暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『戦争倫理学』

(加藤尚武 ちくま新書)

どんな問題にも、一見すると、まことしやかな、かっこいい、まやかしの議論がある。現代の日本では、特に戦争について、そういうまやかしの議論が横行している。

<たとえ正当防衛の場合でも軍事力の行使はしない。ゆえに軍事力の行使を正当化する場合はありえない>

という基準を採用するか、否かというのが、戦争についての倫理基準の、もっとも基本的な問いになる。

「外国から軍事攻撃を受けたら、自己防衛の行動を採るか」という質問に、「軍事攻撃を受けないように、つねに配慮しておくべきである」と答えてみたところで、

「外国から軍事攻撃を受けないようにすることは、つねに可能か」という質問に答えなくてはならないはめになるだけなのだから、

「戦争は絶対的な悪といってもいい。戦争は絶対にしない」という行動基準は、戦争が自己決定可能なものでなければ機能せず、

「よその国から戦争を仕掛けられたらどうするか」という行動基準が抜け落ちてしまうと、現実に仕掛けられたときの対応ができなくなってしまうからだ。

「戦争目的規制」と「戦闘経過規制」

(目的について完全に自由であるとする学説は存在するが、戦闘経過について掠奪も強姦も虐殺も認められるという学説は存在しない。)

ロールズの「原爆投下」批判

(極限的な危機の場合、非戦闘員の殺傷は正当化されるが、ヒロシマはそれに該当しない。米国は投下せずとも勝っていた。)

「連続テロ」に対する報復戦争は正当か

(国際法上の「戦争」の定義から、この連続テロは犯罪であって戦争ではないため、報復戦争の正当性は成立しない。)

「集団的自衛権」は自己矛盾か

(「強盗に襲われたらお巡りさんが来るまでのあいだ、ご近所の人にも助けてもらって対処しなさい」というのは、「お巡りさんが駆けつけるまでの間の自衛権」という考え方である。)

といった感じの、理路整然とはいえ、いささかいじくらしい議論(まあ哲学だからしょうがないといえばしょうがないが)に終始するこの本は、

世界が狂気に陥ったかのようなこの時代に、自分こそが正気であると言えるために、

<戦争について意見をもち、討論をし、合意を作り出す上で、どうしても知っておく必要のある基本的な論点(argument)を、しっかり集約して示しておきたい>

という、戦争抑止への道を探る<羅針盤>となることを目指した、誠に意欲的な企みなのである。

もしも人類が永久に戦争や拷問や組織的なレイプや誘拐などの非人間的な行為を国家の名において正当化して行うことを続けるのであるならば、それが人間の避けることのできないあり方であるならば、人類が消滅した後の地球を思い浮かべることだけが救いになる。永久平和の追求は、人類が地球の上に生きることを許されるための存在理由である。

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『スポットライト 世紀のスクープ』―カトリック教会の大罪―

(ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム 竹書房)

「1990年代の中葉以降、30年間にわたり、大ボストン都市圏6ヶ所の教区から130名以上の人々が、ゲーガン元司祭に体を触られたり、レイプされたとする恐ろしい子ども時代の体験を訴え出た。ほぼ毎回、ゲーガンの被害者は小・中学生にあたる年頃の少年たちだった。ひとりは、わずか4つだった」

2002年1月。ボストン・グローブ紙の特集記事欄<スポットライト>チームが取材した記事の1本目は、こう書き出されていた。

やがてこのグローブ紙の報道は、翌年にかけて600件にも及ぶ聖職者の性的虐待事件を、次々と暴き出していくことになるのだが、

禁欲を求められるカトリックの聖職者なのであれば、ある意味これは当然の事態で、

むしろ妻帯まで許してしまった日本の仏教(浄土真宗以外)のほうが堕落しているのではないのか、という暇人の無責任な物言いは言い過ぎであったとしても、

問題は、性的虐待そのもの、だけではなかった。

やっかいな<その答え>は、2002年初頭に連載記事として掲載され、カトリック教会の権威を問う、極めて重大な挑戦の引き金となった。

<何名ものボストン教区の司祭が未成年にみだらな行為をはたらき、ほとんど多くの場合、司教たちは虐待行為を知っていた>

<スポットライト>チームが調べ上げた情報は、教会の高位の当局者たちが、何十年もの間、この虐待問題を隠蔽し続けてきたことを示していた。

教会は、被害者の子どもたちを守るどころか、時には脅迫による口封じまでして、虐待司祭たちの福利を優先させてきたのである。

慕い寄ってきた多くの子どもを虐待し続けた司祭
想像さえしなかった信頼を裏切られ人生を引き裂かれた被害者
そんな司祭たちをかばうため組織ぐるみで隠蔽し虐待の継続を許した司教
信仰との相克に苦しみながらついに怒りの声を上げ始めた信徒たち

この痛ましい物語は、アカデミー賞の作品賞と脚本賞を受賞した映画『スポットライト 世紀のスクープ』の原作本ではあるが、

映画のほうが、この<世紀のスクープ>に挑んだ記者たちの、信仰が相手であるだけに乗り越えねばならない抵抗は並大抵のものではなかったはずの、

取材活動の足跡(実は映画は見ていないのでこれはあくまで噂による想像だが)に焦点を当てたものであったとすれば、

こちらのほうは、その取材により得られた成果を、様々な証言に基づき丹念に跡付けたものであるだけに、

性的虐待という事実の痛々しさと、カトリック教会という組織の腐敗の根深さが、より痛切に突き刺さってくるのである。

この唾棄すべき話にヒーローがいたとすれば、それは他ならぬ被害者たちだ、何年も人知れず孤独に苦しんだのちに、罪を糾弾する声を見いだし、勇気を奮い起こし、スポットライトの下に立ち、こう言った。
「これが私の身に起きたことであり、それは悪だった」――と。


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『無私の日本人』

(磯田道史 文春文庫) 

ここにあるのは、いまは無名となって、泉下に苔むした三人の生涯である。わたくしが、いまどうしても記しておきたい三人のことを書いた。この国のありようをみるにつけ、千の理屈をいうよりも、先人の生きざまをそのまま辿ったほうがよい、と感じることが多くなっていた。

過酷な賦役により疲弊していくばかりだった、仙台・伊達藩の宿場町・吉岡宿で、

このままではつぶれてしまう町を、何とか救わねばと立ち上がった、酒屋<穀田屋十三郎>と同志たちの悪戦苦闘の物語。

我が身の破滅と一家離散は覚悟の上で、死に物狂いで掻き集めた一千両を、財政難の藩に逆に貸付け、毎年の利息を取って貧しい町民を救ってしまおうという、

それは、まさに前代未聞、奇想天外の作戦だった。

(羽生結弦が殿様役で話題となった、映画『殿、利息でござる』の原作とはいえ、これはれっきとした実話なのである。)

その学才を見抜いた荻生徂徠の門下生として、日本随一の詩文家と讃えられながらも、学者として身を立てることを潔しとしなかった。

一生を極貧の中で過ごした、陽明学の儒者<中根東里>が清貧の後半生を送った下野のちいさな村里では、

「先生はほんとうに立派な方でした」と、ひとびとの生きざまにうったえかけた彼の思想が、250年もの時を超えて、今も息づいているかのようだった。

高貴な血筋ながら不義のため、下級武士の養女となった、歌人<太田垣蓮月>は、

子供のころから、男なら誰もが振り返らずにはおられないほどの絶世の美女だった。

そんな彼女はやがて、二人の夫と四人の子供に先立たれ、自らの美貌に苦しめられる道を歩んだ末に、剃髪して出家することになる。

蓮の葉のふたを付けた急須に、自作の和歌を釘掘りした蓮月流の焼き物を売って暮らす、清らかすぎるほど清らかな暮らし。

「願はくは のちの蓮の花の上に、曇らぬ月をみるよしもがな」
それが彼女の数奇な運命を締め括る辞世の句であった。

<地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国>

無名のふつうの江戸人に、そんな哲学がちゃんと宿っていて、それがこの国に数々の奇跡をおこした、という事実を改めて発見できたことに、

ベストセラーとなった『武士の家計簿』以来、世に埋もれた日本人の足跡を辿り続けてきたこの著者は、心から誇りを覚えるという。

「ひとつ、わしのしたことを人前で語ってはならぬ。わが家が善行を施したなどと、ゆめゆめ思うな。何事も驕らず、高ぶらず、地道に暮らせ」

死に臨んで、十三郎が子孫に遺した家訓を守り、地道で正直な商売を続けたせいか、ほかの店は絶えても、穀田屋だけは平成まで生き延びているのである。

競争の厳しさと引き換えに「経済成長」をやりたい人々の生き方を否定するつもりはない。彼らにもその権利はある。しかし、わたしには、どこかしら、それに入ってはいけない思いがある。(中略)
この国にとってこわいのは、隣より貧しくなることではない。ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっているこのきちんとした確信が失われることである。


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『ルポ 塾歴社会』

―日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体―
(おおたとしまさ 幻冬舎新書)

東大合格率ナンバーワンの筑波大学附属駒場の中学受験合格者数に占める「サピックス小学部」出身者の割合は、2015年で7割を超えている。また大学受験の最難関である東大理掘憤絣愽堯砲旅膤兵圓里Δ腺恭箘幣紊「鉄緑会」出身者で占められている。たった2つの塾が、この国の「頭脳」を育てていると言っても過言ではない。

<「学歴社会」ならぬ「塾歴社会」である。>

このことが一体何を物語っているのか、この国の教育はどうなっていくのか、それをいっしょに考えていきたい。

という、これは育児・教育ジャーナリストによる名門進学塾躍進に秘められた真実の徹底解剖レポートなのだが・・・、

(中学受験を終えた直後の)春期講習の初日だけで、サピックスの同じ校舎の友達10人と出くわしたという。ほとんどが「α」と呼ばれる最上位クラスの生徒たちで、それぞれ最難関校に合格していた。

などという、どうやら首都圏の学力上位層にとってはもはや常識であるらしいエピソードが、次から次へと披露されて、

はるか昔に地方都市の(一応)超エリート校に通いながら、塾不要論を根拠もなく信奉してきた親父の常識を覆しにかかってくるのである。

つまり、「サピックス」という同じ中学受験塾の最上位クラスでしのぎを削った卒業生たちが、思い思いの中高一貫校に見事合格しながら、

それからたった6〜7週間後、再び「鉄緑会」という同じ塾で出会い、今度は「東大」という同じ目標に向かって共に学び始めるということなのだが、

「サピックスから鉄緑会へ」と、まるで懸け橋が渡されているかのようであるのは、決して偶然ではないらしい。

鉄緑会には指定校(現在13校)制度があり、それ以外の学校の生徒は入会テストにパスしなければ入塾できないため、

必然的に、サピックスの中でも最上位クラスに在籍し最難関校に合格したような生徒ばかりが、選ばれて通うことになるということなのだ。

しかし、もし本当にそうだとするならば、鉄緑会は初めから東大に受かりそうな生徒を選んで入塾させているわけなのだから、

鉄緑会に入塾させてもらえるほどの実力があるのなら、なにも時間とお金を浪費して鉄緑会なんかに通わなくったって、

せっかく苦労して合格した名門受験校の、定評ある授業をまじめに受けてさえいれば、東大ぐらい合格できるのではないのか?

逆に言えば、鉄緑会に入塾できたにもかかわらず東大に合格できなかったとしたら、それは鉄緑会に通ったことが悪かったのではないのだろうか?

なんて、いささか無責任な感想にも、大学・高校の先生や、元塾講師、元塾生、それぞれの立場から、それなりに取材されているところが、このルポの手柄なのである。

そのような塾が過度に社会に対する影響力を持っているのだとしたら、それは塾のせいではなく、世の中全体が「回り道」を良しとしない効率至上主義に染まってしまっているためではないか。今私たちの社会に、「回り道」「無駄」「不純物」「遊び」など円環的作用をもたらすものの価値を認める知性・教養・文化が欠けている証拠と言えるのではないだろうか。
そのことこそ、「塾歴社会」が投げかける根本的な「問い」であると私は思う。


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『怖いクラシック』

(中川右介 NHK出版新書)

クラシック音楽には、「暗い、長い、難しい」というイメージがあり、敬遠する人が多い。そこで、どうにかして多くの人に聴いてもらいたい――つまり「売りたい」という業界の事情から、とかく「親しみやすい」とか「癒し系」といった部分ばかりが強調される。(中略)そういう曲ばかりを紹介し、クラシックを楽しみましょうと呼びかけるのも悪いとは言わない。しかし・・・

<クラシック音楽のメインストリームは、この世のダークサイドを感じさせる「怖い音楽」なのだ。>

楽しく笑って観るものだったはずのオペラに、誰も期待していなかった「怖い音楽」を持ち込み、シリアスで心地よくないものへと変革してしまった、

モーツァルトのオペラ 《ドン・ジョヴァンニ》

貴族の社交や暇つぶしとしてサロンで演奏されていた軽佻浮薄な音楽が、市民階級が有料で鑑賞しに行く演奏会での重厚長大な藝術へと変貌していく過渡期に生まれた、

ベートーヴェンの交響曲 《第六番「田園」》

激しい失恋から生じた、自らの内面にある狂気を、ひとつのオリジナルな物語として、音楽に昇華させることで、本当に発狂してしまうことから逃れた、

ベルリオーズの標題音楽 《幻想交響曲》

本来は葬列のための「機会音楽」だった葬送行進曲を、「死への旅」、さらには「死」そのものを感じさせる音楽へと劇的に転換、飛躍させた、

ショパンのピアノ・ソナタ 《第二番「葬送」》

死者を追悼するミサという厳粛な宗教儀式の場で演奏されるレクイエムを、宗教音楽の仮面を被ったオペラ的ファンタジーへと、「神」を興行化してしまった、

ヴェルディのレクイエム 《怒りの日》

などなど、

どちらかといえばキワモノっぽい曲を集めた、「異色の音楽ガイド」「異端の名曲ガイド」をイメージして、

音楽家たちが「恐怖」とどう取り組んできたかという、「怖い」をキーワードとした音楽略史を書こうとして企画されたというこの本が、

結果として、異端でも異色でもなく、きわめてオーソドックスな音楽史になってしまったことこそが、

<クラシック音楽の王道は「怖い音楽」だった>

ことの証明になるだろうというのだった。

モーツァルト以降――つまり「近代」以降の西洋音楽史に刻まれている大音楽家たちはみな「怖い音楽」と格闘してきたのだと再確認できた。その取り組み方も時代によって異なってきたことも分かった。具体的な恐怖の音楽から抽象的な恐怖の音楽へ。景色の音楽から心理の音楽へ。象徴・隠喩としての音楽の誕生――美術や文学と同じようにして、音楽も変化していったのだ。そんな、大きな歴史の流れを味わっていただければ、ありがたい。

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『策謀と欲望』

(PDジェイムス ハヤカワ・ミステリ)

大きく豊かな唇、傲慢な視線、風に流れるラファエル前派風のカールした黒髪の後方には、岬が丹念に描き込まれていた。ヴィクトリア朝時代の司祭館、修道院廃墟、崩れかけたトーチカ、ねじ曲がった樹木、玩具のような白い小さな風車小屋、夕焼けを背景にくっきりと無気味に浮き上がる原子力発電所の輪郭。

そんな魅力的な風景を支配するかのように、明らかに<悪意>を込めて描かれているのは、栄転して原子力発電所を去ることになった所長の元愛人で、後釜を狙っていると噂されるヒラリーだった。

(原子力発電所というものは、必然的に魅力的な風景を背景に立地して、それを破壊してしまう運命にある、という寓意が込められているようでもある。)

最近妻を亡くした画家のブレイニ―が、4人の子供たちと住んでいたコティジを投資目的で買取り、立退きを要求してきたヒラリーに、憎しみを込めて描いたようなのである。

たった一人残った血縁者の叔母が亡くなり、この岬にある風車小屋を改造した家屋を遺産として受け継いだ、スコットランド・ヤード警視長のダルグリッシュは、

遺品整理も兼ねた二週間の休暇旅行として訪れていたノーフォーク北東海岸ラークソーケンで、そんなヒラリーの絞殺死体の第一発見者となってしまう。

上唇の下に少量の毛が押し込まれて、歯が見えているので、兎が怒って歯をむいているような顔になっていた。・・・額の中央にはLの文字。丁寧に刻みつけたのだろう、二本の線が直角にきっちり合わさっている。

それが、ノーフォークの連続絞殺魔“ホイッスラー”の<いつもの殺り方>なのであり、周囲の忠告を無視して習慣としている夜の水泳に出掛けたヒラリーは、6番目の犠牲者になったのだ。

と思われたのだが・・・ホイッスラーはその数時間前に、自らが絞殺魔であることの証拠を残して、ホテルで自殺を遂げていた。

現代本格ミステリの頂点に立つ著者による、“ダルグリッシュ警視”シリーズものの最高傑作。

(なのだそうだが、暇人はこの作品が初めてで、その字面からどうしてもダルビッシュが思い浮かんでしまって、いささか感情移入に苦労した。 閑話休題)

<誰が彼女を殺したのか?>

警察未公表のホイッスラーの<手口>を知る人間は限られ、彼らの誰もがヒラリーへの恨みを抱え、なぜか不可解なアリバイ工作を施していた。

「人間は自分の心の策謀と欲望から自由になれるものでしょうか。自分が一番聞きたいと思っていることを良心が囁くということはありませんか」

栄転の足手まといになるとヒラリーを切り捨てようとしている所長のアレックス。

自殺した同僚との同性愛の現場をヒラリーに見られてしまった上司のレシンガム。

公聴会でのヒラリーに対する暴言を名誉棄損で訴えられ窮地に陥った反原発活動家のパスコー。

などなど、様々な人物がそれぞれの思惑を胸に蠢く中で、捜査の行方は一向に捗らぬまま、思わぬ結末を迎えることになるのだが・・・

「これは犯行時にホイッスラーが死んだことを知らなかったが、犯行後まもなく知った人間の仕業だと思うんですよ」

「独創的ですね、ダルグリッシュさん」という、現地の捜査担当官リカーズの負け惜しみのような揶揄もむなしく、

それは<独創的>なのではなく、あくまで<論理的>なダルグリッシュだからこそ辿りつけた、ついに明かされることのない真実のようなのだった。

現実はここに、陽光に包まれたひとときの時間にある。・・・ここでは過去と現実が溶け合い、ちっぽけな策謀と欲望だらけの彼女の人生など、岬の長い歴史の中では取るに足らぬ一瞬に思えてくる。

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『時計の針はなぜ右回りなのか』―時計と時間の謎解き読本―

(織田一朗 草思社)

調髪してもらっているときには、立派に時計の機能をはたしているものの、終わって振り返ったとたんに、その時計は役に立たなくなってしまう。答えは、左回りにまわる掛時計だ。鏡に映ったときに正しい時間を表示するよう、文字盤が鏡像になっていて、針もふつうの時計とは逆向きにまわる。

<気のきいた床屋さんには、床屋専用の時計がある>

というわけでこの本は、長年時計会社の広報室に籍を置いている関係で、ある雑誌社から原稿を依頼され、

「会社に勤めながら"ときどき時を研究する者"」との意味で「時々研究家」を名乗ったら、誤字と判断されて「時の研究家」になってしまった、という著者が、

時と時計に関する<少々の知識>を披瀝して見せてくれた、目から鱗の薀蓄話満載の「アルアル本」なのである。

(初版1994年であるため、技術進歩の著しいデジタル・情報処理関連の記事に関しては、残念ながら物凄く時代遅れなのだが・・・)

<腕時計はなぜ左腕にするのか>

百数十点の精緻な部品で構成される精密機械であるため、衝撃の加わる可能性が比較的多い利き腕の右腕を避けて左腕にはめることを前提に設計されているのだ。

<文字盤はなぜ0から始まらないのか>

時計が考案された(紀元前3000〜4000年)のが、人類がゼロを発見する(8〜9世紀)よりも先だったからといわれている。

<ハト時計のハトはなぜカッコウではいけないのか>

昭和の初期にヨーロッパから入ってきたときにはカッコウだったにもかかわらず、ハトに替えられてしまったのは、「カッコウが悪かった」から・・・というのは、もちろん冗談である。

<カタログの時計はなぜ10時8分を指しているのか>

・長・短針の両方が上向きで表情がキリリとしまって美しく見える。
・時計のブランド名が12時の下にあり、それを隠さない。
・時・分・秒針の形がわかり、ニ針か三針かが確認できる。

など、いくつか理由があるのだが、セイコーは「10時8分42秒」、シチズンは「10時9分35秒」と各社にそれぞれの決め事があるのだそうだ。

ちなみに、デジタル時計ではなるべく多くの数字を見せるということから、セイコーでは「7月6日、月曜日、10時8分59秒」が採用されたとのことである。

う〜む、知らなんだ。

さて、では肝心の<時計の針はなぜ右回りなのか>

なんとそれは、紀元前3000〜4000年のエジプトで用いられていた、人類のつくったなかで最も古い時計の歴史に由来していたのである。

北半球にある地域では、地面に棒を立てて影の動きを追って行くと右回り、つまり時計回りに動いていく。日時計によってアナログ時計の文字盤の文字の配列のしかたが固まったために、その後に現れた時計に「時計回り」が受け継がれた。

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『家族幻想』―「ひきこもり」から問う―

(杉山春 ちくま新書)

ひきこもりは「自傷行為」だと多くの経験者が言う。そうすることでかろうじて生き延びることができる。その人なりの逃げ道だ。

<ひきこもる>人たちが、「今のままの<私>では,家の外に出て行けない」と感じてしまうのは、

時代の常識など、それぞれの家庭が引き継いできた<価値観>が、その人を縛る内面化された価値観となって、追い詰められてしまうからだ。

さらに、<いじめ>などの体験を重ねれば、自分を変形させなければ、このままでは共同体には受け入れられないと実感して育つことになるのだ。

だから、彼ら(彼女ら)は自分自身の本音を隠す。

いや、本音を隠していることにすら気がつかないまま、マイナスな自分を人に見せようとはしないのだ、というのだった。

「尊敬する親父のように、自分はなれない。親の期待に添えないことが辛い。」

と自分自身を責め続けながら、22歳から42歳までアニメの世界に逃げ込んでしまった男性がいる。

「学校に行けないのは自分の弱さのせいだと思っていました。」

引っ越しを機に受けるようになった激しいいじめにより、学校に行けなくなった男性の強迫神経症は、家の中にいると余計に悪化した。

「親には我が子の扶養義務がある。90歳になろうと、100歳になろうと。子どもに生活力がなくて、親にあれば、支援をするのは責任だと思ってきました。」

と子育ての失敗を悔やむ78歳の父親の息子は、高校卒業直前に不登校となったまま、30年間ひきこもっている。

「自分に課す規範から自由になれないことがある。その規範が与えられるのは、多くの場合家庭=イエである。」

世間を震撼させた「幼児虐待」事件に取材した『ネグレクト』によって、小学館ノンフィクション大賞を受賞したルポライターが、

その後15年以上に渉って、「社会のなかで生きにくさを抱える人たち」から、丹念に話を聞くなかで気付かされることになったのは、

家族規範が強く、「家族」の役割がとても大きな日本において、我が子に家の規範を伝えることは、親の「権利」であると思い込まされているのではないかということだった。

しかし、次世代に前の世代が与えるべきものは、まず「この社会は自分自身のための場所だ」という確信でなければならないはずだとすれば、

むしろ、親は子どもの他者となり、伴走者となるべきなのではあるまいか、というのである。

我が子に他者性を持つことこそが、現代の新しい「規範」なのではあるまいか?

自分の大切な価値観を我が子に伝えたいと思うこと、あるいは、そのことによって我が子を守りたいと思うことは、「愛情」と呼ばれる。
だが、それは本当に「愛情」なのだろうか。ひきこもりに苦しむ人たちをみていると、そんな問いが立ち上がってくる。


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『蘇我氏の古代』

(吉村武彦 岩波新書)

645年(皇極4)6月12日の「乙巳の変」(クーデター)において、蘇我馬子の孫にあたる蘇我入鹿が暗殺され、翌日にはその父、つまり馬子の長子である蝦夷も自尽した。ここに馬子―蝦夷―入鹿と続いた蘇我氏本宗(一族の嫡流の家系)は、滅亡した。

いわゆる「大化改新」である。

中大兄皇子(後の天智天皇)を中心に実行されたこの国内改革で生まれた新しい統治体制の中で、「排除すべき存在」とされてしまったことが、

8世紀に完成した『日本書紀』以来、現代までに続く「蘇我氏逆賊説」の由来と言うべきものなのだろう。

しかし、「改新で蘇我氏の一族すべてが滅亡した」わけではなく、入鹿の従兄弟にあたる蘇我倉山田石川麻呂は中大兄側に与し、

その後の政治情勢の激動の中で、結局は「蘇我」の名前を忌避して、氏名を改姓した「石川」氏として、政権の群臣として活躍していくことになるのだし、

そもそも、その行動を否定的に記述している部分が多い『日本書紀』においても、

欽明朝における蘇我稲目(馬子の父)の仏教支援や、敏達・推古朝における馬子の仏像製作・僧尼恭敬など、仏教興隆に対する蘇我本宗家の貢献は、しっかり評価されているのである。

「氏」が誕生したのは6世紀初めであるが、最初に成立したのはヤマト王権における「職掌」を氏の名とする、「名負いの氏」と呼ばれる伴造氏族であり、「連」のカバネを与えられた。

「伴」(労働力をもって王権に仕え奉る人)の集団を管理する「大伴氏」と、「物」(軍事・警察や刑罰、および神事)を貢納する「物部氏」が、その代表格ということになる。

一方、特定の地域に政治的基盤をもっていて、その地名を名のった氏族が、「臣」のカバネを与えられた蘇我・巨勢・葛城・平群などの氏族であった。

崇峻天皇暗殺という政治的事件の後、蘇我氏主導の下で選出されたのは、先の敏達天皇の皇后で、馬子の姪にあたる額田部皇女であった。

ヤマト王権初めての女帝、推古天皇の即位には、天皇の外祖父になろうとした蘇我稲目の深謀遠慮があり、これを契機に群臣のトップにのし上がった馬子の暗躍があったのだが、

そんな蘇我氏が大化改新以前は大きな政治的影響力を及ぼして活躍しながら、壬申の乱以降は見せ場を失い、今度は鎌足―不比等と続く藤原氏が活躍することになるのは、

地名を名のる氏として、制度的にではなく実質的に、外戚の立場を利用して政治力を行使してきた蘇我氏が、その専横を皇族・貴族らの反乱によって咎められたのに対し、

神祇祭祀を掌る名負いの氏であった中臣氏が、功績によって賜姓された藤原氏を名のることで、純粋な官僚氏族として振る舞うことが可能になったからではないかという。

仏教を含む文化に対し進取的な態度をとった開明的な氏族であろうとも、古い守旧的な殻を打ち破ることはできなかった。

蘇我氏には、律令制支配という貴族の再生産を確実に実現する仕組みを、構想することができなかったということなのである。

というわけでこれは、古代ヤマト王権の頃から藤原氏が台頭する奈良時代までの歴史を、蘇我氏という氏族の興亡という切り口から追ってみることで、

日本の国のかたちを整えていく上で、看過することのできない、<氏の名がものをいった時代>の様相を活写して見せた意欲作なのだった。

蘇我氏は、壬申の乱以降、蘇我氏の名で活躍することはなかった。しかし、蘇我氏の足取りを振り返ったとき、日本の古代社会が、律令制国家の成立によって「東夷の小帝国」を完成させる直前まで、蝦夷や入鹿の横暴さにもかかわらず、日本列島の文明化に果たした役割は大きいものがあった。とりわけ渡来系移住民との強いつながりと進取の気勢、それが仏教受容への姿勢に強くあらわれたと思われる。

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『カラスの教科書』

(松原始 講談社文庫)

Q カラスと目を合わせると襲われそうで怖いです!
A 大丈夫です、向こうもそう思ってますから。


電線に止まっているカラスを、えいっと思い切って見上げてみれば、

「何?何?なんかすんの?」と明らかにオドオドするはずだという。

カラスの方が人間を恐れているのだ。(ただし、繁殖期に雛をジロジロ見ていると、親が本気で怒ることがあるので要注意!)

ゴミ漁りに没頭しているカラスが、「すっげーずうずうしくてムカつく」のは、人間が近づいてもお構いなしで平然としているように見えるからだが、

それは、なんだか怖くて人間の方が避けているらしい動きを見て、

「あ、こいつは避けて通るのか、じゃあ逃げるまでもないな」と、頭のいいカラスが見切って判断しているだけなのである。

というわけで、この本は、

「何の研究をされているんですか」と聞かれて、「専門はカラスです」と答えると、「カラスって、あのカラス?」と大概の人から聞き返されるくらい、

どうやらわざわざ見るほどのものではなく、まして研究者などいるわけがないと思われている節があるカラスを、

Q 家の近所のカラスが肩に乗ってきます。
A うらやましい限りです。代わって下さい。


あれほど面白くてカワイイ鳥はいないし、こんな興味深い鳥を見ないのは人生の楽しみを半分くらい損しているからと、

断言する動物行動学者が書いた、<カラスの取り扱い説明書>なのでれば、

「カラスの苦情多いんだよな!ちょっと参考資料でも見るか」という<情報本>として手にとったとしても、一応の役には立つだろうし、

「あー、そういうのあるある」「へー、こんなのあるんだ!」と、<教科書>的に興味を充たしながら、楽しく読むこともできるのだろうけれど、

「カラスに萌えるカラス馬鹿一代」を自称する著者のことであれば、本当の狙いはどうやら別のところにあるようなのだ。

これは、なんならそのまま深みにはまって頂いても一向に構わないという、<カラスの教化書>なのである。

「カラスってなんか怖い」「カラスなんか嫌いだ!」という方。お嫌いであれば仕方がないが、時には食わず嫌いという事もあるかもしれない。ちょっとお試しになって、カラスも実はカワイイかも?と思って頂ければ、カラス好きとしてはこれほど嬉しいことはない。

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