こんにちは

今日は台風が接近していますね

まぁひどくなる感じではないですけど
今年で33歳

小学校1年生から野球を始めているので現役生活27年になる石川です

テレビでの高校野球を見ていると、懐かしい高校球児だったころを思い出します
中学時代に大会8連覇や県で優勝したりで、高校推薦の話もかなり来て、天狗になった状態で岩国高校に入学しました

当時、岩高には2個上に林さんという投手がいたのは知ってました。エースを獲ってやると調子に乗って入部しましたが、林さんのピッチングを始めてみたとき天狗になっていた自分が恥ずかしくなりました


それからは林さんを目標にどんな練習でもとことん林さんに付いていきました

みんなが帰った後でも坂ダッシュを50本やったり、正月にいきなり岩国城まで行ったり・・などなど

。今となってはいい思い出です

そんな林さんをいつか抜いてやろうと頑張ってきましたが、慶応大⇒日本生命で全国制覇されて現役を引退されました。まぁ、あの人には一生勝てないです

投手としての恩師ですから

そんな林さん率いる3年生の代はセンバツに出ただけあって強かったです


自分は入学してすぐに運良く背番号を頂き、ずっとチームに帯同させて頂いて色々と勉強させてもらいましたし、中国大会決勝で1年生のくせにいきなり先発させて頂き、優勝することが出来たのも先輩達のおかげです

そんな1年生の夏はベスト8で宇部商に負けました

国安さん(新日鉄八幡⇒日本生命)に抑えられました

あの林さん率いる3年生が負けるって想像していなかっただけに国安さんのピッチングは度肝を抜かれました

林さんの引退した後、すぐにエース番号を頂いたのですが選抜に繋がる秋の大会では光高校に0−2で負けました

前田夏樹さんとの始めての投げ合いでした

一冬越えて春の大会では、夏樹さん率いる光高を撃破し、宇部商撃破、春はベスト4という成績で夏を迎えました

2年の夏は準決勝で光高に負けました

自分の責任でした

先輩達に申し訳ない気持ちでいっぱいでした

その年は前年に引き続き光高が甲子園出場でした

夏樹さんとは社会人になっても投げ合いましたが、結局1回しか勝てませんでした

自分達が最上級生になった時の秋は、体育の授業でぎっくり腰になってしまい、ベスト8で敗戦

春と会長旗でなんとかシードは取りましたが夏の優勝候補はダントツの南陽工でした

最後の夏の大会はその南陽工を準決勝で撃破し、決勝で下関商業に負けました

1個下の又吉という正捕手を始め平本、岡、後藤などの後輩達のおかげで決勝までいくことが出来たと思います

今でも感謝しています

そんな高校野球でしたが、やはり1番お世話になったのは河口監督始めコーチの方々スタッフですね

河口監督は最高の監督だと思います

現役時代は厳しかったですが、自分が成長できたのも監督のおかげですし、絶対に頭が上がりません

今でも正月の高校野球部の飲みなどはそんな話で盛り上がり、ホント最高です

そんな高校時代でしたが、最高の監督に出会い、林さんという最高のライバル(恩師)に出会い、最高の先輩、チームメイト、後輩に恵まれました

また、隣県に人生初の柵越え本塁打を打たれた松本優二のいう最高の好敵手・友人がいたこと

両親を甲子園には連れていけなかったことが悔い残りですが、最高の高校野球でした
長々と高校野球話でした
