
さて、最近感動した、ぼくの勤務している会社が経営コンサルタントを入れて指導している、香川県三豊の高瀬町にあるJA香川県産直店「たかせふれあい産直店」を視察した際に、店員よしえさんと、杖をついたおばあちゃんのお客様たまさんの対話をご紹介しましょう。
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よしえ「いらっしゃいませ。」
たま「ごめんください。どっしたんな。合田さんのチーズケーキないんな。」
よしえ「へぇ。合田さんのぶんは、もう今日は売れてしもうたんじゃ。ごめんのう。」
たま「ほーなー。ほんだら、どなんしようかのう。」
よしえ「隣のぶんどうなぁー。畑田さんのスウィートポテト、これも美味しいんで。」
たま「スウィートポテト・・・・・。スウィートポテト・・・・・。スウィートポテト言うてなんなあ。」
よしえ「さつまいものぶんじゃあ。」
たま「スウィートポテト・・・・・。さつまいものぶん・・・・・。さつまいものぶんなぁ・・・・・。」
よしえ「買いまい。買うときまい。美味しいで。」
たま「ほーなー。ほんだら分けてもらうわ。」
・・・・・(レジが終わった後)
よしえ「有難うございます。」
たま「有難う。また来るけんのう。」
よしえ「また来まいの。今度はもうちょっと早う来て、合田さんのぶん買いまいの。」
たま「へぇ。そなんするわ。」
よしえ「有難うございました。」
たま「ご親切に有難う。」
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・・・・・さて、この一連のさぬき弁の対話の中で、特筆に値することは、店員のよしえさんがお客様のたまさんに、「買いまい」「買うときまい」「来まい」と4回も命令していることです。さぬき弁の中でも特に「・・・・・まい」という命令形は、特筆に値するもので、これがなかったら、会話の相手を動かすことが出来ないこともありますが、この例では、それが一番端的に現れています。
もし、この「買いまい」「買うときまい」が正しい敬語の「ご購入下さい」「お買い上げ下さい」になっていたら、たまさんは、まず、スウィートポテトを買わなかっただろうということは明確ですし、「来まい」が正しい敬語の「お越し下さい」「ご来店下さい」となっていたら、果たして次回ご来店いただけるのかどうか、はなはだ疑問なのです。
なぜならば、「・・・・・まい」というさぬき弁は、命令しながら、その行動を励ますような働きがあるからなのです。
この対話においては、たまさんは、生まれて初めて耳にした「スウィートポテト」がどんなものなのか不安になっているのですから、ただ「ご購入下さい」とお願いしただけでは購入行動に移っていないと思うのです。従って、このケースでは、よしえさんの言った「買いまい」「買うときまい」が、讃岐人どうしのさぬき弁会話においては、
『スウィートポテトなんて怖くない。』と、たまさんを励ます効果があるのです。
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・・・・・このあたりの地方都市ならではの方言のよさというものは、ウェブ空間では表現不可能だろうと思っています。というのも、方言は、その地域に住んで暮らして来た人々が長く刻んできた時間や歴史、気候、風土、太陽の光の強さ、平均気温、湿度等と不可分だからなのです。
『知識』なんて、誰でも勉強すれば身につけられます。
でも、『感受性』に基づく、相手に対する思いやりやバリアフリーな生活態度は、ただの知識習得の勉強だけでは身につかないものなのです。
ご高齢のたまさんは、生まれて初めて「スウィートポテト」という言葉に出会ったようで、それを買うためにお金を使うことではなく、それを口に入れることを怖がっているのですから、ここでの、店員のよしえさんの、
「買いまい。買うときまい。」
と、たまさんの知識不足を思いやって知識習得を励ましていることは見事な応対なのです。(だから、最後にたまさんが「ご親切に有難う。」と店員のよしえさんに言ったのは、自分を励ましてくれたことに対する御礼なのです。)
ここで、東京のように、
「ご購入いただけませんか。」なんて質問しながらお願いする言葉は、全くナンセンスだし、
大阪のように、
「買うてくれはるんなら、お勉強しときます。」なんて金額に全て持ってゆく即物的な応対は、全く人間性無視の、さぬきでは嫌われる応対なのです。
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以上のぼくの書いたことをお読みになっても、この対話が繰り広げられた現場にいた人でないと何も伝わらないでしょう。
ウェブ上においては、ローカル色を出そうと、方言でホームページを作っている人達もいるようです。それは、その地域在住の仲間達が見るだけのサイトとしては重要なので、どんどん増えていけばよいと思います。
・・・・・が、ぼくのハンドリングしているテーマが、音楽というインターナショナルなものなので、このあたりの問題は悩ましいことなのです。
『百聞は一見にしかず』なんだから。
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掲載写真は、高松市の風景から、『瀬戸内海・高松港沖からの屋島の眺め』、です。が、このあたりの美しい風景は、讃岐うどんの麺、共々、実際に高松でご覧にならないと本当には感知出来ないと、思っています。


