撮影時、衣装を扱う上で大事な作業があります。
よごし(汚し)
という作業です。
『なまくら』でいえば
・砥石山で石の採掘をする人足
・山道を黒谷まで歩く矢吉とトメ
・足に怪我をしているトメ
・怪我をして絶命寸前のトメの父
労働者が土にまみれて懸命に働いているのに、糊がきいているピカピカの着物を着ているのは可笑しいです
というか
この世に
“存在していない衣装”になってしまいます
着物やパッチをわざと汚して
雰囲気をだします。
泥を刷り込む→染まる
石灰、はったい粉(きな粉)をボンドでつける
ライターであぶって穴をあける
ただ、汚せばよいというものではなく
どの部分が特に痛み
どの部分が汗で変色するのか
そもそも
その役柄がどんな仕事をしているのか
想像を膨らませ、
また衣装をきて
労働者になりきって何日も何年もきてみて
わかってくるものがあるそうです
勿論
美意識も大事だし
嘘も大事
そこに哀愁や悲しみ
努力
切実さがでたら
素敵!
だと思います
だから
汚しをかけます
昔のひとは
仕事着を物凄く大切にしていました。
着れなくなっても箪笥に残しておいたそうです
自分の長年の相棒だからこそ
ぼろくなっても捨てられない
私も
蕎麦屋だった父の白衣や前掛けは
いまだに母が捨てていないのを知っています
あれみたら
もう
なんか涙でますよね
お醤油や染みで汚れた
前掛け
すりきれた肘
黒くなった首回り
汚いとか
そんなんじゃなくて
それが
なりふりかまわず働いてきた証~あかし~です
こんなになってまで
父は働いて
私たちを育ててくれた
なんにも文句を言わずに働いて育ててくれた
その
証が
わたしにとり
衣装を汚す原点であります
それを着た役者は
明治時代に没入し
存在していくと信じます
家族を背負う
労働者の衣装は
愛を思うと見えてくる