(斎藤環 バジリコ)

言葉といい転移といい、人間のこころってやつはどういうわけか、「情報」を伝えあうためには、ひどく効率の悪いシステムになっている。感情や知識が、光ファイバーみたいな回路でさくさく伝えられたら超便利なのにね。でも、その便利さにはどんな意味があるだろう。

僕らは「こころ」のせいで、愚かしい「欲望」を抱き、不合理な「衝動」に身をゆだね、ばかげた「関係性」に身を投じる。
しかし、その「愚かしさ」のゆえにこそ、僕らは「転移」しあい、「関係」しあい、つまり「愛しあう」ことができるのかもしれない。
僕らが「こころ」を持ち、「言葉」を語る存在であるのは、僕らの高くなりすぎた知能に「タガ」をはめるための、

いっけん、とても不便な贈り物だったのじゃないだろうか。

というのが、

「転移の転移は存在しない。」
というラカンの精神分析理論に対する、

「日本一わかりやすいラカン入門」という看板を掲げた斎藤的解釈なのである。

(「こころ」がシステムで語られてたまるか!といったところであろうか?)

「語り口」があまりにも「ベタ」なので、なんとなく判ったような気になってしまうけれど、それほど内容が「やさしい」わけではない。

いずれにしても、この本は「斎藤環」が「ラカン理論」をどのように解釈しているか、その「さわり」をご披露しましょうということなので、

読んだからといって「ラカン理論」の真髄がわかるわけではない。
(もちろん、そんなものは誰もわかってはいないのであるが・・・)

しかし、「ラカン」の本当の醍醐味を知りたいという気持ちにさせてくれるという意味では、下記、内田樹の名著と併せて、格好の「入門書」というべき本である。

その汎用性の高さは、「ラカンがほんとうはなにを言おうとしていたのか、だれにも確定的なことが言えない」というラカン理論の超絶的な難解さに裏づけられている。あまりに難解であるために、だれにでも使える理論というものがこの世には存在するのだ。ラカン理論はその希有なひとつである。(『現代思想のパフォーマンス』内田樹 光文社新書)

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