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私のホームページ「K.OKADAワールド」

は、四国高松在住の私、作曲家、兼、ピアニストの岡田克彦の世界です。ここの併設ブログは、音楽、四国の温泉と、香川県のさぬきうどん、四国のグルメ、景勝地、温泉等、
それらに加えて、私の母・岡田直子が2006年9月19日に他界したことから痛感した、人間の無常観に基づく社会観察や人生観、ウェブの限界等を中心に書いてゆくことにしています。

ヒューマニズム

朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」5


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私の新作・JA香川県主催・朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」(2010年1月17日・高松ミュース゜ホールにて初演予定)の、アリア児童合唱曲集作曲練習状況、2009年12月20日・高松市中央公園冬の祭り出演のご案内と、年末年始に集中練習する予定の朗読とのコラボピアノ曲の作曲状況は現状下記のとおりです。



・初めての田植え体験アリア「田んぼのうた」、
・収穫の喜びのアリア「稲刈りワールド」、
・田植え体験回想のアリア「田んぼのうた」、
・2009年12月20日19:30〜高松市中央公園冬の祭り用の「田んぼのうた」とベートーヴェンの第九を加えた「稲刈りワールド」メドレーのアレンジと振り付けの先生との打ち合わせ、
・年末年始に集中練習する予定の朗読とのコラボピアノ曲のモティーフ集約50コの準備と作曲状況



まず、JA香川県主催の朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」の中の、合唱曲のアリア「たんぼのうた」の作曲状況等について、ご案内いたします。(近日中、私の別の新作「刈り取りワールド」もアップロードする予定です。)



下記URLの、私の音楽ホームページ「K.OKADAワールド」の中のページのBGMに、JA香川県から作曲の委嘱をいただいている、2009年度の経験に基づいて今年は2010年1月17日開催される、JA香川県主催・農業体験・朗読ミュージカル(JA香川県の子供達の食育教育として行われている一年間の農業体験の思い出をベースに作って毎年発表されているもの)のアリアの一つ、「たんぼのうた」(子供達に公募した田植え経験の歌詞をもとに私が作曲し、高松市ミューズホールにて、2010年1月17日開催時に初演されます。)の、私のピアノと子供達の合唱で練習中の収録音楽を、添付しました。作曲者が加わって自作自演して音楽を作り上げるプロセスを皆様にお聴きいただければと思い、あえて、未完成のものを掲載しました。



なぜなら、合奏は、出来上がりも大切なのですが、一番大切なことは、仕上げるプロセスだからです。



当然のことですが、プロセスの嫌いな方は、一曲として、室内楽や合唱曲などの、合わせ物を演奏する資格のない人達です。



http://kokada.web.fc2.com/tanbonouta-kaisetsu.html



簡単な曲目解説と8歳の女の子の書いた素晴らしい歌詞カード(私の持論ですが、音楽に年齢は全く関係ありません。全ての人間に備わっている感受性によって、何歳であっても出来る人は出来ることを立証している素晴らしい歌詞です。)もつけていますので、また、お聴きいただき、ご感想などをいただければ幸いです。



掲載写真は、JA香川県の子供達(5歳〜11歳)が食育体験で田植えから全部やって育てた田んぼです。この子供達が歌う曲を作曲させていただけることは、とても光栄なことです。



大体わかったんだけど、この世代の子供達では女の子が音感が優れています。男の子が合唱で足をひっぱっていたので、元気一杯なので、歌の中に、「ヤッター」とか「ヤーッ」という掛け声を入れるようにその場で作曲しながら練習するうちにみんなで楽しく出来ました。



男の子達が、テレビで見る、野球、サッカーや水泳選手の動きが格好いいので、そのあたりに取り組むんだな、って一番良くわかったのは、ぼくの弾くピアノを耳ではなく目で楽しんでいたからです。指がすごく動くと、大喜びなのです。だから、一緒に練習しているうちに、クロスオクターブ、アクロバットスケール、グリッサンドをどんどん入れていったので、だんだん難しくなってしまいました(笑)。



「おじちゃん、なんでそんなに指が動くんな。」



と聞かれるので、回答に困ったぼくは、その子を椅子に座らせて、こうするんだよ、って教えてあげると、大喜びでした。



果たしてその子は、ドレミファソラシドの音階すら弾けないのに、グリッサンドだけは出来るようになりました。グリッサンドだけで音楽は表現できませんから、困ったものです(笑)けど、子供達と一緒に音楽しているとぼく自身の幼少期を思い出して楽しいですね。



稲刈りを歌った歌詞も素晴らしいものを子供達がいっぱい書いてくれましたので選ぶのに迷いましたが、「稲刈りワールド」という歌詞が素晴らしかったので、もう一人の子の書いた歌詞をまぜて、作詞者2人という、前代未聞の曲になりました。



この「稲刈りワールド」は、田植えの歌の「たんぼの歌」同様、小さな子供も歌える一オクターブの音域という制限の中で書きましたけど、「たんぼの歌」のヘ長調の平行調のニ短調にして、民謡風のアップテンポな旋法を使った曲にして、途中の朗読のところで、田植えを回想してヘ長調にもどったあと何回も転調して、グリッサンド大好きな子供達のために、今回は、黒鍵のグリッサンド(これは、いきなり子供達がやると怪我をしますので、とりあえず、見た目を楽しくするために入れました。)を入れ、鍵盤を拳骨で9回叩いたら、もとのニ短調の歌にもどるようなものすごくヤクザなアレンジをしました(笑)。



そして、ぼくが一番凝ったのはエンディングでした。最後に同主調の二長調になったら、突然、ベートーヴェンの第九の喜びの歌が民謡風に出てきて、手拍子と最後の「ヤーッ」というかけ声だけで終わるようにしていました。しかし、このプランを聞いた、合唱指導のN女史先生、振り付け指導のY女史先生と、先日来、何回か、夕食時から夜遅くまで一緒に飲みながら、打ち合わせをして大体、決まりました。



他ジャンルの本物アーティストたちとの、作曲家としてコラボする前の打ち合わせタイムは、とても楽しいですね。ぼくは久しぶりに人間と会話したように思いました。でも、今回の他ジャンルのアーティストたちは、全員、私に3歳からピアノを教えてくれた恩師の石井ルリ子先生の指導を受けた後、東京の音楽大学やダンスの専門学校で勉強してから、結婚するために高松に帰省した、石井先生主宰の「花房会」OBのメンバーで、作曲家の私が、石井先生のトップ弟子なんだけど、極めてリアリストで謙虚で素直な、石井先生以上の毒舌家だということは、作曲した音楽で十分伝わっているので、とてもスムーズでした。



今回の、朗読ミュージカルは、前回の朗読ミュージカルを采配した、巨額のギャラをJA香川県から騙し取った、東京の偽者シナリオライターと、それを紹介した、高松の偽者ダンス先生とその周囲にたむろしている、まだまだ下界の領域にある、カラオケ喫茶並の劣悪ポップスを書いている、対位法も和声学も知らない自称作曲家の作曲屋さんによってひどい結果になりましたので、そのリベンジなのです。



従って、一番最初に私がやったことは、去年関わった偽者アーティストを全員、JA香川県の朗読ミュージカルの指導から追い出すことでした。私の恩師の石井ルリ子先生、座光寺公明先生や小倉朗先生の顔に泥を塗るようなものは、絶対に出来ないのです。



簡単なことでしたよ。「もし、私の気に入らないアーティストを追い出さないのなら、私は一曲たりとも作曲しません。」とプロモーションの会社なんか飛ばして、直接、JA香川県に言えばいいのです。東京で数え切れない数の演奏会をプロモートし、芸術ヤクザと渡り合った経験で、情熱でつながっていれば出来ないことがないことを私はよく知っていましたから、本当に単純な作業でした。



お米の収穫には「よろこびの歌」が合う、という大義名分があるのですが、この「稲刈りの歌」は、2010年1月17日初演予定の朗読ミュージカルの中のアリアの一つなのですが、2009年の大晦日の夜中に高松中央公園で開催される「冬の祭」のカウントダウン少し前のステージへの出演依頼が来ていて出演する(この時はピアノを持ち込めないので、12月の頭にぼくがカラオケのピアノパートを収録するので、ぼくが指揮してやります。)ので、『もう寒いから家に帰ってしっぽくうどん食べよう』という喜びの歌の替え歌は是非、子供達のために入れてあげたいなんて思っていたのです。だって、大晦日の夜中なんて寒い時に、カウントダウン前の野外ステージで歌うのは、子供達にとっては大変だとぼくは常々思っていたのです。お祭りだからいいじゃない、って感じでした。



ところが、JA香川県に出演依頼した「高松冬の祭り」のプロモーターの瀬戸内海放送局が、私が作曲で加わっていることを知って大変だ、と思ったのでしょう。出演日時を、12月20日のゴールデンタイムの19:30からにして来ましたので、ベストタイムになりました。



こうなった以上、いろんな人たちが来ている中で、JA香川県もなかなかやるじゃない、って思わせないといけないですから、そういう時には、第九です。



従って、ぼくは、第九の楽譜を引っ張り出して、通奏低音をアナリーゼして、アレンジを変えました。時間は、10分間でしたので、その中で、JA香川県の純粋な子供達がステージ上で一番輝くようにして、田んぼのうた、稲刈りワールド、を歌い、第九になってから、喜びの歌にあわせて、簡単な振り付けで派手に踊れるようにアレンジしました。合唱は合唱指導のN女史先生の力で、ほぼ完成しています。振り付けは、Y女史先生が一昨日の夜の打ち合わせで完璧になりましたので、OKです。絶対に拍手喝采になるように仕組みましたので、当日指揮をするぼくは楽しみですね。ぼくは、指揮台に立たずに、子供達の間に入ってタクトを振ります。作曲家は、本番当日、楽器を自作自演しない場合は黒子でいいのです。



こういうコラボは、対位法と和声学を完璧に習得した、作曲屋ではなく作曲家、が真ん中にいないと絶対に実現不可能なのです。あたり前のことですが、メロディーラインにコードをつけるのは、作曲じゃないですよ。全ての音の動きを一音たりとも間違わずに正しく、12コの音を使って五線紙の上に書いたものが、作曲された楽譜というものです。



以上、二転三転して、最高に楽しい、朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」の作曲、合唱、コラボの進捗状況をご案内しました。



この年末年始は、さらに、二転三転すると思いますので、今から、とても楽しみですね。




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私の新作「たんぼのうた」の再度ご案内5

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私の新作「たんぼのうた」について、再度ご案内いたします。(近日中、私の別の新作「刈り取りワールド」もアップロードする予定です。)



下記URLの、私の音楽ホームページ「K.OKADAワールド」の中のページのBGMに、JA香川県から作曲の委嘱をいただいている、2009年度の経験に基づいて今年は2010年1月17日開催される、JA香川県主催・農業体験・朗読ミュージカル(JA香川県の子供達の食育教育として行われている一年間の農業体験の思い出をベースに作って毎年発表されているもの)のアリアの一つ、「たんぼのうた」(子供達に公募した田植え経験の歌詞をもとに私が作曲し、高松市ミューズホールにて、2010年1月17日開催時に初演されます。)の、私のピアノと子供達の合唱で練習中の収録音楽を、添付しました。作曲者が加わって自作自演して音楽を作り上げるプロセスを皆様にお聴きいただければと思い、あえて、未完成のものを掲載しました。



なぜなら、合奏は、出来上がりも大切なのですが、一番大切なことは、仕上げるプロセスだからです。



当然のことですが、プロセスの嫌いな方は、一曲として、室内楽や合唱曲などの、合わせ物を演奏する資格のない人達です。



http://kokada.web.fc2.com/tanbonouta-kaisetsu.html



簡単な曲目解説と8歳の女の子の書いた素晴らしい歌詞カード(私の持論ですが、音楽に年齢は全く関係ありません。全ての人間に備わっている感受性によって、何歳であっても出来る人は出来ることを立証している素晴らしい歌詞です。)もつけていますので、また、お聴きいただき、ご感想などをいただければ幸いです。



掲載写真は、JA香川県の子供達(5歳〜11歳)が食育体験で田植えから全部やって育てた田んぼです。この子供達が歌う曲を作曲させていただけることは、とても光栄なことです。



大体わかったんだけど、この世代の子供達では女の子が音感が優れています。男の子が合唱で足をひっぱっていたので、元気一杯なので、歌の中に、「ヤッター」とか「ヤーッ」という掛け声を入れるようにその場で作曲しながら練習するうちにみんなで楽しく出来ました。



男の子達が、テレビで見る、野球、サッカーや水泳選手の動きが格好いいので、そのあたりに取り組むんだな、って一番良くわかったのは、ぼくの弾くピアノを耳ではなく目で楽しんでいたからです。指がすごく動くと、大喜びなのです。だから、一緒に練習しているうちに、クロスオクターブ、アクロバットスケール、グリッサンドをどんどん入れていったので、だんだん難しくなってしまいました(笑)。



「おじちゃん、なんでそんなに指が動くんな。」



と聞かれるので、回答に困ったぼくは、その子を椅子に座らせて、こうするんだよ、って教えてあげると、大喜びでした。



果たしてその子は、ドレミファソラシドの音階すら弾けないのに、グリッサンドだけは出来るようになりました。グリッサンドだけで音楽は表現できませんから、困ったものです(笑)けど、子供達と一緒に音楽しているとぼく自身の幼少期を思い出して楽しいですね。



稲刈りを歌った歌詞も素晴らしいものを子供達がいっぱい書いてくれましたので選ぶのに迷いましたが、「稲刈りワールド」という歌詞が素晴らしかったので、もう一人の子の書いた歌詞をまぜて、作詞者2人という、前代未聞の曲になりました。



この「稲刈りワールド」は、田植えの歌の「たんぼの歌」同様、小さな子供も歌える一オクターブの音域という制限の中で書きましたけど、「たんぼの歌」のヘ長調の平行調のニ短調にして、民謡風のアップテンポな旋法を使った曲にして、途中の朗読のところで、田植えを回想してヘ長調にもどったあと何回も転調して、グリッサンド大好きな子供達のために、今回は、黒鍵のグリッサンド(これは、いきなり子供達がやると怪我をしますので、とりあえず、見た目を楽しくするために入れました。)を入れ、鍵盤を拳骨で9回叩いたら、もとのニ短調の歌にもどるようなものすごくヤクザなアレンジをしました(笑)。



そして、ぼくが一番凝ったのはエンディングでした。最後に同主調の二長調になったら、突然、ベートーヴェンの第九の喜びの歌が民謡風に出てきて、子供達が『もう家に帰ってしっぽくうどん食ーべよ』というぼくの替え歌を少し歌って、手拍子と最後の「ヤーッ」というかけ声だけで終わるようにしています。



お米の収穫には「よろこびの歌」が合う、という大義名分があるのですが、この「稲刈りの歌」は、2010年1月17日初演予定の朗読ミュージカルの中のアリアの一つなのですが、2009年の大晦日の夜中に高松中央公園で開催される「冬の祭」のカウントダウン少し前のステージへの出演依頼が来ていて出演する(この時はピアノを持ち込めないので、来週ぼくがカラオケのピアノパートを収録するので、ぼくが指揮してやります。)ので、この替え歌は是非、子供達のために入れてあげたいと思ったのです。だって、大晦日の夜中なんて寒い時に、カウントダウン前の野外ステージで歌うのは、子供達にとっては大変だとぼくは常々思っていたのでね。



お祭りだからいいじゃない、って感じです。



いろんな人たちが来ている中で、JA香川県もなかなかやるじゃない、って思わせないといけないですから、そういう時には、第九ですよね。それと、香川県以外のJAでは、しっぽくうどんは使えないから、著作権はJA香川県が取得するのですけど、他県のJAでは、この曲が使えないようにするためなのです。また、香川県の小麦が売れたら、それは、JA香川県と香川県の全農家にとってもいいことですからね。





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私の新作「たんぼのうた」のご案内5

私の新作「たんぼのうた」について、ご案内いたします。



私の新作「たんぼのうた」のご案内



下記URLの、私の音楽ホームページ「K.OKADAワールド」の中のページBGMに、JA香川県から作曲の委嘱をいただいている、2009年度の経験に基づいて今年は2010年1月17日開催される、JA香川県主催・農業体験・朗読ミュージカル(JA香川県の子供達の食育教育として行われている一年間の農業体験の思い出をベースに作って毎年発表されているもの)のアリアの一つ、「たんぼのうた」(子供達に公募した田植え経験の歌詞をもとに私が作曲し、高松市ミューズホールにて、2010年1月17日開催時に初演されます。)の、私のピアノと子供達の合唱で練習中の収録音楽を、添付しました。作曲者が加わって自作自演して音楽を作り上げるプロセスを皆様にお聴きいただければと思い、あえて、未完成のものを掲載しました。



なぜなら、合奏は、出来上がりも大切なのですが、一番大切なことは、仕上げるプロセスだからです。



当然のことですが、プロセスの嫌いな方は、一曲として、室内楽や合唱曲などの、合わせ物を演奏する資格のない人達です。



http://kokada.web.fc2.com/tanbonouta-kaisetsu.html



簡単な曲目解説と8歳の女の子の書いた素晴らしい歌詞カード(私の持論ですが、音楽に年齢は全く関係ありません。全ての人間に備わっている感受性によって、何歳であっても出来る人は出来ることを立証している素晴らしい歌詞です。)もつけていますので、また、お聴きいただき、ご感想などをいただければ幸いです。











俳優・長門裕之(75)さんの、東京・明治座での記者会見を見て5

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俳優・長門裕之(75)さんが、去る10月17日の夜に都内の自宅でくも膜下出血のために倒れて緊急入院した奥様の女優の南田洋子(76)さんの容体について、10月20日に、東京・明治座での記者会見で説明しました。



その様子が、テレビで流れるのを見て、母が脳幹部脳内出血で2006年8月17日に突然倒れ、香川県立中央病院脳外科集中治療室に入院した母が翌々日に意識不明になった時のことを思い出した私は、胸が熱くなりました。



「もう、意識不明で洋子じゃないんだよ。呼吸が出来ないので人工呼吸をしているんだよ。」



まさしく、私があの時、意識不明になってしまった母に対して感じたこと、そのものを、長門裕之さんが、とつとつと話していました。



これは、ずっと介護してきた肉親でないと感じないことです。介護していない家族や親戚でも、絶対に感じない、心の痛みなのです。



母が意識不明になったとき、私は脳外科部長の松本先生に叫んでいました。



「母はここにいるんでしょうか。自分が誰でどこにいるかも自覚していない状態なんですよね。人間が生きているってどういう意味なのですか。」



松本先生は温かくおっしゃいました。



「今、お母様は幸せに眠っていらっしゃいます。骨粗しょう症の痛みも何も感じないで本当にゆったりと休んでいるのです。」



隣にいた弟、翌日に来た東京の叔母、は、私を励ますことだけをしていました。私は、何を余計なことをしているんだ、と苛立ちました。



しかし、私の中学、高校の同級生で、母の主治医だった、番町大林病院院長の大林君だけは、わかってくれました。



「岡田君、何も言わないでいいよ。わかるよ。」と、ただ、ぼくの背中をポンポンと叩いてくれました。



彼はその少し前に、介護していたお母様を亡くしていました。



私は、長門裕之さんの気持ちが痛いほどわかりました。



しかし、これを紹介している、ワイドショーの司会の女は、全くの阿呆でしたね。



もし、亡くなっていたら、「ご冥福をお祈りいたします。」と言えるのですが、言うボキャブラリーがないので、長門裕之さんが明治座で座長をしているので、頑張って欲しい、などと言っていたのです。余計なおせっかいですよ。そんなこと言われなくても、長門裕之さんは頑張っていますよ。今、あなたが報道しているのは、南田洋子さんが意識不明であることなんですよ。本当に、アラフォーらしき、キャリアウーマンのキャスターは、感受性の全くない動物ですね。



きっと心の中では、「死ぬのなら死ねばいいのに、南田洋子さんは中途半端な状態だわ。あたくしが綺麗にテレビに映らないじゃない。ムカつく女だわ。」などと思っているのでしょう。



南田洋子さんは、76歳、私の母が亡くなった齢です。奇跡が起こることを願っています。



掲載写真は、老老介護中の、長門裕之さんと南田洋子さんご夫妻、です。










「こだわり麺や・高松支店」・・・・・遅い朝ごはんは、やはり、ここのタイムサービスのかけうどんがベストですね。5

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今日は、昨日の夜、作曲で遅くまで起きていたので、朝ごはんが遅くなったので、「こだわり麺や・高松支店」のタイムサービスのかけうどんをいただきました。



「こだわり麺や」は、丸亀市で出来たセルフうどん店ですが、接客サービスが、香川県内ではナンバーワンです。



というのも、ベンチャーとして立ち上げた30歳になったばかりの若者の人格が優れていて、20歳代の性格の素直な正社員で固めている会社だからです。



若者がベンチャーで立ち上げた讃岐うどん店は、現在、香川県内にたくさんあります。



それぞれ、特色があるのですが、「たもや」のように、いずれ独立して自分のお店を開きたいと思っている若者ばかりを採用しているところが多い状況です。



が、本当にいい企業というものは、トップの性格が優れていることに基づくリーダーシップに魅かれて、従業員が集まって来て、トップのリーダーシップが優れているので、独立をやめて、リーダーと一緒にずっと仕事を続けたい、と全従業員が考えを改める程度の魅力を持った人が、社長でなくてはならないのです。



誤解していただきたくないことは、トップに必要なものは、人を惹きつける性格のリーダーシップであって、カリスマ性や高いキャリアなどという凡人でも手に出来るような簡単なものではない、生まれ持った才能だということです。



かつて、創業時の、松下やホンダのトップを見れば、生まれ持ったリーダーであることは明らかで、セブンイレブンの創業者とは決定的に違う先天的なリーダーの素質を持っていることは明らかですよね。



たぶん、文部科学省の行った日本の義務教育における、人格の均一化という教育方針と、受験戦争という下らない世界の確立がいけなかったようで、かつての、創業時の、松下やホンダのトップのような人物はなかなか突出しない世の中になってしまいました。



飲食業界は松下やホンダのようなメーカーと違うので、私も、そこまでのリーダーシップのある社長はなかなかいないだろうと思っていました。



が、「こだわり麺や」の若い創業社長は、間違いなく松下幸之助に匹敵する生まれ持ったリーダーシップを持っているので、久々に香川県が生み出した、傑作企業だと、私は思っているところです。



が、私よりも先に、日経新聞高松支局がこのことに気づいたため、「こだわり麺や」の若い創業社長は、現在、商工会議所の講演会などで、ひっぱりだこになってしまっています。



従業員の言葉遣いやお辞儀の角度などは、讃岐うどん激戦区の高松市内ですから、どの店も出来ていてあたり前なのですが、「こだわり麺や」の高い品質の接客サービスの特徴は、顧客に対する日常的な思いやりです。



人気の高いセルフうどん店ですから、子供からお年寄りまで、いろんな年代の人達がいらっしゃるのですけど、お盆に載せたものがたくさんで重そうにしているお年寄りがいたら、カウンターの中から、すぐに20歳代の若い従業員が飛び出してきて、「お席までお持ちいたしますよ。」と、対応しているのです。



また、食べ終わった後、お盆を返却口に持ってゆこうと立ち上がった時に、従業員の若者がそばを通りかかったら、「どうも有難うございます。私がお持ちいたします。」と、受け取ってくれるのです。混雑していても、このあたりが徹底しているのです。お店の中のレイアウトも通路を幅広く取っていて、お客さん二列と従業員、計3列の幅をキープしています。



さらに、天かすとネギは取り放題で、置いているのですけど、心憎いことに、子供用のスプーン2本と大人用のスプーン2本を添えているのです。小鉢類もたくさんあるのですけど、ドリップ珈琲の横には、本日のケーキ、本日のパフェ、まであるので、とてもゆったりした気分になれるように配慮しています。



中で働いている人を数えると、セルフうどん店としては非常に多いのです。中で働く従業員に一番投資している会社だということはすぐにわかります。



接客サービスの点では、この「こだわり麺や・高松支店」の近所のセルフうどん店「竹清」「さか枝」「まるいち・郷東店」等とは、歴然とした差があるのですが、こうしたサービスが日常的な空間なのです。



アルバイトと派遣だけでやっている、「はなまる本店」などは、サービスの悪さに加えて、うどんの不味さも加わるのですから、勝ち目は無いですね(笑)。



まさしく、「企業は人なり」ですね。「こだわり麺や」は、商店ではなく企業ですので、もし、明日、創業社長が急死しても、100年間は続くだろうと、私は断言します。



掲載写真は、今朝のサービスタイムに訪れた「こだわり麺や・高松支店」でいただいた、『冷たいかけうどん・2玉、温泉卵載せ』『白身魚のフライ』『揚げたてのナスの天麩羅』(しめて510円)、です。



帰りしな、またまたいつものように、通路を歩いていた若者の従業員が、私の持ったお盆を受取って下さったので、



「どうも有難う。ごちそうさま。美味しかったよ。」と言うと、私の目をしっかり見ながら



「またのお越しをお待ち申し上げております。有難うございます。」



と言って、見送って下さいました。相手の目を笑顔で見ながらの、この最後の挨拶も、ポイント高いですね。



「相手の目を笑顔で見ながら御礼を言うということは、マナー上、若者にだけ許される特権なんだよな。」と、思わず自分の年齢を感じながらも、たくさんの勇気を彼からもらったような気持ちで店を後にしました。


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『88うどん 高松本店』・・・・・ものすごいエビの天麩羅です。5

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先日、このブログでもご紹介した『88うどん 高松本店』(住所 香川県高松市常磐町1-9-3 内井ビル 1F  駐車場なし  TEL 087-831-8806  営業時間 10:00〜18:00  定休日 月曜・祝日)は、やはり、素晴らしい、うどん店でした。



初めて行った時は、冷たいかけうどんをいただき、このお店が、全盛期の『かな泉』系(つまり、『もり家』と同系列)であることを確認したのでしたが、その時、メニューで拝見したところでは、エビの天麩羅が素晴らしいと思い、二回目は、その系統のうどんを食べに行きました。



その時には、奮発して、一番高い看板メニューの『88エビ天ぶっかけスペシャル』(880円)を注文しました。そして、約30cmの有頭エビの天麩羅が載っているので、びっくりしました。



素晴らしく美味しかったので、当然、おなか一杯になり、大々々満足しました。



880円と言っても、このエビの天麩羅はすごいです。こういうのいただいていると、高価な、天麩羅専門店に食べに行くのはバカバカしくなりますね。



やはり、高松は、うどんの天下なんだな、って再確認してしまいました。



他県から、讃岐うどん行脚にいらっしゃる皆様も、ここ『88うどん 高松本店』の、『88エビ天ぶっかけスペシャル』(880円)は、是非、食べて下さいね。



こんなに美味しいエビの天麩羅は、なかなか、食べられませんから。



それと、一緒に載っている、野菜の天麩羅も抜群に素材が新鮮なので、甘みがあって、素晴らしい、天麩羅のハーモニーと、本来の『かな泉』直伝の素晴らしいこしのうどんを一緒に楽しめるのですからね。



『88エビ天ぶっかけスペシャル』(880円)をいただきながら、2年ほど前に上京した際に、銀座近辺でいただいた、あまり美味しくない1200円もする喫茶店のランチ(東京銀座あたりでは、大体の喫茶店のランチがこの価格でした。)を思い出して、銀座界隈のサラリーマンは、なんと貧しい昼食を食べているのだろうと、気の毒になっちゃいました。



こういった、高松市内における、讃岐うどん店の状況というものは、弘法大師が唐の国からその原型を郷里の香川県に持ち帰った、平安時代の1200年前からの、長い歴史によって作られたものなのですから、江戸時代以降の短い歴史しかない東京においては、絶対に実現できないものだと再確認しました。



讃岐うどんは、名物ではありません。資本主場時代になる前から営々と続いている偉大な文化なのです。こういう状況は、資本主義時代になってから幅をきかせた程度の、お金のようなものでは、絶対に、実現不可能なのです。



六本木ヒルズ族の皆様は、もし、讃岐うどんを食べるのならば、その前に、讃岐うどんの歴史を勉強して欲しいですね。だって、讃岐うどんの発祥は、弘法大師が遣唐使で出身地の香川県にその原型を持ち帰ったことなのです。M&Aを教えている、スタンフォード大学なんかじゃないのですからね(爆)。



「温故知新」に基づいて考察するなら、次のようになります。



今はやりの、携帯電話が、1200年後にどうなっているのかを予測できますか? 出来ないでしょう。



しかし、讃岐うどんは、香川県で1200年前に始まって、1200年経過した今日の現状になっているのです。



予測は予測に過ぎません。しかし、長い年月をかけて実現してしまった厳然たる事実は、絶対に覆せません。歴史の重みとは、そういうことを指すのです。



私は、讃岐うどんが大好きなのでよくいただきますけど、美味しい、安い、早い、エッジが立っている、咽喉越しがいい等という生理的な自分の都合だけで評価出来ないです。



美味しい讃岐うどんを食べながら、その長い歴史、つまり、数え切れない多数の人達が生まれて生きて亡くなったことの積み重ねの、香川県の歴史に思いをはせて、自分もその後に続く、香川県人なんだということに、無上の喜びを感じるのです。



掲載写真は、讃岐うどんを郷里の香川県に持ち帰った、弘法大師の像です。ぼくがこの像が好きな理由は明確です。この弘法大師の目は、カメラ目線なんかじゃないのです。空を見つめています。偉人の見る方向は、麻生やら小泉なんかの凡人とは全然違っているのですね(笑)。



自分が偉人になれなくても、こういう偉人が何を見ていたかという歴史的事実は、必ず心にとどめておきたいと思っています。



それが自分の役に立つとか立たないから、なんて理由でそうしているのじゃないですよ。



その方が、人間らしいからです。なぜなら、歴史というものは、西暦何年に何が起こったという知識の断片を覚えることじゃないのです。長い長い時間の間に、数え切れない過去の人達が、この世に生まれて生きて亡くなっていったことの集積に思いをはせることなのです。



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“Friends of the Earth”5

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母の三回忌を終えて、世の中は、ますます、変貌してきました。


しかし、J.S.バッハの『マタイ受難曲』のように、全く変わらない普遍的な音楽芸術もあります。


今後は、この、普遍的なものをしっかりと腹に据えて、毎日変貌する世の中の常識を見てゆくバランス感覚が重要になると思っています。


私は、母の死を経て、人間の無常観をしっかりと認識いたしました。


もちろん、急に大切なものを失ったことのない人には、理解できないことだと痛感しています。


「お母様が亡くなったことはとても悲しいことですね。」なんて感想を平気で私に投げかけるような人間愛の希薄な人にはわからないことだと思っています。


そして、有限な生存期間を生きているにすぎない、自分自身のちっぽけさを感じる時、この世で出会う、全ての、“Friends of the Earth”との『一期一会』を大切に生きたいと思っています。


さらに、上述の言葉の、“Friends of the Earth”の中の、“Friends”には、年齢、性別などは、全く関係ないと思っています。


なぜなら、人間というものは、100年前後生きているちっぽけな存在だからです。


その短い期間の中で、10年や20年長く生きていることに基づく、先輩だ後輩だ、という礼節は必要だけど、生きている時間の密度を考えると、そのような年功序列に拘ることは、全くナンセンスだと感じています。


母の死を契機に私が痛感した無常観 は以上のようなものです。


これがまさしく、 真のヒューマニズム だと確信しています。


掲載写真は、14年前の高松へのUターン直後、母とお花見に行った、高松の公渕公園(きんぶちこうえん)でのショットです。


私は基本的にヒューマニストなので、この世で出会う周囲の人達を嫌いになることが出来ませんでした。しかし、母が寝たきりだった晩年、私のホームページ「K.OKADAワールド」が、2ちゃんねるネットウォッチ板の心無い連中の標的にされたことから、毎晩のようにいたずら電話が朝の4時ころにかかってきて、寝たきりだった母を苦しめました。2ちゃんねるネットウォッチ板に集まった人達は面白半分にやったことなのでしょうけど、これは、確実に私のたった一人の母の死期を早めることになりました。従って、この連中だけは、私は、絶対に許しません。


「覆水盆返らず」です。


私のホームページにいらっしゃる方は、このあたりについて十分なご理解を賜りたいと思っております。

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『個人の尊厳>表現の自由』5

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今回は、人間として生きるにあたって、ごくあたり前の鉄則の標記の不等式のことを書きたいと思います。



こういうウェブ上で日記を書いて、人と人が出会うことがこの先も増えてゆくんだろうな、と感じていますけど、この不等式が逆転している人が生息していることが、ウェブ上のコミュニケーションの全ての弊害になっているようですね。



SNSに入って3年くらいになりますけど、「リンク先は会ったことのある人だけ」と書いて広がりを拒否している人もいますし、本名、住所、携帯電話番号等をご案内しているぼくに、「そんな危ないことはやめた方がいいですよ。」と注意くださる方もいらっしゃいます。



きっと、そういう人達は、過去に、ウェブ上で嫌な思いをされたことがあるのだろうな、って感じるたびに、どうして、人間は、わずか100年前後生きているだけのちっぽけな存在なのに、そんな風に憎しみあったり、お互いの足を引っ張っぱり合ったりするんだろうな、っていつも感じてしまいます



『表現の自由』って書くと、全てが許される大義名分のように読めますけど、これは、つきつめれば、エゴイズムという、人間の煩悩の一つでしかないのです。もちろん、自己表現をしたくても出来なかった時代が、差別が日常的だった、民主主義社会になる前の時代にあったという歴史的事実がありますので、『表現の自由』はとても大切なことです。



しかしですね、『個人の尊厳』というものを凌駕するほど大切なことではない点を忘れてはならないと思うのです、ぼくは。



『表現の自由』を声高に主張して、自己表現する人達は、まず第一に、この世で生きている人間の数だけ個性がありますから、『表現の自由』のもとに「自己表現」をする場合でも、それを受け取る人たちにも『表現の自由』があるんだ、ということ、自分が自己表現したい気持ちに対するものと同じだけの敬意をもって、他人が自己表現したい気持ちを思いやるという大前提に立脚していないといけない、ということです。この前提を崩して『表現の自由』という大義名分のもとに「自己表現」する人達は、ぼくに言わせれば、ただ、煩悩に振り回されているだけの、気の毒な生物だと思います。



『個人の尊厳』は全ての生きる人間が当然に持っているのですから、これを汚すような表現は絶対に許されないのです。



匿名の掲示板やSNSに見られる、ハンドルネームがなかったらコミュニケート出来ないウェブ上の状況は、実に嘆かわしいことです。なぜなら、ハンドルネームのようなものは、『表現の自由』によって脅かされるかもしれない自分の『個人の尊厳』をガードする、防波堤に過ぎないからです。



万物の霊長たる人類が、防波堤がないと生きてゆけないとは、何と情無い懐疑心に満ちた殺伐とした世界だろう、ってぼくは思っています。



ウェブに参画する全ての人類が、『個人の尊厳>表現の自由』という、鉄則の不等式を認識していれば、そのようなものは一切無用なのです。



掲載写真は、ぼくが一番尊敬する作曲家、J.S.バッハです。ご高承のように、300年以上前にJ.S.バッハが作曲した「マタイ受難曲」は、世界中の人たちに時間を超えて愛されています。「音楽の父」という彼の称号は後から結果としてついてきたことにすぎないのです。彼が、「音楽の父」という称号が欲しくて作曲をして自己表現したのではないことを、『表現の自由』をふりかざして他人の『個人の尊厳』を踏みにじるような表現をしている人達は、全員、認識して、自分の愚かさと小っぽけさに気づかないといけません。

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「おいで MY フェスタ 2009・チャリティコンサート」のご案内5

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「おいで MY フェスタ 2009・チャリティコンサート」について、ご案内いたします。



日時;2009年4月19日(日)の午前10:00〜午後17:00

場所;「サンポート高松・シンボルタワー・1F展示場」
(地図URL;http://www.sunport-hall.jp/shisetu/access.htm

入場無料




プログラム;

<午前11:00〜11:30>


岡田克彦編曲:オープニングミックスメドレー OP.128
ミスティー(ジャズ) 〜 映画「ディアハンター」のテーマ 〜 トロイメライ(シューマン)
 〜 浜辺の歌(唱歌) 〜 幻想即興曲(ショパン) 〜 涙そうそう(夏川りみ) 
〜 リンゴ追分(美空ひばり) 〜 別れの曲 OP.10-3(ショパン) 〜 手紙・・・・・拝啓 十五の君へ(アンジェラ・アキ)
 〜 ハナミズキ(一青窈・ヒトトヨウ) 〜 ノクターン OP.9-2(ショパン) 〜 Everything(MISIA)


J.S.バッハ:平均律 第1巻 24番 フーガ ロ短調
〔ピアノ;岡田克彦〕

香川県とコラボ共演者について、MCとトーク

せとちとせ作詞作曲 岡田克彦編曲「讃岐ブギウギ」
〔ボーカル;せとちとせ 津軽三味線;筒井茂広 ピアノ;岡田克彦〕




<午後14:00〜14:10頃>

岡田克彦作曲:津軽じょんからのテーマによるファンタジー OP.129
〔津軽三味線;筒井茂広 ピアノ;岡田克彦〕
(書道詩人てらきち氏の書道執筆パフォーマンス付き)




<午後16:00〜16:30頃>

正調・一合まいた(高松の民謡)(ピアノのアドリブ入り)

せとちとせ作詞作曲 岡田克彦編曲「讃岐ブギウギ」
〔ボーカル;せとちとせ 津軽三味線;筒井茂広
ピアノ;岡田克彦〕


詳細は、下記URLに掲載しています。

http://ww6.enjoy.ne.jp/~hikohiko32/

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『大阪でタイムスリップ』5

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大阪出張から帰ってきました。去年の9月に母が亡くなるまでの5年間は、介護のために遠方に行けませんでしたけど、今年の5月の連休に母の納骨にお墓のある川崎へ行って、京都西本願寺に分骨するために出向いたのが久方ぶりの本州でした。



が、まぁ、納骨とか分骨は、親戚も一緒ですから、自分一人で東京や大阪の町を歩いたりする余裕は全くありませんでしたし、ぼく自身もそんな気にはなれませんでしたので、今回は、大阪の町を堪能出来たと思います。



1989年〜1994年の5年間(32歳〜37歳の時)、四国高松にUターンする直前まで、ぼくは、住友信託銀行の淀屋橋の本店と千里中央の業務管理部に勤務していて、宝塚の独身寮に住んでいましたので、大阪の南のよほど辺鄙なところでなければ、大体の土地感はありますので、中之島に泊まっていたので、難波で研修が終わったら、相変らず難波の高島屋は汚なかったし、ランチを食べた難波あたりの喫茶店のウェイトレスのサービスは、本当に南だな、って感じるくらいあつかましかったし(笑)、南海が頑張って作ったナンナン地下街あたりの猥雑な雰囲気は相変らずだったので、さっさと心斎橋から北の方に戻って梅田界隈をブラブラしたりして、本当に久しぶりに大阪のテンポで歩いたので、高松に帰ってから、足腰が痛みました(笑)けど、楽しかったです。



西梅田から肥後橋一帯はだいぶいろんなビルが出来ていましたけど、そんなに変わったような気はしませんでした。地盤沈下している欠陥ビルの、JRの第一ビルから第四ビルはまだありましたし(笑)、ドーチカ、ホワイティー梅田、阪急三番街もあって、少なくとも高松よりは機敏な人(つまり、イラチな人〔笑〕)も歩いていました。



阪急東通り商店街近辺にはお気に入りのお店もいくつかありましたので、晩飯をどこで食べるか、大体決めていたのですけど、突然知らないお店に入ったり出来たのが楽しかったです。思い起こすと、高松には、こんなにたくさんのお店はないので、長く田舎にいると、周囲が全部知っているお店になってしまって、緊張感がなくなっていけないなぁ、って感じましたね(笑)。



11月24日(土曜日)の夜でした。午後3時に研修が終わったので、ちょっと御堂筋あたりを散歩してチェックしてから、今夜は、阪急東通り商店街あたりで夕食を食べようと歩いているうちに、奥の場末の路地を曲がったところに、その居酒屋はありました。入口でおでんを炊いているので、既に、大阪らしい雰囲気がただよっていました(笑)ので、ふらーっと入ったのです。止まり木のカウンターに腰かけて、焼酎を頼んで、メニューがないので聞いたら、おばさんが、「こっち。」と指差したところに、『本日のおすすめ』という貼り紙がしていろんなお料理が書かれていて、カウンターの横にはにはいろんなお惣菜が並んでいました。



『牡蠣のホイル焼き』『サトイモの煮物』『ほうれん草のおひたし』を頼んだら、『京なすの田舎煮』というのが隣に書いてあったので、どうして、京なすを田舎風の煮物にするのか、って可笑しくなったので、それも注文しました。(ぼく、笑い上戸なので、アルコールが入ると全てが可笑しく楽しくなってしまうのです。)そして、出てきた、『牡蠣のホイル焼き』と『サトイモの煮物』が抜群に美味しかったので、



「素晴らしいや。この煮物はただ事じゃないし、牡蠣も抜群に新鮮だなぁ。よかった、いいお店に入って。」



と、大阪のこういうところで、一番有効な東京の共通語でおばさんに言いました。すると、予想通り、ぼくの左隣に座って飲んでいた、大阪の、たぶん、団塊の世代らしいおじさん二人連れの一人が、



「美味しいでっしゃろ。この店の姉ちゃんは働きもんですさかいな。あんさん、東京でっか。」



と話しかけて来ましたので、「はい。でも、郷里は、四国の高松なんです。」と、いつものように答えましたら(笑)、「そうでっか。さぬきうどんはよろしおすな。」と、会話が始まりました。



そのおじさんたちは、コテコテの関西弁で、大阪市長を批判していました。何でも、御堂筋をくわえタバコで歩いていると2000円の罰金を取られるという条例が大阪市議会で通ったのだそうで、えらく怒っていました。



「先程お話されていたこと聞かせていただいたんだけど、本当なのですか、御堂筋でくわえタバコが2000円の罰金って。ぼく、14年前まで、関西に住んでたのでびっくりだな。」



「そうでっしゃろ。わしらはみんなを肺がんにしてやろう思うて吸いよんちゃいますがなぁ。」



「本当に、タバコの好きなぼくらは肩身の狭い世の中になりましたね。でも、あまり、禁煙させてばかりいると、ますます人は長生きしますから、高齢化が進みますよね。早くあの世に行かれた方がいい人も多くいらっしゃいますのに(爆)。」



等と適当なことを言って笑っておしゃべりしてたら、お店のおばさんも加わってきて、賑やかになりました。



「それはそうと、あの、美しくない府知事はちゃんと仕事なさってらっしゃいますか。ブサイクなんだから、せめて、仕事だけはちゃんとやってもらわないといけませんよね。」



等々、いろんなお話をしているうちに、お二人ともご商売をされていて、その関係で、癒着している大阪市議会議員の一部と大阪市長の仲が悪いこと等が判明しました。



まぁ、どーでもいいことなんだけど、こういう出会い方が、大阪では可能なので、この点だけは、東京よりも人間臭くてぼくは好きなのです。



で、その居酒屋に飲みに来ているいろんな人たちをぼくは観察していました。むすっとして飲んでる人、人生に行き詰まった顔をしている人から、ガヤガヤと喋りまくっている人までいろいろで、このバリエーションの豊かさは、高松とは比較にならないくらい、いっぱいでした。



こういう環境にいると、ぼくは、次第に、タイムスリップしてしまい、郷里に帰る前の30歳代に戻ってゆくんだけど、今回のこの端緒は、この場末の居酒屋でした。しめは、美味しいネギ焼きとたこ焼きをいただいたので、またまた食べ過ぎてから(笑)、お店を出ました。



掲載写真は、宿泊したリーガロイヤルホテルが経営している『ホテルNCB』ラウンジのクリスマスツリー、です。

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『自己表現と弱者への思いやりの狭間で』・・・・・心身障害者小規模作業所『にしき工房』5

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ぼくが現在やっている仕事の「経営コンサルタント」は、一言で「経営コンサルタント」と言っても、いろんな領域があります。



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早稲田大学政経学部に1975年にぼくが入学した当時からマンモス学部でしたので、大学3年になる前の大学2年生の後期に、3年生になった暁に、入りたいゼミに入る試験を各研究室が掲示板に張り出していて、それを受験したい学生を募集していました。大体、学生の三分の一しか研究室には入れませんでした。それくらい学生数が多く、教授の数が足りなかったためです。このとき、ぼくが一番気に入ったのは「堀家教授のゼミ」の募集要項でした。「一緒に経済英書を読むので、試験内容は、英語だけです。」の一言でした。



そして、2年生の後期の終わりに、英語だけの試験を突破して入った「堀家文吉郎教授研究室」で、3年生と4年生の2年間金融論とケインズ経済学を専攻しましたが、ケインズの書いた代表作『一般理論』を仲間と一緒に立ち上げたサブゼミで、研究室の仲間と一緒に英語で書かれた原書で精読することによって、ケインズが伝えたかった本音の中に、ケインズの持っていた、『審美眼』というものを感じ取れたことが、最大の収穫だったと思っています。



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当時の就職活動は随分のんびりしていて、昭和53年の大学四年の10月に会社訪問が解禁になったので、丸の内界隈を会社訪問しましたけど、ぼくは、都市銀行には絶対就職したくなかったです。まだ、金融機関同士の垣根が明確だった当時でしたので、いろんな金融機関を調べた中で一番気に入ったのが信託銀行のやっていた「他益信託」でした。



堀家先生の研究室は、金融論とケインズを専攻するゼミでしたので、大手都市銀行、大手信託銀行、大手証券会社の人事部長が9月に研究室にいらっしゃって、会社説明をして会社概要を全員に配って、10月には是非、我が社を訪問してください、と説明してくれました。



ぼくは、もうその頃から、相手の人間を見て自分で判断して動いていたようで(笑)、富士銀行の人事部長はひどく部下を痛めつける人だと直感し、野村證券の人事部長は金の亡者の極道だと思いましたので、どちらもひどい会社だと思いオミットしました。



が、住友信託銀行の人事部副部長の吉村さん(当時、人事部長が、住友家の跡取の住友さんでしたので実質副部長が仕切っていたのです。)は、素晴らしい方でした。現在は、住友信託銀行の子会社の研修会社の社長をして、経営コンサルタントをしていますが、当時から、素晴らしい感性の方でした。彼は会社の説明もそこそこに、こう言ったのでした。



「私のようにサラリーマンになってずっと働いていると、時々、若かった頃豊かだった感受性を失ってしまっていることに、いつも気づくのですよ。皆さんも大学を卒業して社会人になって社会にもまれても、自分の感受性は絶対に失わないようにして下さいね。」



もう、その瞬間、ぼくは、吉村さんに惚れてしまいました。彼と一緒に仕事をしたいと強烈に思ったので、吉村さんが帰ったあと、堀家先生に、



「ぼく、10月になったら、住友信託銀行に会社訪問したいです。」と言いました。



先生は、「そうか、決断が早いね。じゃあそうしなさい。」と言って、



「私が見たところ、住友信託銀行は、まだまだ中小金融機関だから、今君が入社しても最初は苦労するかも知れんけど、絶対に大きくなると思ってるから、頑張んなさい。今回、私の研究室に説明に来たいと言ってきた金融機関では、一番小さいところだけど、OKしたんだ。」と言ってくれました。



しかし、ゼミの仲間からは、非難ゴウゴウでした。特に、日経新聞に入った、平野君なんかは、



「岡田君はピアノばっかり弾いているから会社の調査が不足している。住友信託なんて総資金量が日本でまだ21番目の小さい所だってこと、知ってるのか。都市銀行が嫌で長期の金融機関に行くなら、長銀か興銀にしなさい。あそこも説明に来てくれてるじゃないか。」



さすがに、ぼくはこの言葉には、頭にきたので言い返しましたよ。



「平野君、他益信託のこと知ってるの。本来の信託契約のことだよ。本来の信託契約は、預金を預ける人と利子を受け取る人が別になっている三者契約なんだよ。今の日本では税法上、民間や個人同士で、この契約を結ぶと贈与税がかかるけど、非課税法人が受益者になれば、贈与税がかからずに、預けた預金の利子を全て、その非課税法人に寄付できるんだよ。この他益信託制度が素晴らしいとぼくは思ってるんだ。信託って制度は、うまく活用すれば社会貢献できる素晴らしい仕事だよ。」



で、彼は、他益信託のことを知らなかったので、ぼくは、ホワイトボードに、受益者、受託者、委託者の三者契約の信託契約の図面を書いて説明しました。



「同じ長期の金融機関でも、長銀や興銀のような発券銀行と信託銀行では全く違っているんだよ。大体ね、債券を発行するなんてろくなもんじゃないよ。債券なんて借金の証文だろ。そんなものに関っている、発券銀行も証券会社も全部ひっくるめてぼくは大嫌いだ。総資金量は毎年変わるんだよ。10年後にどうなってるかわからないからそんなもので会社を判断しちゃダメだ。大体さあ、あの野村證券の人事部長なんてヤクザだよ。うちに入社したらお金持ちになれます、何て言ってたじゃない。ぼくらは乞食じゃないんだよ。ひどいと思わなかったか。」



と言い返すと、さすがに、平野君も、



「ああ、野村のあいつだね。あいつは極道だ。ろくな死に方しないよ。」



と言ったので、またまた、大騒ぎになりました。



というのも、同じゼミの佐藤君と宮本君が、野村證券に会社訪問することを決めていたからで、冷徹な佐藤君は、



「平野君が『極道』という日本語を勝手に振り回したり、岡田君が『乞食』という日本語を勝手に振り回すことは、ぼくらの研究室の恥になる。」



と、言って、三菱銀行に会社訪問することを決めていた渡辺君も、第一勧業銀行に会社訪問することを決めていた内山君も同意したので、またまた、平野君が、爆弾発言をしたのでした。



「三菱なんて、日本政府の腰巾着だ。佐藤君は政府の手下になるんだな。一勧はセブンイレブンだぜ。朝の7時から夜の11時まで働きづめになるんだろうな。ご苦労様。」



と言ったので、研究室が騒然となりました(笑)。



で、ちゃきちゃきの江戸っ子の堀家先生が、一言、怒鳴ったのでした。



「てめぇらが、どこに就職してどう生きるかなんて、俺の知ったことじゃねぇ。自分の好きなように生きろ。俺は必要な情報を提供しているだけだ。」



ぼくは、堀家先生のこういうところが大好きでした。



当時、堀家ゼミは、早稲田大学政経学部経済学科の三大ゼミの一つでしたが、あとの二つの、小松ゼミと伊達ゼミは、先生が就職の世話までしていましたので、それを目的に研究室に入る学生が多かったのですけど、堀家先生は全然違っていて、就職の面倒見なんて一切しませんでした。



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こうして、昭和53年10月1日、ぼくは、丸ノ内の住友信託銀行本店に向かったのでしたが、本当に、のんきだったのですね(笑)。住友信託銀行に行く途中に、東洋信託銀行(今のUFJ信託銀行)の本店があってあまり混んでなかったので、信託銀行を回るつもりだったので途中、寄り道をしてしまったのでした。



そして、東洋信託銀行の面接官に、今から住友信託銀行に行く途中で立ち寄ったこと、他益信託の仕事をしたいので、信託銀行ばかり回るつもりだということを、真っ正直に言ったら、面接官の顔色が変わり、奥の部屋に通され、人事部長面接をされました。今にして思うと、即決だったのでしょうね。人事部長と面接した最後に、



「これが、私共があなたに示すことのできる、唯一の気持ちです。」



と言われて、隣の部屋に通されました。そして、びっくりしたのですけど、血液検査をするということで、血をとられたのでした。



昼前になってしまいましたので、ご飯を食べようと思って地下街に下りる階段の途中で、同じ堀家ゼミで親しかった近藤君(今は、日経新聞の証券部長をしています。)とバッタリ出くわしたので、一緒に昼飯を食べて喫茶店でダベってしまいました。



「岡田も丸ノ内に来てるんだな。住友信託どうだった。」



「それがさぁ、途中で東洋信託に寄り道したから遅くなっちゃってさぁ。昼から行くよ。」



「それはいかんぞ。最初に行きたいところに行かんと、誠意を疑われるぜ。」



「だって、東京海上の前、ものすごい行列だったじゃない。どうせ、ぼくら学生はワンノブゼンだよ。」



「俺さ、あそこに並んでたんだぜ。疲れたよ。参ったぜ。明治大学の体育会系の奴が隣でうるさくてさ。」



「アハハハ・・・。声が大きければ採用されると思ってるのかな。お疲れさん。」



「でもさ、堀家先生のことだから、絶対に、住友信託には電話入れてくれてるはずだよ。」



「そうかなー。」



「お前なぁ、堀家先生、口ではああ言ってるけど、結構、面倒見のいい先生だぜ。どうして会社訪問が午後になったのか、言い訳考えて、住友信託へ行けよ。」



こうして、住友信託銀行本店についたのは午後3時前でした。近藤君の言ったとおりでした、吉村副部長が出てきたのでした。そして、幾分怒った表情で、



「随分、ごゆっくりいらしたんですね。どこかほかを回られていたのですか。」



と、聞かれたので、言い訳なんて考えていなかったので、正直に全部お話して、東洋信託銀行で血液検査をされたことを言いました。



この瞬間、吉村さんの顔がプロの厳しい表情に変わりました。すぐに秘書の女性に電話機を持って来させて、



「岡田さん、この電話で、すぐに、東洋信託銀行の人事部長に、お断りのお電話を入れて下さい。今、住友信託銀行人事部から電話しています、と、正直に全部言いなさい。」



と言われましたので、電話しました。ぼくはすごく嬉しかったのです。内定確定だと思ったことなんか、どーでもよかったのです。そんなことよりも、大好きな吉村さんに命令されたことが、ものすごく嬉しかったのです。



電話がすんで受話器を置くと、吉村さんは、ぼくの大好きなたまらない笑顔に戻っておっしゃいました。



「嫌な思いをさせてごめんなさいね。でも、きちんとするべきことはしておかないといけないですからね。でもねぇ、通り道にあったからといって、弊社に来る前に東洋信託に立ち寄るなんて、君って、本当に面白いな。のびのびと生きて来られたのですね。本当に来てくださって有難う。」



こうして、入社が内定しました。隣の部屋に、当時住友信託銀行の人事部長をされていた、今の住友家の頭首の住友さんがいらっしゃって通されて握手してお話しました。でも、住友さんは、九谷焼のお話しかされませんでしたので、びっくりしたものでした。



夕食は、大好きな吉村さんが一緒に連れて行ってくれて、うな重をご馳走してくれました。



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卒業論文は、ロイド・メツラーの利子論にしました。ロイド・メツラーがケインズの師匠で、ケインズが、ロイド・メツラーから少なからず審美的なものの見方の影響を受けていたからで、国会図書館でロイド・メツラーの英書を読んで、(当時はワードなんてなかったですから)原稿用紙100枚以上に書いて提出しました。こういう現実離れした視点の卒論は初めてだったようで、堀家先生も驚かれていました(笑)。



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もちろん、住友信託銀行に入ってから、20歳代前半に、先輩に営業の仕事を叩き込まれましたし、自己啓発の勉強も大変でした。でも、ぼくは、我慢したことは一度もないのです。



そのわけは明白で、大好きな先輩もこういう時期を乗り越えたんだと思うことが一番励みになったからです。大好きな先輩の言う「がんばれよ。」の一言は、ぼくにはものすごい活力を与えました。もちろん嫌な上司もいましたけど、そういう人に頼らなくてもいいくらい、いい先輩がいっぱいいましたから、いやな上司の愚痴をこぼしたりせず、一切を無関心で通しました。



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当時まだ会社組織に色濃く残っていた、年功序列は、とても居心地のいいものでした。



信託銀行でいろんなお客様の相続、遺言などのお手伝いをして、良好な人間関係を崩す最大のものはお金だと思いました。もちろん、飢え死にしないだけの最低限のお金は必要ですよ。でも、必要以上のお金を使って、高価な買物をしたり、法人や人を支配したりして満足するなんてのは、ただの自己満足で、しかも自己満足にしか終わりません。自己満足をするのならば、自分の心の叫びを芸術作品に昇華して、周囲の人に感動を与えることが出来るかもしれない芸術に自己満足すべきだと、ぼくは思ってます。



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音楽の世界でのプロとアマの違いは、お金が動くかどうかだけのことです。



権謀術数を使えば、お金を動かすことは非常に簡単なことです、しかし、相手の心を動かすことは、お金では絶対に不可能です。



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従って、ぼくの仕事の、経営コンサルタントとしての得意分野は、人間の行動心理学にあります。



マインドコントロールではなく、科学的な手法です。基本は、下記の、クルト・レヴィンの行動心理公式にあります。



B=f(P,E)



B=人間の行動(ビヘイビア)



f=関数(ファンクション)



P=個性(パーソナリティー)



E=環境(エンバイロメント)



人間の行動は、個性と環境で決まりますが、環境が8割のウェイトを占めます。会社組織などの人間の集合体で一番の環境は、上司です、オフィスのエアコンの設定温度や清掃の状況なども環境ですが、そんなことよりも、上司の動き方、立居振舞、モチベートの方が部下にとっては環境として重いのです。ですから、新入社員研修は必要ですけど、それ以上に必要なものは、新入社員を指導する上司の研修なのです。



そして、こうした職場環境を改善するために、アクティブリスニングのスキル、交流分析(TA)、マイケル・マコビーの自己分析などがあるのです。



少子高齢化社会が本格的にはじまる前に、このあたりを、若い人たちに知っておいていただかないといけないのですけど、残念なことに、大学等では、行動心理学が文学部の中にあって、広く企業体で活動している人達が知らないことが問題だと思っています。



財務分析や税務関係のコンサルタントも住友信託銀行にいた経験で出来るのですけど、税務なんて(税理士の方には申し訳ないけど)過ぎ去った過去の結果を追いかけているだけなのです。将来への先行投資は、第一に行動心理学に対してなされるべきで、第二番目あたりが、財務分析だろうと思っています。



若い皆様は、既に、お気づきでしょうけど、近い将来、資格としては、社会保険労務士が税理士を凌駕することは目に見えていますね。なぜなら、前者が将来を、後者が過去を見る資格だからです。



一人の人間の生きる期間なんて短いものです。だったら、将来に希望を残して死にたいものですよね。



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4年前から一年間、ぼくは、藤本孝雄さんという、母が懇意にしていた、元、衆議院議員の先生の紹介で、Aという、高松の身体障害者の社会福祉法人で仕事をしました。



この時間は、ぼくにとっては、ものすごくいい勉強になりました。社会的な弱者が頑張って生きようとしているたくさんの光景に出会えました。



そして、健常者が社会的弱者に感じる感情は、絶対に、思いやりでなくてはならない、同情してはいけない、と思いました。第一、五体満足な健常者が同情できるわけないのです。



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人間は誰しも、自己表現したいし、する権利があります。



しかし、自己表現=自己顕示、では絶対にありません。



自己顕示は、「俺は、こんなにすごい奴なんだぞ、俺にひれ伏せ。」というものです。



全くナンセンスですよね。その方が素晴らしい人かどうかなんて、周囲の人にとっては、どーでもよいことなのです。第一、いっぱしの人間だ、と思っている人に、ぼくは質問があるのです。「『いっぱし』ってどんな意味ですか。」って(笑)。



だから、自己表現という言葉に騙されてはいけないのです。



自己表現は、自己呈示であるべきだ、というぼくの経営コンサルタント、兼、作曲家としての基本理念はここにあります。



なぜなら、その方の自己が優れていれば、自己顕示しなくても、自己呈示しただけで、十分感動は伝わって周囲の人達は認めるからなのです。



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昨今、流行りの、「勝ち組」「負け組」という言葉も、全く、ナンセンスな言葉ですね。大体、この言葉の語源は、統計学の標準偏差にあるのですから、個別に指定できるものではないのです。



「勝ち組」になって巨万の富を手にした人がいても、ぼくなんかは、たかが、お金が増えたんでしょう、それがどうかしましたか、と一笑に伏す程度のことなのです。それを何に使うかでその人を判断します。



まずは、社会的弱者に対してどうふるまうか、これがまず肝心ですね。



次に、来るべき将来への先行投資をどうするか、これが次に大切です。



この二つで、数十億程度のお金は全部使い切るくらいの人でないと、「勝ち組」としては相応しくないと思っています。



ここで、たくさん貯金しようなんて考えているあなた、「勝ち組」になったって、生きてる価値はないですから、無駄な努力はやめた方がいいですね(笑)。100年も経てば、もう生きていないでしょうし(笑)。



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掲載写真は、高松市にある、心身障害者小規模作業所『にしき工房』(香川県高松市花ノ宮町1-11-15 087-837-5010 8:30〜16:00)の素晴らしく美味しく安いお弁当、です。



ここは、安くて美味しいお弁当とケーキで有名なのですけど、もともと高松市錦町で開設されたのでこの名前になっています。創立10年になる、心身障害者小規模作業所で、ここの提供している食材はすばらしいのでご紹介したいと思います。が、ただ、安い、美味しい、というだけのご紹介はいけないと思って、ちょっと気合を入れて、いろいろ書きました。



高松市近辺在住の方は、是非、行かれたらよいと思います。素晴らしく美味しいですから、驚かれると思います。



生前、戦中派の母を連れて行ったときには、「気持ち悪い」なんて、ひどい言葉を投げかけていたのですけど、そのうち、ぼくが買って帰る、ここの煮物は気に入ってしまいましたし、さらに、ここのバウンドケーキを食べたい、というリクエストが出ました。自己顕示なんかしなくても、自己呈示で十分感動は伝わるのです。


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『岡山のこと』5

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掲載写真は、岡山のスナックにて、岡山の飲み友達と撮ったものです。



ぼくの場合、音楽が大好きなので、長く住んでいた東京、大阪と高松ではその関係の友人が圧倒的なのですが、岡山には生粋の飲み友達がいます(笑)。四国にUターンした後、仕事と岡山県庁や倉敷御園旅館のイベントなどでよく岡山に行く際に、スナック等で出会った友人です。



岡山は高松とは違っていて、はるかに都会だなあ、といつも感じます。駅前の整備等は高松は結構頑張っているのですが、住民の意識の違いは、新幹線が通っているかいないかで、雲泥の差があるように思います。やはり、新幹線に乗れば、1時間で大阪に行ける、というのは素晴らしいことだと感じています。



四国に新幹線がやって来るのは随分先だろうし、来たところで岡山の方が都会である点は絶対変わらないと思います(笑)。

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『撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我れにあり』(ヴェルレーヌ)5

40425099.jpg『撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我れにあり』

太宰治も愛し、そして、ぼくも大好きな、この、偉大な詩人ヴェルレーヌの名言、素晴らしいですね。

これは、自己陶酔に浸ったナルシストの吐く言葉だと思われていることが多いようですが、ぼくは、人間の尊厳性を端的に表現している言葉だと思っています。

ただ、問題はこのヴェルレーヌの言葉の後半、つまり、「恍惚」と「不安」のバランスなんですね。

人間は全て、撰ばれてあることの「恍惚」はキープしているのだけど、撰ばれてあることの「不安」をどの程度感じて、照れたり、はにかんで生きているのかが、その人の人間的な魅力になるんだと、ぼくは感じています。

そして、最後に、全ての人間は「撰ばれてあることの恍惚と不安」の中をゆらめいて死ぬまで生きてるんだなって思うと、人間という存在そのものが大切なものだと思えて、究極のヒューマニズムはこのあたりにあるように感じているのです。

最後につけ加えると、この『撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我れにあり』という、ヴェルレーヌの名言は、ヴェルレーヌが愛していたランボーと痴話ゲンカして、ヴェルレーヌがランボーの手首をピストルで撃った時に叫んだ言葉なのです。ものすごく壮絶な場面で出来た名言なんですね。

掲載写真は、ヴェルレーヌです。

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童謡の中の深い悲しみ5

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童謡「しゃぼん玉」

しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんでこわれて消えた
しゃぼん玉消えた とばずに消えた生まれてすぐに とばずに消えた
風風吹くなしゃぼん玉とばそ


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童謡「せいくらべ」

柱のきずはおととしの 五月五日のせいくらべ ちまき食べ食べ 兄さんが はかってくれたせいのたけ 昨日比べリゃなんのその やっと羽織の紐の丈


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21世紀になり、全ての物事が便利になりました。が、残酷な子供の殺人事件、戦争が起こり出しかねない世界情勢があって、日本の古きよき伝統が、だんだんないがしろにされて来ている昨今のようにぼくは感じています。

ご存知の方も多いと思いますが、今日は、日本人が長く歌い継いでいるこの2つの童謡に歌われている、日本らしいデリカシーに基づく悲しみについて書きたいと思います。


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まず、「しゃぼん玉」の作詩をした野口雨情には子どもがいました。けれどもその子は生後まもなく短い一生を終えてしまいました。雨情はあまりにも儚かった我が子の姿をしゃぼん玉に託し、この詩を作ったのです。

小さい頃、この歌に初めて接した時、この歌は、楽しい「しゃぼん玉」遊びを歌ったものだと思いました。が、そのうち、どうして「こわれて消えた」のか、「とばずに消えた」のか、楽しい曲なのに、どうしてこんな歌詞なんだろう、と不思議に思っていました

謎が解けた時、野口雨情の気持ちを知った時、悲しくなるのが人間です。残酷な子供の殺人を平然とやってのけるような人達が生息している現在の日本は、どこかがおかしいのでしょう。


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次に、「せいくらべ」の歌詞。

柱の傷は去年のものではなく「おととし」のものです。それは去年兄さんが出征し、せいくらべができなかったからなのです。そして兄さんは戦地で帰らぬ人となり、残された弟は「おととし」を思い出し、柱を見つめているのです。

北朝鮮の金正日の不穏な動き、そこに追い込んだ強硬な姿勢をとったアメリカのブッシュ大統領を見るにつけ、この両人に「おととし」を思い出し、柱を見つめている残された弟の気持ちを理解するようなデリカシーは皆無のようですね。

小泉さんが今愛好しないといけないのは、ヨーロッパ発祥のオペラではなく、童謡「せいくらべ」だと、ぼくは確信しています。


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「文化って弱くて脆くて負けるものなんです。でもそれでいいのじゃないかしら。」・・・・・太宰治・・・・・・


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小泉さんが文化人のふりをするのも、いいかげんにしてもらいたいものだと思っています(笑)。プッチーニのオペラ「トゥーランドット」のアリア『誰も寝てはならぬ』について一家言あるのだそうですが、そのようなことをマスコミでペラペラおしゃべりになる前に、ひとつ絶対音感を身につけておいた方が、絶対音感のある、ヨーロッパの先進国首脳にはバカにされないだろうと思いますね(笑)。


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掲載写真は、今日、お茶を飲みに行った、香川県高松市林町の「アンドール・ハタダ」です。愛媛県に本社のあるハタダタルトの高松店なのですが、とてもケーキが美味しく、また、マントルピース等の内装や中庭を、母がとても気に入っていたので、生前は、よく行ったお店です。


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2007年1月10日に、めでたく50歳になりました。5

be1a1811.jpg2007年1月10日に、めでたく50歳になりました。

皆様からのたくさんのお誕生日のお祝い、本当に有難うございます。

でもね、ついに50歳代に入ってしまったんだよね。


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40歳代に突入した時は、もうそれはそれはショックだったけど、今回はそれほどでもなく、自然に時間が推移しています。

ただし、こんな歳になっても、39歳で亡くなったショパンのような傑作作品を作曲していない情無い奴だという罪の意識の混じった複雑な気分(笑)ではあります。


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掲載写真は、1月6日に、高松に、遠く千葉から会いに来てくれた、ぼくのマイミクさんがお誕生祝いに送ってくれたメールに添付されていた2007年1月10日の誕生花「連翹」の写真です。

「連翹」の花言葉は、「希望の実現・豊かな希望」だそうなので、ぼくもこの花言葉に負けないような、50歳を生きたいな、と思っているところです。本当に、どうも有難うございました。


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