(福岡伸一 講談社ブルー・バックス)

不溶性の凝集タンパク質が、経口的に体内に入った後、消化を免れることはともかくとして、消化管を突破し、末梢のリンパ組織で増殖してから全身に広がり、最後は、脳血液関門を越えて脳に侵入して大増殖する、というストーリー自体がにわかに信じられなかった。

羊の「スクレイピー病」、牛の「狂牛病」、人の「ヤコブ病」。
自覚症状もないまま、何十年もの潜伏期間をかけて、ある日突然、脳の神経細胞を侵し、スポンジ状に変えてしまう、致死率100%のこの病は、

感染した動物の肉を食べることによって伝染る。(草食動物である牛が狂牛病になったのは、病牛の肉骨粉を与えられたことによる。)

多くの研究者がその謎の解明に挑みながら、どうしても見つけることのできなかった、その「病原体」の正体は、

「ウイルス」でも「細菌」でもなく、病気にかかった動物の脳に蓄積している「タンパク質」自体なのではないか?

この「タンパク性感染性粒子」は、発見者スタンリー・プルシナーにより『プリオン』と名付けられた。1980年代初頭である。

遺伝子を持たない「タンパク質」という物質が、それ単独で感染し、増殖し、生命の情報を受け渡すなどということは、生物学の中心原理に反する。

しかし、加熱処理、殺菌剤、放射線照射など、通常のウイルスには認められない「抵抗性」を示す、この不死身の病原体は、「タンパク質」であれば説明可能な、いくつもの「実験データ」の集積もあり、「異端」から「正教」へとその立場を固めていった。

1997年、プルシナーは「プリオン説」の提唱により、「ノーベル生理学・医学賞」を単独受賞する。その前年、「狂牛病」は、牛から人へも感染しうるという驚愕の事実が、イギリス政府によって公式に発表されていた。

『死の病原体プリオン』
(Rローズ 草思社)

しかし、プリオン説はほんとうにただしいのだろうか?

大学院生の頃に、初めて「プリオン説」を耳にし、“too good to be true”(できすぎ仮説だ)と感じたという著者は、前半で「仮説」の論拠をていねいに跡付けながら、後半では一転、論拠の矛盾を突き崩していく。

「タンパク質」は感染を引き起こす病原体なのではなく、やはり、感染の結果として生成された物質なのではないか?

という、「プリオン説」よりは、よほど「素直な」仮説に立っても、「実験データ」に矛盾することなく説明できることを示して見せるのである。
(実際、「プリオン説」支持派の、このところの応戦は、「小さな嘘を吐き通すためには、沢山のより大きな嘘を吐き続けなければならない」といった感もあるのだ。)

とはいえ、著者もいまだに「病原体」としての「ウイルス」を見つけ出すことはできていない。しかし、

「教科書に載るような定説を疑ってかかる」という、公的にも私的にも「研究資金を集めるのが容易でない」テーマを研究計画申請し
「広大な海辺の砂浜から砂金を拾い出すような」まったく報われることがない可能性も高い努力を積み重ね
「賽の河原の石積みにも似た作業」に日夜、真摯に取り組んでいる。

なぜならば、現状では「プリオン説」に立っているため「輸入牛肉」の安全性は「異常型プリオンタンパク質」が検出できない、ということで判定されているが、

もし「病原体」が未知の「ウイルス」であるなら、「異常型プリオンタンパク質」の存在量と、「狂牛病」の「感染力」の間に対応関係はないことになるからである。

にもかかわらず、証拠としての「ウイルス」を発見して、突き付けでもしないかぎり、対米追従の「日本政府」はアメリカの外圧により、早晩、米国産牛肉の輸入再開に踏み切る可能性が非常に高いのだから。

『もう牛を食べても安心か』
(福岡伸一 文春新書)