暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『ミドルセックス』

(Jユージェニデス 早川書房)

わたしは二度生まれた。最初は、1960年1月、デトロイトでは稀なスモッグの晴れた日に、ゼロ歳の女児として。そして、次は、1974年8月に、ミシガン州ペトスキー近くの救急処置室で、十代の少年として。

1922年、トルコの山中の小集落に暮らしていたギリシャ人、デズデモーナとレフティーは、トルコとギリシャの戦争で壊滅状態となった村を棄て、

先に渡米していた従姉妹のスーメリナを頼って、デトロイトへと向かった貨物船の上で、長い間心に秘めてきたお互いへの思いを果たす。

純然たる姉弟だった二人は、夫婦として新しい世界に飛び込んで行ったのだった。

レフティーが開業した食堂を受け継ぎ、ハンバーガー・チェーンに育て上げた息子のミルトンは、スーメリナの娘テッシーと結婚し、

長男のチャプターイレヴンに続いて生まれた女の子が「わたし」、カリオペ・ステファニデスなのだ。

<5―α―還元酵素欠乏症>

巨大な女性器のようにしか見えない男性器を天から授けられることになった<偽半陰陽>の典型的症例ゆえに、

同級生には、いつまでも<女>にならないと嘲笑され、
医者や専門家には、モルモット扱いでいじくりまわされ、
正体を知らない赤毛の女の子とその兄がわたしに恋した。

男であるという烙印を押されてからも、自分の女の部分をそのままにして、覗き窓付きのプールに入って下半身を晒し、神話の存在に成り上がりもした。

成人してからは、カル・ステファニデスという米国国務省の職員となって、今は41歳の大人の男性として、

<両性具有者>として送ることを余儀なくされた、数奇なる半生を独り語りした物語である・・・

だけならば、確かにそれでも十分面白かったには違いないが、この作品が「ピュリッツアー賞」を受賞するほどの評価を受けることはなかったに違いない。

わたし(カリオペ)の語りは、自らが誕生する瞬間どころか、実は祖父母であるデズデモーナとレフティー姉弟のトルコ時代の青春譜にまでさかのぼり、

まるで自分の目と耳で見聞きしたことでもあるかのように、鮮やかに描かれている。

そう、これはステファニデスというギリシャ系一族が、先祖伝来の正業である養蚕のように紡ぎだして見せた、

「遺伝子」のオデッセイとでもいうべきものだったのだ。

「あんた、今は男の子なんだね、カリオペ?」「まあね」
祖母はそれを受けいれた。「わたしの母さんがね、よくおかしなことをいってたよ」祖母はいった。
「村では、昔、ときどきあったっていうんだよ。女の子みたいに見えてた赤ん坊がね、それがそのあと――15、6になると――男の子みたいになるんだと!母さんからそんな話を聞かされたけど、わたしはまるで信じなかったよ」


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『スクールセクハラ』

―なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか―
(池谷孝司 幻冬舎)

もともと学校現場で教師が教え子にセクハラやわいせつ行為をすることなど、教育行政の中ではあまり想定されていなかった。少なくとも表向きは。なぜなら、「あってはならないこと」だからだ。あってはならないことは「ないこと」にしておいた方が都合がいい。わいせつ教師の処分者数の公表が、以前は『教育委員会月報』という関係者向けの冊子にこっそり載せるだけで済まされていたことでも、それは分かる。

わいせつ行為で懲戒免職になった公立小中高校の教師(文部科学省の調べ)は、1990年度にはわずか3人だった。

それが、過去最悪となった2012年度には、なんと40倍の119人に達しており、その被害者の半数は教え子が占めているという。

急に教師の質が落ちたわけではない。これまで見過ごされてきたのが、世間の批判を浴びるようになり、厳しく処分されるようになっただけなのだ。

「学校でそんなことが許されていいはずがない」

この本は、そんな強烈な怒りに突き動かされて、ようやく勇気を振り絞って声を上げ始めた生徒たちだけでなく、わいせつ行為に及んだ当の<問題教師>にまで取材に及んだことで、

まさに被害者・加害者双方の立場から、「スクールセクハラ」の実態に迫ってみせた、衝撃のルポルタージュなのである。

たとえば・・・

「先生を信用してすべてを任せてないから、できないんや」「信用してます。すべてを任せてます」
「じゃ、服脱げるか」「・・・脱げます」
「分かった。もうええ。その気持ちですべてを任せて、先生についてこい」

中学の剣道部を全国大会常連に押し上げる名物顧問・原口は、目を付けた女子部員を個室に呼びつけ、鍵を掛けた上で「儀式」と呼ばれた奇妙な問答を繰り返した。

初めはセーラー服の胸元のホックをはずした時点で伸びてきた手も、止めるタイミングがどんどん遅くなり、ついには下着姿になった。

「気持ちはよく分かった。死ぬ気で頑張ろう。」と下着姿の生徒を抱きしめ、涙を流す原口に、生徒も感動して一緒に泣いた。

「自分を被害者だと認めたくないからか、『先生は心を裸にさせるために脱がせたいだけだ。わいせつなことは何もない』と正当化する考えに変わりました」

と当時の心理を裁判で証言した生徒に対し、「俺を陥れようとしているやつがいる」と、ほかの部員たちに口止め工作までしていた原口は、

「生徒が『原口の取り合い』のような状態になった。自分をアピールし、『死ねます』『服でも脱げます』とエスカレートする生徒まで出た」と主張した。

<子どもたちを育てようと教師になったはずの人たちが、なぜ子どもをつぶすようなことをするのか。>

<学校はどうして隠蔽に走ってしまうのか。>

「スクールセクハラ」という密室は、私たちが想像している以上に深い闇に包まれているようなのである。

私には、事件が個人的資質だけで起きているのでなく、学校教育の体質にその原因があるように思えてならない。問題の根っこにあるのは、自分は高みにいて子どもを引き上げるのが役目、という伝統的な教師像ではないか。もっと言えば、子どもの個性を伸ばすことや、学ぶ権利を第一に考えるのでなく、教師が描く理想の型にはめようとする構図に問題があるのではないだろうか。

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『ブロンド美女の作り方』―空想を実現する最先端テクノロジー―

(Sネルソン Rホリンガム バジリコ)

あなたは理想の恋人を探している。条件ははっきりしているのに、どうやって探せばいいかわからない。でも、だいじょうぶ。そんなときこそ科学の出番だ。完璧なブロンド美女を、自分の手で作ってしまえばいい。ブロンドが好みでなければ、黒髪でも赤毛でもお好きなのを。21世紀の最新テクノロジーを自由に使うことができるなら、クローン技術があなたに幸福をもたらしてくれるかもしれない。もっともその前に、ちょっとした注意書きを読む必要があるが。

<必要な材料と道具は次のとおり>

・ヒトの「卵細胞」 1個
・理想の相手の「細胞」 1個
・クローン胚の代理母になってくれる女性
・各種サイズの試験管、高性能顕微鏡、ピペット
・電気刺激装置
・マイクロマニピュレーター
・実験室

受け皿役の「卵細胞」は、出所がはっきりしていて、品質保持期限を過ぎていないものである必要があるが、提供する女性の身体に大きなストレスをかけるため、ボランティアにお願いするしかない。

大切な遺伝情報が入っている「細胞」は、DNAが完全に揃っていることが必須条件で、できれば理想の相手に直接お願いして本人の許可をもらい、綿棒で口内をこすって採取すればよい。

と、いたって本気の真剣モードではあるのだが、

セクシー女優のパメラ・アンダーソンといった有名人の場合、サインの求めには応じても、口の中を綿棒でぬぐわせてはくれないだろうし、その前に彼女がほんとうにブロンドかどうかを確認しておかねばならない。

と、どこまでが冗談かわからないような、軽妙洒脱な語り口も満載なのである。

というわけでこの本は、実生活でもパートナーという2人のサイエンス・ライターが、「こんなことがあるといいな」という8つの願望、

ブロンド美女の作り方
家政婦ロボットの作り方
「転送装置」の作り方
お腹の脂肪を落とす方法
タイムマシンの作り方
サイボーグに変身する方法
ブラックホールの作り方
永遠に生きる方法

を題材にして、科学の最先端をわかりやすく、読みやすく解説した、著者いわく「ベストセラーねらい」の本だったはずなのだが、

ついに人工知能AIが、当面不可能と言われていた「囲碁の世界チャンピオン」を打ち負かしてしまったように、技術の進歩は予想をはるかに凌駕して、

私たちは願望実現後の「注意事項」のほうを心配せねばならない時代に突入してしまったようなのである。

これであなたは、完璧なブロンド美女のクローンを手に入れることができる。ブロンドでなくても、黒髪でも、赤毛でもお好きなように。ただしそのクローン美女は、オリジナルとは気質も性格も異なる。そもそもあなたに好意を持つかどうかもわからない。あともうひとつ、覚悟しておくことがある。クローンがおとなに成長するには20年前後かかるから、そのときあなたとの年齢差が相当開いているはずだ。・・・それでもヒトクローンを作りたいだろうか?それはあなたしだいだ。

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『自分では気づかない、ココロの盲点 完全版』

―本当の自分を知る練習問題80―
(池谷裕二 講談社ブルーバックス)

目の前に異性の写真が2枚あります。「どちらが好みのタイプですか。好きなほうの写真をさしあげますよ」。あなたは、好みのほうを指しました。
実は相手は手品師で、こっそりと、あなたが選んだほうとは逆の、つまり好みでないほうの写真を手渡します。
さて、あなたは手元にきた写真を眺めて、「好みでなかった異性の写真が手渡された」ことに気づくでしょうか。


なんと8割以上の人が写真の入れ替わりに気づかないのだが、「選択盲(Choice Blindness)」と呼ばれるこの実験の奥深さは、実はこの先にある。

「なぜその人がタイプなのか?」と訊ねられると、「丸顔で優しそうだから」などと、そこに写った人の特徴を挙げて「好きな理由」まで答えてしまう。

つまり、脳は理由をでっちあげてしまったのだが、本人はそれを心底から「本当の理由」であると勘違いしているのである。

<認知バイアス>

とは、思考や判断のクセのことであり、長年の経験を通じて「そう解釈しても現実的にほぼ不都合がない」ことを学習してきた脳が、

日常的に頻繁に出くわすシーンに際して、素早く不要な選択肢を排除して、効率よく作動しようと最適化を進めた結果、副次的に生まれたバグのようなものなのだという。

ほとんどの場面で、私たちの「勘」は有益で、反射的に浮んだ「直感」を信じても、まず問題はないのだが、

たまたま、想定外の条件が揃うと、私たちの「直感」は珍妙な解答を導くこともある、ということのようなのである。

大切な試合の直前に足を痛めてしまったスポーツ選手が、「怪我をしたことを隠して試合に臨む」ほうが多いのは、言い逃れの自己演出である。

「セルフ・ハンディキャッピング(Self-handicapping)」

車の運転手の69%が自分を「平均より運転がうまい」と評価している、というのは「平均値」の定義にそぐわないのだが・・・

「平均以上効果(Better-Than-Average Effect)」

などなど、というわけでこの本は、

今や売れっ子の気鋭の脳研究者が、どんな人にも必ずある「脳のクセ」を、80項目に渡ってドリル風に解説してくれた、

究極の「余計なお世話」のような代物なのだ。(世の中には、知らないほうが幸せだったということが、ないわけでもないのである。)

脳を知れば知るほど、自分に対しても他人に対しても優しくなります。そして、人間って案外とかわいいなと思えてくるはずです。
人間が好きになる脳の取扱い説明書。そんなふうに本書を役立ててもらえれば著者望外の喜びです。


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『百人一首の謎を解く』

(草野隆 新潮新書)

学校で確かこんな風に教わった、という人は多いだろう。
「『百人一首』は、藤原定家が、嵯峨の小倉山山荘という風雅な庵で、古今の名歌を百首、撰び抜いたものである」
しかし、本書では右のわずか二行の中に、すでに四ヶ所の問題点があると考えている。


1.定家が作ったのではない。
2.小倉山山荘という山荘は存在しない。
3.撰ばれたのは古今の名歌ではない。
4.定家が風雅な「庵」に住んでいたことはない。

そもそも『百人一首』については、いつ、誰が、何のために作ったのか、という作品としての基本的な事項でさえ、いまだに確定していない、というのである。

国文学者である著者は、様々な通説の検証から、

『百人一首』の前身は、浄土宗の高僧・蓮生(定家の息子の義父)の広壮なる別荘を飾る襖絵のために、定家が撰歌したものであり、

その障子色紙自体は散逸し、多くは朽ち果てたとしても、自らの歌も加えて全百一首あったその草稿が、冷泉家などの秘庫に収められて表舞台に出ることもなく、

昭和になってようやく発見され『百人秀歌』と呼ばれるようになったものだと想定するのだが、

であるとするならば、

僧からの依頼で撰歌したにもかかわらず、徳の高い僧の歌や、仏法を歌う釈教の歌がないのはなぜか。

建物の装飾という目的にもかかわらず、持ち主の幸福や長寿を祈る賀歌がないのはなぜか。

という<自分ツッコミ>から始まって、

・不幸な歌人の歌が多いのはなぜか
・「よみ人しらず」の歌がないのはなぜか
・その歌人の代表作が撰ばれていないのはなぜか

などなど、長年解かれぬままに放置されてきた様々な謎に取り組みながら、定家が企んだ密かな「シカケ」が鮮やかに解き明かされていくことになる。

蓮生が定家に依頼して実現しようとした嵯峨中院山荘の母屋の障子和歌は、古今の歌人たちの苦界に沈む姿を鎮魂し、顕彰しようというものだったのだ。

ところで、肝心の百人一首のほうはどうなったのか?

気になる方は、ぜひともご自分で本書に当たっていただきたい。(別に気にならない人は、もちろん読まなくったっていいからね。)

日本文学の世界は奥深く、たとえば『万葉集』でも、『源氏物語』でも、いまだに新解釈による注釈や現代語訳が提示され続けている。『百人一首』も、これだけ多数の注釈があっても、多くの謎が残っているのである。まだその背後には、深い世界が秘められていると知るべきだろう。

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『シャーロック・ホームズの思考術』

(Mコニコヴァ ハヤカワ文庫)

ベイカー街221Bへの階段。あれは何段あるか?それが『ボヘミア国王の醜聞』でホームズがワトスンにもち出した質問であり、以後一度たりとも私の頭から離れない質問なのである。ホームズとワトスンがそろいの肘掛け椅子におさまり、探偵が医師に、見ることと観察することの違いを教える。ワトスンは困惑する。そのあと、いきなり何もかもがきわめて明瞭になるのだ。

「きみの場合は、見るだけで、観察しないんだ。見るのと観察するのとでは、まるっきりちがう。たとえば、きみは、玄関からこの部屋へあがる階段は何度も見ているだろう?」

<マインドフルネス>=逸れてさまよう<注意力>を何度も繰り返し自発的に連れ戻すという、判断力、性格、意志のまさに根源となる能力。

私たちの脳は二つのシステムをベースにして動いているのだという。

反応が速く、直感的で、反射的であるため、意識的な思考や努力はそれほど必要としない、オートパイロットのような役目を果たす、<ワトスン・システム>と、

反応が緩く、より慎重で、より徹底して、論理にかなった動きをするが、できるかぎり最後まで加わらず、不可欠と思わないかぎり介入しようとしない、<ホームズ・システム>と。

私たちが、明らかにどうでもいいようなことをするとき、悪いのはオートパイロットのように、<マインドレス>に行動してしまうからだ。

<ワトスン・システム>は、たいていの場合習慣的なものであり、その力に気付いてしまうとかえってコントロールできなくなってしまうのだ。

日々どんなときにでも、<ホームズ・システム>を作動させるように心がけ、自分の中にあって、短絡的判断をする<ワトスン・システム>を徐々に訓練すること。

習慣と意志の力により、自身の判断がもっと思索的なアプローチによる一連の思考に従うように飼い慣らしていくことが必要なのである。

というわけで、

この本はホームズの物語の数々に範を取り、そこで展開されることになったホームズの思考法を、心理学的に分析することで、

自分自身や自分の世界と、いつも<マインドフル>に関わることができるような思考習慣を確立するために、必要なステップを探って解説している。

<あなたも、階段の段数をさらりと口にして、疎い相手を感心させられますように>という、まことに野心的な試みなのだから、

ホームズの推理法を論理学的に分析したり、人間の心の謎を探求することが楽しいと思っているような、生粋のシャーロッキアンにとっては、いささか食い足りないかもしれないが、

みずからの思考能力を向上させたいと思っているが、研究書のようなものではなく、もっと読みやすいものがあればと切望していたような人にとっては、

まさに喝采ものの逸品であると言っていいだろう。

忘れてはならないのは、ホームズとてみずからを鍛練しなくてはならなかったこと、そして、彼とて生まれつきシャーロック・ホームズとして思考していたわけではないことである。ただ何かがだしぬけに起こることなどありはしない。私たちは何かを目指して努めなくてはならない。だが、正しく<注意力>を傾注すれば、目指すことが起こる。驚異的なものなのだ、人間の脳というのは。

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『パパ助けてくれ助けてくれ』

(赤池学 他 TBSブリタニカ)

環境問題への関心が高まる中で、企業としての姿勢と存在意義を考えさせてくれる本。

同著者の

「メルセデスベンツに乗るということ」
「世界で一番住みたい家」
「ぬくもりの選択」

いずれもおすすめの名著。

(1999年)

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『空より高く』

(重松清 読売新聞)

ムクちゃん――。ひたむきで、がむしゃらで、とんちんかんで、周囲をズッコケさせてばかりの彼女と出会えたことが、作者にとっては
なによりの幸せだった。


なんだ、そうだったのか。

作者も同じ気持ちだったんだと心から納得。

読んでいなかった人には何のことやらでしょうが・・・

読売新聞の連載終了。

暇人も心から声援を送っておりました。

(2005年11月)

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『増補版ドキュメント死刑囚』

(篠田博之 ちくま文庫)

おはこんにちばんは〜!!
今、頭の中には死刑の二文字以外ありまペン。判決が近づいた今、死刑になろうとなるまいと、死ぬまで殺し続けようと、新たなる決意を堅めたトコです。うん!一秒後にオレを殺さんなら、二秒後にオマエを殺すゾ。善や悪は関係ありません。有罪、無罪も関係ナシ。死刑・無期も同じ。俺が死なないなら、かわりに貴様が死ぬ。ただそれだけ、すごく単純。(中略)
人間が裁くことが出来る相手は、同じ概念、常識、価値観を共有している人間だけです。事件の完全解明は無理です。結局のところ、アンタらって何がしたいのかしら?ただの事後処理しかできてない気が・・・。


2008年3月、JR荒川沖駅構内で通りすがりの人たちに次々と襲いかかり、8人を死傷させた「土浦無差別殺傷事件」の金川真大(当時26歳)は、

「自殺することができないので、人を殺して死刑になろうと思った」と供述し、死刑判決を受けたのだが、

死刑確定後6ヶ月以内に執行とする、刑事訴訟法の条文を楯に、法務大臣に早期の執行をせまるハガキを何度も送っていたという。

2013年2月、死刑執行。

奇しくも、同じ日に処刑されることになった「奈良女児殺害事件」の小林薫は、死刑判決に際しガッツポーズを決め、事実関係の争いをあえて避けたというし、

同様に早期の死刑執行を望んで、自ら控訴を取り下げた「附属池田小事件」の宅間守は、ずるずると執行を引き延ばされることを、自分に対する「イヤガラセ」と見做していたらしい。

<死刑を極刑とする今の裁判のシステムは、本当に現代の社会を震撼させるような凶悪犯罪に対応できているのだろうか?>

2008年に上梓され話題となった、前著 『ドキュメント死刑囚』 において取り上げた、

「幼女連続殺害事件」 宮崎勤 (08年死刑執行)
「奈良女児殺害事件」 小林薫 (13年死刑執行)
「附属池田小事件」 宅間守 (04年死刑執行)

それぞれの事件の、その後の動きや死刑執行後に判明した事実などを加筆すると同時に、

「土浦無差別殺傷事件」 金川真大 (13年死刑執行)
「和歌山カレー事件」 林真須美 (再審請求中)

という二つの事件を新たに取り上げることで、

死刑確定者がどういう状況に置かれ、何を考えているのかという、世間ではよく知られていない彼らの素顔に、

さらに奥深く踏み込もうとした、これは迫真のルポルタージュの増補版なのである。

(余談ではあるが、以前読んだことがある本の増補版だということに、読み終わるまで気が付かなかったのが、すこし哀しい。)

犯罪を犯した人が「罪を償う」とはどういうことなのか。彼らをどう処遇することが本当の問題解決につながるのか。死刑囚と接しながら、絶えず私はそういう問いに直面せざるをえなかった。死刑こそが有効で重い処罰なのだという思い込みで現実に対処するのは、ほとんど思考停止というべきではないのか。私はそんな思いさえ感じるのである。

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『水中考古学』―クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで―

(井上たかひこ 中公新書)

海に沈んだ古代文明、謎のアトランティスやムー大陸の伝説は、私たちのロマンや冒険心をかき立てる。世界の海底には、今なお謎に包まれた数多くの文明や、人類のいとなみを示す物的証拠がたくさん埋没している。

今から3400年前の後期青銅器時代の難破船には、金銀宝石類など時価数十億円相当の高価な品々が積まれていた。

トルコ沖のウル・ブルンで発見されたその船は、当時の古代エジプト王朝の若き王、ツタンカーメンのところへ向かっていた世界最古の交易船だった。

水深50メートル、急勾配となっている海底には大きな貯蔵用の壺がいくつも横になっており、この刺激的な発見にはもちろん神経の高ぶりを覚えたのだが、

許された潜水時間はわずか20分、あっという間に過ぎ去ったこの至福の現場から、立ち去らねばならないことをとても口惜しくも感じることになったのだった。

<水中の遺跡を研究調査するのが、水中考古学だ。>

九州北西部の伊万里湾に浮かぶ鷹島の沖合い150メートル、水深20〜25メートルに横たわる元寇船の発掘作業。

絵巻物として残されているだけで、どんな形だったのか不明な点が多い、元寇の船が構造を残して見つかったのはこれが初めての快挙だった。

鷹島(長崎県松浦市)は、元寇(1274、81年)時の激戦の地であり、元寇船が終焉を迎えた舞台でもあったのである。

「北の海(北海道江差町)に沈む江戸幕府の戦艦・開陽丸」
(明治元年、新政府軍に抵抗した旧幕臣・榎本武揚に率いられ、新天地の蝦夷に向かい、座礁沈没した。)

「アレクサンドリア港内で見つかったエジプト女王の海中宮殿」
(首都の所在地さえ謎だった、クレオパトラの遺跡の発見は、トロイの遺跡に匹敵する世紀の大事件だった。)

「世界一有名な沈没船となった悲劇の豪華客船タイタニック号」
(正確な沈没地点がはっきりせず難航した探査の末、ようやく70年後に発見されたのは、水深3800メートルの海底の墓場だった。)

などなど、この本は日本ではいまだなじみの薄いといわざるを得ない「水中考古学」の世界にご招待いたしましょうとばかりに、

日本における先駆者ともいうべき著者が、これまでの自らの体験を踏まえながら、水中考古学史形成の歴史や、日本の現状と課題までを、熱く語ってくれたものなのである。

え?沈没船の引き揚げって、金銀財宝がざっくざくの、一攫千金の夢に溢れた、博打のような稼業なんだろうって?

とんでもない!

長い歳月、水中にあった遺物はきわめて脆弱で、適切な保存処理もせず、空気中に引き揚げたまま放置すると腐食が進み、ガラクタ同然の価値のないものになってしまう。

遺跡発見のドラマに比べると、保存処理は一見地味なものに見えるかもしれない。しかし、遺物は、十分な科学的保存処理を施すことで、その後の調査・研究・展示に供することができるのである。まさに、引き揚げてからが考古学なのだ。

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