【外交文書公開】琉大事件 苦渋の処分 安里学長、大学存続で判断 

2011年2月19日 10:01

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-173678.html
 18日公開の外交文書で、1956年8月17日に、反米的言動を理由に琉球大学の学生が退学処分になった「第2次琉大事件」に関し、当時学長の安里源秀氏が「大学の自由と自主はあくまで獲得しかつ堅持したいと考える」と語るなど、大学の自治を追求しながらも米側の強圧的な態度に屈した心情を明かしていた。
安里氏の事件に対する心情が明らかになるのはこれが初めて。
処分から1週間以内という早い段階で、日本政府に学生の救済を求めていたことも分かった。

 文書によると安里氏の発言は56年8月23日付。
同日付で聞き取りをした高島省三・那覇日本政府南方連絡事務所長が石井通則・総理府南方連絡事務局長に報告。
同年9月12日付で中川融(とおる)・外務省アジア局長に転送されていた。
 
 安里氏は、琉大財団が援助を打ち切ると宣言したことの影響はほとんどないとしながらも「(米民政府が)大学の存廃にまで問題の考え方を飛躍せしめた」とし、退学処分は教育上の判断でなく、琉大存続のためやむを得なかったとしている。
 日本政府に対し「個人としては本土方向に何とか救いの途(みち)を求めたい」と話し、処分学生の救済に本土大学への編入学を早い段階で求めていることも分かった。
その上で「何とかして教育だけは政治的に左右されないような線にもっていけないものか」と大学自治へ協力を訴えた。
 事件に詳しい琉球大の山里勝己教授は「安里氏は生前、事件に関する個人の思いを一切語っていなかった」と文書の意義を強調。
その上で「琉大は2度、学生を謹慎処分にすると決めたが、それを覆し退学処分にしたのはバージャー民政官の意思だった。安里氏はそれを公にすると大学に迷惑が掛かるためできない。孤立無援の琉大がどこに助けを求めたか。大学人の理想が権力で踏みにじられた無念さが伝わる」と指摘した。
 琉大は事件から51年後の2007年、米側の圧力で行った学生処分は誤りだったとして7人の処分を取り消した。

<用語>第2次琉大事件
 1956年7月28日に開かれた米軍の軍用地料一括払い(プライス勧告)に反対する四原則貫徹県民大会のデモで「ヤンキーゴーホーム」などと反米的言葉を叫んだとして同年8月17日、責任者の学生ら6人が退学処分、1人が謹慎処分を受けた。
53年の第1次琉大事件では、学生が大学への届け出無しに原爆展を開催したことなどをきっかけに、4人の学生が退学処分になっている。

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   安里源秀氏



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