奄美群島の歴史 近代

明治維新後の1879年(明治12年)4月、太政官通達により奄美群島は大隅国に編入され大島郡が設置されたが、これに前後して行われた廃藩置県により薩摩藩が廃されて鹿児島県となり、奄美群島も含まれることとなった。

1908年(明治41年)4月1日、島嶼町村制制の施行に伴い、大島郡に16村が成立する。

第二次世界大戦中、連合国軍上陸の危険が高まった1944年(昭和19年)7月以降、沖縄と並んで子供や女性、高齢者の本土疎開が進められた。


同年9月には疎開船「武洲丸」が潜水艦に撃沈され、約160人の徳之島島民が犠牲となっている。

このほか、近海では軍隊輸送船「富山丸」など多くの日本船舶が撃沈された。

1945年(昭和20年)3月末からの沖縄戦の間、北隣の奄美群島には陸海軍合わせて2万人以上が守備に就いていた。

特に奄美大島南部の瀬戸内町付近は要塞化(奄美大島要塞)が進められており、特攻兵器である震洋の基地も数箇所に置かれていた。


しかし、奄美群島への連合国軍上陸は無く、全体として小規模な空襲だけに終わった。