《和歌山県 新宮市•速玉大社》
《世界遺産、熊野川!》
ドキュメンタリー部門は、もう少しで撮影が終わろうとしています。
和歌山の伝統料理を後世に残そうとされるおばあちゃんたちの撮影の他に
和歌山に海外から移住してきた方々を取材させて参りました。
ドイツからき女性は、修験者になられたり
熊野古道の英語ガイドに!
アメリカ シアトルから来た方は
合気道の段もちになられ英語の先生に!
イタリアから来た男性は、
山を買いとって
ヤギを買いチーズやワインを作ったり、高原の、風景がみえるイタリア料理の店をつくられました。
本当に様々です!
そこにはどれも
山々や海、畑や果樹園、があります。
わたしたちは、夏から8ヶ月間取材し、さまざまな体験をさせていただきました。
和歌山の自然の素晴らしさ
一番感じたのは、
目にみえないけど、
~人が人として生きていく、大切なきっかけや、空気がここにあるということ~
その目にみえないものは、
山からの風だったり
大木に手をふれ、見上げたときの感動だったり
目をとじ、太陽の熱を感じる幸せ
夜空を見上げて
くっきり見える天の川でした。
におい
香り、、
音、、、小鳥たちの嬉そうな、さえずりだったりしましたね。
熊野には、荘厳で何千年前からの
スピリチュアルなものも沢山ありました。
本当に、和歌山で映画をつくらせていただいて、良かったです。
さて
映画ドラマ部門ですが、
7月から、残り7割、
本格的に演出、撮影が動きだします。
私は
このコロナ禍の中で密に手紙や電話、FAXをさせて頂き、様々な方々と連絡を取り合わせて頂いてまいりました。
映画は、海南市のノビノスという素晴らしい施設でメイン上映させていただきますが
他 9ヶ所 !
和歌山県の北から南で行えるよう計画しています。
なぜ
9ケ所なのか?
それは去年、海南市で映像祭を行わせていただいた2月がきっかけでした。
海南市は、この何十年間かで
村や町がたくさん合併されました。
昔からひとつだったわけではありません。
あちこちで、独自に町の宣伝CMを作らせて頂きました。
海の下津大崎
街中
山のふもとで、人々は生活をしています。
上映会には、CM作りに参加した其々の地域の方々や、そのご友人、新聞記事を見た方が、遠方から集まっていただきました。
皆さんが、初めて一同に介するきっかけが
地域自慢のCM
それを見ながら、お互いの地域の良さを語りあって頂いたのです
また、明治から今日までの海南市の歴史をたどり、
どのように産業が起こされ、 町が発展してきたのかをたぐりました。
その反響がよく、わたしたちは、とても幸せな気持ちになれました。
今回の、和歌山全土を縦断する映画が!
改めて企画され、
動き出した経緯が、
和歌山映画の骨子でもあります。
コロナ禍ではありますが
上映場所については、増やしてまいりました。
新しい年代のお客様に、我々を知ってもらうために、去年8月から東西南北奔走してきた
8ケ月でございました。
年配のファンの皆様が
私達には沢山いますが
この期間、小学生や中学生
高校生、大学生の方々と交流を持ち
お話したり講演をしてまいりました。
インターネットでのLINEを使った講演会の中で
『みなさんの夢は何ですか』
子供達に質問した時
『夢は、、ないです』
そう答える子供達が少なくなかった、、
途中、これはショックな事でした。
もしかしたら、子供達が夢を持ちにくい社会を私たち大人が作ってしまったのかもしれない、、と思い、たちどまって考える時もありました。
ラジオ番組を立ち上げ、子供達の参加を集い、交流したのは、正直、一時的な付き合いではなく長いお付き合いをしたいと感じたからです。
それは大人として責任だったと改めて思います。
青少年の教育といっても、一概にできることではありませんし、何かをやらせて、無理に変えるものではありません。
『子供たちの前には
道は
いくつもあるからです。』
それはコロナ禍においてもなんです
和歌山映画についてテーマがあります
人生において成功とは何か
幸せとはなにか?
わたしたちは、明日からどうやって生きたいのか?
未来に何を残し伝えたいのか?
そんなことを
和歌山の大自然のなかで
考え、作り出していく映画は、貴重だと感じています。
決してお金ではないけど
やりたいことを追及した先に、お金は手に入れたい。
やりたいこと、、とは?
みんなの幸せや、住みやすい地域をつくりながら
『助けあって成り立つ社会づくりをしたい』
われわれは
和歌山県の
そんなパイオニアな方達に
勇気や
挑戦する心を頂いております。
※ 写真撮影 提供
和歌山地域映画プロデューサー 吉田耕司さん
撮影のとき
一時的にマスクを外させていただきました。
一時的にマスクを外させていただきました。