2021年03月
嵐山、渡月橋から、桂川沿いに上流にむかって歩くと、亀山公園の入口があります。
ここ亀山公園は、小倉百人一首が編纂された地と言われる小倉山山麓の尾根にあります。
その形がこんもりとしていて、亀の甲羅の様なので『亀山』と名付けられたのだそう。
入口から石段を上がると
公園内には
和歌が刻まれた歌碑や
大堰川(桂川)を開削した偉人“角倉了以”の像
亀山天皇をはじめ天皇の火葬塚がある等
嵐山地域の歴史を知る上でも
貴重な史跡があります。
さて、公園の桜はといいますと。
ソメイヨシノ
ヤマザクラ
ヤマツツジが綺麗に咲いていました。
桜の蕾が開花を待ちわびる様に
その姿を見せてくれます。
展望台から見える景色がまた格別!
保津川渓谷を見下ろす風景は、
絵葉書の様です。
若者が何人かで
ドローンを飛ばしたり、撮影したりしています。
私は、話しかけるのが好きな人間なので
あれやこれやと質問(笑)
しかし嫌がらず話してくれる若者は
な、なんと
きょう初めてあった仲間だという
インターネットの世界ダア!!
こうやって、趣味を同じくした仲間達が
場所を指定して集まるんだあ!
私も撮影や編集をしている立場として、なかなか話ができるぞ!(笑)
やっぱり
出会いは楽しいし
春のポカポカ陽気に
そとで、話すのって最高だなあ
桜は、これからが満開
今週末は、きっと見頃でしょう^_^
人間は
やっぱり、、、会いたいんだよなー
《ドミニクさんと奥様、中野広之監督(右)》
桜の開花が伝えられました
春が近づいてきましたね
3月15日から中野広之監督と、カメラマン、製作スタッフで、和歌山インタビュー撮影の
旅をしてきました。
現地取材コーディネイトをして頂いたのは
熊野古道の案内人でもある東道さん、そして吉田耕司氏です。
和歌山の人と、歴史を深く研究しているお二人は、私達の強い味方です。
吉田先生の紹介で、初日にお会いしたのは
ドイツから奥様の故郷、和歌山県田辺市に
移住して、庭師としてお仕事をされている
ドイツ出身のドミニク シュミッツさんです。
この日は、上富田町にある興禅寺(だるま寺)でお話しを伺いました。
待ち合わせ場所は、お寺の中にある
ドミニクさんが手がけた日本庭園です。
お寺で待っていてくださったドミニクさん
傍には奥様がいらっしゃいました。
とっても、穏やかな雰囲気のお二人です。
さて先ずは、ドミニクさんが庭園を歩くシーンの撮影。元々お寺あったお庭をあらためて
剪定して、美しく再生させた素敵な空間でした。
小さな滝があり
ツツジの木が繁り
下方には枯山水が施されています。
その後、お寺の縁側に場所を変えて
中野広之監督がインタビュー
ゆっくりとお話しを伺いました。
ドミニクさんが日本人である奥様と
日本に移住する事を決めたのは11年前。
ドイツでマイスターとして庭師をしていたドミニクさんは、安定した生活を送っていたそうです。
ところが、何度か奥様の故郷日本を
訪ねる度に、日本庭園の素晴らしさを
知る事になります。
何とか、学べないだろうかと
一念発起して京都に移住
京都の庭師に弟子入りされたといいますから
驚きました。
伝統文化の中心地京都
言葉の壁、文化の壁もあったでしょう。
ドミニクさんいわく
『言葉については、初めは大変でしたが
言葉より見て覚えなさい、というのが
日本のやり方。
その時は、わからなくても後から
何故その方法だったのか自分で気づく
それが大切だとわかりました。』
修行時代を懐かしむ様に話す表情が
穏やかでした。
『ドイツの庭師は、設計図をもとに
その通りに仕事をする、いわば分業なので
庭師のアイデアを反映する事は出来ないのですが、日本では、庭師が考えデザイン出来る。大きな違いがあります。』
印象的なお話しでした。
京都で修行を終え、和歌山に移住された
ドミニクさん家族、2人のお子様は
和歌山の自然に囲まれ、すくすくと
育っているそうです。
インタビューの間
終始ご主人を見守る奥様の眼差しが
優しかった、、
共に歩んで来た歴史を感じました。
監督からの最後の質問
映画のテーマ『生きるとは』について
『自分の好きな事を見つけて
諦めずに追求し続ける事。』
と、語ってくださったドミニクさん
心が洗われるひとことでした。
謙虚で、真面目なお人柄が
日本人以上に日本人らしく感じられました。
インタビューを終える頃
ぽかぽかと暖かい太陽の日差しが
庭に降り注いでいました。
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