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写真は

『なまくら』の原作者 吉橋通夫先生(左から2番目)

『なまくら』
プロデューサー兼メイン監督の中野広之氏(左から3番目)


二作目の"なまくら"を監督された
和田圭一氏(左)


映画に出演した子役さん達が所属する事務所ピカロ・エンタープライズの代表西尾塁氏(右)


で御座います。


先日、吉橋先生にご足労頂き
上映会の会場となる太秦の"古心庵"で
対談を企画させて頂きました。



対談はまず

2005年に初版となった『なまくら』

その、7つの短編を書かれた吉橋先生の取材方法や経緯

また
登場する子供たちの人物設定

などです!

今まで知ることができなかった隠れた逸話を

中野広之監督のユーモアを交えた質問で

楽しく
吉橋通夫先生に話して頂きました。

働く子ども達

その題材を選ばれた真意
悪いことや盗みをしたとき

どれだけ被害にあった人が悔しいか、怒りを思うか

先生ご自身の体験談を話して頂きながら、詳しくお話していただきました。


本当に、中野広之監督が笑わせながらインタビューされて楽しく盛り上がりました。


先生は、『なまくら』の本を手にして、
ページをめくりながら思い出すように
お話しされました。


中野監督
『先生が"なまくら"を書いた動機を教えて下さい。
私は、少年達が罪を犯したり、逃げたり、窮地におちいったり、それが、生々しく描かれていることに感動しています。

偽物じゃない。

先生のご経験があるのか知りたいです

そして、救う大人が現れ、身体をはってでも、なんとか子供達を導こうとする精神がある

その精神、、
先生の真意が知りたいです。


私も導かれた人間としてです。
勿論、これから子供たちを導く!と、決めた人間として。』


吉橋先生
「どうだったかなあ(笑)書いた頃は
この頃は、僕もなまくらだったのかもしれないなあ、、」

みんな大笑いでした。
先生はしっかり答えてくださいました。

近日、ホームページにて公開致します。

中野監督
「"なまくら"は、子供たちが労働する話しです。
お金を稼ぐ工夫を自らして
そのお金で御飯を食べて生きていく話。

今後とも日本では、子供が働くということはないでしょうが、

海外ではまだまだ家の為に働く子供達がいますよね。

なぜあえて日本でこの題材を選ばれたのでしょうか」


吉橋先生
「僕は、中学生の時から働いていました。
貧しかったから生きるために。
そのことにより、社会をしることができた。
とにかく色々なアルバイトをしましたよ。ラーメン屋さん、新聞配達、牛乳配達、、色々ね。」


中野監督
「そうですか。
和田監督も子供の頃、山の上に住んでいて、水道がなかったから山下まで生活用水のための水汲みを毎日行っていたっておっしゃってましたよね。」


和田監督
「大変というか、たまたまそうだっただけでね」


吉橋先生
「それは凄い」


中野監督
「ところで、なまくらは暴力的な激しい描写が7作の中にいくつありますが、やはりお考えがあってのことですか」 


吉橋先生
「そうですね、それはね。世の中はそんなに甘いものじゃない、盗む!ということは大変人に悔しい思いをさせるんだ!という事をシッカリ書きたかったんですよ。
怒り、許せない気持ちが必ずわき起こる!
厳しいんだよね、人間が働き生きていくということは。盗んだら、暴力的な対応もされる
それをしっかり表現にいれました」


私達は
吉橋通夫先生の作品への取りかかる時の強い動機や新鮮な想いを生で聞くことができました。


約45分の対談は、まとめて近々ホームページに出させて頂きます。


原作者と、映画監督の対談が出来たのは、私にとり奇跡です

右京太秦芸能人会としての初の試み
感慨深かったです!


大人達も、子供の頃を振り返ることが出来る。映画『なまくら』は

大人も子供も育ち合える作品だと思います。(原作本は、インターネットで購入できます。)



上映会では、子供たちも多く参加してくれます。映画を観て、子供たちが感じた事を是非聞きたいです。


この日は、上映会に先立つ貴重な時間となりました。

忙しいなか、遠くから足を運んで頂いた
吉橋先生に深く感謝でございました!