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京都太秦の夕方6時半、

遠くにみえる愛宕山に夕日が沈みます



日中に比べて気温も涼しくなりましたので
太秦広隆寺近くの自宅から
嵐山方面に向かってマラソンを試みました。


一日中、物語を書くための資料調べをしていたおかげで気づいたらもう夕方

この時期の青々とした景色を見ないのは
大変もったいないので
日が沈んでから夜になるまでの一時間


小さな探検をすることにしました。


交通量が多い三条通りをさけて横道に
そうやって住宅地の中をはしっていくと

大きなご神木のある公園や学校があり、その隙間をぬうように、小さな田んぼがいくつもありました

青々と伸びてきた稲をみて、
嬉しくなりながら走っていくと


道端に『千代の古道』と書かれた
石碑を見つけました


石碑といいましてもロータリークラブと書いてありましたから、けして古いものではありません
記念碑のような感じです


裏面には和歌が彫られていました。
表面の示す古道はどこかと
その先をたどっていきますと


川縁に土道がはしっていて
かなり遠くまで続いています


その道が古道でした


この『千代の古道』は
広沢の池、大沢の池、大覚寺、清涼寺、嵐山にいたる道と言われていますが、諸説あるそうです


平安時代、都の人たちが、この道を通ってお月見に出かけたという風情ある景色は、いまも面影を残しているように見えます


石碑にあった百人一首の一句に
清少納言がありました。

『夜をこめて 鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ』


それから、皆さんもご存知の古今集の和歌

『君が代は 千代に八千代にさざれ石の巌となりて 苔のむすまで』がありました。

この歌にある『さざれ石』は、
かつて、千代の古道周辺の山から産出された石だといわれています。


石灰石を含む『さざれ石』は、年をへるごとに成長する長寿の石として、朝廷にもてはやされたそうです


日本の国歌にでてくる、さざれ石の発祥の地が
京都嵯峨野周辺だったなんて…
ますます、奥深い宮廷の歴史を感じます


「千代の古道」の石碑は全部で11ヵ所

和歌を読みながらひとづつ訪ね歩く
小さな旅もいいですね


帰り道には
すっかり夜のとばりが落ちていました。


およそ一時間のマラソンが
思いがけず歴史散策の時間となりました。