暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『戦争の日本近現代史』―征韓論から太平洋戦争まで―

(加藤陽子 講談社現代新書)

本書では、日清戦争からあとは、十年ごとに戦争をしていた観のある近代日本を歴史的に考えるために、戦争にいたる過程で、為政者や国民が世界情勢と日本の関係をどのようにとらえ、どのような論理の筋道で戦争を受けとめていったのか、その論理の変遷を追ってみるというアプローチを取ります。

という「シラバス(講義要目)」を冒頭に掲げたこの本は、1930年代日本の軍事と外交を専門とする東大教授による、<東大式レッスン>の実況中継である。

<近い過去を分析対象とする近代史では、対象をどのような視覚でとらえるかが、とても大切です。>

だから、歴史の「出来事=事件」について詳細に説明するだけの、研究書を水割りしたような概説書であってはならないという。

なぜなら、そのような書物は、歴史には「出来事=事件」のほかに「問題=問い」があるはずだということに気づかせてくれないからだ。

なぜ、為政者や国民が「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか?

そういった国民の視角や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、明治維新以降の「戦争の時代」を解きほぐしていくのである。

<日本にとって朝鮮半島はなぜ重要だったのか>

明治維新による異国との接触は日本人意識を強烈に喚起し、朝鮮半島を第三国の占領下に置かないことが日本の独立を守る「利益線」であると山縣有朋は観念した。

<なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか>

朝鮮の内政改革を推進する文明国と、それを拒絶する野蛮な国という論理で、日本は文明の進歩のために清国と戦争をしなければならないと、福沢諭吉は述べた。

<なぜロシアは「文明の敵」とされたのか>

門戸開放をせず自国の国民を幸せにできないロシアの専制政府を敗北させることは、相手国の国民のためであるという論理を、明確な言葉にしたのは吉野作造だった。

などなど、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、太平洋戦争と、明治以来立て続けに日本が戦ってきた戦争について、

様々な「問い」を用意することで跡付けて行くスタイルは、こののち神奈川の名門・栄光学園の中高校生(歴史クラブのメンバーが中心)を相手に、

繰り広げられた5日間の集中講義『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』へと引き継がれていった。(こちらもぜひお読みいただきたい名著である。)

一回性を特徴とするのが歴史なのであれば、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったかについて、いくら事例を積み重ねたとしても、

新しく起こされる戦争というのは、まったく予想もつかない論法で正当化され、合理化されてきたことは、日本の近現代史を眺めてみただけでもわかる。ただ・・・

こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。

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『黄砂の籠城』

(松岡圭祐 講談社文庫)

「あなたが櫻井隆一という人物の玄孫だから贔屓するとか、そんなつもりは毛頭ありません。ただあれは、日本人の本質が浮き彫りになった歴史上の一大事だと思うのです。戦後の色眼鏡で見られがちな昨今の価値観とも異なる、あなたがた日本人の真の姿ですよ。私はそう信じます。」

実現困難な商談を担当していた櫻井海斗は、自分のような一介の営業マンには面会すらできないはずの先方の重役エリック・チョウに呼び出され、単身北京に赴く。

「契約しましょう」という意外な申し出とともに、チョウの口から語り出されたのは、高祖父・櫻井隆一も関わった歴史的事件の顛末と彼の日本人尊崇の思いだった。

<柴五郎を知っているかとチョウはきいた。>

柴五郎なら、あの『ある明治人の記録』を遺した、会津精神の化身ともいうべき立志伝中の人物として、暇人は既に知っていたけれど、

その後、生粋の陸軍武官として異例の出世を遂げ、「義和団事件」における総指揮官としての活躍が、列国の称賛を受けたことは、軽く触れられていただけだった。

というわけで、清朝末期の中国で外国人排斥を叫んで立ち上がった民衆武装集団が、治外法権の北京在外公館区域を取り囲んで襲撃した「義和団事件」だが、

これはそんな歴史上の大事件を題材に、膨大な資料に基づいて、多くの登場人物や事件はほぼ史実という舞台背景の中で、紡ぎ上げて見せた壮大なドラマなのである。

「東交民巷」というおよそ1キロ四方の狭い区域に閉じ込められた、日、独、米、仏、英、伊、露、西、白、墺、蘭、11か国の公使(と家族ら民間人)たちは、

それぞれの国が抱える事情や思惑の違いからなかなか足並みが揃わぬ内に、西太后が義和団の支援に回って、頼みの綱の援軍も絶たれ、絶望的な籠城戦を強いられる。

そんな時に立ち上がったのが、それまでは小国として意見を述べることもなく軽んじられてきた柴中佐だった。その情勢分析の確かさが一目置かれるようになったのだ。

語学の才能を見込まれた櫻井は、通訳として各国の意思疎通を図り、義和団を蔭で支える清国軍との2カ月に及ぶ死闘の中で、逞しく成長しいく姿が描かれていく。

もちろんこの本は、あの『千里眼』シリーズ(暇人は読んだことないけど)の超人気作家の手になるものなので、

雲霞のごとく執拗に迫りくる人民軍との戦闘は言うに及ばず、奇襲に対する逆襲作戦の妙技や、味方の中に潜む内通者探しの推理劇など、読みどころは満載である。

しかし何と言っても心に響いてくるのは、各国との対比の中で顕わになってくる、日本人兵士(特に民間から募った義勇兵)たちの美質である。

戦いが終息して、英国駐在公使だったサー・クロード・マックスウェル・マクドナルド(初代駐日英国大使)が公式に発した賞賛の言葉は、日英同盟につながった。

昨今の「美しい国」を標榜するどこかの国の首相のような、自画自賛の謳い文句とはまったく主旨を異にするものである。

一体いつから日本人は、「自分で自分をほめる」ことしかできない国民に成り下がってしまったのだろうか?

「日本の指揮官だった柴五郎陸軍砲兵中佐の冷静沈着にして頭脳明晰なリーダーシップ、彼に率いられた日本の兵士らの忠誠心と勇敢さ、礼儀正しさは特筆に値する。11か国の中で、日本は真の意味での規範であり筆頭であった。私は日本人に対し、ここに深い敬意をしめすものである」

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『物語 哲学の歴史』―自分と世界を考えるために―

(伊藤邦武 中公新書)

哲学の歴史はいうまでもなく、パスカルのような大哲学者の名前が次から次へと登場する歴史である。本書でも、(中略)・・・などの有名な哲学者の理論が、時代を追って順番に紹介される。・・・とはいえ、この哲学史の物語は、さまざまな哲学者の学説を網羅的に紹介して、それぞれのエッセンスを簡単に参照するための参考書としては考えられていない。

さまざまな理論が林立する哲学の歴史を、多様な学説の並列する一大ギャラリーとして見るのではなく、<一つのストーリー>として見通すこと。

それが中心のテーマだというこの本は、『パースのプラグマティズム』を専門領域とする哲学者が、ついに終わりを迎えつつある「哲学の歴史」を乗り超えようと、

「哲学とはそもそもどのような知的探求なのか」という基礎的問題から、「歴史的に有名な哲学者は何を言ったのか」という個々の理論も紹介しながら、

「哲学の長い歴史にはどんな運動があったのか」という哲学史の理論の解釈にまで踏み込んだ、新しい「哲学史物語」の試みなのである。

宇宙は一つの巨大かつ有限な閉鎖世界であると考えていた古代・中世において、その中で生きる人間の思考力と生の意味について大規模な反省を展開した、

プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナスらにとって、さまざまな理論的相違とともに、常に基本的発想の共通点となったのは「魂」という考え方だった。

という、『魂の哲学』の時代――古代・中世

天動説から地動説へという科学革命により、ニュートン的な無限宇宙というまったく新しい自然像を背景にして、世界の構造について根本から考え直すことを迫られた、

デカルトやカントらは、無限世界を絶対的に超越する人間の「意識」を設定することで、世界についての客観的知識の可能性を確保しようとした。

という、『意識の哲学』の時代――近代

無限の宇宙のその片隅しか経験できない人間にとって、客観的知識はいかにして確保されるかという、「認識論」が陥った「心身問題」に終止符を打つべく、

プラグマティズムは人間の認識を「活動」と捉えることで、人間の思考を透明で計算的な知性活動と考える近代哲学のパラダイムと決別し、哲学の終焉を自覚した。

という、『言語の哲学』の時代――20世紀

相対性理論や量子論の発達により形成されてきた「有限だが無際限」という非常に新しい形式をまとい、私たちの宇宙が再び無限であることをやめてしまったのなら、

20世紀から始まった現代哲学の進展は「哲学の終わり」ではなく、人間についての脱―機械的なモデルへの模索といった別の方向へと舵を切ったはずだ。

という、『生命の哲学』の時代――21世紀へ向けて

<魂から意識へ、意識から言語へ、そして生命へ――>。哲学の遠大なる歴史を辿った著者の足跡は、大きな一つのサイクルを描いて物語を閉じるのである。

哲学は魂という原理から出発して、意識や言語という近代科学と密接に結びついた考え方を経由して、生命というある意味では古代の魂にも似た原理へと戻ってきた。それは数千年に及ぶ哲学のコースを一つの螺旋状の回転に近いイメージで捉えようというストーリーである。

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『新書百冊』

(坪内祐三 新潮新書)

私が通っていた御茶ノ水の駿台予備校は、当時、単なる受験合格のテクニックではなく、もっと本質的な「学問」を教えてくれた。特に英文解釈の奥井潔先生の授業はいつも心待ちにした。教壇で奥井先生は例えばT・S・エリオットやポール・ヴァレリーの文学的意味について語ってくれた。その魅力について語りながら、奥井先生は、「ただし」というひと言を付け加えた。

「もし皆さんがその魅力にとりつかれたら、大学に入学するのが一年遅れますから、実際に彼らの本を読むのは来年にして下さい」

なんて忠告もものかわ、早速神保町の本屋に駆けつけて、岩波文庫のエリオットの『文芸評論』とヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』を買った。

<1977年春、大学入試に落ちた私は、浪人生となった。私が本格的に新書本を読み(買い)はじめたのはこの時期からだ。>

というこの本は、旧制高校出身で当時の気風の影響を受けたからか読書家だった父親の本棚を眺めながら育ったため、教養主義的読書への志向も有りながら、

若者達の間ではサブカル的読書が主流となっていく、昭和50年代に読書家としての物心に目覚めたという著者の読書遍歴を、「新書」を通して描いた<自伝>である。

毎月新書本の新刊を3冊づつ買って読もう。3冊買っても千円でおつりがくるし、毎月コンスタントにそういう読書を続けたら、それだけでもかなりの知識が身につくだろう。ただのつまらないサラリーマンにはならないだろう。

わずかそれだけのことで、自分の将来が少しだけ豊かに広がるような気がした、<とても安上がりな展望>。

あの頃(岩波新書の青版が1000番に達し、黄版が新たなスタートを切った頃)のそんな時代の雰囲気は、少し年代が上の暇人にもよく分かる気がする。

(教科書に載っている漢詩を、突然中国語で音読してみせた、我が高校の漢文の名物教師が、岩波新書を全巻読破していると聞いて、激しく憧れたのを思い出す。)

ちなみに、この本は新潮新書が創刊した2003年に、最初に発行する10冊のうちの1冊として、栄えあるご指名を受けたものなのだが、その時一緒に買った、

『漂流記の魅力』(吉村昭)『バカの壁』(養老孟司)『死ぬための教養』(嵐山光三郎)『武士の家計簿』(磯田道史)は、すぐに読んだようなのに、

この本だけなぜ今ごろになって読むことになったのかと言えば、それはこの本が2か月ごとの通院の待ち時間と年数回のバス通勤時用として選ばれたからだ。

(暇人の読書は、会社の休み時間と自宅の居間、寝室でそれぞれ月2〜3冊、トイレで年数冊、そして通院で数年に1冊を同時に読むのがお決まりなのだ。)

つまり、今ごろになって読んだのではなく、読み終わるのに時間がかかったということなのである。それにしても、あまりにもかかりすぎだとは思うが、

著者が偶然に出会い、あるいは発掘し、向学心を燃やして芋づる式に訪ね歩いた知の宝庫から、厳選して紹介してみせる百冊の秘蔵の本にまつわるエピソードは、

その一つ一つがまことに味わい深く、読み飛ばすこと能わず、やむなく途切れた部分は、時間をおいて遡って読み返すのにちょうどいい塩梅でもあった。

それはまるで、神田神保町の古本屋街を行きつ戻りつするかのような体験で、著者が最後に選んだ百冊目『東西書肆街考』(脇村義太郎)にマッチしていたのである。

「新書」というメディアをテーマに、まさに「新書」という器で、私は、読書という時代を超えた文化や文化行為の力強さを、特に若い人たちに伝えるべく、この本を書いた。「時代を超えた」ということは、すなわち、どのような時代にあっても通用するという意味である。つまり、読書は死なない。

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『東大のディープな英語』

(佐藤ヒロシ 中経出版)

括弧内の単語の形を変え、文脈に合うように一語で埋めよ。
Our new neighbors seemed (friend) at first, but they turned out to be very nice.


この問題をパッと見て、friend を形容詞 friendly に変えればいいと思った方は、残念ながら不合格である。正解は unfriendly としなければならないからだ。

この問題の隠れたポイントは at first という語句の理解にあり、「最初は〜だが」と後に異なる結果が続くことを予想しなければならないのだ。

東大はこの問題を通して、意味を考えることの重要性(当然すぎることだが)と、基本知識の大切さを訴えているのである。

だから・・・「東大英語も面白い!」

というこの本は、代々木ゼミナールの英語科名物講師が、多方面から学生の英語力を測ろうとする東大入試の良問を俎上に載せて、解読のお手本を示したもので、

先にベストセラーとなった、『東大のディープな日本史』や、『東大のディープな世界史』の、いわば<柳の下の泥鰌本>なのである。

(シリーズは違うけど、『東大のクールな地理』『東大の数学入試問題を楽しむ』なんてのもあったな。それにしても、暇人も東大本フェチだな。)

次の英文には、文法上あるいは文脈上、取り除かなければならない語が一語ある。それを示せ。
There was a time in my life when I was trying to explain that I was not really multilingual, but rather than monolingual in three languages.


この問題ならば、A rather than B =「BではなくA」という構文の罠に引っ掛かることなく、 not A but B =「AではなくB」に辿り着けるかが問われており、

これを「ディープ」というのはさすがに言い過ぎだとは思うが、確かに文章の意味を捉えることができていなければ、正解「than」を導き出すことはできないだろう。

「つい意味を考えることをないがしろにしている英語学習者に対する強烈な忠告」と塾講師が何度も口にするくらいなのだから、

「形式が異なるだけで対応できなくなってしまうというマニュアル人間」と形容されてしまうくらい、今どきの受験生の英語のレベルは「浅い」のだろうか?

手練れの水先案内人の手ほどきを受けながら、全問チャレンジしてみた暇人の感想は、「東大の入試英語ってこんなに簡単だったっけ?」というものだったが、

ひょっとしたら、それは暇人が「受験英語」なるものに習熟していないため、という皮肉な結果だったのかもしれない。

次の英文の括弧内の単語を並べ替えて、文脈上意味が通るように文を完成させなさい。
Personal ( fuel information is powers that the ) online social networks, attracting users and advertisers alike, and operators of such networks have had a largely free hand in how they handle it.


というわけで、最後は「取り除く」より難しいかもしれない「並べ替え」問題に、あなたもチャレンジしてみてほしい。(2013年の出題である。)

「名詞」は文中で主語・目的語・補語または前置詞の目的語のいずれかの位置に来なければならない、という文法の基本知識をヒントにすれば・・・

解答( information is the fuel that powers
解説( powers は名詞ではなく、動詞使用だった!

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『日本考古学の通説を疑う』

(広瀬和雄 新書y)

掘り出された「もの」と「もの」の関係をどう読みとるか、そこにこそ人間とはなにか、人間と人間が織りなす社会とはなにか、といった問いにたいする解答が秘められている。ところが、そういった体系的な研究はなかなかできないから、そうした局面にいたると、それらの代替物として、とたんに既往の通説・定説が登壇してくる。

<その結果、「教科書を書き換える大発見」があいついだはずなのに、日本史教科書はいつまでもほとんど変わらない。>

考古学専攻の著者が、こんな現状に一度「ケリ」をつけようと思ったのは、そんな通説・定説が一個のパラダイムとして、国民の歴史意識を規定してしまうからだ。

「通説」(=これといった論証もされていないのに、一見実証不要かのように敷衍されている言説)も、

「定説」(=有力な論文があって、それに対するさほどの反論もなく定着をみた学説)も、

どちらも、ほとんどがいまとは違って、資料の少ない時代に形成されたものなのであれば、急増する考古資料との整合性を、早急に検証する必要があるというのである。

たとえば、第三章「<貧しい縄文>を弥生文化が救ったのか」では、弥生時代に三つの文化(弥生・続縄文・貝塚後期)が共存していたことが示される。

食料を生産しない採集・狩猟・漁撈の「獲得経済」という遅れた原始的な縄文文化は、稲作を基軸にした「生産経済」の弥生文化に克服されるのが<善>であり自明だ。

という<縄文文化いきづまり・弥生文化救済論>が、マルクス主義の発展段階論を歴史叙述の下敷きとしてきたこれまでの歴史学界においては「定説」だった。

しかし、芸術品としか表現できないような土器などを、ごく素直な気持ちで見れば、獲得経済の生活に余裕はあったはずで、縄文の側に滅びの原因はなかったという。

水田耕作により徐々に増加しはじめた人口を養うため、開拓につぐ開拓を繰り返さなければならなかった、弥生人の拡大主義が「獲得経済」を駆逐してしまったが、

投下した労働が回収されない危険を冒してまで、一年に一回しか収穫できない生産方式に賭けるよりも、豊かな恵みを受け入れる方がいいという人びとがいたのだ。

近年、傍若無人な環境破壊による地球環境悪化への危機意識の浸透が、過去の美化へと人びとの観念を誘導し、<いま縄文文化が新しい>と逆転したのは皮肉である。

といった具合で、

第4章「コメの余剰生産が支配層を生み出したのか」
第5章「弥生時代に都市は存在した」
第6章「前方後円墳とは何か」
第7章「<カミ>や<他界>を考古学は論証できるのか」

と、一旦は与えられた資料を論理的かつ整合的に実証したことで人びとの納得を獲得したはずが、いまは耐用年限を過ぎたと思われる通説・定説を俎上に取り上げ、

それがどこからでてきて、私たちの精神構造にどのように浸透していったのか、どうしてわが国の考古学の知的土壌をなしたのかという原因を解明しなければ、

新しい歴史像の構築と、それにもとづいた歴史認識への旅立ちも、いっこうにはじまらないという視座で論及された、ちょっぴり「いじくらしい」本なのだった。

異質な文化の共存と統合の歴史をどのように体系化していくかが、これからの考古学の重要な研究課題になると思う。それは近代国家に収斂される<一系的歴史観>や、「縄文・弥生の一万年」がベースとなったある種の<基層史観>などとは違った、体系的な歴史観のよりどころとなる歴史観の構築と同義である。

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『ヒトの言葉 機械の言葉』

(川添愛 角川新書)

この先、AI技術が進み、機械がより巧妙に、より私たちに近い形で言葉を扱えるようになることは想像に難くありません。そのとき私たちは、どの時点で、いったいどういった根拠に基づいて「機械が人間と同じように言葉を理解し、話せるようになった」あるいは「まだそうなっていない」と判断すれば良いのでしょうか?

「実のところ、この問題に答えるのは簡単ではありません。」

なぜなら、<言葉を理解するとはどういうことか>にも、<そもそも言葉の意味とは何か>にも、まだ確かな答えが出ていないからだ。

というこの本は、「理論言語学」出身の作家が、今の機械はどのように言葉を扱っているかという現状分析から、逆に人間の言葉の「謎」に迫った意欲作である。

〆のAIは、数(の並び)を入力したら数(の並び)を出力するものである。

つまり、コンピュータの内部では音であれ、文字であれ、言葉は「数(の並び)」として扱われており、あくまで「数の処理」を行っているに過ぎない。

機械学習とは、限られた数のデータの中からパターンを発見し、新しいデータに対して分類や予測をする関数を求める技術である。

従って、人間がいちいち規則を命じる必要はなくなるが、お手本となるデータの数や質によってAIの動作は左右され、AIがそのデータの正しさを疑うこともない。

深層学習で用いられるニューラルネットワークは、膨大なパラメータを持つ関数と見なすことができる。

それは膨大な数のパラメータを持つ非常に複雑な関数となるため、AIの中身を見ても、なぜAIが言葉をそのように扱ったのかがよく分からないことになる。

もちろん、言葉を扱う機械にとって「人間と同じように言葉を理解すること」は必ずしも重要なことではなく、「人間の役に立つこと」を目指しているのだろうが、

以前より格段にうまく言葉を扱えるようになったからといって、今のAIが言葉を理解しているかといえば、そうとは言えない段階にあるようなのだった。

では、<私たち人間はどのように言葉を理解しているのか>

実はここからが、「理論言語学」を操る著者の独壇場で、「言葉の意味とは何なのか」「文法と言語習得に関する謎」など、切れ味鋭い分析が続くことになる。

人間にとって言葉とは「コミュニケーションのための道具」なのだから、言葉を使って他人とやり取りするものは、「意図」(=相手に伝えたい内容)であるはずだ。

私たちが普段何気なく使っている言葉では、この「意図」と「意味」(=単語や文そのものが表す内容)が必ずしも一致しておらず、そこに多くの解釈が生まれる。

私たちは音声、常識、話し手についての知識、会話の文脈、文化や慣習など、多様な「手がかり」を利用して、相手の「意図」をうまく絞り込んでいくのである。

とはいえ、「必ずしも人間と同じ仕方でなくても、機械が言葉を理解することはあり得る」と、AI技術の進展に期待を寄せる人々が言いたくなるのだとすれば、

「この機械は言葉を理解している」という言葉は、「機械による言葉の扱いが、実用的な面から見て十分に信頼できる」という意味で解釈すべきだというのだった。

どちらかをはっきりさせないまま「機械による言語理解の達成」が喧伝されることは、過剰な期待や恐怖を煽るでしょうし、もし技術の面で実体が伴っていなければ、AI研究に対する失望や過小評価にもつながります。これは、過去のAI研究の歴史においてたびたび繰り返されたことでもあります。

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『医療短編小説集』

(石塚久郎監訳 平凡社ライブラリー)

女の子は私をすっかり参らせている。冷たい目で私をじっと睨み、顔は能面のように無表情だ。身じろぎもせず、動揺もしていない。なんて魅力的な女の子なんだ。見たところ鼻っ柱の強い小生意気な少女のようだ。でも、顔は紅潮しているし、息も荒いので、高熱を発しているとわかった。( 『力ずく』 WCウィリアムズ)

「さあ、マチルダちゃん、お口を大きく開けてごらん、喉を見せて頂戴。」

初めて往診に訪れた家の娘マチルダは、ジフテリアへの感染を疑い喉を見ようとする医師の「私」に必死で抵抗し、私の眼鏡を吹っ飛ばしてしまう。

この娘は何もわかっちゃいないのだから、誰かが守ってやらねばと自分に言い訳しながら、私はいつしかこの少女を打ち負かしたいという欲望にも駆られ始め・・・

というこの本は、「医療」人文学という視点で、19世紀から現代にかけての英米の選りすぐりの短篇14作品を収録したものである。(7編は本邦初訳だとか。)

心身共に病んだ鬱の気がある医師が、自分が診ている少年の母親が幼年時代に憧れていた乳母であったことに気づく――Sベケット『千にひとつの症例』

手術の症例以外に興味を持たない有能な外科医が、瀕死の浮浪者を助け、「またやるんだったら顎を上げるんだな」と忠告する――Jロンドン『センパー・イデム』

患者を救う使命感に燃える看護婦と、自分への同情を利用する漫画家の患者との間のすれ違いは続き――FSフィッツジェラルド『アルコール依存症の患者』

癌の宣告を受け長年の恋人と結婚した男は、その診断書が手違いだったことに気付くが。2年後急死した妻は最初からそれを知っていた――Eウォートン『診断』

評判の独身外科医の地元に新たに開業した女性の外科医は、彼のプライドと女性医に対する偏見を軽々と乗り越えていき――ACドイル『ホイランドの医者たち』

などなど、作品のほとんどが文学史的にも著名な作家の手によるものであり、この作家がこんな小説も書いていたのかと、驚かされることにもなるのだが、

では・・・<なぜ文学と医療なのだろうか?>

それは現代社会が、いい意味でも悪い意味でも、高度に医療化されたからだろう、と監訳者は言う。私たちの人生が医療と切っても切れない関係にあるからだと。

身近な人を介護する立場に立たされたり、延命措置の可否判断を強いられたりと、私たち自身が広い意味で「医療従事者」であるという切実な事情がそこにはある。

医療者にとっても、最も根本的な資質である共感や想像力を学ぶには、「文学」が必須のアイテムであるというのが「医療人文学」の視座なのである。

そんなわけで、「私」は少女の首と顎を力任せに押さえつけ、太い銀のスプーンを彼女の歯の裏に無理やり入れ、喉に押し込むことになる。

幼い子に散々恥をかかされた大人は、その屈辱感をなんとしても力で解消したいという盲目的な憤怒が生まれ、それに駆られて行きつく所まで行ってしまうのだ。

え?どうしてそんなことが作者に分かるのかって?

だって、WCウィリアムズは現役の小児科の医師なのである。

今ここで診断しなければ、もうやり直しはきかないだろう。だが、最悪なことに、私自身が理性を失っていた。怒りに任せてこの子を八つ裂きにして、それを楽しむくらいのことはできそうだ。いや、彼女を襲うのは快感なのだ。そう思うと、私の顔はかっと熱くなった。

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『天才 富永仲基』―独創の町人学者―

(釈徹宗 新潮新書)

天才の条件とは何でしょうか。もちろん“独創性”を挙げることができるでしょう。そしてそれは“同時期の人たちには、なかなか理解されない”ことと表裏の関係となります。・・・さらに“早熟”ということも加えてよいのではないでしょうか。つまり、多くの人が長年にわたる研鑽・努力で到達する地平へと、早い段階でやすやすと飛躍してしまう。それが天才というものでしょう。

<富永仲基は天才である――。>

正徳5(1715)年に大阪の醤油屋に生まれ、大阪の商人たちが自分の子どもたちを教育する場としてつくった自主運営の学校「懐徳堂」で学び始めたが、

15,6歳で儒教を批判したため師の怒りに触れて破門され、以後は独自の手法で仏教経典を解読し、言語論や比較文化論などを駆使した独創性を発揮して、

儒教・仏教・神道の成立過程や思想構造を批評した主著『出定後語』のほか、『翁の文』など数少ない著作を遺して32年の短い生涯を駆け抜けた。

こんな富永仲基を、まさに早熟・早逝の天才の呼称にふさわしい人物であると最初に評したのは、明治・大正時代の代表的東洋史研究者・内藤湖南だった。

思想は、それに先行して成立していた思想を足がかりに、さらに先行思想を超克しようとし、その際には新たな要素が付加される、という「加上」の説。

言語は、それを語っている学派、時代背景、用法の3つによって変わるので、語っている人の立場を考慮しなければ本質は理解できない、とする「三物五類」の原則。

信仰には、国ごとに民俗・文化・風土の「くせ」があり、そのために説かれる教えが異なっていく、という「国有俗」の傾向の指摘。などなど・・・

「学問上の研究方法に論理的基礎を置いたということが既に日本人の頭としては非常にえらいことであります。」(講演『大阪の町人学者富永仲基』内藤湖南)

さて、それまで仏教の経典はすべて釈迦が説いたとされていた。そのため、つじつまの合わないところの理屈を合わせようとたくさんの教義が生まれた。

しかし仲基は、仏典を精査することにより。「仏典には成立年代の違いがあって、長い間かかって変遷してきた」と喝破することになる。

あらゆる思想には何らかの前提があり、そこに上書きされているという「加上」説によれば、「大乗仏典」は釈迦が説いた教えではないことになってしまうのだ。

これが「大乗非仏説論」であり、江戸時代の半ばに仏教の思想体系を根底から揺さぶる立論を、世界に先駆けて世に出した人物こそが富永仲基だった。

というわけでこの本は、僧侶にして宗教学者(というより『聖地巡礼』でお馴染み)の著者が、“知られざる天才”の魅力に迫ろうとしてみせた力作である。

研究結果が世に出た直後は、当時の日本仏教界から激しいバッシングを受け、誤読されることも多く、きちんと真価が認められたのは近代になってから、

という『出定後語』を詳細に読み解く中で、次第に明らかになってきたのは、仲基は廃仏論者ではなく「三教一致論者」だったのではないかということだった。

三教それぞれを相対化して、合一した宗教性を見ようとする仲基の立場は「宗教を脱して世俗に立脚する」というもののようだったのである。

仲基は、仏教・儒教・神道の三教から聖性を剥ぐことで抽出したもの、それは善への志向でした。しかもその思想は、その当時、世界の誰一人として見えていなかった「仏教経典の変遷経緯を喝破する」という偉業に支えられたものだったのです。

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『天皇家はなぜ続いたのか』―「日本書紀」に隠された王権成立の謎―

(梅澤恵美子 ベスト新書)

「天皇」の本当の謎は、なぜ天皇には、理屈では説明のつかない不可侵性が備わっていたのか、ということであり、それが果たして人の手によってつくられたものなのか、それとも、古代人の信仰が今日まで受け継がれたものなのか、ということではないだろうか。

<いったい「天皇」のどこにそのような不思議な力が秘められているのであろう。>

それまでは「大王(おおきみ)」と呼ばれていた日本の王家が「天皇号」を用いるようになったのが、7世紀の天武朝まで遡ることには、考古学的な物証がある。

それは表向きは、明文化された律令という法体系によって存在意義が明確にされた「天皇システム」を、象徴する存在としての「天皇」への呼称変更ということだが、

その背後には、仏教導入を柱に外交姿勢の活性化を図って台頭してきた蘇我氏と、時代に逆行する保守的な姿勢を貫こうとするヤマト朝廷側との対立があった。

「乙巳の変」により蘇我氏を打ち倒した天智(中大兄)だったが、「壬申の乱」で天智の息子から権力を奪取した天武(大海人)は実は蘇我氏の系統だった。

そして、蘇我氏の事業を復活させようとした天武の遺志を継いだはずの妻・持統は、藤原不比等の力添えを得て、父・天智の想いに応えようと企むことになる。

そこで持ち込まれたのが、「天孫降臨」という神話だった。天武の子・草壁ではなく、持統(アマテラス)の孫・文武(ニニギノミコト)が地上の支配者となる。

実権を伴わない権威のみの王、現人神という「天皇」のもとに、自家の女人を送り込むことで「実質的な権力」を藤原氏が永遠に保持し続けるシステムの完成である。

(このあたりのお話は、馳星周の『比ぶ者なき』とほぼ同じだが、もちろんこちらの方が小説なので断然読みやすい。)

このように、「天皇」という器に、商品名(氏)と生産者名(藤原)のラベルを貼らず、その持ち主が代わり中味はそれぞれの好みに入れ替わっても、その器は重宝なものとして、使いつづけられていったのである。

というわけで、これが「明治維新」、「太平洋戦争」、そして「象徴天皇制」と変遷しながら、「天皇制が続いた」理由だというのだが、

何と驚いたことに、ここまではほんの序章にすぎないのだ。多くの豪族は藤原氏を憎み恨んでいたのだから、にわかづくりの「藤原の幻想」に従うはずはないと。

<とすれば、いったい、いつ、どういう理由で「不可侵性をもった天皇」という「幻想」は生まれたのか。>

ここで著者から提示されるのが、<神武天皇はなぜ熊襲の地・日向からやって来たのか>という、『日本書紀』の「東征神話」に潜む第二の謎だった。

神話の人物なのだから詮索する必要はないと通説は決定づけているようだが、架空の話ならなおさら、天皇家ははじめからヤマトにいたことにすればよいではないか?

というわけで、北部九州の山門にいた卑弥呼を打倒した伽耶からの帰国女子が神功皇后(トヨ)で、それを追いかけてきた伽耶の王子が仲哀天皇(大国主神)だった。

神功皇后は九州政権に危機感を持ったヤマト勢力に追い落とされ、次男の応神天皇は諏訪に封じられて建御名方神となり、長男は父・武内宿禰と日向へ逃げる。

やがて糸魚川の平牛山に落ち延び入水自殺したトヨの祟りを恐れたヤマト側は、日向から皇子を迎え崇神なる天皇を創作し、「神武東征」の神話と重ね合わせた・・・

などという、邪馬台国からヤマト朝廷へという日本の歴史の黎明期に起きた悲劇が、『日本書紀』を綿密に解き明かすことでくっきりと浮かび上がってくるのだ。

え、嘘くさいって?

いえいえ、以前ご紹介した小林惠子先生の『白虎と青龍』なんかに比べれば、まだまだ着いていきやすい方ではないかと・・・

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暇人肥満児

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