暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『中二階』

(Nベイカー 白水Uブックス)

1時少し前、私は黒い表紙のペンギンのペーパーバックと、上にレシートをホチキスで留めた「CVSファーマシー」の白い小さな紙袋を手に、会社のあるビルのロビーに入ると、エスカレーターの方向へ曲がった。エスカレーターは、私のオフィスがある中二階に通じていた。

<「CVS」の袋の中に入っていたのは、新しい靴ひもだった。>

昼休みの直前に、左の靴ひもが切れてしまったので、昼食に出るついでに、ドラッグストアに寄り道して買ってきたのである。

それにしても、昨日家を出るときには、右の靴ひもが同じように、結ぼうとして引っ張った瞬間に切れてしまったのだったが、

2年も前に父から就職祝いにと贈られた靴の、左右の靴ひもが2日と経たずに相次いで切れる、などということがあるものだろうか?

毎朝何百回と行なってきたひもを結ぶ動作が、ロボットのように常に同じだったため、左右のひもに同量の力がかかっていたからだろうか?

それとも・・・

と、傍目にはどうでもいいような瑣末な事象に対する、微に入り細を穿った尋常ならざる考察が、見開き半分以上を侵食する注釈付きで展開されていく。

おそらく、大手の業者が一斉に紙からプラスチックに切り替えてしまったことにより幕を開けた、不便この上ない“浮かぶストロー時代”への憤懣。

幼稚園の先生から教わった“あらかじめじゃばら寄せ方式”に始まる、靴下をスマートにはくための、素晴らしいテクニックの遍歴。

4,5歳で結ぶ技術を会得して以来、20年以上にわたる私の人生における大きな進歩8つのうちの、実に3つまでもが靴ひも結びに関することだったという感慨。

三角屋根の一方を押し開いて、折り畳まれたまちを引き出すと、そのまま理想的な注ぎ口に早変わりする、牛乳のカートン容器に対する畏れにも似た憧れ。

ときどき私の脳裏をかすめる、“昼休みの始まりは、昼食前に洗面所に入った時点とみなすべきか、それとも出てきたときか”という、くだらない疑問に関する考察。

ああでもない、こうでもない。そして・・・

たとえば、空港の手荷物運搬システムや、スーパーマーケットのレジのベルトコンベア、ビー玉がジグザグの滑り台を転がっていく玩具、オリンピックのボブスレーの走路など、など、

子供時代、たいていの人が好きだったと思う、ボートや電車や飛行機より、小規模な輸送システムのほうに興味があったという彼が、

<これらと通じあう魅力があったが、ただ一つ違っていたのは、実際に乗ることができるという点だった>

と偏愛する、エスカレーターに乗っているわずか数十秒間に、彼の脳裏をよぎった様々な想念だけで綴られた、

これは、まことに斬新な“極小文学”の極地なのである。

エスカレーターをおりる直前、ステップの溝が吸い込まれる櫛目プレートのところに煙草の吸いがらが一つひっかかり、小さく撥ねながら回転しているのが目に止まった。私は中二階に降り立ち、振り返ってその吸いがらをしばらく眺めた。

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『中世の声と文字』―親鸞の手紙と『平家物語』―

(大隅和雄 集英社新書)

中世の文化は、漢字漢文に親しむ貴族や、経論を学び梵字まで知っている僧侶だけが生み出したわけではない。宮廷の文化は、仮名文字しか読めない女性によって支えられていたし、祭礼の歌や舞を担い、地方の歌謡を都に持ち込んで流行の旋風を起した人々も無文字の人々であったに違いない。無文字の社会に豊かな文化があり、活発な知的活動もあった。

<文字のない社会では、ことばは声で伝えられ、記憶された。>

開祖・親鸞が、自身の信心の拠り所を求めて、『無量寿経』などの経典を繰り返し読む中で、その意味を解読し、その教えを明らかにしようとした。

浄土真宗の根本聖典ともいうべき主著『教行信証』は、しかし、人に読ませるために書かれたものではなく、親鸞が自分自身のために書き続け、読み返しては加筆を続けた本だった。

では、いまや日本最大の仏教教団となった浄土真宗において、750年前の親鸞の教えは、どのようにして人々の心を捉え、伝えられてきたのか?

「親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまふさせらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、弥陀の御もよほしにあづかて念仏まふしさふらうひとを、わが弟子とまふすこと、きはめたる荒涼のことなり」
(『歎異抄』第六段)

阿弥陀如来の前では門弟はみな同朋だ、と考える親鸞の周りに集まった東国の念仏の信者たちは、

親鸞に様々な質問をし、親鸞もその問いを自分の心に照らしたうえで、誠実に答えた。

その当時は文字を知らないものが大多数であった門徒たち、一人一人の心に深く染み込んだ親鸞の声と言葉は、文字に記されることはなかった。

親鸞はそこに居るのだから、なお聞きたいことがあれば、直接教えを乞う機会はいくらでもあったし、記憶していればそれで充分だったのだ。

そんな親鸞は東国を去った後、なおも教えを乞う残された人々のために、門弟たちに手紙を書き送り、声を上げて読み聞かせるようになる。

「ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆへに、やすくこころえさせむとて、おなじことをとりかへしとりかへしかきつけたり。こころあらむひとは、おかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢにおろかなるひとびとを、こころへやすからむとてしるせるなり。」
(『唯信鈔文意』追って書き)

それは、改めて自らの信心の拠り所を伝えなければならないと考えた親鸞が、諄々と遠方の門徒たちに語りかけるように説いた、情感溢れるものだったのだが、

はじめは手紙であったはずのものが、やがて親鸞自身の「法語」のようなものとなり、念仏往生の教えの核心を述べた「著述」として、遺されることになったのである。

これと時期を同じくするかのように・・・、

行長が自分が書いた文章を声に出して読み聞かせ、それを聞いた盲目の琵琶法師・生仏が、琵琶を奏でながら語っていき、ことばを憶える。

そんな気の遠くなるようなプロセスの共同作業を通して、生み出されたのが『平家物語』の語りという中世軍記物の傑作だった。

他の民族や地域には見られない、日本の中世を体現する<本>が、<声>と<文字>の関係という、中世にしか見られない作られ方の中で生まれてきたことを描き出してみせた、

これは、まことに鮮やかな切り口の<中世文化史>の試みなのである。

声を文字(仮名)に書き留めることと、文字(漢字)を声に移すためにことば(和語)を選ぶ、という二つの営みが交錯する中で、文学的な文章を創造したのが中世文学の世界であった。

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『無葬社会』―彷徨う遺体 変わる仏教―

(鵜飼秀徳 日経BP社)

戦後、集団就職で都会に出てきた団塊世代や、その親世代が、じわじわと死期を迎えつつある。・・・2015年の死亡数は約130万人。この数字は今後25年間ほど増え続け、2030年には160万人を突破すると予想される。鹿児島県の人口(約170万人)と同等の人が毎年、死んでいくのである。

この「多死(大量死)時代の到来」により、死を受け入れる現場では様々な<前兆現象>が始まっている、という。

3組に1組が葬式なしで済ませる<直葬>となり、<火葬10日待ち>もあるという首都圏の火葬場の現実。

そんな火葬待ちの<待機遺体>の保管にこまった遺族が、すがるように利用することで繁盛している<遺体ホテル>。

核家族化による死後への不安から、増え続ける<献体>の希望者と、網棚などにわざと遺棄されるようになった<遺骨>。

遺骨が供養できないのであれば、有料で引き取って代わりに供養しましょうと、寺院が始めた宅配便による<送骨サービス>。

2030年には2700万人に近づくと予想される<孤独死>予備軍と、その現場をリセットする<特殊清掃>業界の急拡大。

これは、前著 『寺院消滅』 において、

過疎化により檀家離れが進み、高齢化と後継者不足により担い手を失った、<地方都市の寺院>が直面する窮状をレポートしてみせた著者が、

今度は、核家族化が行き着いた先にある、地縁・血縁関係が希薄な<都会の寺院>が直面することになった、大量死の現場を取り上げたルポルタージュなのである。

「我々、東京の寺院の繁栄は、地方の寺院の犠牲の上に立っていると思う」(ある東京都内の僧侶の言葉)

地方の菩提寺の墓じまいをして、先祖の遺骨を都会に移し替えようとする需要に応える、<無宗教式の永代供養>という新しい墓地形態の登場。

数千基納骨可能というこの<巨大納骨堂>では、参拝ブースでICカードを端末にかざすだけで、コンピューター制御で遺骨が参拝者のもとへ自動的に運ばれてくる。、

<だが、肥大化していく都会の寺院とて、本当に安泰といえるのだろうか。>

「家族葬」「一日葬」「直送」や「散骨」「骨仏」など、簡素化・多様化が進む葬送の形。

「寺を持たない都会人」と「食えない地方の僧侶」をつなぐ「お坊さん便」の出現。

「現代の僧侶の多くが、なぜ仏教を真剣に学んでいないのかといえば・・・自分たちの属している宗派の教義が真実だと心の底では思っていないからです。」(佐々木閑・花園大学仏教学科教授)

市場経済にどっぷりと浸かった<都会の寺院>は、そのおかげで経営的には安定したのかもしれないが、

「施しもの(布施)」で生きていくという、本来の仏教の理念からは遠ざかってしまったのではないか?

それこそが、今の日本仏教に向けられた<市民の厳しい目>ではないか、というのだった。

「葬る」という言葉には、死者を埋葬し、供養する意味がある。だが、都市化が進む現代社会にあって、地域や家族、宗教者、親しい者らが「死」を丁寧に看取り、送る時代は、遠く過去のものになりつつある。独りで死んでいき、その後は、死者と生者との「付き合い」はなくなる。

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『イモータル』

(萩耿介 中公文庫)

厚紙のカバーに手書きで記されていた。兄だ。大学を中退後、インドで行方不明になった。・・・去年、親戚の葬儀で帰郷した際、ついでに兄の部屋を整理し、その本だけ実家から持ってきた。

兄から「智慧の書」と名付けられたその本には、照明を点けてぱらぱらめくると、赤鉛筆で線が引いてあった。

<思慮深く誠実な人は、その生涯の終わりに際して自分の人生をもう一度繰り返したいとはけっして望まないだろう>

『意志と表象としての世界』A・ショーペンハウアー

職場仲間とのストレスから、<鬱>の症状に悩まされるようになっていた滝川隆は、いつしかこの不思議な書に惹かれ、なぜか救いまで感じるようになっていた。

自分は何者で、何に苦しんでいるのか?
自分の苦しさは兄の苦しさであり、この「智慧の書」の苦しさなのではないか?
それぞれがばらばらなようでいて、実は深いところでつながっているのではないか?

解決しなければならない、たくさんの<謎>の答えを得るために、隆は15年以上も前にインドで亡くなった、兄の<亡霊?>と共に、インドへと旅立つのだが・・・

フランス革命の激動に湧き立つ世間を横目に、王立図書館に勤める下っ端の東洋言語担当司書という立場に甘んじながら、

世渡りに関心を持たず、ペルシャ語で書かれたヒンドゥー教の聖典『ウパニシャッド』を、ラテン語に翻訳したデュペロンの浮き沈みの人生が語られる第一の物語と、

あのタージ・マハルを遺したムガル帝国の王ジャハーンの第一皇子として生を享け、帝位を継ぐことを約束されながら、

知への渇望止みがたく、イスラムにとっては異教の書である『ウパニシャッド』を、サンスクリット語からペルシャ語へと翻訳させる事業に地道を上げ、

本当の神を見いだそうとし続けたことで、弟たちとの権力闘争に敗れたシコーの苦悶の人生が描かれる第二の物語と。

間に挟まれた、この壮大な二つの歴史物語を読み終えた時、私たちは気付かされることになる。

滝川隆が失踪した兄の足跡を辿るインドへの旅は、決して第三の苦渋の人生の物語を語ろうとしたものなどではない。

これは、ムガル帝国から、フランス革命を経て、現代の日本へと、時空を超えて継承されることとなった一冊の書物に託して、

ウパニシャッドからショーペンハウアーへと至る、一筋の道を刻んできた、偉大なる<哲学の物語>なのである。

「難しそうな題名ね」「ああ」
「お兄さんのでしょ」「たぶん」
「自分でそう言ってたじゃない」
・・・
「持ち主はどうだっていいんだ。それより書いたのは自分かもしれないって思うんだ」


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『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』

(Jロンソン 光文社新書)

人間の持つ「恥」という感情はうまく利用すれば、大きな力になり得る。これは国境を越えて、世界中で通用する力になり始めている。しかも、その影響力は次第に強くなっていて、影響が及ぶ速度も増している。

<「正義の民主化」とでも言うべきことが起きている。>

ツイッターのユーザーやブロガ―など、ソーシャル・メディアのアカウントを持つことで、以前なら沈黙せざるを得なかった人たちは、大きな<声>を持った。

「ネット上で晒し者にする」という攻撃は、強い相手に有効な場合が多いため、かつてなら弱く、無力だった人たちによって巨人が倒される、という事態も頻繁に目にするようになっていた。

<悪>と闘うために、悪人を晒し者にするという手段が使われる、まさにその時に、その只中に身を置いて、それを至近距離で見つめることで、

それが、<悪>を正すのにどれほどの効果を発揮するのかを見極めたいと、ドキュメンタリー番組の制作者として活躍してきた著者が、決意を固めることになったのは、

彼自身が、ツイッター上で受けた<なりすまし攻撃>を、逆に敵を晒し者にすることで、完璧に撃退することに成功していたからだった。

ところが・・・

「アフリカに向かう。エイズにならないことを願う。冗談です。言ってみただけ。なるわけない。私、白人だから!」

と、自分の書いたジョークに一人笑いながら、ツイートボタンを押したジャスティン・サッコは、反応がまるでないことにがっかりしながら、飛行機に乗り込んだ。

11時間後、着陸して携帯の電源を入れるとすぐ、高校卒業以来話したことのなかった知人からのメッセージが目に飛び込んできた。

「こんなことになるなんて、とても悲しいよ」

彼女のツイッターは<人種差別的>だとして、世界最大の「大炎上」(全世界のトレンド第1位)を記録し、

そして、ジャスティン・サッコは大手ネット企業の広報部長という職を失った。

<公開羞恥刑>(ネットリンチ)。

ボブ・ディランの発言を捏造したことが発覚した、人気ポピュラー・サイエンス・ライターの末路。

カンファレンスの会場で、隣席の友人に向かって下ネタのジョークを口にしたところを、写真入りでツイートされてしまったエンジニア。

それを拡散したことで、エンジニアが失職したことを公表したために、逆に窮地に追い込まれることになってしまった女性、などなど。

「大炎上」の原因はもちろん、彼ら自身の行動や、軽率な発言にあったのだとしても、それで職や社会的地位までを失ってしまうことになろうとは。

ごく普通のどこにでもいるような人たちが、何の法的根拠があるわけでもなく、自分の気分と周囲の空気だけで、一斉に徹底的に「犯人」を祭り上げ、叩き出す。

<私刑>(リンチ)発生のメカニズムに迫る、これは現代人必読の好著なのである。

ツイッターは、かつては何気なく、深く考えずに自分の考えをつぶやくことのできる場だった。ところが今では、常に不安を感じながら、慎重に物を言わねばならない場に変わってしまった。

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『観察力を磨く 名画読解』

(AEハーマン 早川書房)

では、まず基本的なところから教えてもらおう。テーブルの上にはいくつのアイテムがのっていただろう。そしてそれぞれ、どんなアイテムだっただろう。できるだけ正確に思い出してみよう。・・・
長く見つめれば見つめるほど新たな事実が明らかになり、次々と疑問がわいてくる。


<ここまでくると単に見ているのではなく、観察しているといえる。>

描かれているのが誰(または何)で、いつの時代の、どこで起きた出来事で、どうしてそういうポーズをしているのか。

その答えがわかっているという意味で、それは<途方もない量の経験と情報の蓄積>(@美術史家、D・ジョズリット)なのだから、

アートは、私たちの観察力、分析力、コミュニケーション力を鍛えるのに必要なすべてを備えている。

と主張するこの本は、

FBIやCIA、警察や大企業を相手に、美術作品によって観察力を磨くためのセミナーを実践している、美術史家(で弁護士!)が用意した問題集なのである。

アートを教材にすれば、複雑な状況はもちろん、一見すると単純だが、実は深い意味を持つ場面も分析できる。
(よく知っていることについて語るほうが、実は難しい。)

アートはどこにでもあるうえ、人間の内面をあばいて鑑賞者の心を揺さぶるものが多い。
(心をざわつかせることは、脳にとって最高の刺激である。)

アートは身近にあるものに対する視点や、解釈、コミュニケーションの方法を見つめ直させてくれる。
(私たちを日常から連れ出してくれるのだ。)

だから、このセミナーでは、画家の筆遣いや、配色や、作成年代などの、専門知識について学ぶわけではない。
(『名画読解』という題名に魅かれて読みだした方にはお気の毒だが・・・)

アートはあくまで自由な解釈が許される視覚教材として、あなたの目の前に提示されるのであるから、

あなたは<見たままを――もっといえば、自分が見たと思うままを語ればいい。>というのだった。

そんな風に様々なレッスンを受講させられた後で、私たちは最後に再び、冒頭に紹介されたルネ・マグリットの『肖像』に戻ることになる。

この本を読む前とあとで、自分がどう変わったかを実感してみようという、これは自信満々な講師による、卒業試験のようなものなのである。

初めて見たときは風変わりな静物画ぐらいにしか思わなかったものが(ひょっとすると、絵には目もくれず先へ進んだかもしれない)、今や可能性の塊に見えるのではないだろうか。

<絵そのものは変わっていない。変わったのはあなただ。>

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『三種の神器』―天皇の起源を求めて―

(戸矢学 河出文庫)

源平合戦の終幕、安徳天皇はわずか8歳(数え歳)で入水という悲劇の最期であった。そしてその際に、三種の神器のうち八咫鏡は船上御座所にあったが、草薙剣と八坂瓊曲玉とは二位尼が携行して帝と共に海中へ失われたと伝えられる。そして、曲玉は木箱ごと浮いたためすぐに回収されたが、剣は海中に没して二度と発見されなかった。

<平家滅亡の時、壇ノ浦に沈みオリジナルは失われた>

という、この「三種の神器」にまつわるいかにも真相めいた言説は、実は真実ではない。(し・・・、知らなかった!)

「八咫鏡」は、アマテラス神の祟りを恐れた崇神天皇から倭姫命に託され、伊勢の内宮に遷座することになった。

「草薙剣」(天叢雲剣)は、東征するヤマトタケルに授けられ、有名な事績を経たのち、熱田神宮の御神体として納められた。

従って、平家が持ち出したのは、宮中賢所に祀られていた「写し」なのであり、その本体は今も変わらず、

「八咫鏡」は、伊勢・皇大神宮(内宮)に鎮座
「草薙剣」は、名古屋・熱田神宮に鎮座
「八坂瓊曲玉」のみが、東京・宮中に鎮座

しているということなのだ。

天皇即位にあたって、1300年もの長きにわたり、代々継承されてきたかけがえのない宝物。

「三種の神器」は、宮中祭祀には必須の祭具であり、とりわけ皇位継承の祭儀においては、三種揃っていることが大前提となる。

「敵が伊勢湾附近に上陸すれば伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体維持は難しい」

と、御身を差し出してまでの講和を図った昭和天皇の決断は、「三種の神器」こそが日本の歴史であり、日本の文化そのものであることを示している。

「三種の神器」が揃わなければ、そもそも「天皇」たりえないのである。

宮中祭祀においては「写し」が用いられ、天皇でさえ見ることはないとされる、その「本体」ははたしてどのような姿をしているのか。

なぜ「三種」なのか。
それぞれにどのような意味があるのか。
どのような歴史的経緯のうちに現在に至ることになったのか。

「天皇とは何か」が問われている今、「天皇」であることの保証の起源に迫り、その真相を解き明かそうという、これは(ひょっとしたら、当の天皇さえ目から鱗の)<意欲作>なのである。

神器となっている三種は本来的に「道具」である。そして最高権威者の威儀を示すに相応しい道具である。したがって、現行のごとく「携行」するのは正しくない。
天皇が身に付ける、すなわち玉体に装着すべきであろう。・・・そうすることでそれぞれを依り代として神威を玉体に受けることができるのだ。・・・
皇太子殿下にはぜひそのようにされるよう期待したい。


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『入門!進化生物学』―ダーウィンからDNAが拓く新世界へ―

(小原嘉明 中公新書)

この地球には現在、200万種を超える多種多様な生物が棲みついている。驚くべきことは、それらの生物がみな見事にそれぞれの得意とする技を駆使して、それぞれの環境に適応しているということだ。

<一体このような動物はどのようにして生み出されたのか?>

 ー錣鮃柔する個体には変異がある。
◆(儖曚砲呂修慮賃里寮限犬簇某にとって有利な変異と不利な変異があり、有利な変異は集団の中に維持され、不利な変異は排除される。
 有利な変異は親から子へと受け継がれる。

というのが、「自然淘汰説」を唱えたダーウィンの、かの有名な「進化論」の核心的骨格であるのだが、

この「進化」という生物学用語が、一般社会にまで広く普及するようになった現在、本来の意味とは全く異なる誤った意味合いで使われていることが多いのだという。

<人間が一番進化している?>

生物は、それぞれの種に固有の環境によりよく適応するように形質を特殊化させており、それぞれの環境で進化の先頭に立っているという意味では、横一線である。

(ヒトがチンパンジーになれないように、チンパンジーはヒトにはなれない。チンパンジーは進化してチンパンジーになったのだ。)

<進化とは進歩的な変化である?>

進化とは、集団における任意の遺伝子の頻度が、世代の経過とともに増加することをいうのだから、退歩や退化も含まれるし、遺伝的変化ではないスキルの上達などは含まれない。

(その技術を持っていることが子供をより多く生むうえで有利に働かなければならず、実際に他の人より多くの子を遺さなければ進化できない。)

<ハチ目昆虫の不妊のワーカーはいかにして進化したか?>

未授精卵のみが雄となるハチ目昆虫では、同じ両親から生まれた姉妹の血縁度が高く、自分自身で子を産んで育てるより、母親が産んだ妹を育てる方が、自己遺伝子の複製に有利なのだ。

(血縁者に対する利他的行動は、形を変えた自己利益優先主義の行動の結果だった、ということだ。)

などなど、生物の目的にかなった生物学的由来を追及する「進化学」の核心を、一般向けに分かりやすく書き下ろした、

これは、格好の「啓蒙書」なのであれば、目から鱗が落ちまくり、蒙を啓かれること保証付きの逸品なのである。

我々はともすると、これらの見事な適応を目にして進化のすばらしさに感心するかもしれないが、しかしある特定の環境要因に特化することは、進化的に長期的観点から見ると問題がある。すなわち特殊な環境要因はより一般的な環境要因より、地球の地学的変動の影響を受け、攪乱されやすいからである。

<見事としかいいようのない精緻な進化は、実は絶滅への道でもあるといえるのだ。>

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『朗読者』

(Bシュリンク 新潮文庫)

なぜだろう?どうして、かつてはすばらしかったできごとが、そこに醜い真実が隠されていたというだけで、回想の中でもずたずたにされてしまうのだろう?・・・辛い結末に終わった人間関係はすべて辛い体験に分類されてしまうのか?たとえその辛さを当初意識せず、何も気づいていなかったとしても?でも、意識せず、認識もできない痛みというのはいったい何なのだろう?

<あのころのことを思い出すと、どうしてこんなに悲しくなるのだろう?過ぎ去ってしまった幸福へのあこがれなのだろうか・・・>

私たちが「黙読」しているという時には、たとえ口は動かさなくても(たまに動かしている人もいますが)、頭の中では声を出して読んでいて、

つまり、私たちは「音読」できる以上のスピードで、本を読むことはできない、ということなのだが、

(ちなみに、見開きわずか1秒という速読術で有名な「フォトリーディング」は、頭の中でも声を出さずに「目読」する)

では、その時私たちの頭の中に流れている声は、いったい「誰の声」なのだろうか?

同じ本を2度読むことはめったにない暇人が、「読書会」のテーマ本になったために、2000年に読んだ本を再読。

その時の「感想」に、それほどの違和感はないけれど、

前に読んだときには、前半に張られている伏線の意味に気づかず読んでいたわけだから、2度目の今回はあの時と同じように読むことはできないことになる。

そして、そのようにして読んでみたからこそ、初めて気付いたこともある。

物語の前半における「朗読」では、二人の頭の中に「ミヒャエルの声」が流れていたことは間違いないのに対し、

(ハンナにとっては、その「声」だけが、世間に向けられて開かれた唯一の窓なのだから)

後半の「朗読」で、テープから流れるミヒャエルの声は、何も気づいていなかった頃の二人の関係を追慕しようとするかのようなミヒャエルの思惑を超え、

いつしか、ハンナは「朗読」ではなく、「手紙」を望むようになっていく。つまり、彼女は「自分の声」を獲得することになったのだ。

ミヒャエルに「罪」があるとすれば、それは彼が「ハンナの声」に、ついに耳を傾けようとしなかったことになるのだろう。

彼は「朗読者」なのであれば、結局、彼の耳には最後の最後まで「自分の声」しか届いてこなかったということなのだ。

そして、これはようやくそのことに気付いたミヒャエルが、素晴らしかったはずの苦い過去に向けて書き綴った、悔恨の記録なのである。

<誰が僕に注射を打ったのだろう?感覚を麻痺させないことには耐えられなかったので、自分で自分に麻酔を打ったのだろうか?>

それはまるで、注射されて麻痺した腕を自分でつねってみるようなものだった。腕はつねられたことを自覚しないが、手の方はつねったことを自覚している。最初の瞬間には、脳はそれらの認識を区別することができない。しかし、次の瞬間にははっきりと判断する。ひょっとしたら、手はあまりにも強くつねったので、つねられた箇所がしばらく白くなっているかもしれない。停まっていた血がやがてまた流れて、その箇所も赤みを帯びてくる。しかし、だからといって感覚が戻ってくるわけではない。

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『幻の料亭・日本橋「百川」』―黒船を饗した江戸料理―

(小泉武夫 新潮社)

丸い黒漆の卓台があって、その上にギヤマンのコップと小皿が客の人数分並べられ、紅で寿と書かれた紙で包まれた箸が置かれている。台の真ん中にはギヤマンの瓶に入った薄荷酒と保命酒が置かれ、切子の蓋物に砂糖が入っている。また、切子の箸立に箸が数膳立てられていた。なんともすごい店構えであるが、ようやくありつけることになった料理の献立は、次の通り。

小菜 海胆蒲鉾(白身魚の擂り身にウニを加えたもの)
   鶉胡麻蒲鉾、紅白花形薯蕷、結牛蒡白胡麻あえ
   海老よせもの、椎茸しんじょ
吸物 鯛皮付きしんじょ、葉防風、赤みそ
酒燗 切子の瓶に入る
鱠  鰹、胡瓜、独活、大根おろし、かけ醤
茶碗 青鷺むしり菜
小菜 鯛赤みそ入むし揚
椀盛 玉子しんじょ、わらび、塩はつたけ、うす葛

香物 茄子白瓜切漬 

これで料金は一人前金百疋(1万6千7百円相当)、これが最も下の等級で、上品二百疋のお客には泥亀(スッポン)が出た。

文化文政期に花開くことになった町人文化の、その基盤を用意した明和・安永の時代(1764〜81)、

日本橋瀬戸物町の浮世小路(現在の三越本店の向かい側を入ったあたり)に開店し、古典落語の噺ネタにまでなった、

料理茶屋「百川」については、実は謎が多く、詳しい記録も残されていないのだという。

「百川」ではいったいどんな料理が振る舞われ、どのようなご贔屓たちが、それを堪能していたのか?

この謎に敢然と立ち向かったのが、あの「味覚人飛行物体」と自他ともに認める、食の魔人・小泉センセイなのであれば、

これはもう、これだけで「お茶碗3杯」(お約束のフレーズでゴメン)間違いなしの垂涎の快著なのである。

足繁く通っていた文人墨客たちは、太田南畝(蜀山人)を筆頭に、山東京伝・京山の兄弟や、亀田鵬斎、谷文晁といった錚々たるメンバーで、

「山手連」と呼ばれ、定例の「狂歌」の品評会や、不思議なことを発表し合う「咄咄の会」、1位がなんと7升5合飲んだという「大酒乃会」など、

趣向を凝らした宴の催しが、豪華な献立と共に活写されていくのである。

そんな「百川」が、まっさきに西洋料理を取り入れ、繁盛していたはずにもかかわらず、明治維新以降、忽然と姿を消してしまう。

それはどうやら、一人前3両、5百人分、総額千五百両(1億5千万円相当)に及んだという、

ペリー一行への饗応料理を、徳川幕府から押し付けられたことに遠因があるのではないかという。

昼食にもかかわらず、90種を超えるという仰天の献立を見るにつけても、食器を揃えるだけでもその苦労が偲ばれるのだが、

(幕府の意向に沿った格調高い本膳料理は、残念ながら淡泊過ぎて米国人には物足りず、受けが悪かったらしい。)

崩壊間際の徳川幕府が、その勘定を支払うことなど、到底出来なかったに違いないのである。(百川もそれは承知の上だったのかもしれないが・・・)

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