暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『つけびの村』―噂が5人を殺したのか?―

(高橋ユキ 晶文社)

一度に5人が殺害されるという大事件が発生した村には、地元だけではなく東京からも多くの記者が詰めかけたが、そんな彼らが何よりも注目したのは、“カラオケの男”の家のガラス窓に掲げられた不気味な「貼り紙」だった。

<つけびして 煙り喜ぶ 田舎者>

2013年7月21日、山口県周南市の山間部にある金峰(みたけ)で、全焼した民家2軒から3人、別の民家2軒から2人、頭部に外傷のある遺体が発見された。

やがて、わずか8世帯・12人のこの集落の住民で、放火をほのめかすような貼り紙を残して姿を消した男が、現場付近を捜索していた機動隊員に逮捕される。

毎朝・夕にわざわざ窓を大きく開け放ち、村中に大音量で歌を響かせる“カラオケの男”保見光成による、これは「平成の八つ墓村」事件に違いないと誰もが思った。

――だが、それは決意表明でもなければ、犯行予告でもなかったのである。

週刊誌の記者である著者が、事件から3年半もたって金峰地区を訪れることになったのは、なんと“夜這い風習”についての取材依頼を受けたからなのだが、

すでに殺人と非現住建造物等放火の罪で死刑判決を受けていた保見は、当初認めていた犯行の自白を突然翻し、無罪を主張して最高裁に上告していた。

広島高裁の控訴棄却理由では、「近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった」と認定されているのだが、

これが本当に「思い込み」だったと言えるのかについて、主に殺人事件の公判を取材するフリーライターとしても活動してきた著者は疑問を持っていた。

金峰地区には“夜這い”の風習があり、戦中に徴兵を免れた村人が保見の母親を強姦しようとして、保見の年の離れた実兄に追い払われた。

保見家が「村八分」となった発端ともいうべきこの「事件」について、広島拘置所で保見に面会し話を聞いたという、ある週刊誌の1本の記事。

これは一応、“いじめ”に絡む真相を確かめる取材にもつながると、新幹線の中で腹を決めて始まった、名もなき村の風習の発掘調査のようなルポなのだ。

実際に村人たちから話を聞くと、「つけび」の貼り紙は以前に村で起こった別の不穏な出来事に合わせて貼られたものだと知った。

いざ村に足を踏み入れてみれば、そこにはネットやテレビ、雑誌といったメディアにまったく流れていない「うわさ」が、ひっそりと流れ続けていた。

ワタル(光成の本名)の自宅向かいの家で開かれる「コープの寄り合い」は、そんな「うわさ」の発信源だった。

「Uターンしてきた村人が、他の村人たちに村八分にされた挙句、恨みを抱いて犯行声明を掲げたのちに起こした事件」なのだと、

それほど強い関心を持たずに事件の報道を耳にしていた「事件と無関係の者」たちは、ネットやメディアにはびこる噂に踊り、いまもそう信じていることだろう。

――もちろん私自身もそう信じていた。自分で取材に行くまでは。

取材を重ねて得た結論はノーだ。彼が戻ってくる前から、村にはうわさが漂い続け、また彼が「嫌がらせ」を受けていると感じても致し方のないような出来事が起こっていた。両親を看取ったのちに、ひとり暮らしとなったワタルは、その空気の中で孤独を深めるとともに、妄想性障害を進行させた。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『靴ひも』

(Dスタルノーネ 新潮クレストブックス)

私は二人をカフェに連れていき、おいしい食べ物と飲み物でテーブルを満たした。二人の会話を引き出そうと努めながらも、結局はずっと私が自分の話をすることになるのだった。・・・アンナは兄を指差しながら、おかしなことを尋ねた。

「ねえ、お兄ちゃんに靴ひもの結び方を教えたって本当?」

大人になったとき、どうすれば私のような仕事ができるのか、といったような質問が出ることを密かに期待していたアルドがうろたえることになったのは、

そんな結び方をする人はほかにいないという、変な靴ひもの結び方を息子のサンドロに教えたことがあったかどうか、まったく思い出せなかったからだ。

それはまだ幼なかった子どもたちを、妻ヴァンダのもとに置き去りにして若い女へと走ったアルドが、4年後に望んだ子どもたちとの関係修復の席でのことだった。

――あのジュンパ・ラヒリが惚れ込んで英訳し、2017年NYタイムズ<注目の本>に選ばれた話題沸騰のイタリア小説。

もしも忘れているのなら、思い出させてあげましょう。私はあなたの妻です。わかっています。かつてのあなたはそのことに喜びを見出していたはずなのに、いまになってとつぜん煩わしくなったのですね。

と理路整然と子供たちのために改心することを諭しながら、まるで埒が明かない夫の態度に次第に怒りを募らせ、絶望の内に自らを「殺す」に至った妻。

そんな夫婦関係の危機によって、家族の絆が崩壊していく様がギリギリと締め付けるように描かれていく、ヴァンダからの9通の手紙からなる「第一の書」。

私は重苦しい悲しみを感じた。といっても、それは私の感情ではなく、ヴァンダの悲しみだった。まるで生き物であるかのように家の世話をしていたのは妻だったからだ。

結局、50年も連れ添って老夫婦となったアルドとヴァンダは、夏のヴァカンスに出かけた留守宅を荒らされ、愛着ある品々を滅茶苦茶にされて困惑するのだが、

行方不明になった飼い猫を心配するばかりの妻を尻目に、部屋の片づけを続ける夫が見つけたのは、黄色く変色しゴムひもで留められた封筒の束だった。

再読した妻からの手紙に対し、あの時の自らの行動の回想を交えながら、ようやく返答された心の声は、今さら妻の耳に届くはずもなかった、という「第二の書」。

それからの数時間はすこぶる爽快だった。おそらく、この家で過ごしたなかで、もっともさわやかな時間だったろう。私たちは、部屋から部屋へと家じゅうの物を引っくり返してまわった。

両親から休暇中の飼い猫の世話を頼まれたアンナが、兄と合流して実家へやって来たのは、親に要求しようという生前相続の相談をするためだったのだが、

中年となった彼女の、子どもの頃からため込んできた両親に対する鬱屈した感情が、兄との思い出語りのうちにそのはけ口を求めて暴走してしまう「第三の書」。

結局、家族が負ってしまった過去の古傷が、癒えることはもうないのだろうか?

いや、あの日、カルロ三世広場のカフェで会ったとき、「ひもの結び方」の話で「感激して泣き出した」父の姿を、あなたは覚えてはいないか?

<靴ひもがほどけたのなら、また結び直せばいいのである。>

そのときふと、直接の因果関係があったわけではないが、子どもたちを他人のように感じるのはなにも驚くに値しないと思い至った。もともと私は、二人のことをどこか他人のように感じていたのだから。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『地形の思想史』

(原武史 角川書店)

慰霊碑の後方には、澄み切った空をバックに富士山がそびえていた。視界をさえぎるものは何ひとつない。裾野から頂上にかけて稜線がなだらかな弧を描き、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。

<なぜオウム真理教は、この地にサティアンを建設したのか。>

たとえ登頂しなくても美しい富士山の山容は、古くから人々にさまざまな宗教的インスピレーションを呼び起こしてきたため、

背後に富士山を望むその「麓」には、多くの宗教団体が吸い寄せられるように集まり、本部や道場や施設を置くことになった。

しかし、富士吉田市の富士講を振り出しに、旧上九一色村のオウム真理教、富士宮市の白光真宏会と日蓮正宗という順番で、

富士山の山容を眺めつつ、山の北側から西側にかけての「麓」に点在する施設やその跡を、実際に歩いてみた著者の印象はいささか違うものだった。

ふと思った。麻原が「第一上九」の第2サティアンから「第二上九」の第6サティアンに移ったのは、富士山の存在感を相対的に小さくしようとしたためではなかったかと。

<麻原は、できれば視界からまるごと富士山を消し去りたかったのではないか。>(第四景 「麓」と宗教)

書物を読むだけでわかった気になってはいけない。自分の足で歩いてみないことには、「生存の意味」をわかったことにはならないと繰り返し説いた、

柳田國男の教えにならって、「読む」ことよりも「あるく」ことに重点をおいて、いわゆる観光地とは異なる国内のさまざまな場所に出掛けながら、

地形と思想の浅からぬ関係について考察したという、これは「歴史散歩」好きにとっては垂涎の、紀行文風エッセイの逸品なのである。

皇太子・明仁が、時代の歩調に合わせるようにして、名もない「岬」(だからこそプリンス岬と呼ばれた)に確立させた、核家族にふさわしい私的保養所の記憶。

自由民権運動の中心地であった五日市と、「軍事ダム」建設に反対する共産党山村工作隊の拠点となった小河内の運命を引き裂いた、急峻な「峠」の物語。

ハンセン病療養所が開設された長島と、被爆者検疫所が置かれた似島。前近代以来の「浄穢」思想と近代の「衛生」思想が凝縮された二つの「島」の負の歴史。

倭建命の東征に命を捧げた弟橘媛の伝説が残る「湾」。
昭和天皇が陸軍士官学校の所在地として命名した「台」。
大物政治家の母親を大事にする思想を育んだ「半島」。

地形と思想の関係を探るための旅なら、実はまだまだ続けることができるというこの本は、雑誌連載を加筆訂正したものなのだが、

<日本の一部にしか当てはまらないはずの知識が、あたかも国民全体の「常識」になっているケースは、まだほかにもあるのではないか。>

これもまた、柳田が鳴らした警鐘なのである。

人間の思想というのは、必ずしも都市部のような、自然の地形とは関係のない人工的な空間だけで生み出されるわけでもない。逆に地形が思想を生み出したり、地形によって思想が規定されたりする場合もある。たとえ自然を破壊する開発がいくら進もうが、長い年月をかけてつくられた地形そのものを根本的に改変してしまうことはできない。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『脳はみんな病んでいる』

(池谷裕二 中村うさぎ 新潮社)

あれほど露骨に自分を問い詰めた前著でも、実はまだ避けていた話題があります。それは「健康とは何か」です。もう少し直截に表現すれば「正常とは何か」です。(池谷裕二)

というこの本は、「人間とは何か」という問いについて真摯に語り合うために、当時は異端ともいえるお互いのDNA検査まで実施して、

「自分とは何か」という自分の「本質」を問うことにチャレンジしてみせた、前著『脳はこんなに悩ましい』の、続編となる対談本なのである。

池谷 光が目に入ってくると目のレンズで屈折し、眼底のスクリーンに光を投影します。しかし、私たちは光そのものを見ているわけではありません。
中村 えっ・・・?だとすると何を見ているんですか。


大脳皮質の「第一次視覚野」に入ってくる入力情報のうち、目から直接入ってくる電気パルスに変換された視覚情報はわずか3%以下でしかない。

網膜から上がってきた情報だけでは詳細が不足して「見えない」ので、脳の内部で勝手に生み出された、目で見ているものとは関係ない情報を処理している。

<「見る」とは、どちらかといえば「信じる」に近い行為です。(池谷)>

池谷 認知症の方が、前日に会っているときに嫌なことをされた場合、その嫌な経験自体の記憶はないのですが、情動面の記憶はあるようで、「この人は初対面だが、なんとなく嫌な感じがする」という印象をもつようです。
中村 そういうことだけは覚えているんだ。事前に危険を察知する生存本能と関係しているのかもしれないな。


手に画鋲を仕込んだ人と握手する実験では、なぜ握手したくないのか理由がわからず、「手を洗っていないので・・・」などと言い訳でごまかすことになる。

表面的に辻褄があっていればOKなので、その状況をうまく説明できるストーリーをでっちあげるのだが、本人はその作話を虚構だと思ってはいないのである。

<人間って変わったことや不思議なことが起きたとき、ちゃんと説明がつかないと気持ちが悪い。(中村)>

池谷 これまではタスクが複雑になればなるほどコンピューターにはまだ難しいと言われましたが、今では逆の言われ方をされます。特定のタスクに限定して競争させれば、ヒトの脳では、もはや太刀打ちできません。
中村 もう人間の出る幕はない。でも、ある特定の分野だけに秀でているってことは、人工知能はいわば発達障害というか、サヴァン症候群に近いとも言えるのか。


人工知能のその限定的な能力ですら、内部の演算原理はわかっていない。研究者は人工知能という「器」だけを用意して、そこに様々な情報を与えるだけだ。

人工知能は与えられた情報をもとに自ら学習し、複雑な課題を解くことができるようになるが、その内部を覗いてみても、プログラマー本人ですら理解できない。

<つまり「知能=人間が理解できないもの」としか言いようがないのです。(池谷)>

と今回もまた、中村うさぎという絶妙のツッコミ役を得て、当代随一の脳研究者による<脳>にまつわる興味津々の話題は尽きることなく続くことになるのである。

そしていよいよ対談は最終章に入り、ドクターX(精神科医)によるカウンセリングが始まるに及んで、「自閉スペクトラム症」の問診が実施されるのだが・・・

う〜む。暇人にも思い当たることがありすぎて、幼少時から何らかの「発達障害」を抱えていることは、どうやら間違いないような気がするなぁ。

世の中には何の躊躇もなく他人を「異常者」呼ばわりする人々がいる。・・・そういう人たちを見るたびに「この人たち、なんで自分が理解できないだけで相手を異常と決めつけられるんだろう?なんで自分は正常だとこんなにも確信しているんだろう?」と感心する。(中村うさぎ)

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『うた合わせ』―北村薫の百人一首―

(北村薫 新潮社)

はるか昔、安東次男の『百人一首』を読み、その本来の形は二首一組の和歌アンソロジーであった――という指摘に、霧の晴れるのを見るような快感を覚えた。それが、この試みを始める、遠いきっかけになっていたのかも知れない。

たとえば・・・

<体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ> 穂村 弘

――熱の額だからこそ冷えた窓につけ、眼が自然に外に誘われ、流れる白いものを見る。内に熱い額、外に雪。その時、硝子一枚を支点とした天秤ばかりが釣り合う。

とだけならば、この本は普通の「短歌鑑賞エッセイ」となってしまうことになるのだろうが、(それでも十分に面白いけれど)

それでは、まれにみる知的強者でありながら、それでいて《かはいげ》のなさが見えない穂村には太刀打ちできないとばかりに、

<垂れこむる冬雲のその乳房を神が両手でまさぐれば雪> 松平盟子

――こんな額の当たる窓硝子の上に、音もなく広がっているのは、――松平盟子の冬の空ではないか。

と、小学生の頃、ここぞという時、体温計の目盛りを自在に上げられたような気がする穂村に斬って返すのが、北村薫の《ドラマを生む読み》というものなのである。

<子の運ぶ幾何難問をあざやかに解くわれ一夜かぎりの麒麟> 小高 賢
<蜂の巣のあるところまでわが妻に案内をされてあとは任されき> 中地俊夫

日常生活では、ここぞ「男の出番」というのが、あまり劇的であるのは望ましくない。蛍光灯の取替えぐらいが、平和な証拠である。

「やっぱり、パパじゃないとダメねー。」と褒められ、自分が生きていてよかったと思えたのは、そういう、第三者から見たら何でもない、ごく些細な瞬間だ。

などと述懐されると、激しく同意してしまう自分に驚きもするのだが、その思いのちょうど裏返しとして、昔の男の胸をよぎる哀しみを歌った、

<洗濯物を男のわれが取り込めるさまは亡母をかなしませゐん>(中地)もまた、食器洗い担当の身の上としては、心に響くものがあるのだ。(妻への文句ではない)

<聞くやいかに 初句切れつよき宮内卿の恋を知らざるつよさと思ふ> 米川千嘉子
<だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか> 光森裕樹

新古今歌壇の申し子のような女流歌人、若草の宮内卿の<聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは>という歌を引いて、

宮内卿には恋を知らない強さがあった――と語る時、米川の内には《恋》の思いがあるわけで、そこへ「だとしても」という光森の歌をつなげてみせる。

これが、「うた合わせ」百首という稀有な試みの、結びに付け加えられた、ふと思い浮かんだ新たな組み合わせなのであれば、続編への期待は高まるばかりなのだ。

短歌を読んでいると総体として、壮大な劇の中にいるように思えて来る。歌の描き出す個性がそれぞれの形で、世界のあちこちを歩いているのを見るようだ。そのうちに、ある歌とある歌を結ぶ断ち切り難い糸が、自然と見えたりする。無論、わたしにとっての糸だ。歌と歌が向かい合い、背を向け、またある時は、こちらの丘とあちらの丘の頂きのように遠く離れ、しかし、確かに響き合う。そういう音を、わたしは聴いた。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『流罪の日本史』

(渡邊大門 ちくま新書)

流罪は日本固有の刑罰ではなく、洋の東西を問わず存在した刑罰であった。その歴史も実に古い。おおむね流罪は死罪の次に重い罪であり、ときの政権に反発した政治家、文化人、宗教者などに適用された。

「ちくしょー。島流しだ。」

と、今でも企業の人事異動の際などに使われているように、一般に「島流し」と称されるとはいえ、それは必ずしも離島に流すことを意味するものではなかった。

中国の「律令」の規定を享受した日本の「流罪」は、基本的に罪人を辺境の地に追いやり、二度ともとの居住地に戻さないというもので、

ゞ疥 越前国、安芸国
中流 諏訪国、伊予国
1麥 伊豆国、安房国、常陸国、佐渡国、隠岐国、土佐国

と、古い時代になればなるほど交通の便が悪い辺境の地は物淋しい場所であり、それゆえ流罪になった人々は、再起を期する気力を失った。

伊豆七島などに流人が文字どおり「島流し」となるのは、交通網が発達し海に浮かぶ遠い島々でなければ「流罪」の意味をなさなくなった、江戸時代以降のことだ。

<流罪とはいったいなんだったのだろうか?>

保元の乱で後白河法皇に敗れ、流された讃岐国で軟禁状態に置かれながら、「いつかは京都に帰りたい」という呪詛の念から怨霊となった崇徳天皇。

平清盛の政治的な配慮から助命され、14歳で伊豆国に流され壮年期を過ごしながら、看視者たちの後ろ盾を得て征夷大将軍にまで上り詰めた源頼朝。

承久の乱で鎌倉幕府軍に敗北し流された隠岐で、『新古今和歌集(隠岐本)』を精選するなど、すぐれた歌人としての矜持を保ちながら生涯を全うした後鳥羽上皇。

鎮護国家に重きを置く旧仏教の在り方に異を唱え、個人の救済を目指す鎌倉新仏教を広めようとして厳しい「法難」を受け、越後に流された親鸞。

室町三代将軍・足利義満の寵愛を受け「猿楽」を極めながら、跡を継いだ義教が甥の音阿弥を寵愛したことで疎まれ、突如佐渡に配流され失脚した世阿弥。

関ヶ原合戦で敗北し島津氏を頼って薩摩へ逃亡しながら、最終的には八丈島に遠流となって、子々孫々に渡り幕末維新期まで本土帰還が叶わなかった宇喜田秀家。

などなど、時代の変遷や身分の違いによって、「流罪」の形も徐々に変化を遂げていることがわかるが、そこには一種のパフォーマンス的要素も含まれていた。

つまり「流罪」とは一種の終身刑で、恩赦などがなければ配所(流された場所)で生涯を終えさせるぞ、という脅しが政権の狙いでもあったというのである。

現代では情報網や流通網が発達し、東京のような大都会であっても、地方であってもさほど不便さはないはずである。しかし、前近代(特に織豊期以前)においては、都市部の繁栄と地方とでは大きな格差があったはずである。武家、公家、僧侶は京都などの都会で豊かな生活を送っていたが、自らが流罪となったときは、あまりのことに落胆したに違いない。「一刻も早く故郷に帰りたい」という心情は、流人すべてに共通したものではなかっただろうか。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『背高泡立草』

(古川真人 文藝春秋)

一体どうして20年以上も前に打ち棄てられてからというもの、誰も使う者もないまま荒れるに任せていた納屋の周りに生える草を刈らねばならないのか、大村奈美には皆目分からなかった。

「あんまし草茫々やったら、みっともないじゃんね」

と幼いころ養女に出され、今は無人となった平戸の小島にある実家(吉川家)へ、福岡から向かおうとする母の美穂に付き合わされた奈美が、

母の兄(内山家)と姉、そして姉の娘とで、廃屋となった吉川の納屋の周りの草刈りをするという、これは言ってみれば「ただそれだけ」の物語なのではあるが・・・

本年度「芥川賞」受賞作品。

繁茂した植物はコンクリートで固められた所以外のあらゆる地面を覆い尽くし、それぞれが絡まり合いつつ日の光の独占を試みて上へと伸び広がっているのだった。そうして塊となって積みあがり、そのまま途切れることのない大波が押し寄せるようにして彼女たちの立つ場所から30歩ほどの先に見える納屋のほとんど半面を葉や蔓で隠してしまっていた。

「ほら、下から下からって、どんどん生えとるもん」

子供の頃から育まれてきた、いつかは海を渡りたいという「雄飛熱」に浮かされて、吉川の<古か家>を売り払い、満州を目指そうとした男の話。

終戦のどさくさに紛れ、建国準備が進む故国へと脱出を図った密航船が難破し、救出された<古か家>で見知らぬ子どもと親子を装いながら、芋粥を啜る朝鮮人の話。

口を利かぬことが呼吸を長く止めるコツと教わって、島一番の「刃刺」になった青年が、選ばれて派遣された蝦夷での体験を伝えることに苦慮する話。

中学の夏休みに、酒乱の父からカヌーによる航海という破天荒な課題を与えられ、辿りついた<内山酒店>にカヌーを残し、電車で鹿児島へ向かった福岡の少年の話。

<島>や<家族>に纏わり付いていた、<遠い>、<近い>忘れられようとしている<古か家>の記憶が、

<納屋>に絡みつく<蔓>をはぎ取るように、脈絡もなく語り継がれていくうちに、私たちは気付かされることになる。

今は美穂が余念なく手入れをすることで、荒ら家とならずに済んでいるこの<新しい方の家>も、自分たちがすっかり島を訪れることがなくなれば、<古か家>と同様に朽ち果てていく。納屋も、あと何度草を刈りに来るのだろうか?

<もっとも時の流れを示す眺めこそ、誰も来る者がなくなり、草の中に埋もれた納屋だった。>

<吉川>という家はすでにないのだから、<古か家>も<新しい方の家>も、奈美の目にはただ二軒の空き家としか見えていなかった。

しかし、「使わんでも刈らないけん」と毛ほどの疑問もなく口にする2人の姉妹の言葉には、そうした時間の経過をわずかばかりも感じさせないものがあったのだ。

家の前の埃ですっかり白くなったアスファルトの亀裂や、欠けたことで出来た窪みから点々と芽吹いていた、四季海棠(ベゴニア)の花。

「へえ、植木鉢から種が飛んでいったっちゃろうね」

最初に美穂からそれを指し示されたとき、鉢植えから離れて種が芽吹くのも別に珍しいわけではないと思っていた奈美も、あまり母が素直な態度で声に出して繰り返すのを聞くうち、確かに驚きもすれば悦ばしいことのように思われてくるのだった。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『狗賓童子の島』

(飯嶋和一 小学館文庫)

もし、狗賓様に許されて『御山』に入り、千年杉に至り着いて初穂を奉納できたならば、その者は、狗賓様から不可思議な力を与えられる。望むと望まぬとにかかわらず、それは力というより役目、もっといえば宿命のようなものだ。

当年数え16になる若衆が1人選ばれて、陰暦9月の初丑の日に「千年杉」にその年の初穂を捧げるために、島の聖域である「御山」に遣わされる。

隠岐・島後に伝わるこの大切なお役目が、島の庄屋の寄り合いで西村常太郎に与えられることになったのは、弘化4年(1847)のことだった。

河内きっての大庄屋だった父・履三郎が、大塩平八郎の蜂起に加わった科により、わずか6つで捕えられ、15で隠岐へ流された、

自らに課せられた「流人」という運命を健気に受けとめ、島後の人々に深く感謝する日々を送っていた常太郎にとって、それは思いもかけないことだった。

第19回「司馬遼太郎」賞受賞作。

「実は、田を作ってみたいのです。」

と、島の医師・村上良準のもとで医術を学ぶこととなった常太郎が突然切り出したのは、それが西村の家に生まれた男児に数え18で与えられる命題だったからだが、

自らの無力を思い知ると同時に、人に恵まれるだけの資質を持つ人間かどうかを確かめることこそが、その試練の意味であったことを教えられることにもなる。

島の人々は衣食住のほとんどを自らの手で作り出す技術と知恵を持っており、人の暮らしというものの規範が備わっていることが、常太郎の心を落ち着かせてくれた。

「ここのところ、この島にいやな臭いが漂っている。距離をとれ、お前に近づいてくる者に注意を払え。」

やがて良準の跡を継いで島の医師となった常太郎は、疱瘡やコレラ、麻疹など、島の外から次々に襲いかかってくる恐るべき伝染病に敢然と立ち向かっていくのだが、

(偶然にも、この本を読み始めた途中から、クルーズ船による新型コロナウィルスの猛威が吹き荒れることになり、臨場感あふれる読書となった。)

年貢銀納という「拝借米制度」により、幕府の無策によって上昇し続ける米相場で、自らが作った米を「おかみ」から買わされ、借金を返せずに田畑を奪われる。

蔓延する病よりもむしろ、苛酷な取立てや凶作のために追いつめられ、破れかぶれとなった島民たちは徒党を組んで、蜂起に走ることになるのだった。

「松江の連中は、ただこの島を愚弄しているだけのことです。」

本州で穢れとする見たくないものを、遠い島へ流し目の前から消す「遠島」という制度により、内地から隔絶した流刑の島となった隠岐。

長年に渡ってそんなものを押し付けられてきたことに対する、積もり積もった怨念と引き替えに、島民は内地の人々の心を冒し尽くした「病」を免れてきた。

しかし、内地との流通の活発化は皮肉にも伝染病の脅威だけではなく、拝金の病をも引き込んで、島びとの心を蝕むようになり、

島が「島」である由縁を破壊しつくして、大切な何かを島びと達から奪い去ってしまったようなのである。

太古より「御山」に棲み、島民の畏怖を集めていた狗賓さんは、いつの間にか島びとの心から追い出され、狗賓さんの存在を具現していた狗賓童子たちも姿を消した。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『日本思想史の名著30』

(苅部直 ちくま新書)

「没後には著作が読まれなくなった人物ののこしたテクストから、重要な思想を発見できるのではないか」という意見にも一定の説得力はあるが、実際のところそういう事例はあまりない。弾圧を受けたといった事情があれば別であるが、「忘れられた思想家」には、忘れられてしまうだけの原因がある。

そんなわけで、古代から昭和戦後期まで、時代を超えて読み継がれ解釈し直されてきた、広い意味で古典と呼ぶべき著作群の中から、

時代の思潮を知る上で重要と思われるテクストや、その思想家の著作を読み始めるのに適切なものを、著者なりに30選んで解説を試みたという本である。

「和を以て貴しと為」と冒頭に掲げているとは言っても、ここで言う「和」はよく誤解されるように他人の気持ちを忖度して、それに逆らわないよう調子を合わせることを意味するのではない。

自分の価値観に固執することなく、他人からの批判に謙虚に耳を傾け、みずからの意見を他人の検討にさらす、そんな緊張関係を内に含んだものが「和」だという。

中国風の律令に基づいて日常業務を遂行する官僚としてのモラルを、豪族たちに身につけさせるための法(のり)であること。

それが『憲法十七条』を定めた聖徳太子のねらいであった。

いま生きている現世での一生のあいだに、みずから意図して念仏を唱えれば、そこで成仏できるという考えは、親鸞に言わせれば二重に間違っている。

それは「自力」によって罪業を消そうとするむなしい試みであるばかりでなく、来世の成仏へと導く阿弥陀の誓願にも逆らうふるまいなのだ。

その「御はからい」を信じてさえいれば、ただ念仏を唱えるだけでよい。いや,唱えていない人ですら救いとろうとするのが阿弥陀仏の「誓願不思議」というものだ。

読者を奥へ奥へと誘いこむ、こんな言葉づかいの妙技が、親鸞の『歎異抄』という著作の魅力なのである。

実は親房の考える「正統」すなわち正しい皇室の系統とは、同時代の後村上天皇から系図を過去にたどって、子から親に、またその親に・・・という親子関係の線上に位置する天皇を選びだしたものであった。

つまり、三種の神器を持っている今上天皇がいつでも「正統」の末端にいることになり、神器は「正統」としての位置を与える強力なシンボルなのである。

しかし、こうした考えに適する天皇とは、ただ神器を継承するだけで政治の実務には口を出さず、統治者の「徳」の内容を指し示すことが仕事となる。

皇室と武家政権との関係を穏当なものとして提示したことが、北畠親房の『神皇正統記』が徳川時代を通して古典として継承されてゆくことを助けたのであろう。

などなど、名著が名著である由縁は、そこに何が書かれてあるかということより、それが時代を通してどのように読まれてきたかにあることを指し示していく。

江戸時代・・・山崎闇斎、新井白石、伊藤仁斎、荻生徂徠、山本常朝、山片蟠桃、海保青陵、本居宣長、平田篤胤。

明治〜戦前時代・・・会澤正志斎、横井小楠、福沢諭吉、中江兆民、徳富蘇峰、吉野作造、平塚らいてう、柳田國男、和辻哲郎、九鬼周造。

と、その名は知りながら実際にはなかなか手が出せなかった名著の数々が綺羅星のごとく並べたてられていく、思想史の絵巻に頭がくらくらする思いなのではあるが、

戦後に至って、丸山真男と相良亨の名が挙がるのみなのは、その他の著作はまだ時の評価を与えられていないから、というだけではなさそうなのだった。

日本思想史が学問の一分野としてそれなりの確立をみた現在では、思想の大きな歴史に関するそれまでの枠組を組み直すような仕事はやりにくくなっている。学術研究としての綿密さと正確さを求めようとすれば、大胆に創造性を展開する余地は、小さくならざるをえない。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング

『覗くモーテル 観察日誌』

(Gタリーズ 文春文庫)

「寝室というプライベートな空間にいるとき、人々は性的にどんな行動をとるのか」

この目的を達成するためにわたしは前記(デンヴァー近郊にある客室数21)のモーテルを買いとって自身で経営し、観察していることをいっさい知られずに、多種多様な人々がくりひろげる相互作用を観察するための絶対安全な手法を確立しました。

『王国と権力』や『汝の隣人の妻』などの問題作により「ニュージャーナリズムの旗手」と称された著者のもとに、1980年のある日<一通の手紙>が届く。

10あまりの客室の天井に通風孔を模した四角い穴を開け、分厚いカーペットを敷き詰めた天井裏に息を潜めて、客室で繰り広げられる行為を覗き見ていた。

しかも、1960年代から数十年にわたってモーテルの客を観察し、見聞きしたことをほぼ毎日欠かさず記録として書き続けてきたというのである。

「そんなことをしたのも、ひとえに人間への飽くことなきわが好奇心のゆえであり、決して変態の覗き魔としてやったことではありません」だって?

奇しくも、それは自分が『汝の妻の隣人』で採用した調査手法や動機と似通ったものであることを、認めざるを得ないものではあった。

<本人からきちんと同意をとっていたことを除けば。>

匿名での情報公開を手伝ってほしいという条件は、こんなことが公になれば、訴訟どころか実刑を科される危険もあり、とても受け入れられるものではなかったが、

この手紙を送ってきた人物は“変態の覗き魔”なのか、“尽きざる好奇心”をそなえているだけの無害な人物なのか、それともただの“嘘つき”か、

それを確かめるためだけと自分に言い聞かせて、著者はこのコロラド男に会いに行き、あくまで興味本位から天井裏から客室のカップルの性行為を実際に覗き見し、

実名を明かせないのなら何ひとつ書くつもりはないと念を押しながら、『覗き魔の記録』という膨大な手書き原稿を送ってもらうことになってしまう。

<行動>(美しい裸身をあらわにした)女がベッドで隣に横たわっても、男(白人男性35歳)はさして興味を示さず、次から次へとタバコを吸いながらテレビを見続けていた。やがてキスをして女の体をまさぐるうちに、男はあっというまに勃起し、前戯もそこそこに上になって正常位で挿入、ほぼ5分後にオーガズムに達した。女はオーガズムに達せず、即座にバスルームへ行って精液を洗い流した。ついでふたりは部屋の明かりとテレビを消し、ひとことの挨拶も会話もないまま眠りについた。
<結論>このふたりは幸せなカップルではない。


観察実験の第1号としてはまことにお粗末な結果となった、ごくフツーの性行為を皮切りに、グループセックスやレスビアン、夫婦交換、自慰行為など、

様々な性行為のあり方が、本人たちは誰にも見られていないと確信しているがゆえに、実に赤裸々に描かれていくことになるのだが、多くは意外に興覚めで、

「覗き魔」はまた「記録魔」でもあったがゆえに、体位や時間や回数まで執拗に統計をとった報告によれば、「かなり活発だった」のは12%にすぎないという。

さて、「本にはしない」はずだったこの『覗き魔の記録』を、どうして暇人がこうして読んでいるのかといえば、

2013年に、まもなく80歳になる「覗き魔」が、生きているうちにこの貴重な記録を読者に伝えたいと思い、実名を明らかにすることを認めたからだ。

観察の舞台となったモーテルもずいぶん前に売却し、当時の利用客からプライバシー侵害を理由に訴訟を起こされても、時効だろうと考えての結果だったという。

出発点は、窓枠の下にしゃがみこむ少年だった。半世紀後のいま、フースは屋根裏のルーバーつき通風孔ごしの人生から引退し、街灯の監視カメラやドローンや国家安全保障局の目ですっかり見張られている社会のなかで生きている。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング
Profile

暇人肥満児

どのような話題であろうとも、その分野の専門家以外の人が相手であれば、薀蓄を語りだして恐れを知らないという「筋金入りの」素人評論家。本業は「土建屋の親父」よろしくお付き合い下さい。

記事検索
Archives
Recent Comments
  • ライブドアブログ