2005年05月10日
徽章

祭礼当日はほとんどが紋付袴姿である。
誰が誰だかわからないので、役職のある人間は徽章をつける。
庵連合会長(一名)
庵委員長(六名;各町の会長)
庵委員(六名;各町の副会長)
庵連絡委員(一名)
今年の庵連合会は緑と白を基調にした。
曳山連合会はさらに倍して徽章をつけている。
色は赤と白。
黄色の花をつけた曳山説明委員もいるので
聞けばいろいろ教えてくれる。
今日は何番山?
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2005年05月08日
公開稽古
2005年05月07日
庵連合vs出丸

芳村伊十一郎先生が野球好きということで
出丸町と他5ヶ町の連合チームで野球をすることになった。
会場はナイター施設の整った城南スタジアム。
ウグイス嬢付きの本格的な試合である。
結果は9:4で庵連合の勝ちとなったが、
「四番サード芳村先生」には充分満足していただけたのではないか。
見ていてるだけでも面白かった。
2005年05月03日
お祭りカット
2005年05月02日
町まわり

しかし、昨夜は悪天候だった為に今日に順延した。
まちまわりは、足元提灯を先頭に、
篠笛、三味線、太鼓と連なり
廻り囃子を奏でながら町内を巡る。
西上は専用の廻り囃子(三下り)が現存している。
いつもは自町内(西上区域)だけだが、
今年は当番町なので山町とよばれる六つの町内を回る。
たっぷり一時間、市街地を巡った。
各若連中の稽古所に立ち寄り、
また同じく町まわりしている松声会や諫鼓共和会に遭遇し、挨拶をする。
音色を聞いて戸口に出てくる住民の方もたくさんおられた。
みんなこの祭が好きなのだ。
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2005年05月01日
稽古初め

実際は4月27日から始まっていても、1日が「稽古初め」だ。
いわゆるケジメである。
町まわりをした後、御膳で酒席をもうける。
昔は実際に1日から稽古を始めて、
15日の祭に披露していたのだろう。
僕が若連中に入った20年前も、これに近いカンジだった。
唄がとりあえず揃っていればよし…、みたいな雰囲気もあった。
しかし、今は格段に難しいことを要求されている。
それだけレベルアップしてるといえるだろう。
芳村先生の指導があり、
浅草や金沢で茶屋遊びをし、
恵友会でチケットを購入し「篠笛を聞く会」を聞いたりして、
本物の芸を見知るうちに
どんな庵唄であればいいのかという
方向性がそれぞれ見えて来たのではないか。
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2005年04月30日
手鏡に
2005年04月29日
合同披露

曳山会館では夜7時半頃より
獅子舞競演や浦安の舞披露、
今年新たに城端祭の合唱がある。
若連中が御旅所にお参りし、
庵唄を奉納した後の午後8時半、
曳山会館前特設ステージで庵唄の合同披露がある。
本祭では庵屋台の中に入っていて
素顔の見えない(?)若連中をナマで見るチャンス。
山宿巡りと併せて、お楽しみください。
合同披露では各町の庵唄を書いた
歌詞栞を無料でお配りしている。
数に限りがあるので、ご了承ください。
合同披露終了後は、町内各所にて町内所望がなされる。
これまたしっとりとしていいものだ。
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2005年04月28日
所望案内状2

写真は3月17日の日記に書いた所望の案内状である。
4月10日の庵連合会、翌日の曳山連合会で
祭の詳細についてまで決められた後、
発送もしくは手渡しされる。
中の文字は、筆書きにこだわり
恵友会の中で器用な人間に書かせた。
封筒は例年白無地なのだが、
典雅な祭の雰囲気をお伝えする為に
今回は継紙模様の封筒を選んだ。
お渡しした方々に我々の気持ちが伝わったであろうか。
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