2016年01月

『嵐電蚕ノ社駅より徒歩3分🌟銭湯・社湯《やしろゆ》』


冬の贅沢といえば温泉ですよね。

凍えそうな寒い日に

全身で温まれる温泉はまさにパラダイス

京都の銭湯は減ったとは言われていますが

観光地には地元と密着しながら生き残っている所が沢山あります

ここ、日本映画の殿堂“太秦”の銭湯、『社湯』
わたしの家から自転車で五分ぐらいの近場にあります。

駅でいうと嵐電太秦駅

ひとつ手前の蚕ノ社(かいこのやしろ)駅でおりて徒歩三分

かいこのやしろ近くだから、“やしろ湯”なのかもしれません。


京都は、 大阪についで
2番目に銭湯の数が多いといわれています。

その数は、平成27年時点で130件です。

料金430円。

家賃18500円に住む私にとってこの価格は、かなり高いです。
普通の家庭で家族で入ると千円こすのではないでしょうか。

一昔前は3百円台でしたから、こういう必要なものこそ国の助成金で戻して頂きたい願いがあります。

実際私が行くことが出来るのは月に2回か、3回。
普段は100円のコインシャワー。だからこそ、大きなお風呂は本当にありがたいと思います。

やしろ湯の成分は軟水で、炭酸温泉。
体を洗うと肌がつるつるします。

この、炭酸効果で、暖まる速度と保温力が高いので、お風呂から上がっても体はずっとぽかぽかしています。

浅い風呂

熱~い風呂

サウナ

小プール、

ジェットバス、

個室になっている薬草風呂(外の外気がはいります)

昔の銭湯というより、スパみたいですが
ホームページには《バスハウス》と書いてありました。

営業は
おやつの時間、3時から始まります!
そして夜遅くまで働いているひとのために朗報ですが、夜中の1時まで営業しています。

祝日は朝の6時から夜中の1時まで営業しています。

これ、休日の朝は楽しみなのですよね。

郊外型の銭湯なので車が十台以上とめられ

休日は朝の五時半ぐらいから開店まちの車がいます。


さて
平日の夕方のお客様はお年寄りが多く、

和やかな雰囲気がゆっくりした時間のなかで展開されます。

おばあちゃんどうしの会話を聞いていると、面白くて飽きませんね。

話役
聞き役

銭湯に響き渡る内容。

これが不思議とうるさく感じない。

まさにBGMとして銭湯にはなくてはならない存在。

体が衰えないように
毎日の様に来る人も少なくないようです。

銭湯に来られるということが健康のバロメーターにもなっているんですね。
毎年、減っていく傾向にある銭湯ですが、
この日本の伝統的な暮らしはけっして無くなる事は無いと思います。


このやしろ湯は珍しく

入り口は階段で上った二階にあり、当然、番台も二階にあります。

右に男湯、左に女湯と別れ、扉をガラガラと開け部屋にはいると、ジュースの自動販売機、アンマ器、TV、ソファとあり

そのすこし奥にロッカーがならんでいます。

ここで着替えて螺旋の階段をトコトコ下りて

広いお風呂場へと繋がります

匂いがすごくよくて
階段をおりると幸せな気分になります。

サウナ、小プールにはいり横になれるプールサイド風ベンチに横になると
ぐっすり寝てしまうことも(笑)

とにかく広くてゆったりできるのは

このやしろ湯が
わたしは一番だと思っています


京都には建築物として
価値が高い銭湯や

落語や剣劇などを定期的に公演する銭湯もあり

値段の高さを
工夫して乗り越えていこうとする姿はすばらしいと思います。

何より大事なのは、銭湯が人間同志のコミュニケーションの場であるということを重視して経営されていること。

地元の客、観光客、外国からのお客様

まさに
京都の観光の目玉になりつつある文化が京都の銭湯だと感じます。

銭湯の脱衣場で
落語会や音楽会を企画されているのは

京の台所、錦市場にある
“錦湯”

ここはいかねば損です。この値段が安く感じます。
個人的な見解ですが

脱衣籠が、まさしく籠!
昔の手作りな、しっかり編みこまれた代物で

年代別に色々な色や形がバラバラにあり
わたしは非常に価値を感じます。


銭湯は地元に密着し

独り暮らしのお年寄りや働いている人
また若い学生が集まる裸どうしのパラダイス!
普通はないですよね

考えてみたら物凄く貴重ですよね~。


また
日本の観光文化として

銭湯が新しく活用されている京都は

お湯よりもかなり
熱~い!かもしれません!

『やってきました閏年』



もうすぐ2月ですね。

今年は4年に一度の閏年です。

なので“29日”まで日付がありま~す。


閏年とは、何故に4年に1度なのか

それはカレンダーの作り方に秘密が隠されています。


1年365日で

地球が太陽の回りを一周するという
“太陽暦”

しかし、実は厳密にいうと
一年は365日ではなく、

「プラス、6時間かかって地球を一周している」』
ということなのであります。

そこで、
6時間×4=24時間=1日分

つまり閏年とは、このずれを、一日で調整しましょうね!ということなのですね~。


夏のオリンピック

アメリカでは大統領選が行われるのも
“閏年”

わざわざ閏年になるのです

関西に来て、

舞台やお祭りの製作に関わらせて頂き

その日、その日を必死になって生きてきました。
仕事は、重なる時は重なり
暇な時は、いたって暇。
それがまあ私の過去の経験です

じっくり1年を通して
やることを計画たてて推進していくと
不思議なことに
仕事や、やりたい事が
満遍なく、スケジュール上に乗っかりだす。

そして仕事がむこうからやってくる




計画というものは

一年おきにやる仕事と

四年おきにやる仕事だってあることを学びました。


わたしの師匠は三年おきに映画を製作されています

一年目は企画、脚本製作期間

二年目はお金、スポンサー集めとキャスティング期間

三年目が、
撮影、編集、放映(または上映)を畳み掛ける時です。

このように
『時』は
京都にきてからというもの、

わたしの中で、考え方が180度変わりました。



しっかり計画を練ると
やりたいことは

しっかり我々に乗っかってついてくる!

十年先を見据えて仕事をしていく事も実は可能!

時間感覚は
時に

夢実現のためには

早くにも遅くにもなる


時をうまく使い
夢を実現させていきたい。


『堀川七条🌟西本願寺は親しみあるお寺でした』


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広い土地に建てられた立派なお寺は、いつもオープンで

誰でも本堂の中に入ることができます。

西本願寺は東本願寺と並ぶ戦国依頼の全国に末寺をもつ巨大なお寺。

わたしは和歌山の鷺ノ森別院で
「孫市まつり」という戦国鉄砲まつりに野外劇スタッフとして参加させていただいていますので

このお寺が

実は戦国時代、庶民の側にたち
数々の戦国武将たちと
いくさで渡り合ってきた戦いの歴史を学習させて頂いてきました。

いまの大阪城の場所に
豊臣秀吉が城を建てる前は、この浄土真宗をまとめておられた
顕如という方が城を作られていたのですよね

そこに三千丁の鉄砲をもった雑賀孫市ら雑賀鉄砲衆が入り

織田信長の猛攻を十年たえつづけた。

破れたのち
顕如は雑賀衆とともに和歌山の鷺ノ森別院にのがれた。

そのご秀吉に許され
和歌山の父は西本願寺

最後まで城に残った息子は東本願寺に

と、わかれ本日まで続いている



さて
浄土真宗のお坊さんの中には、普及活動の一貫として、全国のお寺を説法しながら回っている方がいらっしゃいます。

今日は、たまたまいらっしゃったそのお坊さん(というのかな)の説法を聞くことができました。

流暢なしゃべり方に引き込まれ、普段は聞けないお寺の雑学を聞くことが出来ました。

「この西本願寺は、豊臣秀吉の名でこの地に移ってきたのです。時代は変わり、徳川の時代、大きな勢力をもつ本願寺の力を二分しようと、家康が作らせたのが東本願寺なんですよ、、。」


わたしの知っている知識とは違いました。

しかし
現時点での情報なので
正直に書き記しておきます。

情報というのは
絶対がない。

西本願寺のお坊さんがいうのだから間違いないはず

これでまたわたしは歴史を調べ取材するチャンスに恵まれたことになります。

さて
お坊さんのお話ですが

先ずは、敷地にある待ち合い室内で戦国の世から始まるお寺の歴史を、関西弁で楽しげに話してくださいました。

「でわ、寒いですが外に出てみましょう。」

11.12人が移動して

敷地にある大きな銀杏の木の横に、集まりました。
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「この銀杏の木は、ご覧の通り枝が根をはるように横にのびていて、"逆さ銀杏"と呼ばれています。戦火の中、この木の枝じゅうから水を放出し、お寺を守ったという逸話があるんです、、ほんまかいなとおもいますよねぇ、でも銀杏はそれだけ水分が多いと言うことなんですよ」

一同が笑う。

そのあと、雨水をためる石の器を持つ
四人のあまのじゃくの話を聞きました。

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それがまた、切実な話でした。

あまのじゃくとは
へそ曲がりのことではなく
仏教では、仏の道に背を向ける者のことを言うのだそうです。

欲に心を奪われる人間がまさにそうだと

「そんなダメな人間も
阿弥陀さんはもれなく救ってくれるんですよ。」
と、お坊さんはおっしゃいました。

一同うなずく。

それから、お寺の廊下に出て
ひょうたん型や富士山の形をしたモチーフがある理由を聞きました。 
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(穴が開いてしまった廊下を修復するために大工さんが接ぎ木をしたあとでした。モチーフは遊び心。)

約45分ぐらいありがたいお話を聞くことができました。

耳が痛くなるほどの寒さの中でしたが
聞きおわった後
皆さんの顔はにこやかでした。

これが“お話”というものなんですねー。

どんな人でも、いれてくださり
無料で接待してくださるお寺

そこにある柱、床、畳、庭の木も、もちろん接待にかかせない環境

訪れた人にほっとする時間をくれました。

ほっとしたから笑顔に皆がなれました。

魔法みたい。

本来人間どうし
こういうふうにせっしあえたら
どんなに幸せだろうか。
欲もなく
静かに
いきることも

人間はできるのではないか
と思いました。

『凛として生きる女性は美しい🌟』

わたしの京都の住みか(太秦での活動拠点の基地)には、まだテレビがありません。

ですからニュースは、新聞やインターネットから情報をもらいます。

つい最近、パソコンでラジオが聞けることが解り、喜んでいました。

俗にまみれたテレビなどみるより

取材や脚本つくり、読書にあけくれたい!

と願っていた私なのですが、


やはり、


テレビはみたいです。
映像がみた~い。


俗から離れたわたしがいうのもなんですが

テレビがないとやはり寂しいし

世の中の流行りが解らなくなる。
話題のテレビドラマが見られないのはくやしい。

仲間との共通の話題として
これはかなりまずい。

それというのも
わたしの仲間は作品をつくり、産みの苦しみのなかで生きている。

アーティストゆえ、

他の作品はバッサリいく

いいか悪いか

おもしろいか

余韻があるか

社会性があるか

そこにオリジナリティや血があるか

また仲間は歯に衣をきせぬから

他の作品を評論し、同時に仲間と激論し納得いくまで闘う。

おれはこうかきたい

おれはこう演出したい!

はい
これにまったく入れないのが辛いのですね


先日、実家に行ったおり、
気になっていた連続番組をみようとしたら

「姉貴、その番組は去年終わってる」
といわれ、「うっそう~、、!」と、かなりショックでした。


このままじゃいけないと番組チェックをするようになったのですが、観ていると感動するものが多々ありました。

中でも、最近よかったのは、

世界の秘境に嫁いだ日本女性を紹介する番組でした。

日本人がいない全くの
異国に住み、子育てをしながら暮らすたくまいし女性達の、いわばドキュメンタリーです。

番組内で取り上げられていた数人の女性の中で印象的だったのは、日本でニュージーランド人と結婚し、現地で自給自足の宿を営む女性のお話しでした。


「わたしは、ここに来て3年間、毎日泣いていました。嘘じゃなくて本当にそうだっの。日本では、ショッピングが大好きで、自然には興味がなかったのよ。だから、何度も日本に帰ろうと思ったわ」

正直な言い回しに共感し彼女の心に引き込まれていくと

そんな彼女を、別人に変えたのは


世界じゅうから宿を訪ねてくる
お客様の言葉でした。


「ここに来られてよかった」
「自分を取り戻せた」

「大自然の中で我々を迎えてくれて
ありがとう」


という感謝の言葉に、
彼女の心は自分から他人の為にと、
シフトしていくのでした。

朝、四時に起きてパンを焼きます。
畑から、その日に使う野菜を収穫し、
牛乳は近くの牧場にもらいに行きます。

それは物々交換
→ジャガイモと交換です。

必要ならば、
山々を歩きながらガイドもします。

宿は、世界の旅人から必要とされる場所になり、彼女の苦労は実を結びます。


彼女は他人につくすなかで

じつは他人の目を通して
ここの自然のよさを教えてもらえた。

興味ないものであったはずなのに

他人が彼女に、ものを見る“目”をくれたのですよね。

そして、苦しみの中にいても、みんなのために仕事に向き合い

改善するように
やり続けていれば、

それはいつしか感謝となりはねっかえってくる。
必要とされる人間になれるのだとおもいます


続けて彼女はこう言います。
「私達の子供は、ここから巣だっていくでしょう。でも、私はここで生きていくことを決めています。」


なんて目なんだろう
疑いようのない信念をたたえた目がある

静かなのに音がする
“凛としている”
というのはこういうことを言うのだろう


ここで、ご主人が
「ついてきてくれてありがとう、感謝しているよ」と手紙を読むのです。
ここまでやったら、あとは涙しかないのですが、解っていても必要


こんな番組がないかぎり本音はきけませんからね

テレビの画面からは、そこには写っていなくても
長時間にわたる取材

スタッフの気遣いが

流れていました。

『釜が崎越冬闘争🌟ドラム缶の焚き火・火の粉が舞い上がる冬の空』

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2015年12月31日
釜が崎。
大晦日の三角公園。
「一人の餓死・凍死者も出すな!」
の合言葉のもと。


路上で生きる労働者のために、暖をとる焚き火をおこし
1日に1度、炊き出しをする。

夜には、パトロールをしておじさん達の健康チェックをします。

わたしは、いまの太秦の基地→ひとつき18000円の家賃

を見つけるまでは

東京に本宅があるので、宿を転々としていました。

関西で生きていくことに
なかなか踏ん切りがつかなかったのです。

西成近辺には、一泊700円から2000円ぐらいの宿は沢山あります。

しかし毎日払うと六万になる

また自炊しないと、どんどんお金が漏れていきます。

三ヶ月あまり、
東京から関西にきては、工事現場のプレハブを友人に借りたりや、テントを持ち出し、友人の家の庭に張らせてもらいました。

そこで凍えながら睡眠をとりました。

しかし、11月から1月にかけての関西は寒かった。

テントも工事現場のプレハブも、風よけにはなりますが

決定的に暖がとれない。

体に新聞やビニールをまいてセーターや裏起毛のズボンを履いても

しんしんとくる夜の寒さは防ぎきれません。

思いました。

火が必要なのです。
燃える火

火は寒空の空気をあたため、対流してこちらの体の芯まで暖めにきてくれます。

そんな三ヶ月があったので
《釜が崎越冬闘》の意味は、私にとり、かなり深い意味となりました。


師走の釜が崎は

午前中の炊き出しをおえ

午後には公園の舞台で、バンドの演奏が始まりました。

ギターのメタリックな音が三角公園周辺の建物にギュニュ~ン!ワ~ンワン!ドビギュリュ~ン!!
と反響します。

あたりに響き渡っても苦情をいうひとはひとりもでてきません。

それより差し入れにきてくれます。


寒い冬を命を落とさずに無事に越すこと
こんな話をききました。

寒くて、ワンカップ大関をあおり、あつあつになる

そして寒くないからそのまま寝てしまう

明け方酔いが冷める頃
体温が下降しききり
凍死してしまう。
しかし本人は酔っているのでわからない。

だから夜中に毛布をくばり、移動できるなら運んでくるのです。

朝から、夜まで
公園の特設舞台では、バンド演奏や太鼓の演奏、のど自慢大会がありました。

歌や音楽は元気になるし
人を明るくさせる


公園の広場では、お正月に餅つきがありました。

元気のいい掛け声
杵で臼を突く音

どんなところでもお正月はできる

とくに三角公園でのお正月はあたたかいと思いました。

わたしが、行った元日は

ここで
「カップラーメン早食い競争」
なるものが、開催されていました。


大学生(?)の若者達が進行をしていました。


「さあ!夏に引き続き、カップラーメン早食い競争、是非ご参加くださーい!」


ガヤガヤと、

テントの回りは、たちまち人だかりになりました。男たるもの、勝負事となると盛り上がります。     
誰が勝つか、予想する声があちこちから聞こえてきました。
みんな予想は大好きです。

さて
ルールですが、

“熱々のカップラーメンを誰よりも早く食べ、汁まで完食し、カップを伏せてハシを置く。”


出場者は20人

5人づつのグループで競い、


4グループの上位二人が選出され

いざ勝負!

最終勝利者は、カップラーメン一箱の
賞品が進呈されます。
熱々なのも大変やけど
勝ち抜くために、カップラーメンを
三杯も食べなきゃいけないのも大変です。
麺から攻める人
水と交互に食べる人
おじさん達は、まるで運動会に出場する少年の様に、無邪気で真剣でした。

無事に終わり優勝者は小躍りしながら商品を受け取っていました。

夕方になりますと

青い空から小雨がひとしきりパラリパラリと降ってきました。
しかしそんなことは何のその

午後四時半頃
火おこしが始まります。

赤く錆びて、年期の入ったドラム缶が
公園の何ヵ所かに、並べられました。

錆びかたに顔がありましたー

人の命を救ってきた力強さが染み付いているように見えました。

そこに、細かく割った木がくべられ
火が起こされます。

おじさん達が手早く木を放り込んでいきます。

メラメラ立ち上る炎
火の粉が暗くなり始めた空に舞い上がっていきます。


火の回りに沢山の人が集まってきました。

さて、舞台の上で歌われているのは民謡です。

どこの県の歌かわからないのですが

民謡をきくと
田舎の情景や知人、家族が浮かびあがってくる

あまりにも歌詞がしんみりくるので

会場にいた人が鎮まりかえって聞いていました。


故郷を思い出させる太い声が
ぐっときて泣きそうになりました。


その間にも
焚き火の木がどんどんトラックから
運ばれてきます。


ここでは、 住民も、支援団体の人達も、自分が出来ることを探しだして、動きまわっています。

行政にたよらず
みずからが
なにか出来ないかと話し合い作り出していく助け合いという文化、気持ち、真心

越冬闘争実行委員の方が言ってました。
「もっと、釜が崎をいろんな人に知ってもらおうと思います。行政の資金を頼ることなく、夏祭りやこの越冬闘争をやって行くには、皆さんの寄付と尽力にかかってます。釜が崎の住人も、我々も、高齢化してますからね(笑)

そして、これらのことは

いまの日本になくてはならない真剣な心や思いやりが内在している。

だからわたしは
いろんな事を記録していきたい、

整理していきます。」

明るくて、本質を捕らえた話し方には
この街にずっと関わり、この街の人と
一緒に過ごしてきた深い温かさがありました。


何が出来るかではなく
何を能動的に考え
やらせてもらえるか

わたしは大切なメッセージをいただきました。

いまわたしの胸には
熱いものは冷えることなく
燃え続けています。
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