米谷事件

March 30, 2013

1973(昭和48)年3月30日

 [[米谷事件]]で、[[再審請求]]が[[棄却]]される([[青森地裁]]弘前支部)。
 →[[仙台高裁]]へ[[即時抗告]]を行う。
 

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October 30, 2012

1976(昭和51)年10月30日

[[米谷事件]]で、[[仙台高裁]]が[[再審開始.。゚+.(・∀・)゚+.゚]]決定を下す。



●米谷四郎さん死去 青森の暴行致死再審請求で無罪 二〇〇六年七月三日月曜日 河北新報コルネットから

1952年に青森県高田村(現青森市)で起きた女性暴行致死事件の犯人とされ、78年に再審無罪となった「米谷事件」の米谷四郎(よねや・しろう)さんが6月29日、青森市内で死去した。84歳。葬儀は既に済ませた。
52年2月25日夜、57歳の女性が自宅で首を絞められて死亡。住民らの目撃証言から米谷さんが逮捕、起訴された。







米谷さんは無罪を主張したが、青森地裁判決は懲役10年、仙台高裁も控訴を棄却。米谷さんは服役した。その後、別の事件で拘置中の男が犯行を自供、起訴されたが自殺。米谷さんは再審を請求、78年7月、青森地裁で無罪判決を受けた。
弁護団の一員だった仙台市の檜山公夫弁護士は「米谷さんは典型的な東北人で寡黙な人だった。再審請求は開かずの門の時代が長かった。弘前大教授夫人殺人事件や広島県の加藤老事件など、冤罪(えんざい)事件の門が開き始めた中で、米谷事件も大きな転機となった事件だった」と振り返った。




http://plaza.rakuten.co.jp/himetuti/diary/200806300000/

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July 31, 2012

1978(昭和53)年7月31日5

asayakemurasaki


[[米谷事件]]([[青森老女殺し事件]])で、[[無罪]]判決が[[確定]]する。
([[青森地判]]53.7.31)









                 青森老女殺し事件(青森地判53.7.31)
A.自白の経過
 27.3.2逮捕、否認、4日検察官に対する弁録で認む、以後自供継続、公判否認(14年後被告人の甥 長内芳春が別件拘留中に告白、起訴、無罪、自殺)

B自白内容の変動・合理性
 [再]被告人の自供は全般にわたり変動している(芳春は告白の動機---良心の呵責---を明確に述べる)。

C体験供述
 [再]被告人の供述は、検察官の想定を超え犯人でなければわからないと思われる事項について言及したところが極めて乏しい(芳春の供述は、詳細、具体的、「その場の光景を眼前にするかのような印象を受けるほどの鮮明さ」、迫真性)。

E自白と客観的証拠との符号性
 ([再]被害者の創傷、絞頸の方法、姦淫等犯跡とよく適合するのは芳春の供述)

I 情況証拠との関係
(1)遺留精液(A型)と被告人の体液(A型非分泌型)との関係(明石鑑定と上野鑑定)
(2)犯行時刻ころ現場付近で被告人を目撃したという者の証言の信用性




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