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私のホームページ「K.OKADAワールド」

は、四国高松在住の私、作曲家、兼、ピアニストの岡田克彦の世界です。ここの併設ブログは、音楽、四国の温泉と、香川県のさぬきうどん、四国のグルメ、景勝地、温泉等、
それらに加えて、私の母・岡田直子が2006年9月19日に他界したことから痛感した、人間の無常観に基づく社会観察や人生観、ウェブの限界等を中心に書いてゆくことにしています。

グルメ・フレンチ

ショパン『ワルツ OP.70』と、松山の老舗フレンチ『ビストロきどや』5

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ショパンの『ワルツ OP.70』は、若い頃ショパンが作曲した遺作の3つのワルツで、ぼくの愛奏曲です。2番はヘ短調の持つ一種の雰囲気を一番うまく表現した作品だし、3番は変ニ長調の傑作だと思っています。



特に、『ワルツ OP.70-3』には、ぼく自身、特別な思い出があります。



ぼくが住友信託銀行に入って2年目、松山支店ではじめて、信託預金を集める外勤営業に出た時に、ぼくを厳しく優しく指導してくれた、関西学院大学ラグビー部出身の先輩が、当時、松山の独身寮の部屋にグランドピアノを入れて、ショパンの『ワルツ OP.70-3』を弾いていたのを、ぼくの部屋に遊びに来た時に聴いてとても気に入ってくれ、彼の結婚式の披露宴の全行程BGMのピアノ演奏を頼まれました。



そこで、ぼくは、ショパンの『ワルツ OP.70-3』と全く同じ調性と形式の曲の、「ラプソディーNo.1(失われた時のために) OP.37」を作曲して、収録カセットと合わせて先輩に献呈しました。先輩はものすごく喜んでくれたけど、同時に、もうめちゃくちゃ照れていました。だって、副題の『失われた時のために』の横には、ぼくのメッセージが付いていたからです。それは、「先輩がはじめて外勤営業に出たぼくと一緒に回ってくれた時、ぼくはとても幸せでした。あの時は、もう二度と戻ってこない失われた時になってしまったけど、ぼくはあの時を生涯忘れません。だから、先輩も覚えていてください。」というものでした。



当時、ぼくは23歳で、間違いなく、先輩がぼくにとっては憧れの上司でした。



このぼくの自作「ラプソディーNo.1(失われた時のために) OP.37」は、スペイン風の小品で、ぼくも気に入っているので、最近でも時々、コンサートで演奏します。そしてその度に、あんなに先輩が照れて喜んでくれたのも、今のぼくにとっては『失われた時』になってしまったので、とてもノスタルジックな気持ちになって演奏できます。また、聴きに来て下さっている、人達の大半が、この作品の副題の『失われた時のために』を、23歳当時のぼくが大失恋した思い出だと誤解してくれるので、とても助かっています(笑)。



・・・・・このあたりのことは、下記URLの、ぼくのホームページ掲載のエッセイ『失われた時のために』に掲載していますので、また、ご覧下さい。



http://kokada.web.fc2.com/essay64.html



また、このエッセイ『失われた時のために』には、ぼくの大好きな、フォーレ作曲の「ピアノ四重奏 No.2」第3楽章をぼくが室内楽仲間と演奏したものを添付していますので、これもいい曲なので、お聴きいただければ幸いです。



掲載写真は、松山市三番町にある、住友信託銀行松山支店の近くにある、先輩とよく一緒に食べに行った、フランス料理店の『ビストロきどや』(〒790-0003 愛媛県松山市三番町四丁目12-8 (089)932-2281)の、鴨のコンフィ、です。

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『ラ・プロヴァンス』・・・・・高松の、「タフェル・ムジーク」もやっている、南仏料理店5

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『ラ・プロヴァンス』(高松市多賀町3-16-14 087-862-0288 11:30〜14:00 18:00〜20:30 火曜定休、月2回水曜不定休)は、高松市の夫婦でやっている「タフェル・ムジーク」(食卓の音楽)もやっている、有名な南仏料理店です。



店内は、明るい緑豊かな、高松市多賀町という、閑静な住宅街の一角にあり、お値段は、コース 6,000円〜12,000円、ランチ 3,000円〜5,000円、 ドリンク 90種600円〜、といったところです。



東京やフランスで学んだ多くの技術やエスプリを、自分なりに昇華した上で、香川の食材に新しい料理の切り口を探そうというとても高い志でやっているお店で、その証拠に、この、室内楽不毛の高松で、「タフェル・ムジーク」(食卓の音楽)も提供している、素晴らしいお店です。



J.S.バッハ、モーッァルト等の素敵な弦楽合奏曲を聴きながらお食事ができる価値をわかっている人が、さぬきうどんを好む高松にいったい何人いらっしゃるのか不明なのです(笑)けど、その点では、画期的なお店です。



例えば、「ウズラのグリエ、パッサカリアと共に」などという、メニューは、ほかでは、味わえないもので、実は大変にすごいことなのです。



掲載写真は、J.S.バッハのブランデンの6番を演奏している時の写真ですけど、このような「タフェル・ムジーク」を実現されていることは、非常に素晴らしいことだと思います。

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『洋風居酒屋 ビストロ・いしはら』・・・・・「特製チーズフォンデュ」〔2〜3人分〕(950円)が安くで素晴らしい、高松市のビストロの草分け的存在のお店5

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高松市内の、ビストロの草分け的なお店、それが、『洋風居酒屋 ビストロ・いしはら』(香川県高松市木太町2区1153-1 労住協第9ビル1階 087-866-4343 Mail bistro-i@mail3.netwave.or.jp 18:00〜24:00 定休日 木曜日)です。



大々的なPRはしていなくて、口コミだけで顧客が拡大しているので、ご存じない方も多いことと思います。ぼくも、高松市木太町在住の親しい友人から聞くまでは、全く知りませんでしたからね。第一、労住協のビルの1Fなんだもの、わかるわけないですよ(笑)。



さて、東京から高松にUターンした14年前当時、既に37歳になっていたぼくは、若手の会社の部下が行きたいと希望した時を除くと、東京からお迎えする経営コンサルタントが食べに行きたいと言わない限り、フランス料理店に自発的に行くことはなくなっていました。もう、東京、大阪でいろんなフランス料理店には行き飽きていたし、体に良いのは、イタリアン、中華、和食だと感じていたからなのです。また、折しも、イタリアンがブームになっていて、高松市内にも次々と美味しいイタリアレストランが開店していました。



こんな中で、東京からお迎えする経営コンサルタントがどうしてもフランス料理を食べたいと言ったので、高松市中心部にあるフレンチを捜していて見つけたのが、以前にご紹介した、大石シェフがやっていた、『オーベルジュ』の前身の『キャトル・サンク』だったのです。で、ここは、シェフに、ぼくがもう40歳前だということをお話したところ、お魚料理のあっさりしたものを中心にコースを組んでくれましたし、大石シェフが懐石料理にも造詣が深かったので、結構楽しくお食事出来ましたので、母も大好きで行きつけでした。



さて、ぼくは、チーズには特別な思い入れがあるのです。



25歳の頃、住友信託銀行新宿支店で勤務して、法人新規開拓を担当していた頃、お客様の接待による過度の飲酒から、胆石で倒れたことがあるのです。幸いにも早い時期に、胆嚢炎を併発し、立ちくらみ等の自覚症状が出た時に、アマチュアピアニストの親友のお父様の横山厳先生(東京大学医学部大学院のご出身で、超小型ファイバースコープ〔胃カメラ〕の発明でドクターをとり、卒業後、東京女子医大内科部長をされたあと、独立して、神田で開業されていました。)に見てもらうことが出来、住友信託銀行の業務医だった北里大学医大病院では、手術をしないといけないと言われていたのですが、横山先生が日本医師会の役員をしていたところから、それを押し切って、ぼくを、食事療養と投薬だけで完治させてくれました。



ですから、この時ばかりは、2年間、油物を食べてはいけないこと、飲酒は言語道断だということや、毎朝、生卵の黄身を1個分飲むことなど、横山先生から言われたものだけを食べ、ぼくも必死で治しました。食べてはいけない最悪のものは、揚げ物と、揚げたり油で炒めたあと煮込んでいる物でした。このような調理法方は油を酸化させるので、最も食べてはいけないものなのだそうで、その代表が、酢豚と、カレーライスだ、とのことでした。ぼくは言い渡されたことを忠実に守りました。



一方で、糖分は出来るだけたくさん摂取しなくてはならないとのことでしたので、紅茶に、お砂糖をたくさん入れる習慣は、この頃、始まりました。



しかし、プロテインの摂取のために、胆嚢に負担をかけない最も良い食べ物が、豆腐、納豆、チーズだったのです。



豆腐、納豆と生卵の黄身は、まぁ、毎朝、いただきましたけど、もう皆様も十分ご理解いただけると思うのですけど、生来の食いしん坊のぼくにとっては、もっといろんなものを食べたいという本能との闘いの日々でした(笑)が、食べてよいものの中にチーズが含まれていたことが、ぼくを救ってくれました。



カマンベールチーズ、ゴーダチーズ、モッツァレラチーズ、ブルーチーズから、雪印等の出しているチーズまで、いろんなチーズを、ポカリスエットやウーロン茶を飲みながら過ごした2年間は、ぼくにとっては、生涯忘れられないと思います。



まぁ、こうした日々の副産物として、組曲「チーズいろいろ」という、チェロとピアノのための小品集を作曲出来ました(横山先生の趣味はチェロ演奏でしたので、完治した際に、横山先生に献呈しました。)のでよかったんだけど(笑)。



この時ばかりは、何でも食べられる、食べ物の好き嫌いのない人間にぼくを育ててくれた母に感謝しました。以来、ぼくはチーズが大好きなので、今でも自宅の冷蔵庫には、チーズは欠かしたことがありません。



こうして、27歳の時、ぼくの胆石は完治しました。



胆嚢のエコー検査で、12個あった胆石が全てなくなっていることを確認下さったあと、横山先生から、「もう、何を食べてもいいですよ。ただし、飲酒については、今後は、蒸留酒のブランデーか焼酎にしなさい。」と言われ、何と嬉しかったことか。でも、ぼくは、組曲「チェロとピアノのための“チーズいろいろ”」の楽譜を持参して、御礼に、横山先生に献呈しましたので、先生は、爆笑して、「君は、本当に、転んでもタダでは起きないな。君のような患者は初めてだ。」と心底喜んでくれました。



早速、ぼくは、横山先生を紹介下さった、先生の息子のアマチュアピアニストの親友の横山君に電話しました。



「岡田君、よかったね。じゃあ、完治祝いに何か食べに行こうよ。ぼくが奢るよ。何が食べたい。」



「カレーライス、カレーライスが食べたい。2年間も食べられなかったんだもの。だから、新宿中村屋のカレーライスをごちそうしてよ。」



「そんな安いものでいいの。てっきり、フレンチか中華のコースだと思ってたんだけどな。」



「んーなもの、どーでもいいよ。カレー、カレーがいい。」



こうして、新宿中村屋に二人で行きました。2年ぶりのカレーライスは、感動的に美味しかったです。で、予定より安く上がったので、横山君は、その後、新宿南口にオープンしたばかりだった、香港からやって来た飲茶専門店へ連れて行ってくれ、美味しい飲茶料理を食べながら、一緒に焼酎で楽しいひと時を過ごしました。この日が、ぼくにとっては、中華の「飲茶料理」を食べた初めての日でした。「小龍包」には、感動しました。以来、ぼくの嗜好は、中華に変わって行ったのでした。



以上のような次第で、チーズが大好きになったぼくは、チーズフォンデュも大好きで、東京にいた頃は、いろんなお店に食べに行きました。



32歳の時、ぼくは、大阪の住友信託銀行の淀屋橋の本店に転勤になりました。大阪は確かに食べ物が安く美味しい町でした。しかし、フォンデュに関しては、大阪はオイルフォンデュに人気があり、チーズフォンデュのヴァリエーションは、東京ほど豊かではなかったので、32歳頃から、ぼくは、チーズフォンデュから離れていました。



そして、この状況は、14年前に母の介護のために四国・高松にUターンしたあとも変わっていませんでした。



が、11年程前に、高松市木太町在住の親しい友人と一緒に食べに行った、『洋風居酒屋 ビストロ・いしはら』のメニューに、「特製チーズフォンデュ」〔2〜3人分〕(950円)というのを見つけた時には、天地がひっくり返るほど驚いたのでした。えーーーっ、こんなに安いの、信じられないや。さっそく注文しました。



『洋風居酒屋 ビストロ・いしはら』の「特製チーズフォンデュ」〔2〜3人分〕(950円)は、3種類のチーズのブレンドで出来ていますが、これが非常に素晴らしい調合なのです。早速、いろいろ食べましたので、美味しいメニューの一部をご紹介します。



「エスカルゴブルゴーニュ風」(730円)、「バイ貝の白ワイン蒸し」(730円)、「合鴨の和風ロースト」(730円)、「ミックスピザパイ」〔ピザソースも美味しいんだけど、アンチョビ、オリーブ入りなのです。〕(880円)、「カニ大根サラダ」(550円)、「真っ赤なトマトとカリカリベーコンのサラダ」〔柚子ドレッシング〕(530円)、「魚介のカルボナーラ」(980円)等々・・・・・



そして、ワインが素晴らしく、リーズナブルなお値段なので、言うことなしです。



東京近辺在住の皆様、こんな安いビストロはないでしょう。素晴らしいお店なのです。



『洋風居酒屋 ビストロ・いしはら』のオーナーはホテルレストランで24年勤務後、独立された方です。平成7年創業で、香川県のビストロの先駆け的存在で、ぼくが初めて行った頃は、知る人ぞ知る穴場的お店でした。



しかし、口コミで広がっただけで、最近は、週末は予約無しではなかなか入れない状況になっているそうです。



まだ、ご存知でない、高松市近辺在住の皆様は、是非、ご来店されることをお奨めします。



掲載写真は、『洋風居酒屋 ビストロ・いしはら』の「特製チーズフォンデュ」〔2〜3人分〕(950円)、です。

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『カサ・デル・マール』・・・・・瀬戸大橋を堪能出来る、フランス料理店5

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『カサ・デル・マール』〔住所 〒762-0065 香川県坂出市番の州緑町 TeL.877-46-2088 (平日)AM11:00〜PM14:30 PM17:00〜22時(土日祝日)AM11:00〜PM22:00 年中無休〕は、瀬戸大橋のたもとの坂出市の、瀬戸大橋記念公園の中にある、ロマンティックなレストランです。



以前ご紹介した、高松のサンポートの突端にある『ミケイラ』、高松市国分寺町の木陰茶屋『円居』、ファミリーレストラン『グリンーハウス』同様、高松市国分寺町に本部のある、香川県を代表するグルメのオーナー社長・佐竹氏の経営するスーパー「マルヨシセンター」のレストラン事業部の経営する、一番豪華なレストランです。



ベースはフレンチですが、ここの最大の特徴は、材料に世界最高のものを使っていることと、ワインリストが素晴らしいことです。



その代表が、アメリカ合衆国からカナダにかけての大西洋の水深150m、水温2℃〜5℃の海底に棲息するアメリカン・ロブスターで、『カサ・デル・マール』では、カナダのニューファンドランドの寒流域ノヴァスコシアで捕獲される特に上質のものを活きたまま空輸し、“活け”の状態のままで、出しています。



ロブスターを一匹注文すると、今から調理する生きた状態のロブスターを席まで運んで見せてくれます。また、シーフードに合う、ムスカデなどのいいワインをコーディネイトしてくれるソムリエもいるので、基本的にお任せして、食事のひと時を楽しめるスペースです。



もちろん、この程度のことをしているレストランは、東京にはいっぱいあるんだろうと思いますけど、窓の外の、目の前の瀬戸大橋と瀬戸内海を見ながら、というのが実に素晴らしいです。特に、西讃(香川県の西地区)の瀬戸内海側について共通して、夕日の眺めが素晴らしいのですけど、『カサ・デル・マール』は、特に、特に夏の夕陽が抜群にきれいです。



お値段は、ランチコースが、2000円〜4000円、ディナーコースが、8000円〜10000円となっていますが、フレンチの場合、ワインリストを見ると、リーズナブルな値段設定かどうかは、ほぼ判断できますが、ここは、イタリアのソアベクラシコのフルボトルが2800円なので、たぶん、東京のフレンチの半額くらいで提供している、とても良心的なお店だな、と思いました。



このお店が、ただものでないことは、コース以外の単品に、アメリカンロブスターカレー(1450円)、本日のパスタ(1250円)、活アメリカンロブスターの大盛りパスタ(2400円)、帆立貝のドリア(1250円)といった料理だけでなく、標津産いくら丼(味噌汁、香の物つき)(1250円)、海鮮丼(味噌汁、香の物つき)(1700円)のようなものが並んでいることで明白ですし、ランチコースには、和食のコースも含まれています。素材に自信がないと出来ないことだと思います。



また、やはり、香川県なので、野菜が素晴らしく、温野菜もサラダバーもとても甘味のある新鮮なものが楽しめます。



思い起こすと、瀬戸大橋の完成に伴って開店した、この『カサ・デル・マール』の出現が、それまで、ファミレス『グリーンハウス』だけをやっていた、スーパー「マルヨシセンター」のレストラン事業部の初めての高級志向店の第一号でした。



14年前に東京から高松にUターンしてすぐの頃、東京の親しい友人が遊びに来てくれた時には、必ず、ここ『カサ・デル・マール』と、さぬきうどん店の『山越』にご案内したものです。



『山越』の、別名「さぬきうどんカルボナーラ」と呼ばれる「釜玉うどん」の美味しさと安さに感動することは行く前からわかっていましたけど、ここ『カサ・デル・マール』のロブスター、温野菜、ワインリストと、目の前の夕陽の美しい瀬戸内海と瀬戸大橋には、全員感動しました。



「岡田君の生まれた香川県っていいところだね。瀬戸大橋の素晴らしい眺めと、このワインは最高だよ。六本木にはこの値段のワインも、瀬戸内海もないよ。」



「アハハハハ・・・。まっ、田舎だからさ、地下鉄が走ることは未来永劫ないから不便なんだよ。たまに来るからいいんじゃない。」



「そうかな。でも、こんなに美味しい野菜やきれいな自然に囲まれていると、豊かだよね。」



「いやいや、美味しい野菜、きれいな自然に囲まれてゆったりとした時間の中で暮らしていると、緊張感がなくなってアンテナが低くなってしまうんだよね。公共交通機関なんて比較してみたら、東京の地下鉄丸の内線は1分に1本やって来るじゃない。でも、高松のコトデンバスなんて多くても20分に1本程度だし、夜中の12時以降は動いてないんだよね。」



「豊かさ、って何だろう、って思うな。」



「ぼくが四国にUターンして一番感じていることは、たぶんね、人間の感じる全ての感覚は、対称性に基づいた相対的なものだな、って思うよ。ちょうどさ、暗いところから明るいものを見ると明るさが引き立つように、いつも貧しいところにいると豊かなものが引き立つのかもしれない。ただし、『明るい』『暗い』に比べると『貧しい』『豊かだ』、っていうのはかなり人間の主観の入る言葉だから難しいよね。」



「GNPっていう基準がいけないのかなあ。だとしたら、君、今の時代の景気動向とか、経済学や財務分析の全てが覆されちゃうじゃないか。」



「そんなにムキにならなくても、いいじゃない(笑)。今は資本主義の世の中だから、貧困や豊かさの程度は、GNPで判断すればいいんだよ。ただし、それは、今しかあてはまらないということを忘れちゃいけないと思うよ。500年後はどうかわかんない。」



「なるほどな。岡田君の好きなJ.S.バッハやショパンの生きてた時代は資本主義じゃなかったものな。」



「そう。そのとおり。だから、今みたいに世の中は騒がしくなかった。静寂があったからこそ、『音楽』が引き立ったんだよ。電気もなかったし、マスコミもなかったけど、『音楽』が必要だったんだろうね。人間、そういう飢餓感に立たされると、いい曲が生まれると思うよ。」



「ああそうだよな。電気もなかったんだ。だったら大変だったろうな。」



「大変だったみたいだよ。だって、モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』の初演の時にいちばんかかった経費は、ろうそく代なんだよ。」(笑)



「ろうそくでやってたの。マジかよ。」(爆)



「だから、聴きに来た貴族が包んだのは、チケット代じゃなく、ろうそく代だったそうだから。」(笑)



「なるほどな。じゃあ、プロモーターも広告代理店もなかったんだな。」



「なんかね、最近流行っている『オリコンチャート』に惑わされている人達を見ると空しくなるよね。あれで1位になった曲、300年後に残ってるのかな、J.S.バッハの『マタイ受難曲』みたいに。」



「まあ、お金儲けが出来て、連中は幸せなんだろうけどね。」



「そう。大切なことは『愛され続ける』作品であるかどうかということだと思うんだけど。たぶんね、曲を書いている人はそういう意識だと思うんだけど、周囲のマスコミ、プロモーター、広告代理店あたりに、そういう芸術的意識がないと思うから不幸なことだね。」



・・・・・等々、おしゃべりしていると、『カサ・デル・マール』の向うから、ベースとピアノの音が聞こえてきました。



「おい、ここ、ジャズのトリオやってるよ。」



「うん。いつもそうみたいだよ。」



「いいお店だな。すげぇや。」



「だってこの周囲は、瀬戸内海と番の州の工場地帯だよ。六本木みたいにジャズライブハウスなんてないからね。」



「全部いっしょくたなんだな。」



「そう。ぐちゃぐちゃで専門化するほど人も多く住んでないからね。」(笑)



掲載写真は、『カサ・デル・マール』の瀬戸大橋の見えるテーブルでいただいたシェフのおすすめランチ、です。

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『オーベルジュ』・・・・・高松市、いや、四国ナンバー1のフランス料理店5

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ついに、高松市内の料理店で、フランス料理店で一番高級なお店をご紹介することにしました。



ぼく自身がちゃんとしたフランス料理店(つまり、ホテルの中なんかではないところ)でフルコースを食べた初体験は、母方の叔母が東京都世田谷区奥沢在住で、日本ワイン協会理事をしていた関係で、大学1年生(18歳)の時に連れて行ってくれた、六本木の「イル・ド・フランス」というフランス人が経営していたフランス料理店でした。

もうそれは、緊張しましたよ。ナイフ、フォーク、スプーン、ソーススプーンが一杯並んでいて、どれを使ったらいいのか面食らいました(笑)。が、叔母が、白ワインと赤ワインのグラスの持ち方が違うこと、ナフキンの膝の上の置き方など、いろいろ教えてくれたので、助かったものです。

でも、もっと驚いたのは、お料理の内容でした。忘れもしないその日のコースのオードブルは、鴨とファアグラのテリーヌでした。鴨とファアグラがニ層になっていて、かかっているソースも美味しいものでした。が、量がものすごかったのです。厚切りの長崎カステラのようなものが三切れもついていたのですから。でも、若かったぼくは美味しくて夢中で食べました。

続いて、自家製の美味しいフランスパンを薄切りにしたものと、ポタージュスープが出て来て、自家製の美味しいフランスパンが白ワインに合うので、これもいっぱい食べたら、次に、舌平目のムースが出て来ました。ピンク色のソースがかかっていてとても綺麗で美味しいのですよね。叔母が質問したら、カニの甲羅のソースでした。カニの甲羅を金槌で割ってミキサーにかけて裏ごしして生クリームと混ぜているのだそうで、だからピンク色なんだとわかりましたけど、ぼくはびっくりしました。でも、美味しいので全部食べて、ソースも素晴らしい味だったのでフランスパンにつけて食べました。

すると、次に、シャンパンのシャーベットが出てきたので、「ああ、美味しかったな。お腹一杯になった。」と思っていただいたら、何と、このシャンパンのシャーベットは、中休みだったのでした。

続いて、赤ワインと仔牛のステーキ・ブルーベリーソースが出て来た時には、もう、ぼくはお腹いっぱいで食べられませんでした(笑)。全て、あの、鴨とファアグラのテリーヌ、フランスパン、ポタージュスープとカニの甲羅のソースのせいだとわかりましたけど、もう手遅れでした(笑)。でも、またまた美味しくて悔しいので、がんばって少し食べましたけど、半分で力尽きました(笑)。

なのに呆れたことに、そのあと、チーズが出て来たあと、デザートのシャーベットはいただいたのですけど、ケーキが8台も出てきて、お好きなものをお選びください、とのことでした。けど、もう、ぼくは選ぶ力もなくなっていましたので、よく知っている叔母が頼んで、ケーキは箱に入れてもらって持って帰りました。

まあ、強烈な体験でしたね(笑)。欧米の人達は、アジア人とは胃袋が違うことを痛感しました。



でも、ものすごく美味しかったので、20歳代には、東京で機会を見つけては、フランス料理を結構食べ歩きました。その中で、特に、印象に残っているのは、渋谷の「シェ・松尾」、新宿センチュリーハイアット最上階の「シュノンソー」、キュイエルヌーボーの西麻布の料理の鉄人の石鍋裕さんの「クィーンアリス」等です。が、その後、30歳代になって、日本に上陸した中華の飲茶料理に出会ってからは、フランス料理店からは遠ざかりましたし、四国・高松にUターンしたあと、40歳を越えてからは、和食党になってしまいました。



さて、次に、四国のフランス料理店の状況に触れたいと思います。

かつて、ぼくが社会人になって東京で住友信託銀行に就職した1979年当時、高松市、いや、香川県にはフランス料理店は一軒もありませんでした。

四国では、わずかに、愛媛県松山市三番町にある、夏目漱石が宿泊した古い旅館「きどや」の若主人がフランスに留学して腕を磨いて帰国して、旅館の一部を改装して開いた「ビストロきどや」がたった一軒あっただけでした。

住友信託銀行在勤中に一度だけ地方店勤務をした松山支店に勤務していた23歳当時、松山の「ビストロきどや」には、東京よりもはるかに安かったし美味しかったので、よく食べに行きましたけど、ご主人に聞くと、香川県は一戸建てのフランス料理店が経営できない状況だ、とのことでした。

もちろん、当時、住友信託銀行本店のあった大阪淀屋橋に出張した時には、「ビストロきどや」のご主人お奨めの、心斎橋の「ビストロ・ヴァンサンク」や、堂島の「ビストロ・ド・ヴァン」に、よく食べに行ったものです。

まあ、まだ若かったんでしょうね。でも、高松の老舗旅館で生まれ育ったぼくは、当時から、ナイフやフォークで食べるのは大嫌いでした。特に、サラダや前菜の細かなものは、お箸で食べた方が合理的だと思っていましたので、「お箸はありますか。」っていつも質問して、あったら出してもらっていました。

こういうの、って、おっさんだとか、っていう年代の問題じゃなく、育った環境だとぼくは確信しています。だってね、ホテルに宿泊して、バスルームに入って、バスタブに漬かると、お手洗いが見えるじゃないですか。あれって、絶対に、不愉快ですよね。あれが愉快な日本人、っているのかな、って、いつも思うのですよ(笑)。



ところが、21世紀になった今日では、高松市内には、20店近いフランス料理店があるのです。

主なところだけでも、「アリスインタカマツ」(サンポートタワー最上階の30階に入っている、料理の鉄人・石鍋裕さんの東京西麻布の『クィーンアリス』の高松FC・FCを受けているのは商店街のヘンミさんです。)、「ポワエデュポン」(屋島にある衆議院議員の平井たくや経営の店)、「香松」(昔は懐石料理店だったはずなのですけど・・・・・)、「香味亭 」、「ぐりる屋島」、「タント・タント」、「プロバンス」、「メゾン・ドゥ・シェフ」、「ラ プロヴァンス」、「ブラッスリー・ルパ」、「モリゾウ」、「サンミッシェル」、「ココリコ」、「シェ・クサカ」、「シェ・テス」等・・・・・、時代は変わったのですね。



しかし、こうした中でも、高松市、いや、四国ナンバー1のフランス料理店、として断言出来る(笑)お店が、『オーベルジュ』です。



思い起こすと『オーベルジュ』のマスターとは、もう、長い長いお付合いになります。



はじめて出会ったのは、四国・高松にUターンした直後、14年前、1994年のことでした。

『キャトル・サンク』というフランス料理店は、高松市の「ライオン通り」という商店街の11号バイパスの入口の雑居ビルの中にありました。

仕事の関係で、東京からお呼びした経営コンサルタントの先生が、どうしてもフランス料理を食べたいとのことで、美味しいお店を捜していた時に見つけたお店でした。

下見に食べに行ったぼくは、素晴らしいソース、健康に気を使ったキュイエルヌーボーのメニュー、新鮮なお魚を使っていること、そして何よりもデザートの素晴らしさに感動しました。

高松にもこんなフランス料理店が出来たんだ、と感動して、マスターの大石さんとお話しました。この時、彼は、雄大な自分の夢をぼくに語ってくれました。

「フランス料理とワインは不可分だから、車社会の現代において、ワインというお酒を飲んだ後、お客様に自動車を運転して帰宅していただくのは申し訳ないことだ。だから、車で移動することの多い高松市内で本格的なフランス料理を楽しんでいただくには、宿泊施設をフランス料理店が併設しないといけないと思っている。お食事とワインを堪能していただいてご宿泊いただけるようなお店を作ることが、私のフランス料理人としての夢なんです。」

素晴らしいお話でした。でも、そんな夢みたいなことかなうのかな、とぼくは思っていました。

しかししかし、『キャトル・サンク』は連日大賑わいのお店になり、予約しないと食べられないような状況になりました。



そして、1998年、『キャトル・サンク』のマスターの大石さんの夢は実現しました。

すなわち、高松市の屋島の麓に、宿泊施設をフランス料理店が併設した、『オーベルジュ ドゥ オオイシ』がオープンしたのです。そして、2005年に『オーベルジュ』と社名変更をして、今日に至っています。



ホテルの中のフランス料理店は、賃料の問題があって、どうしても、お値段が高くなってしまいます。また、ホテル直営であっても、原価率をいくらにしないといけない、という縛りがあるので、高価になってしまうことをご存知の方も多いことと思います。

でも、フランス料理店が先にあって、宿泊施設が付随していれば、このあたりはクリア出来るのです。その点では、フランス料理店としては、究極のCS(顧客満足)を提供しているお店なのです。

もちろん、お値段はそれなりにします。しかし、宿泊代は40000円弱ですが、コース料理は5000円〜10000円前後です。

このCSの心意気をぼくは買いたいし、お料理の内容は、当然素晴らしいことは当然だと思います。だから、断言(笑)出来るお店なのです。



もしかしたら、同じコンセプトのお店は、日本にも他にあるのかもしれません。



しかし、場所が素晴らしいのです。瀬戸内海に面した高松の景勝地の屋島の麓なのです。フランス料理とワインを堪能して宿泊した人達は、瀬戸内海と緑に囲まれて、瀬戸内海の穏やかな海の音を聞きながら目覚めることが出来るのです。



10年に一度くらいは、訪れてみたいフランス料理店、こういうものがあってもいいな、とぼくは思っています。



掲載写真は、『オーベルジュ』から眺めた、屋島沿岸の瀬戸内海の夕焼け、です。

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