暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『煙が目にしみる』―火葬場が教えてくれたこと―

(Cドーティ 国書刊行会)

青白い蛍光灯の下で身動きひとつせずに横たわる気の毒なバイロンを、私は10分近くぼんやり見下ろしていた。そう、バイロンというのがその男性の名前だった。少なくとも、足の指からぶら下がっているネームタグにはそう書いてあった。・・・ひげ剃りというきわめて親密な行為を共有する前に、せめて名前ぐらいは知っておくのが礼儀だろうという気がした。

<初めてひげ剃りをした死体のことを、女は死ぬまで忘れない。>

家族経営のウェストウィンド葬儀社の火葬技師見習いとして、いくら自ら希望してやって来たとはいえ、

職場についた初日に、まさか遺体のひげ剃りをやらされることになろうとは、その朝、目覚めたときには、夢想だにしていなかった。

「やはりあの、シェービングクリームか何か使ったほうが・・・?」

これは、8歳のときに同年代の子供の転落死を目撃して以来、<死>という得体の知れない存在に怯え続けてきた自分を見つめ直し、

そんな恐怖を克服するためには、“敵”の正体を見定めるのが一番と、大学卒業と同時に葬儀社の現場に飛び込んだ、

うら若きハワイアン・ガールの、<優しくて、慈愛に満ちた、死者たち>との格闘の日々を描いた、6年間の記録なのである。

「遺体はふつう、足の側から先に炉に入れる。」
(もっとも火力の強い部分の真下に一番厚みのある胸部が来るようにし、まずじっくり焼いたあと遺体をずらして、今度は下半身を炎にさらす。)

「“赤”が肝心、黒は“生焼け”を意味する。」
(赤くくすぶる熾のようになったところでバーナーを止め、温度が300度を切るのを待ってから、炉内の残骸を掃き出す。)

「火葬の最終プロセスで粉骨機にかける。」
(故人の体に埋め込まれていた金属は選り分け、残った遺骨をパウダー状にしてポリ袋に移し、茶色いプラスチックの骨壺に納める。)

遺伝性疾患で何ヶ月も保管され、顔に白カビの蜘蛛の巣が張っていたパドマ。

飛び込み自殺で電車に轢かれながら左の眼球を失っただけだった22歳のジェイコブ。

茶色いホルムアルデヒド溶液が入ったプラスチック容器の中でゆらゆらしている死産児。

頭だけ、片脚だけと、細切れのパーツになって送られてくる、献体後の遺体。

「人生は、それが終わることにこそ意味がある」(Fカフカ)

それぞれの人生のそれぞれの物語を、まったく同じ手順で丁寧に締め括って行く作業を通して、彼女が手に入れた人生哲学は、

<死を否定する社会は、そこで暮らす人がよき死を迎える邪魔をする。>

のだから、そろそろ死と真正面から対峙する番だ、というものだった。

死体は保冷庫のステンレス扉の奥に、病人や末期の患者は病室のドアの向こうに押しこめてしまえば、自分は無関係だというふりができる。死を隠すことにすこぶる長けた私たちは、自分たちこそ永遠の命を与えられた最初の世代の一員であると信じてしまいそうにもなるだろう。けれど、人は不死身ではない。この世の全員がいつかかならず死ぬ。この世の全員がその事実に気づいている。

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『東大のディープな世界史』

(祝田秀全 中経出版)

19世紀中ごろから20世紀50年代までの「パクス=ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について、下に示した語句を一度は用いて、450字以内で述べよ。
 自由貿易         南京条約
 アラービー=パシャ   3C政策
 マハトマ=ガンディー  宥和政策
 マーシャル=プラン   スエズ運河国有化
(1996年度東大入試問題「世界史」・第1問)


「歴史は暗記もの」と思い込まされきた大部分の人にはショックだったかもしれないが、これが東大世界史の看板とも言われる、噂の「第1問」なのである。

これはもはや、人物や地名を答えればそれで済むという、私大入試にありがちなレベルの代物ではない。

「地球上のあちこちで起こっている、一見別々のことに見える事件や人物が、特定の動きに吸い寄せられていくとき、一つの形が出来上がる」

知識など解答への出発点にすぎないと主張する、東大世界史は時空を超えた「地球丸ごとの世界史」を語れと受験生に迫ってくるのだ。

<こんなに面白い世界史はない>

というこの本は、まあ、つまるところは、以前にこの欄でもご紹介した、『東大のディープな日本史』の「二番煎じ」ということになるわけだが、

代々木ゼミナールの世界史講師が、東大の入試問題を俎上に乗せて、その解き方を教えてくれる・・・のではなく、

地球規模で展開される歴史ドラマのダイナミズムと奥深さを、読み解くことの楽しさを教えてあげようというものなのだから、

政治を、宗教や道徳から切りはなして現実主義的に考察したフィレンツェの失意の政治家は、『ローマ史論』とともに、近代政治学の先駆となる作品も書いている。この人物の名と作品の名を記しなさい。
(2010年度・第3問)


という問いに、<マキァヴェリ『君主論』> と答えるだけで、得意になっているのではあまりにももったいなくはないか?

わざわざ教科書には載っていない『ローマ史論』をもってきて解答をもとめてきた出題者に敬意を表し、ここは問題文に込められたその意図をじっくりと味わうところなのだ。

え?

それで得点が上がるわけじゃあないし、そんなことしてたら時間が足りなくなってしまうだろって?

いやいや、そんな心配をしなければならないような方は、初めっから東大なんて受験しない方がいいんではないでしょうか。

「文明を生み出したエジプトが、なぜ発展途上国になったんですか?」。中学生のとき、社会科の授業でこんな質問をしたことがあります。「素朴な疑問」でした。
思えば、中学・高校のときにふと思った素朴な疑問が、東大世界史には次々と出てきます。ローマ教皇と皇帝、天皇と征夷大将軍、カリフとスルタンの関係もそうです。権力と権威の提携という政治力学の絶妙なバランスを設問に仕掛けてくるのです。


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『地震と独身』

(酒井順子 新潮文庫)

東日本大震災によって、家族の問題は大きくクローズアップされています。非常事態が発生した時、まず人々が考えたのは、家族が無事かどうかということ。無事であれば胸を撫でおろし、連絡がとれなければ不安でいっぱいに。震災は、あらゆる人が家族の大切さを再確認した出来事でした。

では、<独身の人達はどうしていたのであろうか?>

人が世を去った時、その人を悼み、思うのは家族なのだと、東日本大震災1周年記念式典における遺族代表の言葉を聞きながら、今さら思い知らされることになった、

自らも『負け犬の遠吠え』でその名を馳せた<独身者>であるがゆえに、

震災によって語られた多くの家族の物語とは対照的に、あまり見えてこなかった独身者の姿を捉えてみたいと思い立った著者は、

震災によって影響を受け、人生が変わってしまった<独身者>たちに実際に会って、その率直な思いに耳を傾けてみることにした。

配偶者や子供の心配をする必要がなかったからと、既婚者たちが放棄した震災後の現場で、<独身者>はとてもよく働いていた。

「私は『今一緒にやらないで、いつやるんだろう』って思ったんです。」と、

瓦礫となった土木機械会社の復興に孤軍奮闘する父をみて、都会での一人暮らしを早めに切り上げ、畑違いの父の仕事を手伝うことにした娘がいる。

「自分のことを考えずに済んだので、独身でよかったなぁと思いましたね。」と、

自らも被災者であるからこそ、近所の人や知り合いの痛みを実感し、高齢のお客様の自宅を訪ね歩いてサポートする、美容院の店主がいる。

「結局、今被災地を離れたらすごく後悔するだろうなと思って、航空券をキャンセルしました。」と、

カンボジアでのNPO活動の合間に、ボランティアにやってきただけのはずの被災地に、そのまま居着いてしまったIT技術者もいる。

「絆」=「ほだし」

それは、「つなぎとめるもの」であると同時に「縛りつけるもの」といった意味をもつ言葉なのだが、

配偶者や子供という、明確な「ほだし」を持たない<独身者>にとって、今回の大震災は、

自分がいったいどこにつながっているのか、そしてどこにつながっていないのかを、真剣に考えさせられる機会になったに違いないという。

これは、彼ら、彼女ら、一人ひとりが紡ぎあげた、<個>の物語の記録ともいうべきものなのである。

震災後、「絆」という文字が世にはあふれました。この場合は「ほだし」ではなく「きずな」と読むわけですが、「きずな」はただ家族や友人知人の間にのみ、結ばれるものではありません。遠く離れた地の人でも、また会ったことすらない人でも、家族のように心配し、助け合うことができるという今風のつながりは、ほだしをもたない独身者たちが自由に紡いでいったものなのであり、それはこれからの日本に、一つの可能性を示しました。

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『後妻業』

(黒川博行 文春文庫)

「住民票、家具持ち込み、顔出し、この三つです」
守屋は指を立てて、「まず、後妻は入籍前に住民票を移して、狙った相手と同居しているという形を作ります。次に、ドレッサー、ベッド、洋服ダンスを家に持ち込みます。そうして、地域の老人会などに顔を出して、中瀬の妻です、とアピールします」


「それ、みんな当たってます」

朋美が高校のクラスメートだった弁護士の守屋を訪ねることにしたのは、外出中に脳梗塞で倒れ入院していた91歳の父、中瀬耕造が急死したからだった。

耕造は新しく購入したマンションで、通いでやってくる武内小夜子(69歳)と暮らしていたのだが、その小夜子から「公正証書遺言」なるものを突き付けられたのだ。

<自宅の土地及び家屋を除く他の財産の全部を、遺言者の内縁の妻、武内小夜子に包括して遺贈する。>

それは、いつの間に父が書かされたものなのか、実の娘たちにとっては全く寝耳に水の、予想だにしない内容だった。

<後妻業>

妻に先立たれ一人暮らしをしている資産家の高齢者に狙いをつけ、後妻に入って財産相続の権利を確保するか、それが駄目なら内妻として公正証書を作らせた後、

何らかの方法で夫の命を縮めたりしながら、ついにはその財産を我が物にしてしまうことを<生業>とすること。

「あいつ、スケベやねん。勃ちもせんくせにちんちん触ったら、えらい興奮して、わたしのパンツを脱がそうとする。せやから、一回、一万円であそこを見せたるんや」

「あんた、金とって見せてたんか・・・」

結婚相談所を経営する柏木亨と、古くからの会員であるらしい小夜子との間で交わされる、軽妙な大阪弁の漫才のような遣り取りを追ううちに、

これはという老人が相談所に来たら、柏木が資産目録を確認して小夜子を紹介し、小夜子がその老人を誑し込んでいく、

という<後妻業>のテクニックが、次第に明らかになって行くという趣向なのだが・・・、

「それに、もっとおかしなことがある。その、つるぎ町の同じ現場で、元木日出夫という堺の資産家が車の自損事故を起こしてる。平成13年10月9日午後11時、武内宗治郎と同じく崖下に転落して、脳挫傷で死亡した。」

「元木日出夫の妻の名前は、柏木さん、いわんでも分かってるやろ」

守屋の依頼を受けて、小夜子の身元調査を引き受けることになった、元暴対刑事の興信所調査員・本多による、

報告を書くためだけならあまりにも度の過ぎた、必要以上に深追いした調査(もちろんそこまでやるには、本多にもそれなりの事情があるのだが・・・)の末に、

暴き出されてくることになる柏木と小夜子の、暗い影の中に埋め込まれてきた恐るべき遍歴の姿を垣間見るとき、

わたしたちは、<業>の業たる由縁を知ることになるのである。

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『謎の独立国家ソマリランド』

―そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア―
(高野秀行 本の雑誌社)

ソマリアは報道で知られるように、内戦というより無政府状態が続き、「崩壊国家」という奇妙な名称で呼ばれている。
国内は無数の武装勢力に埋め尽くされ、戦国時代の様相を呈しているらしい。一部では荒廃した近未来を舞台にした漫画になぞらえ、「リアル北斗の拳」とも呼ばれる。
陸が「北斗の拳」なら、海は海賊が跋扈する――これまた人気漫画になぞらえれば――「リアル ONE PIECE」。日本の自衛艦派遣をめぐっていつものように憲法違反だ、いやそうじゃないという議論が繰り返された。
いったい何時代のどこの星の話かという感じがするが、そんな崩壊国家の一角に、そこだけ十数年も平和を維持している独立国があるという。


<ソマリランド共和国>

国際社会では全く国として認められておらず、「単に武装勢力の一部が巨大化して国家のふりをしているだけ」という説もあるらしいが、

情報自体が極端に不足しており、その全貌は誰にもよくわからないという、まさに謎の国「地上のラピュタ」なのだという。

<結局、自分の目で見てみないとわからないという、いつもの凡庸な結論に達した。>

これは、早稲田大学探検部当時に執筆した『幻獣ムガンベを追え』で、知る人ぞ知る(知らない人は知らない)華々しいデビューを飾って以来、

「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す。それをおもしろおかしく書く」をモットーに、世界各地を渡り歩いた、

当代随一の「辺境作家」による、まさに命懸け(本人にその意識は薄いようなのだが)ともいうべき、渾身のルポルタージュなのである。

旧約聖書のサミュエルに由来するという「ソマリ(Somali)」人の居住域は、地中海からアラビア半島に及ぶ「旧約聖書文化圏」の辺境にある。

乾燥した半砂漠に住む遊牧民である彼らは、個人主義で、地道にコツコツ努力することは大嫌いで、押しが強く交渉ごとは得意という民族的特質を持っていた。

有史以来、「国家」を持ったことがない彼らが、初めて「国家」という概念に遭遇したのは19世紀だった。

イギリスがソマリ東北部の土地をおさえて「ソマリランド」と勝手に名前を付け、ほぼ同時にイタリアが南部の土地にやってきて、こちらも勝手に「ソマリア」と名付けてしまったのである。

1960年、5つの地域に分割された各植民地の独立、さらにソマリ民族が一堂に会するソマリア連邦共和国の結成、そして有力氏族間の権力闘争による分裂。

イサック氏族中心の民主主義国家 ソマリランド
ほぼダロッド氏族の海賊国家 プントランド
ハウィエ氏族を中心に戦乱が続く 南部ソマリア

現在、ほとんど「三国志」状態に陥ってしまっている旧ソマリアの、このくんずほぐれつの状況を、そのままお伝えしたところで、ソマリがどんどん遠ざかっていってしまうだろうからと、

ソマリ地域の北部に住む「イサック奥州藤原氏」 
旧ソマリア時代に栄華を極めた「ダロッド平氏」
ダロッド政権を武力でひっくり返した「ハウィエ源氏」

と、あくまで便宜上のネーミングを施したことで、行ったこともない土地に住む、見たこともない武将たちの姿が浮かび上がってきてしまうところが、この著者の手柄なのである。

え?直接お目にかかって、もう少しお話が聞いてみたい?

う〜ん、今ごろはきっと古代エジプト王朝時代の謎の王国「プント」を求めて、ソマリランド東部の2千メートル級の山をラクダで踏破しているところだろうから、

多分、無理だと思うけどなぁ。(って、この本読みなさいよ!)

もしソマリランドに援助や投資がなされるなら、私は日本で唯一の、そして世界的にも数少ない外国人のソマリ専門家としてぜひ参加したい――とは露一つ思っていない。
私がやりたいのは未知の探検だからだ。


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今年の三冊

誰に頼まれたわけでもないのに、徒然なるままに「読書日記」を綴り続けている暇人が、満を持してお届けする。

今年もいよいよ、毎年恒例の「マイ・ベスト」発表の日がやってまいりました。

なお、「今年の3冊」と言っても、「今年私が読んだ」ということで、発表されたのは必ずしも今年とは限りませんので、そこのところは、どうかお許しくださいね。

「ノンフィクション部門」

(国内編)

『人工知能は人間を超えるか』―ディープラーニングの先にあるもの―
(松尾豊 角川EPUB選書)

『一般意志2.0』―ルソー、フロイト、グーグル―
(東浩紀 講談社文庫)

『地図マニア 空想の旅』
(今尾恵介 集英社インターナショナル)

(海外編)

『スポットライト 世紀のスクープ』―カトリック教会の大罪―
(ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム 竹書房)

『植物は〈知性〉をもっている』―20の感覚で思考する生命システム―
(Sマンクーゾ Aヴィオラ NHK出版)

『「ろう文化」案内』
(Cパッデン Tハンフリーズ 晶文社)

「フィクション部門」

(国内編)

『流』
(東山彰良 講談社)

『コンビニ人間』
(村田沙耶香 文藝春秋)

『家康、江戸を建てる』
(門井慶喜 祥伝社)

(海外編)

『ミドルセックス』
(Jユージェニデス 早川書房)

『天国でまた会おう』
(Pルメートル ハヤカワ・ミステリ文庫)

『ハリネズミの願い』
(Tテレヘン 新潮社)

それでは、皆さま、どうぞよいお年を。

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『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』

(川村湊 光文社新書)

まず、ありうべきノーベル賞についての誤解を解くことから始めたい。それは、ノーベル文学賞が必ずしも世界最高の優れた小説や詩などの“文学作品”を書いた人間に与えられるものではないということだ。

<文学者という範疇にはとても入らないような人の、広い意味での文化的著作も含まれている。>

Tモムゼン(歴史家)、Bラッセル(哲学者)、Wチャーチル(政治家)などが受賞している。

<必ずしも世界的な“大文豪”といわれる人が受賞しているわけではない。>

Fカフカ『城』、Jジョイス『ユリシーズ』、Mプルースト『失われた時を求めて』などが受賞していない。

では、<ノーベル賞はいかに選ばれるか?>

というわけでこれは、ノーベル文学賞の歴史を紐解きながら、その「傾向と対策」を詳細に分析することで、

はたして三度目のノーベル文学賞が日本にもたらされるかどうか、もたらされるとするならそれはいつか、をお節介にも検討して差し上げようという本なのであるが、

<ポルノはタブー>
<極端な政治思想を嫌う>
<エンタメ系作家に授賞はない>
<前衛性はむしろ評価される>

など、いくつかの不文律のような<傾向>が指摘されはするものの、

<同じ言語、同じ国の受賞者が連続することはありえない>

という、言語別、国別、民族別、大陸別、地域別などのローテーションこそが、かなり厳密に考慮される、最重要の選考基準になっているようなのである。

なれば、<村上春樹はノーベル賞をとれるのか?>

どうやら、村上の最大のライバルとなるのは、カズオ・イシグロ(『わたしを離さないで』など)ということになりそうだ。

誰一人として日本語を解することができないノーベル文学賞の選考委員会(スウェーデン・アカデミー)にとって、

日系英国人であり、英語で小説を書いている彼も、“同じ日本人作家”であると意識されているに違いないからだ。

だから、もしカズオ・イシグロが先に授賞してしまったら(それは大いに可能性のあることだが)、

現在、60代後半に差し掛かっている村上春樹が、随分先になるだろうその次の「日本人受賞者」の発表を待つことはとても無理だろう・・・。

でも、この「傾向と対策」、あんまり当てにはなりませんので、落胆されませんように!

最近、シンガー・ソング・ライターのボブ・ディラン(1941〜。『風に吹かれて』などが有名)にノーベル文学賞を、という動きがあるそうだが、・・・ミステリーやSF、ファンタジーを排除しているスウェーデン・アカデミーが、ポップ・カルチャーの代名詞のようなポップ・ミュージックの担い手にわざわざ猛烈な非難を承知で、授賞するリスクを負うとは考えられない。

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『人工知能は人間を超えるか』

―ディープラーニングの先にあるもの―
(松尾豊 角川EPUB選書)

「人間の知能がプログラムで実現できないはずがない」と思って、人工知能の研究はおよそ60年前にスタートした。いままでそれが実現できなかったのは、特徴表現の獲得が大きな壁となって立ちふさがっていたからだ。

<そこにひと筋の光明が差し始めている。>

2012年。世界的な画像認識のコンペティション「ILSVRC(Imagenet Large Scale Visual Recognition Challenge)」において、

世界各国の名だたる研究機関が改良を重ねてきた人工知能を抑え、初参加で圧倒的な勝利を飾ったのは、カナダのトロント大学が開発した「Super Vision」だった。

ある画像に写っているのがヨットなのか、花なのか、ネコなのか・・・を、1000万枚の画像データから機械学習し、15万枚の画像を使ったテストによって、その正解率の高さを競い合う、というこのコンペにおいて、

「画像の中のこういう特徴に注目するとエラー率が下がるのではないか」と試行錯誤を重ね、機械学習に用いる特徴量を設計するのは、もちろん人間の仕事だったのだが、

長年の知識と経験がものをいう、この「職人技」でコンマ何%のしのぎを削ってきた他国を尻目に、いきなり10ポイント以上もの差をつけて、世界の度肝を抜いたのだ。

「ディープラーニング(深層学習)」

それは、何層にも重なった構造をもつ人間の脳に範を取った、多階層のニューラルネットワークであり、

与えられたデータをもとに、人間ではなくコンピューターが自ら特徴量をつくり出してしまう仕組みだった。

たとえば、IBMが開発した人工知能「ワトソン」は、2011年にアメリカのクイズ番組「ジョバティー」で、歴代の人間のチャンピオンと対戦し勝利したが、

ワトソン自体は質問の意味を理解して答えているわけではなく、質問に含まれるキーワードと関連しそうな答えを、ウィキペディアから高速に引っ張り出しているだけだった。

シマウマとは「シマシマのあるウマ」であると答えることができたとしても、「シマ」や「ウマ」の意味がわかっていなければ、

初めてシマウマを見て、「これがあのシマウマだ」なんて、人間のように認識することなどできないのだ。

しかし、コンピューターが自分で「概念」(シニフィエ、意味されるもの)をつくり出すことができるというのであれば・・・、

グーグルが実施した研究のように、ユーチューブの動画から取り出した1000万枚の画像から、「ネコの顔」らしきものが浮かび上がってきたとして、

そのコンピューターがつくり出した「概念」に、「これはネコだよ」という「記号表現」(シニフィアン、意味するもの)を(これは人間が)当てはめてやるだけで、

次からは、ネコの画像を見ただけで、コンピューターが「これはネコだ」と判断できるようになる。

これはつまり、コンピューターが「知能」を獲得したということではないだろうか?

というわけで、「2016ITエンジニア本大賞」に輝くこの本は、日本の人工知能研究のトップランナーが、

人工知能が歩んできた「知の格闘」の歴史を紐解きながら、人工知能の現在の実力と未来の可能性について、噛んで含めるように教えてくれるものなのである。

できなかったことには理由があり、それが解消されかけているのだとしたら、科学的立場としては、基本テーゼに立ち返り、「人間の知能がプログラムで実現できないはずはない」という立場をとるべきではないだろうか。

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『ハリネズミの願い』

(Tテレヘン 新潮社)

ハリネズミは目を開けて、後頭部のハリのあいだを掻き、しばらく考えてから手紙を書きはじめた。
 親愛なるどうぶつたちへ
 ぼくの家にあそびに来るよう、
 キミたちみんなを招待します。
ハリネズミはペンを噛み、また後頭部を掻き、そのあとに書き足した。


<でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。>

訪ねてくるものとてだれもいない、森の奥の小さな家に孤独に暮らす、ひとりぼっちのハリネズミは、

ある日、自分の知っているどうぶつたちを自分の家に招待してみようと決意する。

いままでだれも招待したことなどなかったのは、みんなが自分のハリを恐れていると思っていたからだ。

ハリのかわりに翼をもっていたなら、自分はこれほど孤独ではないはずだろうから、

「孤独は、ハリのようにぼくの一部なのだ。」と自らに言い聞かせながら、これまでを過ごしてきたのだった。

「怒りでからだが膨れて破裂するくらい」にオレを怒らせてくれと金切り声をあげて、こぶしをふりまわしたヒキガエル。

「お茶菓子もあるのかな?」と勝手に戸棚を引っかき回し、残らず平らげると、お話もせずに立ち去って行ったクマ。

「椅子の背もたれの上に立ってもいいかな?」と、頼まれもしない曲芸を始めて、テーブルと椅子をへし折ってしまったゾウ。

「よし、安売りにしよう!」と、ハリネズミの家の中にあるなにもかもを商品にして、ぼくたちの店をオープンしてしまったキリギリス。

などなど、次から次へとドアをノックして訪れてくる、お客さまたちが巻き起こす大騒動は、引っ込み思案のハリネズミをおおいに困惑させ、

「早く帰って」、「二度と来ないで」という口には出せない悲鳴を上げさせることになるのだが、

もちろん、あの招待状は出されぬままに、いまだに戸棚の奥深くに仕舞い込まれているのだから、

これらはすべて、逡巡するハリネズミの頭の中で描き出された、妄想の産物とでもいうべきものなのだった。

親愛なるどうぶつたちへ
キミたちのなかのだれかは、近々、ぼくのところにあそびに来る計画を立てているかも知れません。・・・
ぼくにはハリもついているし、なんの話をすればいいかもわからないし、踊ることも歌うこともできません。・・・
ぼくはつまらないヤツなんです。


<だから来ないでください。>

もしかしたら、べつの手紙を書くべきなのかもしれない、と、そう思い始めていたハリネズミだったのだが・・・、

「だれか尋ねてきたらハリネズミが喜ぶかもしれないって思ったんだ」

冬のはじめのある日の、それは予期せぬお客の訪れだった。

これは、オランダで一番愛されている作家テレヘンが、友人たちに贈った「週めくり」カレンダーという、心温まる大人向け絵本の逸品なのである。

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『謝罪大国ニッポン』

(中川淳一郎 星海社新書)

・うだつのあがらなそうなオッサンが4人ほど登場する
・神妙な表情を浮かべる
・同タイミングで一斉に深々と頭を下げる(時間は5〜10秒)
・この時ハゲ頭がひとりいると尚良し
・司会役は記者に対しとにかく丁寧に接し、謝罪者には冷淡にする


<こうした一連の「型」を駆使することにより、謝罪は完結する。>

というわけでこの本は、

「謝罪」という行為が、どう考えても本来の目的から逸脱して、何らかのルーティンがあたかも「様式美」のようにまでなってしまった最近の日本には、

茶道、武道など数々の「道」の文化に匹敵するような、「謝罪道」なるものがあるのではなかろうかと思い至った著者が、

「謝罪をする」という、まことにストレスフルな事態に対し、必要な謝罪は適切にするべきだが、不要な謝罪はするべきではない、

という真っ当なスタンスで、対処していくための「処世術」を授けてあげようというものなのだが、

「テレビ、CM、ラジオの関係者の皆様、そしてファンの皆様に多大なるご迷惑とご心配をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます」

と「大事な人」順に行われたベッキ―の「謝罪会見」に対しては、

「まず謝るべき相手は川谷の妻だろ!」と激怒した世間様から、事務所、スポンサーにクレームが殺到したし、

「お客さまに懸念、心配をお掛けし、深くおわび申し上げる」と、前を見据えたまま短く謝罪を口にしながら、

「がっかりして憤りを感じた」と語気を強め、中国の下請け企業を非難した、マクドナルドのカサノバ社長には、

「アメリカ人は謝り方を全く知らないのか」(実際はカナダ人です!)とネットが炎上した。

などなど、現代の日本がなぜここまで過度な謝罪を要求するようになってしまったのか、という事例を紐解きながら、

<本当に謝るべき相手にまずは謝れ>だの、
<謝罪で重要なのは「実績」、「見た目」、「所作」>なんて、

それらしき「教訓」を導き出してみせるのは、どうやらこの著者自身の人生が、謝罪シーンの連続で、自らに対する戒めという匂いも濃厚なのだ。

まあ、なにはともあれ、<謝罪をしないで済む人生>であるに越したことはないのである。

「世間をお騒がせして申し訳ございません」という常套句があるが、実際、「世間」は勝手に、好きで騒いでいるだけである。彼らが勝手に騒いだことをいちいち謝罪する必要はない。

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