暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

『できるだけがんばらないひとりたび』

(田村美葉 KADOKAWA)

かつての私は、旅行代理店のパックツアーに数十万円のお金を払ったんだから、絶景に感動して、美味しいものを食べて、みんなに喜ばれるお土産をスーツケースに詰め込んで、「せっかくなのだから、最大限楽しまなければいけない!」と、ヘトヘトになってしまっていたのです。

<実を言うと、「旅」にはずっと苦手意識がありました。>

などという告白を耳にすれば、

ああ、きっとこの著者の父親は何ヶ月も前から食事の時間割まで検討するなど、スケジュールの空白を埋め尽さずにはおられないような「空白恐怖症」で、

そんな父親に引き摺り廻された、幼いころの悲惨な家族旅行の思い出がトラウマになってしまったのに違いあるまいと、心からの同情を禁じ得ないのだが、

そんな彼女に「転機」が訪れたのは、エスカレーターの専門サイト運営という<特殊な趣味>が高じ、それだけのために「誰も観光しない場所」へ出掛けるようになったからだった。

<この場所の楽しみ方は、自分が一番よく知っている>のだから・・・

「こうしたほうがいい」とか、「こうしなければ」なんて達人からのアドバイスなんか気にしないで、少しだけ力を抜いて、「自分なりのひとり旅」を楽しむための基本ルール。

・「普段していることをすること」
・「損得を気にしすぎないこと」
・「自分の力を過信しないこと」

これは、今まで「こうしなくちゃ!」と思い込んでいたために、楽しめなかったり、落ち込んでしまいがちだった、ひとり旅<初心者>のアナタに、

実際やってみたら(あるいはやらなかったのに)そうでもなかったよ、とこっそり教えてくれる、<心配性トラベラー>からの51ヶ条の体験済報告集なのである。

とはいうものの、彼女がここまでの境地に至るまでに払わされた代償は、決して並大抵のものではなかったようで、

「英語がしゃべれるようになろう」と、無茶な思い付きで臨んだニューヨークへの「超短期ホームスティ」(1週間!)で、

「英語で人生が変わる」なんてことは、日本語でさえ話しベタの自分には絶対にない、ということを確信したり、

なんとなく人間関係に疲れ、「誕生日を日本で迎えない」ために出かけた、真冬のソウルへの逃避旅行では、

ソウルでならできると挑んだ「ひとり焼肉」を高級焼肉店で拒絶され、結局、日本からのSNSメッセージに折れた心を癒されたり、

なにしろ、彼女が初めてのひとり旅で、勢いで選んだ行く先が「キューバ」で、観光客を狙う詐欺師に追いかけられまくる以外、何もすることがなかった、とか。

まったく、うら若き乙女にひとりでそんな場所に出掛けることを許すなんて、「親の顔が見てみたい」わけなのだが、

きっと、何があろうとも、どんな時でも、心からのエールを愛娘に送っているに違いないと、暇人は信じているのである。

※ご参考までに 「きゅうば」をしのぐ

旅エッセイのはずなのに妙に内向きで、情けなくて、失敗だらけの内容になっています。ちゃっかりマニアックで特殊な趣味の内容も少し混ぜ込んでいるので、「世の中には変わった人もいるものだな」と思いながら、楽しんで読んでいただければ、いろいろと失敗した甲斐があります。

※よろしければ こちらもどうぞ

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『サピエンス全史』―文明の構造と人類の幸福―

(YNハラリ 河出書房新社)

<歴史の道筋は、3つの重要な革命が決めた。>

約7万年前に歴史を始動させた認知革命、約1万2000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。3つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。

大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造という恩恵に浴しながら、200万年もの間「取るに足らない生き物」でしかなかった私たちサピエンスが、

7万年前に突如として食物連鎖の首座に君臨することになったのは、サピエンスの認知的能力に偶然起こった革命の産物だったという。

単なる事実を伝える言語ではなく、架空の事物(虚構)について語る能力を得たことから、伝説や神話そして宗教が生まれた。

この「認知革命」によって、サピエンスは無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できるようになり、世界を支配したのである。

1万年前に、それまでは植物を採集し、動物を狩って食料としてきたサピエンスが、いくつかの動植物種の生命を操作することに、ほぼすべての時間と労力を傾け始めたのは、

その方が、より多くの果物や穀物、そして肉が手に入ると考えてのことだっただろう。人間の暮らし方を一変させた、「農業革命」である。

しかし、食糧の増加は人口爆発と飽食のエリート層誕生につながり、農耕民は結果として、狩猟採集民よりも、労多くして見返りの少ない暮らしを強いられることになった。

<「農業革命」は、史上最大の詐欺だったのだ。>

近代以前の知識の伝統である宗教は、この世界について知るのが重要である事柄は、すでに全部知られていると主張してきた。

わずか500年前、「人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らない」という重大な発見から、爆発的な文明の発展に結び付けたのが「科学革命」だった。

自らの無知を認めた上で、新しい知識の獲得を目指す、近代科学の姿勢は、物事が改善しうるという「進歩」という考え方を生んだ。

「進歩」という考え方によって、将来への信頼を寄せることができるようになった人類は、やがて「信用」という概念(これも虚構)への道を開くことになる。

この考え方は、たちまち経済にも取り入れられる。

「将来を信頼する」から「信用が盛んに発生する」ので、「経済成長は速い」ため、ますます「将来を信頼する」。(以下同様)

「未来は現在より豊かになる」という、資本主義マジックの誕生である。

この、いわば巨大な「共同幻想」(これももちろん虚構)のおかげで、人類は現在、かつてはおとぎ話の中にしかありえなかったほどの豊かさを享受している。

<だが、私たちは以前より幸せになっただろうか?>

私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。

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『大人のための東京散歩案内』

(三浦展 洋泉社カラー新書)

神楽坂の街としての魅力は、もちろん花街としての色香ゆえだが、しかしそれだけではない。牛込台地の東端に位置する神楽坂は、飯田橋から上っていく早稲田通りの坂だけでなく、その北も南も坂が右に左に上り下りするという複雑な地形を持っており、人一人通るのがやっとのような細い路地が入り組んでいる。

<いったい私たちが住みたい街とはどういう街なのか>

商店街、銭湯、居酒屋、喫茶店、古本屋、同潤会、若者の風俗・文化・・・

そんな雑多な構成要素によって醸し出される、東京という街の生活の臭いを、自分の足で実際に歩いてみることで味わってみよう。

特に昭和以降に作られたが故に、逆に私たちが気づかぬうちに、どんどん平気で消え去っていってしまう、東京の風情が無くなってしまう前に。

というわけで、これは暇人が参加している読書会のメンバーで、「本郷・谷中・根津」界隈を散策した際の参考資料として読んだ本なのだが、

2001年に取り上げられた「懐かしい風景」が、本当に平気で壊されて、「今はもうない!}というシーンが続出したことに、いささか唖然としたわけなのである。

自分が住んでいる町を、私たちは案外知らないのではないか、という思いもあって数年前から「金沢探訪」という企画を実践してきた身としては、

「味噌づくりの町」の「町づくりの味噌」(大野)

誰も知らない「裏東山」探訪

「古地図」で巡る「金沢の顔」(金沢駅周辺)

新竪町「若者文化の逆襲」

忘れしゃんすな山中を(山中温泉)

「商人」の気位が息づく町並み(尾張町界隈)

「静音(しずね)の小径」を歩く(寺町寺院群から野町界隈)

朝だ!夜明けだ!魚市だ!(中央市場・セリ見学)

坂や!酒屋!酒もってこんかい!(小立野にて美し坂と旨し酒を嗜む)

「父と子と聖霊の御名において」(土塀と用水の街―長町・長土塀)

「善の研究」の研究(西田幾多郎記念哲学館)

電車で訪ねる城下町「大聖寺」

「町人の歓楽街・菊川」と「練兵場の町・十一屋」

「城址だけではないがぜよ・・・」(金沢城・石垣巡り)

「かなざわごのみ」を知っていますか?(旧石川県庁・しいのき迎賓館)

こぉこはどぉこの細道じゃ(兼六園・金澤神社)

「ふるさと」は近きにありても、遠いもの?(千日町・白菊町界隈)

などなど、

発掘できる「魅力」が、町のそこここに埋蔵されている、「底力」のある町に住んでいることの幸せを、つくづく噛みしめながら、これからも探訪を続けたいと思うのである。

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『天文の世界史』

(廣瀬匠 インターナショナル新書)

天文学という学問の対象は多岐にわたっていて、その全容を把握することは当の天文学者にとっても困難です。また専門用語や数字がやたらと出てくるため敬遠してしまうという人も多いかもしれません。おまけに、せっかく覚えた知識もあっという間に塗り替えられていきます。

<私たち一人一人は本当に宇宙のことを分かっていると言えるのでしょうか?>

地上に居ながらにして100億光年以上離れた銀河を観測できるばかりか、太陽系の天体ならば、直接探査機を送り込めるようにまでなった現代に、

何百年も前の天文学について知ることに、一体どんな意味があるのかといえば、それは天文の「問い」を知ることだと、この天文学史家は言う。

どんな学問であれ、本当にその分野を理解しようとするのなら、まずはその道の研究者たちが、何に答えようとして来たのか、その「問い」を理解しなければならない。

世界中で天文は常に政治・文化・宗教と深く関わってきたのだから、天文という視点を通せば、様々な時代や地域の人々についての理解を深めることもできるというのである。

太陽の動きから「一日」と「一年」という単位を決める「太陽暦」と、月の満ち欠けで「一ヶ月」を決める「太陰暦」、そのズレから生ずる「閏月」。

明治5年に、日本が従来の太陰太陽暦を廃止して太陽暦を採用したのは、財政難に苦しむ明治政府が閏月をなくして公務員の月給を合法的にカットするためだった。

という、『太陽、月、地球』の章。

「‖斥曚亮りを回り、球形になるほど質量が大きく、なおかつ自分の軌道の周囲から他の天体をきれいになくしてしまった天体」

という定義が2006年に採択されて、ようやく8つに定まった惑星の個数と、曜日の順番との神話的関係。

(興味のある方は、こちら もお読み下さい。)

という、『惑星』の章。

星々の間を移動していくように見えたためそう名付けられた惑星に対し、お互いの位置関係を変えない恒星は、夜空に星座を描くことになるが、

1928年に国際天文学連合によって正式に定義された88個の星座は、実はその境界が定められただけで、星の数や結び方(つまり星座の形)は自由なのだ。

という、『星座と恒星』の章。

『流星、彗星、そして超新星』の章。
『天の川、星雲星団、銀河』の章。

これは、公認の星空案内人=「星のソムリエ」が、時空を超えた宇宙観までを壮大なスケールで料理してみせた、魅惑の天文フル・コースへのご招待なのである。

天体の種類で章を区切った背景には、どの章からでも読める手軽さと分かりやすさを重視したからという理由だけではなく、本書を読んでから空を見上げたときに、その内容を思い出していただきやすいだろうという思惑もあります。何となく眺める星空も美しいですが、天文の知識があればさらに楽しめますし、そこに歴史が加わればいっそう味わい深くなるに違いありません。

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『銀河鉄道の父』

(門井慶喜 講談社)

「花巻が、なすて宝の山か知ってるが」「え?」
「え?ではない。石の種類が豊富な理由だ。お前には興味ある話だろう」
われながら、どうしても叱り口調になってしまう。賢治はよほど意外だったのか、うさぎが巣穴から外をうかがうような目つきで、
「存じません」「教えてやるべが」


傾きかけた呉服屋の大店という家業を、古着屋から始めて東北有数の質屋へと一代で立て直してみせた父・喜助の後を継ぎ、

いまでは副業程度の扱いになっていた古着の商売を、いつしか宮沢家の重要な収益事業に育て上げ、

<喜助さんにも引けを取らぬ、利才ある男だ>と評判されるようになっていた政次郎が、

古着を仕入れに向かう関西出張の帰りに、わざわざ東京へ寄り、大きな本屋でいろいろと鉱物学の入門書を買いこんで汽車の中で読んだりしたのは、

小学4年生になった息子の賢治が、珍しい石を集めることに異常に執心し、近所の人々から<石っこ賢さん>と呼ばれるほど、地質学への傾倒を示していたからだった。

「わかったか、賢治」
話しながら、(わかった)と痛感したのは政次郎のほうだった。
地質学のことではない。自分はつまり、


(うらやましいのだ)

花巻一の秀才という折り紙をつけられ、自身も勉強がとても好きだったから、県下の最高学府である岩手中学への進学を頼み込んだにもかかわらず、

「質屋には、学問は必要ねぇ」と、当時の商家の常識として、父・喜助からその望みを一蹴され、家業を継いだ政次郎にとって、

やはり頭のいい息子の賢治が過ごしている、そんな一銭にもならない純粋な世界にのめりこむ子供の毎日の、

(助けになりたい)という父親としての想いを抑え込むことはできなかった。もちろん、家業を継がせたいという切実な願いも・・・

われながら矛盾しているが、このころにはもう政次郎も納得している。父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほかならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える。ひょっとしたら質屋などという商売よりもはるかに業ふかい、利己的でしかも利他的な仕事、それが父親なのかもしれなかった。
 
本年度「直木賞」受賞作品。

誰に認められることがなくても、自分だけは息子の才能を信じ、どこまでも支え続けようとした凡庸な父と、

商才に長けた偉大な父を乗り越えることのできない焦燥から、頑なに脇道を辿り続けた愚直な息子と、

これは決して特別な父と子の物語ではない。

「遊んでた?」
「おお、んだ。あるいはいっそ、いたずら書きしてた。だってそうでねぇが。雨にも負けず、風にも負けずなんて見るからに修身じみた文ではじまって、誰も文句のつけようがない立派なおこないばかり書きつらねたと思ったら、最後のところで『私はなりたい』。なーんだ、現実にそういう人がいるって話じゃなかったのか。ただの夢じゃないか。こっちは拍子ぬけってわけだなハ」


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『おらおらでひとりいぐも』

(若竹千佐子 文藝春秋)

あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねぇべが。どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ・・・
だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら。


<あいやぁ、そういうおめは誰なのよ>

あと3日で祝言という満24の時に、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷の東北から東京へと飛び出した。

結婚した最愛の夫・周造は60歳を前に心筋梗塞で急逝し、二人の子どもも親元を離れて、寂しい一人暮らしが続く「桃子さん」だったが、

故郷を離れてかれこれ50年、日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきたはずなのに、いつの間にか心の中に氾濫するようになっていたのは・・・

<今頃になって、いったい何故東北弁なのだろう>

心の内側で、誰かが自分に話しかけてくる。東北弁で、それも一人や二人ではない、大勢が。

ふだんはふわりふわりと揺らいでいて、何か言うときだけ肥大する、小腸の柔毛突起のようなものが無数に密生し、彼女の心を覆っているのだった。

本年度「芥川賞」受賞作品。

来し方を思い起こし、行く末を思案する、大勢の「桃子さん」による、まことに喧しい「独り語り」が、まるでジャズセッションのように繰り広げられていくのだが、

周造がこちらを見てにこやかに笑っている。この周造の目にはおらが映っている。おらだけが映っていると思った。そして一瞬、一瞬だけ、この写真は周造の遺影になると思った。

彼岸花の大群の向こうに立つ周造を撮った一枚の写真。

10年たって、それが現実となって、それ以来、大勢の「桃子さん」の中に、片隅にうずくまって顔を上げない女がいることに気付く。

今、「桃子さん」は黙ってその女に手を差し出し、引っ張り上げて、一緒に歩き続けるしかない、と決意する。

夫が死んだ、そのもっともつらく耐え難いときに、「自由に生きろ」と内側から鼓舞する声を、喜んでいる自分もいる。

もちろん、周造は惚れぬいた男だったけれど、それでも周造の死に一点の喜びがあった。

「おらは独りで生きて見たがったのす。」

これは、「玄冬小説」と名付けられた、来たるべき独居時代を生き延びるための「哲学」の書なのである。

周造はおらを独り生がせるために死んだ。はがらいなんだ。周造のはがらい、それがら、その向ごうに透かして見える大っきなもののはがらい。それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。

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『百年泥』

(石井遊佳 文藝春秋)

「ああまったく、こんなところに!」
大声で叫びながらつかみだすと同時にもう一方の手で水溜りの水を乱暴にあびせかけ、首のスカーフでぬぐったのを見ると5歳ぐらいの男の子だった。


「7年間もどこほっつき歩いていたんだよ、ええ?ディナカラン!親に心配させて!」

インドのチェンナイで、社員教育のための日本語教師をしているIT会社へと、徒歩で向かおうとしていた私の、

真ん前を歩いていた黄色いサリー姿の40年配の女性が、いきなり泥の山の中へ勢いよく右手を突っ込んだかと思うと、

ぎゅっ、と丸刈り頭の男の子の耳を引っ張ったまま、泣きだした子どもとともに、たちまち人ごみの中へ消えた。

百年に一度の大洪水に見舞われたアダイヤール川の、一世紀にわたって川に抱きしめられたゴミが、あるいはその他の有象無象が、

つまりは都会のドブ川の、とほうもない底の底まで撹拌され押しあいへしあい地上に捧げられて、いま陽の目を見たようなのである。

本年度「芥川賞」受賞作品。

日本語教室の生徒達との、通じているようでいながら。時にすれ違う会話。

想像を絶する通勤ラッシュを避けるため、<飛翔翼>を身に付けて舞い降りる重役たちの見慣れた風景。

幼いころから口をきくのをほとんど聞いたことがなかった、母の人生の継ぎ接ぎだらけの思い出。

熊手で掃き寄せられた、泥まみれのウィスキーボトルと、人魚のミイラと、大阪万博の記念コインが、

それらに刻み込まれていたはずの<忘れられた>思い出とともに、

さも面倒くさそうに欄干の切れ目から、いっしょくたに川に落とされていく。

これは、ようやく地面が見えた洪水3日目に、自分のアパートを出て対岸にあるオフィスへと、アダイヤール川にかかる泥だらけの橋を渡る束の間のうちに、

日本とインド、過去と現在のさまざまな出来事をめぐる、記憶と回想、そして怪しげな想像の泥の中を掻き分けながら遭遇した、白昼夢のような物語なのである。

かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ。

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『女系図でみる驚きの日本史』

(大塚ひかり  新潮新書)

一夫多妻&生まれた子供は母方で育つ母系的な古代社会では、同じきょうだいでも「母」の地位や資産によって出世のスピードや命運が決まるのはもちろん、天皇家の歴史もいかに母系の地位を獲得するかの権力闘争史として見ることができる。

<出てきた“腹”が子の運命を左右していたのだ。>

歴としたミカドの子である光源氏が、あれほど優れた人物でありながら、臣下として世に仕えていたのは、後見もない息子に対する父・桐壺帝の配慮もあっただろうが、

中宮→女御→更衣という天皇の妃の序列の中では、もっとも低位にある“更衣腹”であることを、本人も自覚していたからだろうし、

源頼朝が弟の義経をあれほどまで執拗に攻めたて、ついには自害にまで追い込んだのは、「身分の低い雑仕女」とされる義経の母・常盤が、父・義朝の当時唯一の「後家」だったからだ。

正嫡とはいえ「先妻の子」という位置付けの自分に対し、義経はいわゆる「当腹」の子として高い地位におり、頼朝はそれを恐れたわけである。

平安古典の母艦たる貴族社会では、女のもとに男が通う婿取り婚が基本で・・・しかも不倫がばんばん出てくるから、DNA鑑定もない昔、確実なのは母方の血筋だけ。

<「信じられるのは女系図だけ」ということになってくる。>

はずであるにもかかわらず、既存の系図集は「どの父の子であるか」という「男系図」ばかり。

というわけで、「どの母の子であるか」という「女系図」を自分で作成してみたら・・・

滅亡したはずの平家が、清盛の血筋を今上天皇にまで繋げている一方で、勝ったはずの源氏では頼朝の直系があっけなく途絶えていたり、

互いにライバル視していた紫式部と清少納言の、それぞれの孫息子と孫娘が、なんと恋人同士であったことが分かったり、

これは、「あの人がこの人とつながっている!」という発見の楽しさと驚きに満ち溢れた、お勧めの一冊なのである。

それにしても、まるでお役所の組織図のように単純な男系図(子供の数が多いだけ)に比べて、

女系図のなんと複雑怪奇なことか?

一人の女性から何本もの夫婦関係(時には親子孫まで)を示す線が延びて、まるで東京23区の地下鉄路線図もかくやといった有様で、

いろんな路線がこぞって乗り入れる、乗換駅みたいな要の人物もいるのである。

「母系の力は絶大」で、時代をさかのぼると、「母が違えば他人同然」という状況があったからこそ、古代天皇家の血なまぐさい闘争も引き起こされた。
そうしたもろもろを、女系図で浮き彫りにしていくことで、見えなかった日本の権力構造を描けたら・・・、驚きの日本史を浮き彫りにできたら。そしてはじめて系図にはまったころに感じた、この人もあの人もつながる。滅びていない!、と分かったときの楽しさを蘇らせ、共有できたら、と思う。


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『羊と鋼の森』

(宮下奈都 文藝春秋)

目の前に大きな黒いピアノがあった。大きな、黒い、ピアノ、のはずだ。ピアノの蓋が開いていて、そばに男の人が立っていた。何も言えずにいる僕を、その人はちらりと見た。その人が鍵盤をいくつか叩くと、蓋の開いた森から、また木々の揺れる匂いがした。夜が少し進んだ。僕は十七歳だった。

「あなたはピアノを弾くんですね」「いいえ」
「でも、ピアノが好きなんですね」

それが指名の依頼も多いという名調律師・板鳥さんを通して、「調律」という仕事と出会った瞬間だった。

北海道の、中学までしかない山の集落で生まれ育ち、宿命のように山を降りて、将来するべきことも思いつかない高校生活を送っていた外村が、

ハンマーのフェルトの調整を終えたとき、音の連れてくる景色が「ずいぶんはっきりした」と答えたから、そう思ったに違いないが、

実際には、ピアノに触ったこともないどころか、今日初めて、ピアノというものを意識したばかりだったのだ。

「弟子にしていただけませんか」

その後、店を訪ねた外村の唐突な直訴に、板鳥は笑いも驚きもせず、穏やかな顔で調律の学校への進学を勧めてくれた。

2016年「本屋大賞」受賞作品。

2年間の課程を終えて、板鳥のいる店に就職し、調律師としての道を歩み始めた外村にとって、

ピアノも弾けない、音感がいいわけでもない人間が、曲がりなりにも音階を組立てることができるようになったとはいえ、

泳げるはずだと飛び込んだプールで、水をかいても、進んでいる実感がなく、それでももがきながら、こつこつと前に進むしかない日々だったが、

たとえば、小鍋で煮出してミルクを足し、カップに注がれて渦を巻く液体にしばらく見惚れた、実家の祖母がつくってくれた「ミルク紅茶」。

たとえば、それ自体が強い意志を持つ生きもののようで、そばで見るとどきどきした、泣き叫ぶ赤ん坊の「眉間の皺」。

たとえば、山が燃える幻の炎に圧倒されて立ちすくみながら、遅い春が来てこれから若葉で覆われる、確かな予感に胸を躍らせた「裸の木」。

などなど、ピアノに出会うまで知らなかった美しいものを、記憶の中からいくつも発見することにもなった。

知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気づかずにいたのだ。

「どうして外村くんみたいな人が調律師になったのか。不思議に思っていたよ。どうして板鳥くんがあんなに推していたのか」
「あの、僕みたいな人ってどういう人ですか」
「うん、なんというか、まっとうに育ってきた素直な人」

社長から、先着順で決まったと言っていた板鳥が、実は強く推薦してくれていたことを聞かされ、驚くと同時にでもそれって「面白味のない人」と言われている気がした外村だったが、

ご心配なく。

これは、諦めや羞恥や嫉妬などのさまざまな葛藤の中で、時に縮こまってしまいがちな私たちの心に、

そっと手を差し伸べ、揉みほぐしてくれるような、そんな陽だまりのような温かさに包まれる物語なのである。

「でも、今は違うよ。外村くんみたいな人が、根気よく、一歩一歩、羊と鋼の森を歩き続けられる人なのかもしれない」
「それはそうです」板鳥さんが鷹揚にうなずく。
「外村くんは、山で暮らして、森に育ててもらったんですから」


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『往復書簡』―初恋と不倫―

(坂元裕二 リトルモア)

「玉埜です。お返事くださいと書いてあったので返事書きます。
迷惑です。・・・これからもクラスの他の人たちと同じように、僕はいないものにしてください。よろしくお願いします。」
「三崎です。お返事ありがとう。よろしくお願いしますの使い方が面白かったです。」


突然の「靴箱郵便」から始まった、中学一年のクラスメート同士による、いささか危なっかしい手紙のやり取り。

近づいたり離れたりの、ぎこちない関係性が深まっていくことをお互いに意識し始めた矢先、

「明日から盛岡の親戚の家に家族で行くことになりました。終業式には出られないので、次会うのは新学期になります。三崎さんも楽しい春休みが送れるといいですね。」
「この手紙を玉埜くんが読むのは四月になってからのことだと思います。わたしは施設の関係で、また違う町に行くことになりました。この学校に来るのは今日で最後になります。」


玉埜が欠席した終業式の事件により、三崎は春休み中に転校して、二人の関係はあっけなく途絶えることになったのだが・・・

『それでも、生きてゆく』(芸術選奨新人賞)
『最高の離婚』(日本民間放送連盟賞最優秀賞)
『Woman』(日本民間放送連盟賞最優秀賞)
そして、なんと言っても『カルテット』

<会話の魔術師>坂元裕二が、淡々と交わされる二人の会話だけで紡ぎだしてみせた、この朗読劇の脚本は、

それが、手紙とメールのやり取りという、一方通行の<時間差>をもって繰り返されるがゆえに、

思いもかけぬ時空の広がりの中に私たちを放り込み、あらぬ想像を掻き立てさせられることにもなる。

「拝啓、朝夕と随分涼しくなりました。三崎明希と申します。本厚木中学校で一年生の時に同じクラスだった者です。もう随分と長い時が経ちますが、三崎という名前におぼえはありますでしょうか。」

二十数年ぶりに玉埜の実家に届けられた、結婚式へ招待したいという三崎からの手紙。

それは、東名高速道路、海老名サービスエリア付近で中央分離帯に乗り上げて横転し、死者八名を出したバスの中で書かれたものだった。

「ずっと何を見ていたのだろうと思います。・・・それは多分、今適当に名前を付けてみると、その人の前を通り過ぎるという暴力。それは多分金槌で頭を叩くこととそう変わらないことなのだと思います。」

あの時、<あの手紙>が届いていなかったら、きっと自分は金槌を手にしていたに違いないから、

大切な人がいて、その人を助けようと思うなら、もうその人の前を通り過ぎてはいけない。

そう考えて行動した玉埜のもとに、再び届けられた<あの手紙>。

それは、やっと素直に受け止めることができた、初恋の人からの二十数年ぶりのラブレターだった。

「玉埜です。返事くださいと書いてあったので返事書きます。
お手紙ありがとう。嬉しかった。」


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暇人肥満児

どのような話題であろうとも、その分野の専門家以外の人が相手であれば、薀蓄を語りだして恐れを知らないという「筋金入りの」素人評論家。本業は「土建屋の親父」よろしくお付き合い下さい。

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