暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『キリスト教は役に立つか』

(来住英俊 新潮選書)

キリスト教信仰を生きるとは、正しい教えに従い、立派な人物の規範に倣うことではない。
キリスト教信仰を生きるとは、人となった神、イエス・キリストと、人生の悩み・喜び・疑問を語り合いながら、ともに旅路を歩むことである。


キリスト教とは「神の子が十字架上で死ぬことによって人類の罪を贖った」と信じる宗教である、と言うのは、それはそれで間違いではなかろうが、

もしも、「神と人がともに旅路を歩む」という「一対一」の関係性を深めることの中に、人間がこの地上を生きることの最も深い充実を見出せる、と言うのであれば、

<神を信じない者にとっても『キリスト教は役に立つ』のではないか?>

灘高・東大法学部から一流電機企業へと、「立身出世」を目指す企業人として、順風満帆のエリートコースを歩みながら、

入社6年目(30歳)に、いろいろと考えるところがあって突然洗礼を受け、カトリックの神父へと転身を図ることになった。

「今の私はカトリック信者になって良かったと思っています。大胆に言うと、より幸福になりました。」

と振り返る著者(66歳)が、その「私にとって良かったこと」を、できるだけ宗教的な語彙を使わずに、世俗に近い言葉で話してみることで、

「それは自分にも良いことかもしれない」と読者が感じてくれれば嬉しいという、これは「幸福」の処方箋のような本なのである。

たとえば・・・

<キリスト教も現世利益を祈る>

「お祈りは人々にとっての善を求めるもので、自分の利益のためにするものじゃない」というのは間違いである。

あるべき立派な人間ではなく、あるがままの「今のこの私」が、まずは自分の願いをもって、しっかりと神と向き合うところから、神との歩みは始まるのだ。

<神が人間に質問する>

「いまは人間が神に質問する。しかし、本当は神が人間に質問する。」それがキリスト教である。

すでに答えを知っているはずの神があえて質問をするのは、辛い悩み事は意識から遠ざけてしまいがちな人間には、質問してくれる存在が必要だからなのだ。

などなど、

人間は「神の似姿」として創造されたのであれば、神と人間のあいだの関係は、人間Aと人間Bのあいだの関係になぞらえて理解することができる。

つまり、人間と人間が一緒に歩む経験から、神と人間が一緒に歩むことについて理解を深めていく一方で、

キリスト者が神と共に歩んだ経験に支えられて、人間と人間が一緒に歩むことについての洞察も深めていくことができるのだ。

そしてこの循環の中で、キリスト者の生き方はスパイラル的に少しずつ深まっていくものなのであれば・・・

キリスト者が体得した「人と人が一緒に歩む」ことについての実践的な知恵は、キリスト教信仰を共有しない方にも何らかの参考になるのではないかと期待しています。

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『勉強の哲学』―来たるべきバカのために―

(千葉雅也 文藝春秋)

まずは、これまでと同じままの自分に新しい知識やスキルが付け加わる、という勉強のイメージを捨ててください。むしろ勉強とは、これまでの自分の破壊である。そうネガティブに捉えたほうが、むしろ生産的だと思うのです。

<では、何のために勉強をするのか?>

それは、会社や学校という環境の中で、「こうするもんだ」という周りの「コード」に「ノって」生きてきた自分を自己破壊し、

別の考え方=別の言葉を使用する環境へと引っ越して、不慣れな新たな「ノリ」に入ることで、かえって「自由になる」ことができる。だから・・・

<勉強とは、わざと「ノリが悪い」人になることである。>

そのためには、周りのノリにコミットすることをやめ、共同体から分離した「キモい人」となって、環境から「浮いた」語りを操作できなければならない。

これまでは、ある環境でスムーズに行為するために「道具的」に使用してきた、その言語をそれ自体としておもちゃのように操作する、「玩具的使用」の意識を高めていくこと。

<ツッコミとボケが、本質的な思考スキルである。>

周りが当然のように言っている、その根拠をあえて疑って、「そうじゃないだろ」と否定を向け、真理を目指すのがツッコミ=アイロニーであり、

根拠を疑うことはせず、一人だけ急にわざと「ズレた発言」をすることで、見方を多様化するのがボケ=ユーモアである。

<アイロニーを過剰化せずユーモアへ折り返すこと。>

勉強の基本はもちろんアイロニカルな姿勢にあるのだが、現状を俯瞰的(メタ)に批判することがあまりに過剰になれば、実現不可能な極限に至ってしまう。

「言語の環境依存性」から「外に出よう」というアイロニカルな意識は保ちながら、「環境の複数性=言語の複数性」を認めること。

ユーモアとは、アイロニーのようにコード破壊的ではなく、「一周回って」環境依存性を認めるような、「ひねり」という新しい見方を導入するスキルなのである。

<享楽的こだわりが、ユーモアを切断する。>

ユーモアによって、あらゆる見方から見方への「目移り」が可能になってしまえば、それはそれで、言語は意味が飽和して機能停止に陥ってしまう。

複数の選択肢を比較し続けるというユーモア的な方法を、ベターな結論を仮固定することで途中で中断し、また再開できるのは、個々人に享楽的なこだわりがあるからだ。

こだわりのそもそもの発端、偶然的で無意味な出来事に立ち戻り、自分の興味関心の背景を反省し、その意味を捉え直すことで、享楽的こだわりは変化しうる。

<信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である。>

というこの本は、『動きすぎてはいけない』で華々しくデビューを飾った、フランス現代思想の俊英が考える、「勉強」を有限化する技術についての解説書なのであるが、

なんだか物凄く腑に落ちて、暇人って今さら「来たるべきバカ」にならなくったって、結局「元々のバカ」だったんだと、深く納得してしまった。

環境のなかでノっている保守的な「バカ」の段階から、メタに環境を捉え、環境から浮くような「小賢しい」存在になることを経由して、メタな意識をもちつつも、享楽的こだわりに後押しされてダンス的に新たな行為を始める「来たるべきバカ」になる。

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『比ぶ者なき』

(馳星周 中央公論新社)

「そなたの新しい名前だ。等しく比(なら)ぶ者なき。そなたに相応しい名前ではないか。これより、その名を使うがよい」(中略)
軽(かる)は英邁だ。だが、まだ若い。その若さが屈託のない信頼となって史(ふひと)に向けられる。なにもかもが真っ直ぐなのだ。その軽を、史は己の行く道を塞ぐ邪魔者になるかもしれぬと考えていた。


「身に余る光栄にございます」
史=不比等(ふひと)は静かな声で言った。

中大兄(天智天皇)より藤原の姓を賜るほどに寵愛され、その右腕として辣腕を揮った、英傑・中臣鎌足の息子であったが故に、

天智亡きあと、その後継者・大友皇子との乱を制し大王の座についた、弟の大海人(天武天皇)には疎まれることとなり、

朝堂に出仕することもままならずに、無為の時を過ごしてきた藤原不比等が、ようやくその傑出した政治力を発揮することができるようになったのは、

30歳になるまで舎人として懸命に仕えることで、その信頼を得てきた天武の子息・草壁皇子が、帝位に就くことなく早世してしまったからだった。

草壁の母・讃良(ささら)大后は、まだ幼い草壁の息子・軽皇子を帝位に就けたい一心で、

両刃の剣となることも承知の上で、不比等の策に頼ることとし、自らが即位(持統天皇)して、孫を擁護する道を選んだのである。

「天照大神という神がおります。その名のとおり、太陽のごとくこの世を照らす神です。男神なのですが、我らはこれを女神にしようと思っております」
「なるほど。天皇が天照大神ですな」
人麻呂の目に光が宿った。
「はい。天照大神は天上にあって天上の世界を統べております。そして、地上にあるこの国を統べさせるために、孫を送り込むのです」


「新しい神話を作らせている」
不比等は声を低めた。

それまでは、豪族たちの合議によって選ばれていた大王を、徳と智によってこの国に君臨する天皇という血筋として、その正統性を保証してしまうこと。

代々の天皇が神の子孫であるという前提を覆されぬよう、蘇我馬子が遺した業績を厩戸皇子の業績に置き替え、その生々しい記憶と共に葬り去ってしまうこと。

不比等が主導した、この国初の正史『日本書紀』の完成は、嘘であれ戯言であれ、正式な史書として詔されることで、覆すことのできない歴史となってしまったのだが、

それと引き換えに、天皇家が差し出すことになったものは、取り返しのつかないほど大きな代償だったと言わねばならない。

軽皇子(文武天皇)の夫人となった不比等の娘・宮子が産んだ、首(おびと)皇子(聖武天皇)に、不比等と橘三千代の娘・安宿媛(あすかべひめ)が嫁ぐ。

こうして、皇族でない女性として初めて皇后となった安宿(光明皇后)が産んだ男子が、藤原家の血筋を引く初めての天皇となる。

その天皇に藤原の娘を嫁がせ、子を産ませ、またその子を天皇にする。藤原の家が未来永劫栄え続ける、遠大なる戦略。

これこそが、壬申の乱で失われてしまった、鎌足の氏族の威光を取り戻さんとした、不比等の一念だったのだ。

「不比等とは吾のことだけを申すのではない」
不比等の声は歌を詠んでいるかのようだった。

「不比等とは藤原の家のこと。等しく比ぶ者なき氏族。それが藤原の家だ。皇族ですら藤原の家の前では色褪せる。それが藤原の家だ」

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『偉大なる失敗』―天才科学者たちはどう間違えたか―

(Mリヴィオ 早川書房)

1917年、最大スケールで見れば宇宙は不変かつ静的であると確信していたアインシュタインは、自分自身の方程式で記述される宇宙が、自分の重みで崩壊しないようにするため・・・自身の方程式に新しい項を導入した。

一見するかぎり見事な解決策となった斥力的重力=「宇宙項」。

それは、宇宙が膨張していることを真っ先に予言する栄誉を失わせただけでなく、後に自らそのアイディアを取り下げざるを得なくなったという意味で、

「我が生涯で『最大の過ち』だった。」

(という歴史上有名な台詞をアインシュタインが述べるのを聞いた、というガモフの証言は実は創作だと著者は結論しているが・・・)

「融合遺伝」(両親の特徴がペンキを混ぜ合わせるように融合して子に伝えられる)という仮定のもとでは、自然選択のメカニズムは期待どおりに作用しえない、

という点を完全に見落としてしまった、「進化論」のダーウィン。

地球のマントルが対流するという、予期せぬ可能性の指摘に耳を傾けようともせず、地球内部の熱伝導は一様だという仮定に固執し、

地球の年齢を実際の50分の1に推定してしまった、物理学者のケルヴィン卿。

タンパク質の構造解明における画期的な成功を過信し、低品質なデータとわずかな研究期間というやっつけ仕事で、

三本鎖のDNAという誤った結論に至ってしまった、化学者のポーリング。

宇宙マイクロ背景放射の観測により、ビッグバン理論が単なる仮設から実証された主流の座についたことが明らかになっても、定常理論を支持し続け、

不自然で信じがたい説明を繰り出して「単なる変わり者」とみなされた、天体物理学者のホイル。

というわけでこの本は、真に偉大な数人の科学者が犯した、意外な過ちと、それがもたらした予期せぬ影響を追いながら、

最終的には、発見や革新へと繋がる道は、過ちという想定外の道筋で作られることもある、ということを証明してみせようという試みなのである。

1998年、ふたつの天文学者チームがそれぞれ別個に、宇宙の膨張がこの60億年間で加速し続けていることを発見した。

それは、あの宇宙項から期待されるような何らかの種類の斥力が、宇宙の膨張を加速させていることを示唆していた。

宇宙項によって静的宇宙が実現すると考えたことは、悔やまれるミスであったかもしれないが、だからといって、

方程式の表面的な美のために、宇宙項に恣意的にゼロという値を代入して、宇宙項を取り去ってしまったことは、

自身の理論の一般性を制限してしまったという意味で、方程式の簡素化のために払った高い代償となったと言わねばならない。

<アインシュタインの本当の過ちとは、宇宙項を取り去ったことだったのである!>

本書で説明している過ちはいずれも、何らかの形で、大発見への橋渡し役を果たした。だからこそ、「偉大なる失敗」と読んでいるわけだ。・・・5人の犯した過ちは、科学の進歩をさえぎっていた霧を振り払う、きっかけのような役割を果たしたのである。

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『身体巡礼』―ドイツ・オーストリア・チェコ編―

(養老孟司 新潮文庫)

2011年7月、帝国最後の皇太子だったオットー・ハプスブルクが亡くなり、伝統に従って埋葬された。心臓はハンガリーに(王家の中では例外的)、残りの遺体はハプスブルク家歴代の棺を置くウィーンの皇帝廟に納められた。

<実際には700年続いたハプスブルクの王家は、特異な埋葬儀礼を守ってきた。>

ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の心臓容れに納め、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット礼拝堂に納める。

肺、肝臓、胃腸など心臓以外の臓器は銅の容器に容れ、シュテファン大聖堂の地下に置き、残りの遺体は錫の棺に容れて、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。

いずれも歩けば10分以内の距離にある3箇所に、遺体は別々に埋葬されることになるのである。

<だれがそれをするのか>

王家の一員が亡くなったときに、「玉体に傷をつける」ようなことができるためには、なにか理屈があり、前例があったはずだ。

それはどういうもので、いつごろ発生して、どう伝わってきたのか。

その背景には、心に対する体、<身体>というものをどう考え、評価するかという、大きな文化的背景があるに違いない。

解剖学を専攻していた現役時代から、ずっと抱き続けてきた<埋葬儀礼>への関心。

それが、母親の墓参りにも行っていない養老先生を、この中欧の赤の他人の<墓参巡礼>へと駆り立てた理由の一つだった。

<心臓信仰>

死体には二人称の死体と三人称の死体がある。(一人称の死体はない。それを見る自分がいないから。)

そして、三人称の赤の他人の死体とは違って、二人称の死は、その人だとわかる部分が残存する限り、なかなか死体にならないのだという。

王家という共同体においては、祖先を祀るという埋葬儀礼によって、構成員はいつまでも構成員のままに保たれる。

遺体はどういう形であれ、「その人がそこにいるものとして」保存されなければならなかった。

特に、身体の中心にあっていちばん重要だと思われた心臓は、身体と分けて埋葬されることが多かった。(心がそこに宿ると考えられていたか、どうかは別として。)

というのが、長年にわたる人間(生者と死者)観察を通して、思考し続けてきた養老先生ならではの、含蓄に富んだ読みなのである。

パリのモンマルトルの丘の上に立つ、サクレ・クール寺院(=「聖心」教会)の天井には、「聖なる心臓」が炎に包まれたキリスト像が描かれている。

「聖心」の女子大生なのだから、「心が聖い」に違いない・・・なんて思ったら、大間違いなのだ。

(30年前に、ウィーンで)ふと立ち寄った教会で、日曜日のミサの案内が貼ってあり、その中にハートに矢が射すようなマークがあったのだ。これはなんだ?・・・日本に戻って、聖心女子大学の校章はふたつのハートが百合の花で囲まれ、左側のハートは茨がぐるりと囲んでいて、右側のハートが剣で貫かれていることを知った。・・・それが30年間ずっと気になっていたのである。我ながらしつこい性格だと思う。よく言えば学問的。だれも言ってくれないけれどね。

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『これで古典がよくわかる』

(橋本治 ちくま文庫)

「和漢混淆文」は、日本人が日本人のために生み出した、最も合理的でわかりやすい文章の形です。これは、「漢文」という外国語しか知らなかった日本人が、「どうすればちゃんとした日本語の文章ができるだろう」と考えて、長い間の試行錯誤をくりかえして作り上げた文体です。

奈良時代まで、自分たちの「文字」というものを持っていなかった日本人は、朝鮮経由で入ってきた「漢字」を使うしかなかった。

日本最初の歴史書である『日本書紀』は、「漢字だけで書かれた文章に合わせて日本語を使う」=「漢文」で書かれたが、

それと同時期に、「自分たちの言葉に合わせて、漢字を好き勝手に使う」=「万葉仮名」の発明により、工夫して書かれたのが『万葉集』だった。

そんな「万葉仮名」をくずして「ひらがな」が生まれ、それだけで書かれた「シンプルな物語」である『竹取物語』が登場するまでに100年。

それを「物語の祖」と呼んだ紫式部によって、日本が世界に誇る王朝文学の極致、『源氏物語』が「ひらがなばかり」で書かれるまでには、さらに150年を要した。

「漢文」を日本語として読む時の補助として発明された「カタカナ」は、女文字である「ひらがな」とは違って、「わかりやすい書き下し文」を書くためのものだった。

『源氏物語』の100年後に、「漢字+カタカナ」の「書き下し文」により、民間伝承を集めた説話文学としての『今昔物語集』が誕生し、

当時最高の教養人の書物として、随筆文学の嚆矢である鴨長明の『方丈記』が、「漢字+カタカナ」の「和漢混淆文」で書かれるまでには、100年の歳月を要した。

今の我々が「普通の日本語」と思っている、「漢字+ひらがな」という「和漢混淆文」が登場するのは、それからさらに100年後。

鎌倉時代の終わりになって、兼好法師の『徒然草』が、ようやく、今の我々にも「わかる古典」として誕生したのである。

<既にできている「ひらがな」と「漢字」をドッキングさせるのに、なんでそんなに時間がかかるんでしょう?>

それは、「ひらがなだけの文章」は「話し言葉の先祖」であり、「漢字+カタカナの文章」は「書き言葉の先祖」であるからだ、というのである。

自分たちは、「公式文書を漢文で書く」けれど、「ひらがなで書いた方がいいような日本語をしゃべる」という矛盾を埋め合わせるために、

「漢文」という本来は「外国語」でしかない「書き言葉」は、「話し言葉」を取り込むことで、どんどん「今の日本語」に近づいてきたのである。

「古典というものが日本語の骨格をなすような言葉で、それを無視してしまったら日本語はおかしくなる」

「おしゃべりなんかとはまったく無縁だと思われている古典が、じつは現代の言葉と大きな関係を持っている」

というわけでこの本は、『桃尻語訳枕草子』などの現代語訳を通して、古典の単なる翻訳から離れた現代化という困難な作業に挑み続けてきた著者からの、

「わかりやすい」ことだけ重視し、その文章を書いたり読んだりする、人間の“中身”を忘れてしまった、現在の日本語教育に対する注文書なのである。

日本の学校には、日本語を教える「国語」という授業が、ちゃんと小学校の時からあります。その「国語」は、やがて「現代国語」と「古典」にわかれて、「古典」の方は「わかりにくい」と言われて生徒に嫌われてしまう――そういう傾向があります。生徒たちは、「古典はむずかしくてわからない」と言います。でも・・・

<そんな生徒たちに、「現代国語」の方は「よくわかる」んでしょうか?>

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『株式会社の終焉』

(水野和夫 ディスカバー21)

1997年までは雇用者報酬は不況でも減少することなく増加基調にあったので、貯蓄が可能でした。貯蓄の増減は利子率によって決まっていたので、株価(企業業績を反映した)と利子率は同じ方向に動いていたのです。

20世紀末に新自由主義が世界を席捲すると、資本の自己増殖に励もうとする「資本帝国」は、雇用者所得を減少させることで株高を維持しようと図った。

従来、景気の尺度としてあったはずの「株価」と「利子率(金利)」は、その関係を断ち切られ、「株価」のみが、いわば「資本帝国」のパフォーマンスを表す尺度へと、大きく変貌したのである。

しかし、「利子率(利潤率)」はまた、資本(財)を「蒐集」する資本主義というシステムの、増殖スピードを表す尺度でもあるのだから、

その利子率がマイナスになったということは、資本を含めたあらゆる蒐集が「過剰、飽満、過多」という、宿命的な限界に近づきつつあることを、それは意味するのではないのか。

<資本主義が資本の自己増殖ができなくなったとき、その主役である株式会社に未来はあるのだろうか?>

というこの本は、大ベストセラーとなった、『資本主義の終焉と歴史の危機』において、

もはや「周辺」のない地球に、無理やり「周辺」を追い求めることは、民主主義の腐敗を招くことにしかならない、と警鐘を鳴らした著者が、

「成長がすべての怪我を癒す」とばかりに、「強欲」資本主義の御旗を掲げて盲進しようとする、「アベノミクス」の喉元につきつけた、切れ味鋭い刃の切っ先なのである。

「より速く、より遠く、より合理的に」を追及した20世紀の近代資本主義は、地球が「無限」であることを前提として、飛躍的な生活水準の向上を実現してきた。 

IT革命とグローバリゼーションにより、地球が「有限」であることが明らかとなってしまった、21世紀は成長(=近代)それ自体が収縮(=反近代)を生むようになる。

<潜在成長率を決めるのは、技術進歩、資本量、労働量の3つの要素ですが、これらはいずれも、すでに成長に貢献していません。>

・売上増以上に研究開発費などのコストがかかるため、技術進歩は成長に寄与できない。

・すでに資本が過剰な日本において、これ以上の投資により資本を増やせば、それは不良債権となる。

・家計の収入増以上に教育費がかかるようになったため、労働量、すなわち人口の減少に歯止めがかからない。

「無限空間」を前提として初めて利潤極大化が可能になる近代の価値観に、最適化するように発明された株式会社に終わりが近づいているというのであれば、

「よりゆっくり」=減益計画で充分である。
「より近く」=配当は現物給付とし地域の会社になる。
「より寛容に」=応分の税を負担し過剰な内部留保を減らす。

ことが、21世紀の会社のあるべき姿であるというのだった。

「問題を問題として記述している人に対して、分析するなら同時に解決策も示せと迫るのは間違いだと考えている。(中略)前向きなものがまったくないからといって、それがどうかしたのか、と」
(『時間かせぎの資本主義』Wシュトレーク)


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『英単語の世界』―多義語と意味変化から見る―

(寺澤盾 中公新書)

trunk 1(木の)幹 2(自動車の)荷物入れ 3(象の)鼻 4 (競技用の男子の)パンツ 5 (旅行者用の)大かばん・・・(『ジーニアス英和辞典』)

<日本人にもっとも馴染みのある「車のトランク」は、「木の幹」とどのように繋がっているのだろうか>

単語の多義性は、過去におこった意味変化が集積して生まれたものなのだから、

多義語が持つさまざまな意味を繋ぐ糸を発見しようと思えば、その語が経てきた歴史的意味変化の道を辿らなければならない。

『英語語源辞典』などを調べれば、「trunk」は15世紀前半にフランス語から借用されたもので、その時には「木の幹」を意味する単語だったことがわかる。

その「木の幹」をくりぬいた形状に由来する「管」(現在は廃義)という意味を介して、「ゾウの鼻」や「トランクス」という意味が派生してきた。

その「木の幹」を削って作った箱を、昔は実際に「収納箱」(現在は廃義)として使用していたことから、「車のトランク」や「かばん」という意味が生まれたのである。

ある単語の意味が変化する場合、もとの意味からでたらめに新たな意味が出てくるのではなく、両者の間には必ず何らかの繋がりがある。

「類似性」(似ているもの)
「近接性」(近くにあるもの)

単語のもとの意味(原義)と、そこから派生した意味(転義)との間には、上記2つの連想関係に基づく場合が多いのだ。

というこの本は、

前著『英語の歴史』(中公新書)において、1500年におよぶ英語の歴史のなかで、発音・つづり、語彙、文法がどのように変化してきたかを語った著者が、

今度は単語の意味変化を取り上げ、その歴史的変遷を辿ってみることで、ばらばらに見える語義をつなぐ「関連の糸」の存在を発見することが、

一見、廻り道のように見えて、英語学習の効率アップにつながるのだということを示してくれたものなのである。(第一、その方が絶対に楽しいしね。)

さて、名詞・動詞・形容詞といった「内容語」の意味の変化について、一通り理解した後で、

議論は、前置詞・代名詞・助動詞など文法的な役割を担う「機能語」の意味の変化へと移り、佳境に入っていく。

・「of」は「所属・所有」より「分離・剥奪」の意味が先
・「you」が単複同形なのは「尊敬の複数」の代用
・「can,may,must」にみる「能力、許可、命令」の意味変化の一方通行性

などなど、興味津々の話題満載なのだった。

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『マディソン郡の橋』

(RJウォラー 文春文庫)

「わたしは最後のカウボーイのひとりなんです。わたしの仕事にはまだちょっと放し飼い的なところがある。・・・わたしはただ少しいい写真を撮って、完全に時代遅れになるまえに、あまり大きな損害をもたらすまえに、消えてなくなりたいと思っているだけなんです。」

ハリーという名のおんぼろピックアップ・トラックを運転して、ワシントン州ベリングハムから、屋根付きの珍しい橋を撮りにやってきた写真家、ロバートキンケイドは、

<この世に生まれる前からここにいて、ほかの人たちが想像もしないような場所で、ずっとひそかに暮らしていたんじゃないか>

と、たまに付き合う女性にさえ言わせてしまうような、ふつうの社会には納まりきれない、放浪するジプシーのような男だった。

それはひとつには、長年の習慣のせいだった。それは彼女にもわかっていた。どんな結婚や関係も、その影響を受けずにはいられない。習慣は予測を可能にし、予測がつくということにはそれなりの快適さがある。彼女にはそれもわかっていた。

はるか昔にナポリから<甘い夢>を追いかけてやって来た、アイオワ州マディソン郡の農夫の妻、フランチェスカ・ジョンソンは、

<台所のロウソクの明かりのなかで踊ることもないし、女の愛し方を知っている男のすばらしい愛撫もない。>

こんなはずではなかった<退屈な>片田舎での生活に微かな悔恨を抱きながら、愛する夫と二人の子供に囲まれた平凡で穏やかな日々を過ごしていた。

会うまえには、互いのことは知らなかったはずなのに、まるで長いあいだ、相手に向かって歩いてきたかのように、

52歳の男と47歳の女は運命に導かれたかのように出会い・・・恋に落ちた。

クリント・イーストウッドがメリル・ストリープを相手に指名して、自ら監督・主演し大ヒットとなったあの映画の、

原作本が読書会のテーマ本に選ばれたので、自分では絶対手に取らないであろう本を、半信半疑の想いを抱きつつ読了。

ありえたかもしれない自分の<夢>を心の奥深くに抱きながら、家族のために生きる道を選び続けてきた女の前に、

<橋>の向こうの世界から、突然異界の男が現われて、「お風呂で一杯の冷たいビールを飲むだけで、こんなに優雅な気分になれる」ことを、思い出させてくれる。

たった4日間の、めくるめくような至福の時間を過ごしたのち、一緒に旅立とうと願う男に対し、女は<橋>を渡ることを拒んでしまう。

「わたしの責任を放棄させないで。そんなことをして、後悔しながら生きることはできないわ。」

<夢>は、ありえたかもしれないから美しいのであれば、実現してしまえばそれはもはや<夢>ではありえない。

ここで<橋>を渡ってしまえば、それはこれまでの自分のすべてを台無しにしてしまうということに、女は気付いていたのだろう。

死ぬ少し前、デモインの病院で、そばに坐っている女に向かって、夫のリチャードが吐露したことばを聞いた時、

あの4日間と引き換えに、喪ってしまいかねなかった<もの>の大切さを、彼女だってきっと身に染みて思い知らされたに違いないと、暇人は信じたい。

「フランチェスカ、お前にも自分の夢があったことはわかっている。わたしがそれを与えられなかったのが残念だ。」

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『中二階』

(Nベイカー 白水Uブックス)

1時少し前、私は黒い表紙のペンギンのペーパーバックと、上にレシートをホチキスで留めた「CVSファーマシー」の白い小さな紙袋を手に、会社のあるビルのロビーに入ると、エスカレーターの方向へ曲がった。エスカレーターは、私のオフィスがある中二階に通じていた。

<「CVS」の袋の中に入っていたのは、新しい靴ひもだった。>

昼休みの直前に、左の靴ひもが切れてしまったので、昼食に出るついでに、ドラッグストアに寄り道して買ってきたのである。

それにしても、昨日家を出るときには、右の靴ひもが同じように、結ぼうとして引っ張った瞬間に切れてしまったのだったが、

2年も前に父から就職祝いにと贈られた靴の、左右の靴ひもが2日と経たずに相次いで切れる、などということがあるものだろうか?

毎朝何百回と行なってきたひもを結ぶ動作が、ロボットのように常に同じだったため、左右のひもに同量の力がかかっていたからだろうか?

それとも・・・

と、傍目にはどうでもいいような瑣末な事象に対する、微に入り細を穿った尋常ならざる考察が、見開き半分以上を侵食する注釈付きで展開されていく。

おそらく、大手の業者が一斉に紙からプラスチックに切り替えてしまったことにより幕を開けた、不便この上ない“浮かぶストロー時代”への憤懣。

幼稚園の先生から教わった“あらかじめじゃばら寄せ方式”に始まる、靴下をスマートにはくための、素晴らしいテクニックの遍歴。

4,5歳で結ぶ技術を会得して以来、20年以上にわたる私の人生における大きな進歩8つのうちの、実に3つまでもが靴ひも結びに関することだったという感慨。

三角屋根の一方を押し開いて、折り畳まれたまちを引き出すと、そのまま理想的な注ぎ口に早変わりする、牛乳のカートン容器に対する畏れにも似た憧れ。

ときどき私の脳裏をかすめる、“昼休みの始まりは、昼食前に洗面所に入った時点とみなすべきか、それとも出てきたときか”という、くだらない疑問に関する考察。

ああでもない、こうでもない。そして・・・

たとえば、空港の手荷物運搬システムや、スーパーマーケットのレジのベルトコンベア、ビー玉がジグザグの滑り台を転がっていく玩具、オリンピックのボブスレーの走路など、など、

子供時代、たいていの人が好きだったと思う、ボートや電車や飛行機より、小規模な輸送システムのほうに興味があったという彼が、

<これらと通じあう魅力があったが、ただ一つ違っていたのは、実際に乗ることができるという点だった>

と偏愛する、エスカレーターに乗っているわずか数十秒間に、彼の脳裏をよぎった様々な想念だけで綴られた、

これは、まことに斬新な“極小文学”の極地なのである。

エスカレーターをおりる直前、ステップの溝が吸い込まれる櫛目プレートのところに煙草の吸いがらが一つひっかかり、小さく撥ねながら回転しているのが目に止まった。私は中二階に降り立ち、振り返ってその吸いがらをしばらく眺めた。

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