−茶屋街、美しき流れ、そして文学の匂い−

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三代藩主前田利常の城下町づくりによって、犀川南岸の高台に文字通り70を超える寺院が集まる寺町。寺々の境内を囲む築地塀の連なりや坂道の苔むした石垣は、長い歴史の移ろいをへて、今もなお藩政時代の面影を残す。
(『かなざわ・まち博』パンフレット)


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というわけで、お馴染みの「金沢探訪」。珍しく快晴に恵まれた17日は「桜橋」に集合し、「寺町寺院群」から「野町界隈」を巡り歩きました。

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初っ端の難所、通称「W坂」(坂の形がくねくねとWなんですね。)
藩政時代から坂の上に石工の職人町があったので「石伐坂」というのが正式名称のようです。

坂の途中には「井上靖の文学碑」があります。

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「長久寺の大けやき」(保存樹)
長久寺の境内にはこの他にも、樹齢400年の「銀木犀」や、「秋凉し手毎にむけや瓜茄子」という「奥の細道」の芭蕉句碑があり、裏手の墓地には眺望抜群のベンチなどもあって、絶好の「穴場」となっています。(何の穴場かはわかりませんが)

「大円寺の人骨地蔵尊」
無縁仏の人骨を砕いて作った高さ4メートル余りの延命地蔵尊があるそうですが、残念ながら拝観できませんでした。

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「四十萬谷本舗」
は「かぶら寿し」で有名ですが、もともとは「お醤油」屋さんで、戦時中に軍の要請で「漬物」を作るようになり、そのままそちらが本業になったのだとか。
社長さんから、創業以来の歴史や、建物の由来、そして経営の方針や今後の戦略まで、とても丁寧に語っていただきました。(一応、異業種の経営者の集まりなものですから)

「さつまいも」や「かぼちゃ」の、美味しい「こだわりジェラート」で一休み。

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旧「鶴来街道」
は、親藩・松平氏の「越前」から幕府の「上使」が下ってくる際の主要な街道として賑わいました。「四十萬谷」さんや、「今川酢造」さんなどの老舗が、往時の姿を偲ばせています。

「六斗の広見」
は、鶴来街道を往来する人々や物資が、一旦ここに集積する「コミュニティスポット」でした。幕府の「上使」もここで前田家の迎えを受け、隊列を整えて、入城したわけです。

「寺町の寺院群」は、南からの「幕府軍」の侵略に備える「防塞」としての役目も果していたんですね。

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「妙立寺」
通称「忍者寺」は、なぜか地元の人たちには「とても評判の悪い寺」になってしまいました。観光客にも波及するのではないかと心配です。

「願念寺」
は「妙立寺」の裏手にひっそりと佇むお寺ですが、ここには奥の細道の旅の途中、弟子・小杉一笑の死を知って詠んだという芭蕉の句碑があります。
「塚もうごけ我が泣く声は秋の風」という、烈しい感情がむき出しの歌でした。

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「西茶屋街」
「願念寺」の前の風情ある小路を、国道157を横切ってなお真っ直ぐ行くと、そこは「別世界」。
かつての「廓街」も、すっかり整備が進んで、「甘納豆」屋さんや「お豆腐」屋さんが人気を呼ぶような街になりました。我々メンバーの中では「お蕎麦」屋さんの評判が高かったようですが・・・。

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「にし」からは「石坂」「白菊」あたりを冷やかして、用水沿いの道を「野町駅」へ。「ン十年ぶり」に「野町駅」を見たという人も多いようでした。

夜の宴会は野町駅前の「割り勘」。

至福の「生ビール」で喉の渇きを癒したあと、「おでん」と「げそフライ」と「鮎の塩焼き」が美味という、いささか風変わりなメニューに満足の一日を締めくくりました。

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