暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『国のために死ねるか』

―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動―
(伊藤祐靖 文春新書)

先ほどまで我々の艦は、30ノット超の猛スピードで北上する奴らを追いながら、何発も何発も警告射撃の砲弾を炸裂させていた。一つ間違えれば、拉致された日本人もろとも工作母船を吹き飛ばしかねない、127ミリ炸裂砲弾の連続発射。だが、奴らはまるでひるむことなく逃走を続けたのだった。
それがいきなり停止した。


<止まっちまった>

1999年3月22日、大学卒業後の入隊12年目で、海上自衛隊の航海長に昇格して、最新鋭イージス艦「みょうこう」に乗り組むようになっていた私は、

富山湾に何百隻と浮かぶ漁船の中から、偽装した北朝鮮の不審船を見つけ出すようにという緊急発令を受ける。

自衛隊史上初の海上警備行動となった、世に言う「能登半島沖不審船」事件に、副長として遭遇することになったのである。

間近に威嚇射撃を受けても全くひるむことなく、水柱を避けながら猛スピードで逃走を続ける敵に、畏怖にも近い念すら抱き始めていた私は、

止まれ、止まれ、と念じて警告射撃をしていたはずにもかかわらず、現実に「止まった」ときには、頭が真っ白になってしまう。

次は工作母船内の立ち入り検査ということになるのだが、拳銃をもって突入していくことになる検査隊員たちは、経験がないどころか、訓練さえ受けたことがなかった。

「航海長、お世話になりました。行って参ります」と、公への奉仕の思いを胸に、悲壮感の欠片もなく、清々しく出撃していこうとする部下たち。

<これは間違った命令だ>

そうやって“わたくし”を捨てきった彼らを、それとは正反対の生き方をしているように見えてしまう政治家なんぞの命令で行かせたくなかったのだ。

というわけでこの本は、この事件を契機に自ら志願して、海上自衛隊内に初の特殊部隊である「特別警備隊」の創設に関わった張本人による、

部隊構築過程でおきたこと、結果としてどんな部隊ができて、それがどうなっていったかという顛末を赤裸々に明かした衝撃の手記なのであり、

たとえば、優秀な人が多いのではなく、優秀じゃない人が極端に少ないのが日本という国の特質で、それが自衛隊の組織的戦闘力の強さになるとか、

強い相手に勝つためには、自分が能力を発揮できる環境ではなく、自分も発揮しにくいが、相手がさらに発揮しにくい環境を創出すべきなど、

その過程で体得されていった「組織論」や「戦略論」には、我々一般人にも大いに学ぶべきところがあるのだが、

「特警隊」準備室の設立から7年たって、いまだ創隊途中であるにもかかわらず、艦隊部隊への異動を内示された伊藤は自衛隊を辞め、武力衝突の島ミンダナオへ飛ぶ。

<日本は本気で特殊部隊を使う気がない>という確信からだった。

『国のために死ねるか』という問いは、平和憲法の幻想にしがみつきながら、腑抜けた日常をやり過ごしている、私たち日本人に向けられたものではない。

『(こんな)国のために死ねるか』という、それは自らの喉元に突き付けた、刃であったようなのである。

<この身を捨てるに値する何が日本という祖国にあると言うのか>

ある日、現地でとった弟子に、「あなたの国は、おかしい。(中略)その地に生きる子孫のために先祖が必死で伝承してきた掟を捨ててしまうような国家、国民の何をいったいどうして守りたいのか?」と言われた。私は、一言も返すことができなかった。

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『ターミナル・エクスペリメント』

(RJソウヤー ハヤカワ文庫)

ピーターは咳払いをした。「ハロー」
「だれだ?やっぱりサカールなのか?」
「いや、わたしだよ。ピーター・ホブスンだ」
「わたしがピーター・ホブスンなんだ」
「いや、きみはちがう。わたしだ」
「いったいなんの話をしているんだ?」


<きみはコンピュータ上につくられたシミュレーションなんだよ。>

医学生時代の脳死移植手術の体験から、人間の死の判定に疑問を抱き、生物医学用機器の会社を設立して軌道に乗せたピーターは、

自社で開発した新型の脳スキャナーを、瀕死の老女の頭に取り付ける了解を得て、小さな電気フィールドが人体から離れていく瞬間を、記録することに成功する。

<これは、ひょっとしたら「魂」ではないのか?>

その正体を探ろうと考えたピーターは、友人の人工知能研究者・サカールの手を借りて、自らの脳をスキャンさせ、コンピューター上に精神の複製を3つ作らせた。

ホルモン反応や性衝動など、肉体と関係のあるすべての要素を削除した、「スピリット」(死後の生)

老いや死の恐怖など、肉体の衰えに関係のあるすべての要素を削除した、「アンブロトス」(不死)

そして、基準になるものとして、何も変更を加えぬままとした、「コントロール」(未改変)

ネット上にある、あらゆる情報へのアクセスを許された彼ら、3人の「シム」は順調に成長し、それぞれなりの人格を形成していくことになるのだが、

ある日、ピーターの最愛の妻キャシーの不倫相手と、ピーターが苦手としていた義理の父親が、立て続けに殺害されるという事件が勃発する。

<どの「シム」が犯人なのか?>

と模索を続けるうちにも、敏腕女性刑事・サンドラの捜査の手は、容赦なくピーターへと迫ってくるのだが、その時、第3の事件が発生して・・・、

本当の物語は、実はここから始まっていくのである。

1995年度の「ネビュラ賞」受賞作品であり、2011年の近未来を描いたサイエンス・フィクションではあるが、

「音声認識技術(進みすぎ!)」以外は、まことに臨場感にあふれているという意味で、作者の先見性に圧倒される傑作なのである。

サンドラはかすかに両肩を持ちあげた。「あたしにはなにもできない」声は弱々しく悲しげだった。「死にかけているのよ」
ピーターは目を閉じた。「わかっている。ほんとうに申し訳ない。だが、ひとつだけ方法があるんだよ、サンドラ――きみの手でこの事件にけりをつける方法が」


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『数学する身体』

(森田真生 新潮社)

起源にまで遡ってみれば、数学は端から身体を超えていこうとする行為であった。・・・正確で、確実な知を求める欲求の産物である。曖昧で頼りない身体を乗り越える意志のないところに、数学はない。
一方で、数学はただ単に身体と対立するものでもない。数学は身体の能力を補完し、延長する営みであり、それゆえ、身体のないところに数学はない。


<数学はいつでも「数学する身体」とともにある。>

3個以下の物については、数えなくてもその個数を瞬時に把握する能力(subitization@認知神経科学)を持っていた人間が、

両手足の指を使うところから始まって、限られた身体で何とか工夫をして、少しでも多くの数を捉えようとしたところから、やがて「数」という道具は生まれた。

「自然数」(=1,2,3・・・)とは、決してあらかじめどこかに「自然に」存在していたわけではなく、

もはや道具であることを意識させないほどに、それが高度に身体化されたから、「自然」と呼ばれることになったのだ。

というこの本は、東大の文科2類(経済系)から数学科に転向し、現在はどこの組織に属することもなく、在野の独立研究者として、

全国各地で「数学の演奏会」などのライブ活動を行っているという、<30歳、若き異能のデビュー作>なのである。(小林秀雄賞を受賞している。)

「道具」としての数字が次第に「身体化」されていく過程の中で、明らかに「行為」(たとえば紙と鉛筆を使って計算すること)とみなされたことが、

今度は「思考」(頭の中で想像上の数字を操作すること)とみなされるようになる。

記号操作の体系を「道具」として利用して、高度な抽象化を究めてきた「数学的思考」の歴史と変遷を辿りながら、

「数学とは何であり得るか」と問い続けてきた筆者が、最終的に流れついたのは「心」の問題だった。

数学を「道具」として「心」の探求に向かい、「心をつくる」ことによって、「心」を理解しようとした、

アラン・チューリング(「計算する機械」と人工知能)と、

数学は「心」の世界の奥深くへ分け入る行為そのものであると捉え、「心になる」ことによって「心」をわかろうとした、

岡潔(数学の中心にある「情緒」)と。

この、性格も研究も思想もかけ離れた二人が、ともに「数学者」と呼ばれるということこそが、数学という営みの可能性の広さを、端的に象徴しているのではないか。

道具が変われば、それを用いる数学者の行為、さらにはその行為が生み出す「風景」も変わる。

数学もまた、数学に固有の風景を編む。歴史的に構築された数学的思考を取り巻く環境世界の中を、数学者は様々な道具を駆使しながら行為(=思考)する。その行為が、新たな「数学的風景」を生み出していく。

<数学者とは、この風景の虜になってしまった人のことをいう。>

もちろん、その通りだろうし、そこにこそ暇人のような凡人が数学者に対して抱く、嫉妬にも似た憧れの依って來たる由縁もあるのだが、

ひょっとしたら・・・この著者にも、<その風景>は見えていないのではないか?・・・という疑念を、どうしても拭い去ることができない暇人なのだった。

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『宇宙は「もつれ」でできている』

―「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか―
(Lギルダー 講談社ブルーバックス)

「アインシュタイン、仮にあなたが光の粒子性を多少なりとも常識的に証明できたとして」と、周囲には目もくれずにボーアはこう続けた。「本当のところ、回折格子の使用を禁ずる法律が通過する事態を想像できると思いますか?」
「あるいは逆に」とアインシュタインは反撃した。「光が波の性質しかもっていないとあなたが証明できたなら、警察がフォトセル(光電池)の使用を禁止できると思いますか?」


1923年夏、コペンハーゲンに講演に訪れたアインシュタインは、出迎えたボーアとの会話に熱中するあまり、会場へと向かう市電を2度も乗り越すことになった。

量子世界が抱える「波動」と「粒子」(あるいは「位置」と「運動量」)というパラドックスを、「相補性」という概念を用いて克服しようとした「コペンハーゲン解釈」の巨魁・ボーアに対し、

自らの独創だけで「相対論」を生み出した天才・アインシュタインは、まるで「幽霊」による遠隔作用でも受けたかのような、奇妙なふるまいを許容する「量子論」には、致命的な欠陥があるという疑問を抱いていた。

「知の好敵手」と互いを認め合う生涯の友人でもあった、この二人の間で交わされた「量子論」を巡る論争は、言うまでもなくフィクションなのではあるが、

<会話によって、我々が日々暮らし、体験する世界がさりげなく、あるいは劇的に変わることがあるように、物理学者たちの活発な会話によって、いかに量子力学の発展の方向性が繰り返し変わってきたかについて語った>

この本は全編、そんな「会話」によって成り立っていると言ってもいい本なのであり、

2000年に大学を卒業した、女性科学ジャーナリストである著者が、まるでその場に居合わせていたかのように思われたとするならば、

著名な物理学者たちの遺した膨大な書簡や論文、回想録などを逐一あたり、明記された日付に交わされた(交わされたであろう)会話として、

その一つひとつの要旨を完全に記録するために、実に8年もの歳月をかけるという「苦労」のし甲斐もあったというものだろう。

さて、彼らを、そして後に続く数多の聡明な若き才能たちを悩ませた、奇妙な現象=「もつれ」とは何だったのか?

「量子」とは、ある時は<波>またある時は<粒子>のようにふるまう物理的な実体で、エネルギーや運動量、スピンなどの物理量をもっている。

二つの実体が互いに作用しあうと、その量子は単独としての存在を失い、そこに「もつれ」が生じる。

この「相関性」は、お互いがどれほど遠く離れようとも完全に保たれ、一方の物理状態(たとえばスピン)だけを測定して確定してしまえば、

もう一方の量子の物理状態は、いっさい測定することなく、瞬時に自動的に決定してしまう。たとえ両者の間に地球がすっぽり入るほどの距離があったとしても・・・

光速を超えることで、明らかに特殊相対性理論に違反してしまう、この量子の「もつれ」が、その後どのような論争の末に、乗り越えられて来たのか?

門外漢の暇人には、そのあたりの詳しいことは、実はこの本を読んでみても、さっぱりわからないことだらけなのだが、

だからといって、20世紀の量子物理学者たちの群像劇を描きだした、まるで映画のような格闘物語の面白さは決して色褪せることはない。

これは彼ら自身が「もつれ合う」様をこそ、楽しむべき本なのである。

科学の強みというのは、歴史の偶然性を取り除き、純粋な知識に到達することができるということである。その一方で、この知識というものは、特定の時代の特定の場所で、特定の情熱をもって生きる人々によって、パズルのピースをはめるように一つずつ構築されているのだ。状況次第で、科学はある方向ではなく別の方向に展開していく。

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『伝説のプロ野球選手に会いに行く』

(高橋安幸 白夜書房)

われわれが部屋に入っていっても無言。こちらの存在にさしたる興味はなさそうなおもむきだ。しかし、表情はやわらかい。名刺を差し出すと、一人ひとりに自分の名刺を手渡してくれた。名刺には、苅田久徳、という文字だけが印刷されている。

「えーと・・・、うぉっほっほっほ、こんな暑い日にご苦労さん。わたしも大変だよ、こんな暑くて。これまでの取材ではね、こんな暑い日はみんな断ったの、うん」

「苅田久徳」、明治44年生まれの87歳(注:取材時)。

うなじのところで長い白髪をオールバックに束ね、細身の体にグレーのTシャツ、ラフな白のコットンパンツという洒落たスタイルで、

右耳だけに付けている補聴器を邪魔そうにする以外、90近い年齢を全く感じさせることもなく、挨拶も待たずにいきなり貫録たっぷりに語り出したこの男こそは、

昭和9年の日米野球に遊撃手として出場後、アメリカ遠征の中で二塁手の重要性に開眼、その後の日本の野球そのものを変えたという、誰もが「天才」と認める名内野手なのである。

というわけでこの本は、98年から03年にかけて、野球雑誌に連載されたインタビューを収録したものなのだが、

ニュースフィルムで見る以外には、つまりは現物は誰もリアルタイムでは見ていない(著者は65年生まれ)、往年の名選手たちばかりなのだから、

<現役時代を知らない、文献でしか知りえない、伝説の野球人の生に触れる。その迫力に驚き、緊張し、ときに笑い、圧倒された自分自身に嘘をつきたくない>

という方針の下、インタビュー中に起こった出来事、その前後も含めて口調もそのままに、さらには聞き手の側の心情までも吐露されることで、

まことに臨場感あふれた、上出来の再現ドラマを見るような、楽しい読み物に仕上がっているのである。

「ワシもね、レフトに打とうと思えばもっと打てた。しかしね・・・やっぱ右へ打ったほうがチームにとってよかった。だからワシの本当の、正味の値打ちというのはね、文字だとか映像には残ってないんだ。残念ながら。かっかっか」

とタバコに火をつけた、ライト打ちの名人「猛牛・千葉茂」(大正8年生まれ)。

「語り尽くされているというより、自分のことをたらたらしゃべるのは活字ではなんにもならないんだ。・・・そんなものは自慢話にすぎないから。『400勝、すごいですね』と称える相手に、『ああ、それはすごかったよ』と真剣に答える馬鹿がどこにいる?」

と安易に問いかける者の覚悟を迫った、「天皇・金田正一」(昭和8年生まれ)。

「フォークの元祖・杉下茂」、「怪童・中西太」、「牛若丸・吉田義男」、「悲運の闘将・西本幸雄」、「和製ディマジオ・小鶴誠」、「鉄腕・稲尾和久」、「名将・関根潤三」。

誰もが皆、遠い眼をして現役時代の雄姿に思いを馳せながら、時に当時に比べてぬるい環境に甘んじるプロ野球の現状に苦言を呈する場面もあるけれど、

誰もがまた、いまだに胸の奥深くに熾き火のようにくすぶった、野球への熱情を抱え続けていることを確認できたことこそが、「会いに行った」ことの手柄であったことは、

玄関先に待機して、ついつい長居してしまったことを詫びる私たちをわざわざねぎらってくれた、終生変わらぬ最大のファンからの一言で、十分明らかなのである。

「とんでもありません。おかげさまで主人が元気に過ごせて、とってもうれしいです。いつもしょぼくれて元気がないのに」
「そんな・・・」
「なんか、久しぶりに野球の話ができて。お友だちとのお話と全然違うんですね。私の知らないことばっかり。あ、あなた、楽しかったでしょ?皆さんから若さをちょうだいしたんじゃないの?」
照れに照れたのか、小鶴さんは夫人の問いかけには何も応えず、「そいじゃ」と言って、軽く右手を上げた。


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『ピカソになりきった男』

(Gリブ キノブックス)

その朝は、・・・墨で描く闘牛の絵に全身全霊で集中していた。すべてがそこに存在し、強く感じさせるようにしなければならなかった。すべてが振動していなければならなかった。とくに、何一つ正確であってはならず、詳細すぎるのもいけない。闘牛場を描くのは単調な曲線、観衆とピカドールの槍、突撃する牡牛をあらわすのは点々だ。人間が動物に挑む挑戦。流れる血。そして死。

<そういうわけで、その朝、俺はピカソだった。>

創作に取りかかる前は、何日間もかけて研究に没頭し、専門書を読んでは読み直し、試作を繰り返す。

しかし、いざ創作にかかれば、その瞬間、調べたことはすべて忘れ、精神を自由に、手先を軽く、力を抜いたままにしておかねばならない。

こうして俺は、失敗しては何度も再開し、何年もの月日をかけて、

興奮と慣れの入り混じった気分で描くという、この画家の高みに、ときどき到達するようになったのだが・・・。

それから俺は、少し前にパリのセーヌ通りの専門店で買った古書を手に取った。最初の頁を開き、イーゼルの前にいる画家が二人の小天使を身につけている奇怪な絵を描いた。同じ手の動きで日付を書き加え、≪M・シュヴァルツへ≫となぐり書きをし・・・

<この瞬間、俺はもうとっくにピカソではなかった。>

マルク・シャガールと署名する作業は、何年もの経験のおかげで数秒で済んだが、この献辞があるだけで、本の価値は十倍になった。

というわけで、この本は、

1948年、フランスで娼館を営む両親のもとに生まれ、数年間の路上生活を送るなど、幼少より破天荒な人生を強いられる中、

つねに水彩道具を肌身離さず持ち歩き、ついにはその恵まれた画才を、天才的な「贋作作家」として開花させた男の自伝である。

贋作ビジネスのからくりの中に組み込まれることで、バラ色の飽食の時代を過ごし、あぶく銭を湯水のごとくばらまく生活を数年間経験した後、

2005年に逮捕、禁固4年、執行猶予3年、1年間の保護観察付き処分の刑を受け、「贋作作家」としての前途は絶たれた。

これまでに彼が描いたと認めた「贋作」はすべて没収、破棄された・・・ということになっているのだが、

現在でもなお、「ラ・ガゼット・ドゥルオー」(著名オークションの出品リスト)に俺の絵が載っている、と著者は言う。

ピカソが言っているように、「巨匠をうまく模倣できないから、オリジナルなものを作ることになる」のであるとすれば、

名画の単なるコピーではなく、巨匠が描いたかもしれないまったくの新作を創造する、ギィ・リブの行為は、

「オリジナル」と「贋作」との境界線の曖昧さを、鑑賞するものに突き付けてくるものでもある。

ギィ・リブの不幸は、「巨匠を模倣して時間を使い、そして、うまくできるようになったことだった。」と言わねばなるまい。

<逮捕された日、俺は本当の画家になった。>

三十年近くのあいだ、俺は自分の様式で他人になりすましていた。俺の手や目は、ピカソやルノワール、マティス、さらにはダリの手であり目だった、・・・俺は彼らのように描くことを身につけ、そうして自分自身の絵を忘れ、贋作の迷宮にはまり込んで、自分を見失うほどになった。・・・しかし、ついに自分自身に戻れるのだった。偉大な巨匠の高みを忘れ、自分の足でうまく切り抜けられるようになるのだった。

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『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』

―インテリジェンス畸人伝―
(手嶋龍一 マガジンハウス)

「バード・ウォッチャー」――。BBCは自然番組の解説を担当するナイトをこう紹介した。BBCの担当者が彼の公職を知っていながら、そうした肩書きを付けたのかどうかは分からない。

マックスウェル・ナイト――。

この男こそは、イアン・フレミングの『ジェームス・ボンド』シリーズで描かれた、スパイマスター「M」の原型となった、英国情報局保安部MI5の重鎮なのである。

諜報の世界で「バード・ウォッチャー」といえばスパイを意味するため、職場の同僚たちはナイトの肩書を耳にするたびに、懸命に笑いをこらえたという。

しかし、狙った獲物を射程に入れると、相手に気づかれないように姿を隠してそっと近づき、細心の注意を払って周囲の様子を窺うことを怠らない。

「野鳥観察者」という呼び名は、むしろ彼のスパイとしての資質を、見事に言い当てたものだったというべきなのかもしれない。

ジョン・ビンガム――。

そんなナイトが、第二次世界大戦前夜、イギリス国内に浸透していたナチのシンパに秘かに接近させ、彼らの巣に潜り込ませたカッコウの卵である。

こちらは、ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』で描かれた史上屈指の魅力的な主人公、

小柄で、肥り肉で、猫背で、分厚い眼鏡をかけた、風采の上がらない老練のスパイマスター、ジョージ・スマイリーの原像ではないかと言われている。

ジョン・ル・カレ――。

このスパイ小説の巨匠自体が、本職はイギリス外務省に在籍する外交官にして、実のところはイギリス秘密情報部員だったのだが、

(ちなみに、ル・カレ、フレミング以外にも、グレアム・グリーン、サマセット・モーム、フレデリック・フォーサイスなど、イギリス秘密情報部が擁する人材は絢爛にして豪華なのである。)

ジョン・ル・カレことデービッド・コーンウェルの父ロニーは、自分自身をも完璧に騙し、すべてを実現してしまうという、類い稀な天分を持つ生まれながらの詐欺師だった。

というわけでこれは、元NHKワシントン支局長で現在は外交ジャーナリスト・作家、というよりはインテリジェンス専門家という位置付けの著者が、

「二重スパイ」のキム・フィルビーや、「銀座を愛したスパイ」リヒャルト・ゾルゲなど、古今東西の伝説的スパイマスターの謀略から、

「パナマ文書」のモサック・フォンセカ、「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジ、「世紀の内部告発」エドワード・スノーデンといったサイバー世界の内幕までを、

次から次へと惜しむことなく曝け出してみせながら、愛すべき畸人たちに恭しく捧げられた恋文のような本なのである。

<詐欺師の父親の存在をイギリスの情報当局は知っていたのだろうか。>

インテリジェンス・ワールドでは、偽りと欺きと裏切りを日常として生きなければならない。そうした宿命を背負う者が、詐欺師の父親のもとで育っていれば、桁外れの人間的魅力にさらに磨きがかかり、そのうえ忍耐強さも備わっているはずだ。そんなスパイはエージェントの心を鷲掴みにし、思いもかけぬ戦果をあげるかもしれない。
それゆえ、リクルーターは、詐欺師の息子も悪くないと考えたのだろう。


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『掏(スリ)摸』

(中村文則 河出文庫)

長屋や低いアパートが並ぶ汚れた路地から、見上げると、その塔はいつもぼんやりと見えた。霧に覆われ、輪郭が曖昧な、古い白昼夢のような塔だった。どこかの外国のもののように、厳粛で、先端が見えないほど高く、どのように歩いても決して辿り着けないと思えるほど、その塔は遠く、美しかった。

<小さい頃、いつも遠くに、塔があった。>

成長を要求する身体が求めるままに、他人のものを手にすることに罪悪を感じることのないような、そんな万引き暮らしを強いられる中で、

あらゆるものに背を向けるように育ってきた(らしい?)僕は、ある日小学校の学級委員が見せびらかしていた時計を盗み、皆が見ている前で床に落とした。

それは、自分の犯罪的行為が、塔を除けば初めて、周囲にさらされた瞬間だったのだが、

よってたかって皆に「泥棒だ」と囃したてられ、床に押さえつけられるという恥辱の中で、僕が感じていたのは、「解放」という染み入るような快感だった。

その時、教室の窓から塔が見えたが、今こそ何かを言うだろうと思った塔は、肯定も、否定もすることなく、美しく遠くに立つだけだった。

<光が目に入って仕方ないなら、それとは反対へ降りていけばいい。>

「あの塔が見えなくなるまで、何かを盗もう」と決意した僕は、やがて東京を仕事場とする天才スリ師となり、僕の行為がある一線を超えた時・・・、

<いつの間にか、あの塔は消えた。>

「大江健三郎賞」受賞作品。

実は、本当の物語はここから始まるわけで、詳しくは読んでいただければいいのだが、簡単に言うと・・・

仲間が関わっていた「闇仕事」を手伝わされたばかりに、目をつけられてしまった相手が「最悪の男」木崎で、

再会した時、天才スリ師でなければ不可能な「3つの小さい仕事」(これがなかなかに秀逸な設定)を依頼されるのだが、

「失敗すれば――お前が死ぬ」し、「断れば――最近仲良くしている子供と母親を殺す」と、まことに古典的に脅されてしまうことになるのである。

「他人の人生を、机の上で規定していく。他人の上にそうやって君臨することは、神に似てると思わんか。もし神がいるとしたら、この世界を最も味わっているのは神だ。」

結局、不可能と思われたミッションを完遂した僕は、それにもかかわらず、雑居ビルと雑居ビルの間の、人が二人通れるほどの狭い隙間で、木崎に腹を刺されてしまう。

「お前は、運命を信じるか?お前の運命は、俺が握っていたのか、それとも、俺に握られることが、お前の運命だったのか。だが、そもそも、それは同じことだと思わんか?」

その時、隙間の外の、さらに向こうの霞む領域に、塔が見えるのだが・・・

<高く遠く、それはただ立ち続けていた。>

こちらから塔が見えるからといって、塔からこちらが見えているわけではない。でも、<神>ってむしろそんなものではないのか、と思った次第である。

手が無意識に金を求めるなら、それはスリに適していた。血に染まったコインがぶつかれば、その人間は、こちらを見ることになる。あの男はスリを甘く見たのだ・・・(中略)人影が見えた時、僕は傷みを感じながら、コインを投げた。地に染まったコインは日の光を隠し、あらゆる誤差を望むように、空中で黒く光った。(完)

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『何もかも憂鬱な夜に』

(中村文則 集英社文庫)

あの時、あの人は、僕の頭をつかんでそう言った。まだ小さかった僕の頭は、あの人の大きな手によって、簡単に押さえつけられていた。僕の死を止めたのは、あの人の、その腕の力だった。僕は、施設のベランダから、飛び降りようとしていた。

「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」

乳児院に捨てられ、施設で育ったせいで、小学校の高学年になってもクラスに馴染めなかった僕に、あの人は学校へ行けとは言わなかった。

クラシックやロックのレコードを聞かせ、自分が選んだ映画や本のリストをつくって、図書館へ借りに行かせた。

「お前は、まだ何も知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるのかを。俺が言うものは、全部見ろ」

中学卒業の日、「孤児でよかった、あなたに会えたから」という恩師への僕の言葉に、涙を流した施設長は、

高校を卒業してしばらくぶりに会い、「刑務官になる」と言った僕の報告に、まるで少しでも僕に触れていたいかのように、何度も肩を叩いた。

その夜をやり過ごしたら、また続いていけるのだろうか。眠れなくて、つらい夜。そういう人達が集まり、焚き火を囲み、同じ場所にいればいい。(中略)話したい人は話し、聞きたい人は聞き、話したくも聞きたくもない人は、黙ってそこにいればいい。焚き火は、いつまでも燃えるだろう。何もかも、憂鬱な夜でも。

中学からの仲で、高校に入ってから何もかも話すようになった真下から、僕の高校の寮に宛てて、

その青い大学ノートが郵便物として届けられたのは、川に身を投げた彼の溺死体が発見された直後だった。

僕に対する怨恨のようにも、自棄に似た感覚のようにも思えたこのノートを、真下が僕に送り届けた理由は判断できなかったが、

真下が行方不明になったと知らせを受けたとき、なぜだか僕は彼が川にいるものだと思い込み、川まで走ったのだった。

「遠くに、月があった。・・・あんだけ遠いところに、月がある。それなのに俺はこんな風に、毛布の中で、ここで死ぬ・・・。恐かった。生まれて初めてだ。月は、俺に関心がない。なのに俺はここで、もうすぐ絶対に、一人で小さく死ぬ。宇宙があるのに、完全に一人で、暗いところで」

育ってきた境遇が似ているからという理由で、刑務官として担当させられることになった20歳の山井は、新婚の夫婦を刺殺した罪で捕えられたのだが、

死刑が確定してしまう期限を1週間後に控えながら、控訴しようともせず、その理由については頑なに口を閉ざし続けていた。

小さい頃の僕が、どうにかなりそうになる度に、何度も手を差し伸べ、「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ」と教えてくれた施設長への憧憬。

「だめになってしまいたい。美や倫理や、健全さから遠く離れて」という、その恐怖の思いに気付いてやれなかった真下への悔悟。

「殺したお前に全部責任はあるけど、そのお前の命には、責任はないと思っているから」

と、自らの思いに真摯に向き合う中から、紡ぎだされてきた僕の言葉は、やがて山井の凝り固まった気持ちを解きほぐし、

『目覚めよと呼ぶ声』(@バッハ)を、山井の脳裏にも響かせることになる。

何もかも憂鬱な夜でも・・・
<お前は、生きていてもいいんだ> と。

「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか?全て、今のお前のためだけにあった、と考えていい」

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『蜜蜂と遠雷』

(恩田陸 幻冬舎)

なんだ、この恐怖は?
その恐怖は、少年が最初の音を発した瞬間、一瞬にして頂点に達した。三枝子は文字通り、髪の毛が逆立つのを感じたのだ。その恐怖を、隣の二人の教授と他のスタッフ、つまりこのホールにいるすべての人が共有していることが分かった。それまでどんよりと弛緩していた空気が、その音を境として劇的に覚醒したのだ。


<違う。音が。全く違う。>

近年、ここで優勝した若者がその後著名コンクールで優勝することが続き、とみに注目を集めるようになった、

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールの、書類選考落選者を対象にしたオーディションが開催されていたパリ会場に、

遅刻してやってきたその少年は、ステージ衣装ではないまったくの普段着で、そのへんに溢れているような16歳のガキんちょだった。

日本の小学校を出てから渡仏したこと以外、学歴、コンクール歴など何もない真っ白な履歴書に、添えられていた1通の推薦状。

<皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々への。だが、勘違いしてはいけない。試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんなのだ。>

それは、世界中からの尊崇を集めながら、晩年は弟子を取ろうともせず最近亡くなった、伝説的音楽家ユウジ・フォン=ホフマンからのものだった。

風間塵――養蜂家の父の手伝いで各地を渡り歩く生活のため、正式な音楽教育を受けていないばかりか、自宅にはピアノすらない、にもかかわらず5歳からホフマンに師事。

「僕がいなくなったら、ちゃんと爆発するはずさ」と、生前にホフマンが知り合いに言葉を残したという、それは「世にも美しい爆弾」だったのだ。

本年度「直木賞」受賞作品。

栄伝亜夜――内外のジュニアコンクールを制覇し、CDデビューも果たしながら、庇護者だった母が13歳のときに急死したことで、表舞台から姿を消して7年が経ってしまった元・天才少女。

高島明石――生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのかという疑問から、妻子ある勤め人の身でありながら、音楽家としてのキャリアの最後を賭けて応募した、28歳の最高齢出場者。

マサル・カルロス・レヴィ・アナトール――5歳から7歳まで日本で暮らしたペルーの日系三世で、フランスで神童としての頭角を現し、現在はアメリカの名門ジュリアード音楽院に所属する優勝候補の大本命。

と、毛並みも経歴もまったく異なる4人のコンテスタントたちの、ここに至るまでに費やしてきた楽曲との格闘の日々を背景にしながら、

第一次から第三次までの予選と最終本選までの二週間に渡り、丹念に選曲されたに違いない一曲、一曲が、圧倒的な筆致で美しく奏でられていくことになる。

<世界はこんなにも音楽に満ちている――>

圧倒され飲み込まれそうになるピアノの、塊となって迫ってくる音楽の中から、頭の中に鳴り響く風間塵の声に触発されるかのように、

「これからも音楽家としてやっていける」という確信を得た明石。
「見失ってしまっていたあたしの音楽」を取り戻した亜夜。
「自分の作った曲を演奏して発表したい」という野望に火をつけられたマサル。

その時、私たちは気付くことになる。
『ギフト』とは何であったのかということに・・・

審査員の誰もが、この素晴らしいしめくくりに満足感を覚えていることだろう。充実したコンテスタントたちに巡りあえて、自分たちは幸運だと思っているはずだ。ふと、ホフマンの仕掛けた「爆弾」とは何だったのだろう、という疑問が湧いた。
そう、ずっと考えていたはずだ――あたしたちは、ホフマンの放った矢は、どこを目指していたのだろうと。


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