K.OKADA・ブログ

ご来客数;




にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村
 にほんブログ村 グルメブログ そば(蕎麦)・うどんへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 高松情報へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン [SINCE 2001.3.16.] 人気ブログランキングへ

私のホームページ「K.OKADAワールド」

は、四国高松在住の私、作曲家、兼、ピアニストの岡田克彦の世界です。ここの併設ブログは、音楽、四国の温泉と、香川県のさぬきうどん、四国のグルメ、景勝地、温泉等、
それらに加えて、私の母・岡田直子が2006年9月19日に他界したことから痛感した、人間の無常観に基づく社会観察や人生観、ウェブの限界等を中心に書いてゆくことにしています。

インターネットで歪んだ感性の2ちゃんねらー、拝金主義者の撲滅

『海の色も山の姿も昨日につづく今日でした。』5

5482925f.jpg
8年程前に、開設1年目だったぼくの音楽ホームページ「K.OKADAワールド」が急速に来客数が増えたことや、岡山県知事の石井さんの委嘱で、岡山後楽園で朗読家の江守徹さん等と自作自演で共演したこと等(もちろん、ぼくは音楽は、作曲もピアノ演奏もアマチュアですから、ギャラなんか一銭ももらっていないし、ただ、東京にいた当時にぼくが外務省後援のユニセフのチャリティコンサートに自作自演で出演したのを聴きに来られていた、当時建設省勤務だった、現、石井岡山県知事がぼくの作品をとても気に入って下さっていて頼まれたので、急いで作曲して出演しただけなんだけど)をやっかむ、音楽業界人の一部、音楽大学を卒業したけれど、うまくいっていない連中が、アマチュアの分際で生意気な奴だとぼくのことを感じたのでしょう。

ウェブ上の「2ちゃんねる」というドブのような場所の無法者による掲示板攻撃に始まり、果ては、ぼくのEメールアドレスを勝手に使って自宅に松坂牛7キログラムなんてとんでもないものをネットで注文して代引きで送りつけるようないたずらまで起こりました。まあ、最終的には、ぼくが相談した香川県警のハイテク捜査担当官の捜査で、ぼくに関するスレッドを50本も立てたらしい、尼崎市在住の首謀者が判明しました。ぼくの予想通り、音楽業界人でした。が、精神的に病んでいて、『夢迷楽士』というハンドルネームでぼくを攻撃する人格と、『パスピエ』というハンドルネームでぼくの作品のファンを称する人格の二人を掲示板上で使い分けて掲示板が盛り上がるように仕組んでいたのだそうです。

「お詫びにお金を振り込みます。」
なんて気味の悪いメールをもらったので、無視して丁重にお断りしました。
ただし、
「今後同様のことをするのならば、(全世界からの来客数が既に20万人を超えていた)ぼくのホームページで、あなたの個人名、住所、携帯電話番号、Eメールアドレス等を全て全世界に向けて公表しますよ。」
と厳しく申し入れたので、彼は2ちゃんねるから消えて行きました。
そればかりか、2ちゃんねるの出資している雑誌社から、今回の貴重な体験を載せて欲しいと依頼と取材が高松まで来たので、受けてあげ、グラビアページに出ることになりました。また、ディレクターの気遣いでぼくの自作自演のCDもその雑誌に付録として添付されることになりました。

まあ、ぼくがアマチュア音楽家だったからよかったんだけど、もし、生活がかかっているプロだったら、死活問題に関る大変なことだったと思います。この時ばかりは、自分のホームページを趣味で立ち上げていてよかったなぁ、って思いましたね。

絶対にリアルに会うことには及ばない、ウェブ上の出会いの限界も、掲示板でのやりとりや「空気を読む」というネチケットの一部が、ただ付和雷同な状況を作って、多数派にこびへつらうことを助長していることも、このあたりの風潮が昨今の若い人達の間で普遍的になっている『いじめ』構造のルーツであることも、無意識のうちに他人を傷つけてしまうことがウェブ上では日常茶飯事なことも、この時、大体、実感出来ました。



良きにつけ悪しきにつけ、時代は流れていて、人類が好む価値観は日々変遷しています。10数年前には考えられなかったほど、パソコンもインターネットも携帯電話も生活必需品になっています。が、このようなものの変遷は、たかだか100年前後、この世に生きている人間の欲望やニーズに応えている程度の、ごく些細な出来事にすぎません。

でも、ずっと未来永劫変遷しないものだってあるのです。

それは空の青さや木々の緑や川のせせらぎに代表される、今、生きているもの全てを包んでいる地球上の自然空間です。ぼくの尊敬する壷井榮女史の名作「二十四の瞳」の冒頭の次の一文が全てを象徴しているように・・・・・。

『海の色も山の姿も昨日につづく今日でした。』



これは、小豆島の平和な風情を象徴している名言ですので、ぼくは、これを高松にアレンジしてしまいたいと思います(笑)。

『浜街道から見える瀬戸内海の色も、屋島の姿も、昨日に続く今日でした。』

『玉藻公園の玉砂利を踏む音も、栗林公園の松の姿も、昨日に続く今日でした。』

でも、次のようなよくないことも多々あるようです。

「『サンポートタワー』外壁のぞろーげなオリーブ色も、『ゆめタウン高松』に向かう自動車の渋滞の姿も、昨日に続く今日でした。」

「香川県庁の偉っそげな対応も、高松市役所のがいな受付も、昨日に続く今日でした。」

「屋島スカイラインが有料なことも、浜街道五色台トンネル通行が無料にならないことも、昨日に続く今日でした。」

香川県庁や高松市役所には、さらなる改善を期待したいところですね(笑)。



掲載写真は、「二十四の瞳」の舞台になった、ぼくの住む香川県の瀬戸内海に浮かぶ小豆島の「二十四の瞳」の平和の群像、です。




精神的な育ちのよさについて5

0637b9a0.jpg
神戸の、24歳のジャック君といろいろデュオを、本当に14年ぶりのぼくのスタイルで合わせていて、精神的な育ちのよさについて、改めて考えてしまいました。



ぼくの父親は、不幸なことに、家庭よりも妾をたくさん作ることを生きがいに生きていましたので、決してぼくは両親の仲のいい家庭で育ったわけではありません。しかし、幼少期から音楽をやっていたのでそれに救われたような気がしています。



それと、生まれ育ったところが高松でよかったと思っています。県外資本のファミレスがやってきても、お魚と野菜に関しては、地場資本が強く、うどんも美味しいので、どうってことないのです。



これは、実は、素晴らしいことなのです。外食しても、新鮮な野菜と魚が安く食べられるのですけど、このようなものを食べていると、絶対に体にいいのです。



もちろん、これは、食べ物に限ったことです。が、衣食住のうち、食と住は、絶対に東京よりも地方都市の方が優れています。さらに加えて、緑の豊かさ、空気や水がきれいなこと、美しい瀬戸内海が近所にあることも、とても重要なことです。



六本木ヒルズ族の皆様は、多額の資産を手にして、人の作った会社を株式の時価総額で判断して欲しいものを乗っ取っていらっしゃいます。M&Aが敵対的であってもなくても、人の作ったものをお金の力で、額に汗もせず、乗っ取ろうとしているのです。大義名分はどうでもいいです。ただお金が欲しいので生きているだけの生き物です。こうして莫大な富を手にしてさっさと引退してゆったりとした生活を海外の保養地あたりで過ごしたいと思っておられるようですね。



それも一つの生き方でしょう。生きたいように生きればいいのですから。しかし、海外の保養地でゆったり過ごすお金を荒稼ぎしている年代というものは、二度と返ってこないのです。その年代を、M&Aのような非人間的な行動に費やした際に失われたその人の人間的な暖かさは、絶対に取り戻せないものだということを肝に銘じて生きるべきだとぼくは思います。



お金で全てのものが手に入ると思うなど、言語道断な思い上がりです。このようなことも、ぼくの生まれ育って生きている高松では、たまに、四国八十八ヶ寺の閑静な境内に行って、香川県出身の弘法大師の生きた1200年前の想像を絶する不便だった世の中に思いを果せたり、香川県仲多度郡琴南町の美霞洞(みかど)温泉の、素晴らしい単純硫黄冷鉱泉に漬かりながら、傷ついた白鷺がここで休んで傷を治しているのを見た、香川県出身の平賀源内が見て発見した温泉だということ、その時の平賀源内の優しさに思いをはせるとき、拝金主義の空しさを感じることが出来ます。



ぼくはたった一人の大切な母を失いました。そのショックから立ち直れたのは音楽のおかげなんかではありませんでした。十中八九、高松の自然、空、緑、瀬戸内海等の豊かな自然でした。親しい友人や親戚がどんなに激励してくれても、音楽が癒してくれても、癒しは癒しに過ぎません。ぼく自身の心の問題ですから、これからを前向きに考えてゆく方向に持ってゆくには、間違いなく自然が立ち直りの最大の力になってくれたと思っています。



こんなことを書いているのは、ジャック君がうちに来て二人でゴロゴロして音楽を聴いたりしていた時に、彼が母の死のことを一番話してくれたからなのです。彼は、もし、自分が岡田さんの遭遇したような目にあったらどうしただろうと考えるといたたまれない思いをしたのだそうです。こんなことをいろいろ話しているとき、彼が27歳も年下だなんて吹き飛んでしまいました。なんて優しい子なんだろう、って思いました。彼の親御さんがこのような素晴らしい人格を育てたんだな、って思い、心の底から感動しました。



こういう思いやりの深い若者ばかりだと、21世紀の日本は前途洋洋たるものがあると思いました。



が、ジャック君よりも少し年上の、バブルの大量採用世代の連中を見ていると、確実に、思いやりの希薄な、利己主義、拝金主義に陥っているようですね。



それを象徴しているのが、この世代の連中が、振り込め詐欺や2ちゃんねるを創造したということでしょう。何でもかんでも創造したらいいもんじゃないのですよ(笑)。



創造するのなら、最低でも、J.S.バッハの「マタイ受難曲」以上の音楽作品を作ろうという程度の、夢と理想くらい持ってなきゃ、人間じゃないと、作曲家のぼくは思います(笑)。



『温故知新』の考え方の欠落した、歴史観や人間愛のない、振り込め詐欺や2ちゃんねるを創造したような人間の成育の事態の責任は全て、その連中をしつけた親にあります。バブルの大量採用世代の人達の親の世代は厳しく反省しなくてはなりません。



掲載写真は、ジャック君と、ぼくの作曲したデュオの室内楽曲「ヴィオラとピアノのためのパストラール」を初演している時のスナップです。



2ちゃんねらーは、これを見て、会場の狭さを嘲笑うことしかできないでしょうけど、まあ、少なくとも、2500人の聴衆がいた、2000年9月13日の「岡山後楽園築庭300年祭・記念コンサート」で朗読家の江守徹さんと自作でコラボ共演した時よりは、はるかにいい演奏をしました。これは、作曲し演奏したぼくが言っているのですから間違いないですよ(笑)。



また、聴衆の水準もはるかに高かったので素晴らしかったのです。



量より質が大切なことは決まっております。



いろいろと、2ちゃんねらーのいたずらがあったので、私はずっと、最近の自作自演は、ウェブで公開していませんでしたけど、2009年4月19日のおいでまいフェスタでのコラボは、共演者の、せとちとせさんと筒井茂広君が素晴らしい人物だったので公開しました。



言っておきますが、室内楽やコラボの共演相手は、素晴らしい技術の持ち主や知名度の高い人である必要は全くないのです。一番大切なことは、お人柄です。技術や知名度はその人が努力すれば変更になる程度の後からついてくるものです。しかし、人柄は直せないのですよ(笑)。



また、2ちゃんねらーは大体からして、絶対音感もなくお耳が悪いようなので、このような世俗的な民謡を多用したアレンジならば、お耳の悪い、2ちゃんねらーにも聴けると思ったからです。もちろん、この「讃岐ブギウギ」のアレンジには一部複調と全音音階を使っていますけど、2ちゃんねらーにはわからないでしょう(笑)し、津軽三味線の使い方が完全じゃないことは、(ブラームスの言葉を借りるなら)「馬の耳でもわかる」ことです(笑)。しかし、このアレンジにおいて、私は、津軽三味線を、ちょうどドビュッシーがヴァイオリンソナタでヴァイオリを打楽器として使ったことと同様、打楽器として使いましたので、音程などはどーでもよいのですよ(笑)。



以上全て含めて、全ての音楽は、聴く人を選びますので、ぼくの作曲、アレンジ、演奏音楽に選ばれなかった2ちゃんねらーや振り込め詐欺を実行しているような、精神的な育ちの悪い皆様は、とっとと出て行ってください。私が作曲、アレンジ、演奏した音楽は、精神的な育ちの悪い皆様には、『豚に真珠』なのですから(爆)。



そして、最後にもう一言。



豚は豚です。馬や牛にはなれません。音楽的な豚用には、豚の「小室」なんとか言う作曲家がたくさん曲を書いていますから、豚の皆様はそちらをお聴きください。



私・岡田克彦は、音楽的に真珠なので、真珠用の作品しか作れないのです(笑)。

人気ブログランキングへ





にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村







『個人の尊厳>表現の自由』5

96a1fe02.jpg
今回は、人間として生きるにあたって、ごくあたり前の鉄則の標記の不等式のことを書きたいと思います。



こういうウェブ上で日記を書いて、人と人が出会うことがこの先も増えてゆくんだろうな、と感じていますけど、この不等式が逆転している人が生息していることが、ウェブ上のコミュニケーションの全ての弊害になっているようですね。



SNSに入って3年くらいになりますけど、「リンク先は会ったことのある人だけ」と書いて広がりを拒否している人もいますし、本名、住所、携帯電話番号等をご案内しているぼくに、「そんな危ないことはやめた方がいいですよ。」と注意くださる方もいらっしゃいます。



きっと、そういう人達は、過去に、ウェブ上で嫌な思いをされたことがあるのだろうな、って感じるたびに、どうして、人間は、わずか100年前後生きているだけのちっぽけな存在なのに、そんな風に憎しみあったり、お互いの足を引っ張っぱり合ったりするんだろうな、っていつも感じてしまいます



『表現の自由』って書くと、全てが許される大義名分のように読めますけど、これは、つきつめれば、エゴイズムという、人間の煩悩の一つでしかないのです。もちろん、自己表現をしたくても出来なかった時代が、差別が日常的だった、民主主義社会になる前の時代にあったという歴史的事実がありますので、『表現の自由』はとても大切なことです。



しかしですね、『個人の尊厳』というものを凌駕するほど大切なことではない点を忘れてはならないと思うのです、ぼくは。



『表現の自由』を声高に主張して、自己表現する人達は、まず第一に、この世で生きている人間の数だけ個性がありますから、『表現の自由』のもとに「自己表現」をする場合でも、それを受け取る人たちにも『表現の自由』があるんだ、ということ、自分が自己表現したい気持ちに対するものと同じだけの敬意をもって、他人が自己表現したい気持ちを思いやるという大前提に立脚していないといけない、ということです。この前提を崩して『表現の自由』という大義名分のもとに「自己表現」する人達は、ぼくに言わせれば、ただ、煩悩に振り回されているだけの、気の毒な生物だと思います。



『個人の尊厳』は全ての生きる人間が当然に持っているのですから、これを汚すような表現は絶対に許されないのです。



匿名の掲示板やSNSに見られる、ハンドルネームがなかったらコミュニケート出来ないウェブ上の状況は、実に嘆かわしいことです。なぜなら、ハンドルネームのようなものは、『表現の自由』によって脅かされるかもしれない自分の『個人の尊厳』をガードする、防波堤に過ぎないからです。



万物の霊長たる人類が、防波堤がないと生きてゆけないとは、何と情無い懐疑心に満ちた殺伐とした世界だろう、ってぼくは思っています。



ウェブに参画する全ての人類が、『個人の尊厳>表現の自由』という、鉄則の不等式を認識していれば、そのようなものは一切無用なのです。



掲載写真は、ぼくが一番尊敬する作曲家、J.S.バッハです。ご高承のように、300年以上前にJ.S.バッハが作曲した「マタイ受難曲」は、世界中の人たちに時間を超えて愛されています。「音楽の父」という彼の称号は後から結果としてついてきたことにすぎないのです。彼が、「音楽の父」という称号が欲しくて作曲をして自己表現したのではないことを、『表現の自由』をふりかざして他人の『個人の尊厳』を踏みにじるような表現をしている人達は、全員、認識して、自分の愚かさと小っぽけさに気づかないといけません。

人気ブログランキングへ


にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村












『海の色も山の姿も昨日につづく今日でした。』5

06354073.jpg約7年前に、開設1年目だったぼくの音楽ホームページ「K.OKADAワールド」が急速に来客数が増えたことや、岡山県知事の石井さんの委嘱で、岡山後楽園で朗読家の江守徹さん等と自作自演で共演したこと等(もちろん、ぼくは音楽は、作曲もピアノ演奏もアマチュアですから、ギャラなんか一銭ももらっていないし、ただ、東京にいた当時にぼくが外務省後援のユニセフのチャリティコンサートに自作自演で出演したのを聴きに来られていた、当時建設省勤務だった、現、石井岡山県知事がぼくの作品をとても気に入って下さっていて頼まれたので、急いで作曲して出演しただけなんだけど)をやっかむ、音楽業界人の一部、音楽大学を卒業したけれど、うまくいっていない連中が、アマチュアの分際で生意気な奴だとぼくのことを感じたのでしょう。



ウェブ上の「2ちゃんねる」というドブのような場所の無法者による掲示板攻撃に始まり、果ては、ぼくのEメールアドレスを勝手に使って自宅に松坂牛10キログラムなんてとんでもないものをネットで注文して代引きで送りつけるようないたずらまで起こりました。まあ、最終的には、ぼくが相談した香川県警ハイテク捜査部の捜査で、ぼくに関するスレッドを50本も立てたらしい、尼崎市在住の首謀者が判明しました。ぼくの予想通り、音楽業界人でした。が、精神的に病んでいて、『夢迷楽士』というハンドルネームでぼくを攻撃する人格と、『パスピエ』というハンドルネームでぼくの作品のファンを称する人格の二人を掲示板上で使い分けて掲示板が盛り上がるように仕組んでいたのだそうです。



「お詫びにお金を振り込みます。」なんて気味の悪いメールをもらったので、無視して丁重にお断りしました。ただし、



「今後同様のことをするのならば、(全世界からの来客数が既に20万人を超えていた)ぼくのホームページで、あなたの個人名、住所、携帯電話番号、Eメールアドレス等を全て全世界に向けて公表しますよ。」



と厳しく申し入れたので、彼は2ちゃんねるから消えて行きました。



そればかりか、2ちゃんねるの出資している雑誌社から、今回の貴重な体験を載せて欲しいと依頼と取材が高松まで来たので、受けてあげ、グラビアページに出ることになりました。また、ディレクターの気遣いでぼくの自作自演のCDもその雑誌に付録として添付されることになりました。



この時、ぼくは、もうこうなったら自分のプライバシーなんか全部公開してもいいな、と開き直りました。



まぁ、この雑誌が出版されたことに対する反抗の掲示板もまたまた立ったようで、それを見た東京の若い音楽仲間の友人が、高松のぼくに会いに来て、



「今回の岡田さんの取材は、話題性のある人をとりあげるという下らないもくろみなんだそうで、2ちゃんねるの西村博之がお金儲けのために画策したのだそうですよ。悔しいよな。」と言われたので言ってやりました。



「何が悔しいの。ちっとも悔しくなんかないよ。そんなこと最初からわかりきったことじゃない。2ちゃんねるをやっている西村博之も雑誌社も煩悩の塊の拝金主義者なんだから、ぼくが普段接触しているJ.S.バッハやドビュッシーのいる世界とは違う下界の出来事じゃない。」



「そこまで開き直ってたのですか」



「あたり前じゃない。そうでないと取材なんか受けるわけないよ。だけど、ぼくがもし君の立場だったら、周囲の知ってる人が、2ちゃんねるのネットウォッチ板でつるし上げられてたら、面白がって、何か書き込むかもしれないから、何か書き込んだかもしれないと思うよ。だから、君も、何か書いただろ。」



「うーーーっ。実は書き込みました。ごめんなさい。」



「やっぱりね。ぼくの周囲の人達も何人か書き込んでるに違いないと思ってるから、謝らなくていいよ。だって、人間なんてその程度の動物だからね。」



「えーーーっ、そんなに人間不信に陥ったんですか。」



「まさか。人間の裏側がわかっただけだよ。」



「本当にごめんなさい。許して下さい。」



「あのね、2ちゃんねるみたいな匿名の掲示板で好き勝手なことを書き込むのと、こうやって君とフェイス・トゥ・フェイスで会って話してるのとは、全く次元の違う出来事なんだよ。許す許さない、ってことじゃないよ。だってさ、今、君とこうして話してる時だって、君はもしかしたら心の中では、ぼくのことを陥れてやろう、って思ってるかもしれないからね。」



「そんなーーー、岡田さんを陥れようなんて思ってないですよ。」



「だから、思ってるんなら思っててもいい、ってことだよ。」



「嫌だよ。そんな状態で友達づらしてるなんて。」



「いいじゃない。とても人間臭くて。心の奥では自分の利害しか考えていないなんてのが、まさしく人間だよ。」



「ふーーーっ。そこまで達観したんですね。」



・・・・・



「それはそうと、君はぼくのこと好き?」(これは、モーツァルトが生前よく周囲の人達に投げかけた質問です。)



「えーーーっ、いきなりどうしたんですか。うーーーん。好きですよ。」



「よかった。ぼくも君のこと好きだからよろしくね(笑)。」



「アハハハ・・・、やっぱり、岡田さんて変わってるけど、いいな(笑)。」



「わはは・・、ぼくは死ぬまで変な奴だと思うよ。今日は、ゆっくり飲もうね(笑)。」



と言って、芋焼酎でカンパイしたのでした(笑)。



まあ、こんな好き勝手が出来たのも、ぼくがアマチュア音楽家だったからで、もし、生活がかかっているプロだったら、死活問題に関る大変なことだったと思います。この時ばかりは、自分のホームページを趣味で立ち上げていてよかったなぁ、って思いましたね。



絶対にリアルに会うことには及ばない、ウェブ上の出会いの限界も、掲示板でのやりとりや「空気を読む」というネチケットの一部が、ただ付和雷同な状況を作って、多数派にこびへつらうことを助長していることも、このあたりの風潮が昨今の若い人達の間で普遍的になっている『いじめ』構造のルーツであることも、無意識のうちに他人を傷つけてしまうことがウェブ上では日常茶飯事なことも、この時、大体、実感出来ました。



良きにつけ悪しきにつけ、時代は流れていて、人類が好む価値観は日々変遷しています。10数年前には考えられなかったほど、パソコンもインターネットも携帯電話も生活必需品になっています。が、このようなものの変遷は、たかだか100年前後、この世に生きている人間の欲望やニーズに応えている程度の、ごく些細な出来事にすぎません。



でも、ずっと未来永劫変遷しないものだってあるのです。



それは空の青さや木々の緑や川のせせらぎに代表される、今、生きているもの全てを包んでいる地球上の自然空間です。ぼくの尊敬する壷井榮女史の名作「二十四の瞳」の冒頭の次の一文が全てを象徴しているように・・・・・。



『海の色も山の姿も昨日につづく今日でした。』



いろんなニュースで、人間のエゴイズムの象徴のような悲しい出来事に出会う度、人間の煩悩はどーしようもないものだな、と再確認してしまいます。



掲載写真は、「二十四の瞳」の舞台になった、ぼくの住む香川県の瀬戸内海に浮かぶ小豆島の写真で、「二十四の瞳」の平和の群像、です。

人気ブログランキングへ




にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村








『人生って、不思議なものですね(爆)。』5

688a7cb4.jpg
今日は、美空ひばりの『愛燦燦』の、「人生って、不思議なものですね。」と、吹き出しそうになりながら、歌っています。



というのも、昨夜の『逸(すぐる)珈琲』での週末コンサートなのですが、結婚式の二次会の貸切が急に入ったため、夕方、急に中止になったのです。



が、なんということでしょう、2ちゃんねらーを名乗る30歳代の男が、わざわざ、湘南から高松の『逸(すぐる)珈琲』まで、ぼくの演奏の際に会いに来たのだそうです。



夕方、5時くらいに来たのだそうですけど、結婚式の二次会の貸切が入っていたため、帰ってもらったのだそうです。



ぼくも、昨夜は、そういうことで急遽中止になったうえに、雨がじゃじゃ降りだったので、家で作曲していました。



が、弟が、聴きに行っていて、さっき、そういうことがあったと、電話がありました。『逸(すぐる)珈琲』の社長以下全従業員は、そういう輩が来たら、住所を聞くようにということが徹底されていたので、ぼくに住所も報告がありましたので、一応控えましたけど、全然興味ないので、とっておこうと思っているところです。



本当に聴きたかったらコンタクトをとること、ぼくの自宅に来ることはいつでも出来るのに、掲示板やメールでは騒いでいるのに、現実社会では、ぼくと一対一で会うことすら出来ないとは、何という情けない男だろうと思いました。



ぼくに会う気があったのかどうかも明確ではないですね。だって、夕方5時というのは早すぎますから、物見遊山で来たのでしょうね。まあ、暇な人もいるものですね。可笑しくて笑っちゃいました。



『逸(すぐる)珈琲』のウェブサイトには、ぼくのやっている週末コンサートのことをわざと掲載していないのです。だって、2ちゃんねるは、ウェブでしか情報を集められない人たちの集まりだからです。



でも、湘南からわざわざいらして、ぼくが毎週コンサートをやっていることは伝えてくれたそうですので、それでOKですね。



でもさあ、「ピアニストの岡田様に何かご用でございますか。直接、ご本人にお会いくださいね。」と言ってくれたそうなので、参っちゃいましたよ。だって、ぼくは、ピアニストである前に作曲家ですからね。



このあたりが、2ちゃんねらーのだめなところなのです。ウェブの環境が不十分だった頃にネットに出た、バブルの大量採用世代の人たち(今、30歳代〜40歳代前半くらい)が中心だと見ています。ウェブでの出会いからリアルになるところが踏み越えられない人達なのですね。踏み越えるときは、バスジャック事件の犯人のように、相手を殺害するということのようですからね(笑)。



掲載写真は、「逸(すぐる)珈琲店」です。

人気ブログランキングへ








小麦粉の値上げに伴う香川県内のうどん店のうどんの値上げについて5

小麦粉の値上げに伴う香川県内のうどん店のうどん値上げについては、この3月から少し動きが始まっています。



大体、去年までは、高松市内の製麺所やセルフは、かけうどんが120円のところが多く、180円のところは高いという認識でした。が、現在は、180円が普通になっています。もちろん安いままがんばっているところはあるのですけど、昔からやっている製麺所の老舗どころが値上げしてくると、仕方ない状況になります。



さて、本日から、『中西』と並ぶ、高松の老舗製麺所のうちの近所の『丸山』が、かけうどんを140円から170円に値上げしました。今日食べに行ったら大将と奥さんから言われたのですけど、まあ、もともとが安いですし、ほかが180円以上にしてもここは140円でがんばっていたので、限界だ、とのことでした。



大将といろいろお話しすると、今年の秋10月頃に再値上げせざるを得ないそうです。仕方ないことですね。



ぼくの予想ですけど、『丸山製麺所』が値上げしましたので、おそらく、歴史の古い『竹清』『さか枝』あたりも値上げするだろうと感じています。たぶん、秋の再値上げで、高松市内のかけうどんは、250円くらいになると感じています。

人気ブログランキングへ



にほんブログ村 グルメブログ そば(蕎麦)・うどんへ
にほんブログ村















『逸(すぐる)珈琲店』のサロンステージレイアウト変更5

cd8e9a7d.jpg
今日もまた、『逸(すぐる)珈琲店』で恒例の週末サロンコンサートをやってきました。



今回から、サロンステージのレイアウトを変更し、PAの設定も変更してくれました。弟と、オーナー社長の大熊さんが先週からいろいろやってくれたそうですが、天井の高さや会場全体から演奏者が見える位置ということで、お店のど真ん中になりました。



で、ギターの久保田さんとぼくが今日初めて新しいレイアウトでコラボをやったのですけど、素晴らしかったので、来ていた弟と、オーナー社長の大熊さんに御礼を言ってきました。



響きやレイアウトが変わるだけでこんなに違うんだな、って感じて、とても楽しく演奏できました。



お客様との臨場感がとてもいいので、ついつい、いろいろと予定にない曲までいっぱいやってしまいました。ショパンのマズルカやプレリュードが好評でした。



これは、今度、ヴィオラのジャック君が来るときがまたまた楽しみですね。



本来のサロンはこの形態なんですよね。



掲載写真は、今日いただいたうどんから、『愉楽屋』の冷かけうどん(素晴らしかったです。)、です。



それから、SNSのミクシィではいろんな人達と出会えましたけど、必要な方とのリアルや住所などの交換は全て完了しましたので、今日、昼過ぎに退会しました。



バーチャルな口先だけのお付き合いを楽しむ人達も多いことと思いますが、ぼくは、そのような仮想空間に興味はないし、たってのところ、時間もないので、いったん離れることにしました。



ネットはただの手段の一つに過ぎないです。手段は永久に手段で目的にはなりませんからね。また、ミクシィという手段が必要なときには、友人がたくさん入っていますので入会は簡単に出来ますので、そのようにしました。



まだリアルしたことのないマイミクさんの一部から、退会について、残念です、というメールをいただきましたが、本当にそう思っていらっしゃるのならば、実際に会う努力をなさればよいだけのことだとぼくは思っていますのでね。



そんなことよりも、今日は、『逸(すぐる)珈琲店』のサロンステージレイアウト変更が、とても嬉しいです。

人気ブログランキングへ









『海の色も山の姿も昨日につづく今日でした。』5

5c9ca007.jpg

5年程前に、開設1年目だったぼくの音楽ホームページ「K.OKADAワールド」が急速に来客数が増えたことや、岡山県知事の石井さんの委嘱で、岡山後楽園で朗読家の江守徹さん等と自作自演で共演したこと等(もちろん、ぼくは音楽は、作曲もピアノ演奏もアマチュアですから、ギャラなんか一銭ももらっていないし、ただ、東京にいた当時にぼくが外務省後援のユニセフのチャリティコンサートに自作自演で出演したのを聴きに来られていた、当時建設省勤務だった、現、石井岡山県知事がぼくの作品をとても気に入って下さっていて頼まれたので、急いで作曲して出演しただけなんだけど)をやっかむ、音楽業界人の一部、音楽大学を卒業したけれど、うまくいっていない連中が、アマチュアの分際で生意気な奴だとぼくのことを感じたのでしょう。

ウェブ上の「2ちゃんねる」というドブのような場所の無法者による掲示板攻撃に始まり、果ては、ぼくのEメールアドレスを勝手に使って自宅に松坂牛10キログラムなんてとんでもないものをネットで注文して代引きで送りつけるようないたずらまで起こりました。まあ、最終的には、ぼくが相談した香川県警ハイテク捜査部の捜査で、ぼくに関するスレッドを50本も立てたらしい、尼崎市在住の首謀者が判明しました。ぼくの予想通り、音楽業界人でした。が、精神的に病んでいて、『夢迷楽士』というハンドルネームでぼくを攻撃する人格と、『パスピエ』というハンドルネームでぼくの作品のファンを称する人格の二人を掲示板上で使い分けて掲示板が盛り上がるように仕組んでいたのだそうです。

「お詫びにお金を振り込みます。」なんて気味の悪いメールをもらったので、無視して丁重にお断りしました。ただし、
「今後同様のことをするのならば、(全世界からの来客数が既に20万人を超えていた)ぼくのホームページで、あなたの個人名、住所、携帯電話番号、Eメールアドレス等を全て全世界に向けて公表しますよ。」
と厳しく申し入れたので、彼は2ちゃんねるから消えて行きました。
そればかりか、2ちゃんねるの出資している雑誌社から、今回の貴重な体験を載せて欲しいと依頼と取材が高松まで来たので、受けてあげ、グラビアページに出ることになりました。また、ディレクターの気遣いでぼくの自作自演のCDもその雑誌に付録として添付されることになりました。

この時、ぼくは、もうこうなったら自分のプライバシーなんか全部公開してもいいな、と開き直り、高松全日空ホテルでのインタビューに応じました。



まあ、こんな好き勝手が出来たのも、ぼくがアマチュア音楽家だったからで、もし、生活がかかっているプロだったら、死活問題に関る大変なことだったと思います。この時ばかりは、自分のホームページを趣味で立ち上げていてよかったなぁ、って思いましたね。

絶対にリアルに会うことには及ばない、ウェブ上の出会いの限界も、掲示板でのやりとりや「空気を読む」というネチケットの一部が、ただ付和雷同な状況を作って、多数派にこびへつらうことを助長していることも、このあたりの風潮が昨今の若い人達の間で普遍的になっている『いじめ』構造のルーツであることも、無意識のうちに他人を傷つけてしまうことがウェブ上では日常茶飯事なことも、この時、大体、実感出来ました。



良きにつけ悪しきにつけ、時代は流れていて、人類が好む価値観は日々変遷しています。10数年前には考えられなかったほど、パソコンもインターネットも携帯電話も生活必需品になっています。が、このようなものの変遷は、たかだか100年前後、この世に生きている人間の欲望やニーズに応えている程度の、ごく些細な出来事にすぎません。

でも、ずっと未来永劫変遷しないものだってあるのです。

それは空の青さや木々の緑や川のせせらぎに代表される、今、生きているもの全てを包んでいる地球上の自然空間です。ぼくの尊敬する壷井榮女史の名作「二十四の瞳」の冒頭の次の一文が全てを象徴しているように・・・・・。

『海の色も山の姿も昨日につづく今日でした。』



掲載写真は、「二十四の瞳」の舞台になった、ぼくの住む香川県の瀬戸内海に浮かぶ小豆島の、「二十四の瞳」の平和の群像、です。

人気ブログランキングへ













livedoor プロフィール
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Categories
QRコード
QRコード
  • livedoor Readerに登録
  • RSS
  • livedoor Blog(ブログ)