京都の町中を東西に走る四条河原町通りは
観光スポットとして人気がある場所です。
四条河原町通りの中程に、南北にのびているのが、寺町通り、新京極通り。
寺町通りの歴史は古く、平安の昔に
さかのぼります。昔、寺町通りは
『東京極大路』と呼ばれ、道幅32メートルという、大通りとして栄えていました。
応仁の乱の後、荒れ果ててたこの通りを
豊臣秀吉が寺院を集め、寺院街として
復活させました。
それが、『寺町通り』の始まりです。
お寺の数は、80寺にもなったといいます。
江戸時代になると、この界隈には、書物や数珠、ほん、筆、薬を扱う商人や、物作りの職人が住む様になり、現在の商店街の元になりました。
その後明治時代になり町の活性化の為に
新たに作られたのが、『新京極通り』です。
明治の中ごろには、紙芝居,浄瑠璃,寄席が盛んになり、多くの飲食店が立ち並び栄えてきました。
今でも多くの人が集まる通りには
面々と繋がっている歴史があるとしり
あらためて京都の魅力を感じました
さて
四条河原町通りから
新京極通りに入ってすぐ、左手にあるのが
『染殿院』〜そめどのいん〜
という、お寺です。
よく見ないと見逃してしまうほど
入り口が狭いので
発見した時は驚きました
『こんなところにお寺がある、、』と
興味津々で入って行くと
街中とは、一変した空気に2度の驚き
本堂にある
お賽銭箱の向こう側には
お茶っ葉や、提灯、、
高札を読むとその歴史は古く
808年弘法大師・空海により創建されたと
記されています。
染殿皇后が、本像(地蔵尊)に帰依して無事に子供を出産したと伝えられた事から、安産を祈願するお寺となったそうです。
お寺の方がいらっしゃらなかったので
あちこち見て回ると、お地蔵様や木彫りの
像が大切に祀られていました。
しかし、お茶っ葉が置いてあるのは
なぜだろうと、謎が解けないわたし
本尊様を拝ませていただき
通りに戻ろうとした時
どこからか香ばしい
焼き栗の香りがしてきました
見ると、もう一方の出入り口がありました
何と、焼き栗屋さんの店内まで
お寺の石畳が続いているではありませんか!
益々謎が深まります、、
誰もいないお寺、
結局その訳を誰にも聞けずに
帰ってきましたが、次回は是非お寺の方に
訪ねてみたいと思います。
寺町通り
新京極通り
ディープスポットが
そここにある魅力的な場所です。