暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『死刑絶対肯定論』―無期懲役囚の主張―

(美達大和 新潮新書)

人の命を奪い、遺族に多大な苦しみを与えたのに、反省しない受刑者がわずか十数年で何事もなかったように社会へ戻るのを見続けていると、「何という不条理なのか」と暗鬱な気分になります。正義の女神の手にする秤は、常に被害者の命が軽く傾きっ放しのように思えてなりません。

<殺人事件に対する量刑はあまりにも軽すぎる>

反省のない受刑者の傍らで自分の醜行について省察するうちに、そう考えるようになった。

というのだから、これは実体験に基づくリアルな証言として、膝を正して傾聴せねばならないように思ってしまう。

著者は計画的に2件の殺人を犯して服役した後、『人を殺すとはどういうことか』という話題作を獄中で著してから、すでに20年。

悪質な受刑者のみを収容する「LB級刑務所」で、自ら仮釈放の機会を放棄して服役し続けている、筋金入りの「無期懲役囚」なのである。

例えば、人を殺すことは悪か?と訊けば99%の者が悪である、と答えるでしょう。しかし、自身が他者を殺めた事実については、事情が変わります。殺すことは悪である、だが、自分の犯行には理由があり、加えて被害者に非があると平然と言う者が半数以上です。

<殺人犯達の多くは、倫理観・道徳というものは持っていません。>

刑務所内の工場や居室では、受刑者同士が自らの犯行の暴力性を誇示するかのように、被害者の悲惨な状況を楽しげに語り、周りも遊びの話でも聞いているかのような雰囲気である。

新法の施行により受刑者の待遇は大幅に改善(自由時間、娯楽、食事など)され、刑務所は「悪党の楽園」と化した感があるが、

自身の罪を反省し、被害者・遺族等の関係者への謝罪、そして将来の更生に有益な処罰を科するのが、本来の主旨なのであれば、

笑い声が響く楽しいだけの刑務所は、受刑者の将来にとってもむしろプラスにならないということを、人権派と称する人々も理解すべきだというのだった。

にもかかわらず、死刑を科さずに無期懲役刑にする場合、判で押したように被告人の将来の更生の可能性・法廷での反省が見られる等が、その判断理由となる。

LB級施設の受刑者達に、法廷で述べた反省と謝罪の気持ちなどはもうどこにもなく、稀に反省の心を持った者が来ても、周囲の空気に汚染されてしまい、

仮釈放の審査では、反省と更生について模範的な回答をし、被害者に申し訳なかったという素振りもしながら、なんの罪責感もなく社会へ戻って行くことになる。

無期囚にとっての希望とは仮釈放ですが、真剣に更生しようと期する者とそうでない者を区分できるように制度を整えるべきだと思います。仮釈放を与える者と、与えないで生涯社会から隔離するべき者とをはっきりと分けた方が、社会秩序を維持する為にも、懲罰という意味でも望ましいと思います。

まずは「自分の罪とは何か」、そして「命を奪われるとはどういうことか」、さらに「自分が遺族ならば赦せるか」などなど、

自分自身と正直に向き合い、事件の顛末を詳細に振り返り、被害者と遺族の思いについて真摯に考えさせて、それを長文のレポートにまとめさせる。

そんな<反省の度合いを徹底的に測る制度>として、<執行猶予付きの死刑>を導入せよ。

というのが、鑑定人をして「奇跡的な知能レベル」と言わしめた、現役無期懲役囚の主張なのである。

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『私以外みんな不潔』

(能町みね子 幻冬舎)

道が狭くて、バス停のまぁるい看板が車窓のすぐ横っちょに見える。そこに書かれた10と10。数字の並びはキリがよいし、直線と円が規則的に並ぶ字面も気持ちがよいし、じゅーじょーじゅっちょーめという響きも、小さいやゆよが多くてシズル感があり、口の中にちょっと唾が満ちる。じゅーじょーじゅっちょーめでございます。じゅ、じょ、じゅ。言ってみる。

<ここが私は好きです。>

そんな生まれ故郷の札幌から、父の転勤で茨城県の祖母の家に引っ越すことになったのは、幼稚園の年長の夏休み中の出来事だったのだが、

父に「覚えていないだろう」と言われるのは癪なので、懐かしいようなふりをする。すでに、それくらいの小芝居ならやってのけるような少年だった。

園自体にみんなでいっしょに同じことをしましょうという教育方針がなく、ひとりで絵を描いたり字を書いたりしていても誰も干渉してこなかった、

いい具合に放任的だった札幌の幼稚園で、友達がほしいと思うこともなく、何よりひとり遊びを好み、「おはなし」本や「漫画」を描いていた彼にとって、

「なんでお前、服ちがうの?」と、自分より頭一つ大きな男の子がいきなり背中を両手でズンと押してくるような世界は、恐ろしくて声も出ないものだった。

私は今まで、文字がたくさん書けたり、絵がうまく描けることで、正当に評価されてきた。ところがそれらはここでは何とも思われず、どうやらかけっこだのなわとびだの、私が一つもおもしろいと思えないものが得意な、くだらない人ばかりがほめそやされている。

<まったく、ここはなんて不潔で下劣な世界なんだろうか。>

そんな彼にとって一番の問題は、幼稚園の薄茶色の不潔な空気の、かなめの場所に腰を下ろしているもの・・・トイレだった。

床が水浸しで、灰色の細かいタイルが貼られていて、その窪んだ目地のいろんな部分にどす黒い水が不規則に溜まっている。

ズッとお尻の下までズボンを下ろさないと、どうしてもうまくおしっこができない、立って器用におしっこをする方法がよくわからない彼にとって、

園内をくまなく駆けまわる子供たちの目から逃れ、笑われず、さらしものにもされず、排尿を済ませてサッと帰るような芸当はとても不可能だった。

最初の日にトイレの中を見て、思わず口を閉じてしまった彼は、幼稚園では絶対におしっこやうんちをしないことを固く心に誓ったのだが・・・

『オカマだけどOLやってます。』でデビュー以来、ラジオやテレビでも活躍中の、東大卒の文筆業・自称漫画家による、これは異色の私小説なのである。

周りとはいささか変わったごく繊細な感性(ごはんは嫌い、触られるのがいや、など)を持つ少年の目を通すと、

ごくありふれたものであるはずの日常の光景は、これほどまでに粗暴で、時にグロテスクなものとさえなることに気付かされるのだが、

ついに誕生日がある3月が来て、今年はさらにうれしいことに、もう二度とこのまがまがしい、不潔な、危ない幼稚園に来なくてすむ卒園式の日。

茶番のような儀式を終えて、広い広い園庭を真っすぐに突っ切って、自転車置き場へと帰りを急ぐ彼を襲った感情は、思いもかけないものだった。

園の門が近づくにつれて喉元がどんどんカッと熱くなってきて、両手に持った「賞状」にあっという間にポタポタと涙がこぼれ落ち、そんな感覚に自分でびっくりして、またさらに涙が十粒たて続けに落ちて「賞状」が濡れてしまいました。おもらしとか、押されたりとか、そういうとってもいやなことがあったわけじゃないのに、そんなとき以上に涙が止まらないことなんて初めてで、ゆがんだ視界のせいかこれだけ大きな園庭がとても狭くなったように感じられます。私はお腹のペンダントだけは濡らしたくなくて、「賞状」をくしゃくしゃに握ってペンダントに押し当てていました。

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『終わりの感覚』

(Jバーンズ 新潮クレスト・ブックス)

人生も残り少なくなれば、誰でも少しは休めると思う。休む権利があるとさえ思う。私もそうだった。だが、そんなとき、人生に褒美が用意されていると思ったら大間違いだとわかりはじめる。

「私には面白い人生だった。」

と、そのように我が身を振り返ることを、周囲がそう思わなかったとしても驚きはしないし、あえて文句を言おうとも思わないが、

多少の成果と多少の落胆があったにもせよ、特に何事も起こらなかった平凡な人生を過ごして、今は穏やかな引退生活に満足している。

そんな初老の独身男(前妻と娘とは仲良くやっている)トニーのもとに、ある日、聞いたことのない法律事務所からの手紙が届く。

それは、40年も前に別れた学生時代の恋人ベロニカの母親が亡くなり、500ポンドの現金と2通の「文書」が遺贈されることになっている、という通知だった。

<一度会っただけのベロニカの母親から、そんな謝罪をうけるほどの理由が、あの頃の自分にあっただろうか?>

中学時代からの親友だった秀才エイドリアンは、ケンブリッジに進学し、こともあろうに別れた後のベロニカと恋仲となったことで、絶交することになったのだが、

「文書」のうちの1通はトニーから彼らにあてて送った呪詛の込められた手紙であり、もう1通はほどなくして自殺してしまったエイドリアンの日記だった。

なぜか、その「日記」を手元に置いて渡そうとしないベロニカと、40年ぶりのぎくしゃくした応答を繰り返すうち、忘れていた過去がフラッシュバックし始めることになる。

2011年度「ブッカー賞」受賞作品。

『10 1/2 章で書かれた世界の歴史』『イングランド・イングランド』など、4度目の候補としてようやく受賞にこぎつけた、

英国を代表する知的作風の作家による、これは記憶と時間をめぐるまことにスリリングな掌編なのである。

私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生でなく、単に人生についての私の物語にすぎないことが忘れられていく。それは他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。

過去の思い出というものは、しまい込んで忘れられているからこそ、時々思い出してみるだけなら、懐かしく、美しいのだ。

一旦掘り起こされて、白日の下に晒されてしまった過去の真実は、思い出すたびに苦く、切ないものとなる。

そして、それはもはや、取り返すことのできない悔恨として、胸の奥底に蟠ることになるのだった。

<累積があり、責任がある。その向こうは混沌、大いなる混沌だ。>

人生の終わりに近づくと――いや、人生そのものでなく、その人生で何かを変える可能性がほぼなくなるころに近づくと――人にはしばし立ち尽くす時間が与えられる。ほかに何か間違えたことはないか・・・。そう自らに問いかけるには十分な時間だ。

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『絶景本棚』

(本の雑誌編集部編 本の雑誌社)

登場の書斎主は趣味も専門もバラバラ。本棚の数だけ広がる世界。意外と役立つかもしれない収納ノウハウに、あの人はあの本の隣に何を並べているのか。魅惑の背表紙読書もお楽しみください。

というこの本は、本の雑誌の書斎訪問連載『本棚が見たい!』の書籍化第一弾なのである。

8坪の狭小地に地下1階、地上2階建ての、めくるめくような螺旋状の書庫を建ててしまった、社会経済学者の松原隆一郎や、

約5万冊の蔵書を、背表紙を壁紙代わりに美しさと機能性にこだわって収容しているという、小説家の京極夏彦の本棚、

なんていうのは、フルカラーの写真を眺めているだけで、その絶景に息を呑むことにもなるし、

国土地理院の地図を1万枚、それ以外の地図を2千枚程度所有するという、地図研究家の今尾恵介や、

版が違うのはもちろん、同じ版なのに色が違っていたり、用紙によって厚さが違うからと『言海』だけで260冊以上あるという、辞書研究家の境田稔信など、

いくら専門であるからとはいえ、そのこだわり方は尋常ではなく、蒐集品がズラッと並ぶ本棚の光景はまことに壮観なのである。

版型別に収納できるよう設計された本棚の、文庫用のスペースに講談社文芸、岩波、中公、ちくまの各文庫が整然と並ぶ、大学職員の根岸哲也の本棚。

まず巨大な本棚を作り、単行本も文庫も作家別50音順に並べて使い勝手最高というのは、作家の新井素子の本棚。

どの部屋も膨大な量のソフトに埋もれていて、隙間から覗き込むくらいしか確認する術がない魔窟と化した、アンソロジストの日下三蔵の書庫。

本の並べ方、整理の仕方も各人各様で、眺めているだけで楽しいのだけれど、

種々雑多なジャンルの本が、脈絡もなく並べられているかのような、HONZ代表の成毛眞の本棚が一番しっくりきたのは、

多分それが、暇人の本棚の普段見慣れた風景に、何となく似ているように感じたからではないかと思う。

自分の本棚を他人に見られるということは、何となく裸にされてしまうようで恥ずかしいのではないかと思うのだけれど、

本というものは背表紙を見ているだけで、読んだような気持ちになれるものなのだから、

他人の本棚の背表紙を眺めるという行為は、実際に本を読むこと以上に、想像を掻き立ててくれることになるのだろう。

<人の魂、本棚に宿る。>

スタイリッシュ、すっきり整然、床積み、魔窟に野放し系etc.。趣味も専門もバラバラな34人の最強の本棚模様。堂々の背表紙も魅惑たっぷり、フルカラーで迫ります。

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『死に山』―世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相―

(Dアイカー 河出書房新社)

遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれべつべつの場所で、氷点下の季節だというのにろくに服も着ていなかった。・・・ほぼ全員が靴を履いていなかった。・・・9人のうち6人の死因は低体温症だったが、残る3人は頭蓋骨折などの重い外傷によって死亡していた。・・・女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。・・・一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出されたという。

1959年初めの冬、ウラル工科大学の学生と卒業してまもないOBのグループが、ウラル山脈北部のオトルテン山登頂を目指して遭難した。

3週間近くたって送り込まれた捜索隊が、回収した遺体の検死後に発表した最終報告書に書かれた死因は、「未知の不可抗力」というものだった。

目撃者もなく、広範な調査が続けられたものの決め手はなく、科学技術の進歩にもかかわらず、半世紀以上たった今でも、このあいまいな死因は書き換えられていない。

一方では、雪崩、吹雪、殺人、放射線被曝、脱獄囚の襲撃、衝撃波または爆発、放射性廃棄物、UFO、宇宙人、狂暴な熊、異常な冬の竜巻、などなど。

はては、冷戦下のソ連のことゆえ最高機密のミサイルの発射実験を目撃したせいで暗殺された、なんて突拍子のないものまで、

さまざまな憶測が飛び交い、いまだにインターネットを席捲、人びとを翻弄し続けてもきた。

あの夜、なにかが起こってメンバーは全員、夜を過ごそうとして設営したキャンプを飛び出し、厳寒の暗闇に逃げていった、のだとしたら・・・

<彼らはいったい何を体験したのだろうか?>

9人の若者が不可解な状況で命を落とし、なにがあったのか知らされることもなく、その家族の多くもすでに世を去った、この胸の痛む事実に対し、

まだ生き残っている人々も、やはり同じ答えのない疑問を抱いて墓に入らせてはならないという、それは鎮魂にも似た感情に導かれてのものだったのかもしれない。

これは、たまたまこの事件に出会い、次第にのめりこんでいく中で、グループの唯一の生存者がまだ存命であることを知った、アメリカ人ドキュメンタリー映画作家が、

グループメンバー自身が残した日誌と写真、捜索に関わった人々へのインタビューなど、多年にわたる事件資料の丹念な調査に基づき、

そして無謀にも自ら身をもって挙行した冬山登頂から再構成してみせた、世界的未解決遭難怪死事件の、衝撃の全貌と真相の記録なのである。

だれかがココアの粉末を水に溶かしたが、火がなくて冷たいままだった。ジーナとドロシェンコがストーブを組み立てられなかったのは、外でなにかが起こりつつあって、不安が募ってきていたからかもしれない。テントの下のスキー板はすでに振動しはじめていたが、やがてテント自体も揺れはじめた。

ここから先の、<多分こうだったんではないか>劇場(@チコちゃん)の息詰まるような一幕は、どうぞご自分でお確かめいただくとして、最後に一言だけ。

トレッキング隊のリーダーの名をとって「ディアトロフ峠事件」と呼ばれるようになった、この事件の現場はホラチャフリ山の東斜面。

それは皮肉にも、この地に昔から住むマンシ族の言葉で「死の山」を意味する名前だった。

たしかにディアトロフ事件は謎めいているが、この事件に惹きつけられたのは、たんに真相を知りたいという欲求のためだけではない。ディアトロフ・グループのメンバーは、大学で勉強するかたわら、ろくに地図もない地域を探検して過ごしていた。インターネットもGPSもない時代にだ。かれらの生きた環境―冷戦真っ盛りのソビエト連邦という―は私自身が生まれ育った環境とはあまりにもかけ離れてはいるが、かれらの探検の旅には一種の純粋さがあり、そこに共感を覚えた。

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『全国マン・チン分布考』

(松本修 インターナショナル新書)

男根語である「オチンチン」「チンポコ」「チンポ」などならば、テレビでも、ネットでも、ときにかわいらしく、愛らしくさえある言葉として、日常的に口に出すことができるというのに・・・。

<女陰語は、今、なぜ大っぴらに口に出せないのだろうか?>

ベストセラー『全国アホ・バカ分布考』を世に出した、人気テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』に寄せられた一通の投書。

「私のおまん、どこにいったか知りませんか?」

と東京の職場へお土産に持参したお饅頭の行き場を尋ねて大騒ぎとなってしまった、24歳(1995年当時)の京都の独身女性からの依頼に応えて、

<女陰語は、日本で、どのように分布しているのか。その分布は、どのようにして成立したのか?>を追いかけた大調査の、

これは23年後の報告書なのである。(分布図自体は依頼前の1992年に出来上がっていたのだが、放送禁止用語であるため、お蔵入りしていたらしい。)

マンジュー、ヘヘ、ボボ、マンコ、チャンベ、メメ、オメコ、オソソと、日本地図の上に遠隔地から順に同心円上に並べられた「女陰語」の分布図は、

「アホ・バカ分布」と同様に、みごとに方言の「多重周圏構造」を描いていた。

方言の多くは地方で独自に生じたものではなく、文化の中心地だった京の都で流行りすたりした言葉が、明治維新まで1000年以上をかけて、じわじわと地方に広がったものなので、

京都より東にある方言は、原則として西にもあって、はるか昔の京の都の遺風を受け継ぐ、古い言葉ほど時間をかけて遠くまで旅をするのだという。

京都ではうら若き乙女が平気で口にする「おまん」(お饅頭)は、関東だけでなく四国・土佐でも周囲の人を赤面させる禁忌語となるのである。

さて、ではなぜ「オマンコ」と呼ばれるようになったのか?

女陰が「マンジュー」と呼ばれたのは、鎌倉・室町頃に渡来した饅頭の、蒸しあげた丸くて白く柔らかそうな外観が、女児のそれに似ていたからではないかという。

しかし、あどけない幼児のための言葉だった「マンジュー」が、やがて大人の陰部にも使われるようになったため、(「毛饅頭」なんてのもあるらしい。)

都の婦女子はさらに愛らしさと上品さを加えるべく、御所で使われていた「オマン」に、指小辞「コ」を付けて「オマンコ」という言葉を生み出したのだ。

では、我が石川県の「チャンペ」は?(なんか物凄く恥ずかしい・・・)

室町時代、輸入品であり庶民には手の届かない高級品だった「茶壷」は、その形が似ているところから女陰を意味する言葉として通用していた。

「茶の湯」という文化の華が完成した徳川初期の京では、「お茶」そのものが女陰の意味に用いられるようになる。

そして、「茶」をさらに愛らしいものとして「擬人化」するため「兵衛」を付けて、「茶兵衛」という愛称を付けたというのである。

「真理っぺ」「百合っぺ」のように、そこには娘を慈しむ両親の情愛が込められているような気がする・・・って、ホンマかいな!

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『政権奪取論』―強い野党の作り方―

(橋下徹 朝日新書)

インテリ層は理想を語ればいいだけなので、自分の理想に合っているかどうかで判断する。しかし現実の政治行政は、理想を直ちに実行できるものではない。現状に変更を加えようとすると、官僚組織、政治家、利害関係者、そしてメディアを中心とした世間の反対の声を乗り切っていかなければならない。多くの政治家はそれを乗り切るために途方もない精神力、体力、政治力を求められ、最後は屈服し、現状維持に甘んじる道を選びがちだ。

<しかし安倍政権は現状変更にチャレンジしてきた。>

森友・加計問題での身内への甘さと調査能力の欠如、
公文書の改ざんに伴う民主政治への信頼の深刻な失墜、
陸自問題があらわにしたシビリアンコントロールの危機などなど、

数々の不始末を露呈しながら、「他の内閣より良さそう」という理由だけで、安倍内閣が安定した支持率を維持できていることの理由が、もしもそこにあるのだとすれば、

<日本の政治には、今こそ、与党に緊張感を与える野党が必要だ。>

自民党に対抗できる強い野党を作るためには、自民党とは異なる太く新しい方向性とビジョンをもって、日本が進むべき新しい道を示さねばならないことは言うまでもないが、

<方向性やビジョンを打ち出すだけでは強い野党は作れない。>

今の野党は、いい政策さえ作れば国民の支持は集まると勘違いしているようだが、政権与党の失政を政権交代の「風」につなげるためには、

・有権者のニーズを的確に科学的にすくいあげる組織的能力
・きちんと意思決定できる組織マネジメント
・地方で実績を示した上での基礎票の獲得

といった「したたかな戦術」が必要だ、というのが大阪での8年間の実績を踏まえた、元「大阪維新の会」代表からのアドヴァイスなのである。

<あえて言う、政策より組織だ>

強い野党を作るには、政策理念が一致しているかどうかよりも、「決定できる組織」かどうか、その技術や力量があるかどうかの方が大事である。

<「次は私のことについて」変えてくれるという期待感>

大事なのは政党としての「意気込み、挑戦、実行力」を見せることなのであり、多種多様な有権者の「見えない票」は現在ではなく将来の利益を見ている。

「今の野党が全部まとまったときに醸成される日本の新しい道では、自民党と真に対抗できるだけの無党派層の支持を得られないと思う。」

という違和感を拭いきれないらしい著者は、自民党の「融通無碍さ」と「それでもまとまる力」を、ぜひ見習ってほしいとさえ苦言する。

つまりこれは、本気の『政権奪取論』なのである。

野党としては、政権与党に緊張をもたらすためのもう一つの「器」であることが大事なのであって、器の中身つまり政策・理念・思想などは、各政党が一生懸命、国民の多様なニーズをすくい上げて詰めていくものだと思う。つまり政党で死命を決するほど重要なのは組織だ。はじめから政策・理念などを完全に整理する必要はない。

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『消された信仰』―「最後のかくれキリシタン」長崎・生月島の人々―

(広野真嗣 小学館)

徳川幕府の禁教令下で、250年以上にわたって弾圧を逃れながら密かに信仰を守ってきた特異な歴史を考えれば、スポットライトがあてられて当然の存在に思える。しかしながら、日本政府や長崎県の当局はその存在をほぼ無視している。

<あるいは意図的に“消そうとしている”のではないか――。>

2018年5月3日、日本の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を、国内では22番目の登録遺産とすることが、ユネスコから勧告された。

しかし、日本政府が自ら出した推薦をいったん取り下げて、構成資産を見直し3年後に改めて再推薦するという、不可解な過程の末に、

<今なお大切に守られています>から、<現在ではほぼ消滅している>ことにされてしまった、一つの<信仰>があった。

服装は毛皮ではないものの、正装というよりは着流し風に腰に帯を締めているから「毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯を締め」という(新約聖書の)表現と、ワイルドさでは通底するものがある。ただ、拭えない違和感もあって、どうしても、ツッコミを入れたくなる。なにしろ、ヨハネの頭髪が「ちょんまげ」なのだ。

東シナ海に浮かぶ最果ての島、「生月島(いきつきしま)」。

そこは、「かくれキリシタン信仰」の祈りが現在も静かに守られているという、組織的な信仰がかろうじて残る最後のエリアなのである。

この<ちょんまげ姿の洗礼者ヨハネ>を隠れて拝む人々というのは、いったいどんな場所で、どんな気持ちで、どうやって祈るのだろう。

こうした聖画を残すのは、長崎でもこの生月という辺境の島だけの信仰の特徴だと知った著者は、平戸島から橋でつながる生月島へと向かうことになった。

第24回「小学館ノンフィクション大賞」受賞作。

徹底的な幕府の禁教政策によって、純粋なキリスト教信仰を保持することはできず、在来の伝統的諸宗教との習合が不可避であった、江戸期の「潜伏キリシタン」に対し、

明治以降の「隠れキリシタン」の信仰の姿は、土着化の過程で本来のキリスト教から大きく変容し、日本の伝統的諸信心と渾然一体となった民俗宗教を形成している。

それは、もはやキリスト教とは全く別物の何かになっており、「隠れていないし、キリシタンでもない」のだから「カクレキリシタン」と表記すべきだという主張すらあるのだ。

「オラショ」(ラテン語の祈祷 oratio に由来)と呼ばれる独特の<祈り>は、250年以上にわたって口伝で暗唱されてきた。

「御前様」という信仰の対象は、教会を設けることができなかったため、持ち回りで信徒の自宅に保管され、観音扉の棚の中にしまい込まれている。

「でうすぱーてろひーりょうすべりとさんとのみつのびりそうなひとつのすったんしょーのおんちからをもって、始め奉る、あんめいぞー」

時折、額、胸、両肩を立てた右手の親指でさし、十字を切りながら、こうした祈りが45分近くも続くのである。

「今日の<かくれ切支丹>はかくれ切支丹ではなく、その抜け殻であり、一般の人々には古い農具を見る以上の興味もない」(『かくれ切支丹』遠藤周作)

確かに、「祈りのかたち」は世界遺産にはならない。しかし、この辺縁の島の人々の“伝えようとする意思”こそ、宗教が痩せていく現代に、見出されるべき価値ではないのか。

それがこの著者が、綿密な取材を通して胸に刻み込むことになった、大いなる<問い>だった。

生真面目な神父ほど、担任する教会が世界遺産候補になることを、異口同音に敬遠したという話を何度か耳にした。大浦天主堂のようになります、と。天主堂の拝観料は600円(2018年4月から1000円に値上げ)、もはやここは「祈りの場」ではなかった。(中略)世界遺産というブランドに目がくらんでいるうちに、静謐な祈りの場を“キリスト教でない何ものか”に変容させているのは、そっちの方ではないのか――。

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『日本史のツボ』

(本郷和人 文春新書)

「万世一系」という言葉の通り、日本という国が自分の歴史を認識するようになってから、天皇は途絶えることなく存在してきました。その一方、天皇の在り方、その位置づけは時代によって大きく変わってきます。その変化はなぜ、いかにして起きたのかを論じることで、日本の歴史の流れがみえてくる。

白村江の敗戦によってアイデンティティ・クライシスに陥ったヤマト王権が、率先して外来文化を採り入れ、咀嚼し、

積極的に「日本」独自の「国のかたち」を示して諸豪族を束ねていこうとした、天智、天武、持統の時代が「天皇」という呼称の始まりだった。

唐が著しく国力を衰退させ「外圧」が消失すると、天皇は勇ましい地域の「王」から、宮中に籠り現状追認を志向する雅な「王」へと変質する。

やがて、鎌倉から室町へと続く武家政権の時代に、政治的実権を武家に奪われることになった天皇の存在が、それでも必要とされたのは、

土地の権利をめぐる論理としての「職の体系」以上のものが構築できておらず、天皇家を滅ぼしてしまったら、幕府の信用さえ丸潰れになってしまうからだった。

そこまで存在を縮小された天皇が、なぜ明治維新に際して、いきなり「王」としての役割を担わされることになったのか?

<その答えは、「庶民の期待」だと思います。>

昭和の敗戦など、日本が「外圧」による危機に晒されたとき、新しい「ヴィジョン」を掲げる。それが日本の歴史における天皇の役割だというのである。

というわけでこの本は、

日本の歴史を時代ごとに細切れにするのではなく、ひとつのテーマを軸に、古代から近世、頑張って近代まで、通しで考えることで、見通すことができるのではないか。

と考えた、『戦いの日本史』などの著作で、いまや引っ張りだこの東大史料編纂所教授による意欲作なのである。

選んだテーマは、天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、そして経済の合計7つ。

「むかし」との比較を通じて「いま」の位相を明らかにしてくれるのも、歴史学なのだから、

わたしたちが当たり前だと思って疑問を抱かずにいる「いま」の位相を改めて示すことで、それを改善するためのヒントを生み出すこともできるだろう。

歴史はどういうベクトルで動いているのか。その方向性や指向性を模索する。

これは「点」ではなく「流れ」をつかむために、押さえるべき「ツボ」の指南書なのである。

この7つのテーマは互いに深く関連し合っています。たとえば天皇という存在がなぜ鎌倉から江戸まで650年を超える武家政権の下で続いてきたのかを考えると、土地制度のあり方にいきあたります。また日本史を軍事で捉えようとすると、当然、各地域ごとの地理や発展を見なくてはなりません。したがって、重要なポイントとなる事件や人物が、テーマごとに異なる視点、異なる切り口で登場します。それによって、歴史の奥行き、単なる年表上の出来事ではなく、立体的な存在感を感じてもらえたら――。そんなことを考えています。

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『ゲンロン0 観光客の哲学』

(東浩紀 ゲンロン)

ぼくは、村人、旅人、観光客という三分法を提案している。人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体にのみ属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる「観光客」的なありかたが大切だという主張である。

<観光客から始まる新しい(他者の)哲学を構想する。>

イギリスがEUからの離脱を決定し、アメリカで「アメリカ第一」を掲げるトランプが大統領になり、世界中でテロが相次ぎ、日本ではヘイトスピーチが吹き荒れる。

2017年のいま、人々は世界中で「他者とつきあうのは疲れた」と叫び始めている。

「他者を大事にしろ」というリベラリズムの単純な命法に、もはや誰も耳を貸そうとしなくなってしまったのだ。

21世紀の世界においては、国家と市民社会、政治と経済、思考と欲望は、ナショナリズムとグローバリズムという異質なふたつの原理に導かれている。

いまも国民国家(ネーション)は生き残っており、政治はいまだにネーションを単位に動いているが、経済はネーションを単位とせず、世界中から貨幣を集めている。

つまり21世紀の世界には、人間が人間として生きるナショナリズムの層と、人間が動物としてしか生きることのできないグローバリズムの層があり、

そのふたつの層がたがいに独立したまま重なって、統合されることなく、それぞれ異なった<二層構造>の世界秩序を作り上げたというのである。

では、グローバリズムの層とナショナリズムの層をつなぐ(ヘーゲル的な成熟とは)別の回路はないのか?

市民が市民社会にとどまったまま、個人が個人の欲望に忠実なまま、そのままで公共と普遍につながるもうひとつの回路はないか?

観光客の哲学なるものは、その可能性を探る企てなのだと、この気鋭の批評家は宣言している。

<観光客>とは何か?

観光客は、訪問先をふわふわと移動し、世界のすがたを偶然のまなざしで捉える。

ウィンドウショッピングをする消費者のように、たまたま出会ったものに惹かれ、たまたま出会った人と交流をもつ。

だからときに、訪問先の住人が見せたくないものを発見することにもなる。

観光客とは、帝国の体制と国民国家の体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在の名称なのである。

ネグリとハートが『<帝国>』において提唱した、マルチチュードという概念は、連帯しないことによる連帯を夢見るしかないという意味で、否定神学的なマルチチュードだった。

それに対し、たえず連帯しそこなうことで事後的に生成し、結果的にそこに連帯が存在するかのように見えてしまう、そんな錯覚の集積がつくる連帯を考えること。

というわけでこの本は、『存在論的、郵便的』、『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』『一般意志2.0』など、

20年近くにわたって、先鋭的な批評のスタイルを貫き続けてきた著者が、いままでの仕事をたがいに接続するように構成することで辿り着いた、

<観光客>とは、つまり郵便的マルチチュードの連帯のすがたなのだ、という提言なのである。

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暇人肥満児

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