吉橋通夫原作『なまくら』
短篇7篇の中から
中野組、チョボイチを撮影完成させましたが
続きまして
「なまくら」の撮影6月に始まります
中野監督が統括プロデューサーになり
私もラインプロデューサーとして参加。
ロケ場所や俳優さんのスケジュール調整、予算調整を行います。
👷本日は、撮影場所を検討する為
和田圭一監督と、中野広之監督と
物語の舞台になっている
紙漉きの里、
京都府綾部市の黒谷までロケハンに行って参りました。
京都の気温は26度。汗ばむ気温の中
和田監督の運転で
縦貫道を舞鶴方面にひた走ること一時間半。
京丹波を過ぎ「綾部」インターチェンジで降りて10分。
到着したところは
閉校した小学校を再利用した
「黒谷和紙工芸の里」
まずは
実際に紙漉きの体験をさせて頂きながら黒谷の歴史を伺いました。
「なまくら」の物語に出てくる主人公、八吉の故郷は「黒谷」。
そこには、凍てつく冬に紙作りをする母の姿があります。
原作の読み合わせの段階から
「黒谷」を
“くろだに”
と読むのか
“くろたに”
なのか、京都の方々もわからず
実際に黒谷に行くのが撮影所の仕事!とばかりに
ロケハンに参加させて頂きました。
山や川
村の神社を歩くと、茅葺き屋根の家は一軒もなく、近代ではありましたが
紙漉きをした川や
神社、裏山、石垣、田や畑など、沢山の歴史がつまっていました。
川は本流と支流がありますが、雨季は氾濫して大変なんだよと地元の方に教えて頂きました。
そのため、村には色々な仕掛けがあります。
家にはそれぞれ
川を渡して橋がかかっているのですが
その橋はどれも、ケタが垂直にウィーンと上がるようになっています。
橋に流木や石があたらないように工夫がなされているのです。
いい映画づくりをするために
取材し仲間と話しこむ、
手間ひまをおしまず、自分達の足で情報を集めることこそが映画作りの一番楽しいところ
人の口から語られる歴史は
どのように生きてきたかの真実である
生き方が見えたら、演出に必ず生かされます。
それは
当たり前の事なのかもしれませんが
私はその過程に感動せずにはおられませんでした。
学校跡地、紙漉き工房の方には、沢山の親切を頂きました
みなさん他府県から、紙漉きに憧れ、技術を継承しょうと集まってきた若者ばかりです。
館内を案内してもらいました。
明治の初めの紙漉きの道具の数々を
見せて頂きました。
800年以上前、源平の合戦で
源氏に敗れた平家の落武者が
この、人里離れた山間に身を隠し、土地に自生していた植物「楮」(こうぞ)と川の水を使って紙をつくり始めたそうでございます。
それが、黒谷和紙の始まりの始まり。
江戸時代の中期になると、土地は「黒谷」という地名になり、周辺を治めていた山家藩が紙の製造に力を入れる様になりました。
その後「紙漉き村」として、村は発展していったそうです。
ロケハンでは、工房の他に少し離れた
黒谷和紙伝統の里も訪ねました
黒谷に伝わる紙漉きの歌があります
“お前紙なら
わしゃ紙すきじゃ
とけてすかれる
みじゃわいな”
館内で働くおばあちゃんに歌っていただきました。
過酷な紙漉きは
歌を歌いながら
川の冷たさに耐え
女だけがやる仕事だったそうです
写真は、本日偶然出会った
地元の紙漉きのおばあちゃんです
楮を煮出した後、包丁で回りを削ぎ落としていく熟練の作業です。
いまはこのあたりでは五人ぐらいがやっている作業だといわれていました。
つづく