「琉大事件」を考える(仮称)

~琉大事件に関する情報を集めています~

1953年、米軍の支配下にあった沖縄で、
学生の「原爆展」開催を理由に 4人を退学処分にするなど 
若者たちの平和への叫びを封じようとしたのが「琉大事件」

朝鮮戦争下で原爆展 『琉大事件とは何だったのか』

April 2016

資料の電子化

これらの資料の整理&電子化は
ゴールデンウィークが明けてからだなぁ^^;
紙の大きさも、A3だし^^;
image

きょう「4・28」 沖縄「屈辱の日」を知ってますか?

ryukyu-logo

きょう「4・28」 沖縄「屈辱の日」を知ってますか?
2016年4月28日 05:04
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-268569.html 


1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効してから28日で64年となった。

敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。

沖縄が日本復帰するまで米施政権下にあった27年間、本土から沖縄へ基地が移転。

日本国憲法が適用されず、人権が蹂躙(じゅうりん)された。

過重な基地負担など現在の沖縄差別の源流ともなったこの日は「屈辱の日」と呼ばれる。

 日本政府は52年7月、米国民政府との連絡を担う那覇日本政府南方連絡事務所(南連)を設置したが、沖縄の住民を「琉球住民」と定義し、沖縄在住で日本本土の国籍を持つ「日本人」とは区別していた。

南連の沖縄政策は、「日本人」は保護の対象だが「琉球住民」は対象外としており、識者は「沖縄差別の源流ではないか」と指摘している。


 2013年4月28日には、安倍晋三首相が主権回復の日式典を催し、沖縄からは強い反発の声が上がった。

 28日午後6時15分から、沖縄平和運動センターが県民集会とデモ行進を県庁前で開く。





沖縄 ブログランキングへ 

琉球大学-Wikipedia

琉球大学-Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E5%A4%A7%E5%AD%A6 

250px-University_of_the_Ryukyus_in_early_1950s


建学の理念
「自由と平等・寛容と平和」・・・1950年創設の翌年(1951年)、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの誕生日を選んで2月12日開学記念式典を挙行した。
リンカーンにあやかり、琉球大学は戦後の平和な社会建設の礎として「自由と平等・寛容と平和」の理想をかかげて建学の理念とした。


沿革

開学前

第二次世界大戦前の沖縄県には、大学や高等学校・高等専門学校といった高等教育機関は一つもなかった(師範学校・青年師範学校(大戦末期に高等教育機関化)のみ存在)。
このため、日本の新制国立大学で、一番特殊な発達を遂げた。

1946年(昭和21年)
具志川村(現うるま市)に、小学校等の教員養成を目的とした沖縄文教学校が開学。
また、外国語教育の施設として沖縄外国語学校が開校。

占領下の沖縄でも1947年(昭和22年)には六・三制の新制学制を実施、また同年に大学設置要求が起きると、米国軍政府教育部は沖縄民政府にたいして、1948年(昭和23年)にジュニアカレッジの設立を指令し、1950年(昭和25年)に琉球大学が設立された。



開学後

1950年代の琉球大学

1950年(昭和25年)5月22日 - 米国民政府布令第30号「琉球大学」に基づき、那覇市首里の首里城跡に「琉球大学」が開学
英語学部・教育学部・社会科学部・農学部・理学部・応用学芸部の6学部で構成され、
沖縄文教学校、沖縄外国語学校は琉球大学に吸収される。

1951年(昭和26年)- 林学部を設置。

1952年(昭和27年) 
4月1日 - 英語学部を語学部に改称、応用学芸学部を商学部・家政学部に分離。
5月5日 - 奄美大島に琉球大学大島分校を設置。




1953年(昭和28年)
12月25日 -奄美大島の本土復帰により、大島分校を廃止。

オバマ大統領訪問の地ならしか…ケリー国務長官が広島・平和記念公園を訪問へ 原爆投下正当化する米世論なお根強く…

オバマ大統領訪問の地ならしか…ケリー国務長官が広島・平和記念公園を訪問へ 
原爆投下正当化する米世論なお根強く…
2016.4.4 06:30

logo_header_news

http://www.sankei.com/world/news/160404/wor1604040010-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/160404/wor1604040010-n2.html

 【ワシントン=青木伸行】
 米国務長官では初めてとなるケリー国務長官の広島訪問は、オバマ大統領が5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の際に広島を訪れるかを判断する上での“試金石”になるとみられ、注目される。

 これまでに広島を訪れた米政治家では、大統領権限継承順位が副大統領に次ぐ、民主党のナンシー・ペロシ下院議長(当時。2008年訪問)が最高位。国務長官は筆頭閣僚に位置づけられ、ケリー氏は閣僚として最高位の広島訪問となる。

 ケリー氏は各国の外相とともに、広島市の平和記念公園を訪問する。

 広島などでの平和記念式典に昨年、キャロライン・ケネディ駐日大使と参列したガテマラー国務次官は、オバマ氏の広島訪問について「ホワイトハウスで検討されている。大統領は広島を訪問できれば光栄だと話している。
いつ、どのように実現するかは彼が決めることだ」と述べた。


 訪問の是非の判断と決断はひとえに、オバマ氏自身とホワイトハウスにかかっている。米政府筋は「現時点では決まっていない。ケリー氏の広島訪問の反響を見るまで、大統領の訪問の可否が決定されることはない」としている。

 日米両政府はケリー氏の訪問と、オバマ氏が訪問する場合の主な意義を(1)原爆死没者を慰霊し、世界の恒久平和を祈念(2)日米の“歴史問題”の払拭に努め、絆を強化(3)オバマ氏が09年、プラハ演説で打ち出した「核兵器なき世界」の強調-と位置づけている。

 一方で、米政府が懸念しているのが、オバマ氏の訪問で「謝罪を強いられる可能性」(関係者)だ。米国内には退役軍人を中心に、原爆投下を正当化する世論も根強く、反発を招く恐れがあるためだ。そうなれば、大統領選の行方にも微妙な影響を与えかねない。

 これらに対する国内外の「反響」をオバマ氏は、ケリー氏の訪問を通じて見極め、「大統領として日本を訪問する最後の機会に、日米関係がさらに良くなる努力」としての広島訪問の是非を、判断するとみられる。

「よく分かっていない」 オバマ米大統領が核武装容認発言でトランプ氏を批判

「よく分かっていない」 オバマ米大統領が核武装容認発言でトランプ氏を批判
【ワシントン=加納宏幸】
オバマ米大統領は1日、ワシントンで開かれた核安全保障サミット終了後の記者会見で、米大統領選で共和党候補指名を争う不動産王、ドナルド・トランプ氏(69)が日本や韓国の核武装を容認する発言をしたことを強く批判した。  

オバマ氏は米軍の核抑止力を前提とする日米、米韓の同盟関係を地域の安定の「礎石」であるとし、第二次大戦後、地域を破滅から防ぐことができたと強調。
トランプ氏が「外交や核政策をよく分かっていない」と指摘し、「米大統領は世界で起きていることを知っている必要がある」と述べた。

「過去の過ちから学んだか」ムヒカ前大統領が広島で献花

logo_header_news
2016.4.10 16:16

「過去の過ちから学んだか」ムヒカ前大統領が広島で献花
http://www.sankei.com/world/news/160410/wor1604100039-n1.html


  来日中の南米ウルグアイ前大統領のホセ・ムヒカさん(80)が10日、広島市の平和記念公園を訪問した。
「世界でいちばん貧しい大統領」の愛称で知られるムヒカさんは、原爆資料館を見学後「私たちは過去の過ちから学んだだろうか」と記帳した。
 ムヒカさんは館内で、原爆の惨状を伝える展示を真剣な表情で見て回った。
芳名録にはスペイン語で「倫理を伴わない科学は、想像もできない邪悪なものに利用されかねない。
地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す」と記した。
 ムヒカさんの広島訪問は、10日からの先進7カ国(G7)外相会合と重なった。
案内役の志賀賢治館長によると、原爆ドームも見学し、原爆慰霊碑に献花した。
(共同)

「オバマ大統領は広島訪問を」 米紙が決断促す社説を相次ぎ掲載 「非核の時代継承を」

logo_header_news 2016.4.16 13:30

「オバマ大統領は広島訪問を」 米紙が決断促す社説を相次ぎ掲載 「非核の時代継承を」 
http://www.sankei.com/world/news/160416/wor1604160038-n1.html 
 米紙ワシントン・ポスト電子版は15日、1945年に広島、長崎に原爆が投下されて以来、核兵器が使われなかったという「偉業」を次の70年も続けるための土台を築くべきだとする社説を掲載し、オバマ米大統領に広島訪問を促した。
 ニューヨーク・タイムズ紙もオバマ氏の広島訪問に賛同する社説を掲載したばかり。
現職米大統領による初の被爆地訪問に、肯定論が広がっているようだ。
 ポスト紙は、オバマ氏は広島で、核の恐ろしさに警鐘を鳴らし続けてきた被爆者や日本の人々に対する敬意を表明するべきだと主張。
米国による原爆投下の是非に踏み込む必要はないはずだと指摘した。
 広島訪問には、米大統領選の共和党指名確保を目指す実業家トランプ氏らの批判が予想されるが、核兵器が使われない時代を継続するには「献身」が必要だとして、オバマ氏に決断を求めた。
(共同)
 

4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)

4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)
http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2013/04/4281952.html  
 ホーム > 公文書館通信 > あの日の沖縄 >
4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)

 1952(昭和27)年4月28日、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、太平洋戦争で敗戦した日本は独立国として主権を回復しました。

 その一方で、沖縄・奄美は日本から切り離され、米軍の施政権下に置かれました。

 また、同年41日、全琉球を統一する住民側の政府ともいうべき琉球政府が発足しました。しかしその活動は米国統治下で制限されたものでした。

 

 1951(昭和26)年9月8日、サンフランシスコ会議において日本と旧連合国48カ国が同条約に調印しました。日本からは当時の首相吉田茂(よしだ・しげる)が出席して署名しました。

 そして同条約第3号により、北緯29度以南の奄美や沖縄の南西諸島を日本の行政権から切り離し統治することが国際的に決定されました。

 

 同条約が発効される以前、アメリカは戦時国際法『ヘーグ陸戦法規』を根拠に沖縄を占領してきましたが、サンフランシスコ平和条約と同日に『日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』(安保条約)も発効し、それによってアメリカ軍の日本駐留が認められました。

 

 

 1950年代からは米軍基地の建設が本格化しました。

 

 アメリカ政府の出先機関である琉球列島米国民政府(USCAR)は、布令・布告を公布するなどして新規に土地を接収し、基地を拡充していきました。 


http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2013/04/4281952.html 
ホーム > 公文書館通信 > あの日の沖縄 > 4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)


 

第一次琉大事件があったのは、1953年。

米軍オスプレイ初投入、実績づくりに疑問の声も【熊本地震】

米軍オスプレイ初投入、実績づくりに疑問の声も【熊本地震】

朝日新聞デジタル  |  執筆者: 二階堂勇
投稿日: 2016年04月19日 09時26分 JST

米軍の新型輸送機オスプレイが18日、熊本地震の被災地へ物資輸送を始めた。オスプレイが日本の災害対応に使われるのは初めてだ。今回の救援活動に必要なのか。安全面に問題はないのか。疑問の声が出ているが、日本政府と米軍は、オスプレイの災害派遣での実績づくりを急いだ。

防衛省によると17日に4機が米軍岩国基地に到着。そのうち2機が18日午後、熊本空港と被災地の熊本県南阿蘇村を2往復し、水や食料、簡易トイレといった救援物資を運んだ。

だが、自衛隊にも約60人乗りの大型輸送ヘリCH47が約70機ある。約30人乗りの米軍オスプレイがさらに必要なのか。疑問の声が上がる。

「オスプレイに対する国民の恐怖感をなくすために慣れてもらおうということで、こういう機会を利用しているとすれば、けしからんことだ」。共産党の小池晃書記局長は18日、朝日新聞の取材に語った。同日の参院決算委員会で同党議員に質問された中谷元・防衛相は「安全性を保証している。自衛隊のヘリ能力だけでは十分に現地に物資が届けられていない」とオスプレイの必要性を強調した。

安倍晋三首相は、17日午前8時半過ぎには米軍の輸送支援について「直ちに米軍の支援が必要という状況ではない」と語っていたが、2時間半後には「輸送ニーズが整い次第ただちに実施したい」と方針転換した。防衛省関係者は「米軍オスプレイの支援は必ずしも必要ではないが、政治的な効果が期待できるからだ」と説明する。

米軍普天間飛行場のオスプレイには、騒音被害や事故への懸念が絶えない。自衛隊が陸自オスプレイ17機を佐賀空港(佐賀市)に配備する計画も、地元の反対で進んでいない。

しかし、今回オスプレイを十分に活用できれば、その安全性や性能を広く知らせる機会となりうる。中谷氏は、18日の参院決算委でオスプレイは垂直離着陸が可能であることから「山間部など狭隘(きょうあい)な場所でも物資を運ぶことができる。災害時に役立つ能力がある」と有用性を強調した。

自衛隊と米軍は18日、陸自西部方面総監部(熊本市)に、物資輸送の割り振りをする「日米共同調整所」を設置した。昨年改定した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)では、日米が災害で協力することも盛り込まれた。今回のオスプレイの活動は「日米同盟が深まっている」(別の防衛省関係者)ことを示す場でもある。


n-OSPRAY-large570
 


沖縄 ブログランキングへ 

戦後をたどる―「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ

IMG_20160129_230356

戦後をたどる―「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ 
那覇市歴史博物館
出版社: 琉球新報社 (2007/02)

戦後をたどる―「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ Amazon




沖縄奄美運動返還史

FB_IMG_1459638812123

沖縄奄美返還運動史   高安重正

琉文21
高安重正(1906年4月18日~1978年11月28日) 

ケリー国務長官、原爆慰霊碑に献花 「謝罪はしない」と米高官【G7外相会合】

ケリー国務長官、原爆慰霊碑に献花 「謝罪はしない」と米高官【G7外相会合】
The Huffington Post  |  執筆者: 中野渉
投稿日: 2016年04月11日 15時52分 JST 更新: 2016年04月11日 16時05分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/11/hiroshima-john-kerry_n_9657586.html
 
アメリカのジョン・ケリー国務長官は4月11日、広島市の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花した。
広島が世界初の原爆攻撃を受けた都市になって以来、アメリカ政府関係者の訪問としては最高位となった。
ケリー氏は、主要7カ国(G7)外相会合のために広島を訪れていた。

11日午前には岸田文雄外相と会談し、「広島は私にとっても特別な意味を持つ場所だ。

平和記念公園はいかに平和が重要かを示すものだ。大量破壊兵器などの絶滅のために両国がリーダーシップをとる必要がある」と語った。

しかし、被爆地で原爆の犠牲者を追悼したケリー氏は、アメリカの原爆投下について謝罪を明言することはなかった。

CNNは次のように伝えていた。 ケリー長官に同行している国務省高官によると、ケリー長官が今回の広島訪問で米国による核兵器の使用や原爆がもたらした惨状について謝罪する予定はない。

国務省高官は、「米国務長官が謝罪のため広島に来たのかと尋ねられれば、答えはノーだ」
「国務長官、そしてすべての米国人と日本人が、これほど多くの我々の国民に降りかかった悲劇に深い悲しみを覚えるかといえば、答えはイエスだ」と語った。  
(CNN.co.jp : 米国務長官、G7で広島初訪問 原爆投下の謝罪はせず より 2016/04/11 09:54)


アメリカ政府は5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に出席するオバマ氏の広島訪問を検討しているが、アメリカ国内には批判も根強い。

今回のケリー氏の訪問が「謝罪外交」とみなされれば、野党共和党などが反発するのは必至とみられ、アメリカ側は細心の注意を払っているもようだと伝えられている。

G7外相会合は11日、広島、長崎が原爆投下で「極めて甚大な壊滅と非人間的な苦難を経験した」と認め、核廃絶への決意を示した「広島宣言」を採択して閉幕した。

n-HIROSHIMA-JOHN-KERRY-11-KISHIDA-large570
 


沖縄 ブログランキングへ  


にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログ 

オバマ大統領 訪問に期待高まる広島「踏み込んだ発言を」

オバマ大統領 訪問に期待高まる広島「踏み込んだ発言を」
毎日新聞

オバマ大統領、サミット後に広島訪問を検討 ワシントンポスト紙報じる

オバマ大統領、サミット後に広島訪問を検討 ワシントンポスト紙報じる

The Huffington Post  |  執筆者: 吉野太一郎

投稿日: 2016年04月10日 19時09分 JST 

アメリカのワシントン・ポスト紙は4月9日(現地時間)、インターネットの記事を配信し、アメリカのオバマ大統領が広島訪問を検討していると報じた。

実現すれば、原爆投下国アメリカの現職大統領として初めて、被爆地を訪れることになる。




同紙はオバマ政権の高官の話として、最終決定ではないとしながら、5月末に開かれる伊勢志摩サミットの後に数時間、広島に滞在し、「核なき世界」を呼びかけた2009年のプラハ演説のような、核不拡散を呼びかける演説をする可能性に言及したという。

同紙はまた、2009年から13年まで駐日アメリカ大使を務め、2010年にアメリカ大使として初めて広島の8月6日の平和記念式典に参列したジョン・ルース駐日大使の「大統領は意欲的だと思う。歴史に敬意を示し、オバマ氏の公約(アジェンダ)を前進させるのに全力を尽くしている」とのコメントも紹介している。


2009年11月14日、訪日したオバマ大統領が、天皇陛下と握手しながら深くお辞儀。共和党から「弱腰」と批判された。

ホワイトハウスは、オバマ氏の広島訪問がアメリカ国内で批判の対象になることを強く認識している。2009年には、訪日して天皇・皇后両陛下に深くお辞儀する姿が、2012年の大統領選では共和党候補から「謝罪訪日」と攻撃された。特に2016年は大統領選があるため、オバマ氏の外交政策を「無責任」「弱腰」と批判する共和党から狙い撃ちされる可能性もある。しかし、オバマ氏らが「アメリカで大きな政治的反動を起こさず、戦争の犠牲者に哀悼の意を捧げることはできると自信を持っている」とする、ホワイトハウス側近とする人物の言葉も伝えている。

一方で同紙は、安倍晋三首相の側近の一部が、オバマ氏の広島訪問で安保法制に関する反対論が参院選前に再燃することを恐れていると指摘し、安倍首相のアドバイザーの一人が、広島訪問をオバマ氏の退任後に遅らせることも示唆したという。



o-HIROSHIMA-DOME-2015-570


hiroshima dome 2015
原爆投下から70年を迎えた2015年8月6日の原爆ドーム周辺





沖縄 ブログランキングへ   


にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログ 

在日米軍基地に核兵器、憲法第九条は偽善

環境とCSRと志のビジネス情報誌オルタナ

村上春樹 未公開インタビュー「まじめで強い日本人には、原発をなくすことができる」
http://www.alterna.co.jp/11243
■ 在日米軍基地に核兵器、憲法第九条は偽善
http://www.alterna.co.jp/11243/4
インタビューで村上氏は、米軍の日本への核兵器持ち込みというデリケートな問題にも触れた。

――日本の憲法はいまもって核兵器に反対し、その製造、所持、配置を放棄している。これは偽善だと村上は激しく非難する。アメリカ軍が日本の米軍基地に核兵器を持っていることは一般的に知られているのに、誰もが何も知らないかのように振る舞っているからだ。憲法第九条が、長い間「平和条項」と特別に呼ばれてきたことは誰もが知っているはずだ。(Reportage Japanから引用)

村上氏はこう言い切る。

「沖縄の米軍基地に核兵器があることをみんな知っているのに、知らない振りをしたため、中身の無い平和憲法になってしまった。憲法第九条が骨抜きというか、守られてこなかったことは、日本人なら誰でも知っていること」
image

以下、全文

村上春樹 未公開インタビュー「まじめで強い日本人には、原発をなくすことができる」
http://www.alterna.co.jp/11243

「今回ばかりは、日本人は心の底から憤っていい」――。作家、村上春樹氏(64)が2011年11月、オーストリア人ジャーナリストに強い口調で原発事故を語った日本未公開インタビューの存在が明らかになった。未曾有の原子力事故に対して誰も責任を取ろうとしない現状を指摘し、「日本の非核三原則も偽善だ」と非難する激しい内容だ。(ジャーナリスト・桐島瞬、翻訳・岩澤里美)

村上氏が初めて福島原発事故に対する意見を述べたのは2011年6月、スペインのカタルーニャ国際賞の授賞式だった。

「私たち日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求するべきだったのです」

内容の大半を東日本大震災と原発事故に費やし、国の原子力政策を正面から批判したバルセロナでのスピーチは話題となった。



■ 東電、政治家を痛烈に批判

その5カ月後。村上氏は東京で、オーストリア人ジャーナリスト、ユーディット・ブランドナー氏(50)のインタビューを受け、再び原発事故について語っていた。その内容は、バルセロナでのスピーチをはるかに上回る激しいものだった。

インタビューは、オーストリア放送協会のラジオ番組で村上氏の肉声とともに昨年3月に放送され、ブランドナー氏がまとめた東日本大震災のルポ本(Reportage Japan、日本語版=Japanレポート3.11)にも収められた。だが、残念ながら日本語版への掲載は村上氏の許可が得られず、日本の読者が中身を知ることはできない。

そこで、インタビューで村上氏が何を語ったのか、放送された内容やブランドナー氏への取材を通じて明らかにしよう。

――「日本は3.11以降、岐路に立っています」と村上春樹は述べ始めた。いや、社会の中の大きな変化は彼にも見えない。「ほとんどの芸術家や知識人、そして国民の大部分が望むように、私も変化を望んでいます。でもこの考えを取り入れる政治家はいません。私にはそれが理解できません」(Reportage Japanから引用)

安全性に自信を持っていたはずの原発が壊れ、日本人は自信を失った。国民全体がこれからどちらへ向かえばよいのか迷い、不安の中にいる。日本が変わって欲しいと願う人は多いが、リーダーシップを持った政治家がいないと村上氏は言う。

変わるためにはまず、原発事故の責任を誰かが取るべきだと考えている。

「東京電力の社長とか何人か、本当に刑務所へ行くべきだと思う。何より日本の検察庁が刑事告発しないのです。これはすごく変なことだと僕は思います。誰も責任をとることをしないのです。これは、すごく間違ったことと僕は思います」

事故を起した当事者が責任を取るのは当然のことで、事業責任者を訴追しない国にも苛立ちを見せている。




■ 「日本人は心の底から憤っていい」

村上氏によると、日本には大きな問題が3つあるという。

――誰も責任を取らないこと、日本に国民投票がないこと、緑の党がないことだ。(中略)市民運動が働きかけているように、国民が国家レベルで直接投票する選択肢が日本にあれば、大多数が原発に反対だと表明するだろうと村上は確信している。「でも、私たちにはそれがないため、人々は意思表示ができないのです。彼らには現在の政治家たちと戦う力がありません」(Reportage Japanから引用、注:緑の党は2012年7月に結成)

ブランドナー氏が補足する。

「『政治家の指導力が不足し、私がバルセロナでスピーチをしてもそれを掬い上げる政治力がない。グランドプランを示せる人もいない。国民投票制度が存在せず、国民が意志を発表できないことは、原発事故で生活の基盤が失われてしまった福島の人たちにとって不幸なことだ』と話していました」

村上氏が多くの日本人は原発に反対しているのを感じたのは、バルセロナでのスピーチを聞いた知り合いの反応からだ。ラジオ放送で流れたインタビューの中でもこう語っている。

「僕の知っているほとんどの人は(スピーチの内容に)賛成してくれたし、日本人の中で、原子力発電は間違っていると思っている人は多いのだと思いました」

中にはインターネット上で村上氏に否定的な発言もあった。だが調べて見ると、それは東電の社員がやっていることが多かったと言う。

村上氏は、日本人のまじめで強い資質をもってすれば、原発をなくす事はできると語る。

――原子力の撤廃は可能だと彼は確信する。日本がテクノロジーの面で、代替エネルギーに振替えられるからというだけではない。日本人の独特の「国民的な気質」にもよる。「一旦、国家目標が決められれば、全員がそれを達成するよう努力します。一旦、何かが決定されれば、全員そろってそれに従います。もし原子力の撤廃が決まれば、全員が絶対に努力してその実現に協力し、自分たちの電力消費も喜んで減らすでしょう。けれども、いまはそんなふうに目的を決定する人が誰もいないのです」(Reportage Japanから引用)

日本人は感情を出すことが得意ではない。だが、10万人以上が自分の土地を離れなくてはならなくなった今回の原発事故では、「日本人は心の底から憤っていい」と村上氏は考えている。

その一方で、こんな疑問も呈した。

「『広島、長崎への原爆投下でたくさんの人が死んだのに、どうして原発ができたのか。それはよく分からない』、『政府が原爆は悪い、原発は良いと教育や情報操作をしていたのは大きいことだと思う』とも言っていました」(ブランドナー氏)




■ 在日米軍基地に核兵器、憲法第九条は偽善

やがて二人の話は、鉄腕アトムに及ぶ。

――村上は私たちの対談で、一例として、50年代の日本のポップカルチャーから原子力を肯定的に描いた漫画「鉄腕アトム」を挙げた。「鉄腕アトム」(アトミックボーイまたはアストロボーイ)とは逐語訳で「鉄の腕の核」のことで、スーパーヒーローの少年だ。原子力のおかげでスーパーパワーを持つ。このヒーローによって、原子力に対する肯定的なイメージが国民に浸透した。(Reportage Japanから引用)

手塚治虫氏の漫画、鉄腕アトムの連載が始まったのは、戦後7年経った1952年。一方、日本の原子力研究開発予算はその2年後に国会に提出され、55年に原子力基本法が成立した。手塚氏の意図がどうだったにせよ、結果的にアトムは原発推進に一役買うことになってしまった。

インタビューで村上氏は、米軍の日本への核兵器持ち込みというデリケートな問題にも触れた。

――日本の憲法はいまもって核兵器に反対し、その製造、所持、配置を放棄している。これは偽善だと村上は激しく非難する。アメリカ軍が日本の米軍基地に核兵器を持っていることは一般的に知られているのに、誰もが何も知らないかのように振る舞っているからだ。憲法第九条が、長い間「平和条項」と特別に呼ばれてきたことは誰もが知っているはずだ。(Reportage Japanから引用)

村上氏はこう言い切る。

「沖縄の米軍基地に核兵器があることをみんな知っているのに、知らない振りをしたため、中身の無い平和憲法になってしまった。憲法第九条が骨抜きというか、守られてこなかったことは、日本人なら誰でも知っていること」

相手が誰であろうと臆することなく物を言う村上氏の姿勢には、09年にエルサレム賞を受賞した際のスピーチを思い出す。周囲の反対を押し切りエルサレムに出向き、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ侵攻をこう批判した。

「高く硬い壁と、それに逆らって割れる卵があったら、私は常に卵の側に立つ。たとえ壁が正しく、卵が悪くても関係ない。私は卵の側に立つ」


■ 岐路に立つ日本にふさわしい小説を

村上氏は、ある種の覚悟を抱いて発言を続けているのだろうか。ブランドナー氏が、日本で最も成功した作家として特別な責任を感じているのかと水を向けると、村上氏はこう答えた。

「自分の仕事は書くこと。だが、外国に出て語ることも僕の責任だと思っている。そういうところで発言できる日本人は限られている。だから、きちんと意見を言いたい」

村上氏が早稲田大学で過ごした時代は、全共闘の真っ只中だった。多くの全共闘世代と同じく、当時が原風景として残っているという。

――「私たちは18歳、19歳、あるいは20歳で、非常に理想主義的でした。私も世界が段々とよくなるだろうと、私たちはそう、それに向かって頑張っていたわけですが、そう信じていました。当時は非常にナイーブでした。そして多くのことが起き、私はもう信じなくなったのです。でも、この理想主義は感傷的な思い出として残っています。いまのほとんどの若者は、そんな理想主義をもう持っていないと思います。少なくとも、大規模な運動はありません。私の世代はこの理想主義がかつて存在したことを重視しています。それ以降、すでに40年が経過しましたが、そのような時がまた来ないのだろうかと自問します。それが成功するかどうか?分かりません」(Reportage Japanから引用)

村上氏が3年ぶりの長編小説を書き始めたのは、このインタビューから3ヵ月後のことだ。このときはまだ、どういうものを描くのか決めていなかった。村上氏はこう話している。

「原子力発電所の事故そのものを描くよりは、もっと内的なもの、心理的なものを描くほうが大事なんじゃないかという気はしています。日本人が分かれ道にいる大切なときであり、それにふさわしい小説を書かなくてはいけないでしょう」

そして、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文芸春秋)が出来た。過去に心の傷を負い、死ぬことだけを考えながら生きていたことのある主人公が、自分を取り戻すために巡礼の旅に出る物語だ。村上氏はつくるの生き方を通じて、日本人の置かれているいまを表現しているようにも見える。

 
環境とCSRと志のビジネス情報誌オルタナ  




沖縄 ブログランキングへ   


にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログ 

沖縄の核Ⅰ-原子力時代の死角 - 特別連載 - 47NEWS

沖縄の核Ⅰ-原子力時代の死角 - 特別連載 - 47NEWS
http://www.47news.jp/hondana/nuclear/article/article010.html
collage010


本土復帰から40年を迎えた沖縄には1950年代から返還直前まで、米軍の核兵器が大量配備された。
冷戦が先鋭化する中、「核の傘」を求める日本政府は本土での核貯蔵を拒む一方、沖縄への核持ち込みを黙認。
歴代保守政権が本土の"核基地化"を回避しながら、沖縄への核配備を許容する二重基準を用いた結果だった。
日本に「潜在主権」を認めながら、米国の施政権下にあった沖縄。
こんな戦後体制の死角を突く格好で既成事実化した沖縄への核持ち込み。
地元関係者は今の米軍基地問題にも通じる「差別」を感じ取っている。

▼確信犯
 61年6月21日、雨のワシントン。ポトマック川に浮かぶ米大統領専用ヨットの上で、池田勇人首相がケネディ大統領にこう言明したことが、米公文書に記されている。
 「米国が安全保障上、沖縄で何を必要としているか、自分は十分に理解している。
日本に核兵器を持ち込むことには相当の反対がある。
だから、沖縄を核兵器のための基地と位置付ける米国の立場を堅持する必要性も、十分に理解している」
52年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い日本が独立する中、沖縄については、米国が立法・行政・司法の全権を握り、自国の法令を適用する施政権を獲得。
日 60年の日米安保条約改定で、日本への「核持ち込み」は日米間の事前協議対象となったが、米施政権下の沖縄は対象外。
米軍文書によると、朝鮮戦争休戦から約1年半後の54年末から55年にかけ、沖縄への核配備が始まり、本土復帰直前まで沖縄はアジア最大の「核弾薬庫」の役割を果たした。
 被爆地を抱える広島の選出議員だった池田だが、ケネディへの発言に見られるよう、沖縄への核持ち込みについては"確信犯"だった。
 日米の公文書によると、池田はヨット会談の翌々日、ケネディに対し、米国が核実験再開に追い込まれた場合、米側の立場を「了解する」と明言。
実際に61年11月、ソ連に追随する形でケネディが核実験再開を決めた時、池田は「日本の首相という立場上、米国の核実験に公に賛同することはできないが、自分の本心としては、大統領はなすべきことをなさねばならないと信じている」と言い切っている。

▼言わぬが得策
 「核の傘」への信奉心が、経済重視で安保問題では際立った姿勢を示さなかった池田をして、核実験をめぐる対米支持と、沖縄への核配備黙認に向かわせたとみられる。
 60年代初頭、沖縄が騒然となった核巡航ミサイル「メースB」の配備をめぐっても、本土政権の対応はお粗末だった。
 61年11月4日、神奈川県箱根町。
日本の外交文書によると、池田政権の外相、小坂善太郎がラスク米国務長官にこう語った。
   「沖縄にメースなどを持ち込む際、事前に発表されるため、論議が起きている。事前に発表しないことはできないか」
 「何らかの発表を行うことは必要と思われるし、隠しおおせることはできない」とラスク。
 
 それでも小坂は「事後に判明する場合には、今更騒いでも仕方がないということで論議は割合に起きない。
事前に発表されると、なぜ止めないのかといって日本政府が責められる結果となる」と反論。潜在主権のある沖縄への核配備をめぐり、責任回避を図りたい意図がありありだった。
 沖縄のメースに関しては、なるべく何も言わないのが得策―。
マクナマラ国防長官は、こんな方針を軍部に伝達。沖縄の核を「腫れ物」とみなす日本政府の意向を忖度した結果とみられる。

▼重なる問題
 「ひきょうだ。潜在主権がある以上、日本政府は当時も沖縄の国民を守る義務があった。『メースBはやめてくれ』と言えばいい。これでは今のMV22オスプレイの問題と同じじゃないか」
 米軍普天間飛行場のある沖縄県宜野湾市で市議を8期務めた知念忠二(77)は、半世紀前の本土政府の対応に強く憤る。
米軍は今秋までに垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを同飛行場に配備する予定だ。米軍は90年代から沖縄への同機配備を内定し、日本側にも打診していたが、日本政府はそうした内実を沖縄に長年伝えていなかった。
 米軍嘉手納基地を抱える嘉手納町の町議で基地対策特別委員長の田仲康栄(67)も、当時の本土政府の対応は「今に通じる」と語気を強めた。
 「これは特別の差別だな」。
沖縄選出の元衆院議員、上原康助(79)はこう語った。
返還で本当に核が撤去されたのか、疑念は今も晴れない。
 田仲も「核の問題でも温存された差別意識があった」と口にした。
沖縄県民の苦悩や不安をよそに、「沖縄の核」に見て見ぬふりを決め込んだ返還前の本土政府。
田仲らには現在の基地問題が重なって見える。
(共同通信編集委員、太田昌克、一部敬称略、2012年06月10日、肩書きは当時)



沖縄の本土復帰
 第2次大戦後、1952年発効のサンフランシスコ講和条約で、日本の主権は回復したが、沖縄は米国の統治下に。米軍が土地を接収し基地建設を進めたため、住民らは「島ぐるみ闘争」と呼ばれる運動で抵抗した。佐藤栄作首相とニクソン米大統領は69年11月、「核抜き本土並み」の72年返還を決定、ひそかに核の有事再持ち込みを認める「沖縄核密約」を結んだ。72年5月15日、沖縄は日本に復帰した。
zukai010



columnTitle010


 沖縄は1972年5月に本土復帰するまで、米軍の核兵器が大量に配備され、アジア最大の「核弾薬庫」だった。
 米軍解禁文書や米専門家の分析によると、アジア・太平洋地域には、ベトナム戦争のピーク時に当たる67年、約3250発の核が配備。うち沖縄には約1300発が持ち込まれ、900発台の韓国や500発台のグアムをしのいでい
た。 核爆弾や核砲弾、核ロケットなど18種類もの核兵器が沖縄に配備されたが、中でも象徴的なのが61年に搬入された核巡航ミサイル「メースB」。射程2千キロ超のメースBは中国を標的に収めており、沖縄県恩納村に残る八つの発射台跡は東シナ海の向こうにある大陸をにらんでいた。
 沖縄に核が大量搬入されたのは、ケネディ
政権が、核開発を進める中国を深刻な潜在敵国とみなしていたからだ。
 これに対し、対中貿易も推進した池田勇人政権は中国を「直接的脅威ではなく間接的脅威」(吉次公介・沖縄国際大教授)とみなしており、対中脅威認識をめぐり日米間に微妙なずれがあった

「憲法は核兵器保有を禁止せず」政府、閣議で答弁書決定

「憲法は核兵器保有を禁止せず」政府、閣議で答弁書決定
朝日新聞デジタル

政府は1日の閣議で、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。そのうえで「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」との見解も併せて示した。

特集:核といのちを考える
 民進党の逢坂誠二氏と無所属の鈴木貴子氏の質問主意書に答えた。

 政府はこれまで、自衛のために必要最小限度の実力を持つことは、憲法9条2項で禁じられていない、と解釈している。例えば、1978年に当時の福田赳夫首相は国会答弁で、核兵器について「憲法9条の解釈として、絶対に持てないということではない。必要最小限の自衛のためであれば持ちうる。ただ、非核三原則を国是としている」と述べている。

 ログイン前の続き答弁書でも、憲法9条の解釈として「自衛のための必要最小限度の実力を保持することは禁止されていない」と説明。「核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、必ずしも憲法の禁止するところではない」としている。

 3月の参院予算委員会で横畠裕介内閣法制局長官が「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用が禁止されているとは考えていない」と述べたことについても、答弁書は「この趣旨を述べたもの」としている。



沖縄 ブログランキングへ   


にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログ 

Twitterで流れてた呟き

Twitterで流れてた呟き

QT:当時の普天間基地移設の時の少女暴行事件と中学生の強姦殺人両方の沖縄県内の報道と左翼の行動全部見てるからね。
特に後者は犯人が米兵じゃないってわかった時点の報道と左翼の冷たさと、マジで早い段階で誘拐された子死んでるよっていう町の噂にはぞっとしたね


 

不屈館

「不屈館」へ行ってきました。
image

こちらのコーナーに置かれている本は閲覧できます。
image

コピーもさせて貰えます。

その他のコーナー
image


image


image


image


image


image


image



不屈館は、政治家瀬長亀次郎がのこした資料をもとにして、2013年3月、沖縄県那覇市に開設された沖縄の戦後史に関する民間の資料館。 

開館時間:午前10:00〜午後5:00(入館は午後4:30まで)
休 館 日:毎週火曜日・年末年始(12/28〜1/3)

沖縄県那覇市若狭2丁目21-5







人気ブログランキングへ



にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログへ

にほんブログ村




沖縄 ブログランキングへ

沖縄人民党の歴史

この本が「不屈館」にありました。
琉大事件の事も記載されています。
「不屈館」ではコピーもしてくれました。

不屈館に展示されていない本が
まだまだ あるそうです。
記録&記憶の掘り起こしの作業は、今後も続きます。
image





沖縄 ブログランキングへ

にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログ
BOOKS Mangroove
「琉大事件とは何だったのか」






終わっていない過去


沖縄は

1950年に起こった朝鮮戦争で、

最前線基地になった。


トルーマン米国大統領が

朝鮮戦争の始まった直後、

記者会見で

「原爆使用もありうる」と

発言し、

広大な米軍基地を

抱える沖縄の人達は、

核戦争に巻き込まれる

危険性を身近に…


朝鮮戦争、今も休戦中





1953年(昭和28年)、

当時米軍の支配下にあった沖縄で

学生の「原爆展」開催を理由に

4人を退学処分にするなど 

若者たちの平和への叫びを

封じようとしたのが琉大事件



朝鮮戦争下で原爆展

『琉大事件とは何だったのか』

21470590 

















HP「琉大事件を考える(仮称)」
https://himawari0007.amebaownd.com/ 
 




人気ブログランキングへ


人気ブログランキングへ









ひまわりの散歩道~沖縄&奄美
https://ameblo.jp/himawarimusume007
 

メッセージ

名前
メール
本文