(Eワイナー ハヤカワNF文庫)
世界じゅうには、「もしも」が実現して、それが日常的光景になっている国がいくつもある。もしも税金を払わなくてもいいような裕福な国で暮らしていたら。もしも・・・そうしたら、幸せになれるだろうか。
<私が知りたいのはまさにそういうことだった。この明らかに無謀な実験の成果が本書である。>
全米公共ラジオの海外特派員である著者が、「あまり知られていない幸福な国」を探しながら、一年ぐらい旅をしてみたらどうかと考えるようになったのは、
これまでは、イラクやアフガニスタン、インドネシアなど「憂鬱で不幸な人々の物語」を取材するために、世界じゅうをあちこち歩き回る日々が続いたからだった。
というわけでこの本は、「幸せになるために欠かせないもの」を探るため世界各地を訪ね歩き、出会った人々の言葉に耳を傾け、考察を重ねた旅の記録なのである。
幸福学研究の権威として知られるフェーンホーヴェン教授の「世界幸福データベース」を参考に、訪れることにした国は全部で10か国。
「私は、人が幸せだろうがそうでなかろうが、関心がありません。幸福感に差がある限り、データを処理して研究が可能ですから」と語るフェーンホーヴェン教授が、
幸福を追求する同志だと思っていたら、実は「幸福ゲーム」の競技者ではなく、あくまで優秀な審判員に過ぎないと思い知らされたオランダを皮切りに、
他人の嫉妬を買わないためならどんな努力もいとわないと、幸福の最大の敵が「嫉妬」であるということを本能的に知っている国スイス。
すべての物事を「国民総幸福量」という観点から検討することを政策の基本理念としてはいても、それはあくまで国是であり目標なのだと大臣が答えたブータン。
「それは神の意志によるものだ」と、鼻持ちならないほど行きすぎた贅沢にとことんまでふけった場合、人の心には何が起きるのかを考えさせられた富裕国カタール。
「失敗が恥ずかしいことだとは誰も思っていなくて、むしろ名誉」と、いつでも再挑戦できるから、幸せと悲しみを同時に、同じくらい経験できる国アイスランド。
「マイペンライ(気にしない)」のタイ。「幸せなようにはふるまわない」イギリス。「いまここに」のインド。「どこか別の場所に」のアメリカ。そして・・・
「ヌー・イェステ・プロブレマ・ミャ(私の問題じゃない)」問題だらけなのに、それが誰の問題でもない国。この国では誰も問題を引き受けようとしない。
ロシア帝国崩壊後の建国が、誰もが目を背けたいと思うほどの大失敗に終わり、世界で最も幸せでない国となってしまったモルドバの、絶望の根源はお金だという。
確かに国民1人当たりの年間所得はわずか880ドルと、その経済的困難は軽視できないが、ナイジェリアやバングラデシュなど、もっと貧しくても幸せな国は多い。
彼らの不幸は、自分たちをそんな人たちとは比較せず、イタリアやドイツと比較することにある。モルドバは裕福な界隈の貧しい住民なのだった。
すべての旅を終えアメリカの自宅に落ち着いた時、著者の脳裡に浮かび上がってきたのは、癌から生還したブータン人の学者カルマ・ウラの言葉だったという。
「個人的な幸福というものは存在しない。すべての幸福は相関的なものだ」というその言葉が、額面通り本心からそう語られていたことに、ようやく気付いたのだ。
私たちの幸福は、他者(家族、友人、近所の人、職場を掃除してくれる人など)と完全かつ密接にからみ合っている。幸福というのは、名詞でも動詞でもない。それは接続詞なのである。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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世界じゅうには、「もしも」が実現して、それが日常的光景になっている国がいくつもある。もしも税金を払わなくてもいいような裕福な国で暮らしていたら。もしも・・・そうしたら、幸せになれるだろうか。
<私が知りたいのはまさにそういうことだった。この明らかに無謀な実験の成果が本書である。>
全米公共ラジオの海外特派員である著者が、「あまり知られていない幸福な国」を探しながら、一年ぐらい旅をしてみたらどうかと考えるようになったのは、
これまでは、イラクやアフガニスタン、インドネシアなど「憂鬱で不幸な人々の物語」を取材するために、世界じゅうをあちこち歩き回る日々が続いたからだった。
というわけでこの本は、「幸せになるために欠かせないもの」を探るため世界各地を訪ね歩き、出会った人々の言葉に耳を傾け、考察を重ねた旅の記録なのである。
幸福学研究の権威として知られるフェーンホーヴェン教授の「世界幸福データベース」を参考に、訪れることにした国は全部で10か国。
「私は、人が幸せだろうがそうでなかろうが、関心がありません。幸福感に差がある限り、データを処理して研究が可能ですから」と語るフェーンホーヴェン教授が、
幸福を追求する同志だと思っていたら、実は「幸福ゲーム」の競技者ではなく、あくまで優秀な審判員に過ぎないと思い知らされたオランダを皮切りに、
他人の嫉妬を買わないためならどんな努力もいとわないと、幸福の最大の敵が「嫉妬」であるということを本能的に知っている国スイス。
すべての物事を「国民総幸福量」という観点から検討することを政策の基本理念としてはいても、それはあくまで国是であり目標なのだと大臣が答えたブータン。
「それは神の意志によるものだ」と、鼻持ちならないほど行きすぎた贅沢にとことんまでふけった場合、人の心には何が起きるのかを考えさせられた富裕国カタール。
「失敗が恥ずかしいことだとは誰も思っていなくて、むしろ名誉」と、いつでも再挑戦できるから、幸せと悲しみを同時に、同じくらい経験できる国アイスランド。
「マイペンライ(気にしない)」のタイ。「幸せなようにはふるまわない」イギリス。「いまここに」のインド。「どこか別の場所に」のアメリカ。そして・・・
「ヌー・イェステ・プロブレマ・ミャ(私の問題じゃない)」問題だらけなのに、それが誰の問題でもない国。この国では誰も問題を引き受けようとしない。
ロシア帝国崩壊後の建国が、誰もが目を背けたいと思うほどの大失敗に終わり、世界で最も幸せでない国となってしまったモルドバの、絶望の根源はお金だという。
確かに国民1人当たりの年間所得はわずか880ドルと、その経済的困難は軽視できないが、ナイジェリアやバングラデシュなど、もっと貧しくても幸せな国は多い。
彼らの不幸は、自分たちをそんな人たちとは比較せず、イタリアやドイツと比較することにある。モルドバは裕福な界隈の貧しい住民なのだった。
すべての旅を終えアメリカの自宅に落ち着いた時、著者の脳裡に浮かび上がってきたのは、癌から生還したブータン人の学者カルマ・ウラの言葉だったという。
「個人的な幸福というものは存在しない。すべての幸福は相関的なものだ」というその言葉が、額面通り本心からそう語られていたことに、ようやく気付いたのだ。
私たちの幸福は、他者(家族、友人、近所の人、職場を掃除してくれる人など)と完全かつ密接にからみ合っている。幸福というのは、名詞でも動詞でもない。それは接続詞なのである。
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