軍事扶助法

September 06, 2012

1937(昭和12)年9月6日

1937(昭和12)年[[2月24日]]
 松本治一郎が、[[衆議院]]で、[[軍事救護法]]改正について質問する。





 「傭兵とは、生活を保障するとか、給料をやるとかいうことを条件として兵に雇われることである。犠牲的精神の発露を本として徴兵された兵士家族の生活を保障することとは根本的にちがう。傭兵は給料をもらうために兵になるのであって、徴兵による兵士家族生活保障は、義務に対する補償である」

 「軍事救護法改正委員会は、委員数十八名にして同日はわずかに五氏だけ出席。松本治一郎氏は“定数を欠くから委員長選挙は不当である”と異議を唱えたのに対し、他の委員はこれを押しきらんとしたので、ついに松本氏と出席委員(南条徳男他)の間につかみ合いがはじまり、大乱闘となり、双方血を流す大騒ぎとなった」




1937(昭和12)年[[9月6日]]
 [[松本治一郎]]が、[[第七十二臨時議会]]で、軍事労働者の待遇等につき、質問趣意書を提出する。

 
1937(昭和12)年[[9月8日]]
 松本治一郎が、衆議院建議委員会で、[[軍事扶助法]]の趣旨徹底のために改正を提案する。



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March 23, 2012

1939(昭和14)年3月23日

[[松本治一郎]]が、[[衆議院建議委員会]]に[[軍事扶助]]徹底に関する[[建議案]]を提出する。



 然るに、現行[[軍事扶助法]]は、その名称からいたしまして恩恵的であり、その手続き等からみましても、決して名誉ある[[応召出兵軍人]]の[[遺族]]に対するものとは考えられませぬ。





 むしろ、侮辱と恥しささえ感じさせられるのであります。





 而も、現行軍事扶助法は、施行依頼の実績に鑑みまして、不備と欠陥の多々あることが明らかになって居ります。





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