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私のホームページ「K.OKADAワールド」

は、四国高松在住の私、作曲家、兼、ピアニストの岡田克彦の世界です。ここの併設ブログは、音楽、四国の温泉と、香川県のさぬきうどん、四国のグルメ、景勝地、温泉等、
それらに加えて、私の母・岡田直子が2006年9月19日に他界したことから痛感した、人間の無常観に基づく社会観察や人生観、ウェブの限界等を中心に書いてゆくことにしています。

お気に入りの音楽、演奏家、作曲家

ショパン「エチュード 遺作 第3番 変イ長調」5

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あまりにも世俗にまみれて自分の感性がひどく汚れてしまったように感じる時、ぼくは一人ピアノに向かって、ショパンの「エチュード 遺作 第3番 変イ長調」(これは知られざる名曲です。)を弾きます。


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ぼくが小さい頃、祖父、岡田照馬のはじめた、高松市瓦町の、今、アイゼンパチンコ店のところにあった、実家の「丸天旅館」のロビーには、毎年広いお庭にあったヒマラヤ杉を抜いてきて、鉢植えにし、天井に届くくらいのこのヒマラヤ杉に一杯のクリスマスデコレーションを飾っていました。このデコレーションに飾っていた綿雪の間から、見える鈴に、クリスマスデコレーションに欠かせない電気(これは、ヒマラヤ杉が大きかったので5本もつけていました。)による明かりがついたり消えたりしいたこと、そして、ボーッと霞んでいたことを、この作品をピアノで弾くことによって思い出せる、ぼくにとっては素晴らしい作品なのです。

この作品は、ショパンの最も好きだった、変イ長調で書かれています。和声進行から言って、晩年の作品であることは間違いないとぼくは思っています。また、遺作と言えども、エチュード(練習曲)ということだったので、テンポ設定はアレグレットになっています。しかし、ぼくは、絶対にアンダンテで弾き、一つ一つの和音の響きにこだわっています。この素晴らしい和声進行とノスタルジックなクロスリズムに接する度に、ショパンはピアノが好きで好きでたまらなかったことを再確認するとともに、ぼく自身は、あのクリスマスイブの楽しかった幼かった頃の思い出に浸ることが出来るので、演奏後失語症になってしまいます。それだけに、コンサートなど人前で演奏することは絶対にありません。一人ピアノに向かって、弾きたい時に演奏することにしています。


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ショパンのエチュード集をお持ちの方は、この最後にその作品が掲載になっていますので、スコアはそちらでご覧下さい。私の申し上げたテンポ設定で弾いてみて、ショパンのピアノへの愛情を是非、ご確認下されば幸いです。

それから、この作品演奏のベストは、ぼく自身だと、自負しています(笑)。


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ピアノ演奏を始める時期ですが、ぼくがこれまでの52年の人生で出会った、アマチュアピアニストの演奏開始最高齢者は、高松の某自動車ディーラー会社の社長をしているN君でした。

彼は、ピアノを38歳の時にはじめ、異常な集中練習と努力で、40歳で、ショパンのエチュードとベートヴェンの「月光ソナタ」全楽章を見事に弾ききりましたので、3歳からピアノをやって来たぼくは腰を抜かしました。

それまでにも、東京、大阪で、晩学のアマチュアピアニストと何人か出会っていましたが、それでも、30歳代前半がリミットだと思っていたので、ぼくはビックリ仰天したのです。


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N君の話によると、演奏したい曲を決めてから、一年に一曲というゆっくりしたペースで集中してやった方がよいそうです。彼の言い分はこうなんです。

「ぼくが、あと40年生きるとしたら、40曲を確実なレパートリーに出来るから、素晴らしい夢を持って生きていけるんだよ。」

ぼくは、チャラチャラといっぱいレパートリーを増やしてきた自分が恥ずかしくなりました。だって、一曲一曲に込められる切実さは、レパートリーが少ない方が強いに決まっていますからね。

また、彼が、ピアノを始めた動機が実にいいんだな。

大変に苦労して会社を立ち上げた創業社長のお父様が脳梗塞で倒れたためなのです。で、優しい彼は、お父様にもしものことがあったら、その告別式では、絶対に、自分の大好きな、ショパンのエチュードOP.10-3(別れの曲)を演奏してあげたいと思ったからなんだそうです。

その後、お父様は回復されましたけど、優しい彼は勤務していた「東京海上火災」を辞めて高松にUターンして、跡をとって社長になりました。


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時々、彼から電話があります。来年は何を演奏すべきか曲目の相談と、晩学なので指が吊った時の対処(これは、ハリ治療で簡単に直せます。)なのです。

そして、5年前、彼は、ぼくが奨めたショパンの「幻想即興曲」を一年がかりでクロスリズムの難所を克服して見事に仕上げました。テンポはゆっくりだけど素晴らしい演奏でした。


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やはり、音楽に一番大切なことは、人間への深い愛だと思います。

作曲や演奏においては、その愛は、聴いてくれる人達へ向けられていますが、同時に、楽器を演奏していたら、自分にも向けられるんですよね。

だから、音楽好き、といっても、やはり、楽器を演奏すべきなのです。

次の、ヘルマン=ヘッセが名著「ガラス玉演戯」で言っているとおりなのです。


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「音楽はあらゆる世紀を通じてまず第一に感覚的なものや息の流出や拍子や色どりや摩擦や刺激を喜ぶことから成立した。・・・・・確かに精神が主要なものである。・・・・・しかし、この外面的感覚的特徴を感覚的に強烈にとらえ味わうのでなければ、時代と様式とをそれから理解することはできない。音楽をするのは手と指と口と肺とでもってするのであって脳だけではない。なるほど譜は読めるが楽器は一つも完全に奏でることが出来ないというようものは、ともに音楽を語る資格がない。」
(ヘルマン=ヘッセ「ガラス玉演戯」・若きヨーゼフ・クネヒトの言葉)


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それと、あともう一点付け加えておきたいのですが、住宅環境のせいでグランドピアノがなくても、鍵盤の数が88鍵さえあれば、アップライトでも電気ピアノでも、ショパン「エチュード 遺作 第3番 変イ長調」の演奏に、全く支障はありません。

ショパンは楽器を超越した天才作曲家ですので、全く、OKですので、安心して、取り組んで下さいね。


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ピアノって楽器は本来、ロマンティックなものですから、一人ピアノに向かって、燃えて弾きたい時に演奏するという楽しさも是非、皆様には体験していただきたいと共に、ピアノを生涯の友として取り組んでいただければ、と思い、今回は執筆掲載しました。


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『晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔』・・・・・涙そうそう5

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蛇味線の加わるイントロで始まる、皆様ご存知の「涙そうそう」。



この曲、旋法を使った低域の音域から静かに始まるんだけど、



『晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔』



の一節は本当にいつ歌っても泣けますね。



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まぁ、作詞家も作曲家も一家言あるんだろうと思いますが、この曲に関しては、夏川りみ、が歌ったものが最高によいとぼくは思います。



BEGINは何といっても、素晴らしいアーティストなんだけど、その風貌から(笑)「島人ぬ宝」がよいのですよね。



森山良子の歌詞は、本当に素晴らしいけど、まぁ、歌そのものでは、断然、夏川りみ、だと思っています。



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涙そうそう


古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙(ナダ)そうそう

一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも 想うあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく

晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう



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2006年9月19日の母の突然の死去後、ぼくがこれをカラオケで歌うと、



『晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔』



の一節では、どうしても、亡き母の笑顔が思い出されて、泣けてしまってどうしようもなかったものです。



が、三回忌も終わった今は、だいぶ落ち着いてきました。が、絶対に忘れることはないですね。



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母の一周忌も終わった2007年10月14日に栗林公園庭園コンサートで初演した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111 (全18曲)」の第14曲の『梅林橋の梅』は、2006年3月に母の手を引いて、母が大好きだった「栗林公園」に連れて行った時の思い出です。



母は江戸千家不白流の茶道が趣味だったので、「栗林公園」の中にある『掬月亭(きくげつてい)』というお茶室まで行きたかったのですが、骨粗しょう症と背骨の圧迫骨折のため、腰が痛くて、「栗林公園南庭」を入ってすぐの、梅林橋までしか歩けず、その近くの茶店で一服して帰りました。



梅林橋の横の梅林の梅が満開でした。



「ほんまに梅が綺麗や。もう春が来るんやのう。お母さん、来年の春までには元気になって、来年こそは『掬月亭(きくげつてい)』まで行きたいから、すまんけど、また連れて来てのう。」



「わかったわかった。ぼくに任せたらええ。早く元気になりまいよ。」



母が他界する半年前、最後に「栗林公園」に行った時のことでした。梅の香りが漂ってきて、春の訪れを予感しました。



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掲載写真は、晩年の母と、栗林公園の日暮亭で、撮影したものです。

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『君と好きな人が百年続きますように』・・・・・一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」5

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一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」は、ぼくが絶対に歌わない曲、聴いて一人ただ、泣いて酒に溺れていたい曲です。



「君と好きな人が百年続きますように」・・・・・ここが実に実に、ぼくの心に迫ってきて、もうダメなんです(涙)。



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「ぼくは、もう百年持たないよな。」という気持ちになってしまって、でも、そんなに長く生きても仕方ないよな、なんて気持ちも交錯してしまうのです。



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でも、一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」は、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロをうけ、平和を願い歌った傑作で、基本には人間同士が愛し合うという原点があるので、本来の意味はご案内しないといけません。



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ハナミズキ(作詞;一青窈)


空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと どうか来てほしい 水際まで来てほしい つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように

夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて 一緒にわたるには きっと船が沈んじゃう どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように 君と好きな人が 百年続きますように  

ひらり蝶々を 追いかけて白い帆を揚げて 母の日になれば ミズキの葉、贈って下さい 待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように 君と好きな人が 百年続きますように

君と好きな人が 百年続きますように



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※ 一部の重要な比喩は、下記の通りです。

空を押し上げて手を伸ばす君=生きる希望を必死に探す恋人

五月のこと=五月は、ハナミズキの開花時期

水際まで来てほしい=「水際」は、花の世界で生命の源を表す言葉なので、「水際まで来てほしい」は、どうか生きて戻ってほしかったという意味です。

つぼみ=これから花咲くもの。将来、希望のこと

ハナミズキ=日米友好の花、平和の象徴

夏は暑過ぎて=夏(2001年9月11日のテロ事件)は暑く辛すぎた

一緒にわたるにはきっと船が沈んじゃう=救助は来ないから、二人とも助かって生き延びることはできない

どうぞゆきなさいお先にゆきなさい=最初に救助されなさい、先に行けば自分も後から行くから

僕の我慢=ぼくが生きることを諦めたこと

果てない波=争いごとと、君の辛い気持ち

蝶々=自由

白い帆=前述の「船が沈んじゃう」で出てきた船を使った比喩で、白は、平和を表します。

ひらり蝶々を追いかけて白い帆を揚げて=自由を求めて、生きようと頑張ってみたけどだめだった。けど、平和への思いは捨ててないよ。

母の日=五月

ミズキの葉、贈って下さい=君の家の庭のハナミズキを送って、平和を祈っていてください



※ 歌詞全体の意味は下記のとおりです。

2001年9月11日、米テロ事件に遭った私と君。人生これからという時期に、亡くなってしまった君。君は必死に生きようとしていたね。けど、自分よりも私を助けた。できれば、生きて戻って欲しい。でもそれはかなわなかった。君と同じような人を出さないためにも、そして君のためにもこれからの平和を祈りたい。

日米友好、平和の象徴のハナミズキ。私の庭のハナミズキのツボミを、君の墓前に送ろう。このハナミズキのツボミが咲いて薄紅色の花を見せる頃には、平和な世になっていることを祈って。君とぼくが百年、一緒にいられる、そんなささやかな幸せを過ごせるような世界になることを祈って。

あのテロ事件は辛かったね。ぼくから助かろうってのはぼくには無理な話だった。だから、君は気にしなくていいんだ。二人同時に助かる方法はなかった。だから、「君が先に行きなさい、そうすればぼくは後から行くから」と言ったんだ。ぼくは生き残れないとわかっていた。ぼくの生きることをやめた我慢が実を結び、君が幸せになれますように。戦争が終り、平和な世の中になりますように。そして、君とぼくが百年、一緒にいられるような世になりますように。自由を求めて、生きようと頑張ってみたけどだめだった。けれど、平和への思いは捨ててないよ。

君が幸せになったら、君の家の庭のハナミズキの葉をぼくの墓前に送ってください。世界が平和になったという証に。君はもう、ぼくを待って辛い思いしなくていいんだよ。君はそんな苦しみなんか知らなくていいんだよ。



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この曲の本来の意味を知って聞く時、



「君と好きな人が百年続きますように」の一言は、やはり泣けて泣けて仕方ないですね。



どうして、永遠じゃないのか、百年なのか?



それは、人間なんて、たかだか百年前後生きてる程度の動物だからなんですね。



一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」は傑作です。

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北島康介氏は素晴らしいですね。5

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2008年の夏、一番の感動を下さった、北島康介氏。



北京オリンピック100メートル平泳ぎ決勝で、世界記録を樹立しての金メダル獲得直後のインタビューで、しばらくタオルで涙を拭って泣き声での回答・・・・・



「すみません・・・・・。」そして横を向いて、
「もう何も言えねぇ。」との潔い一言。



そしてさらに、ぼそっと言った一言。



「応援してくださる方がたくさんいたので、本当に、記録も出せて、金メダルもとれてよかったです。」



このシーンに、彼のアテネから北京までの努力の道程の全てが込められていました。



そして、チャレンジの結果がどうなるかという不安、期待を裏切らないように努力した中で、ともすれば、気弱になった時の彼の気持ちも如実に感じられました。



テレビの前で私は深く深く感動し、涙がこみ上げました。



彼には、ドビュッシーの作曲した「小組曲」が似合います。



この作品は、1888年から1889年にかけてピアノ連弾曲として作曲され、1889年、ドビュッシー27歳の時に、ドビュッシー自身により初演されました。従って、ドビュッシーが作曲を開始した年齢は、現在の北島康介様と同じ26歳です。



北島康介様もクロード・ドビュッシーも天才です。



「天才とは努力する才」です。



創造作品を聴いたり、プレイ、パフォーマンスを見て下さる皆様への「心づくし」をいつも忘れずに努力する二人の天才に乾杯です!



北島康介様、本当に本当に有難うございました!!



深く感動しました。そして感謝しています!!!

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フランク『ヴァイオリンソナタ イ長調』5

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この曲の第一楽章の冒頭のテーマには歌詞がついています。



「フラーンクのソーナター、ヴァイオリンのソーナター、チェーロでーも、フルートでーも、なんでも出来る。」



この替え歌は、20年ほど前の一時期、桐朋の室内楽研究院で流行っていたので、桐朋の友人から教えてもらったのですけど、以来、ぼくはこの曲を聴いたり演奏するたびに、この歌詞がちらついて吹き出しそうになってしまうのです(笑)。



が、この曲は、ぼくにとっては、大学1年の時、生まれて初めて演奏した、フランス近代の室内楽曲でした。以来、フランス近代の室内楽のとりこになる最初のきっかけがこの曲との出会いでしたので、とても懐かしく大切なレパートリーになっています。



この曲に初めて出会ってぼくが驚嘆したのは、循環形式の効果的な使い方と、第四楽章のカノンの素晴らしさでした。



当時は、フランス近代音楽は今日ほどポピュラーじゃなく、曲によっては楽譜を東京のアカデミアに注文して輸入待ちのようなことも多かったのですけど、ぼくは、フランス近代室内楽にのめりこんでゆくことになりました。



この曲は今日ではもう室内楽曲ではなくてはならない重要な作品になっていますので改めてご紹介するほどのことじゃないのかもしれません。



でも、ぼくにとっては大切な曲なので今回ご紹介しました。



ぼくの経験では、この、ぼくにとっては大切な曲、っていう思い入れのない作品は演奏しても大していい結果は得られないですね。



フランクについては、「交響的変奏曲」、「ピアノ五重奏曲」、「プレリュード、コラールとフーガ」、「交響曲ニ短調」等々、いろいろ素晴らしい曲がたくさんありますので、皆さんも機会があれば聴いて下さいね。

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ドビュッシー 「夜想曲」(1899年)5

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ドビュッシーの」夜想曲」は、「牧神の午後への前奏曲」の少し後の、1899年に作曲された、下記3つの楽章からなる、管弦楽曲です。



1.雲
2.祝祭
3.シレーヌ



ラヴェルが大変に心酔してアレンジした傑作です。



ドビュッシーのこの時期の管弦楽曲については、「牧神の午後への前奏曲」以上に、この、第三楽章に女声合唱の入る素晴らしい管弦楽曲の「夜想曲」がおすすめです。



このようなものは、ドビュッシーにしか書けなかったとぼくは思います。たぶん、ラヴェルもそう感じたのだろうとぼくは確信しています。

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ラフマニノフ ヴォカリーズ OP.34-145

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「ヴォカリーズ」とは歌詞のない母音だけで歌われる歌曲のことですが、今日では、「ヴォカリーズ」といえばラフマニノフの作品をさすほど有名になっています。



ぼくがこの作品に初めて出会ったのは18歳のとき、東京で出会った、作曲家でピアニストの雁部一浩(がんべかずひろ)さんが、ピアノで弾いて聞かせてくれたときでした。



なんと物悲しい作品だろうと思いましたが、後半の和声的なうつろいを経て、最後に、ヴォーカルが、即興風の上昇してゆくメロディーを奏でるところにとても感動したものです。



その後、日本アマチュア演奏家協会に入って、いろんなヴァイオリン、チェロの方と、ラフマニノフのヴォカリーズを合わせましたが、今回、初めて、神戸のジャック君のヴィオラとあわせることになりました。



ぼくの予感なんだけど、これは、ヴィオラの音色が一番いいかもしれないと思って楽しみにしているところです。

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ドビュッシー  弦楽四重奏曲 ト短調 OP.105

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1893年、ドビュッシー31才のときのこの作品のぼくの初体験は、カペー四重奏団の演奏による第3楽章でした。



下記エッセイに書いているように、今でもこれを聴くと、18歳当時の、東京都杉並区高円寺を思い出してしまいます。



http://kokada.web.fc2.com/essay26.html



1892年、「牧神の午後への前奏曲」と同年に作曲に着手された作品なので、晩年の一連の室内楽曲とは全く別の背景の作品です。



ぼくの大好きな、フランス近代を代表する3人の作曲家、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、で誰が一番好きか、ってどうしても決めないといけなかったら、それは、ドビュッシーになります。



理由は、この、弦楽四重奏なんだろうな、って思います。3人の作曲家、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルの弦楽四重奏では一番好きだし、ドビュッシーの響きには、フォーレやラヴェルにない、独特の香りがするからなのです。

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ショパン チェロソナタ ト短調 Op.655

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ピアノ曲ばかり書いたショパンが、チェロを愛していたことは、ピアノ曲での音の使い方を見れば明らかです。が、この、ショパンの晩年の傑作の「チェロソナタ ト短調 Op.65」は素晴らしいものです。



いろんなチェリストと演奏した中で、ぼくが特に好きなのは、第二楽章のスケルツォの中間部ですね。本当にショパンらしい美しいテーマとピアノのアルペジオの伴奏です。



もちろん、第四楽章のロンドもいいんだけど、 第二楽章が一番ショパンらしいな、って思っています。

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ブラームス インテルメッツォ OP.118-25

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この曲は、よく音楽のわかった聴衆が多くても一人か二人のとき以外に、ぼくは絶対に弾かないようにしている。



急所は、嬰ヘ短調の中間部がコラールをはさんで2声になるところ。



何のてらいも、大袈裟な振舞いもない傑作である。

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ショーソン ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲 二長調 OP.215

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ぼくの愛聴CDの一つに入っている、ショーソンの室内楽の傑作です。



このCDは、東京にいた頃、日本アマチュア演奏家協会で出会って、1988年のカザルスホール第一回アマチュア室内楽フェスティバルにも、フォーレのピアノカルテット1番で一緒に出演した、ヴィオラ奏者の幸松肇さんが、1989年にぼくが東京から大阪に転勤になった時にお餞別で下さった数枚のCDの中の一つでした。



彼は、東芝EMIのクラシック部長をしていましたし、アマチュア指揮者、アマチュア作曲家でもありました。また、早稲田大学商学部の卒業だったので、ぼくにとっては、人生や音楽の大先輩で尊敬していました。しかし、とても謙虚な大好きな方でしたので、湘南にある彼のご自宅にはしょっちゅう遊びに行って合奏していました。



こういった経緯から、あの時プレゼントしてくれたCDは全て発売前の見本でしたので、「見本」というシールが張ってありますが、ぼくはそれを大切にとっていて、時々、聴いています。聴くたびに、これを一緒に湘南の幸松肇さんの家で二人で聴いていたときのことをぼくは思い出すのです。



彼のお気に入りは、第二楽章のシシリアンヌでした。これを聴くたびに彼は、言っていました。



「いいなあ、泣ける曲だな。」と言っては潤んだ目をハンカチで拭いていました。



ぼくは、こういう正直な自分の感じた気持ちを年下の友人にも隠さない彼の性格が大好きでした。いつの日かぼくも彼のような年代になったら彼のように生きたいと思った人です。



ぼくがこの曲をCDで聴くたびに、ぼくはその時の幸松さんの照れ臭そうな笑い顔と泣き顔ほ思い出してしまうのです。



でもこれまで必然的に出会った全ての音楽には必ずこういう思い出がつきまとっていて、それがとても重要なのですね、ぼくの場合には。



さて、この曲、ヴァイオリンソロ、ピアノソロと弦楽四重奏という編成なので、なかなか演奏される機会が少ない作品ですが、第二楽章のシシリアンヌと第四楽章のフィナーレは素晴らしいですね。



かなり難しいんだけど、抜粋で、この曲を、ヴィオラとピアノのデュオにアレンジして、ジャック君とそのうちやりたいと思っている曲です。

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ジョスカン・デ・プレ 「ミサ・パンジェ・リングァ」5

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この作品は、ジョスカン・デ・プレの遺作で、対位法の極致です。



一切の解説は無用で、ただ聴いていただければよい作品です。



J.S.バッハの前にこのようなポリフォニックな世界があったことの集大成です。



そしてそれゆえ、J.S.バッハの出現がいかに大事件であったかも明確になります。

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シュッツ 十字架上の七つの言葉5

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この作品は、中世・ルネッサンス期のポリフォニックな音楽を一人で勉強して楽しんでいた18歳当時に出会って以来、ぼくの記憶にいつも残っている傑作のひとつです。



J.S.バッハよりも100年前の人なので、どんな人生を歩んだのか、正しい記述はどれなのかわからないのですけど、シュッツは大変に波乱万丈な人生を歩んだ人だったようです。

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チャイコフスキー 『四季』より、11月『トロイカ』5

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2001年頃のこと、倉敷の御園旅館サロンでの、演奏会後のパーティータイムのことでした。



ピアノに向かって座っていたぼくの隣に、倉敷コンペンションビューローの河上先生が来て、ドビュッシーとショパン以外のものが聴きたいとおっしゃったので、ぼくは、愛奏曲の一つ、チャイコフスキー 『四季』より、11月・トロイカを弾きました。



河上先生は、「ああーーーっ、懐かしい素晴らしい曲を弾いてくれて有難う。」と言ってハンカチを出して涙を拭いていました。



「どうかなさったのですか。」



「これはね、この曲はね。私の青春時代そのものなんだよ。初めて好きな初恋の女性が出来た頃聞いていたんだよ。だから、その子のこと思い出しちゃうんだよ。」



日経新聞岡山支局長の早稲田大学の同じ研究室の友人の平野君が隣に来て言いました。



「60歳をこえたじいさんが何を言ってるんですか。岡田君、リストの超絶技巧か、君のアレンジした、『口笛吹きと小犬のためのパラフレーズ』の、チャイコフスキーのピアノコンチェルトの終楽章が出てきてラフマニノフの3番のピアノコンチェルトの終楽章になるところ弾いてよ。」



と言ったのでぼくは頭にきたのです。河上先生にとって思い出のある大切な静かな曲を演奏した後にそんなものやる気しなかったので、ぼくは、平野君の言うことは一切無視して、河上先生とお話しました。



「その方は倉敷の女性だったんですか。」



「はい。とても和服の似合う子でね、今でもはっきり覚えている初恋の人なんだよ。振られちゃったけどね。」



こんな他愛もない会話は、音楽の好きな男同士で、世代を超えてしか出来ないですよね。ぼくはそちらのほうが大切なんですよね。



「そうですか、貴重な思い出話を有難うございます。ぼくもそういう曲あるんですよ。初恋の人が出来ていたたまれない思いをしていた新宿で仕事していた22歳当時に弾いていた曲なんです。聴いてください。」



と言って、ます゜、ショパンの遺作の晩年に作曲されたOP.67-2のト短調のマズルカを演奏しました。「この中のトリルを弾いていると体中の力が抜けてゆく退廃的な気分になってしまっていたんですよ。」と言いながら。



そして、続けて、ショパンのOP.37-1のノクターンを演奏しました。この曲も当時演奏していたショパンの作品なのです。この曲の深い悲しさは、河上先生に十分伝わりました。



こうして最後に、もう一回、チャイコフスキー 『四季』より、11月・トロイカを演奏しておしまいにしました。ぼくもパーティーの軽食食べたかったのでね。



2日後、岡山日日新聞に、河上先生執筆の当日のぼくのサロン演奏会を絶賛する記事が掲載されたのを見たときは、だから、本当にうれしかったものです。



男、って本当に馬鹿だな、って思います。でもいいじゃない。何歳になっても、性的なポテンシャルが落ちたって、初恋の思い出を心に大切に生きてゆくことは素晴らしいことだから。



掲載写真は、岡山日日新聞に載ったぼくの演奏会に関する河上先生執筆の記事、です。

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ビュノア 「ミサ・ロム・アルメ」のアニュス・デイ5

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閑散とした冬の街を一台のバスが走ってゆく。



乗客が乗ろうと思えばどこでも止まってくれる。



これは、死の国行きのバスだ。



ただ、リコーダとオルガンの響きのようにひたすら黙々と進んでゆく。



ビュノアは、ルネサンスの時期の、オケゲム、オブレヒト、ジョスカン・デ・プレ、などのフランドル楽派の前の、デュファイ、バンショア等と同時期の15世紀後半のブルゴーニュ楽派の作曲家である。よくこんな時期にこんな美しい曲を書いたものだ。

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