腕時計

June 28, 2019

1963(昭和38)年7月2日



1963(昭和38)年7月2日 狭山事件で、腕時計を既捜査地点で通行人が発見。




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「狭山事件再審オンライン署名」へ



画像はFB「狭山事件の再審を実現しよう」よりお借りしました


殿岡 駿星‏さんのツイートより 2013(平成25)年7月2日
今日は妻と高裁前での狭山事件再審開始アピールへ。奈良から清原ふみ子さんが来てくれると聞いていましたので、どうしても会いたくて。着物姿の清原さんは、ノジマミカさんと石川さんの隣で、道行く人に「石川さんのえん罪、再審開始」を訴えました。 http://p.twipple.jp/48url



細田加代子さんのツイートより 2013(平成25)年7月2日 
今日の昼、東京地裁前で狭山事件のアピール行動。石川さんの演説。私は毎日傍聴しているので裁判官の顔は分かります。女性の裁判官ビラすら受け取ってくれない、私服でどこかへ出かけたが。オジサンの裁判官は受け取ってくれた。人間性が分かりますね

同 2013(平成25)年6月15日
昨日も裁判傍聴に行ったら裁判所前で、狭山事件の署名とアピール行動。仲間に入ってチラシ配り。石川夫妻の演説。心に響きます。事件発生50年。石川さんも74歳。一日も早い再審を。冤罪による名誉回復を望む

木村雅英さんのツイートより 2013(平成25)年6月25日
火曜日、昼に経産省テントひろばの東京地裁前要請行動。経産省が起こした訴訟と経産省や国がやってきた原子力政策を批判し、経産省前テントひろばの役割を説明して、次の口頭弁論を大法廷で実施するように訴えた。すぐ隣で「狭山事件発生から50年」石川一雄さんが無実を訴えていた、心より再審を願う





* 2013(平成25)年7月2日 
 東京高裁前第四回アピールが行われる



1963(昭和38)年7月2日
[[狭山事件]]で、小川松五郎、[[狭山市]]田中で腕時計発見、
 捜査本部、善枝のものと発表。
  証拠:[[腕時計]](発見者・小川松五郎)

* 刑事四名が二日間さがしてもみつからなかった腕時計を七八歳の老人が五百円もらって道端で発見。
 この時計、品触書の番号とちがい、捨てられて五〇日以上もたっているのにバンドは新品というニセもの。



『狭山事件 石川一雄四十一年目の真実』 鎌田慧/著より、引用


 二ヵ月たって路上にあらわれた腕時計
 
 事件発生のあと、県警と狭山署は、被害者が所持していた、「女持腕時計シチズンコニー六型」(側番号C六八〇三 二〇五〇六七八)と「牛革製ダレス」を「特別重要品触」として、写真入りポスターにして、各所に張り出した。
 ところが、小川松五郎が発見した腕時計は、おなじシチズンの女性用でも、両側の耳の部分がやや大きくひろがった「シチズンペット」型で、側番号は六六〇六 一〇八五四八一、型も番号もちがう、まったくの別物だった。これは中田弁護士の自宅に配達された匿名の手紙によって知らされた事実だった。・・・たった一行の「内部告発」である。



『狭山事件 無罪の新事実』亀井トム・栗崎ゆたか/共著より、引用


 連絡先・狭山署の電話番号も違うデタラメ「特別重要品触」五万枚

 時計の側番号の問題は、狭山事件を知る人びとの間では・・・石川一雄の無実を主張する、大切な根拠の一つとされてきた。それなのに、それが警察の信じられないようなミスの結果であったことが、上告趣意書が提出された後で明らかにされたのである。(昭和五一年秋、新しく開示された証拠資料から)



 このことは、上告趣意書を検討している最高裁調査官の、上告趣意書に対する心証を害する結果を招くだけではない。弁護側や、石川一雄の無実を信じて支援活動を続けている人びとにもショックを与え、さらには一般の狭山事件の見方にも大きな影響を及ぼしていくことが考えられるのである。
 逆に言えば、検察・警察にとって有利な状況をつくり出すことができるのだ。
 検察・警察に不動の自信があり、また裁判を公正に進めようとの自覚があるならば、このような悪質な手練手管は無用のはずである






 発見されたにも不自然さが
 ダレスとは米国のCIA長官だったアレン・ダレスのことで、いつも彼が小脇に抱えていたことから、この名がついた。・・・被害者のダレスについて、・・・被害者の父親である中田栄作が、刑事にたいして、 「は薄茶色の一見皮製に見えるチャック付きと申しましたが、これは学生用のものでなく、家にあった旅行鞄」と証言していることである。・・・ところが発見されたは皮製だった。


『狭山事件 無罪の新事実』亀井トム・栗崎ゆたか/共著より、引用


 “役に立たない情報”を満載した「特別重要品触」が五万枚も、配付されているのである。たとえばカバン。・・・「特別重要品触」によれば、「ダレス、牛皮製、暗い黄茶色」である。父親は皮製に見えるがそうではないと言い、さらに薄い茶色と言っている。それなのに品触れにはまったく逆のことが書かれてある。・・・
 このミスは、実は仕組まれたミスであるように思えて仕方がないのである



 なぜならば、品触れのミスはこれだけにとどまらない。・・・品触れに載せられている狭山署の電話番号は二本、「狭山二〇九七」と「武蔵四〇四〇」である。しかし、狭山局の電話番号は正しくは「二〇七九」、そして武蔵局のほうは、「六-四〇四〇」が正確な表現である。・・・
 カバンにはじまって時計、電話番号、それに新聞その他で奉じられた万年筆。どれをとってもみんな間違っている。



 もし、これが正真正銘のミスで、何の作為もなかったとすれば、それだけで警察は、石川一雄が真犯人だと主張するのをやめるべきだ。こんな捜査で犯人にされてしまったのでは、たまったものではない
 だが、警察は、捜査がミスだらけであったことを認めながら、一方では石川一雄が真犯人だと主張する。だから私たちとしては、品触れについても、実は役に立たなくてもよい事情があったのではないかと考えざるをえないのである。





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May 23, 2019

1963(昭和38)年6月30日

1963(昭和38)年6月30日


6/21〜7/2
[[狭山事件]]で、警察は、[[川越]]警察署特設取調室での「自白」デッチ上げとタイアップしつつ、[[鞄]]・[[万年筆]]・[[腕時計]]の証拠品の捏造を行う。

参考:石川一雄獄中歌集(一九七九年/たいまつ社)狭山差別裁判関係略年譜





狭山事件(強盗ごうかん、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂等)
 機 ̄栽唾枠39.3.11 最刑集31-5-980(死刑)
 供‥豕高判49.10.31 高刑集27-5-474(破棄自判、無期懲役)
 掘狭山事件 最二決昭52・8・9刑集31-5-821(上告棄却)
A
自白の経過
一、被告人は、捜査段階で自白して以来、捜査段階、第一審の審理を通じて自白を維持し、検察官から死刑の論告求刑を受けた後の被告人の意見陳述の機会においても争わなかった事実等に照らせば、被告人の原審における右供述は真実性のないものであり、その他、所論のいう約束(「善枝ちゃん殺しを自白すれば十年で出してやる」)があったことを窺わせる証跡はみあたらない。

二、第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず、「本件」についても被告人を取調べているとしても、それは、専ら「本件」のためにする取調というべきではなく、「別件」について当然しなければならない取調をしたものにほかならない。それ故、第一次逮捕・勾留は、専ら、いまだ証拠の揃っていない「本件」について被告人を取調べる目的で、証拠の揃っている「別件」の逮捕・勾留に名を借り、その身柄の拘束を利用して、「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと同様な効果を得ることをねらいとしたものである、とすることはできない。・・・

 しかも、第一次逮捕・勾留当時「本件」について逮捕・勾留するだけの証拠が揃っておらず、その後に発見、収集した証拠を併せて事実を解明することによって、初めて「本件」について逮捕・勾留の理由と必要性を明らかにして、第二次逮捕・勾留を請求することができるに至ったものと認められるのであるから、「別件」と「本件」とについて同時に逮捕・勾留して捜査することができるのに、専ら、逮捕・勾留の期間の制限を免れるため罪名を小出しにして逮捕・勾留を繰り返す意図のもとに、各別に請求したものとすることはできない。・・・

三、「別件」についての第一次逮捕・勾留とこれに続く窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件の起訴勾留及び「本件」についての第二次逮捕・勾留は、いずれも適法であり、右一連の身柄の拘束中の被告人に対する「本件」及び「別件」の取調について違法の点はないとした原判決の判断は、正当として是認することができる。
○B
自白内容の変動・合理性
一、行動は活発で、関係地点も多岐にわたるほか、犯行に伴う精神的興奮、緊張状態が存在したと考えられるところから、自白の細部に食い違い(不明確な点、触れられていない点)があったとしても不自然ではない。

二、自白後は捜査段階、一審において終始犯行を認めている(控訴審で否認)。荒縄や木綿細引紐の使用方法についての捜査段階の供述には微細な点で多くの食い違いがあるが、被告人の知覚、表象、表現能力が低い上、取調官が正確に記述する能力に乏しく大雑把な録取方法を取る場合や、被告人が意識的、無意識的に虚実を取り混ぜて供述する傾向が顕著な場合には、往々あり得ることである。
C
体験供述
◎D
秘密の暴露
一、鞄が最初の捜索では発見されなかったこと、鞄の発見された場所一帯がいわゆる山狩による捜索の対象となっていたこと、鞄の発見以前にすでに善枝の所持品である自転車の荷掛用紐及び教科書類が右の雑木林で発見されていること、被告人の鞄を捨てたときの状況に関する供述が細部ではくいちがいがあること、鞄の下から発見された牛乳びん、ハンカチ及び白三角布について被告人が記憶がないと言っていること、などを考慮に入れて、記録を詳細に検討したが、本件鞄の発見過程につて捜査官になんらかの作為があったと疑わせる証跡は見いだせない。
それ故、本件鞄は、善枝の所持品であって、被告人が本件犯行現場から持ち去りその所産を秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて発見されたものであるとの原判決の認定は、正当である。

二、捜査官がこの場所を見落すことはありうるような状況の隠匿場所であるともみられる。従って、二度の捜索によって発見されなかった事実があるからといって、本件万年筆に関し捜査官の作為が加っていたとするのは、相当でない。
 万年筆自体からその所持者を特定する特徴や付着指紋等を発見することはできなかった。

三、捜査官は、同年六月二九日に至って同日及び翌三〇日の二日間にわたり、その附近を捜索し、また、近所の聞き込みを行ったが、腕時計を発見するに至らなかったところ、右捜索のあったことを知った近所に住む小川松五郎が、同年七月二日に、右三差路附近の茶株の根元にあった腕時計を発見したと警察に届出たことから、本件腕時計(同押号の六一)を領置するに至ったものである。してみると、本件腕時計の発見について右のような経緯はあるにせよ、本件腕時計は、被告人の供述に基づいて、被告人が捨てたという場所の近くから発見された関係にあるものということができる。

四、第一審証人吉沢栄は、その時刻に自動三輪車で同街道を通った事実があると述べている。所論は、右事実は被告人の自供後に判明したものではない、というが、警察官石原安儀の原審証言によると、この事実は、被告人の自供の裏付捜査として同日同時刻ころ自動三輪車を運転して鎌倉街道を通った者の有無を捜査した結果判明したというのであり、これによれば、右事実は被告人の自供によって初めて判明するに至った事実であると認められるから、被告人の供述は他の証拠によって裏付けられた十分信用に値いするものであると評価した原判決の判断は、正当である
○E
客観的証拠との符号性
一、(イ)脅迫状及び封筒とその筆跡並びに被告人の筆跡、(ロ)犯行現場附近で採取された石膏足跡(石膏成型足跡)及び被告人方から押収された地下足袋、(ハ)被害者善枝の体内に残留していた精液の血液型及び被告人の血液型、(ニ)死体とともに発見された手拭及びタオル、(ホ)死体埋没現場近くで発見されたスコップ、(ヘ)中田栄作方に脅迫状が投入された直前ころ同家の所在を尋ねた人物に関する内田宰吉証言、(ト)身の代金を受け取りに現われた犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄の各証言

二、善枝の足にも木綿細引紐が巻かれたまま死体が発見されていることから、・・・首に巻かれた右木綿紳引紐を示されて、「覚えがありません。然しその麻縄は梯子の附近から盗って来た麻縄の様です。」と述べている以上に具体的に触れていない。・・・いずれにしても、被告人が右木綿細引紐の具体的な用法について供述していないからといって、被告人の自白全体の真実性に疑問を差しはさむことは、相当ではない。

三.被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、本件兇行が行われた「四本杉」の所で思案していた間のことで・・・被告人の本件脅迫状及びその封筒の訂正に用いた筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び場所に関する自供は、客観的証拠によって認められる事実とくいちがいがあることは明らかである。しかし、このくいちがいは、被告人が犯人であることについて合理的な疑をさしはさむほどのものではない。

四、脅迫状等訂正の筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び場所について、本事件の犯行に関する物的証拠の示す事実と被告人の自白内容との間にはくいちがいがあり、また、被害者善枝の首に巻かれていた木綿細引紐の用途について被告人は供述しておらず、あるいは、右木綿紳引紐及び書抜の足首に巻かれていた木綿紳引紐の出所について明確な裏付けを欠く部分があるが、これらは、いずれも自白の真実性に合理的な疑を抱かせるほどのものではなく、また、殺害の方法及び時刻、ごうかんの態様、死体の損傷並びに死体の処置等についても、自白内容と物的証拠との間に重要な齟齬はない。
F
物的証拠の不存在
○G
被告人の言動
被告人は、捜査段階では、(イ)川越警察署分室の留置場の壁板に、「じようぶでいたら一週かに一どツせんこをあげさせてください。六・二十日石川一夫入間川」と詫び文句を爪書していること、(ロ)同留置場で紙を裂いて、「中田よしエさんゆるして下さい」と書いていること、(ハ)昭和三八年六月二七日付で善枝の父中田栄作あてに、「このかみをぜひよんでくださいませ中田江さくさん私くしわ中田よしエさんごろしの石川一夫です」との書き出しで、自己の家族をうらまないで下さいと訴えた手紙を書いていること、更に、第一審において死刑の判決を受けた後、付同三九年四月二〇日付で原審裁判長にあてた移監の上申書の書き出しに、「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し三月一一日浦和の裁判所で死刑を言い渡された石川一雄でございます。」と書いていることなど、深い反省と悔悟の情を表わしている事実がみられる。これらは、真実に裏付けられなければ表現できないものであって、被告人の自白の真実性を知る重要な手がかりとなる事実である。
H
弁解
 二、捜査官の偽計による虚偽の供述との二審弁解は、それ自体極めて不自然
 三、約束による自白との弁解は、二審で初めて述べられたもので真実性がない。
◎I 
情況証拠
一、中田栄作方の近所の内田幸吉は、脅迫状が中田家へ届けられたころ内田幸吉方を訪れて中田栄作方はどこかと尋ねた人物は被告人に相違ないと証言していること、同日三日午前零時過ぎころ佐野屋附近で犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄は、いずれも犯人の声が被告人の声とよく似ていると証言していること、以上の事実を被告人の自白を離れても認めることができるとし、これらの事実は、相互に関連しその信憑力を補強し合うことにより、脅迫状の筆跡が被告人の筆跡であることを主軸として、被告人が犯人であることを推認させるに十分であり、この推認を防げる状況は全く見いだすことができない。

二、中田栄作方に届けられた脅迫状の筆跡は、被告人のものであること、昭和三八年五目三日佐野屋附近の畑地で発見された足跡三個は、被告人方から押収された地下足袋によって印象されたものと認められること、被告人の血液型は、B型(分泌型)であって、被害者善枝の膣内に残留していた精液の血瀕型と一致すること、善技を目隠しするのに使われたタオル及び善枝の両手を後ろに縛り付けるのに使われた手拭は、被告人が入手可能の状況にあったこと、死体を埋めるために使われたスコップは、石田一義方豚舎から同月一日の夜間に盗まれたものであるが被告人がかつて同人方に雇われて働いていたことがあって、右豚舎にスコップがあることを知っており、容易にこれを盗むことができたであろうこと

(司法研修所編『自白の信用性』事例カードより)

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1963(昭和38)年6月29日


1963(昭和38)年6月29日



* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[拘留延長]]手続き(一〇日間)。
捜査本部、狭山市田中で[[腕時計]]捜査(〜三〇日)。




100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!




伊藤寛‏さんのツイートより  2013(平成25)年6月13日
代用監獄。拘留延長に裁判官もどんどん許可を出す。・・PC遠隔操作事件となんと似ていることか。→「狭山事件記者会見」IWJ6 http://ustre.am/uy8q


ブログ「素直に見る世の中」http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51713066.htmlより  2013(平成25)年02月26日
「罪を犯したことを疑う理由がある。証拠の隠滅や逃亡の恐れがあり、勾留する理由があると判断した」( ー`дー´)キリッ
拘留の理由は、私 裁判官の 岩田澄江が 拘留と決めたからだぁ!!
私が思ったからって・・・・、その最大の理由を開示しろよ。
\( ̄O ̄)/ ワケワカラン? オテアゲジャーー!!!
例えば、首輪を付けている防犯カメラ映像を私も見たい。と、検察に命令しろよ。
もう警察・検察と一体化した裁判所だね。
検察の下働きとなっているんだね。
意味ねぇー!!拘置理由開示。
ハッキリ言って、時間の無駄だね。
これじゃ どんどん拘留延長されて、冤罪を生んじゃうね。


ブログEveryone says I love you ! http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/208c43c9174875e365f0a2c33a6398cfより  2012(平成24)年10月30日

今回の事件では、検察が、否認すると身柄拘束期間が長くかかると息子さんを脅しました。そういうことが明るみに出ないように可視化に抵抗しているのが警察と検察です。





『狭山事件 石川一雄四十一年目の真実』 鎌田慧/著より、引用


 二ヵ月たって路上にあらわれた腕時計
 
 事件発生のあと、県警と狭山署は、被害者が所持していた、「女持腕時計シチズンコニー六型」(側番号C六八〇三 二〇五〇六七八)と「牛革製ダレス」を「特別重要品触」として、写真入りポスターにして、各所に張り出した。




 ところが、小川松五郎が発見した腕時計は、おなじシチズンの女性用でも、両側の耳の部分がやや大きくひろがった「シチズンペット」型で、側番号は六六〇六 一〇八五四八一、型も番号もちがう、まったくの別物だった。これは中田弁護士の自宅に配達された匿名の手紙によって知らされた事実だった。・・・たった一行の「内部告発」である。




(補足)
 ◆勾留理由開示公判 刑事訴訟法では、勾留中の容疑者本人などから請求があった場合、公開法廷で勾留理由を示すよう規定している。あらためて勾留理由を開示させることで、勾留取り消しや勾留に対する準抗告の権利を行使する準備が可能となる。さらに裁判官に対し、勾留要件の再検討をうながし、勾留延長を慎重にさせる効果もある。

 ◆PC遠隔操作事件 他人のPCに外部から操作できるウイルスを感染させ、その人に成り済ましメールで犯罪予告した事件。3府県警が4人を誤認逮捕。「真犯人」を名乗る人物が江の島の猫の首輪にデータ入り記憶媒体を取り付けた。10日に片山容疑者を逮捕。

以上 http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-8146.htmlより

 ◆横浜市のホームページに小学校襲撃予告が書き込まれた事件で誤認逮捕され、家裁が保護観察処分を取り消した男子大学生(19)の父親がコメントを発表



 ◆弁護側が進行を急ぐのは、身柄拘束期間が長引いて、片山氏の精神状態が不安定になってきているためでもある。独り言をつぶやいたり、壁や床を叩いて留置管理官に注意され、それに反発するなど、拘禁性の精神疾患にかかっているおそれがある、という。2013年4月18日 http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130418-00024461/より

higurashi at 23:13|PermalinkComments(0)

1963(昭和38)年6月27日

100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山事件を
「狭山事件再審オンライン署名」へ

  
第一次目標5万個達成を
「狭山再審リボンキャンペーン」へ



1963(昭和38)年6月27日
* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[警察友の会]](阿部真之助会長)、捜査本部に感謝状。
 証拠:星野・阿部鑑定書(スコップ附着物)



http://www.senshu-u.ac.jp/‾off1013/bunken/pdf_kiyou/33_0057-0070.pdf より
 狭山事件に見る差別的捜査

・・・記録によると、 1963年5月 6日にH養豚場でスコップが盗まれたことが判明し、 5月11日にスコップが死体発見現場から125メー トル離れた場所 (畑)から発見されたので、 容疑者をH養豚場関係者にしぼり、 捜査を集中したという。
しかし、 スコップが発見されたからといって、 それが死体を埋めるのに使われたものであることも、 H養豚場のものであることも、 それらを裏付ける証拠はまったく ない。
警察が発見されたスコップをHに確認したのは5月21日であり、 スコップ付着物の鑑定結果が半り明したのは6月26日であった。
警察が裏づけのないまま、 被差別部落に関係する H養豚場 (経営者も従業員も部落出身者) に捜査を集中したことは明らかである。
これらの予断と偏見とにもとづいた捜査に引き続き、 別件逮捕やきびしい接見制限、 過酷な自白追及がおこなわれたのであるが、 これらは察の常套手段であるので、 それらについてはここには記さない
(かといって、 それらの根底に部落差別の意識があることはあらためて言う までもない)。・・・





 六月二七日、善枝さんの腕時計は何処へ捨てたと聞くので、質屋へ入れたと言っても信用されず田中へ捨てたと話したら地図を書けと言うので書きましたら、あろうことか翌日の夕方だと思いますが知らない刑事さんが、
 「課長(長谷部)さん 時計が見つかりました」
 と持って来たので、長谷部さんから借りて腕にはめて見たら私の腕にピッタリ合ったので



 「善枝さんも案外太かったのだな」
 とこの様に言いましたら、遠藤さんが「石川君が殺したのではないのか、殺した人がそのような事を言えば、わらわれるど」
 と言ったので皆で大笑いしました。
 以上が川越での出来事でしたが、言葉づかいが多少違います。・・・

 荻原様 私に代って地裁内田武文を綿密に御調べの上裁判をして私同様死刑にして下さい。・・・



  又私は川越署で口ではあらわせられない程のひどいめにあいました。荻原様はご存知と思いますが、国民の皆様にこの文面を見せてください。そして武文を絞首台に上げて下さい。又長谷部の両人も死刑にして貰います。この二人は私が出てやりますから・・・

 勝手な事ばかりで申し訳けございません。では右の事を是非御願い致します。


石川一雄獄中日記 より

higurashi at 23:10|PermalinkComments(0)

May 07, 2019

1963(昭和38)年5月7日

1963(昭和38)年5月7日
 作為の品触れ(時計、鞄)を被害者の所持品としてポスター配布する。
玄二(B型、筆跡の近似)、疑惑は強かったが、一日と二日の夜の張込みがすりかえられたためアリバイ成立となり、白と発表。

1963.5.7亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より








『狭山事件 石川一雄四十一年目の真実』 鎌田慧/著より、引用

 二ヵ月たって路上にあらわれた腕時計
 
 事件発生のあと、県警と狭山署は、被害者が所持していた、「女持腕時計シチズンコニー六型」(側番号C六八〇三 二〇五〇六七八)と「牛革製ダレス」を「特別重要品触」として、写真入りポスターにして、各所に張り出した。
 ところが、小川松五郎が発見した腕時計は、おなじシチズンの女性用でも、両側の耳の部分がやや大きくひろがった「シチズンペット」型で、側番号は六六〇六 一〇八五四八一、型も番号もちがう、まったくの別物だった。これは中田弁護士の自宅に配達された匿名の手紙によって知らされた事実だった。・・・たった一行の「内部告発」である。






『狭山事件 無罪の新事実』亀井トム・栗崎ゆたか/共著より、引用





 連絡先・狭山署の電話番号も違うデタラメ「特別重要品触」五万枚

 時計の側番号の問題は、狭山事件を知る人びとの間では・・・石川一雄の無実を主張する、大切な根拠の一つとされてきた。それなのに、それが警察の信じられないようなミスの結果であったことが、上告趣意書が提出された後で明らかにされたのである。(昭和五一年秋、新しく開示された証拠資料から)






 このことは、上告趣意書を検討している最高裁調査官の、上告趣意書に対する心証を害する結果を招くだけではない。弁護側や、石川一雄の無実を信じて支援活動を続けている人びとにもショックを与え、さらには一般の狭山事件の見方にも大きな影響を及ぼしていくことが考えられるのである。
 逆に言えば、検察・警察にとって有利な状況をつくり出すことができるのだ。
 検察・警察に不動の自信があり、また裁判を公正に進めようとの自覚があるならば、このような悪質な手練手管は無用のはずである









higurashi at 05:07|PermalinkComments(2)

June 29, 2008

1963(昭和38)年6月29日

 [[狭山事件]]で、[[拘留]]延長手続き(一〇日間)がとられる。
 [[捜査]]本部が、狭山市田中で[[腕時計]]の捜査を開始する(〜三〇日)。






『狭山事件 石川一雄四十一年目の真実』 鎌田慧/著より、引用


 万年筆をめぐる長谷部警部との攻防

一九六五(昭和四十)年十二月十四日第十回公判・・・長谷部梅吉にたいする・・・石川一雄が尋問した。
 「時計の件であるが、石川は家にあがるとき、どっちからあがったかと言うから、風呂場の方からあがったと言ったら、風呂場の方には万年筆があったのではないか、どこに置いたのかというので、俺は知らないと言ったら、剃刀があったところかと言うから、そこに剃刀があったでしょうと言ったら、鴨居かと言われた。当時、俺は鴨居がどういうものかわからなかったので、鴨居ってどこですかと聞いたら、ここにある障子の上のところを言うんだと言って、部屋の障子の上の鴨居を指示したが、そのときのことを覚えているか」
 「鴨居の点は、石川が自供してからどういうところかということで、見取図を書かせたが、うまく書けず、障子の上の敷居だと言って部屋の鴨居を指差したので、障子の上にあるあれは敷居ではなく鴨居だと言ったことはあります」




 久永正勝裁判長が、長谷部に問いただした。
 「二三日か二四日頃の朝、ペンが鴨居の上にあったということや剃刀が同じところに置いてあるという話から、それを持ってきてもらうというような問答があったかどうか」
 「記憶ありません」
 「六月二四日付青木一夫作成の供述調書の中に、万年筆が鴨居に今でもある筈だという趣旨の記載がある。これは証人らの方からそういうことを言って、それが被告人の供述になったのかどうか」
 「私の方から万年筆が鴨居にあると言ったことはありません」



 二ヵ月たって路上にあらわれた腕時計
 
 事件発生のあと、県警と狭山署は、被害者が所持していた、「女持腕時計シチズンコニー六型」(側番号C六八〇三 二〇五〇六七八)と「牛革製ダレス」を「特別重要品触」として、写真入りポスターにして、各所に張り出した。
 ところが、小川松五郎が発見した腕時計は、おなじシチズンの女性用でも、両側の耳の部分がやや大きくひろがった「シチズンペット」型で、側番号は六六〇六 一〇八五四八一、型も番号もちがう、まったくの別物だった。これは中田弁護士の自宅に配達された匿名の手紙によって知らされた事実だった。・・・たった一行の「内部告発」である。



 発見されたにも不自然さが

 ダレスとは米国のCIA長官だったアレン・ダレスのことで、いつも彼が小脇に抱えていたことから、この名がついた。・・・被害者のダレスについて、・・・被害者の父親である中田栄作が、刑事にたいして、
 「は薄茶色の一見皮製に見えるチャック付きと申しましたが、これは学生用のものでなく、家にあった旅行鞄」と証言していることである。・・・ところが発見されたは皮製だった。








『狭山事件 無罪の新事実』亀井トム・栗崎ゆたか/共著より、引用



 善枝の万年筆の軸の色は、ピンクではなくオレンジ

 捜査にあらわれた警察官は、万年筆のある場所を知っていた。なぜ警察官が万年筆の場所を知っていたかについて、警察側は
 「石川一雄が自白した。そしてその場所の図面を書いてくれた」と言っている。しかし、一方で石川一雄は
 「自分が書いたのは万年筆のある場所ではない。長谷部警視が、ヒゲをそる時のカミソリなんかを置いておく場所を書いてみろというから書いたのだ」と反論する。いつもカミソリを置いておくことにしている場所の図面を書いたのに、それが万年筆の隠し場所の図面だということにされてしまったというのである。




 小島朝政の捜査差押調書には
 「・・・あ、あったこんな物が、と言いながらやや驚きの表情でピンク色の万年筆一本を指先で掴み出して・・・」と書かれている。しかし、私たちの知る限り・・・警察の出した品触れ、善枝の父中田栄作の五月二日の供述調書には、
 「ペンはパイロットオレンジ色のペンでよく胸や腰のポケットに差し込んで携帯していました」と延べ、五月九日付朝刊の各紙の新聞紙面を通じて行われた一般向けの品触れでは、・・・書き方に若干の差はあるが、内容は他紙も全部同じで軸はオレンジ色だとしている。



 連絡先・狭山署の電話番号も違うデタラメ「特別重要品触」五万枚

 時計の側番号の問題は、狭山事件を知る人びとの間では・・・石川一雄の無実を主張する、大切な根拠の一つとされてきた。それなのに、それが警察の信じられないようなミスの結果であったことが、上告趣意書が提出された後で明らかにされたのである。(昭和五一年秋、新しく開示された証拠資料から)






 このことは、上告趣意書を検討している最高裁調査官の、上告趣意書に対する心証を害する結果を招くだけではない。弁護側や、石川一雄の無実を信じて支援活動を続けている人びとにもショックを与え、さらには一般の狭山事件の見方にも大きな影響を及ぼしていくことが考えられるのである。
 逆に言えば、検察・警察にとって有利な状況をつくり出すことができるのだ。
 検察・警察に不動の自信があり、また裁判を公正に進めようとの自覚があるならば、このような悪質な手練手管は無用のはずである






 “役に立たない情報”を満載した「特別重要品触」が五万枚も、配付されているのである。たとえばカバン。・・・「特別重要品触」によれば、「ダレス、牛皮製、暗い黄茶色」である。父親は皮製に見えるがそうではないと言い、さらに薄い茶色と言っている。それなのに品触れにはまったく逆のことが書かれてある。・・・
 このミスは、実は仕組まれたミスであるように思えて仕方がないのである





 なぜならば、品触れのミスはこれだけにとどまらない。・・・品触れに載せられている狭山署の電話番号は二本、「狭山二〇九七」と「武蔵四〇四〇」である。しかし、狭山局の電話番号は正しくは「二〇七九」、そして武蔵局のほうは、「六-四〇四〇」が正確な表現である。・・・
 カバンにはじまって時計、電話番号、それに新聞その他で奉じられた万年筆。どれをとってもみんな間違っている。





 もし、これが正真正銘のミスで、何の作為もなかったとすれば、それだけで警察は、石川一雄が真犯人だと主張するのをやめるべきだ。こんな捜査で犯人にされてしまったのでは、たまったものではない
 だが、警察は、捜査がミスだらけであったことを認めながら、一方では石川一雄が真犯人だと主張する。だから私たちとしては、品触れについても、実は役に立たなくてもよい事情があったのではないかと考えざるをえないのである。



higurashi at 06:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 27, 1972

狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第六十四回公判/1972(昭和47)年7月27日

 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第六十四回公判/1972(昭和47)年7月27日

*「腕時計」発見の経緯に捜査機関の作為が介在したかどうかについて
<証人>小川とら(小川松五郎<時計届出人、七八歳>の兄嫁)
<弁護人尋問>





一、どの位世話をしに行ってたの。
   おじさんのうちへは時計を拾った頃には行っていないから、絶対私は知りませんけど、亡くなる前は、あの頃から一年も生きておられて、いよいよ終いには病院に入って、病院で六十日位、田中病院へ行ったり来たりして、それから帰ってきて一年寝たきりで、それから亡くなったんです。











二、時計を拾ったという日は、おばあちゃんは田中に行ってたの。
   いないです。ずっとあそこね。まだそんなに弱くはなかったですからね、絶対知らないです。
三、松五郎さんが時計を拾ったということで、警察の方からお礼をもらった。










   いや、何だか私は絶対知りませんね。
四、お礼をもらって、それが少ないものだから、何か言ってた。で、おばあちゃんが、そんなことを言うなら拾わないほうがいいのに、なんて言ったことない?











   私は何だか、時計のことについては、始終行ってないから、絶対わからないからね。それから、時計の話は、おじさん、私はちっとも聞きたかないよと二度ばかり言ったことがあります。それであの頃は、落ち着いて行っていないから、あの時計の関係の方は、絶対私はわからないです。













五、松五郎はあなたにいろいろ言ってても、あなたは時計のことはあんまり聞きたくないよと、そう言ってたということ?
   ええ、そう言ったこともあります。












六、それからね。まあ、あなたが洗濯とか何か身の回りの世話に行ってあげた時に、田中の松五郎さんのうちに、警察の人が来てて、で、あなたがお茶を入れてあげたり何かしてあげたことがありますか。
   何だか、警察の人って別に覚えてもいないから、そう落ち着いてその頃はいなかった。












七、それは、時計を拾う前ですか。
   その、お茶を入れて出したのは、時計を拾う前でしたろうか。何だか私は、関係ないからついね。
八、それじゃね、あなたがさっきのお客さんが来てて、お茶を出したという時、











まあその人たちが、北海道の出身だとかいろいろな話をしたことはありませんか。
   そうね、それは、その時におじさんと自分たちは北海道からどうとかこうとか言ってたのは聞いたかもしれないけれども、それだけね。詳しいことは絶対知らないからね。











九、長い時間はいなかったけれども、足はしょっちゅう運んで行ってあげたんですか。
   あの頃のことは、私は絶対もうわからないですよ。












十、それから、松五郎さんが拾った時計を峰の交番に届けたという話もしましたね、私どもに。
   ああ、そいつは私、おじさんに聞いたから、おれはそんな話じゃ家で待ってるから帰ると言ってね、帰ったんです。











十一、前に話を聞いた時には、まあ時々、身の回りの世話に行ってあげたけれど覚えているのは、雷がえらく鳴って土砂降りで、そういうことがあったあとで、その北海道というような人が来て、そのあとで時計を拾ったということがあって、その後はそのお客さんも何もなかった、というような説明じゃなかったでしょうか。
    うん。











十二、それでいいわけですね。
    うん。
十三、それからね、前に伺った時には、そのお客さんというのは、まあお客さんという言葉は使わなかったけれどもね、みえてた人は警察の人だという説明はなさいませんでしたか。
    それは、おじさんが、あれでも警察の人だよと言いましたから、そうかよと言ったきりでね。











 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第六十四回公判/1972(昭和47)年7月27日

*「腕時計」発見の経緯に捜査機関の作為が介在したかどうかについて
<証人>小川とら(小川松五郎---時計届出人、七八歳---の兄嫁)
<弁護人尋問>

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higurashi at 10:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)