ヒカル・こころのブログ『内村航平history』

日本体操界初の“プロ”へ!内村航平選手の“世界一美しい体操”を全力で応援します!!

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もう1ヶ月以上も経ってしまいましたが…

内村航平さんが
スポーツの国際・国内大会で優秀な成績を上げた個人や団体に贈られる
令和4年北九州市民スポーツ大賞を受賞

この賞の受賞者は、内村さんで20人目とのことで
今更ですが、おめでとうございます(*^^*)

北九州市民スポーツ賞 - 北九州市 (kitakyushu.lg.jp)
令和4年北九州市民スポーツ大賞の受賞者に内村航平さんが決定しました
市民スポーツ大賞:市長が特別な功績があると特に認めた者。
【個人1名】内村 航平 体操
(他、詳細はHPにて)

受賞に伴い、
北九州市民スポーツ大賞表彰式及び
受賞を記念した内村航平さんのスペシャル トーク ライブ
7月21日に開催されたということで

拾えた情報をさらっとまとめました(*^^*)
続きを読む

3

ご無沙汰しておりました!

やっと、まとまったお休みを頂きましたので
久々の更新です(*^^*)

コメントくださった方々、
お返事できておらず申し訳ありませんが
ありがたく読ませていただきました

しかしながら
体操情報はまったく追えておりません

今、できることを可能な範囲でやろうと思っています!

ということで
内村航平さんの久々のテレビ出演

7月24日放送 サンデースポーツ
TOKYO“2022”「アスリートたちの告白」
をレポしました(*^^*)

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ありがたいことに、トーク内容の文字起こし記事が出ているので
➤ 内村航平×水谷隼×須﨑優衣 東京五輪"1年後の告白” アスリートは何を感じていたのか?【前編】|NHKスポーツ
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こちらの記事をそのまま使わせていただきました(*^^*)
まずは前編です
続きを読む

2022.5.14-15 第61回NHK杯
●●557b437a6a8c7dac3503d4967a37dd4e
【大会概要】
男子は4月22日24日に開催された全日本選手権個人総合予選・決勝の合計得点上位30名、並びにその30名を除いた全日本個人予選と種目別トライアウトの中から各種目上位6名が出場する。女子は4月21日23日に開催された全日本選手権個人総合決勝の合計得点上位24名が出場する。
第61回NHK杯 | 日本体操協会 

(2022.4.29追記)
▼チケット情報
4月30日(土)10:00~ チケットぴあにて発売開始
日本体操協会オンラインチケット チケGYM (pia.jp)
2022/5/14(土)14:10 開演 ( 13:00 開場 )女子競技
2022/5/15(日)12:10 開演 ( 10:30 開場 )男子競技
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▼会場図
5月14日会場図
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5月15日会場図
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《これまでのまとめ》
大会要項
テレビ放映予定
出場者リスト
はこちらから
続きを読む

《内村航平選手記事まとめ2022①》
▼2021年まとめ記事
 
【2021内村航平選手記事①】2021年1月~3月まとめ記事
 ● ●
【2021内村航平選手記事③】2021年6月~8月まとめ記事
 ●【2021内村航平選手記事④】2021年9月~12月まとめ記事
▼2020年
まとめ記事
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 ●【2020内村航平選手記事②】2020年4月~6月まとめ記事
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 ●【2020内村航平選手記事④】2020年10月~12月まとめ記事
▼2019年まとめ記事
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 ●【2019内村航平選手記事③】2019年7月~9月まとめ記事
 ●【2019内村航平選手記事④】2019年10月~12月まとめ記事
▼2018年まとめ記事
 ●【2018内村航平選手記事①】2018年1月~3月まとめ記事
 ●【2018内村航平選手記事②】2018年4月~7月まとめ記事
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▼2017年まとめ記事
 ●
 ●【2017内村航平選手記事②】2017年4月~5月まとめ記事
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▼2016年まとめ記事
 
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▼2015年のまとめ記事はこちらから
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(2022.4.26追記)
動画付きのロングインタビュー記事です(*^^*)
▼2022.4.24【RED Chair】自分の肉体の衰えを「おもしろいと思った」――内村航平、体操キングの強靭かつ「変態的な」メンタリティー
自分の肉体の衰えを「おもしろいと思った」――内村航平、体操キングの強靭かつ「変態的な」メンタリティー(Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair)
 「もうここまでか、って思いました」――引退を決意した時の思いを聞かれ、内村航平(33)はそう答えた。2022年1月11日に現役引退を発表。同年3月12日の東京体育館での引退イベント「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」で、体操選手としての活動にピリオドを打った。国内外の大会で「史上初」「歴史的」となる数々の記録を打ち立て、いまだかつて誰も見たことのない景色を目にしてきた体操界の「キング」は、なぜ今その玉座を降りることを自ら決めたのか。(取材・文:小田部 仁/撮影:栃久保 誠/編集:伊藤 駿(ノオト)/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部、文中敬称略)
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天才なんて言葉、なければいいのにって思ったこともあります
 「(東京)オリンピックが終わって、2~3カ月後に北九州で世界選手権があったので、そこに向けて練習していたんですけど。どん底から這い上がって、また世界の舞台に立たなきゃいけないというのが……ちょっと、しんどすぎて。ここから先、この練習に耐えうる精神力はもう残されていないかも、この辺が潮時だなって、その時に思いました」
 体操界の“キング”として君臨し、数々の伝説を打ち立て、「体操とは自分自身である」とまで言い切る内村航平。引退を決断した理由を淡々と語った。
 「そもそもリオが終わってから、年齢的にも『東京オリンピックまでだな』とは思ってたんですよ。どんな時もオリンピックがあったから続けられたんですけど、今回、東京で結果が残せなかったから現役を続けるんだ……というのは、自分のモチベーションを保つ理由としては弱すぎて。次のパリは見えなかったです」
 加齢とともに自分自身の存在理由とも言える体操が、思うようにできなくなっていく――けがに悩まされた現役生活の後半戦に、何を思っていたのか。肉体の衰えを感じるのは辛くなかったか尋ねると、少し考えた後、いたずらっぽい笑みを浮かべてこう言った。
 「ちょっと変態的なんですけど、それがおもしろいと思っちゃったんですよね(笑)。今までできていたことが急にできなくなるって、意味がわからないじゃないですか。でも、じゃあどうやったら(以前のように)できるんだろうって考えるようになったんですよ。今まで何も考えずにできていたことが、考えてできるようになったら、さらにうまくなれるかもしれない。だから、逆転の発想をするしかないなって思ってました。そう考えられる人こそが、さらに上を目指せると思うんです」
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 失意や絶望に打ちひしがれるのではなく、さらなる高みを目指して。自ら「変態的」と称する、この強靭なメンタリティーがあったからこそ、前代未聞の偉業を成し遂げられたのだろう。緊張の大舞台で見せる、紫電のような鮮やかで美しく、しなやかな演技を目の前にして、人は彼を“天才”と褒めそやした。しかし、内村自身はそう呼ばれることを嫌う。
 「『天才』って言葉を辞書で調べると、才能がある人みたいな意味が出てくるんですけど……才能があっても、努力をしなければ人はそれを開花させることもできないじゃないですか。天才なんて言葉、なければいいのにって思ったこともあります。何かを残してきた人って、特別ではないんですよ。僕だって、ただ体操が大好きで、それを突き詰めすぎただけなんで。何かを突き詰めることって、その気になれば誰にでもできることだから。同じ人間で、誰でも目指せるんだと思ってもらえたほうがいい」
 あくまでも、努力の人。前代未聞の戦績の数々は、内村自身が人生をかけて挑んだ血の滲むような練習の結果だ。しかし、時に人の不断の努力は、思わぬ奇跡や偶然すら引き寄せる。内村が現役生活最後に出場した大会=2021年の世界体操選手権は、生まれ故郷の北九州市で行われた。
 「運命を感じましたね。『うまくできすぎだろ』って。東京オリンピックは無観客だったので、観客がいる中で試合ができたっていうのは幸せでしたし、歓声がすごく温かくて、ここまで続けてきてよかったなと思いました。引退発表後に、『残念です』と言ってくださるファンの方もいたのですが、『さすがにもう無理です……』と(笑)。これからはやっぱり違う形で、皆さんに喜んでいただかなきゃいけないのかなというのは思いました」
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他の人には見えない「景色」が見えた
 1989年1月3日、福岡県北九州市に生まれた内村は、3歳の頃に母・周子の実家がある長崎県諫早市に移り住む。体操選手だった両親は「スポーツクラブ内村」を運営。内村自身が体操を始めたのも、ごくごく自然なことだった。
 「(体操は)遊んでいる中で勝手に始めていったという感じです。両親は一切強要はしなかったですね。うまくなってほしいとか、やりなさいとか言われたこともなくて。本当に自分の好きなようにやらせてくれる両親でした」
 人見知りでシャイだった幼少期の内村は、お世辞にも人気者というタイプではなかった。「友達から『バク転して』って言われて、くるっと回ってみせるみたいなことはありましたけど。小学生の頃は全くモテなかったですよ」と、笑う。子どもの頃の記憶として覚えているのは「(体操で)回っていることだけ」。体操選手以外の夢も特になかった。唯一淡い思い出としてあるのは――。
 「警察官、白バイ隊員になりたいとは思っていた気がします。バイクが好きだったのと、妙に正義感のあるタイプだったので。でも、体操だけ楽しくやっていければいいや、としか考えてなかったと思います。体操に体力を使いたいので、他のスポーツにも一切興味が湧かなかったですね。勉強は苦手だったし、嫌いでした(笑)」
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 しかし「体操は好きだったが、決して最初から得意だったわけではない」と、内村は言う。体操の基本的な動きである「蹴上がり」を習得するのが、クラブの誰よりも遅かったという記憶は、内村の中に強く残っている。徐々に着実に練習を重ねる中でその才能を開花させていった彼が、自分には『特別なもの』があるかもしれない」と自覚し始めたのは中学生の頃だったそうだ。
 「他の選手と、『技やってると、こういう景色が見えるよね』という話をしてたら『何それ、そんなの見たことないよ』って言われて。『あれ、もしかして自分だけなのかな?』って思ったんです。それを親にも話してみたら『多分、空中感覚がいいからそういう景色が見えるんじゃない?』って言われて。その時から、もしかしたら、自分には他の人にはない何かがあるのかもって思うようになりました」
 中学卒業後、「体操を本気でやりたい」という思いから親の反対を押し切り、単身上京して東洋高校に入学。かねて尊敬していた日本体操界のエース・塚原直也が所属する朝日生命体操クラブに入門した。しかし、実際の練習は思い描いていたものとは全く違っていた。
 「難しい技とか自分のやりたい技をひたすら練習しているイメージだったんですけど、入ってから1年半ぐらいはずっと基礎的な練習と筋力トレーニングばっかり。全然面白くなかったですね(笑)。でも2~3年生になって技を練習し始めたら、その基礎トレーニングをやっていたおかげでビックリするぐらいすぐに習得できたんですよ。難しい技でも1週間ぐらいで覚えられて。そのおかげで結果を残せたし、無駄じゃなかったんだなっていうのを知りましたね」
 電車の路線が複雑すぎる、方言が通じない、でも、女の子はめちゃくちゃ可愛い――長崎から東京に移り住み、体操漬けの生活に365日明け暮れる中でも、普通の青春を過ごす時間もあったようだ。
 「あくまでも体操をするために上京したので、練習はちゃんとやってたんですけど――電車で1時間半ぐらいのところに住んでいる女の子と付き合っていたこともありました。ただ話をするためだけに、電車でわざわざ時間をかけて行って……しかも30分ぐらい遅刻されて。東京の女の子ってこんな感じなんだあって思ったのを覚えてます。あれは純愛ってやつだったんでしょうね(笑)」
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結果は当然、さらに「美しさ」を求めた現役生活
 世界を意識し始めたのは、高校3年生の時。国内外の大会でめきめきと頭角を現し始めていた内村は、日本のトップ12人に該当するナショナル強化指定選手に選ばれた。高校卒業後は日本体育大学に進学し、同大学の体操競技部に所属。そして2008年、北京大会でオリンピックに初出場する。
 「当時は全然注目されてなかったので、プレッシャーも全くなかったんですよ。(前大会の)アテネで金を取ってるので先輩方は大変だったと思うんですけど、1人だけノープレッシャー。先輩からは“こいつなんなんだよ”って思われていたんじゃないですかね(笑)。もう本当に、楽しくやらせていただきました」
 “小学生が遠足に行くような感じのワクワク”感で臨んだオリンピックで、個人総合・団体の銀メダルを獲得。個人総合における日本人選手のメダル獲得は、ロサンゼルス・オリンピックで具志堅幸司が金メダルを獲得して以来24年ぶりという快挙だった。しかも10代の選手として個人総合では日本初のメダル獲得だったということもあり、内村航平の名前は日本だけにとどまらず世界中に一気に知れ渡ることとなる。
 「当時、インタビューで『日本に帰ったら一日中寝たい』って答えたんですけど、実際のところは、帰った次の日には練習を始めてました。というのも、北京で金メダルがちょっと見えたんですよね。初めてのオリンピックを経験して、自分がやってきたことが間違ってなかったんだなってことも確認できたし、もっと練習すれば必ず世界一になれるんだという自信も生まれたので、何かに導かれるように練習をしていた覚えがあります」
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 伝説はさらにここから加速していく。世界体操選手権では、翌2009年のロンドン大会を皮切りに、2015年まで個人総合で金メダルを獲得し6連覇を達成。2012年、2016年のオリンピックでの戦績も含めると、国際大会で8連覇。国内外の大会で、2008年から2017年まで個人総合40連勝を成し遂げている。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは、競技中にぎっくり腰を発症したものの、悲願の団体での金メダルも獲得した。内村はリオ大会を思い返して「幸せな五輪だった」と語る。
 「リオ・オリンピックの個人総合の鉄棒の前に見た景色はよく覚えています。スポーツ選手って『ゾーンに入る』っていうじゃないですか。そのゾーンを超えて、さらに上の段階に入ったんですよ。入り込みすぎると、普通になるんだなってところまでいっちゃって。あれは初めての感覚でしたね」
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 だが、挑めば結果がついてくるがゆえに、結果ばかりを取りざたされる状況に「美しい体操」を追い求める内村としては忸怩たる思いもあったのではないか。
 「連覇をしていくと、どうしても結果しか注目されないっていうのはわかるんです。人間はそういう生き物だから。でも、僕がやっぱり体操で何を表現したいのかっていうと、それは競技を超えて、美術館に行って絵画や彫刻を見ているかのような……あの感じを演技で出したいんですよね。その上で勝つことが本物の体操だと思っていました。結果は当たり前で、結果プラスアルファの『美しさ』を追い求めてやっていました」
 リオ・オリンピック後は、怪我に悩まされることが増えた。2017年、モントリオールで行われた世界体操選手権で跳馬に出場した際に負傷、途中棄権。2019年には全日本体操個人総合選手権で予選落ち。2020年には総合ではなく鉄棒に種目を絞り、オリンピックを目指すことを決めた。同年12月の全日本体操種目別選手権では、予選で金メダル級のスコアを叩き出し、鉄棒で優勝。しかし、2021年の東京オリンピックでは演技中に落下。予選落ちに終わった。
 「東京オリンピックは……『無』ですね。何もなかった。あれだけ人生を懸けて挑んだのに、予選落ちというなんとも言えない結果で終わってしまって。代表に入るまではドラマチックな展開だったんですけど、いざ本番が始まるとすごく呆気なくて。自分はなんのためにやってきたんだろうって思いました。よかったことよりも、悪かったことのほうが覚えてますね。東京の落下のシーンはずっと思い出します」
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跳べなくなった自分は、自分じゃない
 現役生活の中で、輝かしい栄光だけでなく、地の底に落ちるような挫折を経験できたことは自身にとって非常に大きな経験だったと内村は言う。
 「弱さを知りましたね、人間の。ずっと結果を残してきたこともあって、自分の圧倒的に強い部分やいい部分しか見えてなかった。でも人間の弱さを知ることによって、『できない』ことのつらさも知れた。やっぱり、自分がその立場にならないとわからないんですよ。これからいろいろな人に体操の楽しさとかおもしろさを教えていくうえでも、それってすごく大事な経験だったなと思っています。やっと経験できてよかったな、って思いますね」
 「やっぱり、1ミリを積み上げていくことが大事なんですよ。本来は1ミリしか積めないのに、1センチを積み上げても、むしろ反動でマイナスまで後退しちゃうことだってある。でも、1ミリずつなら絶対に積み上げられるはず。1ミリをがんばって積み上げていくことで大きな目標を達成できるということは、現役生活の中で学んだことですね」
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 3月に行われた引退イベントでは、将来への展望として「しゃべる体操辞書になりたい」とも語っていた。体操には一生涯を通して関わっていくつもりだ。
 「これからは、体操を見る人・やる人に親近感をもってもらえるような、説得材料を自分で身につけたいと思ってます。そのためには、体操に関しての研究をもっとしなくちゃならない。より広い視野で、体操を客観的に見るということ。この間の引退イベントが終わってから、アイデアがあふれ出てきて止まらないんですよ。選手として競技はもうやらないですけど、自分の体操は死ぬ時まで終わらないと思うので……その時まではずっと体操のことを考え続けたいですね」
 椅子に揮毫した言葉は「Enjoy!」。「今後も、何事も楽しむという気持ちを忘れないように」(内村)
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 もっとも、“老化を進化”に変え、なんとかして活路を見いだそうとした現役時代の「変態的な」スピリットは、いまだ内村の中で脈打っている。
 「『飛べない豚はただの豚』じゃないですけど、跳べなくなった、回れなくなった自分はもう自分じゃないと思ってます。少なくとも、倒立はできなくなったら終わりですね。二日酔いでもできるようにしておかないと(笑)。引退してやってみたいことはいくつかあるんですが……正直、やれなくてもいいやって諦められる。でも、体操はそうじゃない。やれなくてもいいやとは思わないし、思えないんです」
【RED Chair】
ひとりの人生を紐解く『RED Chair』。先駆者、挑戦者、変革者など、新しい価値を創造してきた人たちの生き方に迫ります。(撮影協力:桐朋学園宗次ホール)
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▼2022.4.14 白井健三さんInstagram「#超贅沢時間#航平さん」
現役引退の内村航平さん&白井健三さん、爽やか私服のオフショットに反響「#超贅沢時間」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース4/14(木)
 体操男子で昨年引退した白井健三さんが14日までに自身のインスタグラムを更新。個人総合で五輪連覇、世界選手権6連覇した「キング」こと内村航平(ジョイカル)との2ショットなどを公開した。
 白井さんは、内村や学生らと焼き肉を楽しむ姿を掲載。「先月になりますが、大先輩が母校の後輩にご馳走してくれました 学生たちにとって計り知れないほど贅沢な時間だったと思います その存在だけでも偉大な方から色々なお話を聞かせてもらってお腹も頭もいっぱいな状態で帰宅しました ありがとうございました 僕自身も学生と一緒に楽しむことができました」とし、「#超贅沢時間#航平さん」などのハッシュタグを付けた。
 この投稿に「最高の時間ですね」「羨ましい限りです」「内村選手と御一緒だったんですか?!写真見て飛び跳ねちゃいました!!」「内村さんが引退されると聞いたときは大泣きしましたが 今後のご活躍を楽しみにするばかりです」「レジェンドもスターも、学生さんの中にしれっと馴染んでるように見えます」などの声が寄せられている。


《これまでのまとめ》
2022.1.28 「内村航平の言葉 体操を信じ続けてきて」NHKニュース
2022.1.30 内村航平の「ゾーン」覚醒。その要因と素直に受け入れられた限界(Forbes JAPAN)
2022.1.15 NHK単独インタビュー:内村航平選手「結果が出ない経験が人として大きく成長」
2022.1.17 世界が“史上最高の選手”と認めた内村航平。偉大な王者が体操界に残した「美しい体操」と「チャンピオンとしてのあり方」(THE DIGEST)
2022.1.17 《引退》“史上最高の体操選手”内村航平が追い求めたモノとは「みんなに知らせたくて体育館中を騒ぎ回った」「映像を100万回は見ました」(Number Web)
2022.1.17 沖口誠さんが語る王者・内村航平選手の強さと知られざるエピソード
2022.1.19 「僕が示してきたものを受け継いで欲しい」栄光と苦難の16年間でキング内村航平が示したものとは。(VICTORY)
2022.1.19 #村田諒太 #内村航平 #野村忠宏 #リスペクト #アスリート
●2022.2.24 内村航平選手、ナショナル合宿参加メンバー入り 引退試合へ向け調整
●2022.3.26 内村航平の「美しい体操」 引退後に明かされた審判員の苦悩「我々が採点を試されていた」(東スポWeb)
2022.3.12 ウチムラの演技が海外カメラマンも驚かせた理由…Number Web
2022.3.20 「注射打ってまでやっているのは、なんなんだろうって」キング内村航平の“超ハイレベルな引退試合”に隠された後輩へのリスペクトとは(Number Web)
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▼「第76回全日本体操個人総合選手権」大会情報まとめ


男子橋本大輝選手連覇
女子笠原有彩選手初優勝

そして、寺本明日香選手畠田瞳選手が21日の予選で
現役最後の演技を披露されました

選手の皆さん、関係者の方々 お疲れさまでした

WEB記事・フォトをサラッとまとめました(*^^*)

▼2.24 全日本選手権男子 橋本大輝が連覇 

体操 東京五輪金の橋本大輝が連覇 全日本選手権男子 | NHK | 体操
 個人総合で争われる体操の全日本選手権は、東京オリンピックで2つの金メダルを獲得した橋本大輝選手が連覇を果たしました。
 個人総合で争われる体操の全日本選手権は東京 渋谷区の東京体育館で、ことしの世界選手権などの代表選考会を兼ねて開かれ、大会最終日の24日は男子の決勝が行われました。
 東京オリンピックで2つの金メダルを獲得し、22日の予選で全体のトップだった橋本選手は、最初の種目のゆかで難度の高い技を次々と決め14.366を出し、続く課題のあん馬でもミスなく演技し勢いに乗りました。
 4種目めの得意の跳馬では大技の「ロペス」を出して、14.966の高得点をマークしました。
 最後の鉄棒では予選よりも難度を上げた構成で臨み、新たに組み込んだF難度の大技「リューキン」などの難しい技を高い完成度でこなし、着地も完璧に決めて、15.433の高得点が出ました。
 橋本選手は予選と決勝の合計で174.161として、2位と2.898の差をつけ連覇を果たしました。
 2位は2019年の世界選手権代表、神本雄也選手で171.263、3位は土井陵輔選手で170.197でした。
橋本「内村さんを頭に思い描いて…」
 大会連覇を達成した橋本選手は「予選ではミスが出たが、それでもトップに立てていたので、精神的に楽に決勝に臨むことができた。右の太ももに痛みがあり、試合をとおしきることを優先して、ゆかではG難度のリ・ジョンソンをやめる決断をした。前半は少し焦った部分もあったが、後半は落ち着いてできたと思う」と振り返りました。
 最後の種目の鉄棒で着地をほぼ完璧に決めるなど試合を通して着地の減点が少なかったことについて「オフの間に課題の着地を絶対に止めるために徹底的に練習してきた。着地は技ではないが、1つの技だと思ってどんなに簡単な技の着地も完璧に決められるように意識してきた。最後の鉄棒では内村航平さんを頭に思い描いて絶対に止めてやるという気持ちで止めました」と時折、笑顔を見せながら話していました。
 来月のNHK杯に向けては「この決勝ではできなかった技があるので、NHK杯ではより難度の高い演技構成で臨みたい。予選でミスをしてしまったし、まだまだ伸びしろはある。NHK杯やその先の大会に向けてより頑張っていきたい」と意気込みを話していました。
2位の神本「若い選手にはまだ負けない」
 2位に入った神本雄也選手は「予選と決勝の2日間で大きなミスがなかった。納得のいく演技ができてとても満足している。今大会は会場に入る前から自分の状態がかなり仕上がっていたので、たとえミスが出たとしてもそれに左右されないくらいの自信があった」と手応えを口にしました。
 そして、若い世代の選手が台頭してきたことについては「橋本大輝選手のような若い選手が出てきたと思ったらより若い世代がどんどん出てきて、押し出されるようにベテランの年齢になってしまった。ただ、若い選手にはまだ負けない。技の難しさでは勝てないが、技の質や出来栄え、着地などにこだわって、突き詰めてやっていきたい」と話していました。
3位の土井「内村さんの指導がとても大きかった」
 3位に入った土井陵輔選手は「予選でミスをして得点が低かったので不安だったが、3位に入ることができて素直にうれしい。平行棒で、難しい技を抜いて確実に出来栄え点を取りにいくなど、予選から修正した種目がうまくいったのがよかったと思う」と笑顔で話しました。
 飛躍の要因については先月、現役を引退した内村航平さんから指導を受けたことをあげ「内村さんの指導がとても大きかった。一つ一つの技の質を丁寧にあげていくことや、より自分に合ったトレーニングを教えていただいた。まだまだ出来栄え点が足りないので、NHK杯までの間で教えてもらう機会があれば、いろいろと聞きたい」と話していました。
 そして、「同世代の橋本大輝選手や北園丈琉選手が東京オリンピックで活躍して悔しい思いをしていた。少しずつだが、追いついていけるとうれしい」と話していました。
5位の萱「しっかり上を見て調整をしていきたい」
 5位に終わった東京オリンピック代表の萱和磨選手は「予選からミスが続き、自分らしくない試合をしてしまった。きょうも最初の種目の得意のあん馬で落下し、“何をやってるんだ”と思った。ただ、そこからは自分を奮い立たせて種目に臨みいい演技ができたと思う」と淡々と話しました。
 来月のNHK杯に向けては「苦しい点差だが、まだまだわからない。東京オリンピックで経験は積んだが、まだまだチャレンジャー。点数は気にしすぎず、しっかり上を見て調整をしていきたい」と話していました。
10位の北園「自分が情けない」
 10位に終わった東京オリンピック代表の北園丈琉選手は予選と決勝を通してミスが目立ったことを踏まえ「失敗を続けてしまって自分が情けない。ただ、これで終わりではなくまだNHK杯や種目別の大会が続くので、切り替えてやるしかない。この1か月で強くなれると思うので、期待していてほしい」と力強く話しました。
 自身と同じ世代やより若い選手たちが台頭したことについては「小さい頃から一緒に戦ってきた選手たちとこういう舞台で競り合えて、まるでいつもの練習みたいだった。これからはこの世代を引っ張っていく存在になるので、自覚を持ってやっていきたい。まずは来月のNHK杯で6種目で安定した演技を見せる」と決意を話していました。
水鳥男子強化本部長「橋本 エースとして成長し続けている」
 日本体操協会の水鳥寿思男子強化本部長は「選手がいろいろな構成に挑戦していたのでミスが出るか心配だった。将来を託したいと思っていた若手選手が力をつけてきている。それぞれ違う持ち味はあるが正確性や美しさがあり、日本の武器になる選手で今後もかなり期待できる」と大会を振り返りました。
 また東京オリンピックの代表選手にミスが多く出たことについて「パリ大会での金メダルを目指している選手たちは、総合的な向上へ苦手な部分を改善しようと取り組む中、道半ばでのチャレンジだと思っているが、きょうやりきれなかったのは残念だ」と話しました。
 そのうえで橋本大輝選手については「いろいろ苦しんでいたところもあったが、鉄棒でも世界トップレベルの演技を見せてくれた。エースとして成長し続けている」とたたえていました。
 大会、日本のエース、橋本選手は個人総合の金メダリストとして「世界一の自分を超える演技」を目指して臨み、そのことばどおりに精神面と技術面の両方で成長した姿を見せました。
 今大会、日本のエース、橋本選手は個人総合の金メダリストとして「世界一の自分を超える演技」を目指して臨み、そのことばどおりに精神面と技術面の両方で成長した姿を見せました。
 22日の予選で橋本選手は「集中できなかった」と2種目めの平行棒で落下し、続く、得意の鉄棒で組み込む予定だったF難度の大技「リューキン」を入れることができませんでした。さらに着地も乱れるなど、前半の3種目を終えて8位と大きく出遅れました。
 「心のひっかかりを何とかしなければいけない」
と危機感を抱き後半の4種目めに入る前にこれまでしたことがなかった1分間のめい想をしました。
 橋本選手は「その1分間でこれからの3種目をどう戦うか考え、さらに自分が何をやっているのかを考えることができた時間だった。体操の技術より、自分の体操を見つめ直す1分間になった」と振り返りました。
 精神面の成長が冷静な対応を可能にし、気持ちを切り替えるすべを試合中に見つけました。
 その結果が後半の追い上げにつながり、心の余裕を持って決勝に臨むことができたのです。さらに「世界一の自分を超える」という目標の中で、今大会では、課題としていた“着地”で自分を超えることができました。
 去年の世界選手権、最後の種目となった得意の鉄棒でG難度の「カッシーナ」など手放し技を次々と決めたものの、着地がやや乱れ、わずか0.017届かず銀メダルとなった橋本選手。そこで感じた悔しさから、着地を11個目の技だと捉えて意識改革に励んできました。
 これまで弱かったという体幹のトレーニングを練習前に必ず20分間行ったり、難度の低い技で着地を止める練習をひたすら繰り返すことで、着地での体重の乗り方が徐々にわかるようになってきたといいます。
 その成果が発揮されたのが今大会の決勝でした。
 最後の種目、鉄棒で着地をほぼ完ぺきに決めるなど大会を通して着地の減点が少なかった橋本選手。着地で世界一の自分を超えられたことが一番の収穫でした。
 日本体操協会の水鳥男子強化本部長は「演技構成が難しい中で、着地までの意識はすごく難しかったと思うが、鉄棒でしっかり決めてくれた。着地の意識がさらに高まっただけでなく、全体的にレベルが上がってきている」と評価しました。
 来月のNHK杯に向けて橋本選手は「NHK杯でも世界一をとった自分、去年の自分を超える演技をして連覇をしたい」とさらなる高みを目指しています。
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女子決勝のWEB記事、フォトまとめはこちらから
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