第一次再審請求

October 13, 2013

1981(昭和56)年10月13日狭山事件小名木証言等新証拠開示。事実調べをせず再審棄却した大橋進最高裁裁判長と、取材記事を書いた相田武男朝日新聞浦和支局記者


sayama25
10.31寺尾裁判長無期懲役判決から39年きゅうだん!





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1964(昭和39)年9月10日
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1966(昭和41)年3月8日手拭 解明されない事実
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1966(昭和41)年5月21日
1967(昭和42)年1月11日
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1967(昭和42)年5月16日 大野晋鑑定人引用
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1968(昭和43)年9月24日
1968(昭和43)年10月1日
1968(昭和43)年11月14日 筆圧痕の問題「あ」
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1970(昭和45)年4月21日
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1970(昭和45)年12月3日 犯人取り逃がし
1970(昭和45)年12月5日茶碗投げつけた理由
1970(昭和45)年12月8日警察が部落の少年補導
1971(昭和46)年2月12日
1971(昭和46)年3月1日
1971(昭和46)年3月4日
1971(昭和46)年3月9日  時計の品触れ
1971(昭和46)年3月11日
1971(昭和46)年5月11日
1971(昭和46)年5月15日
1971(昭和46)年5月20日
1971(昭和46)年7月15日
1971(昭和46)年7月22日
1971(昭和46)年8月7日
1971(昭和46)年8月16日
1971(昭和46)年11月9日
1971(昭和46)年11月11日
1972(昭和47)年2月8日
1972(昭和47)年2月10日
1972(昭和47)年2月15日高村鑑定
1972(昭和47)年4月15日
1972(昭和47)年4月18日
1972(昭和47)年6月15日検事が弁護士接見妨害
1972(昭和47)年6月17日
1972(昭和47)年7月22日 
1972(昭和47)年7月27日 変死者の問題
1972(昭和47)年8月26日
1972(昭和47)年8月29日 大野晋鑑定人引用
1972(昭和47)年9月16日
1972(昭和47)年9月19日
1972(昭和47)年11月27日
1972(昭和47)年12月6日
1972(昭和47)年12月8日
1974(昭和49)年2月7日
1974(昭和49)年2月14日
1974(昭和49)年3月22日
1974(昭和49)年5月23日
1974(昭和49)年9月3日
1974(昭和49)年9月5日 星野鑑定の欠陥
1974(昭和49)年9月10日
1974(昭和49)年9月20日
1974(昭和49)年9月24日
1974(昭和49)年9月26日
第二審東京高等裁判所
無期懲役判決を言い渡す
1974(昭和49)年10月31日

注)星野鑑定:星野正彦警察技師(埼玉県警察本部刑事部鑑識課)によるスコップに付着した土壌鑑定書






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滝沢直人(浦和検察庁熊谷支部)
石川富蔵
内田幸吉
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戸谷富之(鑑定人) 石川一雄さん
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山田昌志(仮名/野間宏「狭山裁判・上」)
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*中田主任弁護人 石川一雄さん
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中勲
河本仁之(浦和地検検事)
竹内武雄(狭山警察署長)、斉藤留五郎
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中勲(特捜本部長)
清水利一(警部)、大野喜平次(警部補)
大谷木(警部)、梅沢茂(県警捜査三課)
岸田(県警技師)、鈴木(巡査部長)
清水(警部)、斉藤(刑事)
梅沢(警部補)、石原(警部補)
岸田政司
将田(特捜本部付警視)、飯野源治(狭山署捜査課巡査)
長谷部梅吉(警視)
青木(県警警部)、関源三(巡査部長)
関源三(巡査部長)、五十嵐(県警本部警察医)
五十嵐(県警本部警察医)、関源三(巡査)
石田一義、小島朝政
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中田直人(弁護人)中田健二
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高村巌(警視庁鑑識科捜研課長)橋本(弁護人)
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鈴木将(堀兼診療所医師)
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山梨(検事) 石川一雄さん
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最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
最終弁論
第二審東京高等裁判所
無期懲役判決を言い渡す
(寺尾正二裁判長)


 

sayama24 [[狭山事件]]で、[[東京高検]]が、被害者の悲鳴は聞いていないし、人影も見ていないという「[[小名木証言]]」の略図を[[証拠開示]]しました。
 東京高等検察庁は、第一次再審請求審中の1981年7月30日に、小名木武さん関係の捜査報告書4通を開示しましたが 添付されているはずの「略図」は付されておらす、追加開示請求により、同年10月13日に初めて開示されるというアンフェアな経過がありました。(野間宏『狭山裁判・下』頁一三九二を参照)

略図とは
昭和三十八年六月四日付 水村菊二司法巡査による竹内武雄狭山警察署長あての聞込み調査報告書に添付されていた小名木武氏の書いた略図と
昭和三十八年六月六日付 河本仁之検察官と他一名が作成した供述調書末尾に添付されている供述人小名木武氏の「私が働いていた桑畑の位置について図面を書いたから提出します」として書いた図面(略図)のことである。
(『狭山裁判・下』野間宏 一三七三頁)

「現場100ぺん」が刑事の基本である。であるならば、一八年目にして明らかになった略図を基に素直に事件を見れば、次々と疑問が浮かんでくる。
「本当に“四本杉”で善枝さんが殺されたのか?」
「なぜ、悲鳴を上げ、死を前に助けを求める大声がすぐ近くにいた人に聞きとがめられることなく気にせずに善枝さんを殺害したのだろうか?」・・・
(同 一三九二頁より)



『一八年目に現れた「略図」は何を意味するか--狭山事件再審請求で日の目を見た新証拠』 より
(著者:相田武男・朝日新聞浦和支局記者 出版年:1981-10-30 / 朝日ジャーナル )
桑は一枝に数枚の葉を付けていただけで、雑木林側の畝三、四本(三、四メートルの幅)は林の陰になっていて育ちが悪かったため、桑畑の南端で作業していた姿は林の中から見えた可能性も強い。・・・
小名木さんがこの日除草剤に使ったのは、肩掛けの手押しポンプ式噴霧器、桑畑東側の農道に止めたオート三輪の荷台に積んだ桶から、除草剤を背中のタンク(一八汎り)に移すため、何回も車まで往復している。ということは、作業中に噴霧器に圧縮空気を送る音や車への往復などで、種々の音が出たと見るのが当然だ。・・・



桑畑の桑の葉がどのような状態であったかは、相田武男記者の記述によって明らかにされましたし、噴霧器はこの他にも手動式でない石油エンジンで動く噴霧器があり、石川一雄さんの「自白」調書には、音を全然聞いていないとあることとの矛盾にも触れられていました。

このような、自白の信用性を揺るがす重要な事柄については、最高裁判所の裁判長なる者が当然調べ上げなければならないものであると思われるのに、最高裁第2小法廷(大橋進裁判長)1985(昭和60)年5月27日付で、事実調べを行なうことなく(第1次再審請求の)特別抗告の棄却決定を下しました。


この小名木武氏の弁護人に対する供述調書は・・・(確定判決が犯行現場としている)桑畑の南側に接している雑木林の四本杉、松の木の下辺り、としているこの犯行現場が、実際には犯行現場でなかったという事実をもはや打ち消すことなど出来ない事実として提出するものである。
したがって、またこのことは・・・二審の確定判決はもちろん、この確定判決の、本事件の強姦殺人の犯行現場と判断した判断をそのまま受けついでいる、「上告棄却決定」「再審請求棄却決定」「異議申立棄却決定」「特別抗告棄却決定」のいずれもが、大きな誤りに陥っていることを照らし出して問題としている・・・白昼の光のただなかにひきだしているということができるのである。
(『狭山裁判・下』野間宏 一三九七頁〜)




野間宏氏は同書で1981(昭和五六)年一〇月一〇日午後五時すぎに、中山武敏弁護士、横田雄一弁護士、共同通信社とともに小名木武氏を訪ねた際、小名木氏ご本人より、実名も住所も明かして構わないとの申し出があったことについても触れられていました。
 








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一審・第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判
1963(昭和38)年9月30日
中田健治、中田登美恵、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判
1963(昭和38)年10月23日
関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平農道の赤土と黒土
被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判
1963(昭和38)年11月4日
野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一技官、吉田一雄星野鑑定書の作為”
被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判
1963(昭和38)年11月13日
小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉伊藤操、清水利一、関源三万年筆、鞄、教科書について
被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判
1963(昭和38)年11月21日
中田健治、中田登美恵事件発生当日について(小名木証言に関わる除草剤散布についての聞き込み)
裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判
1963(昭和38)年12月12日
石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判
1964(昭和39)年1月23日
石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。
(浦和地方裁判所 第一審公判第一審公判 全十一回)
 





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 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
  10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
    8:30〜10:00、11:50〜13:00

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August 30, 2013

1977(昭和52)年8月30日狭山事件で第一次再審請求(〜1985年5月27日)と「スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌」の鑑定論争/裁判所は鑑定尋問による事実調べを!

部落解放・人権研究所編『部落問題人権事典』より
*二審終了まで
1974年10月31日、東京高裁の寺尾正二裁判長は、無期懲役判決を行なった。
石川さんはただちに上告し、さらに筆跡・足跡等の鑑定書を提出。
しかし最高裁は事実審理を行なうことなく、
1977年8月9日、上告を棄却した。これによって2審の無期懲役判決が確定

それに対し、1977(昭和52)年8月30日  [[狭山事件]]で、[[無期懲役]]が確定となった[[石川一雄]]さんが、弁護団と[[東京高裁]]に第一次[[再審請求]]を行なう。

*第一次再審請求終了まで
1977年8月30日、弁護団は東京高裁に対して再審請求を行なった。
1977年9月8日、石川さんは千葉刑務所に移された。
脅迫状の日付訂正個所が自白と食い違うことが明らかになり、新証拠として提出されたが、
1980年2月5日付で東京高裁第4刑事部・四ツ谷巌裁判長は、証人尋問や現場検証などの事実調べをまったく行なうことなく、再審請求を棄却。
弁護団はただちに異議申立をしたが、
1981年3月25日付で東京高裁第5刑事部・新関雅夫裁判長は、やはり事実調べを行なうことなく異議申立を棄却した。
続いて弁護団は最高裁に特別抗告を申し立てた。証拠開示によって小名木証言が明らかになり、新たな法医学者の鑑定など、自白の信用性を揺るがす新証拠が次々に明らかになったが、
1985年5月27日付で最高裁第2小法廷(大橋進裁判長)は、事実調べを行なうことなく抗告を棄却した。



8月30日誕生花かやつりぐさ
スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌の鑑定論争についての関連リンク

*東京高裁に再び生越鑑定を提出し星野鑑定の誤りを指摘

*星野・阿部鑑定書(スコップ附着物)を証拠として提出する捜査本部の部落差別性

*三者協議(2012年8、9月)でスコップ土壌について検察官意見書に再反論する大橋第2意見書提出

*狭山事件特別抗告申立書補充書より スコップ付着土壌と死体埋没穴付近の土壌
第一次再審における「スコップ」
(1)再審棄却決定の判断の不当性
 再審棄却決定は、星野鑑定は、スコップ付着土壌と死体埋没場所土壌の「類似性の有無に関する資料を求めるため」行われたものであり、「期待されていた証明力に限度があった」と述べている。しかし星野鑑定に期待されていたのはスコップに付着していた赤茶色の粘土様土壌(一)Pと、死体埋没場所で採取したという赤茶色の土E、Fが高度の類似性を持つことを明らかにすることによって、スコップが死体埋没に使われたものであることを証明することであった。再審棄却決定の右のような判示は、生越鑑定によってその欺瞞性が暴露されたことを誤魔化すためのものであることは明らかと言わなければならない。
 同決定はまた、生越鑑定を「総合認定の一資料である星野正彦の鑑定書について、一部その不備を指摘する意味は持ちうるとしても」と述べて、その意義を過少に歪曲しているが、肝心の「総合認定」の内容について何一つ述べていない。上告審棄却決定と同じように、それが「犬は顔見知りの人には吠えない」という迷説を指すのだと想像されるが、もう沢山というほかない。

(2)異議申立棄却決定判断の不当性
 異議申立棄却決定は、再審棄却決定に対する弁護人らの主張を「所論のようなかしはない」として斥けたうえ、弁護人らの主張に反論して独自の論を展開してみせる。要約すると、
 「問題の(一)Pの土壌は、本来そのままでスコップに付着していたものではなく、a、b、dの三種の土壌を混合したものであるから、混合された土壌の砂分、粘土分の重量構成比が変わるものであることは計算上明らかなことである。例えば現場土壌の(三)のA(黒ボク土)と(三)F(赤茶色粘土様土壌)を2対1の割合で混ぜれば、計算上(一)Pと同じような重量構成比を有する土壌がつくり出せる。従って混合土壌の(一)Pの重量構成比の数値を以て、(一)Pを、いかなる現場土壌とも異質であるとする弁護人らの所論は理由がない。」
 と述べるのである。
 しかし、a、b、dを混合して(一)Pとしたのは、星野鑑定人が他の黒ボク土と区別され、同じ赤茶色の粘土様土壌であると判断したからであり、同種の土を混合しても性質が変わることがないのは自明の理であり、このような決定の論理が誤りであることは明らかである。

(3)特別抗告棄却決定判断の不当性
 特別抗告棄却決定もまた、星野鑑定が(一)a、b、dを混合して(一)Pとして類似性判断の資料としたことを、「必ずしも当を得ない」としている。これに対しては、前述の異議申立棄却決定に対する反論がそのまま妥当するので、ここでは繰り返さない。
 同決定は続いて、(一)Pと死体埋没穴付近から採取された土壌とが「異なるからといって(一)Pを構成する(一)a、(一)b、(一)dの各土壌のいずれもが、死体埋没穴付近には存在しない土壌であるとまではいえない。」と述べている。
 この記述の限りでは、それが、(一)Pの組成要素であるa、b、dがそれぞれ異質であることを前提として、(一)Pと死体埋没穴付近土壌とを較べても意味がないと言おうとしているのか、また死体埋没穴付近には採取資料以外の性質の土壌が存在していたかも知れないから、と言おうとしているのか必ずしも明らかではないが、前者とすれば、これに対する反論はすでに述べたとおりである。また後者とすれば、それは全くの仮定的想像に過ぎず、このような根拠のない推測に対しては反論の必要さえないと言わなければならない。
 決定はさらに、スコップ付着の(一)C1や(一)C2の土壌と死体埋没穴付近の土壌との砂分・シルト・粘土分の重量構成比以外の検査結果を指摘して両者の類似性について述べている。
 しかし、これは生越鑑定書が明らかに述べている土壌分類の第一の基準を無視した議論であり、土壌分類としての類似性とは無関係の、ただそれぞれの数値が近いというだけの無意味な議論にすぎないのである。

(4)以上要するに、再審申立手続き中に裁判所がした決定は、生越鑑定書の述べる、「本件スコップには死体埋没穴付近の土壌とは異質の土壌が付着していた」という事実を否定する何ら納得的な説明をしていないだけでなく、各決定もそれぞれ、「本件スコップには、死体埋没穴付近の土壌と類似性が高い土壌が付着していた」という星野鑑定の証明力を否定ないしは極めて低いものであると認めるに至っているのである。



東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
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January 10, 2013

1978(昭和53)年1月10日

 [[狭山事件]][[弁護団]]が、[[東京高裁]]の[[四ツ谷裁判長]]と初折衝を行う([[第一次再審請求]])。 

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September 21, 2012

1977(昭和52)年9月21日狭山事件 四ツ谷巌裁判長に交代

 [[狭山事件]]第一次再審請求審で [[弁護団]]が、[[東京高裁]]山本裁判長と面会し、[[証拠物保全]]のため押収を申し入れる。
 この後、東京高裁第4刑事部・四ツ谷巌裁判長に交替する。

ビンの旅ビンの旅

 1977(昭和52)年8月9日
 狭山事件で、[[最高裁]]が、[[上告]]を[[棄却]]する。

 1977(昭和52)年8月16日
 最高裁が、[[石川一雄]]と弁護団による[[異議申し立て]]を却下し、[[無期懲役]]が確定する。
 
 1977(昭和52)年8月30日
 石川一雄ならびに弁護団が、[[東京高裁]]に[[再審請求]]を行なう。


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February 14, 2012

1976(昭和51)年2月14日

 [[江津事件]]で、[[第一次再審請求]]を行う([[広島高裁]][[松江支部]])







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March 31, 1975

1975(昭和50)年3月31日

[[牟礼事件]]で、[[第一次]][[再審請求]]が[[棄却]]される
 →[[]]即時抗告([[一九七五・四・八]])

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