暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『紙の動物園』

(Kリュウ ハヤカワ文庫)

「看(ほら)」母さんは言った。「老虎(ラオフー)だよ」両手をテーブルに置いてから離した。小さな紙の虎がテーブルの上に立っていた。

<父さんはカタログで母さんを選んだ。>

泣き虫の僕をなだめようと、英語が話せない母さんが折ってくれたのは、「魔法の折り紙」だった。母さんが息を吹き込むと、母さんの命をもらって動き出すのだ。

という表題作『紙の動物園』を含め、7本の短篇が収録されたこの本は、ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞と、なんと史上初の3冠を席捲した、

期待の新鋭SF作家ケン・リュウの日本オリジナル作品集である。(今回の文庫化に当たり、全15作品が2分冊となっている。)

伸び縮みする長い麻縄の結び目であらゆる物事を記録する「結縄文字」。ビルマの山中の部族に今も伝わるその技術の第一人者を、アメリカに招聘し、

アミノ酸配列の自然な状態を予測して、タンパク質を折りたたむための正確で速いアルゴリズムを発見しようとする企みの結末は・・・(『結縄』)

人類居住世界から60光年以上離れた宇宙空間に一人取り残された女性宇宙飛行士が、脱出ポッドによる5光年のハイパースペース・ジャンプという賭けに出る。

目が覚めるとそこは、数世紀前に地球から脱出を試み、鉄工より進んだすべての知識を失ってしまった、中国系原始集団の子孫の村だった。(『心智五行』)

父の転勤で独裁政権下の台湾に引っ越してきた少女は、地元の子どもたちのいじめから救ってくれた少年を通じて、不思議な老人と知り合うことになる。

その人が選んだ「漢字」から、その人の悩みや未来に待ち受けているものを言い当てることができる、という老人は「測字先生」だった。(『文字占い師』)

などなど、弁護士でプログラマーの顔も持つというだけあって、近未来の科学文明と古来から伝わるアジアの文化との邂逅から生まれる、独自の世界が描かれていく。

しかし、やはり何と言っても極めつけは、表題作『紙の動物園』の母さんの、鼻の奥がツンとするような独白につきるということになるだろう。

「あなたがわたしの母とおなじアクセントで、はじめての言葉を中国語で口にしたとき、わたしは何時間も泣きました。最初の折り紙の動物をあなたのためにこしらえたとき、あなたは笑い声をあげ、母さんはこの世になんの心配もないと思ったわ。」

ところが、幼いころはいろんな動物を折ってくれとせがんでいた僕も、成長するにつれて「うちのお母さんはほかのうちと違う」ことを意識するようになり、

やがて、母さんの手作りの中華を押しのけ、英語で話しかけなければ口もきかなくなってしまった僕は、紙の動物たちを屋根裏の大きな靴箱にしまいこんだ。

<父さんとぼくは、病院のベッドに寝ている母さんを両側からはさんで立っていた。>

40歳にもならないのに、医者に行くのを拒んでいるうちに癌が広がって、手の施しようがなくなっていた母だったが、僕は就職活動に戻ることばかり考えていた。

母さんが死んでから、たまに開けてくれるよう言い残された屋根裏の靴箱を開けると、懐かしい「老虎」がひとりでに折り目をほどいて広がっていった。

そしてそこには、自分には「息子へ」以外は読むことのできない漢字で書かれた手紙が、母さんのへたくそな子どもっぽい筆跡で記されていたのだ。・・・号泣

息子や、あなたが自分の中国人の目を好きでないのはわかっています。わたしとおなじ目だから。・・・だけど、あなたの存在そのものが、どれほどわたしに喜びをもたらしたのか、わかってもらえるかしら?あなたがわたしに話すのを止め、中国語であなたに話しかけさせてもらえなくなったとき、母さんがどんな気持ちだったのか、わかってもらえるかしら?あらゆるものをもう一度失う気がしました。

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『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』

(六草いちか 河出文庫)

エリスにたどり着くまでの道のりは、蜘蛛の糸をたぐり寄せるような、心許ない作業のくり返しだった。夏のある日の夕方、それは一丁の拳銃から始まった。

「オーガイというその軍医、その人の恋人は、僕のおばあちゃんの踊りの先生だった人だ」

行きたくもない射撃訓練に誘われた後の、ビール酒場での懇親の席で、鴎外のことが話題になった時、たまたま右隣に座ったドイツ人の男性が発した言葉だった。

『舞姫』は、踊り子エリスとの同棲生活にやがて破局が訪れ、妊娠し、発狂したエリスを置き去りにして、留学生の豊太郎が帰国してしまうという物語なのだが、

実は鴎外にもドイツで知り合った恋人がいて、しかも帰国した数日後、後を追いかけるように日本に来て、横浜の港に降り立っていた、という有名な事実がある。

『舞姫』のエリス・ワイゲルトととてもよく似た名前を持ち、小柄で美しい女性だった・・・エリーゼ・ヴィーゲルトとは、いったいどんな女性だったのか?

1988年からベルリンに在住し、ベルリンの歴史や日独交流史を執筆してきたノンフィクションライターが、エリスのモデル探しにのめり込んでいったのは、

鴎外の妹・金井喜美子の回想記などの影響から、鴎外の恋人が「娼婦」であったとする説が、鴎外関係者の間に深く根付いていることに驚愕したからだという。

『舞姫』は小説ですから、どう解釈するのも読者の自由です。けれども鴎外の恋人は実在の人物です。私が暮らすこのベルリンの町に、実際に生きた人なのです。故人とはいえ、知りもしない他人を侮辱するなんて・・・

ここから始まることになる、第一次資料発見に向けての著者の執念は、日本推理作家協会賞「評論その他の部門」にノミネートされたのもうなずけるものだった。

『舞姫』の中でエリスが踊った劇場や、扉にすがりついて涙に暮れた教会を特定するための、古ベルリンの市街図や古い町並み写真の調査から手を付けて、

エリーゼが鴎外を追いかけてきた船の「乗船者名簿」や、古い「住所帳」、「電話帳」に掲載された名前からの家系や職業の探索・・・などなど。

調査の過程を報告しながら進行する。調査が行き詰る。放棄しようとし、一呼吸置いて別途の道を探る。行きつ戻りつする。そして別の世界が拓けてくる。この徒労感、苛立ち、断念を思いつつ諦めの悪さ、やがて発見の喜び、すでに物語である。(『文庫版解説』山崎一頴)

洗礼記録簿からたどり着いたヴィーゲルト家の教会の、経年劣化でくすんだ「堅信礼」の記録の中についに発見した、不思議なほど鮮やかな「エリーゼ」の文字。

モニターに映し出されているその名前を、ゆっくりと読み上げて、「はじめまして」と、言おうと思ったけれども、初めての感じがしなかった。この半年間、この人の垂らした糸を手繰ってきたのだ。

『舞姫』を初めて読んだとき、豊太郎の不甲斐なさに憤慨し、男の身勝手さが正当化されているようなこの作品が好きでなかったという著者は、

この探索を続ける中で、鴎外が「何を書いたか」ではなく、「なぜ書いたか」に目を向けることができるようになり、鴎外への誤解が解けたらしい。

ベルリンでエリスとともに豊太郎が暮らしていたのは、エリーゼとの約束を果たせなかった鴎外が、小説の中にだけ描くことができた儚い夢だったというのだ。

エリーゼは男の勝手な都合で棄てられたのではなかった。エリーゼだけでなく、鴎外もまた十分以上に苦しんで、傷ついていた。・・・最後に、エリーゼはこのベルリンの町で、しっかりと地に足をつけて生きていた。

<もう、娼婦だったとは言わせない。>

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『サカナとヤクザ』―暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う―

(鈴木智彦 小学館文庫)

簡単に築地で働けるとは考えていなかった。当時47歳でなんのスキルもないし、中高年の再就職は厳しいと聞いていた。履歴書を書いたのは原発潜入以来である。嘘はつかないことにした。

<密漁品の売買を調べに来たことは、訊かれないはずなのであえて言わない。>

ヤクザ専門誌の元編集長として、ヤクザ関連の記事の取材・寄稿を続けてきた暴力団専門のライターが、『ヤクザと原発』に続いて潜入を敢行したのは、

なんと「東京都中央卸売市場築地市場」だった。「福島原発1F」の高密度汚染区域同様に、そこは「ヤクザ」に汚染されているようなのである。

世界中から訪れた観光客が海の幸を味わい舌鼓を打っている築地の魚河岸で、密漁品は堂々と表ルートで売られ、消費者は知らぬ間に共犯者になっているとしたら・・・

「密漁団はそもそも人のいない場所に入ってくる。そういったエリアが震災で増えてしまった。これまでなら無人の港であっても、その隣の港とかその近くに人が住んでいたわけです。」(三陸の海上保安庁員)

東日本大震災で甚大な被害を受けたアワビだが、濡れ手にアワビの状態となった密漁団には好都合だった。その利益のほとんどは暴力団関係者にかっさらわれた。

全国の総流通量から漁獲量と輸入量をマイナスした残りの45%、およそ906トン(市場規模約40億円)が密漁のアワビなのだ。ヤクザには大きなシノギである。

「ナマコは動く金がでかすぎて、海保も警察もやっきになって摘発しようとしているから、作戦指揮官やブツの受け渡しの現場に女を行かせるチームもある。検問でも女はフリーパスだし、」(函館の密漁団リーダー)

国内にほとんど需要がないナマコは、高級食材として中国が買い漁ったことによりバブルとなり、特に北海道産はキロ8万円で取引される「密漁天国」となった。

しかし、少人数でゴムボートという貧弱な装備で、夜中に電気も点けずに潜水器で40mまで潜るという危険な仕事に挑むため、死亡事故が頻発しているという。

「養鰻業者も本音は一刻も早くシラスが欲しい。でも公にされると困る。そこをヤクザの看板でやる。泥被ってるようなもんです。」(密漁関係者としか記せない)

全国有数のシラス産地である宮崎県が許可したのが364キロなのに対し、養鰻業者が池入れしたシラスは統計上10倍の3.5トン。残りは県外産で賄ったのか?

いや、宮崎には宮崎で獲れたシラスが逆輸入される。ウナギは誰もが儲かる商売だが、ヤクザがいなければ養鰻業者の池は埋まらないのである。

欲に目がくらんだ漁業協同組合関係者。
漁獲制限を守らない漁師。
チームを組んで夜の海に潜る密漁者。

そこに元締めとなる暴力団が加わって、完成した見事な密漁のネットワーク。いまの日本でこれほど犯罪がのさばっている業界も珍しいだろうが、

<密漁はなにも暴力団だけが悪人というわけではない。>
というのが、今回の決死の潜入ルポが明らかにしてみせた、紛れもない真実なのである。

その手先となる漁師がいて、そうと分かって仕入れる水産業者との共生関係が構築されている。それらがリンクし合い、魑魅魍魎が跋扈し、毎日、闇夜の中で密漁は繰り返される。

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『海・呼吸・古代形象』―生命記憶と回想―

(三木成夫 うぶすな書院)

この顔つきをしっかりと眺めてみよう。まず、最初のそれはどうか。この口裂けから頸すじの模様は、どう見ても、人間はおろかどんな四ツ足とも違う。

<まるでフカの頭ではないか。>

受胎1月後の1週間に起こる顔面形成の1コマ1コマを示した写生図は、魚類の鰓烈から爬虫類的な口もとへと移り、アッという間に獅子頭の鼻づらに変わってゆく。

<われわれは、胎児の顔を通して、かつての動物であった時代の“まぼろし”を偲ぶ・・・、ということになるのではなかろうか。>

ヒトの胎児は受胎後32日目からわずか1週間のうちに、「水棲から陸棲へ」という古生代の終わりの1億年をかけた「上陸の歴史」をなぞっていく。

自らのからだを舞台に激しく繰り展げられる、この軟骨魚類から哺乳類へと至る「変身のドラマ」を、母親はじっと抱え込んでいるしかないのだが、

<爬虫類の36日目、ついに“悪阻”がやってくる。>

というこの本は、昭和26年に東大医学部を卒業した解剖学者でありながら、動・植物に対する形態学的洞察に基づく独自の「学」を築きあげた奇才の書なのである。

時間の分らない部屋で、長期間、好きなように寝起きさせると、ほとんど例外なく24時間よりも1時間前後も長い「約25時間」という、おそろしく根の深い周期が顔を出し、・・・

<この不可思議のリズムは、地球生命の故郷である大海原のうねりと深いきずなで結ばれているのではないか。>

それは、同じ自転によるものでも、太陽との関わりから生まれた「昼夜リズム」とは著しく様相を異にする、月が地球を巡って生まれた「潮汐リズム」である。

磯辺の生き物の活動が2週間おきに活発となるのは、あたかも振動数のズレた2種の音叉が“唸り”を発するのと同じであることがうかがわれるというのだ。

<私たちはしかし、ここで取り上げた眠りのリズムのズレの中に、この遠いはるかな潮汐時計の“おもかげ”を見ずにはいられないのです。>

動物のからだから腸管を1本引っこ抜いて、これをちょうど袖まくりするように、裏側に引っくり返し、ついで露出した腸の粘膜に開口する無数のくぼみを一つ残らず外に引っぱり出し、

<そうして出来た形が、すなわち植物である。>

“植”わったままで、生本来の「栄養と生殖」の営みを展開する植物の胚細胞が、大地と大空に向かって垂直的にただひたすら増殖を続けるのに対し、

“動”くことによって、「感覚と運動」の営みを遂げる動物のそれは、互いに手を組み大宇宙を内に取り込むことで、からだの奥深くに小宇宙を内蔵していく。

<みずからを養うために動くことを余儀なくされた動物たちが、止むに止まれず身につけた、まさに宿命の機能というものであろう。>

さて、この著者は解剖医であるのだから、以上のような知見の多くは「死体」の解剖、中でも「心臓奇形の赤ちゃん」の解剖から得られたものということになる。

<人間は水中生活に戻りたがるのである。>という論考とともに、このすばらしい本の存在を教えてくれたのは、『畸形の神』(種村季弘 青土社)だった。

海への郷愁、生命的遡行本能の呼びかけが畸形を生むという。進化論的系統発生への「いやいや」をして上陸を忌諱し、降海に立ち戻ろうとする衝動があり得るのだ。

ヒトの胎児は、受胎1ヶ月後の数日の間に、古生代の上陸誌をひとつの象徴劇として自ら演じて見せるだろう。これに対し奇型児の多くは、そのからだの一部をはって、上陸ならぬ降海の見果てぬ夢をなぞりながら、その奇なる発生をとげ終えたかのごとくである。

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『残像に口紅を』

(筒井康隆 中公文庫)

妻は悲しげだった。夫への呼びかけのことばを失っていた。その慣れ親しんだ呼びかけのことばを使えたらどんなにいいだろうと彼女は思っているに違いないのだ。それはなんとすばらしいことばだったことか。それはなんとやさしいことばだったことか。

「もしもし。果物、食べますか」・・・世界から「あ」が消えたのである。

友人の評論家・津田得治に焚きつけられて、虚構小説家・佐治勝夫が挑むことになったのは、「音」そのものがこの世界から一つずつ消えていくという趣向だった。

もしひとつの言葉が消滅した時、惜しまれるのは「言葉」なのか、それとも「イメージ」の方だろうか、というこれは「ずいぶん実験的」な小説なのであり、

「現在君とぼくとがこうやって話している現実がすでに虚構だとすれば、この小説はもう始まっているわけだし、テーマ通りのことが冒頭から起こっている」

ということを、書かれている本人(=書いている本人)も既に知っているという意味で、これはまことに穿った形の「メタフィクション」の極北でもあるのだった。

「こうした短い創作の書き方作り方を教わることがいつも流行っておるのは、作家になりたくても何をどう書いていいかわからない多くの者が、まず最初に教わるには恰好のものだったからなのじゃな」

「ただいま紹介していただいた佐治勝男じゃが」と、ことさらに喉の嗄れを装って話し出すことになったのは、佐治が文化講座でのこの講話を依頼された時点で、

「あ」「ぱ」「せ」「ぬ」「ふ」「ゆ」「ぷ」「ぺ」「ほ」「め」「ご」「ぎ」「ち」「む」「ぴ」「ね」「ひ」「ぼ」「け」「へ」「ぽ」「ろ」「び」「ぐ」「ぺ」「え」「ぜ」「ヴ」「す」「ぞ」「ぶ」

の31音が、すでにこの世界から失われてしまっていたからだった。(注記:「ヴ」は「う」に「”」)

年寄りの独白のみで一作書いた時、年寄りの言いまわしの多彩さ、特にことば尻が多様だったことを思い出し、「年寄りでいくか」と思い付いたのである。

ちなみに、この実験小説が書かれた1989年に、筒井康隆は『文学部唯野教授』という大ベストセラーを生んでいるのだが、

その流れに便乗して(?)出したと思われる『短篇小説講義』(岩波新書)の内容が、この文化講座における講話の内容と大筋で一致していることに驚かされる。

著者名や書名など固有名詞は言い換え不能だが、その他の言葉に関しては半分程度の音が失われたところで、手練れの腕にかかれば翻訳可能ということなのである。

ひとり消えたな。たしかにひとりいなくなった。その名とともにこの世から消失した。佐治勝夫はいそぎ、記憶から脱落しないうちにと三女の残像を追った。

家族5人の食事の席で、椅子も食器もちゃんと5人分用意されているのに、家族は4人しかおらず、誰もが「ん?」という顔つきで見かわすことしかできない。

実は、この小説の本当の狙いは、「音」が失われると同時にその音を含む「モノ」も失われ、しかも「何」が失われたのかさえわからなくなってしまうところにある。

<無理に思い出そうとしない方がこの虚構の中ではまともな対応なのだろう。>

しかし、佐治は目を閉じて、夢をたどるが如く、一部から全体を思い出そうとする。丈の高い、大柄な娘だった。常に前かがみになって・・・

若い娘なんだものな。彼女の化粧した顔を一度見たかった。では意識野からまだ消えないうち、その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさしてやろう。

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『それわ英語ぢゃないだらふ』

(大西泰斗 幻冬舎)

「日本人はなぜ英語が話せないのか」――多くの英語教育に携わる方々と同じように私も長年この疑問を抱えて仕事をしてきました。ようやく信じるに足る解答に辿り着き、本書でお伝えする次第です。

結論「私たちが学習してきたものは英語そのものではないからです。」

第一に英文法、第二に表現学習において、私たちの英語学習にはポッカリ大きく欠けた部分があり、習ってもいないことなどできはしない、というのである。

そんなわけでこれは、「NHK英会話」の名物講師が提唱する「新しい英文法」と表現の学習方法を伝授して、必ず話せるようにしてあげようという本である。

We met him at a bar in Roppongi.
六本木の バーで 彼に 会ったよ。

と、主語を除けば、英語の語順は日本語のそれと鏡に映したような対称(鏡像関係)を作る。語順についての深い理解と入念な習熟がなければ、英語は話せないのだ。

しかし、私たちが学んだ学校文法はそこにはほとんど興味を示さなかった。なぜ、学校文法は語順にこだわらないのか。それは「話す」が目的ではないからだ。

(ちなみに、私の高校の名物英語教師は、「in 1221→1221年に」と、英語と日本語の鏡像関係を黒板で証明してみせてくれた。恩師に感謝である。閑話休題。)

「that構文」や「関係代名詞」など、語順の逆転をものともせずに、訳し方を指南してくれた。この文法の目的、私たちがこの文法を通じて学んだもの。

「それは英語ではありません。」
(それわ英語ぢゃないだらふ。)

というわけで、無理なく英語語順を克服できる「新しい文法」で語順の原則を正しく掴まえれば、この上なくシンプルな文法が実現することが示されていく。

・英語は配置のことば(John gave Mary a present.)
・動詞の位置にあればそれは動詞(She's friended me.)
・主語の位置にあればそれは主語(Making friends is not easy.)
・説明は後ろに置く(That's the man who stole my bag!)
・指定は前に置く(Bring me a red tie.)などなど。

「文中の場所が機能を与える」という考え方を中心に据えれば、学習者は「左から右へ」ネイティブと同じ語順感覚で文を作り、理解できるようになるというのだ。

私たちが英語を話せないもう一つの原因である、表現学習における訳読偏重の悪しきクセ是正のためには、日本語を「イメージ」へとシフトしなければならない。

この本の後半を占める、「単語」のもつ日本語には訳せないさまざまな意味を派生させるクリアな「像=イメージ」という考え方と、

「英作文」をしている時間のない中で自然で流暢な英会話をするための、可能な限り多くの自然な暗記用例文については、どうぞご自分で確かめていただきたい。

まず学校文法が変わらねばなりません。訳読法を教えるのではなく、英語そのものを描き、日本語とのちがいを抽出し、話せるようになるための具体的なステップをレイアウトしなければなりません。それができなければ、同じ状況が今後も続きます。

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『ブラックボックス』

(砂川文次 文藝春秋)

だれ?/円佳がリビングから重い身体をおして玄関までやってきた。/自分の見間違いだろうか、中年の後ろにいた若い方がやや俯き、口をへの字にして少し笑ったように見えた。

<見間違いだろうか。刹那のうちに自問し、答えはすぐに出た。>

同棲中の円佳が妊娠して、フードデリバリーのメッセンジャーという不安定な状況を愚痴られ、苛立つ自分を抑えられなくなってしまっていたサクマは、

納税の督促に訪れた税務署の調査官と、止めに入った警官に暴行をはたらき、傷害や公務執行妨害などの罪を問われて、刑務所に送られることになる。

<自分の穴からぬっと出てきたそいつを操ることは不可能で、大体いつどこから出てくるかもわからないんだ、自分にはどうしようもない。>

本年度「芥川賞」受賞作品。

家を出るという目的だけで高校を出てすぐに入った自衛隊の、規則だらけの生活は結構気楽だったが、怠け者の先輩と取っ組み合いの喧嘩となり、一任期で辞めた。

次に選んだ不動産屋の営業職も、薄給激務のブラックさは気にならなかったが、社長の息子のろくでもない説教につい怒鳴り返してしまい、一年でクビになった。

その後は、寮がついている工場とか現場を転々とし、仕事を変える度に住むところも変わったが、よくて契約社員、大体はアルバイトだった。

ちゃんとした仕事に就いていた時期もないではなかったが、そこに必ずついてまわる諸々に順応できず、たどり着いたのがメッセンジャーという仕事だったのだ。

いくら自転車を漕いでも、ただ風景が流れてゆくだけで、本人はサドルの一点に留まったまま、どこにも抜け出せないでいる。脱出するための行動を起こせない自分の弱さから逃れるため、更に自転車を漕ぎ続ける。(小川洋子による「選評」)

「ちゃんとしろちゃんとしろちゃんとしろ。」記憶と思念が焦燥を掻き立てる。でも「ちゃんとする」というのは具体的に何をどうすることなのか。

「早く何とかしないと」と気持ちは急くばかりで、身体的な速さをいくら積み重ねてみても、全然生活は軌道に乗らず、ただただ空転するばかりだったのだが・・・

一週間、二週間と色の無い日々を重ねる。顔を合わせる面々はいつもと同じだ。木工工場で淡々と作業を行い、輪番で回ってくる風呂で身体を清める。罰を受けているという意識はあまりなかった。

<むしろ全てが決められているというのは楽でさえあった。>

一日のタスクが決められ、それをクリアすると「仮出所」という目標へ一歩近づく。サクマにとって、外や拘置所より刑務所は、はるかに分かりやすかった。

とにかく積み上げていけばいくほどに、「ちゃんとしていける」という達成感が得られる。外では駄目だった戦い方が、ここでは有効だったからだ。

十年先、二十年先、自分が死ぬその瞬間までが全て決められていたら不愉快に決まっているが、その不快感が安心感と両立しているのは、ここが刑務所だからだ。

<もしまだ間に合うなら、と願ってみたときに、変わるということと認めることの近しさに思いをいたした。>

これはおそらく、「これからの自分」に届けられた、「あのときの自分」からのメッセージなのだ。どうなるかはわからない。・・・それでいい。

至極当たり前のことに気が付けて、妙な温かみが広がっていくのが分かった。血のように温かい。

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『すばらしい人体』―あなたの体をめぐる知的冒険―

(山本健人 ダイヤモンド社)

汚い話で恐縮だが、私たちが「おならができる」のは、肛門に近づいてきた物体が個体か液体かを瞬時に見分け、「気体であるときのみ排出する」という機能を持っているからである。

<人体がいかに素晴らしい機能を持っているか。健康でいる限り、私たちはそのことになかなか気づけない。>

というこの本は、医療情報サイト「外科医の視点」を運営する現役の医師が、医学生の頃から絶えず味わってきた興奮を誰かと共有したいと、

そして、医学を学ぶことは途方もなく楽しく、知識の点と点が線となってつながり思わず膝を打つときのときめきを、誰かに伝えたいと思い執筆したのだという。

足は1本あたり約10キロ、腕も1本4〜5キロ。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にも私たちはそれに気づかない。

アニメに出てくる海賊が決まって片目に眼帯をしているのは、明るい甲板から暗い船倉に入った際に眼帯をずらし、暗順応という目の特性を生かすためだという。

本を両手で左右に細かく揺らすと文字を読み進むことはとてもできないが、頭を左右に揺らしても読めるのは、瞬時に逆方向に眼球を回転させる反射機能があるからだ。

消化器にできたがんの遠隔転移先は圧倒的に肝臓が多いのは、消化器を流れる血液が次に向かう主な行き先だからだ。肝臓は人体の「物流基地」なのである。

などなど、脳や心臓から肛門に至るまで、さまざまな臓器を取り上げ、具体的な例をあげてわかりやすく解説する、第1章「人体はよくできている」。

がんの死亡率が伸び続ける最大の理由は高齢化である。医療の進歩により人体が「長持ち」するようになった。昔は「がんになる前に他の病気で死んでいた」のだ。

PCR検査でわかるのは「病気か否か」ではない。病気だと見なすべきなのはあくまで「治療や隔離などのアクションが必要な人」で、「検査が陽性の人」ではない。

などなど、がんや心疾患、感染症などを例に、病気と健康の境界はどこにあり、人は何によって命を失うのかについて述べた、第2章「人はなぜ病気になるのか?」。

世界最古の医療データベースをつくったヒポクラテス、「細菌が病気の原因になること」を示したコッホ、鎮痛薬の代表「アスピリン」を発見したホフマンなどなど、

偉人たちの大きな発見や功績を振り返り、彼らの成し遂げたことが、いまの臨床で「いかにして生きているか」を医師の目線で解説した、第3章「大発見の医学史」。

「自分の血液型を知る必要はない」、「自然界最強の猛毒ボツリヌス」、「食中毒のリスクは新鮮かどうかとは関係ない」、「消毒液は傷の治りを悪くする」などなど、

誰もがよく知る過去の事件・事故から、私たちの健康を脅かす身近な危険や健康にかかわる知識を紹介してくれる、第4章「あなたの知らない健康の常識」。

「レントゲン」、「聴診器」、「パルスオキシメータ」、「人工呼吸器」、「内視鏡」など医療現場で活躍する道具から、「医師のガウン」が水色である秘密まで、

第5章「教養としての現代医療」では、医学に進歩をもたらした科学技術を取り上げ、より詳しく理解したければと参考文献まで、至れり尽くせりの一冊なのである。

本書が目指すのは、過去から未来まで、頭から爪先まで、人体と医学を楽しく俯瞰することだ。幼い頃に買ってもらった新しい図鑑の頁をワクワクしながらめくったときのような、心躍る体験を届けたいと思う。

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『日本語の起源』―ヤマトコトバをめぐる語源学―

(近藤健二 ちくま新書)

この本は、日本語の語源を論じることによって日本語の起源が中国語であることを裏付けようとするものです。

<水田稲作をもたらした人々が話していた言語は古代中国語であった。>

言語の比較を通じて言語の過去を明らかにしたり、言語間の同系性を裏付けたりする「比較言語学」の中で、中国語が対象になりにくかったのは、

「漢字」が表音文字ではないからだ。その古い発音がわかりにくいために、中国語とほかの言語との比較が困難だったからだというのである。

そんなわけでこの本は、古代中国語の発音「上古音」と古代日本語とを比較し、両者の類似性を示す例をこれでもかとばかりに、列挙していくことになるのだが、

<共通の意味を有する一定数の古代中国語と古代日本語との間に、舌音とタ行・サ行子音、牙音とカ行・ガ行子音という対応が観察される。>

「庶民」(ショ・ミン)→「たみ」(民)
「閉塞」(ハイ・ソク)→「ふさぐ」(塞ぐ)
「出嫁」(シュツ・ケ)→「とつぐ」(嫁ぐ)

なんて、漢語の2字熟語が日本語の1語になったというあたりは、付記してある発音記号を頼りにすれば、何とかその変遷を追いかけることもできるけれど、

語源のわかりやすい語では話の種としておもしろくないという理由から、語源解釈の難易度が高そうな意外性の語を多く選ぶことにしたのだそうで・・・

「同輩・偶儷」(ヅウ・ヘ・グ・ライ)→「ともがら」(輩)
「威厳・電霆」(ヰ・ゴム・デン・ヂャウ)→「いかづち」(雷)
「魔法・霊子」(マ・ホフ・リャウ・シ)→「まぼろし」(幻)

と、古代中国語の2字熟語が合体して日本語が出来上がったとする、弥生時代から奈良時代あたりまで存在した「伝統的造語法」(第1章)の解説あたりまでは、

なるほど、確かにそんな考え方も「できないわけではないのかもしれないこともない」くらいの納得の仕方で、ついていくこともできたのだが・・・

「脚跟・跟踵」(カク・コン・シュ)→「かかと」(踵)
「構成・成立」(ク・ジャウ・リフ)→「こしらふ」(拵ふ)
「俊良・良器」(シュン・ラウ・キ)→「すめろき」(天皇)

と、ABとBCという2字熟語を合体して、ABBCではなくABCと融合させてしまう、第2章「新型造語法」までくると、

これは古代日本人が考案したのではなくて、「あんたがでっち上げた」のではないのか、という疑念がふつふつと頭をもたげて来ることになる。

そんなわけで、何が何やらよくわからないうちに、この独自の言語宇宙を生きているらしい著者に導かれて、辿りつくことになるのが、

「遠・照・臨・政・柄・用・兵・権」(ヲン・セウ・リム・シャウ・ヒャウ・ユウ・ヒャウ・ゴン)→「アマテラスオホミカミ」(天照大御神)

という、第3章「超新型造語法」による古事記神話の語源解明への挑戦結果なのだった。誰か止めてあげた方がいいのではないだろうか?

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『見知らぬ場所』

(Jラヒリ 新潮クレストブックス)

アカーシュが生まれて、父母がアパートに訪ねてきたことがある。あのときの父は居間のアームチェアを占拠して、『ニューヨーク・タイムズ』を読みふけるだけだった。

<その父も、いまでは一人になって、自炊生活をしている。>

母が医療事故で亡くなり、永年勤め上げた会社も辞め、それまでは行ったこともなかったヨーロッパの、パッケージツアーにたびたび出かけるようになった、

そんな父が次のツアーに行く前にと、1週間ほど娘夫婦の新居を訪れることになり、孫のアカーシュと一緒にせっせと庭いじりに精を出し始めたのだった。

「せっかく築いた現在の家庭に飛び込んでこられたらどうしよう。」と、引越しの直前に宿した2人目の子の出産を控え、ルーマは戸惑いを隠せなかった。

という表題作『見知らぬ場所』を筆頭に、5編の短編と3編の連作からなるこの本は、満場一致で第4回フランク・オコナー国際短編賞に輝いたという傑作集である。

Jラヒリといえば、デビュー作の短篇集『停電の夜に』と、初の長編『その名にちなんで』が共に高い評価を得た、という手練れの作家だが、

同郷というだけの「叔父さん」に、密かに寄せていた母の思いとその幕切れを、男との別れで心に痛手を負った時に打ち明けられた娘が回想する『天国と地獄』や、

憧れの同級生が母校で行う結婚披露宴に出席することにした夫と連れ添った妻との間の、ギクシャクした関係の顛末と修復が描かれていく『今夜の泊まり』、

アル中で落ちこぼれ出奔してしまった弟に、高校生の時に飲酒を教えた姉が抱えてきた悔恨の思いと、再会して芽生えた期待が失望に変わる『よいところだけ』など、

アメリカに暮らすインド移民2世のお話という点は変わらないとしても、今回は異文化に溶け込む中で、得たものとその代償に失ったものへの切なさが描かれていく。

3歳年上の幼馴染で、親の都合でしばらく自分の家に同居することになった男の子を、だんだん意識するようになっていった気持ちを打ち明ける『一生に一度』。

再婚した父の新しい家族に会うために、母を看取った実家に戻った大学生の息子の、父への鬱屈した思いと母の亡霊からの旅立ちが語られる『年の暮れ』。

37歳になって不倫関係を清算し、愛のない結婚を選んだ女が、研究のためと称して訪れたローマで幼馴染と偶然巡り合い、互いの思いを確かめ合う『陸地へ』。

というこの3編の連作『ヘーマとカウシク』は、30年の時の流れを3つの時点で切り取り、互いの視点から鮮やかに描き出して見せた<大河ドラマ>となっている。

さて、無事父をツアーに送り出した後で、ルーマは見慣れた父の筆跡で書かれた未投函の絵葉書が、アカーシュの庭仕事ごっこの中に紛れ込んでいるのを発見する。

ロングアイランド在住のミーナクシ・バグチ様と宛名だけは英語だが、文面はベンガル語で書いてあって、母の教えを放棄したルーマには読めなかった。

出がけに父が探していたのはこれだった。ビデオにちらっと映っていたあの人。だから父は旅行好きになって、機嫌がよくて、私たちと同居しようとは言わなかった。

<父が目覚めたのはアカーシュへの愛だけではなかったということだ。>

また庭へ出て、芝の上を歩き、父が植えたアジサイを見た。土壌によってピンクにも悗砲發覆襪箸いΑI磴亙譴魄Δ靴燭里。死なれて悲しいのか。ルーマにはまだ答えが出ていない、だが父は、ほかの女に会う前に、母が好んだアジサイを植えていった。

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暇人肥満児

どのような話題であろうとも、その分野の専門家以外の人が相手であれば、薀蓄を語りだして恐れを知らないという「筋金入りの」素人評論家。本業は「土建屋の親父」よろしくお付き合い下さい。

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