年に出所した経歴を持つ」


2001年1月6日宮城県で、守大助君が、警察の捏造により、殺人・殺人未遂で逮捕され、現在無期懲役で千葉刑務所に収監されております。今日で4629日目。今日も獄中で6時40分起床。これは冤罪です。http://mori-daisuke.seesaa.net



*東京拘置所でのツイートより

今日8月18日は袴田巌さんが逮捕された日。この日から47年も袴田巌さんは拘束され続け無実の死刑囚として今この瞬間も東京拘置所にいます。一刻も早い再審を!

練馬一家五人殺害事件   
朝倉 幸治郎(あさくらこうじろう)▼1935年秋田出身▼1983.6.27 白井一家5人を殺害▼1985.12.20 東京地裁で死刑判決▼1990.1.23 東京高裁で控訴棄却▼1996.11.14 最高裁で上告棄却。死刑確定▼2001.12.27 東京拘置所で死刑執行。66歳。


2013年9月4日(水)東京地裁10:00〜。公務執行妨害、暴力等に関する処罰事件。東京拘置所ないで不正を訴えたら職員に暴力を振るわれ、逆に公務執行妨害で訴えられ被告人とされ、被告人が裁判所に上申書を提出。是非、傍聴下さい



*三浦和義対談集『敗れざる者たち』(ぶんか社 2008年)
Part7 田園調布資産家殺人事件 折山敏夫(元受刑者) より抜粋
三浦)ボクが「ロス疑惑」で最初に逮捕されたのは、一九八五年の九月一一日でした。同じ時期、警視庁の取調室には、ボクと同じように毎日大声で怒鳴られて、取り調べを受けている人間がいたんです。後になって、それが「田園調布資産家殺人事件」の犯人とされた折山敏夫さんだと知ったんです。・・・

折山)逮捕の二か月ぐらい前に、新聞をはじめとしたマスコミが私の友人、知人に取材しているんです。周りから「折さんのことを嗅ぎ回っているけど、何かあったの?」という声は聞こえてました。

三浦)それは、警察がリークしてメディアを動かしたんだ。ボクの場合とまったく同じですよ。それでどういうかたちで逮捕されたんですか?・・・

折山)私は深夜に逮捕されたので、そのまま一睡もせずに、翌日の夜まで怒鳴られ続けて、いきなり精神的に追いつめられてしまいました。・・・
三浦さんが入ってきた九月一一日も、私は厳しい取り調べを受けていたのですけれど、何か急に刑事たちの雰囲気が変わったんです。三浦さんに対する罵詈雑言が聞こえてくると、ヤツらも聞き耳を立てている。数日後、私の取り調べに支障をきたすということで、部屋を移ったくらいですからね。・・・

河村)上申書を読むと、折山さんは本当に警察に協力しているんですよ。協力することで自分の無実を警察に晴らしてもらおうとしている。多分、そうなったら、大多数の人がそうするかもしれません。警察は味方だと思っているから。・・・

折山)黙秘しなくても、事実を話さずに、警察から言われるままの自白調書を書いておけば、それが逆の証拠になって、無罪になったんだろうと思います。そのことは、後から別の弁護士さんに言われました。矛盾が出てきますからね。ところが私は全部しゃべったから、全部、こちらの証拠を潰されてしまった。・・・

三浦)そういえば、折山さんが満期が近づいてきたとき、ボクが「クルマで迎えに行きます」とハガキを出したのに、どうして遠慮したんですか?

折山)いざ出所となると、逆に、外の人間と交流するのが、怖かったんです。三浦さんとは、拘置所のときから手紙のやり取りをさせてもらっていたけれど、あの時点では話したことがなかった。ただ、二十三年間も世間から隔離されていると、得意だったはずの人付き合いが苦手になるのかと、ショックでした。」

三浦)いまでもボクが怖いですか?

折山)いえ、三浦さんは、もう大丈夫です(笑)。ただ、初対面の人は、ちょっと怖い。それに、いまだに街中や駅で、人の流れに乗れないところはあります。

河村)ボクがすごく不思議に思うのは、あの当時、二つの事件をマスコミが騒ぐだけ騒いでムードを作り、それから逮捕という状況が生まれました。さらには、ともに四〜五年間も確証は得られなかった事件なのに、そのまま同時期に逮捕になった。そこに何かがあるんじゃないかとも感じるんです。

三浦)捜査一課長も、東京地検の検事正も、警視総監も一緒だというね。

折山)私の場合、捜査四課が担当だったんです。四課が殺人事件を管轄するのは非常に特殊なケースで、警視総監直轄というかたちになるんです。つまり私の事件は、警視総監の命令があった可能性もある。私が逮捕される一〜二か月前に警視総監が替わっているし、同時期に捜査四課も替わっています。

三浦)警視総監は、鎌倉節(さだめ)でしたよね。ボクが逮捕されたのも、鎌倉節が参議院選挙に出馬するために、人気取りでやったという噂があった(笑)。・・・

折山)当時は考えも及ばなかったけど、いまは思うんですよ。政治的なポイントを稼ぐために、前任の警視総監が手を出せなかった、世間的に注目度の高い事件をターゲットにしたんじゃないかとね。私の事件では、白骨死体が発見された福岡に捜査本部があったので、本来はそっちに渡すべきだった。それをわざわざ警視庁に持ってきたのも、おかしいんですよ。

三浦)まあ、いまさら警察の事情を探っても、仕方ありませんけれどね。それで折山さん自身は、冤罪を晴らすために、今後、どのような活動をしていこうとお思いなんですか?

折山)現在なら、佐藤さんとされた遺体のDNA鑑定をすれば、一発で判明するはずなんです。それには遺族の協力が不可欠ですから、説得できるだけ状況証拠や直接証拠を、自分で集めるつもりでいます。また、開設したブログで情報を発信して、ネットで協力を得ていく方法も重要だと思っています。

※ブログには過酷な取り調べを受けた日々を綴った「警視庁代用監獄136日間の記録」も掲載されている。この内容は小冊子になっていて、折山さんご本人が配布されている(入手方法はブログに記載)


対談では司会進行役の河村シゲルさんが「そのまま世の中に溶け込んで生活した方が楽だと思うんですが、出所後も折山さんは冤罪を主張し続けている。何かを感じずにいられません」と語っておられましたけども、まったくだと思いましたよ・・・


*獄中からや仮釈放中、満期出所後に、冤罪を訴えているすべての事件の早期の再審開始を求めます


*「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」へのリツイートをよろしければお願いします



*東京高裁前連続アピール行動
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
 東京、兵庫、大阪での上映会のお知らせ / 予告編
「SAYAMA みえない手錠をはずすまで 」完成上映
前売券:1000円、当日券:1200円、中高校生券:500円
★完成記念上映イベント
☆日本教育会館 (地下鉄神保町駅A1出口南3分)
  3階 一ツ橋ホール(定員802)
 10月31日(木) 開場16:30 開演17:25 終了20:45
  挨拶:石川一雄・石川早智子、トークイベント:金聖雄(キmソンウン)監督・やくみつる・他
★完成上映会
☆在日本韓國YMCAアジア青少年センター (JR水道橋駅東口南東5分)
  地階 スペースYホール(定員250)
 11月 1日(金) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 2日(土) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜 
 11月 3日(日) 開場14:00 上映14:30〜
     同    開場17:30 上映18:00〜
☆兵庫県民会館 (地下鉄県庁前駅東1出口東すぐ)
  9階 けんみんホール(定員360) 
 11月12日(火) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督
☆大阪市立阿倍野区民センター (地下鉄阿倍野駅6出口西2分)
  2階 大ホール(定員644)
 11月13日(水) 開場14:00 上映14:40〜
     同    開場17:30 上映18:10〜
  挨拶:金聖雄監督



*三浦(和義)さんの一周忌 (「田園調布資産家殺人事件」HP/2009年10月15日)より

 三浦さんと結構長い交流があったせいで、僕は彼が自殺などするわけが無いと確信しているので、彼の死の真相が知りたいのです。追悼はそれからです。・・・
ヴェールに覆われた塀の中での出来事だから、内部告発でもない限りは何が起ころうと、真相の解明が出来ないのは、開かれたアメリカでも同じだということでしょうか。


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August 30, 2013

1977(昭和52)年8月30日狭山事件で第一次再審請求(〜1985年5月27日)と「スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌」の鑑定論争/裁判所は鑑定尋問による事実調べを!

部落解放・人権研究所編『部落問題人権事典』より
*二審終了まで
1974年10月31日、東京高裁の寺尾正二裁判長は、無期懲役判決を行なった。
石川さんはただちに上告し、さらに筆跡・足跡等の鑑定書を提出。
しかし最高裁は事実審理を行なうことなく、
1977年8月9日、上告を棄却した。これによって2審の無期懲役判決が確定

それに対し、1977(昭和52)年8月30日  [[狭山事件]]で、[[無期懲役]]が確定となった[[石川一雄]]さんが、弁護団と[[東京高裁]]に第一次[[再審請求]]を行なう。

*第一次再審請求終了まで
1977年8月30日、弁護団は東京高裁に対して再審請求を行なった。
1977年9月8日、石川さんは千葉刑務所に移された。
脅迫状の日付訂正個所が自白と食い違うことが明らかになり、新証拠として提出されたが、
1980年2月5日付で東京高裁第4刑事部・四ツ谷巌裁判長は、証人尋問や現場検証などの事実調べをまったく行なうことなく、再審請求を棄却。
弁護団はただちに異議申立をしたが、
1981年3月25日付で東京高裁第5刑事部・新関雅夫裁判長は、やはり事実調べを行なうことなく異議申立を棄却した。
続いて弁護団は最高裁に特別抗告を申し立てた。証拠開示によって小名木証言が明らかになり、新たな法医学者の鑑定など、自白の信用性を揺るがす新証拠が次々に明らかになったが、
1985年5月27日付で最高裁第2小法廷(大橋進裁判長)は、事実調べを行なうことなく抗告を棄却した。



8月30日誕生花かやつりぐさ
スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌の鑑定論争についての関連リンク

*東京高裁に再び生越鑑定を提出し星野鑑定の誤りを指摘

*星野・阿部鑑定書(スコップ附着物)を証拠として提出する捜査本部の部落差別性

*三者協議(2012年8、9月)でスコップ土壌について検察官意見書に再反論する大橋第2意見書提出

*狭山事件特別抗告申立書補充書より スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌
第一次再審における「スコップ」
(1)再審棄却決定の判断の不当性
 再審棄却決定は、星野鑑定は、スコップ付着土壌と死体埋没場所土壌の「類似性の有無に関する資料を求めるため」行われたものであり、「期待されていた証明力に限度があった」と述べている。しかし星野鑑定に期待されていたのはスコップに付着していた赤茶色の粘土様土壌(一)Pと、死体埋没場所で採取したという赤茶色の土E、Fが高度の類似性を持つことを明らかにすることによって、スコップが死体埋没に使われたものであることを証明することであった。再審棄却決定の右のような判示は、生越鑑定によってその欺瞞性が暴露されたことを誤魔化すためのものであることは明らかと言わなければならない。
 同決定はまた、生越鑑定を「総合認定の一資料である星野正彦の鑑定書について、一部その不備を指摘する意味は持ちうるとしても」と述べて、その意義を過少に歪曲しているが、肝心の「総合認定」の内容について何一つ述べていない。上告審棄却決定と同じように、それが「犬は顔見知りの人には吠えない」という迷説を指すのだと想像されるが、もう沢山というほかない。

(2)異議申立棄却決定判断の不当性
 異議申立棄却決定は、再審棄却決定に対する弁護人らの主張を「所論のようなかしはない」として斥けたうえ、弁護人らの主張に反論して独自の論を展開してみせる。要約すると、
 「問題の(一)Pの土壌は、本来そのままでスコップに付着していたものではなく、a、b、dの三種の土壌を混合したものであるから、混合された土壌の砂分、粘土分の重量構成比が変わるものであることは計算上明らかなことである。例えば現場土壌の(三)のA(黒ボク土)と(三)F(赤茶色粘土様土壌)を2対1の割合で混ぜれば、計算上(一)Pと同じような重量構成比を有する土壌がつくり出せる。従って混合土壌の(一)Pの重量構成比の数値を以て、(一)Pを、いかなる現場土壌とも異質であるとする弁護人らの所論は理由がない。」
 と述べるのである。
 しかし、a、b、dを混合して(一)Pとしたのは、星野鑑定人が他の黒ボク土と区別され、同じ赤茶色の粘土様土壌であると判断したからであり、同種の土を混合しても性質が変わることがないのは自明の理であり、このような決定の論理が誤りであることは明らかである。

(3)特別抗告棄却決定判断の不当性
 特別抗告棄却決定もまた、星野鑑定が(一)a、b、dを混合して(一)Pとして類似性判断の資料としたことを、「必ずしも当を得ない」としている。これに対しては、前述の異議申立棄却決定に対する反論がそのまま妥当するので、ここでは繰り返さない。
 同決定は続いて、(一)Pと死体埋没穴付近から採取された土壌とが「異なるからといって(一)Pを構成する(一)a、(一)b、(一)dの各土壌のいずれもが、死体埋没穴付近には存在しない土壌であるとまではいえない。」と述べている。
 この記述の限りでは、それが、(一)Pの組成要素であるa、b、dがそれぞれ異質であることを前提として、(一)Pと死体埋没穴付近土壌とを較べても意味がないと言おうとしているのか、また死体埋没穴付近には採取資料以外の性質の土壌が存在していたかも知れないから、と言おうとしているのか必ずしも明らかではないが、前者とすれば、これに対する反論はすでに述べたとおりである。また後者とすれば、それは全くの仮定的想像に過ぎず、このような根拠のない推測に対しては反論の必要さえないと言わなければならない。
 決定はさらに、スコップ付着の(一)C1や(一)C2の土壌と死体埋没穴付近の土壌との砂分・シルト・粘土分の重量構成比以外の検査結果を指摘して両者の類似性について述べている。
 しかし、これは生越鑑定書が明らかに述べている土壌分類の第一の基準を無視した議論であり、土壌分類としての類似性とは無関係の、ただそれぞれの数値が近いというだけの無意味な議論にすぎないのである。

(4)以上要するに、再審申立手続き中に裁判所がした決定は、生越鑑定書の述べる、「本件スコップには死体埋没穴付近の土壌とは異質の土壌が付着していた」という事実を否定する何ら納得的な説明をしていないだけでなく、各決定もそれぞれ、「本件スコップには、死体埋没穴付近の土壌と類似性が高い土壌が付着していた」という星野鑑定の証明力を否定ないしは極めて低いものであると認めるに至っているのである。



東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
鑑定人尋問や現場検証などの事実調べをおこない、
すみやかに狭山事件の再審を開始してください

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*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』予告編 
近々完成


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July 25, 2013

2004(平成16)年7月6日  『辛 淑 玉のいわせていただきます』より/石川一雄さん:、『見えない手錠』から解き放たれたら、両親の墓参りしたい(ラジオ番組のすおこし)

ラジオ番組『辛 淑 玉のいわせていただきます』
2004年7月6日(火)ゲスト:石川一雄さん(再喝)

 コンバンハ、辛 淑 玉(シン スゴ)です。
 今から四一年まえに起きた狭山事件は、部落差別による冤罪事
件として今でも日本全国に再審要求の声が上がっています。
 昨年九月、新たな証拠を提示し、特別抗告の申立をしたにも係
わらず、いまだ司法の扉は開かれていません。
 今日は仮出獄の状態が続いている石川一雄さんに、当時の状況
を伺いたいと思います。

辛さん:石川さん、コンバンハ。今日はお忙しい中、どうもあり
 がとうございます。

石川さん:お世話になります。

辛さん:あの、狭山事件といいますと、若い人にはなかなかね、
 耳慣れないと思いますが、石川さんは当時、埼玉県の狭山市
 にお住まいで、その狭山市で下校中の女子高生が誘拐されて
 二〇万円を要求する脅迫状が届いて、その犯人を警察が取り
 逃がしてしまいましたね。そのあと被害者の遺体が発見され、
 しばらくして石川さんが別件で逮捕されたと・・・。
 で、最初はもう頑強に否定していたにも関わらず、六月一七
 日になって釈放直後に違法にも逮捕され、そして自白を強要
 された・・・。あの当時はどんな状況だったんですか?

石川さん:最初の逮捕された当初は、被害者の善枝殺しを他の
 人たちが自供しているから、お前も自供しろと責められてお
 りました。ところが、数日たって私の家から押収した地下足
 袋が、これは犯人が身代金を取りに行って逃げられ、そして
 その残った足跡に石膏(せっこう)をながしたものと一致す
 ると。お前、履いてみろということで私は履きました。とこ
 ろが兄貴の足袋だったために、私は十寸半、兄は九寸でどう
 しても踵が出てしまう。ですから、私はその時これはたぶん
 警察官が犯人を逃がした後にとった足跡が本当に、この石膏
 とうちの足袋がそうだとなれば、アン(兄)ちゃんが犯人か
 もしれない・・・というふうな思いにさせられていきました。
 
辛さん:実際に、むこうが証拠として出してきた足袋は石川さ
 んの足には全く合わなかったわけですね。

石川さん:ええ、踵が出てしまうんですね。小さくて・・・

辛さん:で、その時にこれはアンちゃんのものだというふうに
 思いこんでしまった・・・

石川さん:ええ。

辛さん:あの、そしてその自白をベースにして、一審では死刑
 が求刑されましたよね。

石川さん:はい。

辛さん:その当時のね、新聞とか、いろんな情報を見てみます
 と、判決を受けても微動だにしないというような・・・。で、
 言われていたのは、判決を受けたとしても大丈夫だという、
 ま、今で言えば裏取引というような、まあそういった言いく
 るめ方をしていたわけですね?

石川さん:そうですね。自分も警察官の長谷部梅吉警視が、そ
 の前から警察官で一番偉いと思っていましたので、たとえ死
 刑だと言われても、そんなことはないだろうということを、
 『男同士の約束』ということで、それを信じたわけですよね。

辛さん:ところがそれは全くの嘘でしたよね。日本は「自白」
 というものが、とても大きな証拠として、一度自白させたら
 一転してそれで叩いてくるという状況ですよね。

石川さん:この狭山事件には五人の自殺者がおりますよね。そ
 して、その自殺した方はほとんどが被害者の人と何らかの関
 係を持っていますね。だから、この不思議なのが、自殺者が
 多くいるということと、そしてまた同時に、兄貴が犯人じゃ
 なかったとしたら、たぶん生きている人がいたら、私が犯人
 にされているわけですから、辛い思いをしているんじゃない
 かと思っておりました。

辛さん:要するに、身代わりになった石川さんに対して本当の
 加害者が辛い思いをしているというふうに石川さんは考える
 んですね。

石川さん:はい。五人の自殺者の中にいなかったとしたら、た
 ぶん今は自分の心の中では辛い思いをしているんじゃないか
 と思います。

辛さん:しかし本当に、様々な証拠でおかしなことがいっぱい
 ありますよね。さっきおっしゃた足袋もそうですよね。発見
 されたものは明らかに石川さんが履くこともできないほど小
 さい物にも関わらずそれが証拠として出てきたりとか・・・。
 その一つひとつがおかしなものがだんだん見えてきた時、石
 川さんはどんな思いだったんですか?

石川さん:そうですね。私が刑務所の中で一番嬉しかったのは
 接見禁止が解けて兄貴が面会に来たんですね。兄貴とは喧嘩
 もしましたけれど、私は兄貴を犯人だと思っていましたので、
 直接聞いたら、私はそんなことをしていないと。実は確かに
 夜遅く帰って来たけれど、集金で深夜帰って来たんだと、い
 うことを言ったので、じゃあ「無実」を訴えようというきっ
 かけになったのです。ですから、兄貴が面会に来なかったと
 したら、高裁でも認めてしまったかもしれません。そういう
 意味では私が一番嬉しかったのは、アンちゃんが接見禁止が
 解けて、面会に来て、直接確かめることができたっていうこ
 とですね。

辛さん:でも、お兄さんがやっていたらオレが・・・というの
 は・・・。

石川さん:でも警察では、兄貴の足袋がそうだって言いました
 から、自分もアンちゃんの足袋がそうだったら、兄貴以外に、
 私は履けないから、これがそうだと言われるとやはり、アン
 ちゃん以外にないかと思ってしまったんですね。

辛さん:獄中にいる時に、お母様がお亡くなりになりましたよ
 ね。

石川さん:そうですね。私、あの、親父も大切な人だったです
 けど、親父が死んだ時は、ああ死んでしまったかと。でも一
 言だけ言っておこうと。自分が小さいころ、被差別部落だっ
 たがゆえに、学校へ行くたんびにいじめられて、そういうこ
 とに対して、親父は何も答えてくれなかったですから、死ん
 だ時は、その被差別部落に生まれたということを教えてくれ
 なかったことに対して、少し苦言を呈しようということで、
 その晩、心の錯綜する中で支援者の人たちに二通手紙を書き
 ました。おふくろが死んだ時は、母ちゃんはあの、たとえ植
 物人間でもいいから生きててほしいなと思っていたことから
 倒れてしまい、一番恋しい母ちゃんには別れの言葉すらかけ
 ずに天国へ旅立たれてしまったことが今でも心に残って、母
 ちゃんにはすまないと思っていますね・・・

辛さん:あの、お父様も、お母様も、ずっと一貫して「無実」
 を主張し、そして闘ってきましたよね。

石川さん:ええ、これはね、うちの親父やおふくろも、私がも
 う七時ころには家に帰っていたということを、もう兄貴以外
 は兄弟も全員知っていたので、私がやったんじゃないと確信
 していたんじゃないでしょうかねえ


辛さん:一九七七年に最高裁で上告が棄却され、刑が確定し、
 そして、九四年には仮出獄。三一年七ヶ月・・・長い時間
 でしたよね。

石川さん:はい。

辛さん:出獄から一〇年たちました。今、あの、一番語りた
 いことは何ですか?

石川さん:うーん、やっぱり母ちゃんに対して、墓参りもし
 てないですから、語りかけたいですね。母ちゃんに冤罪を
 晴らしたということに対して、今は仮出獄でありますから、
 自分のきれいな心の中で、母ちゃん、父ちゃんに報告した
 いという気持ちは、今一番強く持っております。

辛さん:あの、たしかお墓参りはまだ行かれていない・・・

石川さん:はい。いろいろご批判を受けますけれど、やはり
 いま自分は仮出獄、いろいろな遵守事項があるという事で
 ある意味では刑務所にいるのと同じであるし、殺人犯。父
 ちゃん、母ちゃんはそれを知っていたとしてもやっぱり、
 自分が本当に裁判所のもとで「無罪」だと言われるまでは
 父ちゃん、母ちゃんには手を合わせまいと・・・。これは、
 仮出獄の重みというものを私自身が一番痛切に感じており
 ますので、父ちゃん、母ちゃんはたとえ殺人犯ではないと
 知っていたとしても、自分自身が冤罪が晴れるまでは、父
 ちゃん、母ちゃんには勘弁してもらいたい。冤罪が晴れた
 時は改めてお墓参りでも、仏壇に手を合わせるというふう
 な形で、今は自分の信念を曲げずに闘っております


辛さん:私は、石川さんの書かれた漢字が読めない時がとて
 もあるんですねえ(笑)。あのね、難しい漢字をとてもた
 くさんお書きになるので。石川さんは社会と隔離された獄
 中で文字を獲得していきましたよね。ですから、日常の中
 であまり使うことのない漢字を驚くほどたくさんお使いに
 なるんですよね。私はそれを見るたんびにね、獄中の生活
 の長さと、学ぶことで闘い続けてきた爪あとがね、そこに
 あるような気がするんです。あの、文字も書けなかった青
 年が事件の中で脅迫状を書いたとする検察側の主張には、
 差別による無知と、無知ゆえにさらに差別を加速していっ
 たとするこの姿を、私は見ることができます。
 狭山事件は鎌田慧さんが書かれた『狭山事件 石川一雄、
 41年目の真実』に詳しく紹介されています。ぜひ、ご一
 読をしてください。
 

 今週の一曲 
石川さん:昔の歌でしたら結構あるんですけど、刑務所の中
 で覚えた歌というのでは ザカスケーズの「かなしき雨音」
 が今、好きですね。

辛さん:ああ、古い歌ですね。もう二〇数年ぐらい前ですね。
 これは、あの、歌ったんですか?

石川さん:ええ、のど自慢で。刑務所ではだいたい年に二回
 のど自慢があり、その時にこのザカスケーズの「かなしき
 雨音」を、若干英語の部分があったんですけど、「合格」
 はしてくださいました。聞いているみなさんもわからない
 です(笑)






100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ
(ポスターの画像はコチラから頂きました)




*ドキュメンタリー映画 『みえない手錠をはずすまで』のご紹介
 公式HP 予告編
 YouTube 予告編
D.T.ôNISHIさんのサイトの予告編

 公式ツイッター


金聖雄 ‏監督のツイートより 2012年3月23日
「市民の司法」という一見難しそうなサイトで、映画「みえない手錠をはずすまで」について考えることをインタビューしていただきました。難しいこと聞かれたらどうしようと思いながらの時間でした。よかったらご覧下さい。
http://www.saiban-kenpo.org/hatugen/backnumber/120319.html

(インタビュー記事より)
 その時、石川さんは私のインタビューに対して「我が人生に悔いはなし!」と言ったのです。半世紀近く無実の訴えを認められないできた人生に悔いがないはずない、と私は思い、なぜそのような言葉が出てくるのか不思議でした。

 ・・・私は人権問題の映像作品もつくってきましたから、在日朝鮮人やハンセン病患者の裁判などのことも取材を通して少し知っていて、日本の裁判所は人権への配慮が乏しいと不信感を抱いていました。狭山事件の映画製作を始めてからは、刑事裁判もひどいということも痛感させられることになりました。・・・




人権と報道関西の会 2013年6月22日 
「今、なぜ狭山事件・石川一雄さんの映画を撮るのか」 より

 埼玉県狭山市で1963年に女子高生が殺害された「狭山事件」で無期懲役が確定し、再審を求めている石川一雄さん(仮釈放中)が、無実を訴え続けている姿を追ったドキュメンタリー映画「みえない手錠をはずすまで」を制作している監督・金聖雄(きむそんうん)さんの話を聞いた。

・・・金監督は、発生から50年の節目を迎えた石川さんに向き合い、その素顔を伝える作品への思いを語った。

・・・ 金監督は韓国籍の在日2世である自身について、若いころは、在日朝鮮・韓国人を取り巻く社会的な動きに積極的に関わるより、音楽やサーフィンに興じる「ノンポリだった」と振り返った。さらに、映画監督として手がけた在日1世の女性の日常の姿を追うドキュメンタリー「花はんめ」の制作過程を舞台裏のエピソードを交えながら、素顔の「在日1世のおばちゃん」たちに共感しながら、「心に響いたものを撮ってきた」という自身の映像作品への取り組み姿勢を語った。

・・・石川さんの私生活に密着しながら、「冤罪」「差別」などを声高に主張するのではなく、丁寧に石川さんの人となりを紹介する姿勢に徹している現場の雰囲気を紹介した。

 金監督は、第3次再審請求で、これまでは行われなかった裁判所、検察、弁護側による「3者協議」が行われたことに触れ「再審への期待が少し高まった」とした上で、「現場でスタッフが小さなネジを落として見失った時、本当に心配して一生懸命探してくれた石川さんの人柄に触れ、私は『この人に犯人であるがずがない』という確信しました」と締めくくった。・・・



みえない手錠をはずすまで 様からの ツイート ‏ 2013(平成25)年 7月23日

フォローありがとうございます。
狭山事件の冤罪被害者、石川一雄さんのドキュメンタリー映画を作っております。 東京での上映会のあと、全国各地を回って上映していく予定です。 詳細は追ってツイートします。 ご支援よろしくお願い致します。






*愚ブログの紹介
『〜見えない手錠をはずして!〜狭山事件42年ぶりの真実〜』の番組のおこし(2005年)


higurashi at 06:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 13, 2013

1963(昭和38)年6月13日

参考:
*『自白崩壊 狭山裁判二〇年』狭山事件弁護団編(日本評論社、1984)
*『石川一雄獄中歌集』狭山差別裁判関係略年譜

石川一雄、別件で起訴。善枝殺し事件で起訴できず。拘留延長手続き
(一〇日間)。部落解放同盟埼玉県連、差別捜査に抗議。

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[石川一雄]]さん、[[別件]]で[[起訴]]される。
善枝さん殺し事件で起訴できず、[[拘留]][[延長]]手続き(一〇日間)。
部落解放同盟埼玉県連、[[差別]]捜査に抗議する。




100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!


外国特派員協会ウェブサイト(英語)より
http://www.fccj.ne.jp/

"Still Waiting for Justice - Kazuo Ishikawa and 50 Years of Struggle", by Ishikawa, Nakayama & Nimalka


PRESS CONFERENCE

Kazuo Ishikawa, Defendant of the Sayama Case
Taketoshi Nakayama, Chief Lawyer of the Sayama Case Defense Team
Nimalka Fernando, President of IMADR




狭山事件から50年目に当たる2013年6月13日 
狭山事件の石川一雄さんが外国特派員協会で記者会見にのぞむ

反差別国際運動(IMADR)http://imadr.net/sayama-case20130610/

石川 一雄、狭山事件の被告、
中山 武敏、狭山事件の主任弁護人,
ニマルカ・フェルナンド、IMADR理事長


狭山事件により石川一雄さんが逮捕されて50年が経ちました。この間、取り調べの可視化や証拠開示など、日本の刑事手続きにおける問題点について、国連も厳しい勧告を出しています。

冤罪と闘う石川一雄さん、主任弁護士の中山武敏さん、来日中のIMADR理事長ニマルカ・フェルナンドによる記者会見を6月13日に、外国特派員協会で狭山事件に関する記者会見を開催いたします。




岩上安身‏@iwakamiyasumi10時間
【IWJ・UST】6月13日(木)15時から、Ch6では「FCCJ主催 狭山事件被告他 記者会見」を中継します。詳細:http://bit.ly/11llvsk Ch6→ ( #iwakamiyasumi6 live at http://ustre.am/uy8q )

http://www.ustream.tv/channel/iwj6?utm_campaign=t.co&utm_source=7281058&utm_medium=social#/recorded/34261759




岩上安身‏@iwakamiyasumi8時間
RT @IWJ_sokuhou: 2013/06/13 日本外国特派員協会主催 狭山事件元被告ほか 記者会見 に、サマリーをアップしました。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/84513 … @iwakamiyasumi



130613 FCCJ主催 狭山事件被告他 記者会見:
http://youtu.be/Fze0phq4XiQ @youtubeさんから







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June 12, 2013

1963(昭和38)年6月12日


100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件の再審開始を求めるオンライン署名」へ




 [[浦和地検]]、[[石川一雄さん]]の[[起訴]]をめぐって[[東京高検]]と協議。

 [[浦和地検]]と[[東京高検]]が協議し、[[石川一雄さん]][[起訴]]の方針を決定する。
 [[石川一雄さん]]が、[[犯行]]を[[全面否認]]し続ける。


参考:
 *『自白崩壊 狭山裁判二〇年』狭山事件弁護団編(日本評論社、1984)
 *『石川一雄獄中歌集』狭山差別裁判関係略年譜






ご参照ください

狭山再審を訴える割り箸袋 の画像
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E7%8B%AD%E5%B1%B1+%E5%86%8D%E5%AF%A9+%E5%89%B2%E3%82%8A%E7%AE%B8%E8%A2%8B#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0



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June 08, 2013

1963(昭和38)年6月8日

* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、上田[[県警本部]]長が、 [[石川一雄]](十文半)は押収した[[地下足袋]](十文三分と鑑定)をはけるから[[犯人]]と発表。


一九六三・六・八
 上田県警本部は石川(十文半)は兄六造の九文七分の地下タビをはけるから、佐野屋にきた犯人と発表(上告書ではこの地下タビは十文三分と鑑定されている)。



 上田県警本部長、押収した地下足袋を石川一雄ははくことが可能と発表。
上田県警本部は石川(十文半)は兄六造の九文七分の地下タビをはけるから、佐野屋にきた犯人と発表(上告書ではこの地下タビは十文三分と鑑定されている)。





供述調書(六月七日付)



     石川一夫 指印
右の通り録取し読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した
前同日
  狭山警察署助勤 埼玉警察本部刑事部捜査一課
    司法警察員 警部 清水利一 ㊞
  立会人 前同 司法警察員 警部補 遠藤 三 ㊞


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