神は存在するのか。
この問題は哲学における永遠の命題である。

過去に何人もの偉大な哲学者や聖人たちが
神に想いを馳せ、議論を戦わせてきた。

俺はそんな彼らの足元にも及ばない、
一介のニートに他ならない。
それでも俺は・・・大変僭越ながら
神について少し考えてみることにした。

俺は着の身着のまま近所の野っぱらに行き、
3日間寝ずの瞑想を続けた。
そして4日目の日が昇る頃、
俺の体の中を稲妻が駆け巡った!!
その瞬間、俺は圧倒的閃きを得た!!
全知全能であるはずの神の存在を理論的に否定する方法を!!
これは歴史が変わるほどの画期的な証明方法だ!!
これはまさしく、神の啓示!!神の御神託に違いない!!

いやいや、この時点で俺の発言は既に矛盾してるだろ。
なぜならこれからその存在を否定しようとする神から
神託など得られるはずがない
のだから。

まあともかく、俺は3日間の苦行の末に
完全完璧であるはずの神の存在を
否定する方法を思いついたのだ!!
これを歴史的大発見と言わずして何と言おう!!

さて、前置きが長くなったが、
今ここにその具体的な法を記していきたいと思う。

なお、神を否定する証明において、
小難しい専門用語や哲学用語を羅列しても
分かり難いだけで面白みの欠片もない。
よって、今回は分かりやすく対話形式にしてみた。


*****全知全能の神が存在しないことの証明******
俺「全知全能の神が存在しないことを証明するために、
 まずは全能の神が存在しないことを証明してみようと思います。
 それではここで、全能の神に登場してもらいます」
神「私は全能の神である」
俺「はい。それでは、あなたは全能な神ですから、
 あなたに実現不可能なことなど何もないということですね?」
神「もちろんだ」
俺「では、あなたに一つお願いごとがあるのですが?」
神「何なりと、申してみよ」
俺「それでは、今ここに
 あなた自身が実現不可能である命題を提示して欲しいのです」
神「?」
 繰り返すようですが、
 あなたは全能な神で、実現不可能なことなど何もない。
 と言うことは、あなたが自分に実現不可能な命題を作り出すことも
 あなたには実現可能なわけですよね?」
神「いいや、私は私自身が実現不可能な命題を作り出すことは出来ない」
俺「それはなぜですか?」
神「なぜなら、私は完全完璧な存在であり
 実現不可能なことなどないのだから」
俺「それは矛盾していませんか?」
神「・・・・・・」
俺「それではここで、これまでの矛盾点を整理してみましょう。
 もし、あなたが全能の神であるのなら
 あなたには自身が実現不可能な命題をも作り出すことが可能です。
 しかし、もし、あなたが自身が実現不可能な命題を
 提示することができたとすれば、それは
 あなたは自分が実現できないことがあることを認めることになり、
 その時点であなたは自身が全能ではないと証明してしまうことになります」
神「・・・・・・」
俺「この矛盾は、全能の神だけに適応されるものではありません。
 全知の神もまた、同じ理屈でその存在が否定されます。
 それはどういうことかというと、もし仮に全知の神が存在するとしても、
 彼は全知であるがゆえに自分が知らないことをも知っている。
 それはすなわち、彼自身が全知の神でも知りえないことがある
 と認めることになるから、それは即ち、彼は全知ではない。
 つまり、全知の神もまた存在し得ないということになる」
神「・・・・・・」
俺「以上をまとめると、全知全能の神など
 この世に存在しないということになります」
神「いや、しかし、待ってくれ・・・
 そう、神は人知を超えた存在なのだ。
 と言うことは神は、全知とか無知とか、あるいは全能とか無能とか
 そう言う概念を超越した存在なのだ。
 よって、神の存在を証明することなど、初めからできないのだ」
俺「それは確かにそうかもしれません。
 一般的に、その存在を証明できないと言うことは
 イコールそれが存在しないと言うことにはならない。
 例えば、現代科学で霊魂の存在は証明できませんが、
 百年二百年経って科学が進歩すれば、もしかしたら
 科学的に霊魂の存在を証明できるかもしれない。
 にもかかわらず、巷には霊魂の存在を否定する科学者がいる。
 そのような科学者のふるまいは、まるで科学的態度とは程遠いものです。
 なぜなら、霊魂の存在を頭ごなしに否定することは
 将来証明できるかもしれないと言う
 その可能性の芽を摘むことになってしまうからです。
 霊魂の存在を否定することは
 科学的論理的あるいは哲学的理性的な判断とは
 とてもではないが、言えません。
神「その通りだ。
 ただ、一つ付け加えることがあるとすれば、
 現時点では・・・現代科学をもってしても
 神の存在を証明することは不可能だということだ。
 むしろ人間の分際で神の存在を否定しようと試みること自体、
 非常におこがましい行為なのだ」
俺「確かにそれは一理ありますね。
 しかしながら、私が本当に言いたいことは
 目下、我々は“全知全能の神が存在するか否か”
 と言う命題について論じているわけであって
 “我々の認識を超越した偉大なる神”
 について論じているわけではない。
 あなたの“神は全知無知、全能無能を超越している”と言う発言は
 本来の議論の範疇から完全に逸脱しており
 これは即ちあなたがこの議論から逃げているということであり、
 それ即ちあなたが自身の負けを認めることに他なりません」
神「なん・・・だと・・・?」
俺「そしてもっと言えば、あなたの論法では
 あなたは全知全能の神が存在しないことを
 自身の口から白状してしまっているのです。
 あなたの言葉を借りるなら“神は人間の認識を超越した存在”であり
 “全知無知や全能無能”と言う人間の価値判断で考慮するのは
 杓子定規と言うことになります」
神「その通りだろう?」
俺「そう、すなわち、もっと噛み砕いて言えば、
 全知全能と言う言葉は神を表現する言葉としては不適切だと言うことです」
神「その通りだ」
俺「そして、全知全能の神と言う表現が不適切と主張する根拠は何かと言えば、
 それは全知全能の神が存在しないこと以外にありえない。
 すなわち、あなたの言っていることは
 全知全能の神は存在しないといっているのと同義なのです」
神「・・・・・・」
俺「はい、論破ーwwwww」
神「うぜええええええええええwwwww」
俺「はい。
 と言うわけで、全知全能の神はこの世に存在しない
 と言うことが証明されました。
 おわり」
***********************

俺って天才じゃね?wwww
全知全能の神を論破してやったぜwwww
新世界の神になるのは、この俺様だwww

しかし、全知全能である神の存在を否定するとは
神への冒涜以外の何者でもないなwwww
世が世なら、この俺の神をも恐れぬ所業を聞きつけた
カトリック教会から、異端審問されて
宗教裁判で死刑にされるかもわからねぇwww
くわばらくわばらwwww


ただし、ここで一つ付け加えておくと、
「全知全能の神」の存在が否定されたからと言って、
「全知全能ではない神」の存在が否定されることにはならない


その証拠に、この世界を見てみよ。
人々の争いは耐えることなく、
欲と食べ物に飢えた人間が地べたを這いずり回っている。
善行は日の目を見ることなく、努力は報われることがない。
闇に光が当たることはなく、世界中に悪がはびこっている。
そんな腐った世の中を尻目に、神が何をしているのかと言えば
救世主と呼ばれる人間をちまちま地上に派遣しているだけ。
さらに、その派遣された救世主が
宗教を乱立したせいで宗教対立が起こり
戦争と飢餓が増え、結果的に火に油を注ぐ結果になっている。
神は、無能だ

そもそも。
絶対善の存在である神が、なぜこの世に悪を造ったのか。
全能であるはずの神が、なぜ不完全な人間を造ったのか。
全知であるはずの神が、なぜ未来を知ることが出来ないのか。

そう言う部分だけ見ても、やはり神が存在するとしても
その神は万能ではない

しかし一方で、俺はこう思う。
神と言う概念は人間が考えた最も偉大な発明」だと。
なんせ、神という概念を利用すれば、
信者は魂の平安を得られるし、犯罪を思いとどまることも出来る。
そして教会は信者から金を巻き上げることも、
互いに争わせることもできる。
このように、神と言う概念は方法次第で如何様にも応用が効く。
それこそ利用価値は計り知れず、可能性は無限大だ。
そう言う意味で、神はまったくもって万能なのだ。

以上をまとめると、
人々の考える神は万能だが、
実際の神は万能ではない
と言うことになる。
これは非常に興味深いことである。

それでは、果たして万能な神と無能な神
どちらが真実の神の姿なのか。
それは、上で証明された通りである。
そして、ここで一つ付け加えるとするならば、
神は我々を創造したかもしれないが、
我々もまた神を想像し続けている
、と言うことである。
鶏と卵、どちらが先にあったかと言う問題は
瑣末な問題に過ぎない。
重要なのは、鶏が卵を産み、卵から鶏が孵るということだ。



ちなみに、アカシックレコードにはこう書かれている。
神は全知ではないが、自分が知らないことが何かを知っている。
神は全能ではなく、自分が出来ることのみ何でも出来る。


神は自身について熟知している。
故に、神は自分が知らないことは知らないと知っているし、
出来ないことは出来ないと素直に認める。
神がもし存在するなら
それはとても賢明で謙虚な存在であると
十分に想像できるだろう。




そして、今回俺が学んだことは、
神について議論することは非常に不毛なことだと言うことだ。
それは、愛や悟りについて議論することと同じぐらい不毛だ。
それは、哲学的な試行としては一興だし、頭の体操ぐらいにはなるが、
大いなる時間の無駄であることに相違あるまい?
もし、本当に神を知ろうと思ったら、内観しまくって悟るしかない。
漠然とした抽象論をこねくり回しても、周りはおろか、
自分自身を煙に巻くことにしかならない。
もしこの世に悪魔が存在するとしたら、
彼は他人はおろか自分自身をも完全に騙すことができる詐欺師に違いない