(高山文彦 文藝春秋)

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「この原稿は発表できない」
と、痩せた男は単刀直入に言った。
「これはあなたが作家になろうとする動機だ。あなたはこれを書かなきゃいけなかった。だから作家になろうとしているんだ。しかし、これを書くには、まだ熟していない。だから、おれは発表できない」
巨漢は思いあまって、
「これがおれにとって、どんな作品なのかわかってるのか」
と、憤りを押し殺した声を投げつけた。


昭和47年の暮れに近い寒い一日。御茶ノ水駅のそばの喫茶店。痩せた男は河出書房新社の編集者、鈴木孝一(27歳)。巨漢は、中上健次(26歳)。

生まれ育った紀州から東京に「パッシング」してきたという健次に、「果肉ばかりをしゃぶっていて、梅干しの殻を破っていない」と煽るように書かせてしまった「作品」を、鈴木は原稿のまま突き返さざるを得なかった。

その作品の名は『エレクトラ』。

残念がら未発表のまま、火災で焼けてしまったというその作品は、健次自身の原体験をかなりナマなかたちで綴っているという意味で、

やがて芥川賞を受賞することになる『岬』から、『枯木灘』『地の果て 至上の時』へとつながっていく原点とも言うべきものではあったが、

「父の血」の問題がテーマとなっていく後の小説とは違って、そのタイトルが暗示している通り、この作品のメインテーマは「母殺し」だった。

鈴木が予言した通り、「すべてはこれを書くためにあった」と満を持して発表した『岬』は、

「読者はむしろ、作者の歌を聴きたいと希っている。中上氏の『岬』から聴こえて来るような、個人の心から湧き上がってくる歌を」(江藤淳)

「(今日の文学者には書くことがないのではないかという時代にあって)この作家にとっては、書くべきことは今あり余っているに違いない」(大岡信)

と、激賞をもって迎えられることになるのだが、

そんな中上健次の激烈な生涯に秘められたもの、「なぜ俺は作家になったのか」ということの意味を突き詰めるかのように、

「ひとりの文学志望の青年が、作家として目覚め、世の中に出てゆくまでの神話時代」

に着目し、親戚・友人・知人への綿密な聴き取りを重ねることで、

本人が好むと好まざるとにかかわらず、生まれ育った熊野新宮の被差別部落という場所が、あるいは霊地たる熊野総体が、殺戮されてきた自分らの声や叶えられぬ望みを伝える物語の記述者として健次を選び、彼をこの世に送り出したのではないかと思えてくる。

と喝破してみせたこの著者が、まるで「共振」するかのごとく、健次の「魂の叫び」をその手で紡ぎ出すことができたのは、

彼もまた、霊地・高千穂に生を享けたものであったればこそなのではないか、という思いに至る。

そうなのだ、

『火花』(飛鳥新社)
『水平記』(新潮社)

を、まるで我が身を削るようにして著して見せた高山文彦もまた、

「これを書かなければ生きていけないというほどのいくつもの物語の束をその血のなかに受けとめて作家になった者」

なのであった。

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