(松岡正剛 春秋社)

この言葉はとても有名なものですが、「人間は考える葦である」というところだけでおぼえてはいけません。その前に「人間は弱い一本の葦にすぎない」とあるところが、もっと重要です。この「弱さ」のことを「フラジャイル」といいます。「折れやすい」「壊れやすい」ということです。でも、折れやすく、壊れやすいからこそ考えるのだというのです。

人間とは、マクロとミクロ両方の、二つの宇宙を同時に考えることができるという意味で「考える葦」なのだ、と捉えることで、「デカルト」の幾何学的「方法」による思索を超越してしまった「パスカル」の出現が、単焦点のルネサンスから、複焦点のバロックへと向かうヨーロッパ文化の流れを象徴する一つの「事件」であったとすれば、

丁度そのころ、室町時代の日本には、「侘び茶」という新しい「美の価値」を創出した「千利休」の優秀な弟子として、その精神を継承しながら、究極まで突き詰められることで行き場を失おうとしていた「茶の湯」のスタイルを、もう一度自由奔放に開放して見せた「古田織部」が出現していた。

この本には「17歳のための」と銘打たれてはいるが、例え読者が50過ぎのいささか人生にくたびれた「おじさん」であろうとも、

世界と日本をめぐる「意識」や「文化」が歴史的にどのように発生し、変化し、さまざまな対立や融合を生んでいったのかという観点から論じられた、
あの驚異の『千夜千冊』の「遊学者」編集工学研究所所長・松岡セイゴオ先生の「人間文化講義」なので、サクサクと読み進むだけで、

・ヒトが直立二足歩行をして「人間」になったことの意味
・言語が物語をつくったのではなく、物語を編集することが各国の言語をつくったということ
・「善悪」二元論にもとづく価値観と一神教の流布について

といった流れの中で、「日本」にかつては存在していた「二分法ではない見方」や「引き算の美学」を眺めまわし、
「バロック」的な「方法の自由」や「つながりの文化」という「関係を編集する」ことの有意義性を学ぶことができるのである。